美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

少し不便だからと詰まらぬ工夫をするより、しないでいる方がそのものへの敬意となることもある(岡本かの子)

2023年03月29日 | 瓶詰の古本

 淺井の郡司は慈恵僧正の檀家先であつた。ある日仏事を営むとて僧正は郡司の家へ招ぜられた。仏事も滞りなく済んでから、齋(とき)の膳が供されることになつた。
 僧正が膳の上を見ると、煎つた大豆に酢をかけたものが鉢に盛つて載つてゐた。僧正は訊ねた。
「煎大豆になぜ酢などかけるのです」
 郡司は答へた。
「もし酢をかけなければ、煎大豆はつるつる滑つて箸にかゝらないでせう。酢をかけると酢むづかりと云つて、大豆の皮に皺が寄ります。それ、箸ではさみよくなるではありませんか」
 すると僧正は笑つた。
「わたしにはそんな事はどうでも宜いですな。煎豆なら投げたものさへ立派に箸ではさんで受けとめて見せますぞ」
 それは真か嘘かの争ひとなつた。郡司は云つた。
「若しそれが本当なら、わたしはあなたの望みを何なりと叶へてあげませう」
 煎豆は郡司の手から、今日の野球の球のやうに、カーヴしたりドロップしたりして投げられた。僧正の箸は目出度くそれを受け止めること泥鰌に対する鶴の嘴のやうであつた。仕舞には郡司は柚をつぶして、その小粒なぬらぬらした実をさへ投げた。僧正の箸はこれを受け止め損じたが、円座の上に落ち果つる途中でまた発矢と受け止めた。これを見た郡司はしばし息さへ出来なかつた。
 約束によつて僧正は、今まで築き兼ねてゐた東大寺の戒壇を築いて貰ふことになつた。
 戒壇は建つた。その前で僧正は郡司や弟子の群に向つて云つた。
「わしにも退屈な青年時代があつて、あんな大豆の曲止めなどいふつまらぬ稽古に精力を濫費したものだ。しかしつまらぬ事でもその核心に徹通すれば、自づとその功力(くりき)によつて生命の大道を呼び迎へる事が出来る。大豆の曲止めが戒壇を建てさしたのは、何よりの現証ではないか」

(『世に無駄事無し』 岡本かの子)

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異国の夢を運んで来る活字の船の懐かしさ(江戸川乱歩)

2023年03月26日 | 瓶詰の古本

 少年時代の僕を、何が活字へ引きつけてゐたかといふと、それは活字のみの持つ非現実性であつた。活字が描き出してくれる、日常の世界とは全く違つた、何かしら遥かな、異国的な、夢幻の国への深い憧れであつた。
 その頃は、活字を見る度に別の世界を発見した。何といふ驚きであつたらう。『太陽』は少し難し過ぎたし、初めて接したドイルを直ちに理解した訳ではなかつたが、たしかにそれは子供心をビツクリさせるものであつた。又一つの全く新らしい異国の小都会が、そこにあつた。
 同じ父の書斎で、通俗天文学の本を発見して、太陽系そのものが、宇宙の一小部分を占める塵芥に過ぎないことを知り、『光年』といふものの恐ろしさに震へ上り、あんなにも高く見えてゐる雲といふものの、余りの近さに驚き、一生僕の心を曇らした、あの青い影が心臓の上に覆ひかゝつて来たのもその頃であつた。
 又同じ頃に読んだ、ライダー・ハツガード原作、菊池幽芳訳の『二人女王』を忘れることは出来ない。父は別に小説好きではなかつたのだが、本棚の隅にこの本が一冊混つてゐた。子供心にあの名文を忘れかねて、幾度夢に見たことであらう。思ひ出して見ると、天文学といふやうな大きなシヨツクは別として、小説では、僕の小学上級生から中学初年級にかけて、今に忘れぬ感銘を受けた本は、前記押川春浪の『立身膝栗毛』(?)と、このハツガードの『二人女王』と、それから少し後に偶然ぶつかつたコナン・ドイルの『ブリガデイア・ジエラール』の誰かの訳本であつた。(このナポレオン戦争奇談には、古くから熊本謙一郎訳『間一髪』佐藤紅緑訳『老将物語』藤野鉦齋訳『老雄實歴談』などの訳本が出てゐたが、僕の読んだのは藤野氏の訳であつたかと思ふ)『金の鼻眼鏡』は読んでゐたくせに、僕はまだ短篇探偵小説には縁がなかつたのである。その頃文壇では、田山花袋の擡頭期で、『文藝倶樂部』は家で取つてゐたので、『蒲團』その他読まぬではなかつたのだし、又涙香物にはずつと親しんでゐて、『噫無情』『巌窟王』『幽靈塔』などは膏汗を流して耽読もしたのだが、なぜか今考へて見ると、さういふ大きなものの向ふ側に、前記三つの小説が、不思議にクツキリと影を残してゐるのである。
 僕の活字への愛情は段々烈しいものになつて行つた。異国の夢を運んで来る活字の船の懐しさに、僕は活字そのものを自から所有し、それに、他人の夢ではなくて、我が夢を托したい気持に襲はれ始めた。

(『活字と僕と』 江戸川亂歩)

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所作の活溌にして生気あるは此の遊技の特色なり、観者をして覚えず喝采せしむる事多し(正岡子規)

2023年03月24日 | 瓶詰の古本

○ベースボールの攻者 攻者は打者と走者の二種あるのみ。打者は成るべく強き球を打つを目的とすべし。球強ければ坊者の前を通過するとも遮止せらるゝことなし。球の高く揚るは外観美なれども攫まれ易し。走者は身軽にいでたち、敵の手の下をくゞりて基に達すること必要なり。危険なる場合には基に達する二間許り前より身を倒して辷り込むことあるべし。此他特別なる場合に於ける規定は一々列挙せざるべし。蓋し一々之を列挙したりとも徒に混雜を加ふるのみなればなり。
○ベースボールの特色 競漕競馬競走の如きは其方法甚だ簡単にして勝敗は遅速の二に過ぎず。故に傍観者には興少し。球戯は其方法複雜にして変化多きを以て傍観者にも面白く感ぜらる。且つ所作の活溌にして生気あるは此遊技の特色なり、観者をして覚えず喝采せしむる事多し。但し此遊びは遊技者に取りても傍観者に取りても多少の危険を危れず。傍観者は攫者の左右又は後方に在るを好しとす。

 ベースボール未だ曾て訳語あらず、今こゝに掲げたる訳語は吾の創意に係る。訳語妥当ならざるは自ら之を知るといへども匇卒の際改竄するに由なし。君子幸に正を賜へ。 (七月二十七日)

(「松蘿玉液」 正岡子規)

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真に劇的な出来事には、物語風に仕立てた感動で大仰に盛り上げようとする旧弊な宣伝脳など全く無用と知れる

2023年03月22日 | 瓶詰の古本

げきてき【劇的】(体)劇で見るように、はげしい感激や強い緊張などを感じさせ、印象的であること。「――な〕場面」
(「例解国語辞典」)

 

げきてき劇的】(形動) まるで劇を見るように、心を動かされるようす。◎劇的なさよならホームラン。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

げきてき〔劇的〕しばいのようであること。とくにつよく感じさせるさま。
(「プリンス国語辞典」)

 

げき てき0[劇的](形動ダ)劇のようだ。〔緊張・感激させられる様子〕「――シイン5」
(「明解国語辞典 改訂版」)

 

げき てき0【劇的】-な -に 劇を見ているように、緊張・感激させられる様子。ドラマチック。「――シーン5:――な〔=波瀾ランに富んだ〕生涯・――〔=劇としての〕効果5」
(「新明解国語辞典 第四版」)

 

げきてき【劇的】〈だ形動〉劇を見ているような感動や緊張が起こるさま。「――な場面」「――な出会い」
(「学習百科大事典[アカデミア]国語辞典」)

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あらゆる感覚の不羈奔放により未知の境へ達したいと願って詩人になる(ランボー)

2023年03月19日 | 瓶詰の古本

 詩人になり度いと願ふ者の第一に研究すべきものと云へば、己れ自身の全良心です。彼は自己の魂を求めて、それを検討し、それを試み、それを収護するのです。これが魂と分るや否や、当然それを培ひ育てるでせう。かうしてみるとなんの訳もなささうです。一切脳漿の方で、自然的な成長が行はれて行くからです。それが、エゴイストになると、多く、自分を作家だと自称したりするものです。その他、自分の知的進歩を我物顔にする輩も居りますが、ところで、この怪物のやうな魂を作り上げるのが肝心なのです。コンプラキコスみたいにです。自分の顔に疣を植ゑつけ、そいつを育てる人間を御想像下さい。
 見者たるべし、見者となるべし、と私は云ふのです。
 詩人は、あらゆる感覚の連綿たる宏達な、普遍的な不羈奔放によつて見者となるのです、あらゆる形式の恋愛、苦悩、狂乱によつて。彼は己れ自身を探し求め、己れの裡にある一切の毒を汲みつくして、精髄だけを保存するのです。云ひやうのない苦悩、その時こそあらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要です、その時こそあらゆるものゝ中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪はれ人となり、そして至上の聖者となり得るのです!それと云ふのも、元々自己の魂を、何よりも、彼がよりよく培つたからです。彼は終に未知の境に到着しませう。そして、彼が錯乱して、自己の様々な影像の理性を失ふに至つて始めて、その影像を見出し得られるのです!前代未聞の数限りない事物による自己の跳躍の中で破裂を願ふ時に、他の恐るべき労働者達がやつて来るでせう。他方が倒れた地平線から、彼等達は始めるのです!

(「ランボオの手紙」 祖川孝譯)

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空想科学小説に登場する火星の国王に取って代わりたいのか、正気と思えぬアイデアを賢しらに秀逸の解決策として公言する英邁なる先見者が実在する(黒岩涙香)

2023年03月15日 | 瓶詰の古本

『譬へば私しが此世界の空中艦隊を打破りました。貴方は其れを怒りませんか』
『打破るとは、何うするのです』『毀して空中から落しました』国王は合点が行た。
『アヽ廃止する事ですか、私しの空中艦隊が貴方に不便利だから、貴方が之を廃止したのでせう』
 何でも物の無くなるのを廃止とは、何たる冷刻な言葉だらう。
『ハイ私しに空中艦隊をアノ様に廃止せられて、貴方の心持は何うです。腹が立ちませんか怒りませんか』
『アヽ怒ると云ふ意味が分りました。此世界では其れを脳の急性熱病と云ひます』なる程、立腹は脳の急性熱病に違ひない。
 国王は語を続けて『大昔には誰でも怒りと云ふ、脳的急性熱病が有た相です。けれど不得策ですから廃止しました』『何うして其れを廃止しました』『怒る其人を廃止するのです。其人の命を取るのです』アヽ殺すのも矢張り廃止するのだ。『今は其様な人は有りませんか』『医者が日々国民の健康診断を行ふて居ますから、少し不便利な病が有ると見れば、皆廃止します』
 病人を殺すのが医者の役、尤も吾々の地球にても医者と云ふ職業の中には、人を盛り殺すのを専務の様にして居る向もあるけれど、其でも表面だけは仁術の名を以て居る。
『此国の医者は人を殺すのが、イヤ人を廃止するのが職業ですか』
『爾です。内部の弱い人や、力の無い人や、病気の有る人は、医者が見て直に廃止します。医者の職業は、静に人を廃止するのに在るのです』
 騒々しい苦痛の声などを出されては、傍の人の耳に不得策だから静に廃止する。其れが医者の役、実に鬼の世界だ。
 人間が皆大いのも無理は無い。容貌などまで大抵揃ツて居るのも当然だ。之を聞て卿と夫人との顔色の、自然に変るのを国王は何と思ツたか却て問ふた。
『貴方の世界では弱い人を廃止しませんか』卿は傲然と『私しの世界には、仁義道徳と云ふ者が有ります。弱い者を憫みます。愛します』憫れむだの、愛すだのと云ふ語は分らぬ。卿は更に『医者の職務が弱い者を保存するに在るのです。貴方から見ると愚かな国民だと思ひませう』『アヽ愚とは不得策と云ふことですね。爾です。不得策な国民だと思ひます。何故に其様な医者を保存します』
 余りの事に卿は再び怒気が眉間に現はれた。今しも卿を宥めた夫人さへも、瞋りに顔が燃立ツた。

(「破天荒」 黒岩涙香譯)

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京修(酒甕)(安成三郎)

2023年03月12日 | 瓶詰の古本

 京修は幷州県の酒屋です。非常に酒呑みで、世間態など少しもかまわず、呑んだくれ、少しでも醒めかけると、直ぐ誰彼の見さかい無く対手にして飲み始めるという悪い癖があります。大袈裟ですが幷州人は皆修の酒癖と呑んだくれに懼れをなし、対手に誘われても会釈するだけで極力避けます。従つて修には友達というものがまるで有りませんでした。それで始終対手欲しやと独酌のやる瀬無さをかこちながら、朝から呑んで居るのでした。
 或日珍らしくも一人の客が店へ入つて来ました。黒絹の着物に隠者風の黒い帽子を被つた身の丈わずかに三尺有るか無し、又その高さが腰の方へまわつたというような三抱えもあるかと思われる不思議な恰好の人が入つて来て、修の前に立ち酒を呉れといゝます。
修は相好をくづしてすつかり喜び
「マア、ようこそおいでゞした。サアサア直ぐに奥へ。」
と席を改めようとすると、客は笑いながら
「私は生れながらの酒好きでしてね、しよつちゆう呑んで居ますが、まだ腹一つぱい呑んだことがないのですよ。思い切り腹一つぱい呑んだらどんなに愉快だろうと思わないことはありません。今日若し腹一つぱい呑めなかつたら、こゝへ来た甲斐がないというものです。修さん、よく私のお願を容れて頂けますか。私は前から修さんの高義を慕わしく思つて居ましたが、今日は幸に思がかなつておたづねが出来、お目にかゝれて光栄です。」
「いやアよくお出で下さいました。そいつア私も同じことです。お客さんは真にわが党の士というものです。待つてましたア。早速始めようではありませんか。どうぞお上り下さい。御案内しましよう。」
 奥へ通ると直ぐさしつおさえつ呑み始めました。瞬く間にこの客は三斗近く呑みましたが、少しも酔わないので、修は不思議に思うと同時に、これはただ人ではない、世にいう酒仙というものだろうと思いましたので、盃をおいて立ち上り、丁寧にお辞儀して
「お客さんはお国はどちらで、お名前は何と仰しやるのですか。私も随分酒呑みを知つて居りますが、お客さんの見事な呑みつぷりには流石の私も兜を脱ぎましたわい。どうすればそんなに入るのですか、一つ秘訣を御伝授下さい。」
「私は姓は成、名は徳器、この先の郊外に住んで居るんだが、自然の悪戯で、私でもそんなことのお役に立つと見えるね、ハヽヽヽ。私は年をとるに従つて段々に酒の量が進んで来てね、若し腹一つぱい呑むと五斗は入るだろうテ。それだけ入つたらマアマアというところサ。」
 修はこれは素晴らしい酒仙だわいと思つたので、感歎これ久しうした後ドンドン酒を運ばせてジヨウゴを当てがつて流し込むようにして呑ませました。かれこれ二人で七八斗呑んだ頃、さすがの徳器も一時に酔が発して来たと見え、立ち上つて危い足どりでフラつきながら唄をうたい踊り出しました。そうして
「やア愉快々々、ハアコレヤコレヤ」
とドタバタやるうちにバツタリ倒れて了いました。修はこれはほんとうに酔つたのだと思いましたので、家の者に言いつけて奥の部屋へ運んで寝かそうとしますと、再び起ち上つて躍りながら
「おれをどうしようてんだ、ウイー、ハヽヽヽ愉快じやハヽヽヽ。」
笑い上戸らしくゲラゲラ笑つてはなお更暴れ出し、終いには戸を蹴倒して外へ跳び出しましたので皆で逐いかけてつかまえようとした処が、庭の中に在つた石に蹴つまずいてカク然たる音がすると同時に何処へ行つたか見えなくなつて了いました。朝になつて庭を見ますと石の側に古い酒甕が木葉微塵にこわれ、四辺一面酒溜りと酒の香で咽せて了いそうでした。いうまでもなく徳器は酒甕のお化けだつたのです。

(「怪力乱神(中国怪談集)」 安成三郎訳)

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意地にかかってしらばっくれるのは我々衆愚が切羽詰まったあげく胸に迫りながらやることで、地位や力のある者の品行ではない

2023年03月09日 | 瓶詰の古本

しらばっくれる】(動下一)知っていながら知らないふりをする。そしらぬ顔をする。しらっぱくれる。「いくら――しらばっくれても駄目だ」
(「例解国語辞典」)

 

しらばくれる(動下一) 知っているのに知らないようすをする。
(「講談社国語辞典ジュニア版」)

 

しらばくれる〔白ばくれる〕知っていて知らないような顔をする。
(「プリンス国語辞典」)

 

しらばく・れる5(自下一)〔俗〕知らないふりをする。
しらばっく・れる6(自下一)〔俗〕しらばくれる。
(「明解国語辞典 改訂版」)

 

しらばく・れる5:5(自下一)〔口頭〕知っていて知らないふりをする。〔強調形は「しらっぱくれる6:6・しらばっくれる6:6」〕
(「新明解国語辞典 第四版」)

 

しらばくれる【知らばくれる】〈自ラ下一〉知っているのに、わざと知らないふりをする。しらん顔をする。〔補足説明〕「しらっぱくれる」「しらばっくれる」ともいう。
(「学習百科大事典[アカデミア]国語辞典」)

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大東京の盛り場(買物街)といえば銀座に浅草、それから…(綱島定治)

2023年03月08日 | 瓶詰の古本

    新宿

 大震災前までは東京の盛り場としては、銀座と浅草とに先づ指を屈してゐたが、郊外へ郊外へと居住者の移るにつれて、郊外電車バスが急発展し、この郊外電車と市電や省線との接続する処は異常の発展ぶりを示して来た。それらは主に西郊の武蔵野につゞく台地であるので、いつとはなく「山手銀座」の語が生れた。山の手銀座の名を神楽坂から奪つた新宿は山手銀座の筆頭に立つものである。省線と市電・バス・郊外電車を合すればこゝに乗降する人々は平日も廿五万人を下らず、日曜日が好天ででもあらうものなら忽ち二・三倍の七八十万人に上るのだからあの狭い舗道の新宿の雑踏と来たら、銀座・浅草も尻目にかけてゐる凄さである。中央線の電車が西へ西へと延び、又中央や山の手省線電車の運転間隔が短くなり、連結車両が増加するにつれて、新宿はその繁華を無制限に加へて来た。もう今日では二丁目辺から駅前まで人の洪水と円タクの洪水と、バス・自動車・トラツクの恐ろしいまでの大氾濫で、その交通整理はメチヤメチヤにされたやうである。もうこの上の発展はあの街路では許されない位にまでに達したが、然し、最近流し円タクを禁じたのでやつと助かつた思ひがする。
 中央線のみにて八十万の人口を控えた新宿の特色はまづ買物街としての存在である。京王電車起点から新宿駅前まではめまぐるしいばかりの小売店街である。こゝにも百貨店の進出めざましく、新宿三越・伊勢丹(ほてい屋を合せた)がある。駅前にあつた三越は今食料品専門の二幸となり、同じやうな店の三福が出来た。
 新宿が急発展する一方、享楽的乃至食味街的の気運は一層濃厚となつた。先づ第一のカフエー街は三越新館の横丁の歓楽境である。曰くミハト・美人座・麗人座・ツバメ・メリーウイドー・グロリー等々。次に京王電車前の東海横丁にあるカフエー街で、こゝは遊廓を控えてゐる。セントルイス・オガワ・カタツムリ・オロラ・ツバメを挙げることが出来る。そしてその間に喫茶店と酒の家といふのがどしどしと後から後からと出来て来たこと。食堂デパートといふのまで出来た。
 新宿には劇場に新歌舞伎がある。映画には洋物の第一人者を以て任ずる武蔵野館があり、日本物の松竹館、帝都座、帝国館がある。少し離れて大木戸に松竹座、駅裏に新宿劇場、大宗寺境内に新宿館がありレヴユーにムーランルージユがある。

(「大東京史蹟名勝地誌」 綱島定治)

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桜花を見られる普通の日常があるから、桜花を愛でることができる(芥川龍之介)

2023年03月05日 | 瓶詰の古本

 上海紡績の小島氏の所へ、晩飯に呼ばれて行つた時、氏の社宅の前の庭に、小さな桜が植わつてゐた。すると同行の四十起(よそき)氏が、「御覧なさい。桜が咲いてゐます。」と云つた。その又言ひ方には不思議な程、嬉しさうな調子がこもつてゐた。玄関に出てゐた小島氏も、もし大袈裟に形容すれば、亜米利加帰りのコロムブスが、土産でも見せるやうな顔色だつた。その癖桜は痩せ枯れた枝に、乏しい花しかつけてゐなかつた。私はこの時両先生が、何故こんなに大喜びをするのか、内心妙に思つてゐた。しかし上海に一月程ゐると、これは両氏ばかりぢやない、誰でもさうだと云ふ事を知つた。日本人はどう云ふ人種か、それは私の知る所ぢやない。が、兎に角海外に出ると、その八重たると一重たるとを問はず、桜の花さへ見る事が出来れば、忽幸福になる人種である。

(「支那游記」 芥川龍之介)

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徳川家康の人物(桑原親通、今三餘)

2023年03月04日 | 瓶詰の古本

 家康は今川・織田・豊臣三氏の下に、忍従すること実に五十年、この忍従は遂に彼を玉成して、天下の主たらしめた。故に忍の一字は彼の天性となつて、何事にも隠忍自重、機会の到るを待つ、これが彼の処世法であつた。家康はまた事を行ふに周密で、能く前後の利害を研究して、過なからんことを期し、利害のためには妻子をも犠牲に供するを辞せなかつた。武人としては諸種の武芸に長じ、兵法に通じ、政治家としては堅実に政治の常道を踏むと共に、権変機略に富んでゐた。これ世人が彼を老獪と目する所以である。彼は経済の才に於いては遥に信長・秀吉を凌駕してゐたが、二者と異つて非常に倹約であり、時としては吝嗇に近かつた。彼は何事も実用的・打算的であつた。故に学問を好んだけれども、道徳・政治の書を主とし、詩歌文章の類は顧みなかつた。従つて秀吉の如き風流味に乏しい。彼が鷹狩を好んだのも、単なる道楽ではなく、自身の健康の一助としてゞあり、部下の身体を練つて次の戦争に備へる為めであり、また部下の人物を知る機会を作るためであつた。

(「最新研究 日本歴史」 桑原親通)


 家康はあく迄も自力で天下を取つた、自力も自力、凡そ家康ほど徹頭徹尾実力本位主義の人はあるまい、信長も秀吉も盛に広告術を用ひ示威運動を試み、朝廷をもこれに利用して、己の敵を屠るに際し屡々勅命を奉じて仕事の助けとしてゐるが、家康はたゞもう自力一点張、宣伝もしなければ示威運動もしない、蟹の甲羅を誇るやうな態度をしない、江戸城の玄関は船板の古でもいゝ、いらざる立派だてをするには及ばぬといふ行き方で、錦旗節刀を賜はつて鳴物入りで出かけるやうなことは一度もしない。すつぱだかになつて土俵に躍り出して角力をとるやうな態度である。

(「講談日本外史 徳川家康の巻」 今三餘)

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広告の中には時として、生活苦(や一足飛びに金儲けしたいと夢見る了簡)につけ込む罪深いものが紛れていることもある(内田魯庵)

2023年03月01日 | 瓶詰の古本

 新聞の広告欄は勧工場(くわんこうば)のやうなものだ。勧工場(くわんこうば)にはマヤカシ物や仕入物ばかりでホントウの価値(ねうち)があるものは極めて少い。況してや勧工場に掘出し物がある筈は無い。新聞広告の金儲け法は畢竟広告者自身の金儲け法であつて、広告を見るものに取つては金を損する方法である。常識のあるものなら直ぐ判断出来るが、ドコの国に高い広告料を出して赤の他人に金を儲けさせる方法を伝習する奇特な物数奇(ものずき)があるもの乎。恁ういふ金儲け広告が最近二三年来俄に著るしく殖えたのは、勧工場で掘出し物をするやうな手軽な金儲けを夢見る不了簡者が世間に多くなつたを証明してをる。之といふのも畢竟は生活圧迫の反映であつて、其日暮しに追はれて苦しくなればなるほど着実(ぢみち)な道を行く余裕が無くなつて、沙弥(しやみ)から長老(ちやうろう)になる夢ばかりを見てゐる。此弱点に乗ずるのが恁ういふ罪の深い広告である。

(「バクダン」 内田魯庵)

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