人を踏み台に、人を埋草に、人を犠牲に、自己の功名栄達を遂げる。かうした人を智者と言ふなら、私は之を悪む。
別れ来て行きつまる水もどる水ここにまひまひただまはる水
運命か、行きがかりか、私は知らぬ。だがかうした水を見て居ると考へさせられる。
岩一つ越ゆるはずみにわかれたる水は異なる瀬に落ち行けり
順逆も、官賊も、忠も不忠も、貞も不貞も、或は岩一つを越える時の偶然の別れによるかも知れぬ、幸、不幸、成功、不成功などは確かにかゝる処から別れるものがある。
河原(かははら)の石は流石(なかれいし)まろくなり小さくなりし石は流石
私は丸くなくとも山の石を愛する。うまく流れて、丸く世を渡る事など考へたくない。
あの「サーカス」の猛獣を見よ。
活くる道の安きに堕ちし猛獣のなれの果なる芸をわが見つ
身につかぬことはせぬがよいのであらう。私は柄にないことをやりたくない。
芸ならぬ芸を敢てしこの獅子のいつより物を貰ふ覚えし
これを生きるための悲哀と言ふか。
木耳(きくらげ)も己(おのれ)はたもつぶよぶよにふにやふにやにありて己は保つ
外柔内剛か、柔よく剛を制すか、あゝ見えて木耳はちやんと己を保つて居る。だが私には此の保身術はない。
言ひ徹(とほ)し言ひきるからにいくそたび吾が身われから縛られにけむ
私はあの女々しい愚痴はいひたくない。またちくりちくりとつつくことは嫌ひだ。むしろこんなときは、づばりとやつてのけ度い。だから猫のやうな人間は好まぬ。蛇のやうな人間も好まぬ。
憤らば露(あら)はにもの言へ大丈夫の愚痴面(つら)当は聞くに苦しき
この調子だからいけぬ事は知つて居る。
身をかはす術は知れども何せむに生きて長かる吾にしあらねば
私は事件が収まると数々憲兵隊へ呼ばれて訊問を受けた。家宅捜索も受けた。
悵悵独り憐む
言ひつるは曲事ならぬあわたたしく手を口にあつる我となりしか
憤り胸に抑へつゝ顧みて他を言ふわれを憐まざらむや
眼を耳を口を塞ぎ居り三匹の猿を兼ねつと憐れまむかわれ
手を足を自ら封じ似るといへど達磨はかかる泣顔ならず
或る人は私の顔が羅漢様に似て居ると言ひ、達磨に似て居ると言つた。達磨はこんな時も泣くまい。
信じた道を信じて歩んで来た私だ。泣くことも歎くことも無い筈だ。行く処へ行くのみである。行く処へ。
(「二・二六」 齋藤瀏)