美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

ネルヴァルの狂疾(シモンズ)

2014年11月30日 | 瓶詰の古本

   ジェラル・ド・ネルヴァルの狂疾は、その発生、鎮静および再発にいかなる生理学的理由が正しく与へられるにしろ、本質的にその幻想家的特質の過剰ではなくて劣弱に、すなはちその想像的エネルギーの不充分と精神的鍛錬の欠乏に負ふものと考へられる。彼は無体系の神秘家であり、彼の「二百巻のバベルの塔」――すなはち、ミランドラのピコの、ムルシウスの、或ひはクサのニコラスの心を喜ばせたいと彼の思つた、あの宗教、科学、星学、歴史、旅行などの本の混合は、まことに彼の言ふやうに「賢者をすら発狂させるに充分」であつた。彼はそれに「何故に狂者を賢者にするのにも充分ではないのか」と附け加へる。しかし、まさしくその理由は、それがかういふ「奇異な蒐集」、叡智がしばしば痴愚であり、痴愚がしばしば叡智であるところの、かういふ危険な秘密の混淆であつたことである。彼はカバラ(ヘブライ密教学)に就いて漠然と語る。カトリック教会とかそのほか何かの組織がさうであつたやうに、彼にとつては、カバラは安心を与へるものであつたのであらう。直感、無識、半真半疑、虚妄の影などの間を、或ひは無頼に或ひは逡巡してよろめきまはつた彼は、相衝突する風によつてあちらこちらへ吹きまくられ、不定の餌食であつたのである。

(「象徴主義の文學」 アーサー・シモンズ 宍戸儀一訳)

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マドンナ像

2014年11月27日 | 瓶詰の古本

   マドンナとは、深窓の令嬢で俗世のことにまったく疎いので、なにを見聞きしても「まあ、どんな」と問いかける女のこと、あるいは、まったくすれたところがないので、何事につけ惑ってばかりいる「まど(うお)んな」の謂いかと思っていたところが、実は、
伊予松山辺在住の野だいこによれば、
「あの岩の上に、どうです、ラフアエルのマドンナを置いちや。いゝ画が出来ますぜ」という朧気のイメージが与えられたものの、
萩野の御婆さんなんかによれば、
「いゝえ、あなた。マドンナと云ふと唐人の言葉で別嬪さんの事ぢやろうがもし」で、
ひょっとすると、
「鬼神のお松ぢやの、妲妃のお百ぢやのてゝ怖い女」の同類でもあるらしく、しかし要するに、
坊つちやんによれば、その女にむかうと、
「何だか水晶の球を香水で暖ためて、掌へ握つて見た様な心持ちがした」という、そんな女のことだそうだ。
   勿論、凛たる精神を包んで匂うばかりの圧倒的な色香も欠かせない訳で、つまりは、この時代、この国においては絶滅して久しい人のことのようだ(異見もある。)。

 

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月光を撒く(酒井潔)

2014年11月25日 | 瓶詰の古本

   桂林に韓生と云ふ者があつて、酒好きで、常に道術に達してると自己宣伝して居たが、或る時同行者二人と桂林郊外の僧寺に宿つた。所が、韓生何を思つたか、籃と柄杓とを持つて、ノコノコ庭前へ出て行つたので、皆の者は、変人先生何事をするかと驚きながら見て居ると、韓生籃の中へ柄杓で一生懸命月光を汲み込んで居た。
   翌朝皆が韓生の籃を見ると、空ツぽなので大笑して、舟で邵平まで行き、江亭に上つて酒宴の用意をさした。そして愈々酒宴が酣になつた時、俄に天がかき曇つて、大風が起り周囲が暗闇となり燭を燈す事も出来ぬので、すつかり興を醒し、ブーブー云つてると、一人の男が先夜の事を思ひ出し韓生にさあこんな時こそ君の月を出したらいゝぢやないかと、水を向けると韓生なる程さうだつたと周章てゝ舟に引き返し、例の籃を持つて来て、柄杓でパツパツと月光を撒き初めた。驚いた事には、座敷中が見る見る明るくなつて行つて、遂には秋天晴夜の月色を漲ぎらして仕舞つた。さあ一同大喜び大喝采又飲み直して興に入つたが、宴果てゝから韓生が、月光を籃の中へ汲み込むと又もやまつ暗の闇夜になつたと云ふ事である。

(「降靈魔術」 酒井潔)

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先後を問うことのできない事象

2014年11月23日 | 瓶詰の古本

   死はまがいようのない運命であるが、生はさらに根底にあって、死をも支配する運命である。ないところにありとする声が落ち、ありとされたものは、あってないことを宿命づけられていると了解するほかなく、そこに起こる懊悩、歓喜などあらゆる悲喜のさざなみは、終端から発した光に導かれ、逆算された生であることと引きかえにありとされたものへ伝えられる声、その声の消されない残響である。
   死生は分かちがたく、かりそめに感応する時空においては、その先後を問うことのできない事象である。

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天下即国家の主義(茅原華山)

2014年11月20日 | 瓶詰の古本

   私が始めて支那のことで疑問の起つたのは、漢学塾で漢文を習つて居た時代のことであつた、天下国家といふ字が無暗に出て来て、自分でも始めの内は無意識で天下国家と書いて居たが、地理学を小学校で教へ込まれた為め、天下は即ち国家であるといふのは、何うしても受取れない、日本の外に支那もある、印度もある、欧米諸国もある、夫れを一口に天下国家といふのは何事であると疑つて居た、然しながら支那に於ては天下即国家なりといふ観念のあるは、寧ろ当然である、何故なれば、支那は大国であつて、而も欧州も米国も無論其当時には、支那に知られて居なかつたのみならず、支那の周囲に居る民族は、皆文化の程度低き者ばかりであつた為めに、支那人が、天下は即ち支那、支那は唯一の国家であるといふ考へを起したのは、無理もない次第である
   私は革命の起つた以後、日本の識者の議論を出来るだけ咀嚼して見たが、白鳥博士の東洋史眼は、実に出色のものといつても宜しい、博士曰く『元来支那の国体といふものは、ユニヴアーサリズムであつて、自国即ち世界と云ふ観念より外はないのである、世界には自国より外にはない、自らは世界に君臨する者で、自国は世界の中心である、斯ういふ思想より外ない国である、此思想は支那の国体を解する根本の關鍵であつて、而して支那に此思想の生じたといふのは、漢民族が始めて国を成した時に、其周囲の民族が自分よりも文化が低いから、これは自分が支配すべきものだといふ仮定の下に作られたものであつて、自分はあらゆる国の君主であるといふ観念は非常に強いものとなつた、』此れは実に動かす可からざる識見であつて、米国に行けば、米国人は我国には総ての気候総べての動植物総ての人種がある、米国は別に一の世界を成すといふのを聞くが、第二十世紀万国比隣の世界に於ても、米国人の間には天下即国家といふ考へがあるのを看取することが出来る、露国人も印度人も矢張り天下国家主義を称へて居る、支那が自国即世界といふ観念を持つたのは、今の支那の歴史地理の上から、理の自然、勢の自然である

(「新動中静観」 茅原華山)

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証言台に立って

2014年11月18日 | 瓶詰の古本

   誰も彼に語れとは言わなかった。どうやら証言台にのぼっていることだけは確かであるのに、にもかかわらず、発語を促す人は誰一人いなかった。彼は証言しなければならないし、これだけ待たされたからには、最早順番が回って来ていて、それは間違いなく彼に割り当てられた時間のはずだった。
   彼は語るべき多くを胸の裡に抱いている。堰を切る時が来たら、証言に費やす言葉は無限に連なるばかりなのだ。仮にそこが法廷であれば、堅固な権威の建物が腐り倒れるまで語り、饒舌り続けよう。彼は伝えるべき言葉を知っているつもりだった。人々の未だ聞いたことのないような、不死鳥だけが聞き分けられる隠秘な言語の発音だってうまくやってのける自信があった。 
   だが、彼に向かって、さあどうぞという一言が与えられないのは、どうしたことだろう。世界は様々な解釈による変容の断崖に危うく佇立している。そして、彼の住む世界が自らの変容を厭うものであり、全ての解釈、全ての彩色、全ての形容を封じ込めるものであるならば、証言台に立たされた彼は黙殺されるために引っ張り出されて来た人身御供でしかない。証言台の木ワクを掴み、一人の影も見えない広い部屋の真ん中に立たされ、待つためだけに控えている存在でなければならない。彼には、一片の憐情すらかけられることはない。沈黙に立ち会う存在も許されない。彼は、舌の有無を問われずに宙ぶらりんにされたまま、証言台に立って時間を待つ時間を無限に満たして行かなければならない。

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書籍(ヴォルテール)

2014年11月16日 | 瓶詰の古本

   諸君は書籍を嫌がる。諸君の生活は空しい野心と、快楽や怠惰の追求に終始されてゐる。だが、世の中には、諸君の知らない世界のある事を知れ。賢者の民は別として、この世界全体は書籍によつてのみ支配されてゐる事を知れ。エチオピヤからニグリチヤまでの全アフリカは、アルコーランの書に服従してゐる。支那は孔子の道徳書によつて支配され、印度の大部分はヴエイダムの書に従つてゐる。ペルシヤは幾世紀の間、一人のツアラトストラによつて書物に支配されてゐた。
   よし諸君が法服を、諸君の善を、諸君の名誉を持つてゐるにしろ、諸君の生涯は、諸君がまだ読んだ事のない書物の解釈にかかつてゐる。
「悪魔ロバアト」、「アイモンの四人の息子」、「オーフル氏のたくらみ」も、書物であることに変りはない。しかし書物にも色々あつて、ほんの一小部分のみが、偉大な役割を示し、その他は群衆の塵となる。
   文明国の人類を指導するものは何か?それを知る者のみが、如何に読み如何に書くべきかを知つてゐる。諸君はヒポクラテスやボエルハーヴやシデンアムを知らない。然し諸君の身を、これらの書を読んだ者の手に委ねる。諸君は諸君の魂を、バイブルを読んだ人に托する。尤も、本当に念を入れて聖書を読んだ者は、彼等の中五十人とないのであるが。
   書物の支配する世界はかくのごとく広大であるから、今日スキピオ、カトスの町を統治する者は、自分等の法律に関する書物は、自分達以外に読ませたくないとさへ思つてゐる。この書物が彼等の主権なんだ。たしかな許可なくして、それらの書を見る者は厳罰に処せられる。又他の国では、特定の文学以外で物を書く事が禁じられてゐるところもある。
   或国民は、思想を純粋に交易の道具だと考へてゐる。従つてそこでは、人間精神の活動は、純ニスウによつて評価される。
   又或国では、書物によつて自己を表現する自由は、最も神聖な特権となつてゐる。余りに自分の自然の権利を乱用し過ぎて、好きなことを書くと、刑罰を受くることになる。
   現今の驚く可き印刷機が発明される前は、書物は宝石よりも高価であり稀であつた。未開国民の間には、殆んど書物と称するものはなかつた。シヤルルマーニユからフランス王シヤルル五世まで、シヤルル五世からフランソア一世まで、―― この間は極端な暗黒だ。 八世紀から十三世紀までに書物を持つてゐたのは、アラビヤ人だけだ。
   私達が読むことも書くことも知らなかつた時代に、支那には書物が充満してゐた。    ローマ帝国では、スキピオの時代から蛮人の氾濫まで、多くの書記が使用されてゐた。
   ギリシヤ人は、アミンタス、フイリツプ、アレキサンダーの時代まで、謄写に専念してゐた。特にアレキサンドリアでは、この方法を用ひてゐた。
   この謄写は仲々厄介だつた。商人は常に著述家に金を払はねばならなかつたし、書記はひどい労働をしなければならなかつた。一人の書記が犢皮紙にバイブルを謄写するのに、年中休みなしに書き続けて二年を要したといふ。オリゲンの著作や、アレキサンドリアのクレメントや、その他『父』を呼ばれた凡ての著述家の著作を正確に写すのに書記達はどれだけの時と労力を要したであらう!
   ホレースの詩は、随分長い間知られなかつた。この詩を整理してアテネで謄写したのは、ピシストラツスが最初だ。現世紀より五百年前の話だ。
   今日でも、東洋全体にヴエイダムやゼンドアヴエスタの写本は、恐らく十二とないだらう。
   一七〇〇年のロシヤでは、ブランデイを飲む老人の家に二三冊の聖書とミサルスがある以外には、どこの家を探しても一冊の本もなかつたに違ひない。
   今日では人々は飽食をこぼしてゐるが、読者がこぼすのは可笑しい。方法は容易ではないか。読めと強ひる者は誰もありはしない。著述家がこぼすのは、之と同様に当らない。書物は実に汗手ママ充棟もただならずだが、読む者は極めて少い!若し誰か有益な書物を読まうとすれば、一般人が毎日くりかへしてゐる悲しむべき愚行を見る事になるだらう。
   書物をふやしてならないといふ法則も別に必要ではないが、要するに書物を作るものは書物だ。一つの書物から又他の書物を作るのだ。既刊の数冊から、仏蘭西や西班牙の新しい歴史が生れるが、別に新しい何物も加へてはゐない。辞書は凡て辞書によつて作られる。殆んど凡ての新しい地理書は、以前の地理書の反復だ。聖トーマスの書は、二千冊の大部な神学の書を製造した。母を囓つた小さな虫の一家が、同じくその子供達を囓るのだ。

(「哲學辭典」 ヴオルテール 安谷寛一訳)

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文字の棲む場所

2014年11月13日 | 瓶詰の古本

   おそらく知識そのものには明暗の別がないが、無秩序に集積されかすれ果てた記憶の細片がひとつ所で擦れ合い、不可思議な妖煙の立つときがある。互いに連絡なく堆積された記憶は、温気を孕むうず高いボタ山となって認識の陽光を遮り、魂の隅に小暗い空き地をつくり出す。そこをねぐらと決めた闇心の小鬼どもは、認知の光が届かぬ陰で舞い踊り、始原から伝わる呪詛を舌足らずに呟く。冷たく地べたを穿つ水音の響きとか、沼沢が吐き出す瘴気、時を刻まぬ土偶の眠りとかが魂の奥所を目指してどこやらから還り来たり、空虚の場所を満たすはずだ。ほんの一行の咒文によってこれら全てを須臾にして無に帰すことができるだろうが、咒文は岩のなかに固く封じられている。いずれに安住の処を得るか分からぬままに無用の文字を書き零す者の偏執は、この場所で、いつか永劫の日めくりを一刹那に見ることを願う。
   妄は魍と化し、文字を書く者は凝念の岩となるかも知れない予感に震える。脚によって立つのではなく、たかだか一抹の煩悶によって立つ文字書く者は、空虚の場所を満たすものに導かれて異界の絶景に踏み入れ、文字とともに鋳込められて二度とそこから戻れずに生なき生を長らうことを願う。

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記憶を作る(竹内楠三)

2014年11月11日 | 瓶詰の古本

   元来、記憶といふものは過去の経験に基くのである。だから暗示に依つて過去の経験を一変してしまへば、従つて記憶も一変する訳だ。過去の経験を一変するには、過去の経験に就て全く違つた考を起させるので、即ち過去に関する幻覚を作るのだ。既に幻覚の章に於て述べた如く、幻覚には積極的と消極的との二種類ある。過去の経験に関する幻覚にも亦た此の二通りあるので、全く経験しなかつた事を実際経験したと思ふのは過去の積極的幻覚で実際経験した事を全く経験しなかつたと思ふのは過去の消極的幻覚である。暗示を以て此の二種類の幻覚を起さすことに依つて、被術者の記憶を作ることも出来、又た無くすることも出来る。
   例へば、『君と僕と昨日自転車で横浜へ行つた、君は記憶して居る筈だ』と言ふと、被術者は其の通りに実際横浜へ行つたものと確信して、其れに就いて色々話を始める。此れは暗示に依つて過去の積極的幻覚を起させて本来無い記憶を催眠状態に於て作るのである。
   又た之れと全く反対に、『お前は今朝から朝飯も食べず又た昼飯も食べなかつたのだ』と言ふと、被術者は其の通りに、全く朝から一回も食事をしなかつたものと確信して、其れと同時に甚だしく空腹の感を起すのである。此れは暗示に依つて過去の消極的幻覚を起させて本来ある記憶を全く無くしてしまふのである。

(「催眠術自在」 竹内楠三纂訳)

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とにかく読めれば

2014年11月09日 | 瓶詰の古本

   古本という場合、傷んだ古本であっても読めればよしとされるところから、それはソフトであるとする向きもあろうが、究極的にそれはモノであり、読める限りにおいてその造形の頽落も含めて古本となるものである。古本を求める人間の多くがそうであることとして、全く意に沿わぬところに赤線、青線がやたら引っ張ってあろうと、ページごとにいわく因縁の窺い知れぬ不気味なしみ、アブラが浮き、つきまとっていようと、背中の綴じがゆるゆるに緩んでいたり、開くたびに一冊が二つに割れて泣き別れになったりしようとも、文字が欠けることなく読めるのであれば、モノとして手に触れたい古本であることに変わりはないのである。ついでながら、スレ、カビ、破れで満身創痍の本であればあるほど、わずかな財貨でもって貴重・稀少な文字を得ることができるのも有り難い。

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平明な、煩わしい現実のお化(葛西善蔵)

2014年11月06日 | 瓶詰の古本

   わたしが、今更らしく、自分のことを、自分から悪党だなぞと言つたとしたら、可笑しなもんでせう。それ程の悪党とは自分では思つてゐないとしたところが、他人(ひと)はさうは思やしない。だが、他人がさう思ふ、思はない、それは、それだけのことぢやないか。俺は何故そんなことまでが気になり出したか、そのことのはうが余つ程をかしい。俺の健康が、弱りはじめて来たことに気がついてからも、六七年にはなるんだが、しかし、この頃は、すこし不可ないのかもしれない。さうではない。そんなことはない。自分に力づけて呉れる励ましの声を、自分はいまだに時々聴くことが出来る。自分は、恐らく傷つき、弱り、たゞ狂気――この狂気の運命をさへ、免がれて呉れるならば、自分の生存に対して、これ程のありがたいことはないと、こんな風にまでも思ひ詰めさせられて、来たやうなものだ。他から見れば、誇張とも、錯乱とも言ひやうのない程軽蔑に價ひするものでせう。
   大抵の人の場合がさうであるやうに、栄えて居るだけの人は、すべてにそれだけが備はつてをる。栄えることの出来ないやうな人間は、やはり、それだけの栄えることの出来ない因縁とか、條件とかを持つてゐると思ふ。誰しも栄えたく、明るく健全な生涯をもちたいといふことは、自然な感情であつて、その本能とでも言ふ可きか、その自然の感情のまゝに、いろいろな不利な境遇、不可抗的な事情に向つて、喘ぎつ、踠きつ、少青年時代のよき力を消耗して来たのではないかしら。僕なんかは、今、現前に、さういつた感じを持たされるものだ。語るべく、過去は暗ら過ぎ、現在は苦し過ぎ、そして、明日のことを考へることが出来得ようか。自分は、をかしな言ひ方をするやうだが、また出鱈目ばかし言つて居るのだから、ことわりめいたやうなことを言ふ必要はないのだが、実際、自分は、自分の才能、健康、――さういつたものでは、決して恵まれない人間だと思つたことはない。むしろ、自信を以つて居るはうだ。だもんだから、さういふ後天的といつては何んだけれども、青年後の好いとか悪いとかいふことについては、自分としても当然責任を持てる。だが、僕にも分らない。分つてゐても、支配することの出来ない亡霊と、そして、現実の前では、僕は僕相当に才能の自信がある筈なのが、やはり、不可ない。僕の自信も、あるひは少数の親切な人も、皆な手を引かないわけに行かない。それは、何んといふ奴かは知らないけれども、僕にもおぼろには解るけれども、名前を言ふことは出来ない。この平明な、そして煩はしい現実のお化!……さうとでも言ふ外、仕方がないぢやないか。日日のことは、この通り平明であつて、何んにも間違つてゐやしないし、だが、その営みを平明にやつて行けない過去のことがあつたり、未来のことに心を迷はしたりして、さうした間に、芸術的な気分とか何んとかいふものを求めるといふのも、昔流に言へば、憂(うた)てきことの限りならざらめや。……

(『醉狂者の獨白』 葛西善蔵)

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読まれない言葉

2014年11月04日 | 瓶詰の古本

   読まれない言葉は、重力を失った時空であり、虚空を旅して求められないまま失われていく翼である。おそらく何事かを成すためにそこにあるとする必要すらないものである。しかしだからといって、はじめからそこにあったものではない。なかったものがあるようになる、そのことわり一般は誰も知り得ず、あるにもかかわらずないと同然という現象は、我々が身をもって顕現させているものである。我々のことを読まれない言葉と呼ぶのは奇矯な比喩ではなく、その本質において同根の存在であるからに過ぎない。
   ないものがありとされ、ありながらないという有り様、あるいは、読まれない言葉が書かれることわりは、終に解かれないであろう不可視の存在物質の煩悶から生じる揺らめきそのものなのかも知れない。

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凡胎の子(嘉村礒多)

2014年11月02日 | 瓶詰の古本

   子供が七歳の春、私は余所の女と駈落して漂浪の旅に出、東京に辿りついてさまざまの難儀をしたすゑ、当時文壇の所産になつたF雑誌の外交記者になつた。

     囚はれの醜鳥(しこどり)
     罪の、凡胎の子
     鎖は地をひく、闇をひく。
     白日の、空しき呪ひ‥‥
   酒好きの高ぶつた狂詩人は、斯う口述して私に筆記をさせた。
「先生、凡胎の子――とは何ういふ意味でございませうか?」
   貧弱な徳利一本、猪口一箇を置いた塗りの剥げた茶餉台の前に、褌一つの真裸のまま仰向けに寝ころび、骨と皮に痩せ細つた毛臑の上に片つ方の毛臑を載せて、伸びた口髭をグイグイ引つ張り詩を考へてゐた狂詩人は、私が問ふと矢にはに跳ね起き顎を前方に突き出し脣を尖らせて、
「凡人の子袋から産れたといふことさ。馬の骨とも、牛の骨とも分らん、おいら下司下郎だといふことさ!」
   狂暴な発作かのやうにさう答へた時、充血した詩人の眼には零れさうなほど涙がぎらぎら光つた。と咄嗟に、私にも蒼空の下には飛び出せない我身の永劫遁れられぬ手枷足枷が感じられ、堅い塊りが込み上げて来て咽喉もとが痞へた。

(『途上』 嘉村礒多)

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