美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

古蘭と聖伝(大川周明)

2010年02月28日 | 瓶詰の古本

   さて古蘭はアラーが天使ガブリヱルを通して直接マホメットに告げたる言葉其者の復誦なるが故に、一切の自余の預言者の書の上に超出する聖典である。然るに聖伝は、正統回教徒に従へば、基督の四福音書に比すべきものである。何となれば四福音書は、弟子達によつて伝へられたる基督の言行録であり、聖伝は同朋によつて伝へられたるマホメットの言行録なるが故である。マホメットは『吾がスンナを愛する者に非ずば吾が弟子に非ず』と言ひ、また『逆境に在りて吾がスンナを守る者は、百の殉教者の受くる報償を受くべし』と言つたと伝へられる。かくて回教の正統派はスンナ派と呼ばれ、一切の生活を彼の先蹤によつて律することを理想とする。かくてイブン・カルドゥン Ibn Khaldunが言へる如く『回教の律法は古蘭の本文と聖伝の教訓とを礎とする』のである。

(「回教概論」 大川周明)

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心につつみ得ぬとき(村田春海)

2010年02月26日 | 瓶詰の古本

   おほよそ、うつしみの世にありとある人、折にふれ事にあひて、心に思ふ事あらざるはなし。其の思ふ事ひたぶるなる時は、あながちに心につゝみもてあらむ事を得ず。その心につゝみ得ぬ時は、必ず声にたてて歎く。その歎くにつけては、やがて言(こと)に出でて歌ふ。其の歌ふ時、詞(ことば)にあやあり。心にことわりあり。これをしもぞ歌とはいふなる。

(村田春海)

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此哭声の何なるを知るや(高橋五郎)

2010年02月25日 | 瓶詰の古本

孔子衛国にありて、朝早く興(お)き、顔回その側に侍坐せしに、哭者(なくもの)の其声甚だ哀しげなるを耳にしたれば、『回よ、汝は此哭声の何なるを知るや』と問はれしかば、顔回は直ちに答へて云ふ、『回意(おも)ふに、此の哭声は単に死者の為にする而已(のみ)にあらで、又生別離も之に加はれる者なり』と、即ち其理由として説(とき)出しけらく、『回聞くに、桓山の鳥四子を生み、羽翼既に成りて、将に四方に分飛せんとするや、其母悲鳴して之を送るに、其哀声これに似たる者あり、其の往いて復返らざるが為なり、回竊(ひそ)かに音類を以て之を知る』と。孔子人をやりて慟哭者に問はしめたれば、果して曰へり、『父死し、家貧しければ、子を売りて葬むらんとし、之と長き訣別(わかれ)を為すを哭せし也』と。

(「廿世紀聖書新釈」 高橋五郎)

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おれらの夢

2010年02月23日 | 瓶詰の古本
   デミアンではないけれど、おれらの夢を語るとすれば、やはりその前に、おれらがどんな途次往来を迷って来たかを話さなければならない。誰を裏切り、どんなに滅茶苦茶な所業を重ねて来たかを囁かなければならない。それは、きっとあんたの耳に快いものではない。ましてや、おれの耳に耐えられるものではない。
   それでもなお、老い先の見えた者が、もし夢を語ることを願い、それを許されるとしたら、裏切ってきた人の顔を霞んだ眼で見ながら、一片の反省もなく過去の悪行を反芻し夢を叫ぶという、うつつ心を疑われる途を選ぶと思う。最も無残な途を選ぶと思う。この先を行くには、それよりほかの途はないと信じているからには。
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弘法大師と景教との関係(ゴルドン)

2010年02月22日 | 瓶詰の古本

弘法、伝教の長安に着せし時には、市内に四大景寺あり、一大景教碑あり、卓識英邁の資を以て新智識を得るに熱中せる大師其人にして、十字架を冠し異文字を刻せる碑文を見ず、皇帝の御影を掲げ、奇異の様式を表せる寺院を訪問せざるの理由あるべからず。もし大師にして景教中国流行碑の大榜を見ば、必ずや其何ものなるか、その所謂処女より生れたる彌尸訶(メサイア)とは何ものなるか、その贖罪昇天とは何事なるかを問究めんとするは、勿論先つその寺院に入り、東西の語に通じたる大徳景浄に逢ひ、その教義を質問し、且かの「光翼」(神の顕現を表す)の奇標を見て、その説明を求めて、その好奇心を満足せしめたるは、火を見るよりも明かなり。此光翼の神標は、大古埃及三角塔の古棺に刻せられ、アツリシヤの寺院に彫出せられ、シリアにては耶蘇教に化して、尚この標識を全世界の主宰神を表するものとして用ゐたり。当時支那には、已に六朝百七十余年間景教は民間に行はれ、全国六人の僧正あり、長安はその首座にして、景浄(アダム)は実にその僧正にてありき。されば種々の方面に於て目に触れ耳に入るものもありしなるべし。故に碑文以外の事実も大師には知られ、教義の精細も亦探究せられしやも知るべからず。新智識に汲々し、尋究して止まざるは、実に日本学生の特色なり。如此太宗の賞讃を博したる景教の何物たるを知らずして、長安を辞するは、到底真言、天台の創立者たる両大師には不可能の事なりとす。

(「景教碑文研究」 『弘法大師と景教との関係』 イー・エー・ゴルドン)

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復興都市ブラツ記(その二)(雑誌・黒白)

2010年02月19日 | 瓶詰の古本

復興都市ブラツ記
           ビリケン生
                 背高童子

 ぶらりぶらりと口の悪い二人の同行、新橋から、キミキミ尾張町、銀座一丁目を過ぎて京橋を渡る、早くも背高の眼に入つたのは、焼残つた相互生命の建物だ、
『相互生命だけはうまくやつたな』
ビ『さうだーー此位の建物を持つてゐたら、何んにもしないで、遊んで喰つてゐられるかしら』
背『止せよ、どうせそんな時代は、俺達には永久に来ないんだから、今から拾つた金の勘定なんかする馬鹿があるか』
ビ『さう見くびつたものでもないぞ、此れでもどんな金持から養子の申込みがないとも限らん』
背『その御面相でかーーフツ、お前は鏡のない国で生れたな、何しろ幸福な代物だ』
ビ『さう云ふお前だつて、余り誉めた面構ひもしてゐないぢやないか』
背『俺は初めから養子になんか行く考へはないんだからーー第一男子が糠三合持つたら、養子に行くなつて、昔からの言葉にある』
ビ『尤も貰い手がないから、そんな大きな口が利けるがねーー内心満更自惚れてゐないでもないだらう』
 二人は此んな馬鹿口を利いて歩いて行く中に、後の方で草履ばきの男がくすくすと笑ふ。二人は一緒に振り返つて、後に人の聞いてゐると知るや。お互ひに顔を見合して。
 『おい、此からどつちへ行うーー』
 白木の前で、テレ隠し。
 『さうだなーー序だから三越の方まで行つてみるかーー』
  
(「黒白 第七十八号」)

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大阪は誠に美しきもの(メーソン)

2010年02月18日 | 瓶詰の古本

   私は日本の街路にタキシの流れを見るのが大好きだ。リキシヤが亡んで、リキシヤマンが自動車の運転席に坐るやうになつたことは日本文化の滅亡ではなく、却つてその限りなき未来を暗示するものだ。
   若し日本が衰退しつゝあるといふ者があるならば、それは明かに誤謬である。諸君は偉大なる変化と適応とを成し来つた。文化の如何なる部門に於ても日本の進歩を妨げんとするものがあらば、そは排撃せらるゝであらう。大阪の街をタキシで走るとき、ある友達が私に尋ねた。
 「大阪の街を汚いと思ひませんか」
   私は答へた。
 「否」
   大阪は偉大なる物質的繁栄の中心である。大阪は明かに「メイド・イン・ジヤパン」の札を貼つてゐる。大阪は自ら創造し活動する日本の独自の能力を最もよく代表してゐる。生活の標準を高め人々の幸福を進めることが美しいことであるならば、大阪は誠に美しきものといつて差支ない。

(「創造の日本」 J・W・T メーソン述 鹿野久恒編)

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ただこの庭の、このままに

2010年02月17日 | 瓶詰の古本
・・・、桃青つくづくと聞て曰(いわく)、三子の冠五各(おのおの)一理を含で、倶に平常の句には勝れりと云べし、就中其角が山吹の花やかなる、最も力ありて面白し。去ながらかゝる七五の冠(かむり)たらんは、観想見様の理をはなれて、唯此庭の此儘に、我は古池やと置侍らんとあるに、各初てあつと感入て、誠に、
   古池や、 蛙とびこむ水の音   とは吟じては、心に閑(かん)をもよほし、思うては意に妙を知る。こゝに俳諧の眼(まなこ)ひらけて、天地をも動かしつべく、鬼神をも感ぜしめぬべし。是より敷島の道とも云べく、仏を作る功徳にもくらぶべし。人丸の陀羅尼、西行の讃仏乗も、わづかに十七文字の中にこめて、向上の一路の遊び、真実法性の光りを放て、遠く天下の俗俳を破り、今時俳諧に遊ぶ人を正風の直路に導かんこと、まことに我師の力にぞ有けれと、手の舞、足の踏所を忘れて、よろこぶこと限りなかりけり。されば此池百年の後にも猶残りて、星うつり霜重なり、其地今は或諸侯の廓中(くわくちゆう)になりしかども、昔の姿を作りもかへず、世に深川の古池とは申けり。

(「俳諧水滸伝」 遲月庵空阿)       
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なにが悲しくて

2010年02月16日 | 瓶詰の古本
   なにが悲しくて、錆び付いたままの文字を残さなければならないのか。あるいは、一日の仕事を遠く離れ、白昼の倫理に背反する理路の下で文字を探そうとする奇怪な夜更けは、どの窓を通り抜けてやって来るのか。
  腹の底から湧いて来る好い加減さを小脇に抱えながら、どこまで行っても混じり合おうとしない悲喜の間を纏綿する。そして、結局は悲しさの極みに行き着こうとして、少しづつ少しづつ文字を辿って行く。ふらふらと右往左往する自分の内側に、文字にかじりつこうとする発端はあるはずがない。心は空虚でかじかんでいる。であればこそ、由来の知れぬ文字の跡は頽落と悲しみの果てとして残りつつあるのか。
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段々殖えて来る(アンドレーエフ)

2010年02月14日 | 瓶詰の古本

「段々殖えて来る。」と兄が云ふ。
   兄も窓際に立つて居たが、母も妹も家内中残らず此処に居る。誰も面(かお)は能く見えなかつたが、唯声でそれと知れた。
「そんな気がするンだわ。」と妹が云ふ。
「いや、殖えて来るのだ。まあ、見て居て御覧。」
   成程、死骸は殖えたやうだ。如何して殖えるのかと、凝然(ぢつ)と注目して居ると、とある死骸の隣の、今迄何も無かつた処に、フト死骸が現れた。どうやら、皆地から湧くらしい。空いた処がズンズン塞がつて行つて、大地が忽ち微白(ほのじろ)くなる。微白くなるのは、蹠(あしのうら)を此方(こちら)へ向けて、列んで臥(ね)てゐる死骸が皆薄紅いからで、それにつれて室内もその死骸の色に薄紅く明るくなる。
「さあ、もう場所がない。」
「もう此処にも一人居るよ。」
   皆振向いて見ると、成程背後(うしろ)にも一人仰反つて倒れてゐる。と、忽ちその側へ一人現れ、二人現れる。跡から跡から湧いて出て、薄紅い死骸が行儀よく並び、忽ち部屋部屋に一杯になる。

(「血笑記」 アンドレーエフ 二葉亭四迷訳)

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愚にも附かぬ夢だけれど(アンドレーエフ)

2010年02月12日 | 瓶詰の古本

   ・・・愚にも附かぬ夢だけれど、怖ろしい夢だ。宛然(さながら)葢(ふた)の骨を剥がれて、脳が覆ふ物もなく露出(むきだ)しになつたやうに、物狂ほしい血羶(ちなまぐさ)い今日此頃の惨たらしさを、吸はせられる儘に吸ひ込んで飽くことを知らぬ。縮んで寝れば、身は二アルシンを塞ぐに過ぎぬけれど、心は世界をも包む。所有(あらゆる)人の目で観、所有人の耳で聴き、戦死者と共に死に、負傷して置去りにされた者と共に泣き悲しみ、人の流す血に私も痛みを感じて悩む。無い物までも有るやうに、遠い物さへ近く顕然(まざまざ)と見えて、曝した脳の苦痛に際限がない。

(「血笑記」 アンドレーエフ 二葉亭四迷訳)

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詩三百を誦するも(論語)

2010年02月11日 | 瓶詰の古本

   子路 第十三

   子曰く、詩三百を誦するも、之に授くるに政(まつりごと)を以てして達せず、四方に使して専対する能はずんば、多しと雖も亦奚(なに)を以て為さん。

   孔子が曰はれるには、詩三百篇を暗誦してゐながら、これに政務を執らせても、一向に国を治めることが出来ず、四方の諸侯に使者として行つても、自分の計らひで応対することも出来ないなら、如何に多くの詩を暗誦してゐたところで、それが何にならう。

(「平易に解いた論語講話」 杉田篤)

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復興都市ブラツ記(その一)(雑誌・黒白)

2010年02月10日 | 瓶詰の古本

復興都市ブラツ記
           ビリケン生
                 背高童子

    はしがき
 あの恐しい九月の地震も過ぎて、玆に六ヶ月、春のうらゝかな陽を浴びて、同行二人、復興の都市をブラツ記、口から出任せの与太振りの中に、味な警句も満更見捨てたものにもあらざるべしと、斯くは記して足のまにまに。
           銀座から日本橋まで
 帝都の美観と誇つた、銀座から振り出す。
ビ『どうだい、久し振りで銀座へ来てみたが、何んと家が、皆んな低くなつて終つたね』
背『ウム、まだ地震があると云ふから、コワインだらうよ、それと金のないのでね』
ビ『さうかも知れないが、此の埃りは一体どうしたものだい、何んとかならないものかね』
背『銀座改名して埃り座と来たね。是れぢや昔の銀ブラも、今ぢや形なしだ、ヽヽオイオイ、それでもやつぱり、相当に商ひはあるんだね』
ビ『斯んな埃りの中へ買ひに来なくつても、山の手のちやんとした家で買つたら好さそうなものだがね』
背『電車賃だけ損をしてまでな、ハヽヽヽヽハ』
ビ『あんまり大きな声を出すと、営業妨害で撲られるぞーーフヽヽヽフ』
  
(「黒白 第七十八号」)

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机上辞典は犬好きの辞書

2010年02月08日 | 瓶詰の古本

   「机上辞典」(高野辰之編 昭和五十二年)

 犬種を説明するためにしても、説明記事の文字数は他の項目を大いに凌ぎ、犬の写真掲載にも万端遺漏なきを期しているようだ。その思い入れの深さは、明かに他辞書の追随を許さない。編者はよほど犬好きだったのだろうか。
   見所満載の挿絵に関しては既に喧伝されているとおりで、レトロ調保存という観点からみると素晴らしい。

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なんて怖ろしい世間だろう(ワイルド)

2010年02月07日 | 瓶詰の古本

ウヰンダミーヤ夫人  (暖炉の前に立つて) 何故あの方はいらつしやらないだらう? この待つ間の怖ろしいこと。いらつしやらなければならないのだが。どうしていらつしやらないのだらう。熱烈な事をおつしやつて、燃えるやうな思をさせて下さるのだのに。寒気がすること―― 恋も何も知らない人のやうに。寒気がする。わたくしは何だか寒くなつて来た。恋も何も知らない人間のやうに寒気がする。もうアーサーはあの手紙を読んだに違ひない。わたくしのことを何とか思つてくれるなら、追つかけて来て、無理にもわたくしを連れて帰る筈だのに、彼の人は何とも思つてはゐないんだ。彼の人はすつかりあの女の手管に乗せられてゐる。いいやうにされてゐるのだ。男を自由にしようと思へばただ男の弱点にさへ附入ればいい。わたくし達は男を神のやうに立派にしようとする。だから男はぢきわたくし達を見捨ててしまふのだ。他の女共は男を動物のやうに賤しいものにする。だからいつまでも男は側を離れないのだ。なんて怖ろしい世間だらう。おお、こんな処へ来たのは狂気の沙汰だつた。空恐ろしい狂気の沙汰だつた。愛してくれる男の玩具になるのと、女の名誉を穢す男の妻となるのとどちらが悪い事だらう? どんな女にその事がわかるだらう? 世界中のどんな女に? 

(「ウヰンダミーヤ夫人の扇」 ワイルド 谷崎潤一郎訳)

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