美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

松澤病院と古蘭(大川周明)

2013年03月31日 | 瓶詰の古本

   私は松澤病院で約二年有半を暮らしたが、初めの半年はともかくとして、後の二年は健全な精神に復帰して居ながら、真性の精神病者と病棟を共にしたのであるから、殆ど有り得べからざる稀有の経験と言はねばならぬ。併し私は此処でも安楽に且有益に暮らした。私は病室を書斎として、古蘭原典と十種に余る和漢独英仏の訳本を取寄せ、昭和二十年十二月から之を読み初めた。それは私の乱心中の白日夢で屢々マホメットと会見し、そのため古蘭に対する関心が強くよみがへつたからである。
   病気は私の理解力に何等の影響も及ぼさず、以前に難解であつた個所で、今度はその意味が明瞭になつたところが多かつた。そして翌二十二年二月下旬、精神鑑定のために米国病院に往く直前、一応之を読了した。病院の診断が上述の通りであつたので、私は必ず巣鴨に帰るものと思ひ、古蘭和訳に没頭することが、獄中消閑の最上策であると考へ、米国病院から松澤病院に帰つた翌三月十三日から、直ちに古蘭訳註に筆執り初めた。そして意外にも裁判から除外されたために、仕事は松澤病院で順調に進められ、昭和二十三年十二月十一日、即ち釈放の二週間以前に、遂に最後の訂正を終へて完全に訳了した。三十年来の宿願が、思はぬところで芽出度成就されたのである。
   かやうにして私は世間の嘲笑、悪罵、憐憫、乃至は同情を他所に、何の苦労もない月日を巣鴨と松澤で送り、病院で訳了した原稿は、菊判千頁に近い『古蘭譯註』といふ名前で刊行することが出来た。見ると聞くとは大違ひとは、私の刑務所並に病院生活のことであらう。

(『市ヶ谷の楽天囚人』 大川周明)

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三鬼、数行の句

2013年03月28日 | 瓶詰の古本

   西東三鬼、明治三十三年生。大正十四年シンガポールにて歯科医を開業。文学特に日本古典を耽読。昭和三年帰朝し大森にて開業。昭和八年共立病院歯科部長就任、俳句に手を染める。昭和三十七年ガンにより死去。六十二歳。

   寒鮒を殺すも食ふも独りかな
   黒蝶は何の天使ぞ誕生日
   今つぶすいちごや白き過去未来
  悪霊とありこがね虫すがらしめ
   狂女死ぬを待たれ南瓜の花盛り

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均一本購入控

2013年03月25日 | 瓶詰の古本

   「秩父宮と二・二六」(芹澤紀之 昭和48年)
   「最後の帝国軍人」(土門周平 昭和60年)
   「アメリカの逆襲」(小室直樹 平成元年)

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来るべき運命とは(米国務省)

2013年03月24日 | 瓶詰の古本

一九四一年三月二十九日ドイツ外相と松岡日本外相とのベルリン会談記録
   ………
   さらに外相は、またまたシンガポール問題を話題にもち出しこう語つた。『日本がフイリッピンから潜水艦攻撃を受け、あるいはイギリスの地中海艦隊または本国艦隊の掣肘を受けるかもしれないという脅威について、自分はレーダー海軍大将とその後さらに一度情勢を検討してみた。レーダー大将の語るところでは英艦隊は本国近海、地中海に今年は完全に釘づけにさせられていて、到底極東には一隻の軍艦も送り得ないであろう。また米潜水艦もレーダー大将の観察によればあまりに貧弱で、日本としてはそんなものを顧慮する必要は全然ないということである。』
   これに対し松岡はすぐ次のように応酬した。『日本海軍は英海軍には少しも危険を感じていないし、また米海軍と事を構えても、苦もなくこれを圧倒し得ると自分は信じている。しかし日本の不安というのは、アメリカがその艦隊を戦争に使用しないかも知れぬということだ。そうなるとアメリカとの戦争は五年間は続くかもしれない。これが日本に非常な不安を醸している。』
   外相は次のように答えた。『シンガポール占領成れば、アメリカは日本に向つて全く手が出せなくなるであろう。この理由からルーズヴェルトは対日行動を決定するまでには、おそらく再考を余儀なくされよう。こうしてルーズヴェルトが対日措置をためらつている間に、フイリッピンは日本の手に抑えられる可能性が出てくる。これに対しアメリカは準備不足のため報復手段に出ることができない状態にある。これは米大統領にとつては実に手痛い打撃となるであろう。』
   松岡は次のようにのべた。『自分はシンガポール問題については、極力イギリスの不安を緩和するように努力している。東亜におけるイギリスの中枢基地に対し、日本は何らの企図も抱いていない様子を示している。従つて自分の言動中には対英友好態度が見えるかもしれない。しかしドイツはこれについて誤解してはならない。他日突如としてシンガポール攻撃の火蓋を切るまでは、自分はイギリスに安心させるためばかりでなく、日本国内の親英米分子をごまかすためにも、このような態度をとつているのである。』
   これについて外相は、自分の考えでは、日本の対英宣戦布告は、シンガポール攻撃を以て幕が切つて落されるべきであると述べた。松岡は、『シンガポール急襲の一事により、全日本国民は一挙にして結束することはまず間違いない。自分はこの事実を基礎にして策を立てゝいる。』と述べた。(「まずうまくやつて見せることだ」と独外相はこゝで言葉をはさんだ。)松岡はさらに言葉を続けた。日露開戦の時ある有名な日本の政治家は、日本海軍に向つて「一発ぶつ放すことだ。そうすれば国民は一丸になるであろう。」といつた。日本国民を起ちあがらせるためには強い刺戟を与えねばならなかつたのだ。欲すると欲しないとにかかわらず、来るべき運命は信じなければならない。』

(「大戦の秘録」 米国務省編纂)

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神怪邪道と盂蘭盆会(樋口麗陽)

2013年03月22日 | 瓶詰の古本

   科学の発達進歩した二十世紀の現代でも、依然として迷信はある。日本のみならず、文明の先進国を以て威張つてゐる欧米諸国に於ても、迷信は下層社会のみならず、高等の階級間にも行はれてゐる。况んや文化の度今日に比して劣つてゐた奈良朝時代に神怪を信じ邪道を奉ずる者の頗る多かつたことは決して不思議とするに足らぬことである。これに就て久米博士は-仏教の盛んになることは前述の如く漸次経過し、鎌足不比等父子の信仰と宮中の帰依とに因り、奈良朝前後に至つては、抑遏られぬ勢ひなるもゝ民間では一般に仏法を信ずるといふわけにはなかなか至らない、それならば民間では神道を尊ぶかといへばさうでもない、神道も極く単純の信仰で、唯神怪を信ずる風俗が最も甚しかつた、是れは未開の時の風俗であつて世界中何方も同様なもの、それが神道とか、仏道とかを奉ずるやうになるまではなかなか年数のかゝるものである、今日文明の世でも迷信の風俗が絶えぬやうなもので、神道に塊まるとか仏道に傾くとかいふのは知識の開けた上でなければ出来ないものである、そこで人民を治むるに、一つの教法を立てゝ気長く之を誘導し、知らず、識らず我が規則に就き他の邪道に陥入らぬやうにする、奈良朝の時安藝、周防の国々では死人の魂魄を祭つて吉凶を説くなどゝいふことが大に流行したことがある、又五畿内に於ては多人数群集して怪談を説き、人の亡魂を祈り、淫詞に類するものが諸所にあつたと書いてある、又御符といふものを以て種々の呪詛をする、呪詛は我邦には神代からあつたもので大祓の祝詞にも畜仆蟲物為罪などゝいふことがあるが、この呪詛は奈良朝殊に盛んに流行し、宮中並に皇族大臣等之が為め罰せられた事が往々ある、それで当時の朝廷は是非とも仏教を盛大にして神怪を取り除けやうといふのが第一の手段であつた、後世からいふと、奈良朝は仏教を信じて仏教に溺れてゐたやうであるが、成程崇信が過ぎたこともあらうが、又一方から論ずれば、斯くまで崇信して仏教を奨励したので、実際それが為めに神怪邪道が追々なくなつたに違ひない、丁度今頃(旧七月)のことであるが、盂蘭盆会といふ祭なども奈良朝から始まつたことで、朝廷の官人が盆祭の御用を掌どることになつて居る、是れは全く仏教に依ることで、さういふことを世間に流行させて、是まで人の亡魂を祭るなどゝいふことを止めさせることにしたから、それが為めに生霊死霊の祟りがやめば呪詛の法も随つて廃止するわけである云々-と述べてゐる。

(「改版大日本裏面史」 樋口麗陽)

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戦争の拡大防止(米国務省)

2013年03月19日 | 瓶詰の古本

   一九四一年三月廿七日ベルリンにおけるドイツ外相と松岡日本外相会談覚書
   ………
   三国協定の目的は、まず何よりもアメリカを恐怖させて、それまでとつて来た道を棄てさせ戦争圏外に立たせることにある。この目的は大体成功しそうである。三国協定は、ヨーロッパで独伊両国が、東亜で日本が建設しようとしている新秩序について、協定参加国間の今後の協力を確実にすることをも目的としている。この新秩序建設の途上にぶつかる第一の敵はイギリスである。イギリスは枢軸諸国の敵であるとともに、また日本の敵である。アメリカが戦争に積極的に介入するのを極力妨げるとともに、その対英援助が効果を挙げ得ぬように妨害せねばならぬ。
   総統との会談で、日独両国の今後の共同行動の可能性について検討し、新秩序、換言すればこの新秩序の建設にとつて必要でないイギリスの覆滅に関連して、日本の戦争への積極的参加が、果して有利であるかどうかという問題が、幾度も考究された。総統は細かくこの問題を考察し、もし日本ができるだけ早く対英戦争に積極的に参加することを決定すれば、情勢は非常に有利になると信じている。たとえば、シンガポールの急襲が行われれば、イギリスの崩壊は確実に早まるであろうとドイツは信じている。またそこから、海軍その他の問題について日本と一層密接に協力できるようになると信じている。シンガポールの占領は、まさにイギリスにとつては由々しい打撃であるに違いない。特に下り坂にあるイギリスの士気に与える影響からしても、このことの意義は大きいものがある。
   またシンガポールが占領されゝば、アメリカは日本近海に艦隊を送るような危険は犯さないだろうから、アメリカを戦争圏外に置くことにもなろうと考える。もし現在日本が対英戦争で、シンガポール攻撃のような決定的な一撃に成功したなら、ルーズヴェルトの立場は非常に困難となるだろう。彼が日本に対して有効な行動に出ることは、困難であろう。しかし、それにもかゝわらずルーズヴェルトが日本に宣戦布告をすれば、フイリツピン問題の如きは日本に有利になることを覚悟しなければならない。このことは米大統領の尊厳を著しく傷つけることゝなり、従つて彼は日本に向つて何らかの行動に出るには、よくよく考えて見なければなるまい。
   これに対して、日本はシンガポールを制圧して、東亜の天地に全く一変した地歩を占めることになるであろう。すなわち東亜のこの方面では、絶対支配権を確保するようになるからである。故にもし日本が、このような行動に出るならば、東亜の難関は解決されたも同然であるとドイツは信じている。以上を要約すれば、日本がこのような方向をとつた場合、イギリスの船腹との戦いは、東亜で一層激しくなつてくるであろう。アメリカは日本の決然たる行動により、戦争に介入しないだろう。そして日本は、将来大東亜新秩序を建設するために、必要な地位を東亜に確立することができるであろう。なお以上に関連して、幾多の問題が生起するであろうが、自分はいつでもその検討に応ずる用意がある。
   結論としてこれを要するに、もし適当な機会をとらえて三国協定加盟国が、イギリスを決定的に打倒するため共同行動に出るならば、三国同盟の真の目的である戦争の拡大防止、すなわちアメリカの参戦防止は、立派に達成することができるであろう。かくしてこの協定の意義は最も正しく宣揚されるであろう。

(「大戦の秘録」 米国務省編纂)

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偽書物の話(三十一)

2013年03月17日 | 偽書物の話

   「先般、あなたから送っていただいた書物、あそこに刻された文字だか記号だか、はたまた徴痕だか分からぬもの一つひとつをどのように括ってみても、なにかしら意味を繋ぐ言辞として読み解くことはできませんでした。無論、外来の言語のどれにも当て嵌まらぬものであることは既にご承知でしょうが。」
   「やはり、けち臭い凡庸の思念が絞り出した出鱈目な塗りたくりか低級ないたずらのようなものなんですね。そう言えば、元々狂気じみた薄気味悪さなんぞは全くうかがえませんでしょう。手に取る、頁を開く、眺める、また手から放す。すると、なんだか中途半端な温い肌触りが残るばかりなんです。書物が書物らしく訴える、あの独特な押し殺した低声すらこれっぽっちも響いて来ないんです。こっちはこっちで、ついに幻魔怪奇の黒煙が漂い出るかと心の片隅で期待しているのかも知れないのに。」
   「あなたはある種の書物を読むときに、こまかな活字と活字の間の空白が窓や柱、あるいは梁となり、白い漆喰に黒い文様を埋め込んだ堅壁となって天外へと向かい伸びて行くのが見えて来ることはありませんか。縦横に布置されている活字と空白とが、城廓の骨格を形造って立体にせり上がって見えて来ることはありませんか。書物として生まれ出ようとしている魂が、黒く打ち出されてそこにある文字の一つ一つではなく、書物の胴体そのものを震わし揺り動かし、紙の頁の全てを巻き上げて立ち上がって来るのを見たことはないですか。」

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政治も外交も無言劇に極まる(杉村陽太郎)

2013年03月15日 | 瓶詰の古本

   近頃、頻に自主的外交を説く者がある。属国ならばいざ知らず、独立主権国の外交が、自主的なるべきは余りに当然である。自主的外交とは、追従外交、大勢順応外交、退嬰外交に対する反動である。併し、自主的外交とは、我儘外交の意味ではない。自国あるを知つて、同じく独立主権国たる他国あるを知らず、他国の利益と、存在とを全然無視するものなれば、それは外交ではない。神聖なる国際条約も、我に不便ならば遠慮なくこれを破棄して、顧みざるが如きは無軌道外交である。互譲妥協を排し、共存共栄の大義を没却するは孤立外交である。
   自主的外交なる声は、何となく弱国の強国に対する叫なるかに聞ゆる。恰も彼の専制の下に苦しむ人民が、自由及び解放を求むるに似たものがある。文明大国として、今更自主的外交を云々するは、決して名誉ではない。自主的外交とは、実質に於て、対アングロサクソン外交の指導方針を意味し、ワシントン会議及びドイツ会議に於て、英米より不当の圧迫を蒙りたるに対する不満の表示かとも察せらるる。支那問題、乃至は人種差別問題に関し、英米が我に対し、屢々不当なる態度に出でたることは、今更叙説を要せぬけれども、ドイツがアングロサクソンの共同戦線に突貫して敗れたのは、ついこの頃の事ではないか。日本も若し大に正義を行はんとせば、先づ実力を養い、且つ世界の支持を期するに先立ち、内心の自覚を強めねばならぬ。
   外交の定石は、政治的及び経済的に観て、圧力の少き方面に進出するに在り。ストレーゼマンが言つた。「ドイツ人は宜しく、他国人の行かぬ所に行き、他国人の為さぬ所を為し、而して、他国人よりも少しく多く働け、然らば、祖国の国運を恢復すること確実である。」と。
   彼の船頭が、或は流を察し、又は暗礁を除けて、船をやるが如く、国運の伸長には、無理を避けねばならぬ。殊に近代に於ける外交は、一方の当局者が成功を博する場合、往々他方の当局者の失敗と見らるる場合が多く、随て折角贏ちえた収獲を、相手方の没落の為に喪失することが屢々ある。故に外交政策の遂行には、能ふる限りセンセーションを起さぬことが肝要であつて、これは型破りの外交を喜ぶ非常時国民の心理とは相容れない所であるけれども、政治も外交も、劇ではない。否、劇と雖も、その最高は無言劇に極まるを知らねばならぬ。

(「國際外交録」 杉村陽太郎)

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均一本購入控

2013年03月11日 | 瓶詰の古本

   「少年少女新世界文学全集34 水滸伝・三国志」(立間祥介 駒田信二訳 昭和38年)
   「昭和時代」(中島健蔵 昭和55年)
   「入江相政日記 第一巻」(朝日新聞社編 平成6年)

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残照でしか見えないもの

2013年03月10日 | 瓶詰の古本

   「われ」という二文字、「あい」という二文字、ともに濁点をつけることはできないはずなのに、際限なく「われ」に濁点をつけ続けながら降り積もって来た歳月。
   降り積もる歳月のなかで埋もれて行く「あい」にむかい、もはやどんな濁点もつけ得ようがない訳柄を微かに照射する落陽の残光。

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十五年史論(馬場恒悟)

2013年03月07日 | 瓶詰の古本

   五・一五事件の後、内閣組織者を推薦したものは矢張元老西園寺であつた。彼れも最早第二次護憲運動当時の元老攻撃を記臆してゐなかつたか、或は記臆してゐても、政党恐るヽに足らずと思つたか何れにしてもかれは最早政党内閣に執着せず、又、暗殺に依つて政治の性格をも変化せしめないと云ふ過去の伝統に執着しなかつた。この伝統といふのは、前に原敬が政友会内閣の首相として、東京駅で刺された後に、西園寺が後任政友会総裁の高橋是清を推薦したことである。これが一つの先例になつてゐた。然るに西園寺公は五・一五事件の意義を重大視して、政党内閣を推薦することを断念し、齋藤實を首班とする官僚内閣を推薦した。齋藤内閣が帝國人絹事件の余波を受けて辞職したとき、西園寺は再び海軍大将岡田啓介を首班にする官僚内閣を推薦した。それから二・二六事件が起つた。その事件関係者はそれぞれ所罰されたのであるが、この事件に依つて軍部の政治的威力は増大した。即ち二・二六事件直後に於て廣田弘毅が内閣を組織せんとしたとき陸軍はその閣員の顔振れに迄干渉した。廣田は先づ寺内壽一大将に陸軍大臣ならんことを求め、寺内はそれを承諾した。だが他の閣員の人選を終り、それが新聞に現はれたとき、寺内陸相候補はその閣員の詮衡に抗議を提出した。廣田が若しこの抗議を容れない場合には寺内自身が陸相たることを取消して、内閣が不成立になることは明白であつた。陸軍の反対は自由主義者的色彩のある下村宏を内閣に入れること、民政党員たる川崎卓吉に内務大臣の如き重要な椅子を与へること等に対してであつた。廣田は悉く陸軍の意見を容れ、一度決定した閣員の顔振れを変更して漸く内閣を組織することが出来た。廣田内閣は約一年間在職してゐたがその間に、軍部大臣を現役制にすると云ふ制度を復活した。これは内閣組織が出来るや否やの鍵を、軍部に渡したと同様な結果を生じてゐる。廣田内閣は又ドイツとの防共協定を結んだのである。それがそれ以後の日本の国際関係に重要なる影響を及ぼしたことは云ふ迄もない。そして最後に廣田内閣は陸軍と議会の衝突の間にはさまれて潰れた。即ち昭和十二年一月議会開会の劈頭に於て、濱田國松(政友會)が五・一五事件、二・二六事件を引用して陸軍の中に独裁政治をする思想があると云つたのに対し、寺内陸相はかヽる言論は陸軍を侮辱するものだと云つた。濱田は答へて、速記録を調べた上、若し自分に陸軍を侮辱する言葉があつたならば、自分は切腹する。もしなかつたら、君が切腹すべしと叫んだ。この衝突の結果として、寺内陸相は閣議に於て議会を解散すべしと主張した。廣田首相が決断を躊躇してゐた際、永野海軍大臣は政府と政党の間を調停し、政党からは政府に協力するといふ言質を取つて、一時は調停成功するかに見へた。然るに閣議が開かれると、寺内は依然議会解散を主張して譲らず、永野海相や政党出身大臣は解散に賛成せず、玆に内閣不統一の情勢が生じて、廣田内閣は潰れたのである。

(『政界十五年』 馬場恒吾)

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均一本購入控

2013年03月05日 | 瓶詰の古本

   「終戦工作の記録【上】」(栗原健 波多野澄雄編 昭和61年)
   「悲劇の将軍」(今日出海 昭和63年)
   「重光・東郷とその時代」(岡崎久彦 平成15年)

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人造の美人(堀誠之)

2013年03月03日 | 瓶詰の古本

宇宙間の万物の成立を疑ひ遂に自家の成立すら疑ひ古代の哲学者が百年の苦辛を以て研究したる理屈を総て排斥し去り別に一機軸を出せる近世哲学の鼻祖デカルト氏は常に一種の説を有せり そは如何と云ふに凡そ獣類の如き下等動物は目能く見、耳能く聞き口能く食ひ凡て人類と同一なる機関を具備すると雖も素と精神を欠く所の動物なり 故に若し精巧なる技術を以て之れを作るときは決して作り得難きにあらず 特り下等動物のみ然るにあらす人類と雖も夫の小児の如き若くは瘋癲白痴の如き知識もなく精神も確かならざる者は人為を以て製作し得難きにあらず又之れを以て下等動物位の動作を為さしむることも出来難きにあらずと氏は熱心に之れを唱へたるのみならず曾て和蘭陀にありし時非常の財貨を抛ち非常の苦辛を費して時の名工を集め一個嬋娟たる少女を作らしめたるに誠に上出来にて進退動作共に常人に異ならざりければデカルト氏は我子の如く愛しフランシインと名を命じ常に座右に置て玩弄せり 来訪の客人抔は人造なりとは露知らず全く子が息女なりと思ひ丁寧に挨拶するものもありしと云ふ 斯てデカルト氏は和蘭陀を去り舟路本国独逸に帰ることヽなりしかば氏は少女の途中に破損せんことを恐れ之れを箱に入れて船長に托し此の品物は破損し易きものなれば大切に取扱ひ呉れよと特別の依頼をなしたり 然るに船長は何となく之れを見たくなり四辺に人の居らざる時を見済まし私かに箱の蓋を取去り中を覗はんとせしに忽ち嬋娟たる美女の躍出せしにぞ船長はアハヤと驚き熟々思ふ様人間社会にはヨモヤ斯る尤物はあるまじ 何にしろ是れは妖魔の類に相違なしと軽忽にも合点して持主に相談も遂げず例の少女を捕へて之れを海中に投ぜり 斯くと聞きてデカルト氏は大に驚き恰も愛児を失ふたる如くに歎き悲めりとなん

(「今古雅談」 堀誠之)

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