岩波文庫が大体に於いて信頼すべき権威ある翻訳を中核としてゐるといふ事情は、もう一つこの文庫に長所を与へてゐる。それはこの文庫が云はゞ「岩波的観念」に大して支配されてゐないといふことだ。他の岩波出版物は、少くともその選定に於て、今日では決して高級出版物を全面的に代表してゐるとは、考へられない。そこには著しく岩波臭い好みがある。文化が好みに堕す時、もはや対社会的な指導力を失ふ時だ。有態に云つて、最近幾年かの岩波出版物は文化指導的なものだと云ひ切つてしまふことは出来ないのではないかと思ふ。「講座」や「全書」はなる程、日本文化の最高水準を示し指導力の絶大なものだが、併しアカデミックな技術水準だけで、文化水準を測ることは、アカデミシャンの迷信である。私は岩波出版物に於いて、その内容の高さに拘らず、一種低い階級性の感触を有つものだが、古典的な外国文献の翻訳は云はゞ文化の材料のやうなものだから、さういふ欠陥が目だたない。岩波文庫が日本の文化に貢献すること大である所以だ。
(「読書法」 戸坂潤)