新々狂人日記解釈法を書くためには、呉尾五里氏の登場が是非とも必要不可欠であった。とりすがる正気を振り払い、かと言って全霊を狂気に委ね切るのでなく、危うい綱の上で暮らしを持続して行くにもってこいの作家がなくてはならなかった。
そんな人物など実のところある訳がなく、むしろ、自分で創り出すしかない。暗闇の果てまで魂を連れ去る人物を外に求めても、おそらくは無益な不始末におわるだろう。ならばこそ、自己の心内に、妄想、幻視であってもよい斯様な現身を植えつけるしかあるまい。
日々を持続する行為は、ひょっとすると弱みを徐々に肥大化させて行くだけの過程になりかねないのだが、そもそも末路にとっては弱み、強みなんぞというものは大差ない色合いの綾に過ぎなかったりするのである。であるならば、今更貧弱な心意の堆積を切り崩すよりは、よりうず高くうず高く盛り上げる方が呉尾五里氏にとって大いなる助けとなり、いずれは予期せぬ力となるかも知れないのだ。
「皆さん、僕はただひと言だけ皆さんに言いたいことがあるんです、今この場で」
少年たちはアリョーシャを取り巻いてたたずんでいたが、さっそく待ち構えるような表情を眼に浮かべながら、じっとアリョーシャを見つめた。
「皆さん、僕たちは間もなくお別れになるのです、僕が二人の兄といっしょにいるのも、もうあとしばらくです、一人の兄は追放されようとしていますし、いま一人のほうは瀕死の床にたっています、だが僕は間もなくこの町を去ります。たぶん長いあいだ帰って来ないだろうと思います。で、僕たちはお別れしなきゃならないのです。だからここでイリューシャの石の前で、第一にけっしてイリューシャを忘れないこと、また第二に、けっしてお互いに忘れないことを約束しようじゃありませんか。また今後、一生のあいだに、どんなことが起ころうとも二十年間も会う機会がなかろうとも、僕たちは常にあの哀れな少年を葬ったことを記憶にとどめようではありませんか。皆さんも覚えているでしょう。あの少年は一度橋のそばで石を投げつけられたけれど、あとで皆から愛されるようになったのです。彼はあっぱれな少年でした。親切で勇敢な少年でした。彼は父親の名誉を感じ、父親のはなはだしい汚辱を憤り、父親のために奮然として起ったのです。皆さん、第一に僕たちはそのことで彼を一生涯忘れないようにしようじゃありませんか。だから、たとえどんな重要な仕事に従事していようとも、またどんな名誉を博していようとも、どんな大きな不幸に沈湎していようとも、とにかくいかなるときにも、かつてこの町で僕たちがお互いに共同して、お互いの善良な感情で結びつけられながら、あの憐れな少年を愛することによって、僕たちが実際以上に立派な人間になったことを、けっして忘れないようにしましょう。可愛らしい小鳩たちよ-どうか皆さんをこう呼ばせてください、なぜなら、今こうして皆さんの善良な、愛らしい顔を見ていると、それがあの黒みがかった空色の鳥を思い出させるからです、- 可愛い皆さん、皆さんは僕の言うことがわからないかもしれません、なんとなれば僕のことばは往々にして不明瞭なところがあるからです。それでも諸君はいつかは僕のことばを思い出して、それに同感してくれるときがあるでしょう。善良な思い出の数々、ことに幼年時代の家庭における思い出ほど、高尚で力強くて、将来の生活を裨益するものは他に一つもありません。皆さんは教育上のことをいろいろと人から教えこまれましょうが、しかし幼年時代からつちかわれた善良な神聖な思い出こそは、おそらく最上の教育です。もし一生のうちにそうした記憶を数多くたくわえた人があったら、その人は死ぬまで安全です。またもしただ一つでも善良な記憶を胸の中に持っておれば、それだけでもいつか僕たちは救われるのです。もしかすると僕たちだって、後において罪悪を犯すようになるかもしれません。悪しき行ないをせずにいられなくなるかもしれません。他人の涙を見て嘲笑するかもしれません。先刻コォリャ君が『僕は全人類のために苦しみたい』と言いましたが、僕たちはそうしたことを言う人を意地悪く嘲笑するようになるかもしれません。むろんそんなことがあってはなりませんが、もし僕たちがそんな悪人になったとしても、僕たちがかつてイリューシャを葬ったことや、臨終の前に彼を愛したことや、今この石の前でお互いが相集まって友だちとして語り合ったことを回想したときに、- かりに僕たちが最も冷酷な、最も軽薄な人間になっているとしても、少なくともこの瞬間に善良で親切であったということを心の内で嘲笑するような勇気はないでしょう! それどころか、この一つの追憶が僕たちを大なる罪悪から救い出してくれるでしょう、そして僕たちは過去を顧みて、『そうだ、おれもあの当時は善良で勇敢で潔白であった!』ということでしょう、もっとも肚の中でくすりと笑うのはかまいません。人は往々にして善なるもの親切なるものを見て笑いたがるものです。しかしそれは軽薄な心のしわざにすぎません。けれど皆さん、僕は誓って言いますが、たとえ笑ってもすぐに心の中で、『いや笑うのはよくない、なぜといって、これは笑うべきことでないから』と、こう言うに違いありません」
(「カラマゾフの兄弟」 ドストエーフスキイ 中山省三郎訳)
「闇を縫ふ男 他三篇」(オルチイ 淺井玄府 昭和5年)
「ソーンダイク博士」(フリーマン 水野泰舜 昭和5年)
「回想の日本外交」(西春彦 昭和40年)
チェーホフは厳しい作家だ。死の影を、死のにおいを、自分の体内と体外に呼応させながら生きた複雑な作家だ。この人が、死を不断に身近に置いとかざるを得なかったのは、どんないきさつからかは知らない。おそらく、作家の体質的な感覚、幼児から慣れ親しんできた怖れから来ているのではなかろうか。死に対する生得的で直接的な怖気、死によって宣告された生の有限性とそれ故のいとおしむべき生、そして、かげろうと変わるところのない、はかない無常のなかでなお生ある限り生き続けようとする人々の滑稽さと健気さ。
人より濃密な感受性を与えられて、チェーホフは生の営みではなしに死の営みを、一瞬間たじろぐ微苦笑の筆に託して冷静に物語る。触れるだけで砕けるシャボン玉が虹ででき上がっているように、チェーホフの語る人物の一人一人は、虹色に変化し、そして、ちょっとしたはずみにパチンと砕けて太虚へ吸い込まれていく。
チェーホフは周囲の人々と登場人物を愛し、厭い、ドストエフスキーやトルストイから影響を受け、人並みはずれた作品をたくさん残して逝った。
「そして、ぐるりの人を困らすんでしよう」と、アリョーシャはほほえみを漏らした。
「ええ、ぐるりの者を困らすんです、ことに母をね。ええ、カラマゾフさん、僕、今とても滑稽に見えるでしょう?」
「いや、そんなことは考えるものじゃありません、全然そんなことは考えるものじゃありません!」と、アリョーシャは叫んだ、「それに滑稽とはどんなことです!人間が滑稽だったり、またはそんな風に見えたりするのは、ざらにあることです。それだのに今日では、才能のある人が、みんな、滑稽になることをひどくこわがってそのために不幸になっているんですよ。ただ僕が驚くのは、あなたがそんなに早くそういう感じをいだき始めておられることです。もっとも、僕はもう、ずっと前から気がついていたんです。それはけっしてあなたばかりじゃありませんよ。今日ではほとんど子供までがそれに苦しむようになってきたのです。これはほとんど狂気のさたです。この自尊心に悪魔が乗り移って、時代全体にのしかかっているんです。確かに悪魔ですよ」とアリョーシャは、じっと自分を見つめていたコォリャの予想に反して笑いもせずに、こうつけ足した、「あなたも他の人たちと同じです」とアリョーシャはことばを結んだ、「つまり、大多数の人たちと同じなんです。ただ肝心なことは、みんなのような人間にならないことです」
「だって、みんながそうなんじゃありませんか?」
「いや、たとえみんながそうであってもですよ、君ひとりだけはそんな人間にならないでください。それに実際、君はみんなと違っていますよ。現に今も君は、自分の欠点や滑稽な点さえ認めることも恥じなかったじゃありませんか。今日、そんなことを自覚してる人があるでしょうか?誰もありゃしませんよ。それに、自己批判の要求さえ持たなくなってしまったんです。どうか、みんなのような人間にならないでください、たとえそういう人間でない者があなた一人きりになっても、どうか、あなただけはそういう人間にならないでください」
(「カラマゾフの兄弟」 ドストエーフスキイ 中山省三郎訳)
「烈日サイパン島」(白井文吾編 昭和54年)
「完本・太平洋戦争 (四)」(文藝春秋編 平成7年)
「三訂 必携日本史用語」(日本史用語研究会 平成17年)
ひどく道が細くなった。後ろから爆音を轟かせて車が突進して来る。道わきの電柱のかげにとび込んだぼくの左わきを突っ走って行った。ひょっと脚を出して車を引っ掛けてやろうと思ったのだが、相手は自動車でもあるのに気がついて冷や汗が出た。ぼくの手に握っていたもみじがもみくちゃに丸まってしまった。斑のあったところがぽこっととれて、白い巻き貝が人さし指にくっついていた。いくら振っても巻き貝はとれなかった。あいつは妙にそれを気にしていたが、ぼくは平気だった。
両側がヤブになったせまいせまい道を行くにつれて、犬が多くなってきた。うじゃうじゃ路上に徘徊し、寝転びしている。とても歩きづらい。わきから脛に噛み付く奴もいる。そこで、犬どもの上を飛び越して行くことになった。ところが、いざ犬の上を飛び越して、さながら空中を泳いでみると、犬がみんな地面にはりついた影絵になり変わってしまった。下り坂を、ばあっとモモンガの如く飛びおりて行くと、連れのあいつがぼくをとどめた。
「おい、ここじゃないか。」
ああ、そうだった。犬の多い里のここが、あの宿屋だった。百姓屋とてんで変わりのない家の造りで、死んだぼくのおじいさんのうちにそっくりだった。内庭に入って行くと、ばあさんが勝手の窓から顔をつき出した。
「ああ、あんたかい。さ、こっちへ入んな。」
ぼくは、はじめてこのばあさんと会ったんだから、あんた呼ばわりされる覚えはないけど、気にしないで家のなかへ入った。家の奥から嫁らしいおばさんが出てきて、たらいに水を張ったのを土間に運んできた。ばあさんもおばさんも、ぼくの人差し指の先の白い巻き貝に目をとめていたが、ぼくは黙って足を洗って上へあがった。
「今日はね、子供らの闇夜の川の一本渡りの日だから、忙しいんであんまり面倒みられないけど、気悪くしないでない。」
と、おばさんがなんとなくばあさんに気兼ねするような声でつぶやいた。そう言えば、さっきの細い下り坂をくだりつめたところに木橋がかかっていたのを憶い出した。
ぼくとあいつは温泉に通じる飛び石のある、裏口に来ていた。この裏口から外へ出て、飛び石をとんで湯のあるところへ行くのだという。おばさんが、それでもなんやかや面倒をみてくれる。お茶をなみなみ注いだ緑色の茶碗を一杯づつ、ぼくと連れに手渡した。これを持って温泉に入るのが慣わしだそうだ。本当は、あと、のりをつけたおにぎりが一個宛出るらしいのだが、今夜は例の闇夜の川の一本渡りの日で、その準備に大童でおにぎりは出ないと、すまなさそうにおばさんがことわっていた。お勝手から呼ばれたらしく、おばさんは
「乳母車はそこのすのこ板の上にあるからない。」
と言い置いて、そちらへあたふたととんで行く。乳母車というのは、これもここの温泉の慣わしで、脱いだものはこうした乳母車に全部まとめて入れておかなければいけない。
ぼくは裏口のがたぴしする硝子戸を引き開けた。と、外から一台の乳母車が帰って来た。押してくる人物をそれとなく見ると、二人連れでしかもどこかで見覚えのある顔貌だ。ぼくより二十センチ位上背の高い人達だ。あ、そうだ。あれは確か、ぼくが学校時代に楽団にいたとき指揮者をしていたSさんにちがいない。でも、もうひとりもやっぱりSさんだ。二人ともSさんで、でも、同じ人だけど二人はちがう人なんだ。ぼくが頭を下げてあいさつすると、先に入って来たSさんはいぶかし気にぼくをながめすかしているばかりだった。後から入って来たSさんはすぐにぼくのことを憶い出して、もうひとりのSさんに教えてやった。二人とも、ああそうだったなあとうなづいた。
外へ出ると、ずっと遠くの方に霹靂を孕んだような雲が重なって見える。その下にある、やがて通り過ぎる小さな沼が雲の鏡に反射してまばゆく映っていた。
今から急げば電車に間に合う。見ろよ、あそこに電車の来るのが見える、さあ。
駆け出したぼくは、くねくねと曲がる道をものすごい速さでとんで行く。たやすくとまることができない勢いだ。はっと気がつくと、目の前に線路が横切っている。わっ。あわててぼくは、右へと急カーブをかろうじてやってのけた。途端に、ぼくの傍を電車、いや汽車が前から後ろへすり抜けて轟音を発して去って行った。慄然とした末、ぼくが線路の反対側を眺めると、あそこへ通じるらしいわき道をあいつが登って行く。勾配のきつい坂道になっているのだろう、前かがみになって胸をついている。ぼくも急いであいつのところへ走り寄って、一緒になって道を歩いた。
ところがどうしたことか、いくらも進まぬうちに道はいつしか、川を下に見下ろして架かる鉄橋になってしまった。あいつは、下へとびおりて川を行こうと言い出す。ぼくはよく川を調べるのだが、何となく汚い。そのとき、周りにたくさんの警官の姿を認める。さあ、これでは鉄橋の線路の上を渡って行くわけにはいかない。どえらく叱られること請け合いなのだ。それにしても、ざわざわ蠢いている警官たちは何をしているのだろう。何か探しものでもしている素振りだとだけは、ぼくにも判った。あの汚い川に腰までつかって手探りしている警官もいる。
鉄橋も川も行けないとなったぼくは、鉄橋の右側の崖をよじ登ることに決めて、のぼり始めた。ところが、この崖がまた並の崖ではない。垂直に切り立っているのではない。石塊、土塊で乱雑に積み重なっているやつで、すき間のできたところを、手をかけてよじ登りすり抜けながら上へのぼるのだ。
汗みずくになって、ようやく崖の上までのぼりつめると、崖の上にまで警官が草むら分けて探しものをしている。女の人が一人、そばに佇んで心配そうに眉根寄せて様子をうかがっている。ちょっと離れたところには、幼い子供三人が円陣をつくって地べたに腰をおろし何事か話をしている。ぼくは、
「何をしているんですか。」
と身近の警官に尋ねると、警官は、
「……を探しているんです。」
と答えた。
「……って、何ですか。」
と重ねて尋ねると、
「巻き貝に似たものらしいです。」
と答えた。あの女の人はうなづいていた。ぼくも、あたりをその気もないのに探してみた。目の下の方では、川に入って探している警官が、思ったよりも大きく見えていた。
ぼくはふと、地面にもみじ葉が一葉落ちているのを見つけた。手にとって見ると、斑ができていて、それは巻き貝を展いたような形をした斑だった。押し葉にしてやれと、ぼくは知らん顔を指先につまんでひらひらさせていると、さっきの子供らが目ざとくぼくの手の先のもみじを見はしたが、黙ったまま見つめていた。ぼくは、さらに先の道を行くことにした。あそこへ行かねばならなかった。あいつも、いつかぼくの傍を肩並べて歩いていた。
肉体あっての精神なのに、肉体を軽視し、ないがしろにする精神。体のあちらこちらがぼろきれになっているのに、ほったらかしのまま目をそらし続ける精神。単なる馬鹿か、狂人か。自分の肉体の面倒を見るのにおっくう過ぎる(面倒を放棄する)精神は、当の肉体によって最も不体裁な末路へ追い立てられて、突然に滅ぼされる。覚悟の間もなく蓋をされ、とどめを刺されるのだ。
「人物現代史1 ヒトラー」(大森実 平成5年)
「危機の外相 東郷茂徳」(阿部牧郎 平成7年)
「帝国陸軍の最後 3死闘篇」(伊藤正徳 平成10年)
それは一つの苦痛に充ちた労作であつた。希望を懐くためには都合の悪い性質を与へられてゐたフリードリッヒ・ニーチェは、彼が自らに賦課した任務に対して一再ならず反逆した。クロラールの与へて呉れた心地よい睡眠からの覚め際に、朝毎、彼はひどく悲痛な気持で生活を再発見するのであつた。憂鬱と悔恨とに打ちのめされて彼は記録を綴つたが、それを彼は直ちに注意深く読み直し、訂正し、或は削除しなければならなかつた。彼は、忿怒が眩暈の如くに自己を捉へて彼の最上の思索を溷濁させたところのこれらの悪しき時間に恐怖をいだいた。さういふ時に彼は、常に気高く、常に晴朗であるところの彼の主人公ツァラトゥストラーを喚び覚まして、彼から何等かの激励を求めるのであつた。彼の詩篇の幾多の箇所はこの種の苦悶の表出である。ツァラトゥストラーは彼に向つて語る、-
「しかり、我は知る、汝の危険を。されど我が愛と希望とにかけて我は汝に切願す、汝の愛と希望とを棄て去るなかれ!
「されど高貴なる者の危険は、彼が善良者となることにあらずして、寧ろ厚顔者、嘲笑者、破壊者となることにあり。
「ああ、我は知れリ、彼等の最高の希望を失へりし高貴なる人々を。而して後彼等は総ての高き希望を誹謗せりき。
「されど我が愛と希望とにかけて我は汝に切願す、汝が心の中なる勇者を棄て去るなかれ! 汝が最高の希望を重んぜよ!-」
(「ニーチェ傳」 ダニエル・アレヴィ 野上巌訳)
「罪と罰」は凄い小説だが、「悪霊」は面白おかしい小説だ。読中思わず笑ってしまったりする。無論、素人一個の感覚に過ぎないけれど。そして付け加えるならば、こんな小説を読めることに心は常に震えている。
ただ、新潮文庫(江川卓訳)の末尾に置かれた『スタヴローギンの告白 チホンのもとにて』の章を読み切るのはしんどかった(因みに、池田健太郎の訳ではこの章は8章と9章の間に置かれている。)。「悪霊」を読むのは初めてではないが、最後の最後へ来てこんな読むにしんどい思いをしたという覚えがない。読み切る前にこんなにへこたれた理由はなにか、明確にはよく分からない。分からないながらも、小説というものの永生の秘密がそこにはあるようだとだけは分かる気がする。
外では風が烈しく吹きつのっていた。風に巻き上げられるようにして遠くから踏切のシグナルが響いて来る。不安な情緒がシグナルの不安な遠吠えに呼応して、胸の中にひどく滅入った湖ができる。湖に小舟を浮かべ、その上に乗ると、波は舟をもてあそんで頂きへ、そして谷底へと運ぶ。やがて、濃い霧が湖面を覆い尽くす。押し寄せる霧の冷たい触手に包まれ、顔の造作全てが引きちぎられるほど好い気持ちだ。
田圃の畔や水路が扇形に回って消えて行く。雨滴が窓硝子にあたってくだけ、再び玉となって流れ落ちる。ゴトゴトン、ゴトゴトンと確かな鼓動を打ちながら汽車は駆けて行く。外はただ、空の密雲。雷の轟きが硝子を通して膚に届く。スチームの入った車室の中で母親に抱かれながら、硝子窓に張り付いて窓外に目を凝らす。雨のにおいがした。
何時しか私は、十七八の頃にはそれと聞くだけでも懐かしかつた、詩人文学者にならうとしてゐる、自分よりも年の若い人達に対して、すっかり同情を失つて了つた。会つて見て其の人の為人を知り、其の人の文学的素質に就いて考へる前に、先づ憐憫と軽侮と、時としては嫌悪を注がねばならぬ様になつた。殊に、地方にゐて何の為事も無くぶらぶらしてゐながら詩を作つたり歌を作つたりして、各自他人からは兎ても想像もつかぬ様な自矜を持つてゐる、そして煮え切らぬ謎の様な手紙を書く人達の事を考へると、大きな穴を掘つて、一緒に埋めて了つたら、何んなに此の世の中が薩張するだらうとまで思ふ事がある様になつた。
(『硝子窓』 石川啄木)
「實用新辭典 大陸地図附」(吉利平次郎編 昭和15年)
「インパール作戦従軍記」(丸山静雄 昭和62年)
「特攻長官 大西瀧治郎」(生出寿 平成5年)