美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

人類学エピソード(西村眞次)

2010年02月02日 | 瓶詰の古本

     (一)人魚
   昔から我国には、人魚の肉を食ふと若返るといふ言伝へがあつた。私達のまだ幼かつた頃には、香具師がガラス箱へ人魚を入れたものを見世物にして人を集め、さて人が集ると、真黒焦げのいかさまな塊を、さも人魚の肉でヾもあるやうに見せかけ、これを一片食べれば若返る、顔の皺はなくなり肩のこりはとれ、白髪も黒くなるといひ触らして売るのがあつた。
   私は子供心に珍しく思つて硝子板に孔があくほど中を見入つて、此世に人魚などあらう筈がないが、それならば此人魚に人面と魚身との接ぎ目がなければならぬと、一生懸命に接ぎ目を探したものだ。けれど人魚の境が不明で、私はやつぱりこんな不思議なものがあるのか知らと、ぼんやり彳んで、しばらくそれに見入つたことがあつた。それ以来、私は人魚の絵が好きになり、書名は忘れたが、絵草紙などでそれの描かれてゐるものを見つけて娯んでゐた。
   大きくなつてからも、人魚の来歴を探つて見ようといふ心持が続いた。泰西の『リツル・マーメイド』といふ名画の三色版を初めて見た時などは、東西思想の一致してゐることに驚かされた。つい此間、ロージャー・フライの『支那美術中の動物』を繰つてゐる中、漢代の赤色陶器に人面魚身のものがあるのを発見して、人魚の観念の古くから存在してゐることを知つた。
   人魚といへば、アッシリヤの魚神ダガンなども其中に入るべきものであらう。ジャストロウの研究に従ふと、ダガンは北部から南部に輸入せられたもので、紀元前二、三〇〇年頃のイシンの王にイシン・ダガンといふ名があるから、此神がバビロニヤで尊敬せられてゐた事が分るが、紀元前十九世紀のアッシリヤ王にもダガンの名を負うてゐるものがあるから、それらの日にもダガン信仰の続いてゐたことは知られる。ダガンのテラ・コッタは人面人体の背面から頭上にかけて、大きい長い魚がおほひかぶさつてゐるもので、人魚とは少し趣を異にしてゐるが、同じ起源のものであらう。
   エウフラト河下流に伝はつてゐる神話によると、オアンネスといふ人間の理性を有つた怪物は、エリトレア海から生れ、全身は魚であるが、別に人間の頭と足とが、其頭と尾とから生えて居り、声は人のものとよく似てゐる。彼れはどんな食物も取らずに日を送るが、夜になると海に帰つて終夜浪の下にゐるといふ。
   人魚はつまり、魚形から人態に進化する過渡期の神形で、いはヾ半魚半人の段階にあるものである。多分、魚類を常食とする或人種の間で発生した信仰であらう。

(「随筆多角鏡」 西村眞次)

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