「英和記憶辞典」(佐久間信恭 大正八年) の『緒言』より
(略)
Ⅲ 本書はかう活用することが出来る
(略)
英語を知ればアングロ・サクソン人の思想が分る;如何となれば言語は思想,知識,信仰の結晶,つまり人間の生命そのものと同一物であるからである. 機械的の研究法では到底思想信仰を知ることは出来ないが,語源,発達まで研究すると熱い血が脈々として言語の内に流れて居ること,思想の精髄が言語の奥に深く潜むのを知ることが出来る. 一例を挙げて見やう “can” は昔し「知る」といふ意味で; “may” は「力あり」といふ意味であった. それが今日では「知ることは能ふことなり」で,“can” が「能ふ」といふ意味となり;「力あり,恐くは能はんか」で “may” は「かもしれない」と変化した. 言語発達の跡を見て英人の思想を窺ふことが出来やう. 人気を一身に集めたネルソンがウエストミンスター大寺院に葬られずしてそれより一段下位にあるセント・ポール寺院に葬られしこと. 往年の貧乏文士連が西寺院に葬られしことを思ひ合せたらアングロ・サクソン気質の根の深きに人は驚くであらう. 語源の研究は決して無趣味の仕事ではないのである.
(以下略)
天下に一本しかない本は実は稀書とは言えない。世に二冊は出現する本にこそ、本当の稀書としての資格がある。実際、往昔の東洋某国では古書シンジケートがあり、一方では高価に珍本、稀本を売るとともに、他方で常住その所在を摑んでいて、決まった時期に場合に応じて殺人も辞さずにその本を回収しては、再び売り捌くやり口の商売をしていたとも伝えられる。
「模範漢和辞典」(中山久四郎監修 昭和三十五年)には、平篤胤輯記『日文傳附録・疑字篇』なる資料が、何の前置も説明もなく末尾に附されており、そのまま後書きもなく、忽然奥付紙で終わっている。日本の字書として遺漏なきを期した結果、疑字をも収録したということだろうか。
ともかく、そこに紹介されているところによれば、疑字と言っても、以下の列挙が例示に過ぎない如く、このほかに幾種類も存在しているものらしい。該文字おのおのの形象及び注釈文は移し切れないので省いて、疑字なるものの顔触のみ記事のままに記す(若干の異体字はそのままでない。)。
○日文(ヒフミ) ○上宮太子御壓尺銘 ○十二支 ○同十二支
○神代十干十二支之大事 ○三才文 ○神代四十七言 ○太占之卜
○神代五十音 ○出雲國石窟神代文字 ○數量文字 ○壱岐國石窟文字
○筑後國石窟文字 ○上古之文字 ○神代四十七言(前掲とは別字)
○神代象字傳 ○神躰勸請之御正印 ○大巳貴命之靈句四十七言
○思兼命之靈句四十七言 ○齋部家極秘神名(カムナ) ○宗源道極秘神名(カムナ)
○論語訓 ○天名地鎭(アナイチ) ○土牘秀眞文(ホツマブミ) ○三輪神社額字
○本朝五十音和字 ○和字略畫 ○神字五十韻 ○御笠山傳記
○神代文字二體 ○同 ○神代五十韻字 ○秀眞傳(ホツマツタヘ)
○數名 ○天地字。龍田神號 ○五行假字二體
「徒然草の新解釈」(石沢胖 昭和三十六年)
「電脳文化と漢字のゆくえ」(平凡社編 平成十年)
「経済敗走」(吉川元忠 平成十六年)
ピカソ君、おれはすっかり小さく縮まってしまったよ。まだおれが未開だった時分、おれの周りは朦朧としていて、霧が巻いていたよ。そのせいだろうか、地上に落ちるおれの影は、おれにとっていつも大きく見えた。それから次第に歳月が重なって、その合間には俗気の粉もまぶされると、おれの輪郭は前よりずっとはっきりとして来て、最早、地面には一本の線が引かれているばかりになった。小さくなって、細くなっても、それだけ影が濃密になるならば、かえって取り柄になることもあろうに、影が薄くなってはどうしようもない。
とにかく自覚的であれ、とは誰が言い放った言葉か知らないが、節穴同然の目しか持たずに自分の影を観察していても、それを自覚的と呼ぶことはできやしないだろう。これが自分自身だと安心したり、落胆したりしてみたところで、どっこい実体はまるっきり別なうねりの裏側にもいて、滅多に見えてこない奴もいる。つまりは、落胆の度合が絶望的に浅い。見えてこない奴の息遣いさえ想像できないから、浅いのは当たり前なんだが。ちょっと見の味付け程度の落胆だから、人にも何気なく吹聴できるし、己に向かって面当ての罵詈を浴びせるのも平気の平左なのだ。
しかし、仮に自分の地下王国へ降りて行ける人間だって、そこで見る鏡に映る自分自身がすべての宇宙であり、壮麗に聳える他者の宇宙は、この身を引き寄せようとしても相通ずる路のない遠見の塔でしかない。その点で、地下王国を見出せない人間だからといって救いのなさを感ずることはないし、一方、それはそうでも開き直ることでもないと、こう考えていいだろうか。
夢の中のそいつは、おれの目の前に来ると、二度、三度と自転車の曲乗りをしては、ひどい倒れ方で我が身を痛めつける。まったく倒れ込むためにのみ、たとえば走っている自転車のサドルの上に立ち上がったり、逆向けに後ろの荷台にまたがったりして、挙句の果てにハンドルから無造作に手を離し、路面に体をたたきつける。きまっておれの目の前にやって来て、その様を見せつける。こちらはその度に、黙殺しようとして、つい目を見張ってしまうのだ。
うす暗くて長い廊下を独り歩いている。歩き続けている。肌理の細かい板が固く敷き詰められている。鉱物のように思索的でありながら、触れば冷たくはない。そのあたたかさだけ、足の裏には柔らかく当たる。両側は暗闇に溶けているが、無限に部屋が続いている。
前方には、ぼんやりした明かりが落ちているが、ある隔たりを越えて向こうには、なにが待っているのか分からない。しかも、それは怖さを喚び起こすものではない。言葉に尽くせぬ懐かしさを湿り気のように帯びた、一種のけむりが待っているようだ。
生まれ変わるとは、こんな気分なのだろうか。ひどく静まり返っていて、ちっとも怖くない。かえって、ささやかながらわくわくする廊下歩きだ。どうか、簡単に先が尽きることのないように。
雑誌『黒白』は、夢野久作の父親である杉山茂丸が遺した文章により記憶されるが、発行された当時は、台華社を主宰する大立者杉山茂丸の発信する意見雑誌として広く購読者を獲得していたであろうと推測される。そこには、杉山茂丸の精力的な文章群が数多蓄積されているが、其日庵主のほかに、政界、財界、学会諸方面の識見から義太夫は言うまでもなく落語、講談などを取り揃え、小冊子と言えども高度の総合雑誌たる存在感を漂わせている。
今わずかに手近の目次で確認し得た寄稿者で馴染みあるものとして、濱口雄幸、永井柳太郎、大山郁夫、安部磯雄、井上準之助、鶴見祐輔、武藤山治、渋沢栄一、柳家金語楼、三升家小勝、有馬頼寧、賀川豊彦、辻善之助などの名前が見える。錚々たる名流と言って過言ではない。庵主が自称するような単なる法螺丸ではないと知れる。
因みに、杉山萠圓の名前もあるにはあるものの、ほんの申し訳程度にしか登場していない。別名義での短歌俳句、小説、探訪記事が含まれているのかも知れないが、確認する術がないので漫然と読み流してしまうしかない (一部月刊誌等に再録されたものもあるが。)。
杉山茂丸の著作については、「百魔(正・続)」、「俗戦国策」、「其日庵叢書」等を入手して読むことができるが、その活躍の一翼として月々に発信した雑誌『黒白』についても、あの時代の切片として是非とも全号を復刻してもらいたいものである。
七、八歳の頃、ズボンのポケットが膨らんで破れるくらいに、路で石を拾っては詰め込んでいた。まだ舗装が施工されず、砂埃が舞い雨に泥るむような路なので、いくらでも石ころが転がっていた。掌に載せた小さな石ころは、凝縮し完結した小宇宙そのものであり、また、天然の硬い塊として世の中のべたべたしたものとは対極にあって、塊の中心へ向かい究極の求心力を揮って凝結して行く意志の存在を感じさせるものであった。
目に触れる石ことごとくが貴重な宝物であり、路上は目も眩む宝の山だった。ポケットいっぱいに膨らんだ財宝は、空いた石鹸箱や菓子折に蔵い込んで縁側の廊下に積んでおいたが、ある日邪魔物として庭に放り捨てられてしまった。自分の宝物は人の邪魔物でもあるのだということを、もしかしたらそのときに知ったと書きたいところだが、そんなことを覚えているわけはない。
ただ、未だに鉱物に呼応する文字を見ると、それだけで神秘的かつ厳粛な気分になることができる。昔から先哲、詩人も根源的に語っていることであろうが、なんとも不思議な人間と鉱物との引力を感じることができるのである。
例えば「地学字彙」 (東京地学協会 大正八年) の中にある、こんな文字を見ると。
金剛光澤 異剥橄欖岩 氷晶石 瑪瑙 雪花石膏 錬金術 黒曜岩
紫水晶 塔状石英 蝶形雙晶 猫睛石 洞窟 琺瑯 翠玉 結晶偏倚
異常黒雲母 宇宙開闢論 菫青石 傾斜節理 犬牙石 絹雲母 孔雀銅鑛
「二重人格・地下室の手記」(ドストエーフスキイ作 長島直昭訳 大正九年)
「模範漢和辞典」(中山久四郎監修 昭和三十五年)
ブランデスよりニイチェへ。
コオペンハアゲン、一八八八年四月二十九日。
・・・(略)・・・
貴方が私へ写真を送つてくれないのは不深切である。私は全くのところ、貴方に義務を負はす為めばつかりに私のを送つた。一分か二分の間写真師の前に坐るのは、大して面倒な事でない。而して人は、ある人の風貌に付いて一の観念を有するとき、ずつとより善くその人を知るのである。敬具。
ゲオルグ・ブランデス。
ブランデスよりニイチェへ。
コオペンハアゲン、一八八八年十月二十三日。
・・・(略)・・・
・・・ドストイエフスキイの顔を研究せよ。半ば露西亜の百姓の顔で、半ば犯罪人の人相で、平たい鼻や、神経的に震える目蓋の下の小さな鋭い目や、あの高く秀でた額や、数へがたき苦痛を、底知れぬ憂鬱を、不健康なる体慾を、限りなき憐憫を、熱烈なる嫉妬心を語るところのあの表情的な口元や! あの癲癇性の天才の外貌だけでも、彼の精神を充たすやさしさの流れを、殆ど狂乱に近づく敏感の波を、而して最後に、功名心や無量の努力を、また魂のつまらなさから来る悪意を語ってゐる。
彼の主人公等は、ただに貧しき憐れなる生物 (いきもの) ばかりでなく、また純樸の、敏感の人間で、高貴の心をもった売笑婦で、往々にして幻覚の犠牲者や、天分のある癲癇病者や、狂熱的なる殉教の候補者である -- 恰も、我々が基督教初期の使徒等に於て思ひ当るべきあのタイプなのである。・・・
ゲオルグ・ブランデス。
今日こそは何事かを残そうと思っていたのに、また酒に呑まれて書けなくなってしまったことを自分のために悲しむばかりである。記し残す本を買う遑もなく酒場に直行し、五時間も呑んでいれば、頭は酒びたりになり、その酒の海のなかで言葉も溺れてしまうのである。今は、酒の力の勢いが衰えるのをじっと待つばかりである。猛烈な自己嫌悪がその後訪れるのだが、半日我慢すればやがて消えて行く。それから、おずおずと古本を開くとしよう。
「山田家の人びと②」(いしいひさいち 平成十八年)
「徒然草講話」(沼波瓊音 昭和二十五年)
「ブラウン神父の無知」(チェスタートン著 村崎敏郎訳 昭和三十一年)
酒に呑まれてしまうと、なにも書けなくなる。それは悪いことだろうか、それとも幸せなことだろうか。その渦中、その瞬間は幸せだが、なにも書けないことは後から考えると寂しい気がする。あくまでも、後から考えるとであるが。
『國民字典おくがき (時に大正十一年夏の日 日下部重太郎しるす) 』より
(四) - (い)
この字典の本文に採択した漢字六千三百五十八字は、「実用漢字の根本研究」に詳かに説明してあるとほり、諸種の比較資料にもとづいたものである。 さうして之を正体五千六百五十一字と別体七百七字とに分け、凡そ使用能率の多少によって、その正体字を四等に分けてある。 その各等の字数を百分比にすれば
一等 八〇三字 14パーセント
二等 一三四六字 24 〃
三等 一七九七字 32 〃
四等 一七〇五字 30 〃
常用漢字の字数と云ふのは、見様次第によることで、或は二千字以下とも見られ、或は二千字以上とも見られる。 本書は常用漢字に関する諸説を総括的に見て、高能率から低能率へと四等に分けたのである。 凡そその一二等が高能率で、狭義の常用と見られよう。 もとより、その等級は、不変不動とすべきものでは無い。
百科事典で【田能村竹田】の項を読んでいたら、【タバコ】のところに目が行った。別名おもい草ともわすれ草とも記述してある。
「大辞典」の【オモイグサ (思草)】の項には、次の歌が引いてある。
丹波與作・下 「一わの火縄に火を付て、相合烟管思ひ草、思ひし甲斐も夏の蝉」
わすれ草については特に引用の歌はないが、何にしろそれなりに思い出し、また忘れるためにも煙草はあったようだ。思いがあるからこそ、忘れようとする気になるのだろうか。思うことと忘れることとが一縷を往き来するのも、つらいくせに思わずにはいられない心があるからなのだろうか。
なお、「漢和大辞書」の【煙草】の項には、
秉燭譚「沈穆ガ本草洞筌九巻ニ、煙草、一名ハ相思草、人之ヲ食フトキハ則チ時時思想シテ離ル能ハザルヲ言フナリ」
とある。