美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

瓶詰の古本屋(三十)

2011年04月29日 | 瓶詰の古本屋

   「気分と自分とは勿論別者さ。知識と自分とが別者なのと同じだ。もっと言わせてもらえば、記憶と自分とは別者よ。仮に、地上とは記憶にほかならずと詩人が呟いたとしてもだ。ましてや、集合的無意識なんぞと呼ばれている重宝な思い付きとは縁も所縁もないのさ。しかしな、話は飛ぶが、おれは最近、千年とか億年とかいった長さの時間ってものが、何かひどく身近に、とても懐かしく感じられるんだ。十年、二十年といった、人間の生まれて死ぬまでの須臾の間、歳月として数えられる時間は、逆に遠くて抽象的なものとしか感じられないんだ。千年、万年、億年の時間の流れの中に立っている自分の姿が、一番現実的で、生々しく心に感応されて来るんだ。その流れのすべてに行き渡るように時間に沿ってどこまでも伸長し、薄く薄く拡がりつつある存在が、本来元々にあった自分の姿じゃないかと思えるんだ。」
   さっきから体がだるい。今何時頃だろう。まだ九時を回ることはないはずだが。それにしても、あの河原の光景は記憶の一片には違いないのだから、つまりは、自分の一部になってしまっているのだろうか。それとも、堤の上で暗闇とともに世界に溶け合ったものも自分ではないのだとすると、その懐かしい自分とやらはどこで眠りこけているのだろうか。

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瓶詰の古本屋(二十九)

2011年04月23日 | 瓶詰の古本屋

   「そりゃ、いままで生きて来た途次途次でお馴染みになつた気分が、順繰りにまたやって来て、それでこれからの日々が生起し消滅して行くなんてことを得心できる理性はないだろうね。人はよく、なにが起きるか分からない、どんな災厄が身に降りかかるか分かったものじゃないと言ったりするけれど、本当は、どんな気分によって未来の自分が小突き回されるか分からないと言うべきだ。この辞書の中にある訳語で言うなら、天体の雰囲気ってものに限りはないだから。勿論、だからどうしたという話じゃない。ただ、生きて来た分だけたくさんの気分に馴染んでいるとしても、それで生き方を他人に説けるようには仕上がらないという他愛もない話に過ぎない。そうした色々な気分の覆い被さって重なり合っている底の底に、懐かしい自分というものが横たわっていたりする。時々の気分に翻弄され自分自身に向かって驚いたり、脅えたり、歓喜したりして見せていながら、あるいは、驚天動地の出来事に襲われ未来への気分を根こそぎ奪い尽くされていながらも、絶対に変わらない懐かしい自分というものがいるような気がする。それが一体どこに由来しているのか、一人一人に別々にあるものなのかどうか、いくら考えたって分からない。」
   「ふむ。」
  古仙洞は相槌とも、溜息ともつかぬ声を洩らした。
   「しかしさ、そう考えてみると、今まで自分だ自分だと思っていたものは、案外その時々に、どこか得体の知れないところから落ち掛かって来た気分の様々な相に過ぎなくて、自分ってものはどっかほかにいるのかも知れんということかな。」

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瓶詰の古本屋(二十八)

2011年04月16日 | 瓶詰の古本屋

   「懐かしい自分って。そう、記憶の中にある小さい頃の自分ってのは、誰にもあるんでしょうね。」
   「それは、懐かしい世界のことではあっても、懐かしい自分のことではないでしょう。別に幼い時分のことを言っているのではないんですよ。」
   ぼくは、分かっているのだろうか。ここに、こうやって須川や古仙洞相手に話をしているぼくという人間に、何が分かっているのだろうか。
   仮に、ぼくにとって懐かしい自分があるとしても、そのものに出会うということがないとすれば、意味のない自分であることに変わりはないのだ。ぼくは、目の前の熟語完成英和大辞典という文字を、心の中で繰り返しなぞっていた。舵を失った難破船が、遙かな岸辺を願って呪文を唱えるように。
   「人間の味わう気分には限りがあるもんかな。例えば、おれは五十を少し超えたところにいるが、およそこの歳までに実感して来た気分のありったけが、これらが、おれの味わい尽くすことのできる全ての気分とは言えない。まだまだ思いも寄らない、びっくり仰天するような気分に呑み込まれる瞬間が、この先に待っていると考えた方が自然なんだろう。」

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瓶詰の古本屋(二十七)

2011年04月09日 | 瓶詰の古本屋

   「いいよ、いいよ。そんなことをくどくどと考えるのは、ちっとも可笑しなことじゃない。健全な体が考えることとして、烏滸の沙汰とは言うまい。ところで、降って来るって、どこから何が降って来るんだね。まさかとは思うが、例えば、恥ずかしながら誰ぞへの天職の告知とかだったりして。
   金や女のしくじりで本当に進退谷まったっつうことで、人から隠れた陋巷に逃げ込むなんていうのは、話の上でだけだろうが、なかなか夢見心地のスリルな感じだわさ。そんな味のある泥濘、おれも一度ははまってみたいもんだ。それだったら、迷うも迷わないもないもん。
   なあ、思い込み次第では女と天職は同じ言葉なのかも知れないぜ。そいつのためにそれまでの自分を全部放擲できるものって考えると、ほかには思いつかないよ。もちろん双方とも、おれにとって毫も縁がないってことのみならずな。」
   須川は厚手の本を片手に持ったまま、帳場にやって来ると茶碗を持ち上げた。手にしている本の背には茶紙が貼られ、毛筆で『大正八年 熟語完成英和大辞典』と書かれた辞書の名前が読み取れる。
   「懐かしい町というのはあるいはどこかにありそうだが、懐かしい自分てものがあると思いますか、あなたは。」

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瓶詰の古本屋(二十六)

2011年04月02日 | 瓶詰の古本屋

   「まったく、どこへ行ってもお茶しか出さない。まあ、ここいらの風土的無意識ということでとりあえず。須川さんもさ。」
  体を斜めに傾けて腕を伸ばし、一口茶を啜る。はじめて喉が渇いていたことに気がついた。そのまま、茶碗を置かずに飲み干した。
   「この町は余りにも見所がなさ過ぎるからさ、旅先には選んじゃいけない土地よ。盆地の窪みに蟠って熱い番茶を飲みたいってな奇特な趣味でもあれば、そりゃあ、いっくらでも堪能させてあげるんだが。」
   「このまますり鉢の底で、いついつまでもお茶を飲み続けるのは全然悪かないと思います。小さくなって、南画の中に嵌め込まれているようだし。」
   言っているそばから、また注ぎ足してくれる。
   「当て所ないまま在郷の駅に降り立ってみたとかかい。ついでに古本でも探しして。」
   「そんな不埒な気まぐれ、できることならしてみたい。あいにく身分が違いました。単に根が臆病者だから、あれ、前へ足を動かすにはどうすればいいんだっけか、突如として解らなくなってしまった挙句のことなんです。そうなると後は一途で、どことは知らない、だから猶更に懐かしい町がきっとあって、そこに足を置いてみたら目先を開くものが降って来るかと。言ってみれば妄想に身投げをしたんですね。手応えがあるはずの予感に反して、降って来る気配なんぞ露ほどもありません。」

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