美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

一緒に戯れ可愛がっている魚にかかった針金を外してくれたと、池の白蓮から恩返しをもらった男(田中貢太郎)

2024年08月31日 | 瓶詰の古本

 橋のまはりの池の中には、瓦斯燈の燈を受けて白や紅の蓮の花が青絹を地にして咲いてゐるのが見える。遠くの暗い水の中には附近の人家の燈火が錦のだんだらを織つてゐる。其の蓮の花も池の水も、これまでに鼎の見た花でも水でもなかつた。それは気品と云ふよりは神秘の影の縹渺としてゐるものであつた。
「此処よ」
 二人は電燈のほつかりと点いたこぎれいな家の前に来てゐた。鼎は辯天堂の傍に一軒の料理屋があることは知つてゐるが、さうした家は知らないので不審した。
「入りませう」
 女が入つて往くので鼎も其のまま入つた。二人の小女が出て来て一行を右の方の室へ案内した。其処は六畳ばかりの奥まつた室で、紅い燈が静に点いて、室の真中に食卓をおき、正面の平床には淡彩のある画の軸をかけ、下の花瓶に女郎花のやうな花を活けてあるのが見られた。
「お坐りなさいよ、私も坐りますわ」
 鼎は白昼飲んだ酒の醉が出たやうでぼうとなつてゐた。其の鼎の眼に小女の酒や肴を運んで来るのが見えた。
「さあ、お酌いたしませう、おあがりなさいよ」
 鼎は云はれるままに酒を飲んだ。女の白い顔は近くにあつたり遠くにあつたりした。
「踊りませう」
 女はほつそりした白い姿が蓮の花の動くやうに見える時があつた。
「あなたは、さつき私の可愛がつてる子供の面倒を見てくださつたわ、ね、私はそれが嬉しいので、あなたにお礼にあがりましたわ、でも、これがお眼にかかる最後ですわ、あなたは、私と別れたなら、何の汽車でも好いから、すぐ其の汽車に乗つて旅に出てくださいね、忘れてはいけないのですよ、すぐですよ、そして、一月か二月の後には、私の変つた姿をお眼にかけますわ」
 女と話してゐた鼎は何かの拍子に驚いて眼をさました。そして、鼎は驚いた。彼は朝の上野駅の待合室に腰をかけてゐた。鼎は其のとき私と別れたら何の汽車でも好いから、すぐそれに乗つて旅に出てくれと云つた女の詞をはつきりと浮べた。と、急に旅行がしてみたくなつたので、其の時発車しようとしてゐる青森行の汽車に乗つて、水戸の友人の許へ往つた。
 其の日は九月一日の大地震の日であつた。鼎は清島町の住居を心配したが、どうすることもできないので、瀧野川にゐる友人の許へ手紙を出して置くと、一箇月目に返事があつて、其の家が地震に潰れた上に焼けたことや、婆やは田舎へ帰つたと云ふことを書き、同時に仕事のあることも書いてあつたので、十月になつて東京へ帰り、ひとまづ友人の許に落ちついて焼跡を彼方此方と見て歩いた。まづ不忍池畔へ往つたところで、彼の鳥屋が焼け残つてゐるので、ちよと寄つて挨拶をしようと思つて、辯天堂の入口になつた石橋の傍まで往つたところで、ふと、地震の前夜のことを思ひだして、解けない謎を解かうとした。と、橋の左側の水の中がむくむくと動いて、鯉であらう三四匹の魚が浮いて来たが、其の魚といつしよに白い人間の腕のやうな物がひらひらと見えて来た。それは大きな白蓮の花弁の一つであつた。地震の翌日の火事の火に蓮の花の皆散つてしまつた不忍池に、其の時蓮の花弁のあるのは不思議であつた。鼎はふと謎の女の私の変つた姿をお目にかけますと云つた詞を思ひだした。見ると其の花弁の一方は、藍色の山女のやうな魚がくはへてゐた。

(『蟲採り』 田中貢太郎)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

口達者で学業成績抜群の優越的知能は人を思いやる善心と全く因果関係がないので、私利欲心に知能をふりしぼる厚顔無恥の優越者は平然と現実の破滅をもたらす(桐生悠々)

2024年08月28日 | 瓶詰の古本

 ローゼンベルグはいふまでもなく、ナチス的世界観の建設者であつて、その形成と深化との為に、最初から、闘争の第一線に立つた人である。だから、ドイツの全体主義を批判するには、先づ彼の思想を分析しなければならない。
 彼はその著「理念の形成」に於て、「霊魂的に打建てられた人種学」を以て、ナチス的世界観中、特に優位を占むるものとなし、人種即霊魂、霊魂即人種であるといひ、又その著「二十世紀の神話」に於て「魂は内面から見た人種に外ならぬ、そして逆に、人種は魂の外面にある、人種魂を生き返らせるには、その最高価値を認識し、そしてその支配の下に他の諸価値のそれぞれの有機的地位――国家、芸術、及び宗教の地位――を指定する謂である。新しい生命の神話から、新しい人間類型を創造する。これが我々の世紀の任務であると言つてゐる。ドイツがしかく残忍にもユダア人を圧迫しつゝあるのは、怪しむに足らない。なぜなら、全体主義そのものは人種学であり、従つて人種偏見に陥つてゐるからである。
 尚こゝに注意しなければならないのは、ローゼンベルグはヱツクバルトの神秘主義から出発してゐることである。ヱツクバルトによれば「人間は自由であり、又あらゆる彼の善行の破壊すべからざる、うち克たれ難き主人であるべきはずである」だが、彼は人間のこの自由をヒユーマニズムにまで拡張しない。この自由なるべき人間、自由なるべき魂を以て、「霊魂の火花」によつて、自己の内部に於て、神と合一されるべきものとした。言ひかへれば、自由なる魂とは、霊魂と神との神秘的な合一、霊魂自身の深き内面に於ける神の神秘的な直感を意味する。一言にしていへば、神かゝりのものである。ローゼンベルグはヱツクバルトのこの神秘主義を生物学的、有機体説的に発展せしむることによつて、即ちゲルマン民族的な「自由」の概念に到達した。自由とは種への拘束の謂であつて、この事のみが最高可能なる発展を保証し得るのであると言つてゐる。全体主義が人間としての自由を拘束して、ゲルマン民族にしての自由のみを放縦に発展せしめてゐるのは怪しむに足らない。
 かく分析し来ると、ナチスの自由哲学は血の信仰、血の宗教である。第一に、それは哲学科学でなくて、血の宗教であり、第二に、それは全体人間の部分でしかあり得ない種族(人種)の魂を最高全体者となすものだから、それは却つて非全体主義であるといはねばならない。
 ヱツクバルトの神秘主義の復活は、現代に於ける非合理主義の、特にドイツに於けるその旺盛なることを物語つてゐる。だが、これは他の国に強いられるべき思想ではなく、又他国も遽に取つて以て、己の思想とすべきものではない。否、それどころではない。これはまた北方的ゲルマン的・ヨーロツパ的・人種のいはゞ先天的なる優越性を説くものとして、アジア及びアジア人に対して敵対的のポーズを示してゐるものである。ヨーロツパ的・ゲルマン的のものに対しては、アジア的なるものは一切悪であり、アジアの文化の劣等性はアジアの本性、アジアの血に基く永遠の宿命であるといふことになる。(昭和十三年十二月)

(「畜生道の地球」 桐生悠々)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繊細に過ぎる内心を叩き伏せようと、豪傑小説に流れる図太い超越思想を倦まず力説した人(芥川龍之介)

2024年08月24日 | 瓶詰の古本

 水滸傳らしい――と云つただけでは、十分に意味が通じないかも知れない。一体水滸傳と云ふ小説は、日本には馬琴の八犬傳を始め、神稻水滸傳とか、本朝水滸傳とか、いろいろ類作が現れてゐる。が、水滸傳らしい心もちは、そのいづれにも写されてゐない。ぢや「水滸傳らしい」とは何かと云へば、或支那思想の閃きである。天罡地煞一百八人の豪傑は、馬琴などの考へてゐたやうに、忠臣義士の一団ぢやない。寧数の上から云へば、無頼漢の結社である。しかし彼等を糾合した力は、悪を愛する心ぢやない。確武松の言葉だつたと思ふが、豪傑の士の愛するものは、放火殺人だと云ふのがある。が、これは厳密に云へば、放火殺人を愛すべくんば、豪傑たるべしと云ふのである。いや、もう一層丁寧に云へば、既に豪傑の士たる以上、区区たる放火殺人の如きは、問題にならぬと云ふのである。つまり彼等の間には、善悪を脚下に蹂躪すべき、豪傑の意識が流れてゐる。模範的軍人たる林冲も、専門的博徒たる白勝も、この心を持つてゐる限り、正に兄弟だつたと云つても好い。この心――云はば一種の超道徳思想は、独り彼等の心ばかりぢやない。古往今来支那人の胸には、少くとも日本人に比べると、遥に深い根を張つた、等閑に出来ない心である。天下は一人の天下にあらずと云ふが、さう云ふ事を云ふ連中は、唯昏君一人の天下にあらずと云ふのに過ぎない。実は皆肚の中では、昏君一人の天下の代りに彼等即ち豪傑一人の天下にしようと云ふのである。もう一つその証拠を挙げれば、英雄頭を回らせば、即ち神仙と云ふ言葉がある。神仙は勿論悪人でもなければ、同時に又善人でもない。善悪の彼岸に棚引いた、霞ばかり食ふ人間である。放火殺人を意としない豪傑は、確にこの点では一回頭すると、神仙の仲間にはいつてしまふ。もし譃だと思ふ人は、試みにニイチエを開いて見るが好い。毒薬を用ゐるツアラトストラは、即ちシイザア・ボルヂアである。水滸傳は武松が虎を殺したり、李逵が鉞を振廻したり、燕青が相撲をとつたりするから、万人に愛読されるんぢやない。あの中に磅礴した、図太い豪傑の心もちが、直に読む者を醉はしめるのである。……

(『江南游記』 芥川龍之介)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝、目が覚める時

2024年08月21日 | 瓶詰の古本

 夢が次第に薄れて行く半睡半醒の淡い時間、夢の中でせっかく心通じ合い親しく交感した人(達)と二度と再び会えなくなるという、索漠とした悲愁が濃く厚く胸にひろがる。幼児のように腕を掴まれ、夢から追い払われる余りな遣る瀬なさに打ちひしがれながら、いつまでも夢の中に居残りたいと霞みがかる記憶の余映に取り縋る。
 直面する別離の悲しみは過去のものではない。幾度となく襲って来た過去の悲しみはみんな流れ去ってしまっているから、過去のものであるはずがない。かと言って、その別離が未来で待つものの前触れであるはずもない。予知・予感は虚仮に等しく、未来と何の関わりないお遊びにほかならない。たとえ自分に与えられた過去や未来があるとして、これほどに痛切な悲しみを孕んだ別れはないだろうに。
 現実はとりもなおさず希薄扁平に出来上がっていて、そこで起こる偶然だとか必然だとかいう眉唾な現象は喋々するまでもない、はかない独り合点に過ぎない。こうした現象(と見えるもの)は、智慧の生噛りによる安物の神秘主義みたいなものだ。出来事が過去から未来へ一糸一筋に連なっているものであるとするならば、そこにおいて、偶然、必然を区別して何か魅惑的な彩りが添えられるとでも言うのだろうか。いっそ、夢の世界におけるように、論理の整合に束縛されることのない、緩急自在に可逆的跳躍的世界の方が清々しくも懐かしく、温かくも親しみやすい現実そのものなのではないか。
 夢の覚め際の別離の悲しみが底知れず痛切なのは、過去や未来の現実とは別のところからやって来るものとしたら、ひょっとして収まりがつくような気もする。
 夢とは、限りなく美しい喜怒哀楽に人をたっぷり浸しておきながら、あたたかい情感をいきなり断ち切り、我一人だけがそこから無体に引っ剥がされる痛苦を与え、幻覚として括れない実在が目の前以外にもあることを暗示するものとも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

口達者な才子が学業成績抜きん出てどれほど偉くなろうと、豚的幸福は我が身のことと感知し得る正気が有るか無いかは全く別の話(夏目漱石)

2024年08月17日 | 瓶詰の古本

 「ハヽヽヽ夫れぢや刑事の悪口はやめにしやう。然し君刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至つては、驚かざるを得んよ」
 「誰が泥棒を尊敬したい」
 「君がしたのさ」
 「僕が泥棒に近付きがあるもんか」
 「あるもんかつて君は泥棒に御辞儀をしたぢやないか」
 「いつ?」
 「たつた今平身低頭したぢやないか」
 「馬鹿あ云つてら、あれは刑事だね」
 「刑事があんななりをするものか」
 「刑事だからあんななりをするんぢやないか」
 「頑固だな」
 「君こそ頑固だ」
 「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなに懐手なんかして、突立て居るものかね」
 「刑事だつて懐手をしないとは限るまい」
 「さう猛烈にやつて来ては恐れ入るがね。君が御辞儀をする間あいつは始終あの儘で立つて居たのだぜ」
 「刑事だから其位の事はあるかも知れんさ」
 「どうも自信家だな。いくら云つても聞かないね」
 「聞かないさ。君は口先許りで泥棒だ泥棒だと云つてる丈で、其泥棒が這入る所を見届けた訳ぢやないんだから。たゞさう思つて独りで強情を張つてるんだ」
 迷亭も是に於て到底済度すべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず黙つて仕舞つた。主人は久し振りで迷亭を凹ましたと思つて大得意である。迷亭から見ると主人の価値は強情を張つた丈下落した積りであるが、主人から云ふと強情を張つた丈迷亭よりえらくなつたのである。世の中にはこんな頓珍漢な事はまゝある。強情さへ張り通せば勝つた気で居るうちに、当人の人物としての相場は遥かに下落して仕舞ふ。不思議な事に頑固の本人は死ぬ迄自分は面目を施こした積りかなにかで、其時以後人が軽蔑して相手にして呉れないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのださうだ。

(「吾輩は猫である」 夏目漱石)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父や母を想い生きて還る者、還らぬ者の間は紙一重もない(火野葦平)

2024年08月14日 | 瓶詰の古本

 ビルマから復員してきた高山三郎の歓迎会に、私もよばれた。私は一升びんと魚をさげていつた。
 うすぎたない松野町の陋屋は、その夜は、よろこびにかがやいて、かつてない豪奢なうたげの準備がすすめられてゐた。
「戦地では、お父はんとお母はんのことが忘れられんでな」
 復員軍人に特有な、うれしげな、さびしげな、当惑したやうな、ほうとした表情で、父に似た細面の三郎は、ぽつりぽつりと話すのであつた。
「激戦のときにや、なんぺんでも、死ぬ目に会うた。そんなときにや、持つとつたお父はんとお母はんの写真のことがすぐ気になつて、ポケツトから汗でよごれた写真をとりだして、地に埋めた。そんあとで、どうやら命びろひすると、また惜しうなつて、写真を掘りだした。そんなことが三四度あつた。そんたびによごれてな……、」
 こんなになつたと、大切にしてゐた一枚の写真を出した。
「ほう、そげえ、心配したかのう」
 タキは涙ぐんできいた。東作も胸がせまり、自分にはこんな悪い女房でも、やつぱり息子にとつては大切な母親なのだと、すばらしい発見をしたやうな顔をした。
「もうひとつ、お父はんが、出征のときとくべつに打つてくれた小刀、大事にもつとつたが、これは切れものぢやから、取られた」
 このごろ、また馬車を一台買つたといふ西作がきて、腐つたやうな赤鼻をなでなで、
「今夜は腰がぬけるまで飲まうで、南方に行つたもんな、たいそう酒がつようなつとるちゆうから、久かたぶりで太刀うちぢや」
 甥の肩をどんとたたき、腹をゆすつてわらつた。
 三郎はしづかなまなざしで、私の方をむいて、こんな話をした。
「博多からあがつたんです。コレラがはやつとるとかで、四日も沖にとめられて、ぢれつたかつたんですが、やつとあがれました。大濱の築港にあがると、あすこから呉服町の方にまつすぐに広い鋪装道路がつづいてゐるでせう。あのひろびろとした白い道路がたいへん美しくみえて、ああやつと日本へかへつたと、涙がでました。片倉ビルの高い建物を目標にして、駅の方に歩いてゆきました。復員の姿はだれもおなじで、乞食のやうな恰好です。暑い陽が照つてゐました。すると、私はそのひろい道路に向ふむきにしやがんで、なにかをひろつてゐる十くらゐの男の子にきづいたのです。なにをしとるかとききますと、どうせ、戦災孤兒かなんかでせう。可愛いい顔をあげて、もつたいないから米をひろつてゐるのだといひます。気がつきますと、左手に米粒をためてゐます。みると、その子供のしやがんでゐる足もとから、ずつと片倉ビルの方へ、一直線に、白い紐をひつぱつたやうに、米粒がならんでつづいてゐます。きつと、トラックか荷車かなんかが、こぼして行つたんですね。それを子供が一粒づつひろつてゐるんです。それをみると、私はまた鼻がつんとしてきましたが、なにか重かつた足どりが急にかるくなつたやうな気がしました」
 夏の日の鋪道を一直線につづいてゐる白い米の線、それをこつこつとひろふ孤兒、それをぢつと見てたたずんでゐる復員の兵隊、私の眼のまへに、その情景がはつきりとうかび、この兵隊が結婚することにきまつたといふ、久留米の在にゐるといふ先代肥後守の孫娘のことを思つた。

(『小刀肥後守』 火野葦平)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒の虫(加賀淳子)

2024年08月10日 | 瓶詰の古本

 漢詩を読むと、しばしば「一杯の酒」とか「美酒」という語に接する。
 はては「揚子江ほどの酒を呑みほす」などという垂涎万丈式の文句がとび出してくる。壮大華麗、まるで酔ったような気分になる。
 さて、その揚子江で思い出すのは、昔春秋の時代のこと、史上に有名な越王勾践が呉の夫差を討伐した時のこと、
 ある者が干飯を一袋持ってきて捧げた。勾践は止むなく一袋の米を数万の軍兵に分配した。感泣した士卒らは数人で一粒の干飯をくだき割って、越王の厚意にむくいた。
 その後、ある者が戦勝を祝って、勾践に美酒を一樽プレゼントした。
 勾践はこの美酒を、戦塵にまみれた愛する部下にわけてやりたいと思った。しかし酒は一樽、部下は数万。どう分配のしようもない有様。
 しばらく思案していた彼は、部下を呼びよせて言った。
「貰った樽の酒は、かのとうとうたる揚子江に流せ」
「あの祝い酒を!」
「そうだ、将卒数万、われともどもに揚子江の水を飲んで戦勝を祝おう」
 ――支那のこういう逸話には、どことなく空とぼけた雄大なおもむきがある。
 酒といえば、私の脳裡にまっさきに浮かぶのは、かならず芥川の「酒虫」という短編である。有名な出世作の「鼻」と一連の皮肉な作品だが、劉という大酒呑みが登場する。
 (――長山では屈指の素封家の一人であるこの男の道楽は、酒を呑む一方で、朝からほとんど盃を離したということがない。それも「独酌するごとに、すなわち一甕を尽す」というのだから、人並はずれた酒量である。)
 この酒呑みの劉が、ある見知らぬ蛮僧にこうきかれた。「あなたでしょうな、酒が好きなのは?」「そうです」「あなたは珍しい病にかかって居られる。それを御承知ですか?」
 劉は頑健で病気などしたことがないので不思議な顔をする。
「酒をのまれても酔いますまいな」と更に坊主がいう。坊主のいう通り、劉はいくら呑んでも酔ったことがない。
 坊主は薄笑いを浮かべて、
「それが病の証拠です。腹中に酒虫がいるのです。それをのぞかないと、この病いはなおりません」
 そこで劉は、坊主に教えられた通り、炎天素っ裸となると、細引きをかけられて地面にころがされた。
 焼けるような夏の日ざかりに甲羅を干しているのだから劉はノドがひからびて目まいがしてくる。そのトタン劉のノドに蚯蚓ともヤモリとも知れぬ妙なものが這いあがってきた。しまいには鯰か何かのようにスルリと口から外へ飛び出した。
 その虫は坊主の横に置いてある素焼の酒瓶の中にポチャリと落ちこんだ。
 劉は「出ましたかな」と呻くようにいいながら瓶の方にいざりよった。瓶の中には肉色をした三寸ばかりの山椒魚に似た虫が、酒の中を泳いでいる。口も眼もある。泳ぎながら酒を呑んでいるらしい。劉はそれを見ると、急に胸がわるくなった、というのである。
 劉はその日以来、酒がメッキリ弱くなり、しまいには香を嗅ぐのも嫌になった。しかし、これには皮肉な結末がついている。
 大地主で恰幅のよかった劉は、段々やせて健康を害し、次第に家運もかたむき、しまいには自分から鍬鋤を取らねばならぬような身分に落ちぶれた。
 この結末は、私達に、人生についての、色々な面白い興趣と教訓とを与えないではおかない。

(「歴史の謎」 加賀淳子)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分自身を小説に投影するを良しとする作家は、ドン・キホーテを鑑として滑稽視される運命を尊しとする(太宰治)

2024年08月07日 | 瓶詰の古本

「ピアノが聞えるね。」
 彼は、いよいよキザになる。眼を細めて、遠くのラジオに耳を傾ける。
「あなたにも音楽がわかるの? 音痴みたいな顔をしてゐるけど。」
「ばか、僕の音楽通を知らんな、君は。名曲ならば、一日一ぱいでも聞いてゐたい。」
「あの曲は、何?」
「ショパン。」
 でたらめ。
「へえ? 私は越後獅子かと思つた。」
 音痴同士のトンチンカンな会話。どうも、気持が浮き立たぬので、田島は、すばやく話頭を転ずる。
「君も、しかし、いままで誰かと恋愛した事は、あるだらうね。」
「ばからしい。あなたみたいな淫乱ぢやありませんよ。」
「言葉をつつしんだら、どうだい。ゲスなやつだ。」
 急に不快になつて、さらにウィスキーをがぶりと飲む。こりや、もう駄目かも知れない。しかし、ここで敗退しては、色男としての名誉にかかはる。どうしても、ねばつて成功しなければならぬ。
「恋愛と淫乱とは、根本的にちがひますよ。君は、なんにも知らんらしいね。教へてあげませうかね。」
 自分で言つて、自分でそのいやらしい口調に寒気を覚えた。これは、いかん、少し時刻が早いけど、もう醉ひつぶれた振りをして寝てしまはう。
「ああ、醉つた。すきつぱらに飲んだので、ひどく醉つた。ちよつとここへ寝かせてもらはうか。」
「だめよ!」
 鴉声が蛮声に変つた。
「ばかにしないで! 見えすいてゐますよ。泊りたかつたら、五十万、いや百万円お出し。」
 すべて、失敗である。
「何も、君、そんなに怒る事は無いぢやないか。醉つたから、ここへ、ちよつと、……」
「だめ、だめ、お帰り。」
 キヌ子は立つて、ドアを開け放す。
 田島は窮して、最もぶざまで拙劣な手段、立つていきなりキヌ子に抱きつかうとした。
 グワンと、こぶしで頬を殴られ、田島は、ぎやつといふ甚だ奇怪な悲鳴を挙げた。その瞬間、田島は、十貫を楽々とかつぐキヌ子のあの怪力を思ひ出し、慄然として、
「ゆるしてくれえ。どろぼう!」
 とわけのわからぬ事を叫んで、はだしで廊下に飛び出した。
 キヌ子は落ちついて、ドアをしめる。
 しばらくして、ドアの外で、
「あのう、僕の靴を、すまないけど……それから、ひものやうなものがありましたら、お願ひします。眼鏡のツルがこはれましたから。」
 色男としての歴史に於いて、かつて無かつた大屈辱にはらわたの煮えくりかへるのを覚えつつ、彼はキヌ子から恵まれた赤いテープで、眼鏡をつくろひ、その赤いテープを両耳にかけ、
「ありがたう!」
 ヤケみたいにわめいて、階段を降り、途中階段を踏みはづして、また、ぎやつと言つた。

(「グッド・バイ」 太宰治)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分自身を小説に投影するを良しとする作家は、ドン・キホーテやサンチョ・パンサのように滑稽視される運命を尊しとする(森田草平)

2024年08月03日 | 瓶詰の古本

 滑稽物に重味を附けるために、よくあれは単なる滑稽を主眼としたものでない、世道人心の日に頽廃して行くのを諷刺したものであると云ふやうなことが云はれる。『ドン・キホーテ』も昔からよく諷刺物だと云はれるが、では何を諷刺してゐるかと聞き直して見ると返辞がない。尤も、捜して見れば、この作の中にも当時の風俗や、その外世道人心の軽浮を諷刺したやうな所がないでもない。が、それは部分的であつて、それだからこの作全体が諷刺だとは何うしても云はれない。私は単なる滑稽物だと思つてゐる。そして、滑稽物で差支へないと思つてゐる。単なる悲劇が悲劇で差支へないと同じやうに、単なる滑稽物で差支へる道理がない。要はその滑稽の深いか浅いかである。私は『吾輩は猫である』を単なる滑稽物であると考へてゐると同じやうに、『ドン・キホーテ』も単なる滑稽物だと考へてゐる。そして、『吾輩は猫である』が涙で書かれた滑稽物であると同じやうに、『ドン・キホーテ』も涙で書かれた滑稽物だと考へてゐる。思ふに、セルヷンテスはドン・キホーテに依つて自分で自分を嘲つてゐるのである。自分で自分を鞭打つてゐるのである。成程、著者は時としてあまりに主人公を辛い目に遭はせてゐる、あまりに無慈悲に取扱つてゐる。しかも著者が全篇を通じてこの主人公に同情してゐなかつたとは何うしても考へられない。最後にドン・キホーテを正気に返らせて死なせる所など、惻々として人を動かすものがあるではないか。想ふにセルヷンテス自身も現世の名誉に憧れて土耳古の遠征に従軍して、傷ついて捕虜の身になるなど、千辛万苦を経て、何の報いられる所もなく本国に帰つて来るあたり、一生を顧て自分ながらそのドン・キホーテ振りに苦笑を禁じ得ないものがあると共に、暗然として漫ろに涙を催さゞるを得なかつたのではあるまいか。
 篇中の真面目な恋物語は、その牧歌的叙情詩と共に、概して面白くなかつた。これは一つは訳者が原詩の妙味を解し得ないせゐもあるかも知れないが、兎に角長たらしいばかりで面白くなかつた。訳者に面白くない位だから読者には尚更面白くなからう。が、そんな所を度外しても、『ドン・キホーテ』は永遠に生命のある珍書である、傑作である。
  昭 和 三 年 八 月
                         森 田 草 平しるす

(『ドン・キホーテについて』 森田草平)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする