美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

此哭声の何なるを知るや(高橋五郎)

2010年02月25日 | 瓶詰の古本

孔子衛国にありて、朝早く興(お)き、顔回その側に侍坐せしに、哭者(なくもの)の其声甚だ哀しげなるを耳にしたれば、『回よ、汝は此哭声の何なるを知るや』と問はれしかば、顔回は直ちに答へて云ふ、『回意(おも)ふに、此の哭声は単に死者の為にする而已(のみ)にあらで、又生別離も之に加はれる者なり』と、即ち其理由として説(とき)出しけらく、『回聞くに、桓山の鳥四子を生み、羽翼既に成りて、将に四方に分飛せんとするや、其母悲鳴して之を送るに、其哀声これに似たる者あり、其の往いて復返らざるが為なり、回竊(ひそ)かに音類を以て之を知る』と。孔子人をやりて慟哭者に問はしめたれば、果して曰へり、『父死し、家貧しければ、子を売りて葬むらんとし、之と長き訣別(わかれ)を為すを哭せし也』と。

(「廿世紀聖書新釈」 高橋五郎)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする