美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

誰もが『憂い顔の騎士』になれるわけではない(セルバンテス)

2019年06月24日 | 瓶詰の古本

 サンチョーは、主人の口の中をのぞいてみて、
「前歯は一本もござりませんわい。奥歯は、下には二本と半分残つておりますが、上は一本もなく、まるでつるつるでございます。」
と、いいました。
「それは大へんじや。今の魔法つかいに、歯という歯を、みな、盗られてしまつたか。」
 ドン・キホーテがひどく沈んだ様子をしたので、サンチョーは、鞍袋の中から、何かとりだして食べさせでもしようと、馬の尻をさぐりましたが、その袋は、けさ、宿屋の亭主におさえられているので、影も形もありませんでした。
「なに、あの鞍袋が紛失したのか?それでは、もう食べ物が何一つなくなつたわけだな。」
「はい。そういうことになりますな。」
「わしは、何という不運な騎士だろうな。」
 ドン・キホーテは、ひどくふさぎこんでしまいましたが、サンチョーは、それをなぐさめて、
「早く、どこか宿屋でもさがしだして、一服することにしましよう。ねえ、『憂い顔の騎士』さま。」
と、いいました。ドン・キホーテは、それをききとがめて、
「『憂い顔の騎士』とは、たれのことだ?」
と、たずねました。
「旦那さまのことでござりますがな。さつきの御様子をみると、つい、そう呼びたくなりましたので。」
 すると、ドン・キホーテは、たちまち機嫌を直しました。
「『憂い顔の騎士』とは、よくつけた。総体、騎士たるものは、みな、きわだつた名前をもつているものだ。『剣の騎士』とか、『キリンの騎士』とか、『鳳凰の騎士』とか、『ハゲ鷹の騎士』とか、『死の騎士』とかな。そういう名前で後世に知られているのだが、『憂い顔の騎士』とは、わしにうつてつけの名で、大いに気に入つた。さつそく、わしの楯には、非常に浮かぬ様子をした顔を描かせることといたそう。」

(「ドン・キホーテ」 セルバンテス原作 仁科春彦編)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀座の鋪道を漫歩する銀ブラ都人士(綱島定治)

2019年06月15日 | 瓶詰の古本

 銀ブラの語で名高い銀座は東京の盛り場といつたら直ぐ念頭に浮ぶ最もモダンなスマートな商業地域であり又享楽街である。西は数寄屋河岸東は三十間堀、南は新橋河岸北は京橋河岸の四つの流れに囲まれた地域でこれを大銀座と呼び、京橋と新橋との二つの橋の間に銀座の本通りが一丁目から八丁目まで、西側にまた西一丁目から西八丁目まである。
 銀座といふ名の起りは今の銀座二丁目の辺に江戸時代に『銀座』即銀貨鋳造所があつたので、それがこの辺一般の地名となり、遂に昭和の大銀座とまで出世したのである。柳並木も一時プラタナスと変つたが四、五年前昔恋しい銀座の柳に立戻つた。現在の銀座には興行物としてはシネマ銀座があるのみで、この点は浅草や大阪の道頓堀と異るところである。しかし、銀座を挟んで築地に歌舞伎・東劇・演舞場があり丸の内に帝劇・松竹座・日本劇場があり、日比谷に東宝劇場・有楽座・日比谷劇場が出来て、全く劇場街にて包囲された形である。
 銀座・銀ブラ・夜店と直ぐ観念が結付くやうに銀座の夜店は名高い。寧ろ夜店あつて銀座が大きくなつた観がある。銀ブラ都人士は銀座の鋪道を漫歩することを目的として出て来るのである。かくて銀座のペーヴメントは東京第一の漫歩道となつた。天気のよい日は昼間も人出が多いが、士曜ママの夜の七時頃から十時頃までは最も雑踏する。表銀座から西銀座に軒並といひ度ひ位な夥しい数の喫茶店、カフエー、バー、おでん、菓子等の食ひ物、飲物店が、所謂銀座マンや銀ブラマンによつて立ち行くのだから全く驚嘆の外はない。
 買物街としての銀座は最もモダーンである。銀座の店舗は小売商人で、銀座に出て来る人を顧客としてゐる。統行ママのトツプは常に此処のシヨーウインドーに輝いてゐる。スマートな銀ブラマンが流行の尖端を歩んでゐる。大震災後、こゝを目がけて大資本を擁する百貨店の銀座進出となつたことは特記せねばならない。まづ松屋は震災の直後焼残りの銀座ビル一階に日用品を売出し、十四年に現在のアラビヤ式大建築に花々しく開店した。松屋につゞいて松坂屋は六丁目に、三越は四丁目に昭和五年開業した。又、地下鉄は地下街にストアーを出した。この百貨店の出現は銀座の小売商人に対し少なからぬ脅威となつてゐる。
 併しそれにも増して著しい銀座の特色は享楽気分と食道楽とであらう。喫茶に、不二屋、オリンピツク、銀座コンパル、ジヤーマンベーカリー、コロンバン、日本料理に花月・松本楼・銀茶寮・銀食・西洋料理に風月・エーワン・天ぷらの天金・はし善、うなぎの竹葉、鳥のすずめ・だるま、牛の松喜・小料理の赤あんどん・銀たこ・山下・鹿鳴館・樽平、すしの幸すし・蛇の目、しる粉に若松・梅月其他がある。しかし享楽的銀座の随一はカフエーとバーの全盛にあらう。表通りは勿論、西通りにまで全区を挙げて一大食味街、また享楽街と化したことである。大きな処ではサロン春・銀座パレス・銀座会館・クロネコ・グランド銀座・マル・赤王等があり、小カフエー、小料理、喫茶は裏通りに密集してカフエー群をなしてゐる。

(「大東京史蹟名勝地誌」 綱島定治)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

騎士道物語中で一番美しいもの(今井登志喜)

2019年06月01日 | 瓶詰の古本

 確かにセルヴァンテスはこのドン=キホーテという狂える老人が演ずる滑稽な騎士の行為をさまざまに諷刺することによって、没落しつつある古い時代(封建社会)に止めを刺そうとしたのであろう。当時は初期資本主義の勃興に伴う経済上の変動につれて、中世の封建社会に勢力を持っていた貴族階級、とりわけ騎士階級が崩壊没落の運命にあったのであるが、彼等の中には、新時代の現実に適応して行くこともせず、その能力もなく、徒らに昔の夢をなつかしみ、過ぎ去った社会、政治の制度や組織を回復維持しようと、時代錯誤的な空想に耽るものも少くはなかったのである。また人々の間にも、時代おくれの騎士道物語を耽読するものも多かった。従ってセルヴァンテス自身もその序文にしたためている。「この書は終始一貫、騎士道小説に対する嘲罵である。」と。
 かくて最初はドン=キホーテは専ら諷刺の眼で見られていたのであるが、作者の筆の進むうちに、読者が読んで行くうちに、主人公の滑稽な方面ばかりでなく、自ら悪と信ずるものと戦って身命を顧みないドン=キホーテの高貴な理想主義をしまいには笑えなくなってくるのである。たとえ時代錯誤で非常識ではあっても、真実と信じたことを実現するためには、あらゆる困苦に堪え、生命をもなげうち、常に理想に熱するこの純情と真情、若者の情熱と幻想を抱き、老人たることを自覚せず、最後に至るまで、周囲の現実には無関心な老騎士の心情、これらがひとにもたらす感動は、笑いと共に涙を誘うのではあるまいか。こゝに作者の意図がどうであろうと、ドン=キホーテという一性格が永遠の生命を得て立ち現れて来るのである。セルヴァンテスは騎士道を亡ぼすために、騎士道物語中で一番美しいもの、最後にして最大のものを書いてしまったのである。想像の湧き上るがままに、他人の悲しみや苦しみに同情するがままに、あらゆる眼前の現実を無視して無謀な行為を敢て行い、いささかもためらわぬ実行的性格。そしていかなる場合にも、底知れぬ程善良で楽天的な理想家。
 しかもこの物語が創造したのはドン=キホーテのみではない。従者サンチョ=パンザも他の一つの特異な性格であろう。彼は主人公と同じ村の百姓で、ドン=キホーテがやがて攻め取るべき島の太守にしてもらう約束で、旅に従うのだが、彼は知らず識らずの間に、その現実的で低俗な言葉で、ドン=キホーテの幻影をいつでも打ち壊してしまう。ドン=キホーテがいつも失敗しながらしかも永遠に希望を失わぬ理想家とすれば、サンチョはこの理想家を嘲笑し、これを利用しようと企てながら、却ってその善意にひきずられ、これを敬愛し、その駆使に甘んぜざるを得ない実際家を表わすものではあるまいか。
 かくてセルヴァンテスの天才は、その時代の潮流に棹さしながら、ドン=キホーテとサンチョ=パンザという永久に不滅の人間のタイプを創造したのである。最高の文芸作品が常にそうであるように。

(「世界史概説」 今井登志喜監修)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする