美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

行為者にして表現者の胸中にある憤懣は、信州人の融通利かぬ上気へ煮えたぎり、凝っては我々懦夫不可分の狎れ心を衝く巉巌たる熔岩の短歌となるのか(齋藤瀏)

2023年02月26日 | 瓶詰の古本

 人を踏み台に、人を埋草に、人を犠牲に、自己の功名栄達を遂げる。かうした人を智者と言ふなら、私は之を悪む。

   別れ来て行きつまる水もどる水ここにまひまひただまはる水

 運命か、行きがかりか、私は知らぬ。だがかうした水を見て居ると考へさせられる。

   岩一つ越ゆるはずみにわかれたる水は異なる瀬に落ち行けり

 順逆も、官賊も、忠も不忠も、貞も不貞も、或は岩一つを越える時の偶然の別れによるかも知れぬ、幸、不幸、成功、不成功などは確かにかゝる処から別れるものがある。

   河原(かははら)の石は流石(なかれいし)まろくなり小さくなりし石は流石

 私は丸くなくとも山の石を愛する。うまく流れて、丸く世を渡る事など考へたくない。
 あの「サーカス」の猛獣を見よ。

   活くる道の安きに堕ちし猛獣のなれの果なる芸をわが見つ

 身につかぬことはせぬがよいのであらう。私は柄にないことをやりたくない。

   芸ならぬ芸を敢てしこの獅子のいつより物を貰ふ覚えし

 これを生きるための悲哀と言ふか。

   木耳(きくらげ)も己(おのれ)はたもつぶよぶよにふにやふにやにありて己は保つ

 外柔内剛か、柔よく剛を制すか、あゝ見えて木耳はちやんと己を保つて居る。だが私には此の保身術はない。

   言ひ徹(とほ)し言ひきるからにいくそたび吾が身われから縛られにけむ

 私はあの女々しい愚痴はいひたくない。またちくりちくりとつつくことは嫌ひだ。むしろこんなときは、づばりとやつてのけ度い。だから猫のやうな人間は好まぬ。蛇のやうな人間も好まぬ。

   憤らば露(あら)はにもの言へ大丈夫の愚痴面(つら)当は聞くに苦しき

 この調子だからいけぬ事は知つて居る。

   身をかはす術は知れども何せむに生きて長かる吾にしあらねば

 私は事件が収まると数々憲兵隊へ呼ばれて訊問を受けた。家宅捜索も受けた。

       悵悵独り憐む
   言ひつるは曲事ならぬあわたたしく手を口にあつる我となりしか
   憤り胸に抑へつゝ顧みて他を言ふわれを憐まざらむや
   眼を耳を口を塞ぎ居り三匹の猿を兼ねつと憐れまむかわれ
   手を足を自ら封じ似るといへど達磨はかかる泣顔ならず

 或る人は私の顔が羅漢様に似て居ると言ひ、達磨に似て居ると言つた。達磨はこんな時も泣くまい。
 信じた道を信じて歩んで来た私だ。泣くことも歎くことも無い筈だ。行く処へ行くのみである。行く処へ。

(「二・二六」 齋藤瀏)

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金儲けは何が何でも目立つことから始まるを信奉する英邁なる先見者(略称「エセ者」)たちは、性急な心をたらし込むために鬼面人を驚かす珍妙奇矯の怪説を連発し、あれよあれよと正気から遠ざかって行く(石川啄木)

2023年02月22日 | 瓶詰の古本

 性急な心は、目的を失つた心である。此山の頂きから彼の山の頂きに行かんとして、当然経ねばならぬところの路を踏まずに、一足飛びに、足を地から離した心である。危い事此上もない。目的を失つた心は、その人の生活の意義を破産せしめるものである。人生の問題を考察するといふ人にして、若しも自分自身の生活の内容を成してゐるところの実際上の諸問題を軽蔑し、自己其物を軽蔑するものでなければならぬ。自己を軽蔑する人、地から足を離してゐる人が、人生について考へるといふそれ自体が既に矛盾であり、滑稽であり、且つ悲惨である。我々は何をさういふ人々から聞き得るであらうか。安価なる告白とか、空想上の懐疑とかいふ批評のある所以である。
 田中喜一氏は、さういふ現代人の性急な心を見て、極めて恐るべき笑ひ方をした。曰く、「あらゆる行為の根底であり、あらゆる思索の方針である智識を有せざる彼等文芸家が、少しでも事を論じようとすると、観察の錯誤と、推理の矛盾と重畳百出するのであるが、是が原因を繹ねると、つまり二つに帰する。其一つは彼等が一時の状態を永久の傾向であると見ることであり、もう一つは局部の側相を全体の本質と考へることである。」
 自己を軽蔑する心、足を地から離した心、時代の弱所を共有することを誇りとする心、さういふ性急な心を若しも「近代的」といふものであつたならば、否、所謂「近代人」はさういふ心を持つてゐるものならば、我々は寧ろ退いて、自分がそれ等の人々よりより多く「非近代的」である事を恃み、且つ誇るべきである。さうして、最も性急ならざる心を以て、出来るだけ早く自己の生活その物を改善し、統一し徹底すべきところの努力に従ふべきである。

(『性急な思想』 石川啄木)

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求める旅そのものがエルドラドであるというのか、それとも、求めて遂にたどり着かない者だけが詩人たり得るというのか、このさすらう影よ(ポー)

2023年02月19日 | 瓶詰の古本

美しくも装へる
雄々しき騎士
日向を影を
遠く旅しぬ
歌すさみつゝ
エルドラドウを捜し求めて

されど老いぬ――
かくも雄々しき騎士――
そが心の上にぞ
影落ちぬ
エルドラドウに似たる地の
見出し得ざれば

かくて自らの力も終に
彼を見棄てしとき
彼は逢ひぬ さすらふ影に――
「影よ」と呼びぬ
「いづくにありや――
エルドラドウと呼べる地の」

「あの月の
あの山を越え
あの影の谷を下り
騎して行け勇ましく」
影は答へぬ――
「エルドラドウを求めなば」

(『エルドラドウ』 エドガ・アラン・ポウ作 葉河憲吉譯)

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困っている他所様へちょっと手を貸すに何心なく軽やかなのは、床しいこと限りない(柴田宵曲)

2023年02月15日 | 瓶詰の古本

 忙しい時に人手を借りるのは普通の話で、昔の人は猫の手も借りたいなどとよく云ったものだが、さういふ一般的な意味でなしに、実際に手を借りる話が二つある。
「耳袋」に見えてゐるのは、小日向辺に住む水野家の祐筆を勤める者が、或日門前に出てゐると、通りかゝった一人の出家が、今日はよんどころない事で書の会に出なければならぬ、あなたの手をお貸し下さい、と云った。祐筆は更に合点が往かず、手を貸すといふのは如何様の事かと尋ねたが、別に何事もない、たゞ両三日貸すといふことを、御承知下されば宜しいのぢゃ、といふ。怪しみながら承知の旨を答へた後、主人の用事で筆を執るのに、一の字を引くことも出来なくなってゐた。両三日すると、前の出家がやって来て礼を述べ、何も御礼の品もないからと云って、懐中から紙に書いたものを取出し、もし近隣に火災があった節は、この品を床の間に掛けて置けば、必ず火災を免れます、と告げて去った。祐筆の手は元の通りになり、貰った紙は主人が表具して持って居たが、その後度々の火災に水野家はいつも無事であった。或時蔵へしまひ込んで、床の間へ掛ける暇が無かったら、住居は全部焼失し、怪しげな蔵だけが一つ残った。
「三養雑記」にある祥貞和尚の話は、室町時代の事だから大分古い。順序はほゞ同じで、或時天狗が来て和尚の手を暫く借りたいといふ。手を貸すのはお易い御用だが、引抜いて行かれたりしては困ると答へると、そんなことではない、貸すとさへ云へばそれでいゝのだ、といふ挨拶である。それなら貸さうと云った日から、和尚の手は縮んで伸びなくなった。あたりの人々は、和尚の事を手短かの祥貞と呼ぶに至ったが、卅日ばかりしたら、天狗がまた来て、拝借の手はお返し申すと云ひ、火防(ひぶせ)の銅印を一つくれた。和尚の手は忽ち旧に復し、火防の銅印を得たせゐか、和尚の書もまた火防の役に立つと評判された。
「耳袋」の出家の正体は何とも書いてないが、「三養雑記」の方は明かに天狗になってゐる。手を借りられた者が字が書けなくなり、礼にくれるものが火防の役に立つあたり、二つの話は同類項に属すと見てよからう。人間なら代筆を頼めば済むところを、実際に能書の人の手を借りて行くのは、人間より自在なるべき天狗の方が、この点却って融通が利かぬらしい。

(「妖異博物館」 柴田宵曲)

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手枕の梅(藤澤衛彦)

2023年02月12日 | 瓶詰の古本

 名にし負(お)う名木、信濃国下川路開善寺の早梅の花は、今を盛りと咲きほこつています。村上家の家人埴科(はにしな)文次は、その香を尋ねて、その色の清くその香の妙なるに恍(うつとり)としていました。と見なれない女性一人、白い小桂に見ぬ恋つくる紅梅の下がさねの匂いも、世の常ならぬ風情なのが、物恥かしそうに立つているではありませんか。花か人かと文次は恍として語らいかわし、さて、

 “袖の上に落ちて匂へる梅の花
      枕に消ゆる夢かとぞおもふ”

 と、うたいかけますと、女返し、

 “しきたえの手枕の野の梅ならば
      ねてのあさげの袖ににほはむ”

 “ほほ”と笑うも梅の匂い、月のない夜であつたので、若い心を香に籠めてのみ、わりなく、二人は契りかわしたところ、明け方には、何もまじらぬ梅の匂いばかりを身に残して、梅の精は樹にかえつてしまつておりました。それから、男は、夕暮時になると、そぞろに梅樹のあたり恋しく、思いわび、涙に袂をひじることのみ続きましたが、やがての合戦に討死して果てたということでした。(「信濃奇勝録」「御伽婢子」)

 ”夕ぐれに、森の下蔭など逍遥せんとするものは、まづ、それが樹木であることを心得て置かなければならない。そうでないと、彼は、百鬼わが道を擁するかに驚くに相違ない”とは、ジョージ・サンドが、マジョルカの橄欖樹を見た時の感想ですが、誰でも、巨樹や奇樹に対しては、その植物としての存在以外、生命あり、力あるものはすべて、そのうちに意識または霊を有するとは、多くの未開種族が共通に懐いた信仰であつたばかりでなく、人間よりも遥かに巨大にして遥かに長生する木は、人間よりも遠い過去と未来とを有つものと認められ、容易に文明人にさえも崇敬を受けるようになつております。特に、ある種の樹木を選んで、神木・霊樹と見做したような例は、昔から、何時の世に於ても甚だ多いことであります。更に、今日なお、樹木に幾多の神秘的な力があると信ずるものの尠くないのは、古来の迷信に由来するところが多いのでありましよう。
 しかし、一面また、思慕と憧憬とを内に蔵して、幾百年の艱難と戦つて来たところの樹木は、単なるその形の上にも、他の生物の到底及ばない高尚な気品が現われるもので、見るものの心にも、天来の呼吸のように、魅力に富んだ一種の香気のそこに漂うのを感じるでしよう。殊に、梅は“梅白しきのうや鶴をぬすまれし”と俳聖の詠んだ梅花の清姿のほかに、例えば美人睡起の状に似た枝振りの風情より、暗香浮動すると言われるほどの匂いこそ“こち吹かばにおいおこせよ梅の花 あるじなしとて春はわすれそ”と菅公の飛梅をも伝承するほどの魅力で、しばしば、それは、妖婚譚は伴わないが神秘的な説話を伝えています。

(『花精・樹木精靈妖婚譚』 藤澤衛彦)

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祭の喧騒に乗じて示し合わせ、儲けを山分けするのが才覚と自負する人々

2023年02月08日 | 瓶詰の古本

しめしあわせる‥‥アハセル【示し合わせる】(動下一)①前もってある物事をするように人々が互に相談する。「二人は示し合わせて家出した」②互に合図(あいず)をし合う。「刑事が目と目で示し合わせて犯人に飛びかかった」
(「例解国語辞典」)

しめしあわせる【示し合わせる】(動下一) はじめからそっとやくそくしておく。 ◎かれと示し合わせて、十時の汽車にのった。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

しめしあわせる〔示し合わせる〕前もってそうだんしあう。
(「プリンス国語辞典」) 

 

しめし0【示(し)】(名)しめすこと。さとし。「-がつかない」――あわ・せる06【示し合わせる】(-アハセル)(他下)①前もって相談し合う。②合図して知らせ合う。[文]しめしあはす0(下二)
(「明解国語辞典 改訂版」)

  

しめし30【示(し)】行動の基準を教え示すこと。「神のお――〔=さとし〕・――が付かない〔=しつけるためのいい例にならない〕」【――合(わ)せる6:6-アハセル】(他下一)①〔はかりごとなどがスムースに運ぶように〕各人の役割や進行の手順を事前に打ち合わせる。②合図して知らせ合う。示し合わす5:5(五)。
(「新明解国語辞典 第四版」)

 

しめしあわせる【示し合わせる】前もってそうだんしておく。[例]ふたりで示し合わせてやったことだ。
(「文英堂学習国語辞典」)

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鶯宿梅(おうしゅくばい)(三遊亭圓生)

2023年02月05日 | 瓶詰の古本

源「スルト其芸者がお酌に踊りを踊らせました」
主「成程」
源「所がその踊りの唄の文句で芸者が私を悪く云ひました」
主「ハアー、怪しからん奴だね。お客を悪くいふなんて、どんな事をいつたえ」
源「身儘気儘になられない、養子臭いぢやアないかいな、サツサ何でも宜わいなと私の事を養子と知つてると見えて斯う云つて悪口を云ひました。余まり癪に障つたから、何が養子臭いといつて私は突然御膳を引繰返してやりました。あゝ婿養子なればこそ斯んなに馬鹿にされるのだと思つたらつくづく嫌になりました」
主「アヽ一寸お待ち、夫やア悪口ぢやアない。お前の聞き違ひだ、養子臭いといつたんぢやアないよ」
源「ヘエヽ、何といつたんで」
主「夫はお前春雨といふ端唄で、春雨にしつぽりぬるゝ鶯鳥の、羽風に匂ふ梅が香の、花に戯むれしほらしや。小鳥でさへも一筋に、塒定むるきは一つ、わたしや黄鳥、ぬしは梅、やがて身まゝ気まゝになるならば、サヽ鶯宿梅ぢやないかいな、サツサ何でも宜いわいな、といふ唄なんだ」
源「成程、お上手でございますな」
主「褒めちやア可けない、養子臭いぢやアない鶯宿梅だよ」
源「ヘエー、鶯宿梅、養子臭い‥‥、成程然うでございますか」
主「勿論お前さんは今でこそ若旦那と云はれて芸者でも聘げて遊ぶやうになつたが、小僧の時分から、那アいふ堅い家で勤め上げた人だから、端唄だの都々逸なぞと然んな者は知らないのは無理はない。マア然う分つたら離縁も何もないだらう」
源「ヘエ、どうも恐入りました。シテ一体其の鶯宿梅といふのは何の事なんで」
主「私は実地は知らないが、人に聞いたには今でも京都の新京極の辺りに誠心院といふ古い寺がある。和泉式部といふ式部が尼になつた寺ださうだね。其の誠心院といふ寺の門前に軒端の梅といふのがある」
源「ヘエー」
主「之を元鶯宿梅といつたのだ」
源「夫は何ういふ訳で‥‥」
主「夫は、極大昔の事だね、確か天暦年中だと思つた」
源「ヘエヽ面白い年号があつたもんですね、流石、昔の京都だけに倹約年中なんてえのがあつたんですね。今ならば緊縮年中とも言ひませう」
主「倹約ぢやアない。天暦といふ年号だ。其の時分禁裏六門といふ所に清凉殿といふのがある、其の前に梅の木があつたが惜い事に夫が枯れた」
源「ヘエー」
主「時の帝悉く之をお歎き遊ばし、是れに似寄りの梅の木は無きやといふ仰せに諸方尋ねた上御付きの者より、山城西の京に寸分違はざる梅の木がござります。と申上げたので、直ぐに勅使が立つて、山城西の京へ其の梅の木を取りに御差立てになつた。スルト其の勅使をお受けに出たのが二八ばかりの娘だ」
源「ヘエー、二八の娘といふと幇間か何かの娘なんで」
主「然うぢやアない。二八といへば十六、二九が十八だから」
源「成程、三十が五六で、四十が五八」
主「マア然うだけれども、一々算盤に当るには及ばない。年は二八か二九からぬなどゝ一寸言葉の形容にいゝんだね」
源「ヘエー其の娘てえのは何者なんで‥‥」
主「之は紀貫之といふ名代の歌人の娘だ」
源「ヘエー」
主「此の娘が勅使受けをして、其の梅の木を御渡し申したので、之を山城の西の京から持ち帰つて禁裏六門清凉殿の前へお植ゑになつた所、帝悉くお欣び遊ばし、御覧に相成ると、其の梅の木に短冊が付いて居て、歌が書いてある」
源「ヘエー何と書いてありました」
主「勅なればいとも賢こし鶯の宿はと問はゞ如何答へんといふ歌だ」
源「ヘエー」
主「スルと帝が恐れ多くも、是を御覧遊ばされて、勅命を以て是れを取寄せしは宜しくない。返し遣はせといふ有難いお言葉が下つたので、忽ち梅の木は元の山城西の京へ御返しになつた」
源「ヘエー」
主「スルと其の晩鶯が来て梅の木へ宿つて啼いたといふね」
源「ヘエー不思議なものですね」
主「夫で鴬の宿の梅、之を鶯宿梅と称へたのだ」
源「成程」
主「其の鶯宿梅の由緒を端唄に作つたのが春雨だ」
源「ヘエー左様いふ訳でございますか。始めて伺ひました。ぢやア斯ういふ事を唄ふ者は皆な其の由緒を知つて居ませうか」
主「夫やア知つて唄ふものもあるだらうが、知らない者の方が多からうね」

(「名作落語集芝居音曲篇 『鶯宿梅 三遊亭圓生』」 名作落語集刊行會編)

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春告鳥(神戸伊三郎)

2023年02月01日 | 瓶詰の古本

(1)ウグイス(鶯) ウグイスは四季を通じて我が国内にすんでいる鳥であるが,春早く,他の鳥に先だつて活動をはじめ,その鳴き声が清く高くうるわしく,一陽来復を知らせるので,ハルツゲドリ(春告鳥)ともいわれる。
 文芸の方には,ウメにウグイス・タケにスズメ・ヤナギにツバメという組み合せがある。これ等の中にはあまり関係のないものもあるが,ウメとウグイスとの間には,どんな関係があるのであろうか。
 ウグイスはクモや昆虫を食べる。春早く出る昆虫は,香気にさそわれてウメの木に集まつて来る。それを食べるためにウグイスはウメの木にやつて来るのである。ウグイスはまたメジロなどと同じように,花の蜜を吸う鳥である。まだ春が早くて他の花の咲いていない時であるから,ウグイスはウメの花をおとずれて,その蜜を吸う。ウメとウグイスとの間には,このような関係がある。
 ウグイスは蜜を好み,寒中にミカンを輪切りにして,鳥籠の中に入れ,入口をあけたまゝにしておくと,ウグイスがミカンの汁を吸いに籠の中へ入つて来る。ウグイスはミカンを餌にして,たやすく捕えることのできる鳥である。
 冬の間,ウグイスはヤブからヤブへと渡り歩いて,木の皮などにひそんでいるクモや昆虫などを食う。このためにはほそい口ばしが都合がよい。体は灰色の多い緑色であるが,これはヤブの中のうす暗いところでは,保護色の役目をする。
 飼鳥として鳴き声のよいウグイスは,ヒナの時から訓練されたものである。ヒナを捕えるには,ウグイスの巣を見つけなければならない。ウグイスは5月の末頃卵をうみ,卵は13~14日でかえり,ヒナは3週間で巣立ちするものであるから,この間に巣を見つけなければならない。
 ウグイスの巣は,地上から1m以内の高さの雑木の茂みやササの間などに,タケの葉・ススキの葉・シユロの毛・鳥獣の毛などを集めて作られてある。ウグイスは一夫多妻の鳥であるから,どこかで一つの巣を見つけたら,そのまわりをさがすと,必らず四つ五つの巣が見つかるということである。
 ウグイスは我が国特産の鳥で,夏に山地で卵をうみ,秋から冬にかけて平地におりてくる。

(「鳥類学習図鑑」 神戸伊三郎)

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