ジェラル・ド・ネルヴァルの狂疾は、その発生、鎮静および再発にいかなる生理学的理由が正しく与へられるにしろ、本質的にその幻想家的特質の過剰ではなくて劣弱に、すなはちその想像的エネルギーの不充分と精神的鍛錬の欠乏に負ふものと考へられる。彼は無体系の神秘家であり、彼の「二百巻のバベルの塔」――すなはち、ミランドラのピコの、ムルシウスの、或ひはクサのニコラスの心を喜ばせたいと彼の思つた、あの宗教、科学、星学、歴史、旅行などの本の混合は、まことに彼の言ふやうに「賢者をすら発狂させるに充分」であつた。彼はそれに「何故に狂者を賢者にするのにも充分ではないのか」と附け加へる。しかし、まさしくその理由は、それがかういふ「奇異な蒐集」、叡智がしばしば痴愚であり、痴愚がしばしば叡智であるところの、かういふ危険な秘密の混淆であつたことである。彼はカバラ(ヘブライ密教学)に就いて漠然と語る。カトリック教会とかそのほか何かの組織がさうであつたやうに、彼にとつては、カバラは安心を与へるものであつたのであらう。直感、無識、半真半疑、虚妄の影などの間を、或ひは無頼に或ひは逡巡してよろめきまはつた彼は、相衝突する風によつてあちらこちらへ吹きまくられ、不定の餌食であつたのである。
(「象徴主義の文學」 アーサー・シモンズ 宍戸儀一訳)