美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

あやしきことを耳にきくとも(貝原益軒)

2009年04月30日 | 瓶詰の古本

   あやしきことを耳にきくとも、目に見ざることの、たしかならざるをば、口にいふべからず。必ず、虚説多し。人のみだりにかたりつたふる神変奇怪なることを、我も亦、かたれば、世につたはりて、人をまよはすこと多し。おろかなる人は、聞くことにまよひて、いつはりを信じやすし。すべて、あやしきことは、かたるべからず。たしかに見たることにも、心目の病によりて、あやしきことみゆ。又、あやしとみゆることも、ゆゑありて、あやしからざることおほし。     

(貝原益軒)

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買った本(2009.04.26)

2009年04月27日 | 瓶詰の古本

   「綜合漢和辞典」(小柳司氣太著 昭和十五年)
   「大和俗訓」(貝原益軒 石川謙校訂 昭和五十二年)

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ひとつのことから見えたTVの頭の中身

2009年04月26日 | 瓶詰の古本

   地上デジタル放送の推進・旗振役を仰せつかった人物が、身を以て訴える結果になったのは、真率な生活感覚やおおらかな平衡感覚を欠如した神経で造り上げられているTV放送というものの頭の中身をば、先ずなんとかしろよということのようだ。電波の有効活用云々に苦慮している以上は、それほどに貴重な電波を占有使用させるに耐えられる中身かどうかを、あらためて検証し直すのが先決だろうと。
   少なくとも、まともめかした話材を取り扱うにしては、当今制作・供給されているTV放送の内実が、有限稀少な電波資源を再編してまで守らなければならない程度に成育しているか否かを問う契機になれば、この騒ぎを騒いだ効用はあった訳だ。

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「大人として恥ずかしい」などという詫びようはない

2009年04月25日 | 瓶詰の古本

   件のタレントが記者会見で、「大人として恥ずかしい」と謝罪したと報じられているが、そもそも子供が酔っぱらって裸になって騒ぐか。大人だからこそ、時に酔っぱらって醜態を晒すこともあるんだろうに。大人だからこそ、酔っぱらって馬鹿なこともしでかしながら日々に仕事をして行くんだろうに。
   一体、どこのどいつが言わせているんだか。こんな妄語・綺語を聞いて育った子供等がどんな大人になって行くのかと思うと、ぞっとする。
   「イメージが売りもののタレントとして恥ずかしい」と当たり前を言ってくれたら、呑んだくれの心が更に騒ぐこともなかったのだ。

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酔っぱらうのが犯罪ならば、酒を禁じなければ筋は通らない

2009年04月25日 | 瓶詰の古本

   人に危害を及ぼさずとも、酔っぱらって醜態をさらすことをもって犯罪であると大騒ぎするならば、先ず酒類一般については、禁止薬物と同じく所持、販売、使用(飲酒)を禁じることを提唱するのが道理というものだ。酔っぱらって良い気分になっている最中の人間に、したり顔して勤務時間中と変わらぬ判断・緊張を求めるなど、頭の中がどうかしているのはそんな慮外を求める方に決まっているだろう。言うも愚かなことだ。
   法令、法規の外で、長い歳月を重ねて許されること、許されないことを大きな懐の中で判別してきた生活と文化は、他人のしくじりや望みを逐一注視しては謗り、砕くことで日々の喜びとする心性に取って代わられ、そうした心性に取り入って更にやり玉を高く挙げては、劣なる心情を掻き立てて不健全な喜びに相ともにまみれようとする同伴報道の前で崩れ落ちて行く。
   某週刊誌を引き合いに出すのも申し訳ないが、さんざん他人の落ち度を読者への幸せ便として毎週送り届けて商売して来たのに、いざとなって自身の落ち度への検証記事の見出しが「・・・はこうして騙された」とは何ともはや、これらの心性ってどこかで通底していて無自覚に励まし合っているようだ。「他人に厳しく自分に甘い」スタイルも稀には逆説として通じることがあるかも知れないが、今や、同調か同情かを問わず、「他人が他人から厳しく指弾されるのを見物するのが自分にとって一番の甘味料」というのが常識のようだ。病いに罹って正気を失った常識があったとすればの話だが。

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酔っぱらいを重大事件として報道する酔っぱらい以下

2009年04月24日 | 瓶詰の古本

   一タレントに過ぎない人物の、酔っぱらいにならいくらでも見かける珍しくもなんともない月並みな醜態を、夜の九時開幕から大々的に報道するセンスっていうものは、どう考えても報じている御本人達が一番泥酔しているとしか思えない。何故ああまでしたり顔をして、日本の酔っぱらいのほとんどがひょっとしたらおれでもやりかねねえとつぶやく程度の与太話を肴に、いかにも重大ニュースでございと話に花を咲かせることができるのか、腑に落ちない。
   裸で騒ぐざまよりも、そっちの方がよっぽど恥ずかしいことだという感覚はないのだろうか。居酒屋で呑んだくれ、柿臭い息を吐いておだをあげているおじんの聖なるひとくさりと比べるだけでもけがらわしい、はるかに低級な精神の呆けた寝相だと悟らないのだろうか。
   まともらしい顔をして、何をどう語ろうとしているのか、さっぱり分からない。酒を飲まずに公園で裸になったら、これは異常だろう。薬物を服んで裸になったら、これは犯罪になるのかも知れない。酒を飲んで車を運転したら、これは許すべからざる犯罪だ。酒を飲んで裸で騒いだら、これを取り上げるになんと呼ぶのか。同じ一日に世の中で起こっていた、これ以外の多くの大切なことを押しのけて一番に報道すべき大事件と呼ぶとでも言って胸を張るのだろうか。それとも、外に意図があっての得意の目眩ましニュースと呼ぶとでも言って陰でこっそり舌を出すのだろうか。
   事件の主役となった人物にはそれとしてのイメージが作られていたのだろうが、タレントである限り表層見せかけの人格を観覧して愛でているとは誰もが承知の上の約束事のはずなので、それが綻ぶことなどざらにあることだろうに、的外れに深刻ぶったキャスターやら取材を受ける路上の庶人やら、そのかまととぶりは演技としたら醜悪無残だ。
   TVの中でのタレント某の振る舞いからは偽善的な臭いが少なからず漂ってきたが、本人の素顔はまともな神経の持ち主、酒を飲んだら酔っぱらうというただ者なのかも知れない。タレントとしてのイメージは素顔と全く関係ないので、別段見直したという訳ではない。

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偶然は実在するが、「意味ある偶然」があるか否かは誰にも分からない

2009年04月23日 | 瓶詰の古本

   「意味ある偶然」の実在を裏付けるような歴史的大事件があった訳ではない。実験の繰り返しも論理の放縦も、その存在あるいは非存在を証明し得るものではない。ただし、ラマルクの獲得形質遺伝説と相通ずる魅力、あって欲しいと人に希求させる魔力があることだけは確からしい。意味あるとする観察が、意味あって欲しいと願う心性と通じ合っているとするならば、記憶の蔵舎に累々と取り残され積み上げられた事象の中からは、呼応の声が無数に聞こえてくるに違いない。
   遭遇確率の数学的な吟味を傍に置いてでもその実在に執着して止まない心性、奇蹟的な出来事に跪拝したいとする願望に抗えない人間通有の心性がそこに横たわっているのか、あるいは、相感応する心性が備わっているからこそそうした事象の呼応の裏に共時性を探知し得るのか。それはとりあえず断定できないと言うしかない。
  

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吾々は何者なりしや(レーリッヒ)

2009年04月22日 | 瓶詰の古本

   マヤ-Maya-の賢者達は碑記を遺してゐる。それは三千年の昔のもので、翻訳すれば斯く書かれてゐる。
   『汝等また向後に於て再び吾々に顔を合わす者共よ!。若し汝等思考することを知る人間ならば、「吾々は何者なりしや」の問を受けることにしよう。
 -(だが然し)それに就いて先ず黎明に訊ねよ、森に訊ねよ、波に訊ねよ、暴風に訊ねよ、愛に訊ねよ、地に訊ねよ!。-悩みに満ち溢れたる衆望ある地に。
   -「吾々は何者なるか」
   -「吾々は地である」と。』
   曾て古代人がその死の迫るを感じた際、実に静謐に思念したのである。即ち
「余は憩ひへの足を進めてゐる」と。 
   吾々は今その時代彼等がどんな風に話してゐたかを知る由もない。然し彼等は美の用語に於て思念してゐたのである。

(「美と慧知の生活」 ロオリッヒ 竹内逸訳)              

 

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買った本(2009.04.18)

2009年04月19日 | 瓶詰の古本

   「近松世話物全集(上・下)」(藤井乙男解説編輯 昭和三年)

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買った本(2009.04.16)

2009年04月17日 | 瓶詰の古本

   「ビッグバン危うし」(ジョン・ボスロウ著 青木薫訳 平成六年)

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買った本(2009.04.15)

2009年04月16日 | 瓶詰の古本

   「ハックルベリー・フィンの冒険(上・下)」(マーク・トウェイン作 西田実訳 平成十三年)

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息吹は渡る

2009年04月15日 | 瓶詰の古本

   或る日、夢に荒野から生まれた息吹となることがあった。気持ちの良い速度と稀なる甘美とを身にまとい、人々の未だ知らない土地、土地を、あるいは時間の隅々を訪れる。砂ぼこり舞い上がる路を通り過ぎようと身構える一台のバスが突然立ち止まって、もう動かない。山の頂から一気に駆け降りた菜の花のそよぎは、永久運動の振り子となって揺らぎ続ける。額縁に仕舞い込まれた古代海妖の風景が息吹の一刷きによって周到に眉を上げ、歴史の滑車はこのちっぽけな領界の中で独りでに軋り始める。

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彗星見(あら)はる(近古史談)

2009年04月13日 | 瓶詰の古本

慶元 [慶長元和] の際、彗星北方に見(あら)はれ、光芒 [ほさき] 漸(やうや)く大也。時に兵革 [戦争をいふ] 僅かに熄み、人心未だ安からず。大乱将に復た作(おこ)らんと訛言す [根無しごとを言ひふらす]。台徳公 [二代将軍秀忠] 之を聞き、笑つて左右に謂つて曰く。一箇の小妖星 [恠しき星] 広漠 [ひろい] の天に見(あら)はる。四方万国孰(た)れか其象(しやう)に膺(あた)らん [災のしるしは何国の災にあたるか]、茫乎として知る可からず。必ず引いて以て己の国の災と為すは、愚にあらざれば則ち陋(らう)也。抑々天意の果して向ふある豈人力の能く避く [のがれる] 可き所ならんや。唯人君其正を順受す [天の正しき命に順ひて之を受ける] べきのみと。既にして彗星稍(やうや)く滅し、百姓安堵故(もと)の如し [以前のとほり]。

(「訳注近古史談」 大槻磐溪 山田愚木訳)

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買った本(20009.04.11)

2009年04月12日 | 瓶詰の古本

   「コペルニク評伝」(山本一清 昭和十八年)

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買った本(2009.04.09)

2009年04月10日 | 瓶詰の古本

   「中世の奇蹟と幻想」(渡邊昌美 平成十一年)
   「世界の論争・ビッグバンはあったか」(近藤陽次 平成十二年)

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