美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

弟テオの妻ヨオから兄ヴィンセントへの手紙(富永次郎)

2021年05月23日 | 瓶詰の古本

 ある日のこと、ヨオがテオの部屋の片づけものをしていたとき、ふと、テオの机のひき出しをあけると、そこには、どのひき出しにも、古い手紙がいっぱいつまっていました。とり出してみると、どれもみな、ヴィンセントからテオにおくったもので、おなじ色の黄色い封筒にはいっていました。
 ヨオは、手紙の数があまりたくさんあるのに興味をもって、かぞえてみると、六百通あまりもあるのです。
 手紙はきれいな文字でかかれ、ところどころにおもしろい絵がかいてあります。その絵を見ていると、ヴィンセントのこれまでの生活が、まざまざと、ヨオの心にうつるのでした。
 ヴィンセントの絵画に対する情熱、それからテオに対する愛情――どの手紙にもあふれるばかりです。
「ねえ、テオ、わたしはいまこそ、あなたと心がひとつになったと思うわ」
 夕方、店からかえったテオに向かって、ヨオはこういいました。
「それは、どうして……」
「あなたが兄さまにささげる愛情や尊敬と、ちっともちがわない気持ちに、わたしもなれたことなの」
「だけど、きゅうに、きょうになって、どうしてそれをいい出したのだろう」
 テオは、ふしぎに思ってききました。
「お手紙をよんだのよ。すばらしいお手紙。わたしはあなたが兄さまを尊敬なさる意味を知ったからよ。全世界の人が、兄さまを尊敬してもいいはずよ。あれは、尊い、たましいの記録ですもの」
「そうか、ヨオ、それじゃ、きみは、ほんとにぼくの妻になれたわけだよ」
 テオは、しっかりと、妻の手をにぎりました。
 そのあくる日、ヨオはヴィンセントにあてて、こんな手紙をかきました。

 大好きな兄さま!
 あたらしい妹が、兄さまとおはなしする日が、とうとうきました。
 わたしたちがまだ結婚しなかったころ、わたしはあんまりくわしいことは兄さまに申しあげないことにしていました。でも、もうおたがいに兄と妹とになったいまでは、兄さまになるべく知っていただき、いくぶんでも好きになっていただきたいのです。
 わたしのほうは、ずっとまえから兄さまが大好きでした。テオやウィルからくわしくきいて、知っていたのですもの。
 この家には兄さまをしのぶいろいろのものがあります。わたしがなにか、きれいな花びんでも見つけると、「これは兄さんが買ったんだよ」とか、「兄さんはこれをきれいだっていっていたよ」などと、テオはいうのです。わたしたちが、兄さまの話をしない日は、一日だってありません。
 わたしたちの家を、テオがどんなにきちんと片づけたか、また、どんなにテオが、わたしのくるまえから、うつくしく、気持ちよくしておいてくれたか、兄さまにお見せしたいものです。ことに寝室などは大へんうつくしく、あかるく、ぜんぶ桃色の壁紙がはってあります。
 朝、わたしが眼をさますと、やさしくおはようをする花の咲いた桃の木が、ベッドから見えます。おばさまから買っていただいた客間のピアノの上には、わたしの大好きな兄さまの大きな絵がかかっています。アルルの近くの絵です。
 しかし、テオはまだそのかざりつけに満足していないようすです。テオは、日曜の朝は、そこですごします。テオが家にいる日は、ほんとにたのしみです。
 わたしは子供のころ、日曜が大好きだったことをおぼえています。わたしの家は、家人がみんなうちとけて、とても愉快でしたから。
 わたしたちが結婚して、これで三週間目です。それが、ながいあいだにも、また、とてもみじかいあいだにも思われます。まるでふたりがいつもいっしょにいるような気がします。いちばん、具合のわるいのは、わたしがまだ奥さまに見えないことです。
 きのうはパン屋にお金をはらいにいきますと、主人がわたしをつかまえて、「お嬢さん」などといいます。ほんとにおかしいのです。
 さあ、そろそろ、おひるのしたくです。まもなくテオがかえってきますもの。きょうはこれでおしまい。わたしのおかげで、おつかれにならないように。
 くれぐれもご自愛ください。
 しあわせがどっさり兄さまにあつまりますように。

                        小さな妹の ヨオ

(「ゴッホ」 富永次郎)    

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木村「新史学」が説く(超絶難解な)日本のオリンピック・ゲーム(木村鷹太郎)

2021年05月19日 | 瓶詰の古本

   オリンピツクと比叡山

 前にも説明して置いたが、オリンピツクなる語はオリンプスO-lympus即ち『澄みたる水』を意味するが、比叡なる語は又た同意義の別語ヒエイHyeiで、水、濡ひ、又たゼウスの神の性質たる雨を意味するので、其の土地は印度ベンガル州東部の恒河口の東のチツペラー山(Tipperah,Dipper)で、水にひたす、水くむ、柄杓等を意味し、又たヂツパーたる北斗をも意味するその山の名称であるが、――是れは大ヒエなる大称で、小ヒエは其地方の東北のシルカルShilchar(Scill-cahar)なる所で、これが所謂比叡なる文字の当る所である。何故ならば此地は太古には矢張りヂッペルと同じく、ヅッペ(Dubbe,Dipper)と云ふたから、これが小ヒエである。――現日本の山城の比叡山などの移写的名称地の念は研究的頭脳から、目下逐ひ出して置かねばならぬ。
 『オリンポス』と『比叡』とは対訳された。が、日本史には『比叡山開闢』なることがあつて、それがオリンピツク・ゲームなる語に当つて、『ゲーム(遊び)』と『開闢』なる語の研究が次に来る。元来ゲームとは「来る」「存在を始め来る」を意味し、又た「遊戯あそびAs-opi」なる語も開眼始めを意味し(岩戸前の開闢は遊戯より)、所謂ゲームなるものと『開闢』なるものとは同語である。
 西洋歴史では、オリンピツク・ゲームとは単に体操的遊戯競技のことのやうであるが、日本ではソンナ体操運動ばかりの低級下等のことではなく、堂々たる思想、宗教上のことである。

(「世界思想の源泉  (一名)“希臘哲學は日本主義及び日本佛教史の西傳”」 木村鷹太郎) 

 

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逆効果の情緒反応という心的構造を知らない、あるいは理解できない

2021年05月15日 | 瓶詰の古本

 麗々しい経歴・肩書を引っさげ機略縦横の饒舌を弄する論客らは案に相違して、逆効果の情緒反応という我々衆愚通有の心的構造を知らない、あるいは理解できないレベルにあるようで、だから公けの場で自信たっぷりな弁口に自ら酔いながら、我々に向け逆効果の火炎を無邪気に焚き付けて来る。
 詭弁臭ただよう独り善がりで押し付けがましい正論(もどき)の逆撫でぶりもさることながら、世の矛盾・病弊を瑩然と照らし出すと謳われるその火炎が、実は己れの帰属する党派、党類、学閥、組織、団体、結社など集団の優位存在性(時として主義主張)をひたぶるに宣伝弘報する烽火であるとは、夙に我々衆愚の間において呆れが宙返りするほど食傷しているところである。

ぎゃくこおか――こうか‥‥カウクワ【逆効果】(体)→ぎゃっこおか【逆効果】
ぎゃっこおか――こうかギヤクカウクワ【逆効果】(体)ある効果の上がることを予想してやったことが予想と反対の効果をもたらしてしまうこと。その反対の悪い効果。「成績の悪い子を叱ると――をもたらす〔来たす〕」
(「例解国語辞典」)

 

ぎゃくこうか【逆効果】(名) こちらで考えていたのとは反対(はん-たい)のききめがあること。 ◎いうことをきかないと、子どもをしかってばかりいるのは逆効果だ。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

ぎゃくこうか〔逆効果〕思っていたのとはんたいのききめ。ぎゃっこうか。
(「プリンス国語辞典」)

 

ぎゃく こおか3【逆効果・逆<效果】-コウ-(名)予想と反対の効果。
(「明解国語辞典 改訂版」)

 

ぎゃく こう3-カウクワ【逆効果】何かを抑える目的でしたことが、かえって、それを助長してしまう結果になること。また、その反対。ぎゃっこうか。「これ以上のドル下落は両国の経済成長と対外不均衡の是正に――になりかねない/――を招く」
(「新明解国語辞典」)

 

ぎゃくこうか【逆効果】〈名〉望んでいたこととは反対の悪いききめ。[補足説明]「ぎゃっこうか」ともいう。
(学習百科大事典[アカデミア]国語辞典」)

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(でっち上げと洗脳からなる)プロパガンダはナチスのお家芸だが、今だに意のままになる群衆心理生成の最有効手段であるとして手広い稼ぎに使い回す時代錯誤な人々がいる(清澤洌)

2021年05月10日 | 瓶詰の古本

 H・G・ウエルズは雑誌ニユー・ステーツマンに一文を発表して、英国政府から『多少とも欧州や米国でプロパガンダをなすことの依嘱を受けたが、これを拒絶した』旨を書いてゐる。かれはいふ――
『我等はかつて我等自身を宣伝に貸せたことがあるが、馬鹿にされ、そして結局は外務省の伝統的トリツクのためにやつつけられてしまつてゐる‥‥‥‥欧羅巴の今日の病的状態の原因は、殆ど総てを、英国の政治家と官僚が、大戦直後の重大時期において、イマジネーシヨンの欠乏、自己保護的な狡猾及び信念の意識的違反に求めることが出来る。一度は気休め、二度は耻かしい。予は今後再び英国外務省の忍び馬にはならないであらう。‥‥‥‥もし私自身を宣伝に貸すなれば、私は私の立つ標準によつて馬鹿にされるであらう。またもし宣伝に身を投ずるならば、私は無視されるに至るであらう』
 ウエルズの立場は極端なやうだが、その心事は世界の智識人によつて諒解されると思ふ。智識人が傾聴されるのは真理を語るからである。その時の一国一機関の行為を、是非を問はず、弁護することはかれの信用を落すことである。宣伝は宣伝と受取られる時に、一銭の価値もなくなるであらう。広告と知つて金と時間を割くものはない。

(「第二次歐洲大戰の研究」 清澤洌)

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(でっち上げと洗脳からなる)プロパガンダはナチスの十八番だが、今だに最有効手法であるとして手広い稼ぎに使い回す時代錯誤な人々がいる(澤田謙)

2021年05月09日 | 瓶詰の古本

 全体主義国家においては、統制は政治と経済と社会とに止らない。文化と思想もまた、強力なる統制下におかれねばならぬ。それがナチスの思想である。物質的ばかりでなく、精神的にも、国家総力体制をつくり出さうといふのである。
 一九三三年十月、ゲツベルスの下に、独逸文化院が設けられ、そのなかに、文学、新聞、放送、演劇、音楽、美術、映画の七部が設けられた。
『すべての分野におけるすべての創造力を、意志の統一化を目ざして、独逸国指導下に集中するのだ』
 ゲツベルスはさう宣言した。
 このゲツベルスの文化統制は、あらゆる文化生活を、ナチスの理想に統一する点において、予想以上の成功を収めた。ゲツベルスが、ナチス施政のはじめにおいて、すべての非独逸的思想を、焚書(ふんしよ)の刑に処したことは、すでに記した通りである。かうした運動はその後も着々と進行した。その結果、文学の方面においては、しばらく沈滞(ちんたい)の気が支配したのは、事実である。しかしそれは言はば過渡期(くわとき)である。
 一度び過渡期を過ぎれば、より偉大なる創作力が、勃然(ぼつぜん)として起るにちがひないと、ゲツベルスは断言してゐる。問題は、いはゆる『新時代精神(ノイエ・ツアイト・ガイスト)』が、何時いかなる形において起るかであらう。
 最も辛辣なる統制に服したのは、新聞であつた。ナチス政府の下に発布された新らしい新聞法によつて、新聞部長マクス・アマンは、広汎(くわうはん)な権限を与へられた。
 すべて新聞記者は、アリアン人種にして、アリアン人を妻とするものに限られる。すべての記者は、弁護士や医師と同じに、記者名簿に登録しなければならぬ。宣伝大臣は何時でもその許可を取消すことができる。さうして一度び除名されゝば、一生記者生活に入ることができないのである。
 ゲツベルスは、この新聞法を以てなほ足れりとせず、一九三五年四月、これを改正して、新聞発行人に対し、株主の氏名、各株主の持株数の届出を要求し、すべての株主が、十八〇〇年以来アリアン人種を祖先とすることの証拠(しようこ)の提出を命じた。
 この反ナチス新聞の除去策によつて、官憲により廃刊を命ぜられた新聞雑誌数は、一千に及んだ。その他、自ら廃刊したるもの三百五十を数へた。
 かうして独逸(ドイツ)の新聞雑誌は、完全に宣伝大臣の麾下(きか)に服した。一万五千の記者は、一種の官立宣伝機関と化した。

(「ヒットラー傳」 澤田謙)

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