美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

「長楽夜話アラビヤンナイト」

2008年04月30日 | 瓶詰の古本

   かつて池袋駅の西口側に芳林堂書店のビルがあった。ビルの七階か八階に古本屋があり、いろいろと珍しい本、面白い本を集めていた。行く度に、目新しい古本が入荷して棚に列んでいたり、床に積み上げられたりしていて、そこまで上って行くのが少しも苦ではなかった。外国文学の端本にも目利きの程が行き届いていて、集めた古本の背表紙に端倪すべからざる眼力が正直に顕われていた。
   階段脇の通路の片壁面が均一本の棚になっていて、単なる新本落ちでない、黒ずんだ古本や一味違った文庫本がぎっしり棚を占めており、店に入る前に先ずここを一瞥するのが儀式のようになっていた。池袋駅で降りてこの古本屋に立ち寄る頻度といったら、月に一、二度くらいのものだったが、その頻度で均一本の棚に同じ本を二度見かけたことがある。戦後の各社文庫本ならばとりたてて印象に残ることもなかったが、青黒い色の薄っぺらな文庫版の古本で、一度目は何気なく通り過ぎたものの、二度目に見かけたときに棚から引き抜いて、あらためて「長楽夜話アラビヤンナイト」という翻訳本だと知った。凡例に記すところによれば英文叢書第一篇として上梓するもので、タウンゼントの英訳本から取捨抜粋して翻訳したとある。
   それまで朧げに荒筋だけは覚えていた『アラジンと魔法のランプ』や『シンドバットの冒険』だが、大正八年発行にかかる擬古文体の翻訳で読んでみて初めて、アラビアンナイトが子供に聞かせる童話の類とはまるで起源を異にするものであることが分かった。きわめて穏当に編まれたらしい英訳本の原文と相呼応しているとは言い条、童話本からは窺い知れぬ、奔放自在の神奇怪幻の物語であることは隠れようもない。かくまで幻魔怪奇の跳梁する夜話を幼童に与えるのは贅沢が過ぎるというものだ。
   おそらくいずれかの英訳原本で親しんでいたであろう夢野久作が、「西遊記」と並んで「アラビアンナイト」を最愛好の一冊に数えたのも腑に落ちるのである。

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雛子嬢の霊に捧げられた「彼岸過迄」

2008年04月29日 | 瓶詰の古本

  田舎の家に春陽堂の「彼岸過迄、四篇」という分厚い古本が転がっていた。その本の痛み具合と出版された年代から推して、祖母か父親のどちらかが読んでいたものだろう。もうその家に帰れないので、大正何年に発行された本なのか確かめることはできない。だから、愛読していたのがどちらなのかも永久に分からない。すっかり読み癖がついて、本を天側から見ると平行四辺形の形に歪んでいたが、分厚い縮刷本としては、かえって横に寝転がって読むにも便利な、手になじむ体形になっていた。多分、何度となく読み返していたにちがいない。
  家で見かけた小説本といったら、山岡荘八の「徳川家康」とマルタン・デュガールの「チボー家の人々」しか記憶に残っていない。雑誌では「少年」と「平凡」、この二雑誌は毎月購読していたようだが、仕事に必要な若干の実用的な本を除くと、まるで本のない家で、それより前にもののない家だった。「広辞苑」がはじめて出版され(昭和三十年に初版発行だそうな)、我が家で購入に及んだときは、まさに一大事だったようである。つまり、そのくらい高価な買物であり、シャープ製ラジオと富士自転車の次に貴重な財産であったわけで、父親も清水の舞台から飛び降りる気合で購入し、うやうやしく家に持ち帰ると、その後かなりの間、自分以外誰の手にも触れさせなかったらしい。
  そんな家にめずらしくも、ぽつねんと夏目漱石の古本があるのを見つけたのは、十代も終わりに近づいた頃で、まことに存在と認識のあざとい綾というか、認識あって存在があるのか、存在あって認識があるのか、その歳になるまで精神的には完全なる薄明状態にいたのは間違いなく、古本はあれども見えず、見てそれと認識するまでに二十年近い歳月を要したのである。
  はじめは何の気なく活字を追っていたのだが、その奇妙に浪漫的な雰囲気に引きずり込まれて、頁を措くことができなくなった。そのまま読み続けて最後まで読み通したのか、一日では読み切れなかったのか、よく覚えていない。しかし、とりわけ『雨の降る日』の章を読み終わったときには、漱石が大好きになっていた。こんなにも哀切な文章を書けるなんて、普通の人ではないと思った。もちろん、漱石は普通の人ではないのだが、なにか言葉では言い尽くせない特別の人、人間の根底に存在している懐かしさの情というものを、一番理解してくれている人だと思ったのである。
   『雨の降る日』を読むと思い出すのが、「貧しき人々」のワーレンカだったか、この少女の恋人である学生が亡くなり、お葬式のとき、雨と風のなか、息子の本をポケットにいっぱい詰め込み、腕にも抱えながら、父親が息子のお棺を走って追いかけて行く場面で、子供を失った親の悲しみが強く胸を打つ。ドストエフスキーもまた、根源的なところで魂を理解してくれている人であり、普通の人ではない。
   本のない家の薄明のなかで、胸の裂けるような悲しみがあり、悲しみをこのように静穏に伝える文章があることを知ったのである。

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国会図書館で万巻の夢を誰が見るのか

2008年04月27日 | 瓶詰の古本

  納本制度がある以上、東京書籍館以来、およそ国内で発行された書籍、雑誌、同人誌等出版物は細大もらさず現在の国立国会図書館に収蔵されている、あるいはマイクロフィルム化されデジタルデータ化されている。そんなことを信じている人などいるのだろうか。出版、刊行されたあらゆる本、雑誌、流通印刷物等をどこか一箇所に洩れなく集められると考えているとすれば、それは古本好きに取り憑いている妄想を真似た空想、奇怪な幻想とでも呼ぶべきものだ。
  絵に描いた餅というが、まさに理念を掲げて現実からは遊離している。物理的にも無理だと思うが、この世に日本だけしかないと仮定しても、この世で出版された本や雑誌の類すべてを完璧に集め切るという発想は、国家的な統制を受けた印刷機しかない国ならまだしも、この日本においては奇態というしかない。
   納本制度の下で、政治的謀略、創造的苦悩、科学的叡智、肉欲的蠢動など人間の思念・思惑・欲望はもとより、この世の事象ことごとくを、文字、図像の形作るままに網羅しようと努力してきた図書館の誠実さに対しては多大の敬意を払うものである。ただ、完全履行することが不可能な法律をそのままにしながら、膨大な出版物を受け入れ続ける姿を、図書館で働く館員の方々はどう見ているのだろうか。
  理想の図書館といえば、我々が五感で識り得る世界にありとある全図書類を包蔵した、無限に連なる書架の列であり、建造物である必要すらない。明かりの届かぬ闇に消えていく高く聳える書架の列、それがピラネージ風に幾層階に及ぶかも計り知れない、果てしのない蔵書空間の光景。
   それは、古本に鼻面を引きずり回され、古本の均一台に頭からのめり込んでいる人間にこそ訪れる夢であって、館員司書の方々が精勤の支えとして掲げる現世的な理念とは、また別のものではないだろうか。古本の黴臭いにおいが充満する薄暗い倉書庫さえ用済みになっているのでは。

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日本小説文庫の踪跡

2008年04月26日 | 瓶詰の古本

  世界名作文庫と日本小説文庫、この二大文庫シリーズは、春陽堂ならではの文庫の大伽藍と称すべきものであり、叶うことなら後世まで独り占めしておきたい文庫群なのである。目録を瞥見し稀少この上ない文庫本の壮観な集積に接したら、均一台に身を屈めたことのある者は誰しも魂を奪われるだろう。
  古本を追い求める人間の、一度は必ず見る夢がある。過ぎた世に溯り、忽然と本屋に現われ、幻の本、憧れの本を買い込んでは今に舞い戻って来るという夢想がある。しばし、その幸福な夢想の世界で、日本小説文庫と世界名作文庫の完蒐を目指す鬼となり、ときに夢想に溺れ過ぎては、不審を抱かれずに昭和十二、三年の東京の街角に立つためには、振る舞い、言葉使いの周到な修練を積まなければとか、紙幣、貨幣の準備、調達はどこそこでするかとか、いっそ笑い話のような妄想にまで嵌まり込み、はっと我に還って正気に戻れば、暗くなった部屋の中に電燈もつけず、古本を摑んだまま黙然と座っている自分を見出す。
  それもそうだが、実は先立つはずの文庫の総目録が用意できない。かろうじて手元にある古本を開き末尾の文庫目録を借りて一部を記し置けば、世界名作文庫では、鴎外訳のポー、イプセン等々、谷崎訳のワイルドから始まり、内田魯庵のトルストイ、水上於莵吉のデューマ、平井呈一のホフマン、以下適宜に摘出すれば、ベックフォード、レニエ、コクトウ、アポリネル、ロープシン、ピリニヤーク、ロオデンバッハ、イバニエスと続いて行く。
   日本小説文庫の方の目録も、と思ったが、江戸川乱歩、夢野久作、小栗虫太郎、海野十三、國枝史郎、白井喬二とわずかに書いているうちに、さらに陸続と起ち上って来る作家、作品の際限のない面白さから遮断されている空虚感と、これら書目のほんの一部も蒐められそうにない無力感とが沁み出してきて、これ以上は書けそうにない。
   とにかく、日本小説文庫とは日本の文学の真の性根と底力が見える渾身の集大成である。

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文庫本の「ヴァテック」

2008年04月26日 | 瓶詰の古本

  W・ベックフォードの「ヴァテック」は、近年往昔の訳書が再刊されるなどして、千一夜物語に拮抗した幻魔怪奇の物語を容易に堪能することができるようになった。小川和夫の「異端者ヴァセック」は、戦後の昭和二十一年、新月社から英米名著叢書の一冊として上梓され、後に修訂され国書刊行会から「ヴァセック・泉のニンフ」として再度出版されている。また、順序は逆になるが、垂涎の名訳名作文庫として屹立する春陽堂世界名作文庫として、昭和七年版行されたのが矢野目源一訳による「ヴァテック」である。これも戦後に生田耕作が訳を補って牧神社から出版された。その後、角川文庫も「呪いの王 バテク王物語」を送り込み、古本を漁る遑もなく新刊本に目移りする有様であった。これが昭和の四十年代末から五十年代にかけてのこと、記憶が薄れつつあり定かでないが、当時怪奇幻妖の文学が内外問わずその声価を高め、次々に再発見、再評価の波がやってきていたのではなかったか。
  英語、仏語を解せぬくせに、ゴシックだ、アラビアンナイトだと崇め奉る姿は、碩学人士にとって笑止千万、さぞ片腹痛く映ろうが、だからといって翻訳本を取り上げてしまったら、すべての文学は荒廃に及び、いずれ精神の荒廃へと帰着してしまうのであって、翻訳物の古本は世界に在る精神の総体を支えているといってもいい。と、別にそこまで力む必要などなく、翻訳者と出版社に対する心からの感謝を忘れていませんと言いたいだけである。出会い頭に古本と遭遇し、それまでさほど騒がれることなく永く埋もれていた大傑作を人知れず発見したとする喜びは、小人生には稀な歓喜と呼んで決して言い過ぎではない。よくぞ訳しておいてくれました、よくぞ印刷しておいてくれましたと遠く時代を隔てたこちら側から、感謝の言葉を送らずにはおれないのである。
 それはそれとして、今ではこの「ヴァテック」、幾種類でも手に入れることができる状況で、かの矢野目源一の先駆訳も、世界名作文庫の復刻版たる『昭和初期世界名作翻訳全集』の一巻として、ほとんど原型そのままの形で享受することができるのである。小さな文庫本に収まってしまう異国の夜話が、何故これほど日本の読者を惹き付けるのか審らかには分からないが、とにかくもありがたいことである。
   ただし、古本として世にあることはかねて承知していたが、世界名作文庫にしろ角川文庫にしろ、均一台の文庫の群れに紛れ込んだ「ヴァテック」を目撃した、なんてことは未だにない。

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牧野信一の「鬼の門」から入って

2008年04月24日 | 瓶詰の古本

  新潮文庫にもう一人、薄っぺらでもいい、牧野信一の一冊が加わっていれば、さらにかっこ良かったのにと思う。古本屋で『中央公論』昭和七年八月号を買ったのは、あれはどうした交感作用の戯れだったのか。今、目次を読み返してみても、興味、関心を惹く記事一つ見当たらない。とにかく特段の目的なくして購った、その古雑誌にたまたま「鬼の門」が収載されていたということらしい。
  冒頭、「ヒストリイ・オブ・デビルス」、「デビルス・ディクショナリイ」、「クラシカル・マジシアンズ・ボキャブラリイ・ブック」と、実在なのか架空なのか、無闇滅法に心そそる本の名前が列挙されるところから話は始まる。たちまちにして現世での在、非在など念慮の外、それらの本を獲得するために犯すであろう数多の非道も省みず、ひたすらに本の背中を追い求めんとする、ひりついた恋情に導かれ、あたかも古雑誌に姿を借りて現われた「鬼の門」、ひとたびその門を潜るやいなや、淵瀬から一気に深みにはまり、あれよあれよと玄妙の物語に沈み溺れてしまったのだ。
  「異端者ヴァセック」の訳者としても高名な小川和夫との共著で「ユリイカ」を出しているところを見ても、幻視幻想のわざに通暁した小説家であるのは疑いないのだが、極め付きに繊細な理智の力によって、古典由来の幻想風景を明かり障子のうちそとに映し出し、出自正しい怪異譚を和箪笥の盆の上で舞い踊らせようと企図したマキノ氏の策略も、無為、徒事と酒にまみれた呑んだくれにしてみれば、ひどく照れ屋の正直者が無垢清浄ゆえに抱えてしまった、抱えきれない懊悩と思えてくる。
   だからこそ、わざとのように小説を退屈に書いてみせることがあったのではないかと勘繰ってみるが、これは「鬼の門」に出会う前、旺文社文庫「鬼涙村 他十一編」でしか相性を測らなかった無知な読者の狭量として打ち捨てるべき話。その後、さらに「天狗洞食客記」を読むに及んで、左の腕を横に伸ばして、薄ぼんやりとギョロリとしていると変奇な癖から書き出していることを知って、やっぱりそうだ、そこから書き出さないことにはその先一歩も進めなかったのだろう、それこそ粘着質から遠く離れ、照れ性にして水溶性の気質を以って生まれてきた、世に有難い感覚の小説家であったと得心したのである。
  勝手な読者の一方的で押し付けがましい思い込みの裏で、自身の人生とだけはあんなに薄情に付き合わなくても良かったのにと、捨てずにあった古雑誌の埃を掃ってはときに作家を偲んでいるのである。

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捨ててしまった梶井基次郎

2008年04月23日 | 瓶詰の古本

  引越しをするとき段ボール七十箱に入っていたのは、ほとんどが古本、それもかなりの部分が均一台から掬い上げてきた文庫本であったが、狭い部屋に収まり切れないことから、大小三十箱ほどを捨ててしまった。なにせ、脈絡、体系に無縁の見たとこ勝負の雑本狩りの末であり、かつ、均一台に珍本、奇本はあり得ないから、平々凡々たる月並文庫本が詰まっており、これをビニール紐で両手に持てる程度の重みに分けては日々ゴミ置き場に通うのである。
  文庫本ならおおむね三十冊で一括りになろうか、階段を上り降りするので三回から四回繰り返すと嫌になる。その日は仕舞いにするので、三十箱を空にするのに何日かかったろうか。忘れてしまいたい難行は忘れてしまうものである。捨ててしまった本も、どこかでひょっとして本の名と出くわさない限り思い出せない。
  とは言え、夏目漱石、芥川龍之介、嘉村磯多、葛西善蔵、梶井基次郎、北条民雄、中勘助といった旧字体の新潮文庫はなかなか美々しい活字が懐かしく、屈託なく買い込んでは見たものの読み切る前に捨ててしまった。こうして失くしてみると、一冊一冊さまになる文庫本だったのがよく分かる。丸めて手に持てるだけでもかっこいい。かっこいい角川文庫の高見順、上林暁、中島敦、阿部知二、石川淳、久保榮と同様に、これから均一台で再会することがあったとしても、きっとやり過ごしてしまい手にすることはないだろう。    
   梶井基次郎に言いたいが、古本だって檸檬に匹敵する爆風を巻き起こす力があるのだ。ただ、みんなかっこいい分薄っぺらなのが残念だし、そもそも丸善の棚に置いてちっとも目立たないのは面白くない。

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ドグラマグラと『心性遺伝の理法』

2008年04月22日 | 瓶詰の古本

   リボー著「心性遺伝論」は、かつて夏目漱石の「趣味の遺伝」を論じた文章の中でその名を見た覚えがある。漱石の蔵書目録に登載されているとも書かれていたような気がするが、これは記憶の変容かも知れない。文章の内容については、きれいに記憶から拭い去られてしまっていて、あるいは、なんらかの深い知見があったに違いないが、今となっては思い出すすべはない。
  「心性遺伝論」自体は、三百頁余りの薄い本であるが、人間の形体面ではなくして心理面での『遺伝の理法』を、ときに数々実例を引きつつ説いている。記憶と情緒の再現という「趣味の遺伝」ぴったりの叙述はないようだが、『感化の遺伝』と題して所謂の実証に努めるところなどもあって、なかなか神秘的な気分に満ちた味わい深い本である。
  「趣味の遺伝」もさることながら、「押絵の奇蹟」や「ドグラマグラ」やらを読みつつ併せて心性遺伝の理法を読み進めて行くと、なにやら、小説家の想像力というものは、あらかじめありながら、それまで誰にも気が付かれず眠っていた鉱脈を掘り起こし、見たこともない光を地上に輝かしめる力のことなのか、はたまた、そもそも存在していなかった恒星を天啓の導きによって新たに生み出し、全てを照らす光を地上に降り注がしめる力のことなのかと、非小説たるこの古本から問いかけの声が発せられ、まさにこのような問いをかけられたということにより、小説たる「趣味の遺伝」から得られるのとはまた違った多幸感が心内に溢れて来るのである。
  小説と小説、小説と非小説が共鳴し合う渦のなかに、ちっぽけなひとかけらの魂が呑み込まれて行く必然を、遠いいにしえからの心性遺伝のさざなみとして、かすかに実感するのである。

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萩原朔太郎『氷島』の慟哭

2008年04月20日 | 瓶詰の古本

   酣燈社から出版された「詩人全書」という叢書がある。刊行目録によると、国内では、鴎外に始まり、啄木、藤村、有明、白秋など、海外では、旧約に始まり、ゲーテ、ブレイク、ヘルデルリン、ポウなどの詩人の詩集を発行していたものである。今でも、宮澤賢治やホイットマンの詩集は偶に見かけることがある。
  手元にあるのは、保田與重郎が編んだ萩原朔太郎の一冊だけである。「萩原朔太郎詩抄」は、いかにも使い古された古本で、しみやしわに事欠かず、後半頁の地の部分にはかすかに焼け焦げた痕が残っている。それでも、詩人の詩を読む分には何等差障りになることはなく、組まれた活字は明晰な文字を美しく打ち出している。
  「萩原朔太郎詩抄」によって初めて『氷島』全篇に触れる機会を得た。それまでに、全集発刊の宣伝小冊子で「父は永遠に悲壮である」とかいう文辞に接したこともあり、教科書で出会った『月に吠える』の斬新な詩人とは別の相貌を持つ萩原朔太郎がいるという思いはあったものの、詩集を買うまでの興味はなかった。その均一台に列んでいたのが、新潮、角川のありふれた文庫本であったら、手に取ることなどするはずはなかった。あまり見かけたことのない文庫本、ただそれだけで、古本は買われたのである。
  しかして、こうして買われることがなかったら『氷島』全篇に行き当たることもなかったに違いないからには、古本というものは、この世で本という名のもとに一括りにされているものとは全然別個に存在するもの、まったく心底を異にする何者かであることを知らなければならないようだ。頁に記された文字が読まれるときには本と呼ばれるものと似寄りの働きをしてみせるが、それより更にずっと前に遡れば、古本は均一台から続く古本屋の巣窟に潜みながら、選び取ることを約束された人影がやがて現われ、互いを見出すその時をじっと待っているのである。
  漂泊者の歌、帰郷、地下鉄道にて、珈琲店酔月、告別、虚無の鴉等々を読んでみれば、保田與重郎がそこに慟哭を見たという『氷島』二十五の詩篇に逢着したことはただの僥倖に過ぎないなどと思えるわけがないではないか。

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「明暗」と葱の話

2008年04月18日 | 瓶詰の古本

  「カラマーゾフの兄弟」といえば、米川正夫一色だった。文庫本であれ、叢書版、全集本であれ、古本屋にごろごろ転がっているのは、決まって米川訳によるものばかりで、本の体裁や出版元は様々であるが、ドストエフスキーと米川正夫は一体不離の組み合わせとして、黙契によるかの如く存在していた。  
    均一台から一冊一冊と米川訳を拾い上げては長編の作品群をひとわたり読んで行き、おおむね一巡した後にさてもう一度と読み返したくなったとき、そこでようやく、世の中には米川訳以外の「カラマーゾフの兄弟」がいくつかあると気付いたのである。物量的には圧倒的に米川訳が席巻してはいたものの、新潮文庫に原久一郎、角川文庫に中山省三郎、筑摩の全集物に小沼文彦と、錚々たる翻訳が覇を競って揃い踏みしていた。そもそも文豪と作品のカタカナ表示の名前にしてからが、訳者に応じてそれぞれ微妙に異なっているのにも初めて気が付かされた。つまり、米川流ではドストエーフスキイとなる。  
    読み始めると、しかし、米川訳の魔に取り付かれたのか、ほかの訳ではどうしても最後まで読み進められず、中途で挫折を繰り返すはめに陥ってしまった。その後も、北垣信行、江川卓、あるいは中断となった箕浦達二の諸訳で挑んでみたものの再読破は成就せず、やっとのこと中公文庫本になった池田健太郎訳「カラマゾフ兄弟」を得て、往き還りの電車の中で五巻目の終いまで読み切ることができた。この間そこそこ長い時間がかかっているので、米川訳の魔も自然に抜けてしまっていたのかも知れない。
    こうして再読破に至るまでには、往時の翻訳者の気迫ある日本語にいくつも触れることができたわけだが、とりわけ森田草平訳による「カラマゾフ兄弟」は、大審問官の件りがかいつまんでの紹介だけという形になっていて、その場面の肩透かしには思わず唖然とした、と同時に、『大審問官』というイワ"ンの詩劇に、さてこそ出会うべくして出会えなかった無念の思いは相当大きかったのである。そして実は、それ故に一層、次に語られるグルシェンカの葱を捨てた話の場面が、まことに際立って胸に迫ってくるのを思い知るのである。  
    芥川龍之介の「蜘蛛の糸」にも通底しているこの葱の挿話の頁を開けるとき、読み手は、極め付きの醜い心根、醜い有様を語る言葉の裏からこの世でもっとも気高いものが立ち現われるのを目撃し、一気に神韻の洪水に呑み込まれつつ遥かの高みに運ばれるのである。この小説をこのような日本語に構築し得た魂もまた、小説家たる翻訳者である一方で、読み手としての喜びを感覚したと考えたい。  
    夏目漱石はガーネットの英訳本でこの小説を読んでいるらしいし、弟子である草平の「カラマゾフ兄弟」をどのように受け止めたのか、全く想像も及ばぬことであるが、かの「明暗」を読むたびに、グルシェンカがアリョウシャに話して聞かせるこの葱の挿話がきっと思い出されるのは、未完に終わった小説のなかに漱石の気高さが立ち現われるのを見るからだろうか。 

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捨ててしまった徒然草

2008年04月17日 | 瓶詰の古本

  捨ててしまった本と言えば、受験参考書などは、まことに胸の痛み抜きにしては思い出すことができないものの一つである。試験勉強の苦しみが思い出に纏わっているから、ではない。若い時分に処分してしまった、たとえそれが実用書であれ、参考書であれ、失われた本であるという、ただそれだけで、いや、その喪失感の歳を積み重ねる度に重くなるが故に、どうしてももう一度手にとって本としての相貌を確かめたいという執着に囚われるからなのである。  
   しかも、これらの本は、十年、二十年と経たないうちにほとんどこの世から蒸発し、どこをどう探したらいいのか途方に暮れるばかりの無国籍者的古本と化してしまう。誰かリルを知らないか、などと嘯きながら遠い日に手放した参考書を求めてさまようなんて、病者を装う寝巻き姿、たちの悪い冗談でしかない。 
  しかるに、これに比べれば、幼い日に見失った絵本だ、図鑑だとなると、雰囲気が俄然美しくなると思われるのは、絵本のたぐいと無縁のまま成長した貧家の息子の僻みだろうか。絵本や図鑑には、どこか母親の面影が映って見えるところがあるが、参考書にはそうした郷愁に似たものはないようだ。
  ただ、もはや控え目にしか言えないが、古本好きにとっては、今よりずっと若い頃何度となく読み返し、手ずれのするくらい使い込んだ末に捨ててしまった本であると思うと、一介の受験参考書も、幼年期の絵本や星座図鑑に負けず劣らずいたく痛恨を伴って再会を願う古本となっているのである。  
  「新講日本史」(三省堂)とか「評釈徒然草」(旺文社)とか、たとえばそうした本の一冊である。   

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漫画「神聖喜劇」では『廣辭林』と正しく描いて欲しかった

2008年04月13日 | 瓶詰の古本

  対馬において「神聖喜劇」が展開する途上、まことに効果的、戦略的に引用されている数多の本、雑誌のうちでも、「広辞林」とか「緑雨全集」縮刷一冊本とかの古本は、神保町の古本屋に二、三度通えば必ず行き会える定番の本であり、いつでも現物を拝むことができる。容易に手に入れて、そちらの方を拾い読みなどしてみるが、これまで生きてきた道筋のどこにも触れ合う機縁がなかった本を、大傑作とはいえ小説のなかに見出すままに手に入れたいとする魂胆は、実に情けない下郎の玩物喪志と謗られるのか、いや誰もそこまで気に留めない、古本好きのいつもの病気の発症と軽くいなされるのか。  
  恰も日本の有体を全部ぶっこんで神聖無比に存在する戦争・軍隊・対馬の地べたそのものを、東堂太郎の過去・現在一個の実体が揺らぎ返すことを可能にしたのは、膨大な文字の体系を最大限有効に使役した超絶的記憶力と強靭な思念の奔出があったればこそである。人智を書き遺した文字の堆積なくして、いずれの意味であれ、このような神聖喜劇が可能となっただろうか。  
  中央公論等の諸雑誌、「田能村竹田全集」一冊本や小冊子類など「神聖喜劇」のなかに引かれる文章群はすべて、斯くも重大な役割を負っているのだが、小説に対する強い憧憬に正気も場所を譲るのか。取敢えずそこに現われた本や雑誌を所有しさえすれば、僅かなりとも東堂まがいの胆力、知力を備えることができるのではとの妄念に囚われて、今日も古本屋へと駆り立てられている。頭では分かっているけれどと言い訳してみたところで、これはもはや単なる古本好きの、ではない、しんにゅう入りの病気であると見立てるしかないだろう。  

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大西巨人と古本

2008年04月12日 | 瓶詰の古本

  読んだ人はすぐに気付くことだが、大西巨人の作物には随分とたくさんの本が登場する。古本好きは、どうしても邪道な読み方でもってこれを読まずには居れないのである。というか、読んでいるうちにむずむずして来て、次の日にはそこに登場する本を求めて、次々と古本屋を訪ね歩くのである。身勝手ながら、その点まことに罪作りな作家であり、とともに本を購めて根太が折れることも厭わない人ではないかと好ましく思われる作家でもある。
  夏目漱石が好きで、「吾輩は猫である」などは均一台の常連本でもあることから、見かけるたびについつい手が伸びる。旧字旧かな文庫本ならなおの事、岩波、新潮、角川だったら、二巡目、三巡目に入って買っては捨てなどと罰当たりな愚行を繰り返している。
  インターネット上の閲覧に供されている大西巨人「二十一世紀前夜祭 凡夫」の項において、偶々「角川文庫」版『吾輩は猫である』、大正年間発刊の袖珍本『吾輩は猫である』、「講談社文庫」版『吾輩は猫である』との書名が記されているのを見たときも、見てしまった以上、なにはさておき名指された現物に出会わずにはいられないといった、この種の病特有の微熱状態に陥ったことである。探し当てるのに一番時間がかかったのは「講談社文庫」版。もともと持っていたのに引越しの際に処分していたこともあって、これはもう出会わずんば悔いを懐いて千載に嘆く症状に進みかけたが、比較的近年の文庫本でもあったおかげで、なんとか再入手することができ、この痛恨から解放された。
  「神聖喜劇」を読むなかで出くわした幾つもの本の名から現物を求めてみたときには、捨ててしまった本をこうして悔やむ苦しみはなかった。

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夢野久作「氷の涯」の果て

2008年04月11日 | 瓶詰の古本

  東京に暮らしてみて、ほかの土地にいてはどうしても満足できないと思われることがひとつある。古本屋詣での話である。得体の知れない人間がそこかしこに跳梁し、そもそも善良なる一般市民からも地下鉄の中で突き飛ばされ蹴倒される仕打ちを日常的に受け、なお、東京を離れられないのは、ここが古本の聖地を抱え込んだ大魔都であるからにほかならない。神田神保町という聖地から発せられる古書・古本の霊波は、あまねく東京中の街角、筋々に渦巻いて奇態の古本好きを無数に繁殖させ、再び新たな波動を伴って神保町へと回帰して行く。
  刻々に波はうねり狂い、波に打たれて意識を持たされた古本どもは、数限りない群衆となってあっちにまどい、こっちにわしりながら、古本の道の途上で同じように右往左往する人間どものうちの一人がおのれを選みとる瞬間を待っている。
  それが店主のすぐ右手後ろに据えられた鍵付きの硝子ケースの中であれ、往還に面した吹きさらしの均一台の上であれ、本と人ふたつながら心拍が同期し、出会い頭の狂喜を与え得る場所として一毛の懸隔もない。均一台を前かがみに覆いかぶさり、指先に目が付いているかの如くに古本の背表紙を確かめる人影は、次の台、また次の台へと、絶対にめぐり合えぬ最後の古本を追い求めて無量の歩を運ぶのである。周縁の土地を行きつ戻りつするのも、神保町の雑踏にいつでも身を沈めることができてこそなのであって、この聖地を遠く離れて暮らすことなど万金積まれてもできるわけがない。
  聖地なればこそ、「押繪の奇蹟」に始まり、「氷の涯」「瓶詰地獄」「冗談に殺す」へと続く、生前の夢野久作とともに生きた挿絵まじりの日本小説文庫にも出くわすことができたのである。
  ただ心残りなことに、旧版の「超人鬚野博士」にはいまだに面会が叶わない。
  しのこしたるを、さて打置きたるは、面白く、いきのぶるわざなり。(兼好)

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喜劇に神聖性があるのか

2008年04月10日 | 瓶詰の古本
  カッパノベルスの「神聖喜劇」をいつどこで買ったのか、今となってはまるで覚えていない。ただ、新書版であることをさいわいに本棚の狭い隙間に突っ込んであるのを見ると、自分の意思のままに、どこぞの古本屋の均一台から拾い出したのだけは確からしい。かすかに思い返せば、「神聖喜劇」という、それまでになく形の決まった漢字でできた題名がなければ、四冊の新書を手に取ることはなかったに違いない。
  実際に読み始めるまでには三年以上経っていたと思う。かつ、没頭するのには、半日を要しなかった。すぐに本屋に行き、光文社の箱入り単行本五冊を買い込み、あらためて最後尾まで読み終えた。小説の声価は既に定まっているので、今更賛仰の言を蝶々する必要はないが、現代日本文学史上の傑作が旅情読捨小説の一アイテムとして鉄道弘済会の店頭に列び、古本屋の均一台に無造作に流れて行き、そのたびに読者を獲得して行った成行には、染々とした感慨を懐かざるを得ない。
  現在、光文社文庫の書目に「神聖喜劇」の赫々たる名を連ねているが、その出自が同じ光文社のカッパノベルスにあったということで、そこに目利きの真骨頂を見るのは、独りよがりのうがち過ぎというものか。
  
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