美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

俳諧師と博奕うち(上田秋成)

2010年04月30日 | 瓶詰の古本

○むかし、俳諧のすさびありけり。芭蕉翁の奥の細道のあとなつかしく、はるばるのみちのくに下りけり。ある国の守の御城下にて日くれなむとす。一夜あかすべき家もとむれどあらず、思ひつかれたるに、そこに門だちしたる翁のあるに、立ちよりて、ねんごろに宿をもとむれば、翁うち見て、法師は達磨宗なるかと問ふ。いな、さる修行にあらず。芭蕉の翁のながれを学ぶものなるが、松がうらしま、象潟のながめせむとて、はるばると来れるなりと云ふ。おきな声あらヽかにて、何がしどの御下には、俳諧師と博奕うちの宿する者はなきぞと、云ひけるとなり。いかなれば、おなじ列に疎まれけむ。いとあさましくなむ。

(「癇癖談」 上田秋成)

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悪意の矛先

2010年04月28日 | 瓶詰の古本
   なにを求めているかも判らぬまま光の射さぬ海中をもがき泳ぐ魚にも似て、男の精神の運動には、周りの人々の眉を顰めさせる不可解な調子があった。それが自意識のない魚であるならば、むしろ神の叡智を感じ取ったであろうに、なまじいな人間の煮え切らぬ風采、眼光、揺動には精一杯の悪意しか感じ取れなかった。
   片々たる悪意を、ではない。見る者の目を貫き、聞く者の耳を破るに足る尖り切った悪意を、である。毒となる薬でもなければ、薬となる毒でもない。己以外の誰の身をも切り苛むものではない。狂気の一歩手前に立ち竦んだまま退くも進むも許さぬ、自分自身に矛先を向けたとっておきの悪意を、である。
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浮世は夢に似たり(石川雅望)

2010年04月27日 | 瓶詰の古本

   もろこし人の詞に天地は旅のやどりなり 行きかふ月日は旅人の如しといへり さればうまれとうまれたる人 誰かはとこしなへにこのやどりに留り居らむ 浮世は夢に似たり ようなきたからに心をかけて 草まくらたびねのまどよりうかびたる雲をのぞまむはいといとおろかなる心にこそと その夜やどりし山ぶし法師のうちひそみつつ語りたるを聞きて ふかき心のゆゑよしはしらねど げにとめさむるここちこそせられしか

(「都のてぶり」 石川雅望)

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遣り込められる方が悪人とは限らない(夏目漱石)

2010年04月25日 | 瓶詰の古本

  おれの頭はあまりえらくないのだから、何時もなら、相手がかう云ふ巧妙な弁舌を揮へばおやさうかな、それぢや、おれが間違つてたと恐れ入つて引きさがるのだけれども、今夜はさうは行かない。こゝへ来た最初から赤シヤツは何だか虫が好かなかつた。途中で親切な女見た様な男だと思ひ返した事はあるが、それが親切でも何でもなささうなので、反動の結果今ぢや余つ程厭になつて居る。だから先がどれ程うまく論理的に弁論を逞しくしようとも、堂々たる教頭流におれを遣り込めようとも、そんな事は構はない。議論のいゝ人が善人とはきまらない。遣り込められる方が悪人とは限らない。表向は赤シヤツの方が重々尤もだが、表向がいくら立派だつて、腹の中迄惚れさせる訳には行かない、金や威力や理屈で人間の心が買へる者なら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌ひで働くものだ。論法で働くものぢやない。

(「坊つちやん」 夏目漱石)

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気の毒がり(ニーチェ)

2010年04月23日 | 瓶詰の古本

   大切に庇ふことと気の毒がることの中に、何時も私の最大の危険があつた、さうして一切の人間性は大事に庇つてもらひ気の毒がつてもらひたがつてゐる。
   真理(まこと)の調子を低うし、手を真つ黒にし、心を迷ひ狂はせて、そして気の毒がりの小さい嘘をありあまるほど有つて――そのやうにして私は何時も人間の中に住んだ。
   彼等の間に私は仮装して住んでゐた、私が彼等を辛抱出来るやうに私自身を見違へる用意をして、そして、「お前馬鹿! お前は人間を知つてゐない!」と私自身に、自から進んで説き聞かせつつ。
   人間の間に住んでゐると、人間のことは忘れ勝ちだ。一切の人間は前景が多過ぎる――そんなところで遠視・先見の眼が何にならうぞ!
  そして彼等が私を見違へたとき、私といふ馬鹿はそのために私自身をよりも彼等を一層大切にした。私は私自身に対しての冷酷さに馴れ、またしばしば私自身に対してこの他人大事がりの仇討をする。
   毒蝿で刺し通され、多くの「意地悪といふ点滴」で、石が穿たれるやうに、孔だらけにされて私は、彼等の間にゐた。それでも私は私自身に説き聞かせた、「一切の小さいものはその小ささで邪気がない!」
   「善人」と自称してゐる人を格別に私は、毒蝿だと思つた。彼等はこの上ない無邪気のうちに刺しこの上ない無邪気のうちに嘘を言ふ。どうして彼等が私に対して正しくあり得やうぞ!
    善人の間に住んでゐる人に、気の毒がりが虚言を教へる。気の毒がりが一切の自由人に陰惨な空気を作るものだ。善人の陰気はその底が知れないからだ。

(「ツァラトゥストラー」 ニーチェ 登張竹風訳)

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言葉とともに明日を誓う

2010年04月22日 | 瓶詰の古本

   言葉が踏みにじられ蔑ろにされているなかで、言葉を使うということにどんな意味があるのか。伝えるべき何物をも持たない者が、俗情の衣を言葉に着せて、空疎な美辞の舞台に跳梁する。彼等が演じる猪口才な滑稽劇は言葉をがらんどうに枯らし、さながら悪疫のように到るところで言葉の霊性を奪い、人の胸に届く力を言葉から消し去る。
   哀しい滑稽の舞台から言葉を取り戻さない限り、表出を求める精神は沈黙の裡に斃れ、言葉とともに明日を誓う心は声なくくずおれるだろう。
   無論、この文章もまた悪疫の一滴に過ぎないのだが。

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可憐な心の待ち方

2010年04月21日 | 瓶詰の古本
   自己の無謬を誇り、人に信頼を寄せることの出来ない人間に、人を説得することなど出来るわけがない。目立ちたがることしか考えない人間は、自分の欲望にはこの上なく律儀に屈するのだ。人の不幸に限りない関心を抱きつつ、それと意識できぬまま自分一箇の幸せを羅針盤の向かう北極星とする。
 抜きん出た叡智と言葉で修羅場を凌いで来たとする自負心は、安寧な学級会もどきに過ぎない駆け引きをも修羅場と幻視してしまう己の眼の暗さに気がつかない。大多数の可憐な心は、自分一箇の幸せにしがみつく姿をときに省みて、荒涼無残な思いの余り偽悪家を装うこともあるのに、敗残の醜態としてそれを許さない強烈な自己愛は、どこまでも高みへ飛翔するとばかり、天空の障子を蹴破って真っ逆さまな俗情へと往き急ぐ。
   一方、可憐な心はお互いを度し難いと罵り合いながら、いつか降臨に及ぶであろう超人を待ち望んで、口先の浅瀬に遊んで倦むことを知らない。
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口先の浅瀬

2010年04月19日 | 瓶詰の古本

   口先だけの人間なんて、昔から世間に充満していてちっとも珍しい代物ではなかった。周りを見わたせば、そもそも双親ともに口先だらけの人物で、他人に対して親身のある心根など、毛筋ほども持ち合わせていなかった。だから、口先だけの人間を今更責めようとは思わない。この国で、そうでない人間などいるはずがないのだし。
   まさに、これこそがこの国の伝統であり、この国の美風とも言うべき文化なのだ。そうした先祖伝来の庶民の根性を解せぬ付け焼刃のかぶれ者だけが、浅墓な弁口にうつつを抜かし、独りとぐろを巻いて悦に入っているのだ。
   口先だけの浅瀬で生き死にをしていると、精神とか唯一者とか存在とか、なにしろ根源的なことにはなんの重みも感じなくなり、むしろ刹那刹那の一刻がいかに切実であるかが身に沁みて来る。刹那を白々とやり過ごす快感こそが唯一無二の真実だとはっきり見えて来る。昔から、我々はそうやって生きて来たのだ。
   そんな境地にいる人間のことも、たまには考えてみようではないか。

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謙遜の心

2010年04月18日 | 瓶詰の古本

   誰でも例外なく共感するのは、えらそうにしている人間、えらぶっている人間は嫌いだということだ。経験的に、そんな奴に碌な人間がいないということは子供の世間で既に明らかだ。
   さらに、このほかに謙遜ぶった人間というのもいて、えらぶった人間に負けず劣らず浅間しい、いや、それ以上に始末の悪いことをしでかすそうだ。謙遜や含羞を尊ぶ人間は、こうした輩によって、あっという間に滅ぼされてしまうということだ。
   しかし、薄々そうと知りつつ、やすやすと滅ぼされるとしたら、滅ぼされる側の方が悪いに決まっている。分かっていながら、目の前で謙遜や含羞の心を踏み躙らせているとしたら、滅ぼされる人間こそ実に愚かで恥ずべき人間と言うしかない。

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雲井龍雄、剛以て其の身を誤る(渡邊修二郎)

2010年04月17日 | 瓶詰の古本

龍雄を知る者之を評して曰く、龍雄学問該博識見頗る高し、豈に区々徳川回復の孤忠を抱く者ならんや、唯当時天下人心封建の旧夢未だ覚めず、主家を慕ひ徳川を思ふの情甚だ切なり、龍雄此人気を利用して名を佐幕に仮る、是れ容易に決死数百の徒を得たる所以なり、余をして思ふ儘に龍雄を評せしめば斯く謂はん、龍雄の眼中には徳川なく又旧主家なし、其胸中に蟠る所は唯雄略壮図のみ、此大胆なる企望心は薩長の勢焔と衝突して、爰に国事犯なる波瀾を生ぜしに過ぎず、若し龍雄をして其気を屈し栄進の念を生ぜしめば、顕官栄職亦攫取するに難からず而して事此に出でず、剛以て其身を誤る、是れ龍雄の龍雄たる所以なるかと
又龍雄を評する者あり曰く龍雄は放奔粗豪決して欽慕すべきの英雄にあらず、其詩も亦多く露骨に過ぎて含蓄の妙なく、膚浅に失して婉曲の致なく、豪岩余ありて温雅愛すべきの体なし然れども其人其詩と共に血あり骨あり日本男児に愧ぢざるの侠気稜々として其生涯に纏綿せり是れ実に多とすべき所他人の決して企て及ぶべからざる所、後の青年をして多く其詩を愛し兼て其人を追慕巳まざらしむるもの、実に之が為にあらずやと

(「奇傑雲井龍雄」 渡邊修二郎)

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復興都市ブラツ記(その三)(雑誌・黒白)

2010年04月16日 | 瓶詰の古本

復興都市ブラツ記
          
ビリケンはその儘、スタスタと歩るく、背高童子はあまり気乗りのせぬ面持ちで、後から煙草を吹かしながら来て、
『あのな、魚河岸な、ーー此度築地へ引越したらうーー、其処で日本橋の選挙権に非常に影響しやしないかと言つて、候補者が今から眼の色を変へてゐるさうだ』
ビ『それは大丈夫なんだ、震災前同様と云ふ事でやるんだから』
背『それが六ヶ敷いんだ、魚河岸の引越しと同時に此日本橋には、問屋が住んでゐないから、その有権者を探すのに骨が折れるだ』
ビ『そんな事はどうでも宜いなあ、どうせ我々が立候補する訳ぢやなしーーそれよりは、少しくたびれて来たよ、どうだ、十銭奮発して電車に乗らうか』
背『何んだい、意気地のない事を言ふなよ、震災当時を考へろよ、十銭が五十銭でも、乗物なんかありやしないぢやないかーーだからお前なんかは迚も出世しないんだ、咽喉元過ぐれば熱さを忘るつてな』
ビ『生意気な事を言ふなよーーお前は電車賃がないので、そんな事を言ふんだらう』
背『金の事なら相談して呉れーーおい、お前そんなに疲れたんなら、三越の休憩室でも行つて、お茶でも飲みながら少し憩うか』
ビ『馬鹿だね、昔の三越は焼けたんだよ今はな、勧工場になつたんだーー下駄穿きで、ズウート入へるんだ』
背『ウム、それは知らなかつたーー三越も下駄穿きと来ては、浅草公園式に下落したな』
ビ『さうぢやない進歩なんだ、大体文明国人が下駄を穿くと云ふ事が間違つてゐるのだ、昔の三越は一々下駄を脱いだのは、或は過渡期にあつたからだ、ーー故に震災後の三越は、大なる進歩を遂げたるものと考ふべきである』
背『何んだい、お前は三越からいくらか賄賂を貰つたな、ハヽヽヽヽハ』
ビ『一々交ぜ返へす奴だな、ハヽヽヽ』

(「黒白 第七十八号」)

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石塊に繋がるもの

2010年04月14日 | 瓶詰の古本

   道端で訴えかけてくるような石塊を見つけると、ズボンのポケットに次々突っ込まずにはいられなかった。悠久へと連なる乾き切った鉱物は、ことごとくが硬質の世界を象徴するもの、高貴無上に屹立する山嶽を掌に載せる一かけらだった。いくつもの小宇宙で膨れ上がったポケットは、ついには破れて大きな穴が開いてしまう。親から散々に叱られ、庭にぶちまけられても、道々に石塊を拾い、石鹸箱に集め貯えることを止められなかった。
   乾いて内側に固く凝縮しつくそうとするもの。鉱物こそ自分の真の祖先、自分と鉱物を繋ぐ何か血脈めいたものが存在すると、そのときは確かに信じていたはずだ。

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ドグラ・マグラ的細胞論(安富衆輔)

2010年04月13日 | 瓶詰の古本

 人間の身体の発生初期の細胞は、女性の胎宮に於て、雄精細胞及び雌精細胞なる両性の生殖細胞が、交精結合することに依りて、始めて発生したる只一箇の人間の第一細胞から始まるので有る。此の第一細胞は直径僅か三毛余(一分の百分の三)の小なる袋で有るけれども、其内には吾人の生命の主体たる一種の生物が居るので有る。此生物の霊能は偉大なるもので有つて、過去に対しては、地球上に動物の発生以来の歴史を保存して居り、又将来に対しては、其作成す可き身体に於ける、有形無形幾千万種の計画に対する設計を持つて居るので有る。此の第一細胞は自己独立の意思に依りて、先づ二箇に分裂し、各自完全なる細胞となり、更に又分裂して、四箇の完全なる細胞となり、斯の如く八箇十六箇と、次第に分裂して、一箇の細胞集団が出来るので有る。斯く細胞の集団が出来れば、細胞中に分業が起り、細胞の変質が始まり、或ものは神経機官の細胞となり、或ものは呼吸機官の細胞となり、又或ものは営養機官の細胞と為る等、千状万態の分業的変化を開始し、更に益々分裂して、初期の胎児の複雑なる身体を作るので有る。而して総て斯の如き霊妙なる生長は、母体の神経とは何等の聯絡関係なく、又其れより何等の指揮命令を受くること無くして、只母体よりは、営養の供給を受くるのみにして、独立に出来るので有る。斯くの如くにして出来上りたる胎児の身体は、過去十万年に遡る先天的遺伝の計画に基き、一糸紊れず、厘毛の差異なく成り立つものにして、其組織中には吾々の祖先の生物が、経過し来りたる各時代の、生活状態の史跡を歴々として保存して居るので有る。斯の如き偉大なる生物変態の原因を、包蔵して居る所の、人間其他高等動物の、第一細胞の霊覚に関して、吾々は何と想像して然る可きで有るか。之を思へば只茫然として自失するより外は無いので有る。

(「細胞の霊能と教育との関係 心身養成論」 安富衆輔)  

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過ちを飾る(論語)

2010年04月11日 | 瓶詰の古本

○子夏曰。小人之過也必文。

   子夏曰く、小人の過(あやまち)や必ず文(かざ)ると。

   子夏が曰ふには「君子は過を改むるに憚らないけれども、小人は之に反して過を改むるに吝(やぶさか)であるから、過を認めても之を改めない許りか、其の過を人が知るのを恐れて、如何にも尤らしく飾つて、自ら欺き人をも欺き、過の上に過を重ぬるもので、誠に淺間敷いことである」と。

(「修養論語講話」 江口天峰)

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望みごとをする値打ち(ペロー)

2010年04月10日 | 瓶詰の古本

   「えらい事になつてしまつた。然し私には、もう一つだけの願ひ事がきかれる、と云ふわけなんだから、一足飛びに王様にならうと思へば、王様にもなれる。全く、あれを大王妃にして、栄耀栄華をさせてやれば、それに上越す事はあるまい。けれども王妃にしてみたところで、鼻先へ腸詰を、ぶら下げたあの態(ざま)で、玉座に坐つて見ても其が何にならう。フアンシヨンを愈々悲しみに、しづませるばかりだ。かうなつては、フアンシヨンの心持次第にするのが一番よい。
   気味の悪い、この長い鼻の持主で、そのまゝ大王妃になつて見度いか。それとも、もとのまゝの人並な鼻の持主になつて、昔のまゝに樵夫の家内で居てもよいか、一つ家内に、きいてみよう」

   フアンシヨンは、王様のお妃とは、どんなものか、どんなに威勢のよいものか、どんな役徳があるか、よく知つて居りました。そして又王様の位につけば、いつもすまして居なければならない事も、知つて居ました。然し色々と思ひ惑つたあげく、醜い姿で王妃になつて居るよりも、人並な姿で田舎頭巾をかぶつて居る方が、よほどよいやうに思はれました。全く見苦しいとなれば、不承不承にも、人は譲歩してしまふものですね。
   かうして樵夫はいつまでも樵夫でした。王様になつて威張るわけにもまゐりませんでしたし、財布が金貨で一杯になる事もありませんでした。家内の鼻を昔通りにしてやる為めに、たつた一つの最後の願ひを、天にきいていたゞければ、それに上越す仕合せはないので御座いました。切角もらつた力が、何の役にも立ちませんでしたね。
   全くです、心の浅ましい、眼先の見えない、考への浅はかな、気の落ちつかない変り易い人には、望みごとをする値打がありません。たとへ望んでも、その徳が身につかないでせう。そして、さうした人々の中で、何人位が、天から授けられた力を、うまくつかひこなして行くものでせうかね。

(「仏蘭西家庭童話集 第三巻」『馬鹿げた願ひ』 シヤアル・ペロー 長松英一訳)

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