美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

言外の教訓(高橋五郎)

2010年07月31日 | 瓶詰の古本

 何と言つても老子は真に東洋一の大哲人である。孔子が其の会見後、三日黙して談ぜす、弟子をして夫子は何を以て老子を規諫(いまし)め給ひしやと怪しましめたのは、決して荘子の虚言のみとは思はれぬのである。老子は上士・中士・下士の道を聞く態度を説いて、斯う言つたのである、曰く、――『上士は道を聞いて勤めて之を行ひ、中士は道を聞いて存するが如く、亡するが如く、下士は道を聞いて大いに之を笑ふ。笑はざれば以て道と為るに足らず』と。古来これは其の余韻がラヂオの放送に於ける如く宇内に響いて永く己(や)まぬ大断言であつた。之を聞く者の明と不明は全く措いて論ぜぬのである、恰も太陽が其の受容者の肖不肖を以て其の円満炎々の光輝を加減せざるが如くである。
 古来聖賢が人を遇する、只真理を問題として、聴聞者の造詣に依つて必ずしも取捨折衷せぬのである。基督教の初代に於てテルタリアン(Tertullianus)は、先輩中の錚々たる者であつたが、自ら枉げて他に同ずることをせぬので、或大選挙の際、みんごと落選してしまつたが、毫しもそれを憂とせず、例の如く、豪魁の気風を以て空嘯いてゐた処、朋友や知人が多く聚つて来てその落選を、慰め傷はつて、一体、基督教において神の子が世の為に死んだなどと云ふは、不可解なことでは無いかと言つたから、テルタリアンは破顔微笑して、『不合理なるが故に余は信ずる(credo:guir impossibile:J believe because it is impossible)のであると応答した。兎に角、彼は該教の最大勇将であつて、異教徒との論戦に於ては、此の調子で勇敢猛烈、最も辛辣を極めてあつた。
 次に、聖(彼は法皇からセイントと云ふ徳号を与られてゐたから)アウガスチンは、敬虔なる賢夫人モニカ(Monica)を母として生れたが、少壮時代には最も放蕩無頼で、常に母を啼かせてゐたが、一旦谿然として悔悟し、非常に道徳堅固な教師と化した。後彼はブリテン(英国)へ派遣されて、該島に基督教を確立したが、アングロ・サクソン人種の帰依する所と成つて、遂に健全なる一種の社会主義を安定し、之を其の神都観(Civitas Dei)中に吐露したが、同時にまた懺悔録をも遺したのである。彼は勿論凡て羅甸(ラテン)語で書き綴つたが、其の中に『天帝は知らざる事に由つて最も善く崇敬せられる者である』Bene cognitus Deus est ignoraulo:God is best known by not knowing)と唱えた。これ猥りに軽々しく天帝の性質、実在等を論及せざるを其の人民に諭したのであるらしいからである。彼が懺悔録は寧ろ無用不急な者と思はれるのである。
 最後に、年代に於ては、是が一番首先(さき)だが、孔子は又率直にも『不知為知是知也』といつた。是は孔子が其の弟子子路の兎角突飛執拗で余り出過ぎるのを認めて、特に子路へ個人的に誨へられたものであるらしいのであるが、其の原理に於ては三千の弟子に悉く通ずる教訓である。兎角人々は牽強(こじつけ)に、我慢に余計な事までも知つた風に言ひ罵りたがる者であるが故に、是も亦好教訓である。知らざる事を知らずとする、是が知るといふものであると云ふ言外の良教訓である。
 これら三傑はみな不言実行(silent dipatch)を其の左右に居る徒や身辺に侍する門下生に教へたのである。浮世の弊は無用の長舌に在るからである。故意に名を求める如きは尤も宜しく無いことである。例へば、撃壌の詩に在る如く、
   有名豈在刻頑石  路上行人口勝
であることを味はへ。

(「茶話天狗」 高橋五郎)

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陰謀怪習(菜根譚)

2010年07月29日 | 瓶詰の古本

陰謀怪習異行奇能は。倶に是れ世を渉るの過胎。只一個の庸徳庸行。便ち以て混沌を完くして和平を召くべし。

[通解]  陰謀(内密なる計略)怪習(なみはづれたる習慣)異行(人とかはりた品行)奇能(奇体なる能力)の四つのものは、倶に是れ世を渉る的禍害の根本である、即ち禍害を生み出す所の根本なのである、之れに対するには、只一個の庸徳と(普通一般の徳行を云ふ)庸行と(尋常一様なる行誼を云ふ)ありて、便ち混沌を完全にして、柔和と平夷とを招致することができる、

(「菜根譚通解」 河村北溟)

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昼の観光バス(一巡三時間半)ガイドブック(雑誌・婦人生活)

2010年07月27日 | 瓶詰の古本

☆一人でも直ぐ乗れる(ガイドつき)
   昼の観光バス 一巡三時間半 クーポン 三〇〇円

☆観光コース  
   東京-二重橋(下車見学)-霞ヶ関官庁街-国会議事堂-明治神宮内苑-外苑絵画館(下車見学)-赤坂離宮-英国大使館-靖国神社-中央気象台-丸ノ内ビル街-G・H・Q-日比谷公園-N・H・K-新橋-中央市場-勝鬨橋-築地本願寺-銀座通-京橋-日本橋-両国-国技館-浅草公園(下車見学)-不忍池-東京大学-ニコライ堂-東京 

☆発車場所・時間  
   新橋駅正面口  午前九時    午後一時
   上野駅正面口  午前九時    午後一時
   新宿駅表口    午前九時    午後一辞
   東京駅降車口     午前九時半  午後一時半

☆団体貸切申込の場合指定の場所のバスを廻す

☆申込所  
   東京都千代田区丸の内一の一新日本観光株式会社本社(電話日本橋(24)六九八一番六九八ニ番)及各発車場又は日本交通公社各案内所、地下鉄の各駅

(「新東京ガイドブック」 婦人生活 昭和二十六年九月号 東京地方特別附録)

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守るべき秘密(易経)

2010年07月25日 | 瓶詰の古本

   易の繋辞上伝に、
『機事(機微の事)密ならざるときは、則ち害成る』
  といふ語がある。内々の肝要な事は、よく秘密を守らなければ、害が生ずるといふのである。斯ういふと、聖賢の道にも内々のことがあるだらうかと、疑ふ者があるかも知れぬけれども、たとひ聖賢の道であつても、固より内々の肝要な事はある。たゞそれは、人知れず悪事を企んで、人に知られることを恐れてゐるやうな、そんな小人の内密事(ないしよごと)とは違ふ。たとへば、一国の軍事若しくは外交のことなどに就いては、或程度以上は何うしても秘密にしなければならない。出来ることなら国民周知の前で、公々然に取り運ぶに越したことはないけれども、それでは折角成就する事も、中途で挫折して終ふことになり易い。だから議会で議員の質問に逢つても、軍事外交のことになると或程度以上は答弁しない。それならずつと小さく一身上のことに就いて、どんな秘密があるかといふに、譬へば官吏が自己の栄進を前知して、手柄顔にそれを吹聴したりなどすると、其方此方に支障が出来て、栄進が沙汰止みになつて終ふやうな場合が起らぬとも限らぬ。故に知つても知らぬやうにして、辞令発表となるまでは秘密を守らなければならない。また何かの事業を計画するやうな場合にも、すつかり準備の出来上るまでは秘密にして置かぬと、思はぬ所から邪魔が入つたり、俄にその事業を沮害するやうな勁敵があらはれたりして、折角の計画が頓挫して終はぬとも限らぬから、それ等は当然秘密にすべきものである。
  このやうに、自分にも相当の秘密はあるのだから、人にもやつぱり秘密がある。然るに自分の秘密だけは大切に守つて、他人の秘密を好んで発く物好がある。殊にその秘密が悪い事でもあると、忽ち「あなただからお話するが、彼(あ)の人にはこれこれのことが有つたんださうです。だが、これは真(ほん)の此処だけの話ですよ」と念を押す。聞いた者もやつぱり同様に念を押しながら相手の人に話す。斯うして秘密々々と言ひながら、段々に伝へられることになる。
      秘密秘密が口から口へ
                          何時か戻つて来る秘密。
  とは、よく此間の事情を穿つたものである。他人の秘密を発くは何れにしてもよい事ではないが、殊に其人の迷惑になるやうな秘密を喋々するはよくない。他の秘密を尊重することも、やつぱり処世上の徳義であることを思はなければならない。

(「四書・五経 経書物語」 小林花眠)

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ピタゴラスの秘密教(納武津)

2010年07月23日 | 瓶詰の古本

   欧羅巴で秘密教が最も早く現はれた所は、夙にエルシニア秘密教 (Eleusinian Mysteries) なるものの存在した希臘らしい。基督紀元前五百八十二年頃サモスに生まれたピタゴラスは、多年埃及で生活した為め、其所でイシス (Isis) の秘密教を学び、希臘に帰るや、更にエルシニア秘密教を修め、サモスに一秘密結社を起さうとした。けれども失敗に終つて、再び伊太利のクロタナに行き、此所で多勢の門弟を集め、そして到頭自分の宗派を打ち建てたと云ふことである。此の宗派の道士は二種に分れ、一つは五箇年の見習期を経て、初めて教師の神秘な教理に接すること許されるもの、他は最初から、ピタゴラスの総ての教義を闡明さるる真の道士より成立つて居る。此の課程は、埃及流儀に倣ひ符牒や像やで、幾何学 (是れはピタゴラスが、埃及滞在中に修めたもの) の修得から始まり、それが終ると、最後に霊魂の輪廻とか、宇宙に偏在する唯一神の性質とか云つた深奥な思索に這入るのである。

(「世界各種秘密結社の研究」 納武津)

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実感はどう振舞うのか

2010年07月21日 | 瓶詰の古本
   おばさん達が話す真っ当な論理に、何故政治は追随できないのだろうか。おばさん達の身近な生活実感からするといささか穏当に欠けると思えるアイデアに固執して多くの失望を与えているのに、多くの共感を得ているなどと自賛している時代があったとしたら、そのような時代は生来的に抜き難いセンスの悪さを不可欠の要素として成立しているということなのか。あるいは、もの事を現実化する過程で支柱となるべき情念が希薄な実体験でしかないことから、現実離れ、浮世離れの産物ばかりが当然に導き出されるということなのか。
   とは言え、ここニ、三十年、実現して幸福をもたらした選択はあったのだろうか。あるいは、選べる選択の道は、そもそもあったのだろうか。万が一あったとしても、それを選んで来なかったり、選ばせなかったりしたのは、何だったのか。おばさん達の初心の実感は正しかったかも知れないが、それを現実に反映させない状況を作り、惑わせたものがあるのは間違いない。
   まさしく情緒的で得体の知れないもの。同じ表情をして多勢の流れに右往左往し行列することで、自ら個性の正統性を見出したと安堵する感性。急ぐ必要のないデパートのエスカレータでどんな混乱渋滞に陥っても頑なに左一列にしか立ち並ぼうとしない、非合理ゆえに高揚する暗黙の一体感あるいは全体帰属への志向性。いざとなったらすっとぼけるという妙計を許さない裏返しの非寛容。
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文字の使い方(職業編)(久城果堂)

2010年07月20日 | 瓶詰の古本

第六章  人事  
  第四節  職業

○職業○生業○営業○産業○家業○商売○医師○歯科医○鍼医○産婆○弁護士○公証人○神官○僧侶○教師○商人○卸商○小売商○書肆○書林○時計商○美術品商○雑貨商○貿易商○呉服商○洋物商○洋服商○靴商○生糸商○器械商○古物商○骨董商○小間物商○化粧品商○荒物商○文房具商○筆墨商○薬種商○材木商○薪炭商○石炭商○米穀商○鰹節商○青物商○乾物商○八百屋○缶詰商○酒屋○洋酒屋○食料品店○醤油屋○果物店○漬物屋○肴屋○豆腐屋○蒟蒻屋○菓子屋○煙草屋○質屋○足袋屋○紙商○油商○漆器商○絵具商○砂糖商○鶏卵商○海苔商○麵麭商○袋物屋○毛織物商○唐物商○金物商○銅鉄商○貴金属商○煙管商○鞄商○陶器商○硝子商○眼鏡商○医療器械商○測量器械商○楽器商○電気器械商○金庫商○学校用品商○室内装飾品商○錦絵商○洋画商○絵草紙屋○額面商○玩具商○家具商○石油商○石炭商○煉瓦商○下駄商○草履商○鼻緒商○唐傘屋○洋傘商○際物商○雛人形商○団扇扇商○鼈甲屋○羅紗商○箪笥指物商○建具商○行李商○桐油商○蝋燭商○石鹸商○莫大小商○夜具蚊帳商○獣皮商◯製革商○銃砲火薬商○船具商○馬具商○針商○葬祭具商○仏具屋○古着商○紙屑屋○古物商○襤褸商○反物小切商○明樽商○海産物商○肥料商◯絵具染物商○襯衣商○手布商○物品販売業○製造業○請負業○貸附業○周旋業○代弁業○仲立業○仲買業○問屋業○運送業○席貸業○旅人宿業○下宿業○貸座敷業○待合業○引手茶屋業○芝居茶屋業○興行師○寄席業○見世物業○損料貸業○木賃宿業○料理店業○飲食店業○蕎麦屋○汁粉屋○天麩羅屋○鮨屋○牛肉店○煮売屋○藝妓屋業○印刷業○製本業○写真師○大工○左官○鳶方○仕事師○木挽○漆物師○家根職○縫箔職○裁縫職○印板師○彫刻師○飾職○経師職○指物師○建具物○鍛冶職○鋳物師○鐵葉職○瓦職○理髪職○桶職○畳職○植木職○靴職○筆職○職工○徒弟○弟子○俳優○力士○講談師○落語家○手品師○軽業師○浪花節語○義太夫語○新内語○傀儡師○猿公○撃剣師○侠客○伯楽○馬丁○馭者○料理人○三助○娼妓○藝妓○幇間○人夫○轎夫○土方○飛脚○車夫○車力○売卜者○巫○船頭○漁師○海人○猟師○樵夫○炭焼○農夫○行商

(「日用手紙辞典 正しき文字の使ひ方」 久城果堂)

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頭足未成者(佐藤垢石)

2010年07月18日 | 瓶詰の古本

 また、酒か?
 いや、酒はつけたりであるが、蜂の子のおいしいことは、
 本草綱目に「頭足未成者油炒食之」とある通り、日本人から支那人に至るまで誰も知らぬ者はあるまい。僕の郷里信州諏訪地方では昔から、秋の佳饌としてこれの右に出づるはないとしてゐる。だから、近年では地蜂の種をほとんど採り尽してしまつて、僕の子供のときのやうに、度々は御馳走になれないことになつたが、近年蜂の子の佳味が次第に人々の理解をうけて需要が増したから、地蜂の桃源郷と言はれた淺間山麓へ、蜂の子鑵詰会社が出来た。
 だが、鑵詰製造がはげしいので、淺間山麓の地蜂も悉く退治されてしまひ、さきごろ鑵詰会社は野州の那須野ヶ原へ引つ越してしまつたと言ふ話だ。
 本草綱目には頭足まだ成らざる者を油で炒つて食ふとあるが、ほんたうにおいしいのは、既に肢翅成つて巣蓋を破り、まさに天宙に向つて飛翔の動作に移らんとするまで育つたのが至味といふのである。それを生きてゐるまゝ食ふのが、本筋の蜂の子通だ。肢翅なればお尻の針も、十分に人を刺すだけの力が備つてゐる。だからそれを、生きてゐるまゝ口へ放り込んだ瞬間、針で舌縁を刺されるか、その前に逸早く奥歯で噛み殺すか、と言ふスリルも共に味ふので、稚鮎を梅酢に泳がせ、梅酢を含んだところを生きてゐるまゝ食ふなどこの比ではない。
 それは、甚だ物騒な御馳走だね。

(「泡盛物語」 佐藤垢石)

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子供の夏休み

2010年07月16日 | 瓶詰の古本

   子供の夏休みのように、計画ばかりをたてている。夏休み前に、宿題帳を仕上げるための理想的な計画を何度も何度も練り直す。休みに入るやいなや、計画は案の定すぐに遅滞を見せ、再び夜を徹して線表を引き倒し、より完璧な計画の策定に没頭する。
   あれも出来る、これも出来るの興奮と恍惚感で、なかなか寝付かれず、次の日は昼過ぎになってようやく目が覚め、既に新規の計画から出遅れている。計画をたてるのに大騒ぎをして、宿題をやったような気になっている。宿題は一頁も済んでいないのに。
   計画は破綻しても、いくらでも繕い出直せることに目が眩んで、宿題が一向に進んでいないことがちっとも大変だと思えなくなって来る。一生懸命汗は流れているので、まじめに勉強に取り組んでいるような気になってしまう。
   こんな子供の夏休みがずっと続いているのではないか。

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霧消する言葉

2010年07月14日 | 瓶詰の古本
   未来に希望を持ちたくとも持てず、職に就けない若者達が街に溢れているのに、政治家(になろうかという野心家)ばかりは元気のいい世の中。
   そんな世の中にも、明日は来ると考えていいのだろうか。元気な人々に囚われた言葉は、行き先のないまま、やがて空に向って霧消して行くようだ。
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おお久遠よ(ニーチェ)

2010年07月13日 | 瓶詰の古本

   曾て私に或る気息が、創造的気息から、そして諸星の輪舞を踊るべく猶も偶然に強要する・あの天上の必然から吹いてきたとき、
   曾て私が、業の長い雷鳴が微に轟きながらも柔順に従いて来た・創造的電光の笑で笑つたとき、
   曾て私が、地が震つて裂けて火の河を吹き上げたほど、神々と一緒に地の神々の卓上で骰子遊びをしたとき、―
   ― 何となれば地は神々の卓であつて創造的新語や神々の骰子で震動してゐるからだ―
   おお、どうして私は久遠と、結婚の「指輪の指輪」― 回帰の輪とを熱愛せずにゐられようぞ!
   私はまだ決して、私が愛する此の女以外に私が子達を生ませたい女を見つけなかつた。何故つて私はお前を愛するからだ、おお久遠よ!
   何故つて私はお前を愛するからだ、おお久遠よ!

(「ツァラトゥストラー」 ニーチェ 登張竹風訳)

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その物につきて(吉田兼好)

2010年07月11日 | 瓶詰の古本

  その物につきて、その物を費し損ふ物、数を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。

(「徒然草」 吉田兼好)

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国語漢・英総合新辞典(続)

2010年07月09日 | 瓶詰の古本
  この辞書は、主人が交通事故で亡くなり、やがて店を閉めることになった古本屋の半額セールで買ったものだ。たまたま立ち寄って、あと何日かで閉店するということからの半値処分を知り、なんでもいいから一冊、この店の思い出草にと買ったものだ。裏返して見ると、最後の頁に鉛筆で450-と斜め走りに売値が書かれているので、多分200円ほどの代価を支払ったのだろう。今は茫漠として、店の穴蔵めいた雰囲気のほかにやり取りの記憶は定かでない。
  しかし、亡くなった主人は見るからに篤実の人だった。無言のうちに、人に対するその人の善意が染みてくるように古本を包んで手渡してくれた。本棚の古本は、主人に似ていかにも篤実でありながら、しかも不敵な面構えを隠せない本ばかりだった。辞書の類は、いつも主人が座っていた狭い帳場の真横の棚に列んでいた。身近に置いていた古本だから、という勝手な思い込みでこの辞書を選んで買ったのだが、それは同時に、均一本しか買えない素寒貧の財布でも手が届く値段の、切羽詰ったあげくの記念品でもあった。
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国語漢・英総合新辞典

2010年07月07日 | 瓶詰の古本
  引くというよりは、時々頁を開いて拾い読みをする昭和三十年代の実用辞書である。実用辞典あるいは用語辞典としては、当用漢字世代であり既に時代遅れである。国語辞典として使うには、語彙数が足りない。漢和辞典として使うのは勿論論外だ。
  ただ、時々に眺めるには面白いところがある。ためしに「ゆるす」と引くと、許、恕、宥、允、免、赦の項目が立てられ、それぞれに使い分けられた語釈が記されている。「みる」と引いてみれば、見、覩、睍、看、視、観、覧、鑑、相、診、試の各見出し語が、同じ訓を別々の顔で叫びつつ犇めいている。ただし、実地に使うときには、「許す」や「見る」で十分まかない切れてしまうので、この辞書は字引と言うよりも寝がけの軽い読み物と化している。どこで中断しても惜しくはない。どこから読んでも差し障りがない。まことに重宝・奇特な言葉の本なのである。
  さらに、この辞書には戦後の再生を願う時代の風も吹いていて、復興国民が知っておくべき必須の百科語に対しては惜しみなく紙幅を与えている。語釈をつける語彙に配する説明が1行から多くて5行程度であるのに比べて、例えば「原子爆弾」の項に11行、「中間子理論」には20行、「熱原子核兵器」に16行、「ビタミン」には22行などなど、数多くの新知識を掬い集め、体裁の不均衡を厭わず丹念な解説を施す試みを見るにつけ、掌中に入らんとする携帯辞書であればこそなおのこと、編者の明確な啓蒙的意思と熱意に心打たれざるを得ない言葉の本なのである。
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種梨(聊齋志異)

2010年07月06日 | 瓶詰の古本

 村に一人の男が有つて梨を市に売りに往つたが、頗る甘いうへに芳(にほひ)もいいので貴い値で売れた。破れた頭巾をかむり、破れた綿入をきた一人の道士が有つて、その梨を積んでゐる車の前へ来て、
「一つおくれ、」
 と云つた。村の男は、
「だめだよ、」
 と云つて叱つたが道士は動かなかつた。村の男は怒つて、
「この乞食坊主、とつとと往かないとひどい目に逢はすぞ、」
 と云つて罵つた。すると道士は云つた。
「この車には何百も積んであるぢやないか、わしがくれと云ふのは、ただその中の一つだよ、一つ位くれたところで、あんたにさうたいした損はないぢやないか、なぜそんなに怒りなさる、」
 側に立つて見てゐた人たちも道士に同情して、村の男に、
「一つわるいのをあげたらどうだ、」
 と云つたが、村の男は頑として肯かなかつた。肆(みせ)の中にゐた奉公人がやかましくてたまらないので、たうたう銭を出して一つだけ買つて道士にあたへた。道士はそれをいただいた後に側の人たちに向つて云つた。
「出家は、ものをしみをする人の心がどうしても解りません、わしに佳い梨が有る、それを出して、皆さんに御馳走をしよう、」
 すると一人が云つた。
「持つてるなら、それを食へばいいぢやないか、」
 そこで道士が云つた。
「わしが食はないのは、佳い梨だから、この核(たね)をとつて種にしたいと思つてたからだよ、」
道士はそこで一つの梨をとつて啗(く)つてしまつて、その核を手に把(にぎ)り、肩にかけてゐた鋤をおろして、地べたをニ三寸の深さに堀り、それを蒔いて土をきせ、市(まち)の人たちに向つて、
「これに灌(か)ける湯がほしい、」
 と云つた。好事者(ものずき)が路ばたの店へ往つて、沸きたつた湯をもらつて来て與へた。道士はそれを受けとつて種を蒔いた所にかけた。皆がふしぎに思つて見つめてゐると、そこから曲つた芽が出て来て、しだいに大きくなり、やがて樹になり、枝葉が茂り、みるみる花が咲き、実になつたが、その実は大きく芳がよく、それが累累として枝もたわわになつたのであつた。
 道士はそこでその梨を摘みとりながら、側に観てゐる人たちに與へたので、実はみるみる無くなつてしまつた。すると道士は鋤を以て樹を伐りはじめ、しばらく丁丁とやつてゐたが、やがて断られたので葉のついたままの樹を肩にしてしづかに往つてしまつた。
 初め道士があやしい法術をおこなひかけた時、村の男も皆の中に交つて領(くび)をながくして見てゐたので、あきなひに往くことも忘れてゐた。そして、道士が往つてしまつたので、気がついてこれからあきなひに往かうと思つて、始めて梨を積んであつた車をふりかへつた。車の中の梨は空になつてゐた。そこで村の男は道士が皆にわけてやつたのは皆己の物であつたといふことを知つた。又仔細に見ると車の手綱が一つ亡くなつてゐた。それは新に断りとつたものであつた。村の男は大に恨み憤つて急に道士の跡を追つて往かうとした。牆(かきね)の隅をまがる時、断りとられた手綱が垣の下に棄ててあつた。村の男は始めて道士の伐り倒した梨の木が、即ちその手綱であつたといふことを知つた。そして道士の所在を尋ねたがわからなかつた。そこで市の人たちは白い歯をだして笑ひあつた。

(「聊齋志異」 蒲松齢 田中貢太郎訳)

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