美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

兄妹の愛心(ドストエフスキー)

2016年05月29日 | 瓶詰の古本

   「兄さんて人は、優しくて両手に抱き取つたらいゝんだわ。そしたら、もうおしまひよ!」
  「抱き取つておくれ、リーザ。今日はお前の顔を見てると、何とも云へないいゝ気持だ。一体お前は何とも云へないほどいゝ娘だつて事を、自分で知つてるかしらん?僕は今まで一度もお前の眼を見た事がなかつたが‥‥今日はじめて見つけたよ。一体お前は今日どこでその眼を手に入れたんだい、リーザ?どこで買つて来たんだい?そして、何をその代価に払つたの?リーザ、僕には友達といふものがなかつたから、今まではあの『理想』だつて下らんもののやうに眺めてゐたのだ。しかしお前と一緒にゐると、それは下らんものぢやない‥‥お望みなら友達にならうか?だが、お前は僕が何を云はうとしてるか、分かるだらうね?‥‥」
   「ようく分かるわ。」
   「ぢや、いゝかい、契約もコントラクトもなく、たゞ友達になるんだよ。」
   「えゝ、たゞたゞ友達にね。だけど、たつた一つ契約があるの。もしあたし達がいつか互いに責め合つたり、互いに何か不満があつたり、あたし達が悪い厭な人間になつたり、また今いつたことを忘れてしまふやうな事があつても、たゞ今日のこの日、この時間だけは、決して忘れますまいね!それを誓はうぢやありませんか。あたし達がかうして、手と手を繋ぎ合つて笑ひながら、愉快で堪らなかつたこの日の事を、いつも思ひ出すといふ誓ひをしようぢやありませんか‥‥よくつて?え、よくつて?」
   「いゝとも、リーザ、いゝとも、僕ちかふよ。しかし、リーザ、僕は何だかはじめてお前の言葉を聞くやうな気がするよ‥‥リーザ、お前たくさん本を読んだの?」
   「今まで一度も訊かなかつたわねえ!つい昨日あたしが一言云ひ間違ひをした時、はじめて御注意をお払い下すつた訳ねえ、あなた、変人さん?」
   「ぢや、どうしてお前の方から云ひ出さなかつたんだね、もし僕がそんな馬鹿なら!」
   「あたしはあなたが利口になるのを、じつと待つてたのよ。あたしは抑々の始めから、あなたを見抜いてゐたのですよ、アルカーヂイ様。そして見抜いてしまふと、かう考へたの。『なに、あの人は傍へ寄つて来る、きつと近づいて来るに相違ない、それがおちなのだ。』――で、あなたの方から先に近づいて戴かうと、その名誉をあなたにお譲り申すことに決めましたの。『いゝえ、もうかうなつたら、あたしの後からついてらつしやい』とかう思つたの!」

(「未成年」 ドストエーフスキイ 米川正夫訳)

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偽書物の話(三十八)

2016年05月25日 | 偽書物の話

   ノートの語り口は、「ですます」調を離れ独白の調子を帯びて来る。
   「とは言うものの、地図のどこかに指を落として動いてみなければ、全然埒が開きそうにない。私は役所へ出向中に耳にした、国のごく限られた関係者のみ立ち入りを許される特別な書籍収蔵施設の存在を思い出した。元官僚だった天下り理事の威光を借り、あらゆる伝手を手繰りまくり、なんとか主務官庁の官房長から立入・閲覧等に関する許可の承認を得ることができた。当該施設は首都有数の高層ビル群を擁する地区の中にうずもれるようにして建っている小さな4階建てビルの最上階にあった。ひっそり閑と静まり返る(一般外来者は誰も訪れるはずのない)施設の扉を開けると、あらかじめ入り口で待機していた職員が身分証明書と理事に頼んで書いてもらった紹介状を確認する。官庁役人の習性なのだろう、日付けの記載(明跡性や整合性)について馬鹿に念入りな照査をしていた。それが終わると、図書室の前室で入室許可の承認文書と閲覧候補の書籍目録一覧(正)とを提出し、引き替えに渡された黄色の準職員バッジを胸につけた。ここからは、年輩(七十代前半)の司書職の男が規則を忠実に遵守して、私の行く先をつかず離れずに雁行するのであった。
   図書室に入ってみると、高い天井まで届く書棚に沿って部屋中を一筆書きするように、緩やかにカーブをつけて鉄のレールを巡らし、そこに木製の可動梯子が数基かけてある。充満する書物の群に囲まれて目が眩むばかりで、どちらへ進んだらいいものやら、どこから手をつけたらいいものやら、まるきり見当がつかない。まるで群衆の犇めく十字街の真ん中で行き場を失ったお上りさんといった塩梅である。すっかり迷いあぐねて司書を振り返り、書籍目録一覧(副)を手渡す。待っていたとばかり司書はそれを左手でひっ掴み一瞥するや、右腕で梯子をかいこんでギギーと音立てて部屋の内を回り出した。やがて、とあるところで立ち停まると、化石したように固まっている。私もじっと待っていると、よいやっとかけ声を発して梯子を登り始めるが、中途で首を傾げて引っ返して来る。梯子の根元でまたもや固まってしまう。ついで、再び梯子を引きずってあるところに至ると、やおら登り始めた。中段の位置で目をむいて本の背表紙をにらみつけると、一冊の古ぼけた小さな布表紙の本を書棚から抜き出した。

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時々は気弱に歌を聞きながら

2016年05月22日 | 瓶詰の古本

   ちあきなおみの歌を聞きながら、ぼんやり思うこと。ひたすら歌のなかに身を沈めて、魂の池にゆらゆらと映る逝ってしまった人達の面影をながめていること。
   再発とか転移とか、いつ検査の結果として目の前へ立ち現われるか、そんな予知、予測のつくはずもない。うまくいって三ヶ月単位の執行猶予が申し渡されるようなもので、いつ何時収監されても恨むことはない。人の生死はただ受け容れるしかないことだから。
   にしても、命がもうじき閉じかねないというときになってようやく、ああ、あの人からもっと話を聞いておけば良かった、この人ともっと言葉を交わしておけば良かったと、間に合わぬ願いを空しく思うのである。こんな病を患う前は、実は何も本当のことを知らず、何もまともに考えておらず、それなのに、人より少しは物事を弁えよう、人より若干はものを考えようとしていると盛大に勘違いして生きて来てしまった。取り返しのつかないのが人生だと思えば(思ってみれば)あきらめが救いとなるのだが(あきらめしか救いにならないのだが)、それにしても、じんわりと湧き上がる悔恨の情は、ぬぐってもぬぐっても止まることなく滲み出して来るのである。
   支那・ビルマの戦場の話、歌の話、残心の話……、みな聞くことなく消えて行ってしまった。

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偽書物の話(三十七)

2016年05月18日 | 偽書物の話

   付録として遺された手記は以下のように書き綴られている。
   「私は科学工芸分野を所管する官庁の監督下にある社団法人で総務班長を務めている者です。詳しい事情は分明でありませんが、役所のさる筋を通じて由来の定かならぬ石が弊法人へ持ち込まれました。当面、社団法人の公務外扱いで当該の石を鑑定してもらいたいという内々の命を受けたので、総務班の半ば便宜的運用として処々方々の心当たりへ幾度となく照会し、官民問わずめぼしい研究機関に解析を依頼してみたのですが、結局、真贋を含めてその正体、手加工の痕跡等に関して有効な情報は得られませんでした。それどころか、某研究所の副所長に至っては、これは並の鉱物なぞではないと言い出します。いかにも胡乱に聞こえる話かも知れないが、宇宙空間のどこぞで、気の遠くなるほどの時間をかけて凝り固まった何か意思めいたもの、何ものかの記憶、更には何ものかが生きている地上そのものではないかと、年来抱懐する持説にかこつけて本気で主張する始末です。なにしろ、我々が尋常一般に想像できる範囲に納まるものではないらしいとか。まあ、あ然とするしかない法外な所説であって、まともに取り合う価値は毛頭ありません。
   それはそれで構わないが、依然、もの本体の解明は必要とされている。少しでも理屈に沿って頷けそうな答に近づくために、それではどこをどう尋ねるなり探るなりしたらいいのやら、相変わらずの五里霧中、途方に暮れるばかりであった。」
   はじめからひどくとらえ所のない話であり、舌の回りもよたよたともつれ気味である。私の戸惑いの表情を、心なしか気の毒そうに水鶏氏は眺めていた。だが、水鶏氏もこの手記を根底から理解はできかねる代物と評している。珍妙な手記に対する惑乱の度合いにおいて、水鶏氏と私とでさほどの隔たりがあるとも思われない。

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第二の青春(ゴッホ)

2016年05月15日 | 瓶詰の古本

   つねにあり、またこれからもつねにあるべきもの、そして芸術家の生活の最高潮の時にさえしばしば帰り来るもの――永久に実現しえぬかの実生活への郷愁。そして時おりは自己の全身全霊を芸術に打込み、それによつて生き抜こうとするあらゆる熱望を見失うことがある。彼は自分が馬車馬であるのを知つており、自分が縛りつけられるのはいつも変らぬ古馬車であるのを知つている。むしろ太陽とともに牧場に草を喰み、河に水かい、同じく自由な他の馬どもと一緒に暮した方がいいと思う。
   そしておそらくこうした気持のどん底まで落ちると、心の病気はその中から起つてくる。僕はそれに、驚きはしない。僕は外界に対して、反逆しない。同時に僕は、外界に対してあきらめてもいない。僕はそのために病気になり、病気はなかなかよくならない。そして几帳面に治療法を守ることが、容易にできない。
   これを、死と不死とによつて襲われた状態とよんだのは誰か、僕は知らない。僕の曳いてゆく馬車は、僕の知らない人々の何かの役に立つているにはちがいない。そしてそれゆえに、もしわれわれが新しい芸術を、未来の芸術家を信ずるならば、われわれの信仰はわれわれを欺かないだろう。善良なる老コローが、その死の数日前、「昨夜わたしは夢の中で、空がすつかり薔薇色の風景を見た」といつたとき――そうだ、それらの薔薇色の空、さらにこれに加うるに黄と緑とが印象派の風景のうちに現われて来なかつただろうか。彼らの絵のすべては、人間の予感するものは来るべきであり、またあくまで真実に来るということを意味している。
   われわれのように、それほど死に近づいていない――と僕は、考えたいのだが――ものにとつては、やはりこれはわれわれの存在よりも偉大であり、その生命の長さが我々の生命よりも長いのだと感ぜざるをえない。
   われわれは、自分の死につつあるのを感じない。しかし、自分は微小なものだという真理を感じる。芸術家の鎖の一環たらんがため、健康に、青春に、自由に、高価な代償を払いつつあるのを感じる。春の楽しみをえようとして郊外へゆく客を満載して走る馬車馬のように、何の楽しみをも味わずに。
   そこに、未来の芸術がある。それが美しく、若さにみちたものであるという期待は、そのためにはたといわれわれが、自己の青春をふりすてても、静寂のうちに勝利をかちえねばならぬと決意させる。おそらくこんなことを書くのは馬鹿だろうが、僕はそう感ずるのだ。僕と同じく、君もまた、君の青春が、一抹の煙のように消えゆくのを見てきた。だがもし、君のこれからなそうとすることによつて青春が再び湧き出で、よみがえるなら、何ものも失われはしなかつたと思う。そして仕事への力は、第二の青春なのだ。

(「ゴッホの手紙-弟テオドルへの手紙-」 式場隆三郎訳)

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偽書物の話(三十六)

2016年05月11日 | 偽書物の話

   語りながら、水鶏氏はノートを掴み直し頁をとばしてなかほどをめくると、その腹を裂かんばかりに両側から分厚い掌を押し当てて、平たく伸して開いた。
   「ところで、ここに付録としてある人物の手記が載っています。石について記した、まことに妙ちくりんな文章で、むしろ狂疾者的と形容するのがふさわしい文章です。今ある状況と書かれている内容とをどう結びつけたら良いのか、何度読み返してみても分かりません。そんな思考停止の状態にあったとき、偶々、例のご本があなたから送られて来た次第なのです。」
   たしかに私は水鶏氏の許へ本を送りはしたが、それはあの黒表紙の書物の中身について文字一文字の解読(表紙の文字は無論のこと)すらできなかったことから、思い余って内外の書籍に精通していると声望高い水鶏氏を頼ったまでのことである。したがって、あの書物が目の前の石の塊とまさか何かの因縁、関わりがあるなんて、耳を疑う突飛な話である。私なりに勘ぐれば、書物に浮かび上がって見えた光景が石塊の姿形と寸分の狂いなく重なり合ったという不思議な吻合は、いつか奇蹟を予告する表徴に接したいと常日頃願っている心理的渇望から生まれた蜃気楼のようなものではないか。心身もろとも石の奇勝振りに魅入られたあげく、偶然目に触れた本の頁から立ち昇って来た黒白の影形と石塊の残像とが瞬時に交叉し、折り重なって水鶏氏の脳髄に焼き付いてしまったのではなかろうか。ただ、水鶏氏ご当人にとっては、紛れもなく現実に起きた出来事、高等な認知力によって捉えた確たる物理現象として記憶に深く刻まれたものに違いない。

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文庫本を買い戻す

2016年05月08日 | 瓶詰の古本

   引っ越しの際に捨ててしまった文庫本を、今頃になって買い戻している。ほぼ毎土曜日に、均一台を主たる狩り場にして探しているが、戦後まもない頃に発行された岩波文庫なぞは、なにせ用紙欠乏の混乱期を生き抜いて来たせいか、ずだぼろになったものが少なくない。手に取りページを開くだけでもおっかなびっくりの状態である(戦前版の岩波文庫は背筋のしゃんと通った堅牢の個体が多い。)。素人療法でところどころを液体のりで補強したり(しくじってページ同士がくっついてしまったり)、粘着テープを貼りつけたり(貼ったそばから中途半端に剥がれ出したり)で、見事なまでに満身創痍の落武者振りを顕わにしている。あたかもそれを読む己れの姿ありのまま(手術の痕のみっともなさ)を投影し切っていて余すところがない。

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偽書物の話(三十五)

2016年05月04日 | 偽書物の話

   「今読み上げたノートは対価を支払った上で古本屋、と言うか古物商から購求したものですが、とはいえ、心情的にはあくまで私が暫時保管させてもらっているに過ぎないと思っています。いつか、正当な所有主が尋ね当てられた暁には、お譲りしても構わないと考えているのですよ。いつだってそうするに吝かでないのが私の底意でして。」
   水鶏氏は、我からこう言明することによって手に持ったノートに対する愛おしさが一層つのったかのように、声を小刻みに震わせた。しかし、どうやら私が送った書物とは関係がないのではないかというこちらの腹の内を見透かしたのか、すぐに平静に戻って言葉を続けた。
   「あなたももう気が付いておられるでしょう、私がこの石のどこかしらに手を触れておかずにはいられないことに。きっと、あなたの前で石の塊をこれ見よがしに撫でていることにご不審を抱かれたのではないですか。その古物商の店先で長年埃をかぶって放り出されていた石ですが、鉱物の類に目がないことから、その嵩や重みを省みずノートと併せてうっかり買い求めてしまいました。わざわざ言い足すのも可笑しな話ですが、この石の今ある形はどうやらありのままのものです。調べてみた限り、何ら外から手を加えた形跡はありません。にもかかわらず、まるで粘土を捏ねて造ったみたいな奇態な形姿を露わにしているじゃありませんか。傍らに置いて、これほど気を引く鉱物はかつてありませんでした。ついつい手が出て触りたくなる、そして、そこに何か隠れているものはいないかと眼を凝らして探してみたくてたまらなくなるのです。
   折しも、あなたからあの黒くて大きな書物が送られて来ました。お送りいただいた大きな書物をまだ読むでもなく、何心なく適当に頁を繰って眺めていたときです。私の眼前で、頁の白地と黒い文字とが互いにもつれ合い褶曲し合って造山運動とでも表すべき現象が始まったのです。そのとき頁の上に俄かに造化された立体の像は、てっきり妄狂による幻視ではないかと半ば放心しながら疑ってもみました。けれど、焦点のおぼつかぬ視線を書物からこの石へと移したとき、眼の裏に結んでいた光景の立体的心象が、細部の形状に至るまで石の塊とぴったりと重なり一体となってしまったのです。」

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屏風の絵の人形躍り歌う(松雲処士)

2016年05月01日 | 瓶詰の古本

   細川右京大夫政元は、源の義高公を取立て、征夷将軍に拝任せしめ奉り、自ら権を執り其の威を逞しくす。或日大いに酒に醉うて、家に帰り臥したりしに、物音をかしげに聞えて睡りを覚し、頭を擡げて見れば、枕元に立てたる屏風に古き絵あり、誰人の筆とも知れず、美しき女房少年多く遊ぶ所を極彩色にしたるなり。其の女房も少年も屏風を離れて立ち並び、身の丈五寸計りなるが、足を踏み手を拍ちて歌唄ひ、面白く躍を致す、政元つくづくその歌を聞けば、さゝやかなる声にて、
   世の中に、恨みは残る有明の、月に叢雲春の暮、花に嵐は物憂きに、洗ひばしすな玉水に、映る影さへ消えて行く
と繰り返し繰り返し歌うて躍りけるを、政元声高く叱りて、「曲者共の所為かな。」と云はれて、はらはらと屏風に登りて元の絵となれり。怪しき事限りなし。陰陽師康方を喚びて卜(うらな)はせければ、「屏風の絵にある女の風流の躍に、花に風と歌ふ、すべて風の字慎みあり、旁(かたがた)以て重きつゝしみなり。」と云ふ。永正四年六月の事なり。其の次の日政元、精進潔斎して愛宕山に参籠し、偏に武運の長久を、勝軍地蔵に祈り申されたり。二十三日の下向道に乗りたる馬、已に坂口にして斃れたり。明くれば二十四日我が家に於て風呂に入りけるに、其の家人右筆せし者敵に内通して、俄に突き入りつゝ政元を刺し殺したり。康方が風の字慎み有りと云ひしが、果して風呂に入りて殺されしも、兆(うらかた)の取りどころ其の故あるにや。

(「伽婢子」 松雲処士)

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