美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

本を読み破る

2015年09月27日 | 瓶詰の古本

   本を読み破るという言葉があるが、実は、本が人を喰い破るというのが本当なのである。本に喰い破られた人間の残骸が、泥土のような本の堆積となって残るのである。本に喰い破られないためには、本を読まずにいるしかない。人間の態を外れ、古びた本さながらになってくたばるのは真平御免というのであるならば、本と絶縁するに如くはない。巨大な本の群の前で、自らをノーマン(何者でもない)と名乗り上げて危難を避け、そして、身体もろとも抜け殻となった何もののの記憶でもない影となって地上という時を埋めていくのである。
   だからいずれにしても、人を喰い破った本がそこに残っているばかりということになる。本によって覆われた地上の光景が、人の須臾存在したという幽かな名残りとなるのである。

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新秩序論者(堤一郎)

2015年09月20日 | 瓶詰の古本

   内大臣秘書官長として、政界の情報集めに第一歩を踏み出した木戸は、背景が背景だけに情報集めには恵まれていた。しかしこの場合恵まれていたということは正確であることを意味しない。背景を考えてのお為ごかしの売り込み情報が多いからである。それに情報に興味をもつものの常として、自己の識見や判断は貧弱で、耳寄りな話や変つた噂へとツイ引きずられ勝ちとなる。さらにこれが木戸や近衛のような身分となると、積極的に正確なものを集めるのでなく曰く付きのものに余計飛びつく性質をもつ。かれらの人を見る眼の貧しいことは、数々の人事行政の失敗がこれを語つている。
   支那事変が起つてから木戸は、事変の解決を出来るだけ早くに導く為め入閣したという。しかも表面は単なる文相であるが、実質は近衛の相談相手であつたとは自他ともに認めていたところだ。ところが実際は彼れもまた近衛と同様に、新秩序論者であつて、せつかくのトラウトマンによる和平工作をハネつけ、相手にせずに同意してしまつたのであつた。当時の軍部が南北両派にわかれていたことは事実である。しかし少なくとも秩父宮をはじめ参謀本部の多田次長や本間第二部長らが、どんな条件でも即刻和平の道をとるよう進言したことも事実である。もし中国からの回答がおくれても、直ちに『相手にせず』の声明だけはまつてくれと、国力の統計まで示して内閣に訴えたものだが、それに対して木戸らはドイツにしてやられるおそれがあるとして乗り気でなく、その実は和平後の国内の動乱から内閣の危険をおそれてであろうが、とも角杉山陸相らの言を幸いとして和平策を一蹴したのであつた。これが『事変解決の為めのあらゆる努力』とどうして言えようか。

(『“つくられた”木戸日記』 堤一郎)

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恥づべきは自分であって他人ではない

2015年09月13日 | 瓶詰の古本

   過ちを他人の落度に帰着させるような、恥づべき言葉を口にする前に、先ずは自分を言挙げしなければならない。つねに他人を引き合いに出し、引きずり下ろすことによって自己の賛美と正当化に精出す面附きの如何に醜いかを知らない輩のみが、決まって高論卓説を声高に語っては虚しく自らを昂揚させているのだ。これだけは、皆が皆、揃って型にはまり切っているのは哀しい愛嬌と称すべきなのか。
   それは、小さな俗情の鋳型から産み落とされ、なにかひどく凝り固まった歴史観念の呪縛から逃れられない三つ児の魂に端を発している様と思われてならない。所詮は幻影に過ぎないのに、歴史に一齣を刻んだとかいわれて名を遺す幾たりかの人物像に囚われ、先験的な合理や自然の心情に導かれることを忌避する幼い自己愛の発露。そのような自己愛に支配された精神に、人のことを思いやる心など入り込むすきのある訳がない。

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書物の位置(安西冬衛)

2015年09月06日 | 瓶詰の古本

   エレベーターガールのゐないエレベーターの内部の小椅子の上に置いてあつた、高村光太郎の「智恵子抄」。(大阪中央放送局所見)

   特高室の土間に荒縄でひつからげてある発禁書の中にはさまつてゐた、島木健作の「人間の探求」。

   神の木から乗つてきた女専の生徒の持つてゐた「ヘルマンとドロテア」。

   針指しの上に載つてゐる大英百科辞典(ブリタニカ)。(Vol.5 CAN-CUR)

   「昭和十八年六月六日、南海高島屋書籍部にて購入。帰途誤つて泥濘に落し表紙を汚染す。この日、難波-住吉間緩行線に初めて婦人車掌の乗務を見る」と書きこみのある。「セヴイニエ夫人手紙抄」

   「北京年中行事」がバケツに泛いてゐる。茶卓から辷りおちたの也
   バケツにつけてある蓮(はちす)。 
   けふは盂蘭盆だ。

   アルミの弁当箱と一緒に包んで持つて歩いてゐるうちに、擦れ合つて裏表紙に鉛色の天平雲のやうな模様が浮き、自(おの)づと一種の効果をつけてゐる亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」。

(「櫻の實」 安西冬衛)

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