美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

平田篤胤の妖魅なるもの(清野謙次)

2015年02月26日 | 瓶詰の古本

   文政十一年になつて平田篤胤は「古今妖魅考」を書いた。寅吉物語が出来て後六年であつた。天保三年に三巻となつて刊行せられたが、巻末広告で見ると元来は五巻で二巻は平田家の内書として刊行せられなかつた。
   篤胤の妖魅なるものは化物(バケモノ)、又は麻我毛能(マガモノ)で「人の霊魂の人につきて異き所行をなし、或は狐狸の類をなす業をし、皆すべてしか言ふなり」と記してをる。そして此書には此部類に関する古代からの文献を述べて神道としての解釈を下して居る。又天狗に就ても論じて居るが寅吉に就て特別に記せる所はない。此書も民俗学史の文献としては役に立つが、考古学史には関係がない。
   篤胤の人となりに就ては傲慢だと云ふ様な悪評もあるが、宣長眞淵の如き大国学者の後を承けた大家丈けに、新生面を開拓するには大努力を要した事と思ふ。篤胤の妖魅考も此努力の現はれの一部であつて心霊、心理、精神の方面までも突進したのは偉とすべきである。
   さて何が故に篤胤は心霊、幽冥界に亙つて迄も真剣に研究したか、これは篤胤の学的傾向を全体的に観察した山田孝雄氏の著書を読むと自然に了解出来る。同氏は単行本「平田篤胤」のニ一〇頁に左の如く述べて居られる。
「篤胤の学は本居の学を継承したるものなりといふことは何人も認めざるは無けれど、本居の学は篤胤のなせる所と必しも一ならず、その最も著しき差は篤胤の学は本居の研究せし方面以外に著しく研究範囲の拡大せられたるにあり、その差の著しき点は暦の研究にあり、易の研究にあり、神仙幽冥界の研究にあり、医道の研究にあり、仏教の研究にあり、儒教の研究にあり、これ等の研究は本居の研究の範囲外にありしものといはざるべからず。而して篤胤はかくの如きもの就きて、それら一家の見と自信とを有したりし(下略)」

(「日本人種論變遷史」 清野謙次)

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曲がれない曲がり角で

2015年02月24日 | 瓶詰の古本

  落ち着き払った曲がり角を、どうにかしても曲がりかねていつまでも佇立していた。知らぬ間に落ちて来た雪は降り積もり、とうとう身動きできなくなってしまった。自業自得の寒さが到底言葉にできない寒さであることを、今更ながらに思い知ったのである。言い訳のできない本物の寒さであることを。

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元来書を読まず(桑原隲蔵)

2015年02月22日 | 瓶詰の古本

始皇帝は知識の源となるべき書籍がなければ、国民は政治に不平を唱へず、国運長久ならんと、さてこそ書籍を焼き棄てたのであるが、書籍が無くなつたとて、不平が絶えるものでない。書籍を焼いた灰のまだ冷え切らぬ中に、山東地方から叛乱が起り、秦は遂に書籍の有無などに無関係な劉邦や項羽の手に滅ぼされた。唐人の詩に「坑灰未冷山東乱。劉項元来不読書」とあるのは、この意を詠じたのである。

(「新制東洋歴史」桑原隲蔵)

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古本に使役されるもの

2015年02月19日 | 瓶詰の古本

   古本を購い蒐める誰しもが、一度は囚われる感懐。古本が自分を使役しているという感懐。ばらばらに散逸していた古本がある意図のもと、適宜な場所を選んで集結するために、この自分は古本によってあごで使われているのではないかという予感。それが、動かし難い事実であると認めざるを得ないとき襲い来る眩暈。
   そもそも、目に見えない古本の志操なくして、狭い部屋を更に狭く更に暗く湿らかすという狂妄の行動に駆られるはずがない。均一台にのめり込み手に何冊もの古本を漁ってほくそ笑んでいる人間は、部屋に帰るたびに呆然として立ち竦む人間と同じであって同じではないのだ。均一台を前にして古本憑きは存在しない虚空に古本を注ぎ入れ、抱えた古本を鞄から取り出す途端にはじめて我に返り、周りから迫り来る実空間たる古本の襞の間を魂が錐揉みしながら落下して行くのを意識する。この日々の繰り返しはいずれ古本の腹中で消化され魂が潰えるまでの人一世の出来事のようでもあるが、実は古本の使役力によって永劫にわたり人世で繰り返される出来事であるのだ。

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耳学問(新渡戸稲造)

2015年02月17日 | 瓶詰の古本

   耳学問と云ふと兎角卑められる。併し僕は、是は大切な、必要なことで、世人に行つて貰ひたいと御勧めしたい。日本人は学問と云へば、学校で先生が切口上か何かで講話するのを、固い冷たい椅子の上で聞くものとばかり想ひ、其他の場合に聞いたことは有益なことでも、活きた実際問題でも、ただ聞き流して、学問とは思はぬらしい。然し慈母の温和な談話も、厳父が冗談交りに語ることも、有益な学問となることが沢山ある。例へば友人から来た内外国の端書でも、其写真と其土地の模様歴史などを記したものを読めば、それが其儘地理歴史の有益な材料となり、頭脳に深く染み込むのである。談笑の間でも食事の折でもよい、此等の散つた知識を集める様にしたい。処が世人は「実際はさうかも知らぬが、書物にはかう出て居る」と云つて書物のみを信じて、折角得られる大切な知識を閑過するものが多い。それ故世人は書物と実際生活(Actual life)とかを結び付けることが出来ぬ。読書人は実際社会の事情に迂となり、実務家は書籍と遠ざかる。英米の学問が実地的であり、学問が実際と結び着けられてあると云ふのは、かう云ふ知識を利用する為であると思ふ。書物にばかりよらずに、も少し耳の学問もして欲しい。かうすれば書物を読んでも面白くなる。読書抔云ふことは、義理では能く読まれるものでない。趣味を有つて面白く読まなければ役に立たぬ。面白く読むことが出来ればその進歩も又著しい。

(「新渡戸稲造随筆集」 石井滿編)

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失うことに耐えられないもの

2015年02月15日 | 瓶詰の古本

   愛が永遠に続くのか、それとも永遠の愛があるのか。そもそも永遠とはなんなのか。あるいは、愛というものは絶える時がないと感覚される至情のことであるかも知れない。いずれにしろ、人はそれを失うことに耐えられない。耐え得るようにできていない。ただ、愛そのものを望むのか、求めるのは愛の対象なのかは、なんだかよく分らない。それなくしては生きる甲斐がないのであれば、人に与えられた感情の中で最も大切な感情、至情であると言うしかないのだ。
   しかもなお、それを失うことを受け入れるしかない生を生きることによって、人智の深奥まで思索された如何なる意味さえも超越したところへ人を引き連れて行ってしまうものだ。ある者は浄化といい、ある者は惑乱といい、あるいは無私、救済と呼ばれるが、どのような名辞を持ち出しても過不足なく名付けられないものだ。

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仙神の住む山、渤海にあり(田中香涯)

2015年02月12日 | 瓶詰の古本

   支那に於ても古くより不老不死の霊薬あることを信じ、この薬を作り出だすことを錬丹と称してゐた。此の霊薬に関する迷想は神仙思想に胚胎せるもので、戦国時代の末葉より不老不死の仙人と仙薬とに関する所説が起つた中にも燕齊の間には神仙説を唱ふる方術の士の現はれて海洋中には仙山があり、其処に神仙が住みて仙薬を有つてゐるから、若しこの仙山に行きて仙薬を取り服食したならば、神仙と同様に不老不死の身となることが出来ると云ふ説を唱出した。周の穆王が八駿の馬に駕して西王母の国に赴き、三千年にして一たび花開き三千年にして一たび実ると云ふ桃を得たといふ神話や、羿の妻の嫦娥が仙薬を偸み取つて之を服用し仙女となつて月に奔つたと云ふ神話なども神仙思想の作り出した者である。
   仙神の住む山が海の中にあると云ふ思想は、『史記』の封禪書に『威宜燕昭より人をして海に入り、蓬莱、方丈、瀛州を求めしむ。此の三神山はその伝に渤海の中にあり。人を去ること遠からず、且つ至らんとすれば即ち船風に引かれて去るを患ふ。蓋し且て至れるものあり、諸の仙人及不死の薬皆こゝに在り。其物禽獣悉く白く、黄金銀を以て宮闕となす云々』とあるが如くで、蓬莱、方丈及び瀛州の三神山が渤海の中にあつて、其処に諸多の仙人があり、不死の薬があると信ぜられてゐた。秦の始皇帝はあの三神山の説に迷はされ、徐福をして童男童女五百人を率ひて海を航し仙薬を蓬莱山に求めしめたのであつた。

(「趣味の大衆科学」 田中香涯)

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ある年の手帳

2015年02月10日 | 瓶詰の古本

3月15日

 芳林堂池袋店7F高野書店にて「幸福」(角川文庫)、「アラビヤンナイト」、「大東京の名所と史蹟」、芳林堂で寺山修司の「不思議図書館」、「幻想図書館」。高田馬場でカツ重を食べて帰る。
 寺山修司は本を持って街へ出る。興味は世界のほころびに集まる。ほころびと見えるところに集まる。政治的なるもの、性事的なるものも、そこにいると正体をあらわすと考えていたかも知れない。

(今から顧みれば、一々が無駄遣いとしか思えない。)

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自省の能の有無は人獣の別(中江兆民)

2015年02月08日 | 瓶詰の古本

自省の能とは、己れが今ま何を為しつゝ有る、何を言ひつゝ有る、何を考へつゝ有るかを自省するの能を言ふので有る
自省の一能の存否、是れ正に精神の健全なると否とを徴す可き証拠で有る、即ち日常の事に徴しても酒人が杯を挙けながら「大変に酔ふた」又は「大醉ひで有る」抔と明言する間は、左程には酔ふては居ない、少くとも自省の能が未だ萎滅しないのを証するもので、決して乱暴狼藉には至らぬので有る、又精神病者が自身に「己れは少し変だな」抔と言ふ中は、矢張酔漢と同じで、未だ自省の能を喪失しない、乃ち全然狂病者とはなつて居ない徴候で有る
吾人は唯此自省の能が有るので、凡そ己れが為したる事の正か不正かを皆自知するので有る、故に正ならば自ら誇りて心に愉快を感じ、不正ならば自ら悔恨するので有る、此点から云へば、道徳と云はず、法律と云はず、凡そ吾人の行為は、未だ他人に知られざる前に、吾人自らが判断を下して、是れは道徳に反する、是れは法律に背くと判断するので有る、故に道徳は、正不正の意象と此自知の能とを基址として建立されたるもので有る、啻に主観的のみならず、客観的に於ても、即ち吾人の独り極めで無く、世人の目にも正不正の別が有て、而して又此自省の一能が有る為めに、正不正の判断が公論と成ることを得て、玆に以て道徳の根底が樹立するので有る
世には此自省の能の極めて微弱な人物が多々あるが、其人は恐らくは世界不幸の極と謂はねばならぬ、縦令ひ身寵貴を極め富貴を累ねても、徒らに瞢々然として世を送りて、人てふものは皆斯くある可き筈だと思つて居る風で過ぎ去る者が、幾何なるか知らぬので有る、是れ皆食ふに味を知らさると一般で、我日本旧華族の大旦那は、大抵此一輩の人物で有る、之に反し設令ひ一箪食一瓢飲でも、時々提醒して、即ち自省の能を使ふて、自己の位地を点検して、所謂俯仰天地に愧ちぬのを以て自ら楽み、所謂採菊東籬下悠然見南山底の境界に優游したならば、其幸福は如何で有るか、自省の能の有無は賢愚の別と云ふよりは殆と人獣の別と云ふても良いので有る、之れ有れば人で、之れ無れば獣で有る、世間如何して獣的人物が多いであらう

(「續一年有半」 中江篤助)

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過去と未来は方向ではない

2015年02月05日 | 瓶詰の古本

   宇宙が膨張するから引力その他の力と時間・空間が生じるのか、それとも、当初から力と時間・空間があったから宇宙が膨張し運動しているのかは未知のことがらなのだろうか。仮に前者の場合には、あらゆること、つまりは起こったこと、起こりつつあること、起こるであろうことは、既に定められていたことになるのではないか。
   一切が終わり尽くした後になってから、「あれがあの人の運命だったのさ。」と結論するのは、まことに正しい。一回こっきりの人の人生は、ことごとく巡り合わせによって左右されていて、こればっかしは、後になってみないことには分らない。そこに働いているであろう、目には見えないが、とにかく運というものによって導かれていることは間違いのないことで、これは後になってはじめて露わになるその人の全貌であり、辿るべくして辿った道筋の余すことない全てであるのだ。
   もう一度繰り返せば、後になってはじめて足跡となって現われる道筋なのであり、だから、人は未来から過去へ向ってその道筋をなぞって歩いているという、誰しも思い浮かべたことのある発想はあながち奇矯なものではない。運命の道筋を辿って行くということからすれば、過去から未来へ進むにしろ、未来から過去へ進むにしろ、そこには微塵の懸隔も生じはしないのだから。ある一定の時日を刻み、人の生き死にをやり過ごして来てみれば、おのずから、そこにある時間と空間のことを運命と呼ぶしかないと気が付かざるを得ないのだ。運命という働きが否定し排除できるものであるとしたら、世界が生じて来、歴史が動いて来た時間と空間とは、一瞬のうちに歯止めなく拡散して消えるかげろうに過ぎないことになる。

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怪を話さば怪至る(松雲処士)

2015年02月03日 | 瓶詰の古本

   昔より人の云ひ伝へし怖ろしき事怪しき事をあつめて百話(ものがたり)すれば、必ず怖ろしき事、怪しき事ありと云へり。百物語には法式あり、月暗き夜、行灯の火を点じ、其の行灯を青き紙にて張り立て、百筋の灯心を点じ、一つの物語に、灯心一筋づゝ引き取りぬれば、座中漸々暗くなり、青き紙の色うつろひて、何となく物凄くなり行くなり。それに語り続くれば、必ず怪しき事、怖ろしき事現はるゝとかや。下京辺の人五人集まり、いざや百話(ものがたり)せんとて、法の如く火を点し、面々皆青き小袖著て、竝み居て語るに六七十に及ぶ。其の時分は臘月(しはす)の始めつ方、風烈しく雪降り、寒きこと日頃に替り、髪の根しむるやうにぞ、ぞとして覚えたり。窗の外に火の光ちらちらとして、蛍の多く飛ぶ如く、幾千万ともなく、終に座中に飛び入りて、丸く集まりて鏡の如く鞠の如く、又別れて碎け散り、変じて白くなり固まりたる形、わたり五尺許りにて、天井につきて畳の上にどうと落ちたる其の音、雷の如くにして消え失せたり。五人ながら俯伏して死に入りけるを、家の内の輩様々に扶け起しければ、甦りて別の事もなかりしとなり。諺に曰く、白日に人を談ずることなかれ、人を談ずれば害を生ず、昏夜に鬼を語る事なかれ、鬼を語れば怪至るとは、此の事なるべしと。此の物語百條に満たずして筆をこゝに止めむ。

(「伽婢子」 松雲処士)

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作家の志と性根

2015年02月01日 | 瓶詰の古本

   志の高い低いと作家であることとはなんの関係もないことである。いや、志のあるなしと作家であることとは。語っている表づらの清々しい言葉が、腹に持っている趣意といくら隔たっていようとも、あるいは、真逆な底意を浸透させるための、目眩ましの方便のつもりであったとしても、そのことをもって作家たることを揺るがす些かの根拠とはなり得ない。
   作家は何をどう書いてもよいのであり、たとえ気がふれるか悪魔に魅入られるかして、あるモラルや信念に惑溺し、ひいては人を洗脳させることを使命と心得て作品をつくったとしても、その故をもって批難されるべき筋合いのものではない。仮にその姿勢を問うのであれば、作品に向かう人間から見て否定相当と思われるそこに現われた作技法と魂のあり様そのものを問わねばならない。どうしてこんなものを書くのかを問うのではなく、書かれたものの深底にある魂のあり様、その性根の現われ方を問わなければならない。

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