美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

「新文學辭典(天弦堂藏版)」序・白(加藤朝鳥・中村一六)

2024年07月31日 | 瓶詰の古本


 文藝思潮の方面には常に新しい提唱が起つて止まない。日に新にして、新又新を追ふてやまないのが新人無窮の慾求である。此の辭書には最近四五十年間ひろく世界の文藝思潮に波紋を點じた思潮の標目を網羅することを努めた。だがもとより簡單な一小辭典である。完璧は期し難いが一冊を座右にして新潮の自らにして漣寄し來たるを覺えしめむことを希つて居る。一斑辭書の客觀的になるに比較するときは、凡そ本辭書ほど主觀の氣に漲つて居るものはあるまい。一唱萬感相干繋して、一隅觸るれば全圓搖ぐ程の思潮の提題を、僅か數行のうちに収めやうとするのである。主觀的ならざらむとするも世にこれほど主觀的を强ゐきたるものは無いではないか。
 本辭書もと地方初學の人の為めにとの天弦堂主中村氏の婆心より出たもの、一面から見て幼稚な外來語辭典の如き態をそなへて居るのはその為めである。

   大正五年十二月十五日

                      朝 鳥 生 識

       新文學辭典發刊について
新文學が驚くべき勢を以て普及せられてゐるに係らず、文學辭典と名づくべき、やゝ完全なものは一つも上梓されてゐません。
これは獨り我文壇の損失、文學攻究者の不便のみに限らず實に我邦出版界、惹いて我邦家の恥辱と申さねばなりません。私が微力をも顧みず、敢て本書刊行の任に當つたのは、實に右の缺陷を補ひ、以て我國新文明の上に、聊か貢献する所あらしめたい意味に外なりません。
生田、森田、加藤三氏幸に不肖の意を諒として本書の發梓の上に多大の力をそゝいで下すつたのは私の衷心深謝する處であります。
語辭の選擇、編纂の方法、編者並びに出版者の苦心の存する所は讀者に於て充分諒察して下さる事と信じます。たゞ年末勿忙の際、殊には出版をいそいだため校正其他遺漏不備の點は出版者に於て凡てその責を負ひ、他日改版の機を以て訂正增補を試みたく思ひます。時、恰も天弦堂創業二周年に際し、一方またこの紀念の意味に於て本書を出版する事の出来た事は、私の深く悦びとする所であります。
 一九一六年十二月
                    天弦堂主
                      中 村 一 六 白

(「新文學辭典(天弦堂藏版)」 生田長江 森田草平 加藤朝鳥共編)

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