美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

機械の策略によって機械に侵される仮想異国の見聞は、書物の語るがままにこの世界の実景へと変わって行く(サミュエル・バトラー)

2022年05月29日 | 瓶詰の古本

「彼等は人間の精神的利益よりも物質的利益を選ぶさもしい根性を利用して、人間を欺いて、それ無くば何ものも進歩し得ない闘争と戦争の要素を、機械に供給させるやうにしたのである。下等動物はお互に闘争するが故に進歩する。弱者が死に、強者が自分の力を育て遺伝する。機械は自分では闘争出来ないので、人間に自分等の闘争を代行させる。この仕事を適当にやつてゐる限り、人間はまづ安穏である――尠くともさう考へてゐる。併し好い機械を奨励し悪いものを破壊することによつて機械の進歩のために最善を尽くすことをやめたその瞬間から、彼は競争において後にとり残される。そしてそれは、色んな工合で不愉快にされること、悪くすると死ぬことを意味する。
「そこで現在に於いても、機械はただ奉仕を受けることを條件としてのみ奉仕する、而もまた彼等の方からつける條件である。條件が満されないとなると、彼等は暴れだして、自分自身と手の届く限りの汎ゆるものとを一しよに叩き潰してしまふか、意地悪くなつて全然働くことを拒否するかする。如何に多くの人間が現在機械から束縛された状態の下に生きてゐるか? 彼等に奴隷として結びつけられてゐる者の数と、全精神を機械の進歩に捧げてゐる者の数との増加を考へてみたならば、機械が我々を侵しつつあることは明らかではないか?

(「エレホン」 サミュエル・バトラ 山本政喜譯)

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謎解きの蠱惑に抵抗できる人間など誰一人いないという神秘な謎の存在から知性と感性の無限超越性を見出した天才が探偵小説を発明した(江戸川乱歩)

2022年05月26日 | 瓶詰の古本

 ポーがゴシック・ロマンスの余力まだ衰へざる時代に生れ、怪奇と恐怖の作品に於てはその影響を受けながら、突如として、前代未聞の探偵小説といふ文学形式を発明したことは、いくら驚嘆しても足りないほどである。若しポーが探偵小説を発明しなかつたら、コリンズやガボリオーは生れてゐたかも知れないが、恐らくドイルは生れなかつたであらう。随つてチェスタトンもなく、其後の優れた作家達も、探偵小説を書かなかつたか、或は書いたとしても、例へばディケンズなどの系統の全く形の違つたものになつてゐたであらう。随つて現在の形式の探偵小説は今世紀に入つても生れなかつたかも知れない。イヤ、一九四九年の今日でも、まだ生れてゐなかつたかも知れない。(しかし、若しポーが出なかつたら、それに代る別の天才が現れてゐたのではないだらうか。ポーの原型に心酔し、探偵小説とはかういふものだと思込んでゐる我々には、想像も及ばないのであるが、さういふ全く別の探偵小説が生れてゐたかも知れないと考へることは異様なスリルである。それは、将来、ポーの影響力が全く消え去つた時、現在では想像も出来ない全く別の探偵小説が、生れて来るのではないかといふ、可能性に想到するからであらう)
 ポーは純探偵小説をたつた三篇、広く考へても五篇しか書いてゐないにも拘らず、その五篇を以て探偵小説百年の大計を建てたのだと云へる。アメリカの評論家フィリプ・ヴァン・ドーレン・スターンは一九四一年「ヴァジニア季刊評論」に寄稿した「盲目小路(めくらこうぢ)の死体事件」といふ諷刺的な表題の論文に於て、「ポーの探偵小説の決定的な構成法は、殆んど変化することなく現代に継承されて来た。彼の哲学的な傍白(わきせりふ)は今日に於ても模倣され、彼の雰囲気の効果に至つては、現代の作家達が希望しながらも、追随し得ざる所である。探偵小説はかの印刷術と同様に、最初発明されたままの唯一の機構の範囲内で、進歩して来たにすぎない。しかもその芸術的価値に於ては、グーテンベルクの『聖書』とポーの『モルグ街の殺人』を凌駕するものを、嘗つて見ないのである」と極言してゐるが、如何にも面白い比喩だと思ふ。

(『探偵作家としてのE・A・ポー』 江戸川亂歩)

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そこから来た書物に低声で語らせることによって怪奇渾沌の別世界は、この世界の複層構造に潜む不可知の存在を仄めかしているとか(ラヴクラフト)

2022年05月22日 | 瓶詰の古本

 とくべつ強い風が吹き込んだ。紙片はパッと舞い上がつて、窓に向つて、飛び立つた。私は、死物狂いで、そのあとを追つた。が、すでに、毀れた窓から、夜の闇に吸いこまれたあとだつた。
 すると、思いがけなく、奇妙な考えが、私の胸に蘇つた。一度この窓から、街道を瞰下ろしたいという、以前からの熱望だつた。オーゼイユ街で、坂上の城壁を越えて、その彼方を見渡せる、これが唯一の窓だつた。
 暗い夜だつた。しかし、街の灯は燃えているはずだ。いつか外は、風に雨さえ加つていたが、いらかを連らねた家々の上に、燦然と輝く灯が散らばつているはずだ――
 だが、そのとき、窓辺によつて瞰下ろした世界は――蠟燭の火が揺らぎ、狂気染みたヴィオルが、烈しい夜風とともに吼えしきつている部屋から――このオーゼイユ街で、最も高所にあるといわれている切妻窓から眺めた世界は、とうてい人の棲むところではなかつた。見馴れた街々はなかつた。なつかしい灯はなかつた。真暗な空間が、無限の彼方にまで拡がつて、音と動きだけしかない世界だつた。地上のどことも、似ても似つかぬ、別世界だつた。
 恐怖に慄えながら立ちすくんでいる私の眼前で、風は二本の蠟燭を吹き消した。朽ちて、崩れかかつた屋根裏は、原始以来の闇に呑まれた。私の眼前には、悪鬼が跳梁する渾沌があり、背後には、夜陰に吼えるヴィオルの狂乱があつた。
 暗闇のなかで、明りを点もすことも出来ず、私は手探りで、テーブルに打つかつたり、椅子をひつくりかえしたり、やつとの思いで、どうにか、ヴィオルが鳴つているところまで辿りついた。エーリッヒ・ツァンと私自身を救うためには、出来るだけのことをせねばならぬ。と、何かひやつとするものが、私の頬を冷たく掠めた。思わず私は、悲鳴をあげた。が、ヴィオルの狂騒に、声は呑まれて、消えていた。
 急に、闇のなかで、ヴィオルの弓が烈しく動いているのにぶつかつた。やつと私は、奏者のそばに来たのだ。私の手は、エーリッヒ・ツァンの椅子の背に触れた。彼の肩を掴んで、正気に立ち返らそうと、しきりに強く揺すつてみた。
 彼は答えなかつた。ヴィオルだけが、依然はげしく鳴つていた。私は手で、老人の頭が、がくんがくんと揺れるのを抑えて、その耳もとに、この怪奇から、一刻も早く逃げ出そうと叫んだ。が、彼は、返事もしなければ、物狂おしい弾奏を、やめようともしなかつた。屋根裏は、渦巻く風が駈けめぐつて、無数の怪物が、闇のなかに踊り狂つていた。

(『エーリッヒ・ツァンの音楽』 H・P・ラブクラ ト 多村雄二譯)

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その辞書の評価(続)

2022年05月19日 | 瓶詰の古本

その内容、品質について、一言二言なり専門家の評価を聞いてみたい辞書(続)

・大辭林(忠誠堂編輯部編 忠誠堂 昭和6年)
・掌中國語新辭典(寶文館 昭和24年)
・新辞苑(全日本高校文学協会、初等中等国語研究会編 青紘社 昭和28年)
・ポケット百科事典(下中邦彦編 平凡社 昭和32年)
・旺文社国語辞典(旺文社編 旺文社 昭和33年)
・学研国語辞典(石森延男編 学習研究社 昭和42年)

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彼のような生き方を夢想することはあっても、実際には真似することのできない無二の人(島崎藤村)

2022年05月15日 | 瓶詰の古本

 たしか秋の末であつたかと思ふが、まだ齋藤綠雨が生きて居た頃のことで、綠雨と戸川秋骨君と私と三人して目白辺を歩き廻つたことが有つた。今から見れば十五年ばかりも前の話だから、まるきり郊外の様子も違つて居たが、散々彼辺を歩いて、終に私達は赤羽の停車場へ出た。丁度停車場側の休茶屋に腰掛けて汽車を待つ客があつた。綠雨はその人を見つけて、私達の側を離れ、暫時話をしに行つて軈て復た私達の方へ戻つて来た。その時の綠雨の話で、客は山田美妙であることを知つた。私が後にも前にも美妙といふ人を見たのはその時一度ぎりだ。王子辺に隠れて居るといふ噂のあつた頃で、綠雨を見送りながら一寸休茶屋から出て来た。人目を忍ぶらしいその様子をチラと望んだ許りでも既に淪落の人といふことが思はれた。過し春を忍ぶ老鶯のやうなその風情は、私の胸に忘れ難い印象を残した。
 あまりに自分を見せつけようとする人の側に居るのも苦しいが、又あまりに自分を見られまいとする人の前に立つのも苦しい。けれども綠雨は、左様いふ輝いた人の末路に対しても極めて冷然として居た。
 今日まで私が遭遇つて見た人の中で、綠雨ほど静かに、しかも確かに此の世を歩いて行つた人は少いやうに思ふ。いかなる悲痛と敗徳とに面しても、彼には浮足といふものが見られなかつた。彼は透谷や二葉亭や獨歩のやうに西洋の書籍も読まず、学問の範囲も狭かつたから、随つて、その書いた物はそれほどの広い影響も及ぼさずに終つたが、しかし彼が天性の洞察力は明治の文学者中に稀に見るほどのものであつたと思ふ。彼には鋭敏な直覚力があつた。異常な執著力があつた。確かに彼は誤解された文学者だ。彼は一図に偏狭な皮肉屋のやうに見られて了つたけれども、それは彼の熱し切つた冷静と神経質とが認められなかつた証拠である。反抗の心に充ち満ちて居た彼は、時とすると忿怒を以て世の誤解に報いた。これがますます彼の誤解された所以だ。
 新潮社から明治年代の文学者のことを問はれた時に私は透谷・獨歩・二葉亭の外に綠雨のことを書いた。
『一つの時代は輝いた人達によつて代表されるのは無論ですが、その側に輝かない人達のあることを忘れたくありません。シヨオペンハウエルの言ひ草ではないが、好い役者は反つて端役を勤める方にあるものです。例へば尾崎紅葉氏なぞは明治の文学者として随分輝いた方ですが、私は齋藤綠雨氏のやうなあまり輝かなかつた人方に反つて多くの尊敬すべき点を見出します。』
 綠雨はもつと認められても好かつた人だ。多くの先輩からは彼は煙たい人であつたに相違ない。彼には殆ど譲歩といふものが無かつたから、しかし彼に接した人達は、彼を好むと好まざるとに関らず、皆な心に畏敬の念を抱いて居た。平田禿木君の賢を以てしてすら、彼と対座する時には何となく身を羞づる心が起ると言はれた位だ。彼は気味悪く思はれつゝも、人を引きつける魅力に富んで居た。彼の交友は多いとは言へなかつたし、ある意味に於ては殆ど一人の友人をも持たなかつたほど孤独であつた。そのかはり彼に交はつて見た人の心には強い印象を留めて行つた。
 馬場孤蝶君が『新潮』に寄せた話の中に、綠雨の葬式を送つて行つた時のことが出て居る。その話によると、あれほど寂しい葬式を送つて行つたことも無いが、又たあれほど人の死を送るといふ感じを味はつたことも無いと言はれた。当時私は信州に居て綠雨の死を聞いた。馬場君の話は短いが、感じはよく出て居る。綠雨の葬式の光景はさもあつたらうと思はれる。紅葉は言ふまでもなく、獨歩が亡くなつた時のやうな社会のエンスウジヤジムといふものが無かつたことは、反つて綠雨の寂寞な生涯に適はしい。
 綠雨は世と戦ひ、当時の文学者と戦ひ、迫り来る貧しさと病苦とも戦ひ、しかも冷然として死んだ。彼の一生はデカダンの一生だ。

(「新片町だより」 島崎藤村)

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その辞書の評価

2022年05月13日 | 瓶詰の古本

その内容、品質について、一言二言なり専門家の評価を聞いてみたい辞書

・袖珍国語辞典(塚本哲三編 有朋堂書店 大正5年)
・国語漢・英総合新辞典(中山泰昌編 光文書院 昭和30年)
・マイクロ百科事典(講談社学習図書第二出版部編 講談社 昭和38年)
・講談社国語辞典ジュニア版(馬淵和夫等編 講談社 昭和39年)
・文字早わかり辞典(福音館編集部編 福音館書店 昭和43年)
・プリンス国語辞典(栗原圭介、新垣淑明編 金園社 昭和44年)

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歴史は舞台上に展開する悲劇や喜劇でないのに、猛々しい権威主義の筋書通りに所作すればこそ劇的歓喜が沸き上がるとされることもある(ソロヴィヨフ)

2022年05月08日 | 瓶詰の古本

 実現されない理想に対する一層深刻な態度を、吾吾は悲劇に於て発見する。悲劇に於ては描出される人物自身が、自己の現実と当(まさ)にあるべきものとの間の内面的矛盾の自覚に貫かれてゐる。また他方、喜劇は、第一に如何なる場合にも美しきものと名づけ難い現実の一側面を強調することによつて、第二にその現実によつて生きる人人を、全くそれに満足したるものとして示す(それによつてこれらの人人と理想との矛盾が深くされる)ことによつて、理想の感情を強め且つ深める。悲劇的要素と相違して、喜劇的要素の本質的徴候を形づくるものは、この自己満足であつて、決して、主題の外面的性質ではない。例へば、オイディポス王は父を殺して母を妻としたが、それにも拘らず、若し彼が、一さいは不意に起つたので、彼には何の罪もない、それ故彼の手に入つた王国を落着いて利用してよいのだ、と考へて、その恐しい出来事におとなしい自己満足を以て対したとするならば、彼は高い程度の喜劇的人物であり得たであらう。(註九)
(註九) 勿論ここでコミズムが可能であり得るのは、犯罪が個人的な計画的行動でなかつた故に外ならない。 意識的な犯罪者が自分自身及び自分の仕事に満足してゐたら、それは悲劇的ではなく、厭悪すべきことである。 そして決して喜劇的ではない。

(『藝術の一般的意義』 ヴェ・ソロヴィヨフ著 高村理智夫譯)

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謎を謎として見出し不思議の解読に我を忘れる心力は人への天来の賜物であり、しかも万有を統べる自然法則は謎の暗号と気取られぬまま何食わぬ顔で隠秘の力を行使し続ける(西澤誠二)

2022年05月04日 | 瓶詰の古本

ランヂー氏は種々の暗号を縦横に解読して其解読の容易なることを実証し、結局解読不可能なる暗号はない、若しありとすれば其の原文が無意味のものであると迄説明して居る(本書第二章 An undecipherable system 参照)
解読の原理から考へてそれは決して過言ではないと思ふと同時に、又仔細にこの原理を玩味すれば苟も暗号が基本形でない限り否仮令基本形であつても、解読の原理の適用を誤らしめ延て解読を極めて困難ならしむることは可能であると思ふ、若し機力を応用すれば数理的にも実際的にも解読不可能の暗号を作ることは事実出来ないことは無い訳である
私は此処で特に「出来ないことは無い」と云つて「出来る」とは断言しない、それは申す迄も無く暗号機械に依つて解読不可能ならしむると云ふ事は、現代に行はれて居る解読原理を基礎としての結論であつて、若し今後之等現代の解読原理以外に今迄の解読不可能と見られた暗号の解読法が発見せられたとすれば結論は自然に変るからである
然らば果して其の様になるや否やと言ふ問題が起るが、私は此処で将来其の様になるべきであつて又その可能性は充分にありと信ずるものである
之を暗号発達の歴史に徴するに十六世紀の頃仏国外交官ビジネル氏が所謂ビジネル式複式換字暗号を考案して当時の基本形暗号時代に一大革新を加へた時、何人がこれを解読し得ると考へたであろうか
それは基本形暗号の解読原理の適用を根本から破壊したのであつて事実それから三百年の間 Invincible cipher と称へられたものである
然るに普仏戦争に於て遂に独逸陸軍の Kasiski 少佐によつて解読せられ其の原理が明瞭になつたため現代に於ては容易に何人にも解読せられること本書記述の通りである、爾余の各種新案の暗号に就ても、その原理は概ね軌を同じくし従て解読も可能であることは皆同様である
此の厳然たる現事実は吾人に何を教へて居るか、要するに暗号法は軍艦の装甲、解読法は砲熕である、両者の競争が遂に十六吋の巨砲を生じた様に暗号機械の現出は将来十六吋の巨砲的解読法を生まねば止むまいと想像せられるのである
そして其の時機は一に暗号学者今後の努力如何に依て定まるのである
現代の暗号学者は解読に必要なる要素として次の四項を挙げて居る
   1. Perseverance
   2. Careful method of analysis
   3. Intuition
   4. Luck
不断の努力、それは万事に成功の要素ではあるが殊に暗号の研究に於て、特に今後の状勢に鑑み必要なる第一の要素であると確信する

(「趣味ノ暗號」 海軍大尉 西澤誠二編纂)

*原文は片仮名表記

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蟻を鏡として彼が痛切に伝えたかったこととは(メーテルリンク)

2022年05月01日 | 瓶詰の古本

 むろん、また、軀や武器に相違ある如く、戦争方法も異る。われわれの戦法として存在するものは、またすべて、彼らの世界にも存在する。 開放戦、一斉射撃、密集突撃、伏兵戦、襲撃、肉迫戦、鏖殺戦、手弱い無聯絡な戦争、われわれに見る如く組織だつた攻囲、大規模な防禦、激烈な突撃、絶望的な攻囲突破、取り乱した退却、戦略的退却、時には極めて稀ではあるが、聯合軍間の小競合、等々。わたくしはすべての形式を残らず調査する気はない。これに関するあまり詳細な記述は乾燥無味で、専門上の特殊論文に属することであるから、その中から、彼らの敵対行為に独特な一般法則の二三を引き出すに止める。
 先づ、すでに述べた如く、蟻の利己心を極めて古くから伝説が肯定してゐるのとは反対に、この種族の大半は徹底的に平和愛好者である。しかし、彼らは攻撃を受けたときには都市防禦のために、如何に勇敢なわれわれの軍隊にも見ることの出来ない勇気を発揮する。攻撃者の大きさとか、数とかはほとんど彼らの眼中にない。その上、彼らの威嚇的態度を前にしては、攻撃者はその計画を断念し、もしくは、あまりにも手剛いらしい第一印象に打たれるや、恥をも忘れて逃げ出すことがしばしばある。
 如何に強力であり、如何に武装が完備され、如何に威光があつても、平和愛好の蟻は、総じて他人の平安を尊重し、その力を濫用せず、衝突のあらゆる動機、あらゆる機会を避け、ひたすら自分らの蟻塚の問題にのみ専心する。例へば、ヨーロッパ蟻中最も恐ろしいネオミルマ・ルビダの如きは、一度刺せば立ちどころに敵を殺し得る恐ろしい針を備へながら、いまだかつて他国を襲つたことがない。

(「蟻の生活」 メーテルリンク作 園信一郎譯)

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