美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

魂の逆落とし

2010年02月03日 | 瓶詰の古本

「ヴァテック」(ベックフオード 矢野目源一訳 昭和七年)

 アラビアンナイトのエッセンスを更に濃厚に煮詰めて、一の小冊子の中にその旨味をぶち込もうとしたのか、いや、むしろ、流布本と怪魔幻妖を競おうと試みたのか、いずれにしろ文華の集合意識を懼れぬ企ては、幻想文学の世界に聳り立つ高塔として見事に後世に遺ったものと思われる。
 アラビアンナイトに触れた者で、その驚倒の面白さに魅せられない者はなかろうが、物語の雰囲気に包まれたとき、幻想世界には現世を捨てさせる力があるということ、理知の限界を超えた訳の分らない感応力が人間には生来植え込まれているということが立ち所に露見してしまい、挙句の果てに、ベックフォード自身の魂の内幕はここに展開されて新しい夜話を奔出したのかも知れない。
 この薄べったい掌大の文庫本を一旦繙くならば、頁を捲る妖風に導かれて、涯のない天空から底なしの地獄までの逆落としを心行くまで味わうことが出来る。

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