宋の王安石宰相たりしとき土功を興すことを好みしかば佞諛(へつら)ふて開拓疏通の事を奏上するもの多かる中(うち)に太湖(たいこ)を埋(うづ)めて開墾しなば莫大の利益あるべしと勧めたるものありけり 安石実(げ)にもと思ひ土着の老輩を集(つど)へて此事を話し出で如何にせば満湖の水を去り得べきやと諮問ありければみなみな其の威権を憚り黙してありけるが一老人進み出で僕に一策こそあれ聞給はんやと云ひければ安石大いに喜び如何なる策なりやと問ふに老人云(いは)く別に策あるにあらず太湖の側に太湖と同じ位なる湖を鑿(ほり)なば容易に水を去るを得べしと 安石初めて悟る所あり此の起業を思ひ止まれりと 土功を好むものの戒とすべし
(「今古雅談」 堀誠之)