美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

寂しい悪あがき

2016年04月24日 | 瓶詰の古本

   才能、才覚に恵まれず、しかも、書物や図鑑の活字、挿画に引きつけられずにはおれない性分の人間は、やがて不得手ながらも自ら文章を綴り絵筆をとりはするものの、天分の欠落は如何ともし難い。彼の文体、描線は人の読書欲を刺激するものたり得ず、たとえ趣味愛好の域内で人に訴えるときがあったとしても、心の底から震撼させたり、魂を入れ替えさせたりする力は微塵もない。まあ言ってみれば、(天賦の)才能への憧れが昂じたままごと、模擬店の前に陳列したまがい物のようなものである。本物でないのは我も人も承知している事実であるから、あらたまって批評のしようがないものである。
   書かれたものならなんでもあがめたてまつる病癖の行き着く先として、せめては、誰も所持していない書物を保有し、誰も読んだことのない文章をこの目で捕らえるといった願望が募って来る。そして、多大な手間ひまを注ぎ込み、時に大きな代償を支払ってその願望を満たすことにより、なにがしか文字創造の息吹きに直接接触している気分にひたることができるのである。
   本来受動的な精神の姿勢のはずなのに、あたかも能動的な精神を発揮しているような心境に陥ってしまうのである。(自分の意識のなかでは)受け売りの段階を越えて珍奇な書物やら異相の文章やらを人知れず追い求め、人に抜きん出たかのような錯覚に酔い痴れたい。才能はいくらふりしぼったところで、内からはつゆ顕われる気配がないので、天下に鳴り響いて万人から仰慕される才能を嘆賞するとともに、忘れ去られ顧みられなくなった暗がりの片隅から稀なる文章(実はありふれたものに過ぎないとしても)を見出して堪能することに価値ある自分を実感する。このような感性の人間が、ぼろぼろに傷ついた古本一冊のために妻子眷属を蔑ろにして恥じないのは、きわめて自然な寂しい悪あがきであると自嘲せざるを得ない。全てが古本に収斂するための命であると勇ましく妄言するのは、哀しい胸奥からの空威張りであると告白せざるを得ない。

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類まれな読書家ドストエフスキー(中山省三郎)

2016年04月17日 | 瓶詰の古本

   ドストイェフスキイの作品を充分に理解するためには、彼の読書といふものが、どの程度に影響を及ぼしてゐるかをも研究しなければならない。ドストイェフスキイの読書範囲は非常に広汎にわたつてゐる。彼は生涯を通じて、あれほどの大きな作品を書き続け、更にまた、雑事に追はれて繁忙極まりなき生活を送りながらも、常に類ひまれなる読書家であつた。既に幼年時代にして、異常な読書力を示し、最初の小説においては、早くも、書物に対する愛を主人公に与へてゐる。この愛情は作者自身のものであり、生涯かはるところのなかつたものである。シベリヤから帰ると、おびただしい数の書物を蒐集したが、アンナ夫人の思ひ出によると、一八六七年に外国へ行つた後で、殆んどすべてが散逸し、このことはドストイェフスキイを非常に悲しませてゐたといふ。しかし、最後の二十年間にはまた蒐集癖はよみがへつてきた。書物に対する愛は多くの作品の主人公たちの性格を示し、トルーソツキイがアポロン・グリゴリエフの論文に興味をもち、スタヴローギンがバルザツクに傾倒し、ナスターシヤ・フィリッポヴナがマダム・ボヴァリイを読み、ヴェルホーヴェンスキイがユゴォ、チェルヌィシェフスキイの作品を翻読し、カラマゾフ家の人たちがシルレルに共に興味を懐いてゐたといふやうなことは、決して故なきことではないのである。

(「ドストイェフスキイ」 中山省三郎)

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限りあるということを本当に味わうとき

2016年04月10日 | 瓶詰の古本

   人が何をするかは、あと何年の歳月が与えられているかによって決まってくることではないだろうか。あと何年が与えられているか、おおむねにせよ知らされているのは、余命何年の宣告を受けたがん患者くらいなものではないか。死刑囚だって、自分に残された時間があと何年かを知り得る立場にあるとは到底思えない。戦場に駆り出された兵士にしたって、恐らく自分にだけは弾は当たらない、必ず生きて家族の許へ帰れるのだと信じているのだから、今を生きる兵士個々人にとっては算えきれない歳月が待っているのである。
   もっとも、こうした条件に当てはまると考えられるがん患者が珍しくもない昨今の事情を鑑みると、あと何年とほぼ確定的で科学的な生命の見積りを持っている人も、決して世間に稀な存在というわけではないことになる。ひょっとすると、1000人に1人かそれ以上の割合で、残された時間を覚知している人が街路に遊歩していたり、スポーツジムでバーベルを上げ下げしていたり、図書館で文芸書を耽読していたり、病褥に独り呻吟していたり、とにかく見積もられた時間を惜しみつつ慈しんで暮らしているのだろう。
   カーテンに仕切られた狭い診察室で、残された時間というものの存在に初めて直面したとき、「よりによってこの俺がなんで」という言葉ばかりが何度も頭の中を行き来した。診察用の固いベッドに腰を掛け、内視鏡が捉えた証跡の写真を見るにつけ、もはやその事実を受け容れるほかに選ぶ道はないと観念した。認めようと認めまいと状況は全く変わらない以上、生れてこの方味わったことのない最高に嫌な感じであっても、この短い未来だけは逃れられないものと了解するしかなかった。所詮いつまでも生き続けることなどできはしないんだし。今はただ、当初の見立て時に告げられた他臓器への転移の影が確定的に悪性なものではなかったらしいことをわずかな曙光として、とりあえずは次の3ヶ月、そのまた次の3ヶ月へと命の隘路を照らし継いでくれと願うばかりである。限りある命という必至の事実に生れてはじめて心底からぶちのめされ、やっとの思いでしかるべき身仕舞いに取り掛かった身ではあるにしても。

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探偵小説、怪奇小説を志す(江戸川乱歩)

2016年04月03日 | 瓶詰の古本

   戦争のため探偵小説、怪奇小説がほとんど書けなくなつたのは、日華事変の三年目、昭和十五年頃からであつた。同盟国のイタリー、ドイツがアングロサクソン的な探偵小説を禁じたということが新聞にのり、日本でも情報局の指示によつて、実際上は禁ぜられたも同様となり、「探偵小説全滅」の非運を嘆かなければならなかつた。私は十六年度からまつたくひまになつたので、退屈しのぎに、せめて過去の記録を残しておこうと、「探偵小説回顧」と題する手製の本を作つたりしたものであるが、その本の中に、毛筆でこんなことが書いてある。
「(前略)昭和十五年に至り物資の欠乏著しく、同年日独伊三国同盟成るや、米国の日本向け輸出制限極点に達し、国内物資の不足は日常生活にも現れ来り、米、炭、其他のインフレーション防止のための価格統制、次いで切符制はじまり、店頭行列による買物は今や日常のこととなつた。第二次近衛内閣によつて提唱せられた新体制の標語街頭に溢れ、大は経済界の利潤統制より、小は年賀郵便の廃止に至るまで、新体制ならざるなく、文学美術の方面も全体主義一色となり、新体制遂行の全国民組織として生れたる大政翼賛会文化部には、岸田國士氏部長に聘せられ、文学美術諸団体統一運動起り、文士の政治的動きも活発となる。文学はひたすら忠君愛国、正義人道の宣伝機関たるべく、遊戯の分子は全く排除せらるるに至り、世の読物凡て新体制一色、殆んど面白味を失ふに至る。探偵小説は犯罪を取扱ふ遊戯小説なるため、最も旧体制なれば、防諜のスパイ小説のほかは、諸雑誌よりその影をひそめ、探偵作家は夫々得意とする所に従い、別の小説分野、例へば科学小説、戦争小説、スパイ小説、冒険小説などに転ずるものが大部分であつた」
   それから、昭和十四年「芋虫」が絶版を命ぜられたのを手はじめに、つぎつぎと多くの作品の一部削除を命ぜられたことを記し、その頃の私の収入源であつた文庫本や少年もの単行本すらも、全部絶版状態となつたことを記録したあとに、
「私は元来大衆作家風な器用な腕があるわけでなく、心理の底を探らうとするやうな気質、論理好き、怪奇幻想の嗜好等、身についたものによつて探偵小説、怪奇小説を志したのであるから、他の探偵作家の如く早急に別の分野に転ずることは、性格として出来ないのである。この種の身についたものがいけないとすると、唯沈黙してゐる外はないのである」と嘆いている。

(『日本探偵小説の系譜』 江戸川乱歩)

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