美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(八十二)

2017年03月29日 | 偽書物の話

   黒い本に記された文字は未だに判読を拒んでいるが、黒い本の周辺で眺められた諸々の風景は私の心を捕らえて離さない。机の上に置かれた石塊がその懐に人を擁護したように、私が諸々の風景に鋳込まれているのだとしても、ちっとも不都合なことではない。得体の分からぬなにものかが手を引いて風景の中へ案内してくれたのか、私が好んで風景の呼びかけに靡いて飛び込んで行ったのか。本当は、記憶から消し去られたずっと遠い昔があって、私が覚えていないまま風景の一部となっていたのか。いずれにしても、私にとって辻褄の合わない事態が起きている訳ではないのである。
   水鶏氏に従えば、文字が書物となって語る別世界は、現世界と同等な真実の世界である。今日まで文字を録して累々と遺された書物は、それぞれの内包する別世界を現世界へ付け加えることによって、多彩に真実が煮えたぎる世界を造り上げて来た。書物なくしては、無際限に綾なす人の心が世界に移転し移植され、非現実と親和して豊かに繁茂する現実となることは望むべくもなかったのである。水鶏氏自身はそう説き明かすにとどまらず、自らの体験を拠り所に、書物は文字の桎梏を解き、更なる独自の別世界を吐出すると言う。
   だが、水鶏氏の相手にしている黒い本が語る世界は、文字であれ、書物そのものであれ、不二の表象を反照しているだけかも知れない。黒い本に限っては、二つの別世界を想定しなければならない書物の本性は必要ないのである。万万が一、偽書物なるものであれば猶のこと、二つあるとする別世界各々の相貌に差異があるかは、今のところ誰にも正解を突き止め得ない設問だろう。

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龍馬の落涙、兆民の情熱(小島祐馬)

2017年03月26日 | 瓶詰の古本

   幸徳秋水が嘗て兆民に向つて言つたことがある。「フランス革命は千古の偉業である、然し私はその惨に堪へないものがある」と。すると兆民の言ふに「然り、余は革命党である、然し当時余をしてルヰ十六世の絞首台上に登るを見せしめたならば、余は必ず走つて劊手を撞倒し、王を抱擁して遁れたであらう」と。私は兆民が果して革命党であるかを疑ふ。然し此の情熱あつてこそ始めて革命家たることができるのであると思ふ。
   それについて思ひ出されるは坂本龍馬の逸話である。二條城で大政奉還の決する日、在京の土佐の志士は悉く龍馬の寓居に会し、鶴首して後藤よりの報を待つてゐた。夕刻になつて一封後藤より至り、将軍慶喜が愈々大権を朝廷に還すことに決心したと知らせて来た。万坐之を見て歓声を揚げたが、独り龍馬は異様の態で落涙してゐる様子である。座にあつた中島信行怪しんで其の故を問へば、龍馬答へて「君よく考へてもみよ。何しろ歴世相継いで掌握した政治の大権を、慶喜公の代となつて奉還せねばならないといふことは、公の立場としてはどんなに心苦しいことであらうか。公既に此の決心ある以上、余は今後公の為めに一命を抛つてもその高義に酬いなければならない」といつたといふことである。大政奉還の発案者である龍馬のこの心境は、まさに革命党を以て自任しながらルヰ十六世を断頭台より救うて遁走せんといつた兆民の心境である。

(「中江兆民」 小島祐馬)

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日本主義を説いて矛盾に気がつかない(新渡戸稲造)

2017年03月24日 | 瓶詰の古本

   近頃、よく日本人の中に国粋を説くものがあつて、自分勝手な説を述べる時には、何でも日本主義であると云ひ、これに背けば愛国心が無いとか、日本人でないとか云つて、兎角日本と云ふ言葉が乱用されてゐるやうである。
   先日、或場所で或男が、頻にキリストの攻撃をしてゐた。何でも日本の現今の悪いことのすべては西洋から来てゐる、明治維新までは、決してかゝることは無かつたなどと云つて、妙な例を挙げて得々とやつてゐる。どんな顔をしてゐるか、どんな風采をした男かと思ふと、洋服を着て、頭髪などハイカラにしてゐる。然も議論の折々には英語などを交へて、得意な表情である。随分矛盾してゐるではないか。お互は、さういふ不謹慎は云ひたくない。もう少し真面目に研究し、日本の長所は飽くまでも拡張するが、短所と思はれるところは、どしどし外国の長を採つて補ふやうに心掛けたい。これは、明治の始めの方針でもある。殊にだんだん深く研究すれば、西洋西洋と云つて他人扱ひしてゐたものが、焉んぞ知らん、祖先を共にしてゐたと云ふやうな事実もあるのである。

 (「新渡戸稲造随筆集」 石井満編)

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偽書物の話(八十一)

2017年03月22日 | 偽書物の話

   水鶏氏とは異なり、私は書物に関して衒うに価する知見を何等持たない。今、水鶏氏と対面して言葉を交わしている部屋には書物が満ち溢れているが、これらのうちの一冊一頁でも繙いたことがあると揚言できる自信はない。自信がない裏返しの強がりは口に出すまでもないが、要するに、孜々として稀覯珍奇の書物を蒐集して独孤の蔵書体系を築き上げ、万巻を相互に連絡させ照合して無数の世界像を発掘する営為と、書物とは何ものであるかを執念く解きほぐす行為とは、相容れない(共存し難い)精神作用ではないか。
   文字が集まり書物へと変移して行く過程を凝視し、書物を以って脱皮的な変異の羽化と捉えるのは、素朴な好奇心に根ざした書物への希求と踵を接する精神の作用ではないのではないか。世界の放恣な多層性は書物に宿されると観ずるのは、書物への純粋な愛着心とは不連続に隔たった次元にある精神の作用ではないだろうか。まして、書物が二重の別世界を孕んで羽化していると弁ずるのは、書物を手に取る人を暗々裡に迷宮へと導き入れ、あるかなきか定かでない幾筋もの踏み跡から出口を予言するものである。
   本が好きとは言っても、水鶏氏と私とでは頭に貯えた書物像の量に違いがあり過ぎる。水鶏氏は広大な書物の原にいて、書物の万般を考え尽くそうとしている。私は鄙びた小さな古本の池にいて、書物の象徴の影さえ夢に見たことがない。初めて訪れた水鶏氏の家で、物珍しい書物の群に押し拉がれて座ってはいるが、それらの書物が自ら声を発するとは、もしや囁く気息の微風と陽炎が耳目に達したならいざ知らず、本好きを自認する私でも易々とは肯えない。現にこうしていても、南国の古本屋で出会った黒い本、そこにある読めない文字が私の心を惹きつけて止まないのである。

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アジール(加藤咄堂)

2017年03月20日 | 瓶詰の古本

   中世の欧羅巴にはアジール(Asyle又はAsile)といふものがあつて、罪科を犯したものでも一定の場所に入れると捕へることが出来ないので、それは丁度小児が鬼子ツこをして、或る場所につけば捕へられぬやうなもので、土俗学上既に早く人類生活の上に現はれて居つたのが、中世には寺院の内が其の場所となつて、その処へ入れば捕へられぬといふことになつた。我が国にも遁科屋なぞといふ語があつて、そこへ駆け込めば助けられるといふ風習の存したことは平泉澄博士の「中世に於ける社寺と社会の関係」に於て詳しく研究せられて居るところで、殺生禁断の場所へ逃げ込めば鳥獣も助かるやうに、罪人も此境地に逃げ込めば助かるから、不逞の徒が寺院に駆け込んで、それが僧兵となつて暴れ廻るものの手先となつたのもあらうし、又は真に道を求めて行ひ澄したものもあらうが、兎に角、寺院に入れば助かるといふことが、後に他人に済まないことなぞしたものが、坊主になつて謝るといふやうな風習を生じたのではなからうかと思ふ。薩摩藩では寺入とて島津義弘以来、武士にして軽い罪を犯したものは、之れを寺に入れて僧に就て道を開かしめ、改悛の情あるものは之れを赦すの風があつたといふ。

(「はなしの庫」 加藤咄堂)

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偽書物の話(八十)

2017年03月15日 | 偽書物の話

   一時の感興に舞い上がっていたのでは決してないですが、思考の基底にある書物の像があまりにも骨身に浸潤していたもので、黒い本の書物たり得る出自や属性を洗い直す前段処理が見くびられて、覚えず疎かになっていたのでしょう。ことが書物ありきで出発している論述の扉の前に、書物の資質如何を篩分ける検見台を据えなければならないとは思慮が及びませんでした。つくねんと先入観のぬるま湯に漬かっていたら、急に熱湯が噴いて来たとも言えます。
   書物に紛れ込んで生息する偽書物があるとは、誰が唱えた説か知りませんが、私の頭を一頻り昏迷に落とす麻酔的な妙説でした。果して偽書物なる擬態、仮諦の概念を認めることは合理に沿った周到な態度なのか、偽書物が存在する確実性の切れ端なりをどこに求めたら発見できるのか。すぐに起き直った頭を必死に振り絞ってみましたが、下手の考え休むに似たりを地で行く体たらくです。焦りに追われて闇雲に試行錯誤の投網を打っても、穿った答が即座に引っ掛かってくれる見込みは、限りなくゼロに近いでしょう。
   書物に記された文字(形体)の意味が毛一筋も判読できない場合にあっては、文字が表しているであろう別世界の相貌も又、捕捉可能な埒の外に置かれているのではないかと、あなたは案じておられる。書物と私との関係は、黒い本との極めて限定的な条件下で結ばれたものであるのを見落としてはならず、そこで立ち止まって思考の足元を固め直す必要があることを遠慮がちに喚起されている。好意に満ちたあなたのご示唆は、予断に引かれてのめり勝ちになる私の企図に対する貴重な道標にこそなれ、行き先を塞ぐ抑止柵になるものでは素よりありません。」

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一場の珍事実(蜷川新)

2017年03月12日 | 瓶詰の古本

   伊藤博文は、韓国皇帝に、「南北行幸」という未曾有の行事を勧めた。皇帝は、北方と南方とに、内閣大臣等多数の臣僚を引つれて、汽車によつて巡行した。伊藤は、その行に加つた。伊藤は、何を目的として、このような事を行わしめたのか、私には分らない。二千万の人民に、尊皇心を興さしめる考ではなかつたであらう。明治の初年に、天皇が、全国に行幸せられて、西郷等が扈従したのを想起して、その模倣を行つたものでもあるまいと思われる。私も、その一行に、下級の韓国官吏として随行した。私は、何事にも、深く注意して、観察していた。
   一日大邱の停車場に、一行の汽車が着いた。プラツトホームに、数十人の韓人が、旧式の礼装を附けて整列していた。皇帝を迎えるためであつた。伊藤は、その時に、単身、プラツトホームに降りて来た。そして、ブラブラと歩いていた。私は、礼式官の高氏と、プラツトホームに出て、話していたが、伊藤は、五、六歩離れた所にいた。伊藤は、手を挙げて、「高!一寸来たれ」と云つた。高は、急ぎ伊藤の側に歩いて行つた。二人は、ひそひそと話していたが、高は伊藤と離れて、整列している数十人の韓国旧官吏の前に行つた。そして、朝鮮語で声高らかに演説をやつた。私には何んだか分らない。韓人数十名は、高の演説を聴き了つて、「ニエー」、と丁寧にその首を下げた。それきりで了つた。それで高の話は済んだ。高は、伊藤の側に行つて、一寸挨拶し、私の傍に戻つて来た。私は、「伊藤さんは、何んと云つたのか」と、尋ねて見た。高は、「ここにいる数十人の諸君の中で、伊藤の首を望む人がいるならば、申出でられたい。自分は首を、いつでも差上げる」といつたのだと、私に話した。伊藤は、維新時代の壮士気取で、韓国の保守官吏どもの気を引いて見たのであつた。日本人で、このことを知つているのは、私一人のみである。他に何人も、プラツトホームには、出ていなかつたのである。伊藤統監の前には、日本の官僚は、小さくなつていたのである。私は、そんなことには、関心のない人間であつた。一場の珍事実である。

 (「興亡五十年の内幕」 蜷川新)

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偽書物の話(七十九)

2017年03月08日 | 偽書物の話

   なるべくしてなった流路を無理に付け替えたり曲げたりしても、結句、災厄を大きく広げることになるし、今さら流れの中でみっともなく立ち竦むのは問題外です。わずかなりと流れる先が望めるところに中洲があれば、一旦そこに上がって足元を乾かすのも、案外、一貫作業の途次で省いてならない工程であったりする。念のため付け加えると、前方に陸地を予報する標識杭なぞ立ててありませんから、中洲がどこいら辺で流れを分けて現われるにしろ、最初に流れへ足を浸した者は常に不意を突かれることになります。
   私の描く書物像を無碍に飲み込まれず、怪訝に感じられる節もあるとお聞きしたのはいい潮時です。心許ない運びの足を流れから一回抜いて、休憩かたがた、と言っては失礼ですが、あなたが瞥見した中洲へ上がってみることにしますか。」
   水鶏氏の口調に、決意のほどをうかがわせる風勢は、そよともない。中洲に上がるのは、自省を挟む頃合いと見ての、諧謔めかした喩えと取れる。また、息を整えて心中へ滲み出た潜熱を冷やすための間合いと取れなくもない。腑に落ちない片々の想いは当然水鶏氏に響いているが、幾分か不意打ちを受けた波紋は消えないのだろう。事前に考え抜いてお膳立てされた話し振りではなく、追々考えながら接ぎ穂を探る語り様になっていた。
   「個的経験をとば口にして自在な思議を開こうとする以上は、第三者の眼に代わる客観のカメラを思考過程の辻々に配備し、単に思い込みの勢いに駆られて言葉を滑らしていないか、検知を怠ってはならないと痛感しました。そうでないと、黄昏どきにちらついた幻影を寂しく回顧する炉辺談話と大差ない、駄弁の披露で終わってしまいます。あなたの控えめな質問は、客観の視点をぞんざいに扱っていたきらいがあることを私に教えてくれました。

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ドストエフスキーの一歩一歩(大舘則貞)

2017年03月05日 | 瓶詰の古本

   私はドストエフスキイの世界を病的だとか魔的だとかいふ人には組しない。ドストエフスキイは勿論肉体的には健康ではなかつたし、憑かれたやうな天才ではあつた。だが、ドストエフスキイは『カラマーゾフの兄弟』に到達した人であるから、彼の世界を病的だとも魔的だとも云へないのである。強ひてさう云ひたかつたら、「『貧しき人々』の作者は後のカラマーゾフの兄弟の作者でもあるが其の頃の彼は若かつた」とか、「『悪霊』の作家は後の『カラマーゾフの兄弟』の作者でもあるが、其頃の彼は病的で非常に魔的であつた」といふふうな云ひ方をすべきだと思ふ。
   作家には作品が残る。
   而も、その作品には天才が宿つてゐる。その作者が去つて行つても、その作品は謳はれる値打がある。と云へ、その作家は、自分の脱いた旧套の品定めによつて自分を決められていゝ筈はない。ドストエフスキイは私が寡聞の故かも知れないが、トルストイのやうに、自分の到達したと思つた精神状態の拠点から自分の前創作を否定したとは聞いてゐない。これはおそらくドストエフスキイの到達ぶりが一歩一歩を踏みしめて来た結果によるもので、取消す必要がなかつたからだらうと私には思へる。ドストエフスキイの進み方には実行愛、事実性の足跡がハツキリしてゐる。だから彼の到達は彼自身を非常に驚かせたものではない。驚いたことは驚いたとしても、それは大へんありがたい沁々した感情を伴ふものだつたにちがひない。さういふ感情の彼が十分覚えてもゐないうへに、「あれだけでも書けたのはありがたいことだつた。あゝいふものゝおかげで自分は此処へ来られたのだ」と思へない筈のないそれ以前の諸作品を、無闇に否定する筈はないのである。

 (「ドストエフスキイ小論」 大舘則貞)

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癌をいなすためと称して

2017年03月03日 | 瓶詰の古本

   何もしないで穏やかに(あるいは苦しんで)死んで行くよりは、何事か成し遂げようと志をたて、さあいざ、という状態になった折しも死んで行く方が、恨みが残って生に味わいが添えられるのではないか。そんな考えがふと浮かんで消えないのである。
   身中にある癌をいなすためと称してそんな考えを玩ぶのは、根っこに捨て鉢の心を隠して何周遅れかの夭折を気取った罰当たりと、舌打ちし軽蔑される振る舞いに違いない。しかしそれにしても、癌との道行きを余儀なくされる前だったら絶対に思い及ばぬ、自己陶酔臭芬々の店じまいストーリーなのに、今それがひどく沁々と感じられることが不思議でならない。

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偽書物の話(七十八)

2017年03月01日 | 偽書物の話

   言わずもがなのことを漏らしたかのように、水鶏氏は口を噤んだ。咄嗟を盗んで、私は水鶏氏の率直な表白を額面通りなぞっていた。言葉の意味は一から十まで理解できるが、私の懐くわだかまりを直截に解きほぐすものではない。話はまだ後へ繋がって行くのだろうか。目を開けているのに寝起き同然の私は、めぐりの悪い自前の頭の中から濁り水を一滴残さず掻い出す細心さに欠ける、不用意な人間である。かと言って、会話の運びの中で外れた歯車の役回りを演じていると自ら認めて慙愧する、呑気なお人好しにもなれないのだ。
   水鶏氏は、滑稽な自問自答に忙しい私の呆けた顔へちらっと視線を投げ、ひたいに手を当てて眉間を二、三度小指で掃いた。それから、僅かばかり前言に朱筆を入れる加減で再び口を開いた。
   「そのさなかにこうして、あなたがお訪ね下さった。私は、漸く心に萌した未熟の企図を、よもや人様に広言する了見違いを犯すことはあるまいと心得ていました。他人に突拍子もないと驚かれる妄動の類は、厳に(慎むのではなく)伏しておくのが社会的礼節の初歩の初歩であり、胸の奥に永く封印すべきと弁えるくらいの平衡感覚は備えています。
   さはあれ、黒い本を念頭に置いてあなたとお話を交わすうちに、逸らそう逸らそうとしていた書物像が、しつこく私の舌に上って来るのを止めることができなくなってしまった。剰え、篋底に秘蔵した目論見の核心が蓋を開け、気がつくと顔見世よろしく舌の上で舞い踊っていたとは、思わぬ失態を晒したものです。兎角につけて、ことの発端がこの黒い本であり、あなたが送り主である由縁を鑑みれば、ここまで具に話が及んだのは目に見えぬ必然の手の差し金だったとやり過ごすのが、上手な世知なんでしょうね。

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