美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

効果の計算ができないとすれば

2015年06月30日 | 瓶詰の古本

   凡庸な人間は予想に違わず凡庸なことしか書かないし、凡庸なことしか読み取らない。そのなかにあって、なぜか人に抜きん出る技に長けている者もいる。ときに人を逆撫でし物議をかもすことによって強面のイメージを抜け目なく醸成して行こうとする。凡庸を煮詰めたその暴戻ぶりは世間に向けた自己宣伝でもあろうが、同時に仲間内で赫々たる地位を固めるための試金石と捉えている節がある。腹中の本音すら隠さぬ雄弁を広く知らしめることによって、立派な汗をかいているとの評価をかちとることができる。
   反響・効果をとことん計算した上で行動する人間に対して、ものの条理とか人としての誇りとかといった借り物の観念をいくら押し出してみても、蛙の面に水となって終るのが関の山である。

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文学を事業に配せんとする者あり(北村透谷)

2015年06月28日 | 瓶詰の古本

   吾人は記臆す、人間は戦ふ為に生れたるを。戦ふは戦う為に戦ふにあらずして戦ふべきものあるが故に戦ふものなるを。戦ふに剣を以てするあり、筆を以てするあり、戦ふ時は必らず敵を認めて戦ふなり、筆を以てすると剣を以てすると戦ふに於ては相異なるところなし、然れども敵とするものゝ種類によつて戦ふものゝ戦を異にするは其当なり。戦ふものゝ戦の異なるによつて勝利の趣きも亦た異ならざるを得ず。戦士陣に臨みて敵に勝ち凱歌を唱へて家に帰る時、朋友は祝して勝利と言ひ、批評家は評して事業といふ、事業は尊ふべし、勝利は尊ぶべし、然れども高大なる戦士は斯くの如く勝利を携へて帰らざることあり、彼の一生は勝利を目的として戦はず、別に大に企図するところあり空を撃ち虚を狙ひ、空の空なる事業をなして、戦争の中途に何れへか去ることを常とするものあるなり、
   斯くの如き戦は、文士の好んで戦ふところのものなり。斯くの如き文士は斯くの如き戦に運命を委ねてあるなり、文士の前にある戦場は、一局部の原野にあらず、広大なる原野なり、彼は事業を齎らし帰らんとして戦場に赴かず、必死を期し原頭の露となるを覚悟して家を出るなり。斯くの如き戦場に出で斯くの如き戦争を為すは文士をして兵馬の英雄に異ならしむる所以にして、事業の結果に於て大に相異なりたる現象を表はすも之を以てなり。
   愛山生が文章即ち事業なり」と宣言したるは善し、然れども文章と事業とを都会の家屋の如く相接近したるものゝの如く言ひたるは不可なり。敢て不可なりといふ。何となれば、聖浄にして犯すべからざる文学の威厳は、事業」といふ俗界の「神」に近づけられたるを以て損ずべければなり、八百万づの神々の中に、事業といふ神の位地は甚だ高からず。文学といふ女神は或は老嬢(ヲールド、ミツス)にて世を送ることあるも卑野なる神に配することを肯んぜざるべければなり。

(『人生に相渉るとは何の謂ぞ』 北村透谷)

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同じ古本がいくつもあるのには

2015年06月25日 | 瓶詰の古本

   例えば、本を読むなかでこんな本があると教えられて当の古本を探し始めてから運良く巡り会えるまでの時間と、その後で同じ本を何度か見かけるようになるまでの時間の長短に際立って大きな差があると感じられるのは何故なのだろうか。
  ずうっと長い間探しあぐねてようやくにして巡り会え念願叶って手に入れることができた途端、ほんの日ならずして古本屋や古書展で夢にまで見たその本と再び、みたび容易に遭遇することになる経験を幾度となく味わって来た。初めて手に入れた時には、雌伏のうちに身ぐるみはがされて襤褸の裸本でしかない古本であったのに、再会を重ねるにつれ、カバーがつく、箱がつく、帯がつくなどして徐々に衣装が整い立派なものになって行く。ということになれば必然、それまで稀有のはずだった邂逅が幾重にも繰り返される度に、同じ古本を次々入手せずにはおれない罠にはまり込み、いつか一望すれば心に隠していた古本への狂気が同じ顔をした古本の山となって眼前へ露わに曝け出されてしまうこととなる。
 こうした瘧病は数知れず身に襲いかかり、増殖を続ける古本と高さを競い合いながらあたかも恥の山を無残に築いて行くかの如くである。

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自然に賤しい物が無くなる(ゴーゴリ)

2015年06月23日 | 瓶詰の古本

   祝福を受けに傍(そば)へ寄つたとき、父のいふには、「倅や、私(わし)はお前を待てゐた。お前の生涯も最うこれで道が開(つ)いたといふものだが、お前の行く道は清い道だから、踏外さんやうにしなければならん。お前は画才がある、才といふものは神様の下すつた貴(たつと)いものだから、亡くなさんやうに、気を附けなさい。何を見ても、研究をして、総ての物を我筆に従へて、物の内に籠つた想を看出(みいだ)すやうにして、何よりも先づ創造の神秘を索(さぐ)らうと心掛けるが可(い)い。神様のお見出に預つて、創造の神秘を明めて見なさい、幸福なものだ!然うなると、自然に賤しい物が無くなる。創作の才のある美術家は果敢ないものを作つても、大したものを作つた時のやうに、矢張大きい所がある。其様(そん)な人が作るとなると賤しい物も賤しい所がなくなる。何故なれば其人を介して創造の妙旨が透いて見えて、賤しい物も其心に清められて、貴く現はれて来るからだ。人間のためには神様の、天上界の、楽園の影の射すのは美術だから、そればかりでも、美術は他のものより貴い訳だ。悠々として天を楽しむことは浮世に交つて齷齪してゐるより逈(はるか)に勝つてゐる。創作は破壊より逈(はるか)に貴い。天使は其曇らぬ心の清くて邪の無い所ばかりでも、悪魔が他力を恃んで、神を憚らず恣に振舞ふよりも何程難有いと思ふ、高尚な美術の作物は此の世の所有物(あらゆるもの)よりも何程(いくら)貴いか知れん。何も彼も美術に打込んで了つて、熱情を傾けて美術を愛するやうにしなさい-熱情と云つても、人欲の臭(くさみ)のあるのでは駄目だ。静穏(しんみり)した天上から来た熱情でなければ不可(いかん)。熱情がなければ人は此世を離れることが出来ぬ。人心を安める妙音を吐くことも出来ぬ。人の心を安めるため、和げるために美術上の逸品は此世に出るのだ。だから、それが人の心に不平の種を蒔く虞(きづかひ)はない。反つていつも朗かな祈りの声となつて神様の御側へ往かうとする勢を持つてゐるものだ。けれども、のう、厭な事がある……」と言淀んだが、其時父の面(かお)には一寸(ちよいと)雲が掛つたやうで、今まで晴れてゐたのが急に曇つた。で、いふには、「私(わし)も曾て出遇つたことがある。私が肖像を描いた彼(あ)の変な男はあれは何者だか、今に解らん。正しく何か魔物だと思ふが、世間では魔の有ることを認めんから、それはそれとして措いて、ただ私は厭々ながらその肖像を描いたのだ。描いてゐても、少しも気が乗らなかつた。無理に自分を圧へ附けやう、自分に在るものは何も彼も酷(むご)たらしく殺して置いて、只自然に従はうとばかり思つたのだ。だから、美術上の製作はなかなか出来なかつた。美術上の製作でないから、それを観て人の感ずる所も落着かぬ物騒がしい感じで、美術家の感じに通(かよ)ふ所がない。美術家といふものは騒がしい中でも静定(おちつき)といふものを失はんからなア。人の噂に聞けば、その肖像画は人手から人手に渉つて、美術家に嫉妬心(ねたみごころ)や、浅ましい僻みや、他(ひと)を虐げ苦めやうといふ悪念を起させて、毒を流してゐるさうだが、お前に如何(どう)か其様(そん)な心を起させたくないものだ。それが一番恐るべきものだ。露ほどでも人を窘(くるし)めるなら、寧(いつ)そ人に窘(くるし)められて所有(あらゆる)難儀をしたはうが遥か利(まし)だ。心の純潔だけは守るが可(い)い。天才の有る者は他(ひと)一倍純潔でなければならん。余の者なら大目に見て置かれることも随分あるが、天才の有る者は然うはいかん。曠(はれ)がましく礼服を着けて戸外(そと)へ出ると、僅ばかり車の余泥(はね)が掛つても、多勢(おほぜい)が環立(たか)つて、指さしをして、不体裁(みつともない)のを哂はうけれど、其処へ来合した、平服(ふだんぎ)の余の者が何程(どれほど)泥に塗(よご)れてゐても、それには目を注(と)める者がない。何故ならば、平服(ふだんぎ)では汚点(よごれ)が目立たぬからだ。」

(「肖像画」 ゴーゴリ 二葉亭四迷訳)

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偽書物の話(三十二)

2015年06月21日 | 偽書物の話

   「それとは別な話としてもうひとつ。ある道を辿って行くと、いつの間にか桃花源とか別世界へと入り込んでいるというロジックがありますね。どうやら、古今東西に偏在するもののようでもある。辿る道があるだけまだ誠意が感じられる。気が遠くなるはずみとか、渦に巻き込まれるとかして別世界へ至るとするのは、いささか安直に過ぎないかと思われる。この世界から異域・異次元の世界へと渡る手立て、非合理性に興ざめすることない流麗な手際を思いつくことは確かに至難の技であって、それを表現できたとすれば、それだけで凡百の追随を許さぬ創造性の証しを立派に立てることになる。失われた世界や地底深くに潜む世界、あるいは遠く惑星世界まで、そこへ至る道は、ひょっとしたらただの小説的想像力を超えた、真正まぎれもない物理学的原理に裏打ちされる潜戸となるのかも知れないと、そんな妄想が一気に募るほど、その道若しくは潜戸の探索つまり創造は至難であり、かつ、頭脳の出来不出来を試されるという悪魔の誘惑を解放する大きな事業となるに違いない。」
   水鶏先生は例の一塊の石に指を触れながら、言葉を継いだ。
   「書物から立ち昇る城壁のようなものがみるみるうちに天を摩して伸びて行き、あるいはその根元では文字の岩盤を穿って地中深く沈み込み、尖塔めいた峨々たる山岳や大海原が眼の前に広がり一つの実世界が現われる。その世界ヘ体と心もろともに運ぶことができるか否かという話です。」  
 

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辞世(小泉八雲)

2015年06月18日 | 瓶詰の古本

   不思議なことには、太古から短歌を作ることは日本に於て、単に文学的技術としてよりも道徳的義務としても一層多く行はれてゐた。昔の倫理的教訓は先づこんな風であつた。「君はひどく怒つてゐるのか。悪口など云はないで歌を作りなさい。君の最愛の人はなくなつたのか。返らない悲嘆にくれることを止めて、歌を作つて心を静めるやうに努めなさい。沢山の仕上げない事を残して死なうとしてゐるから煩悶してゐるのか。勇気を出して死に関する歌を作りなさい。非道や不幸のために苦しめられるとき、不平と悲しみを出来るだけ速かにわきへ片づけてそして道徳修養のために数行の真面目なそして立派な歌をつくりなさい」かくして昔は総ての種類の苦難は歌で迎へられた。死別、生別、不幸は嘆声でなく歌を呼び出した。恥辱よりも死を択んだ貴婦人は喉をつく前に歌を作つた。死を賜はつた武士は切腹の前に歌を作つた。遙かに伝奇的でない明治の世の中でも、自殺を決心した青年はこの世を去る前に歌を作ることになつてゐる。私は不幸や困難の最も甚だしい境遇のもとに、――そこどころでなく、臨終の床の上でも、――歌の作られたことを度々知つてゐる。そして、その歌が非常な技倆を示してゐることはなくとも、少くとも苦痛に際して自己に打ち克つ異常の証拠を示してゐる。――たしかに道徳上の修養として歌を作るといふ事実は日本の作歌の規則に関してこれまで書かれた論文全部よりももつと大きな興味のあるものである。

(「日本人の心」 小泉八雲 田部隆次訳)

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蜃気楼の湯気

2015年06月16日 | 瓶詰の古本

   人は他人の走狗になるために生まれて来たはずがないのに、その走狗になる者が跡を絶たないと語る人がいる。これは、恥というものをいつのまにかどこかに置き忘れた拍子に、脳に大逆転の錯覚が生じて、周りの者等全てが己の大望を叶える道具(走狗)に見えて来るからにほかならないとのことだ。実はその時から、現実ことごとくが大逆転して脳に映る錯覚に囚えられたまま前へ前へと馳せるばかりの走狗となるのである。言うまでもないが、抱えた大望と思われる想念も又、実在の世界の砂の小粒一粒にもなれない蜃気楼の湯気に過ぎない。おのれ独りのみが夢見た幻影の、大気に溶けるまでの須臾の感触に過ぎない。

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能く分らない人間(夏目漱石)

2015年06月14日 | 瓶詰の古本

   「御前だつて満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今迄折角金を使つた甲斐がないぢやないか」
   代助は今更兄に向つて、自分の立場を説明する勇気もなかつた。彼はつい此間迄全く兄と同意見であつたのである。
   「姉さんは泣いているぜ」と兄が云つた。
   「さうですか」と代助は夢の様に答へた。
   「御父さんは怒つてゐる」
   代助は答をしなかつた。たゞ遠い所を見る眼をして、兄を眺めてゐた。
   「御前は平生から能く分らない男だつた。夫でも、いつか分る時機が来るだらうと思つて今日迄交際つてゐた。然し今度と云ふ今度は、全く分らない人間だと、おれも諦らめて仕舞つた。世の中に分らない人間程危険なものはない。何を為るんだか、何を考へてゐるんだか安心が出来ない。御前は夫が自分の勝手だから可からうが、御父さんやおれの、社会上の地位を思つて見ろ。御前だつて家族の名誉と云ふ観念は有つてゐるだらう」
   兄の言葉は、代助の耳を掠めて外へ零れた。彼はたゞ全身に苦痛を感じた。けれども兄の前に良心の鞭撻を蒙る程動揺してはゐなかつた。凡てを都合よく弁解して、世間的の兄から、今更同情を得やうと云ふ芝居気は固より起らなかつた。彼は彼の頭の中に、彼自身に正当な道を歩んだといふ自信があつた。彼は夫で満足であつた。その満足を理解して呉れるものは三千代丈であつた。三千代以外には、父も兄も社会も人間も悉く敵であつた。彼等は赫々たる炎火の裡に、二人を包んで焼き殺さうとしてゐる。代助は無言の儘、三千代と抱き合つて、此焰の風に早く己れを焼き盡すのを、此上もない本望とした。彼は兄には何の答もしなかつた。重い頭を支へて石の様に動かなかつた。

(「それから」 夏目漱石)

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太宰治の含羞の行方

2015年06月11日 | 瓶詰の古本

   太宰治の生誕百年目もいつの間にか過ぎて久しい。たしか亡くなったのは昭和二十三年六月のことだから、生年の明治四十二年六月から数えれば享年三十九歳ということになる。あんなに肩の凝らない読みやすい文章を名文としてたくさん残して逝ってしまって、いつまでも読み継がれる作家に間違いはないけれど、早くに亡くなったのは気に入らない。
   太宰治が七十、八十の老作家として長生きをしていたら、日本人の言葉は今より自在な表現力を発揮できたのではないかと思われる。恥を知る文章と心意を、もっと大事にしたいと人は願えたに違いない。含羞と言う言葉があることを、例えば時を得顔の有識の主たちにあてつけて臆せず笑い飛ばすことができたろうに。明治以来の文学的精神を世間に照り返して、上品を誇る連中が持つ抜き去りがたい下品な精神をより深くから描出することができたろうに。

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能登国化物屋敷の事(祐佐)

2015年06月09日 | 瓶詰の古本

   能登国に化物屋敷ありて、多く人を取りける由、専ら沙汰しけるほどに、後々は住む人もなかりしに、幾田八十八といふ侍をこの者にして、此の屋敷を所望し、好みて住みけり。然れども化物更に出でざれば、八十八笑つて、「さこそあるべし、化物も人によりてこそ出づらめ。」と、独り嘲り居たりしが、或夜深更におよび厠に行きけるに、下より長き毛の手にて八十八が尻をなでける。さればこそとてよき程になでさせ、頓てひき捕まへて力に任せ引きければ、次第々々に長く伸びけるが、空をきつと見上ぐれば、屋根板めくれてさも凄まじき頬だましひの者、八十八をはつたと睨む。八十八も同じく睨み付け、先づ此の手を取つて外に出づるに、出でじと力むを八十八大力量の者なれば、苦もなく引き出しけるに、空より睨めし化物其の儘落ちたり。よくよく見れば此の化物が手なり。それより両方ひつ組み、上になり下になり互に負けじと争ひしが、八十八力や勝りけん、遂に化物を組み留め、漸うに刺し殺しけるが、我が身も所々に疵を蒙りけり。夜明けて見れば、猿の劫経たるにてぞありける。其の屋敷の裏に、年古りたる槇の木の有りしを怪しく思ひ、悉く切らせ見るに、果して樹上には、年来取り喰らひし人の屍多く有りしとぞ。八十八化物を退治して後は、何のこともなかりければ、人皆八十八が勇力不敵の程を感じける。

(「太平百物語」 祐佐)

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均一台雑魚漁り

2015年06月07日 | 瓶詰の古本

   「ドストエフスキイ研究」(V・ローザノフ 神崎昇訳 昭和37年)
   「昭和史の天皇 9」(読売新聞社編 昭和44年)
   「正気の社会」(エーリッヒ・フロム 加藤正明・佐瀬隆夫訳 昭和55年)
   「ゾルゲの時代」(ロベール・ギラン 三保元訳 昭和55年)
   「分析心理学」(ユング 小川捷之訳 平成3年)
   「辞書のはなし」(三省堂編修所編 平成5年)
   「日本の失敗」(松本健一 平成10年)
   「日本を撃て」(見沢友廉 平成12年)
   「死の家の記録」(ドストエフスキー 工藤精一郎訳 平成15年)
   「祖国よ」(小川津根子 平成17年)
   「BC級戦犯獄窓からの声」(大森淳郎 渡辺考 平成21年)
   「あの戦争と日本人」(半藤一利 平成23年)

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勝夢酔の妖気(坂口安吾)

2015年06月04日 | 瓶詰の古本

   僕は先日勝海舟の伝記を読んだ。ところが海舟の親父の勝夢酔といふ先生が、奇々怪々な先生で、不良少年、不良青年、不良老年と生涯不良で一貫した御家人くづれの武芸者であつた。尤も夢酔は武芸者などと尤もらしいことを言はず剣術使ひと自称してゐるが、老年に及んで自分の一生をふりかへり、あんまり下らない生涯だから子々孫々のいましめの為に自分の自叙伝を書く気になつて『夢酔独言』といふ珍重すべき一書を遺した。
   遊蕩三昧に一生を送つた剣術使ひだから夢酔先生殆んど文章を知らぬ。どうして文字を覚えたかと云ふと、二十一か二のとき、あんまり無頼な生活なので座敷牢へ閉ぢこめられてしまつた。その晩さつそく格子を一本外してしまつて、いつでも逃げだせるやうになつたが、その時ふと考へた。俺も色々と悪いことをして座敷牢へ入れられるやうになつたのだから、まアしばらく這入つてゐてみようといふ気になつたのだ。さうして二年程這入つてゐた。そのとき文字を覚えたのである。
   それだけしか習はない文章だから実用以外の文章の飾りは何も知らぬ。文字通り言文一致の自叙伝で、俺のやうなバカなことをしちや駄目だぜ、と喋るやうに書いてある。
   僕は『勝海舟伝』の中へ引用されてゐる『夢酔独言』を読んだだけで、原本を見たことはないのである。なんとかして見たいと思つて、友達の幕末に通じた人には全部手紙で照会したが一人として『夢酔独言』を読んだといふ人がゐなかつた。だが『勝海舟伝』に引用されてゐる一部分を読んだだけでも、之はまことに驚くべき文献のひとつである。
   この自叙伝の行間に不思議な妖気を放ちながら休みなく流れてゐるものが一つあり、それは実に「いつでも死ねる」といふ確乎不抜、大胆不敵な魂なのだつた。読者のために、今、多少でも引用してお目にかけたいと思つたのだが、あいにく『勝海舟伝』がどこへ紛失したか見当らないので残念であるが、実際一頁も引用すれば直ちに納得していただける不思議な名文なのである。ただ淡々と自分の一生の無頼三昧の生活を書き綴つたものだ。
   子供の海舟にも悪党の血、いや、いつでも死ねる、といふやうなものがかなり伝はつて流れてはゐる。だが、親父の悠々たる不良ぶりといふものは、なにか芸術的な安定感をそなへた奇怪な見事さを構成してゐるものである。いつでも死ねる、と一口に言つてしまへば簡単だけれども、そんな覚悟といふものは一世紀に何人といふ少数の人が持ち得るだけの極めて稀れな現実である。

(「青春論」 坂口安吾)

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落とし前をつけることなど誰にもできることではない

2015年06月02日 | 瓶詰の古本

   落とし前をつけることなど、誰にもできることではない。できることではないからこそ、みんな生き恥をさらして人中に生きているのだ。確信的にこの世界をこのような世界に造り上げ、とりあえずどこか分らぬ組織体から引退したからと言い募って、責任逃れをうまうま上手にやってのけたと自分の頭の良さに酔い痴れているとしたら、同じ人間として、これほどに恥ずかしいことはない。落とし前なんか上手に出来っこないからこそ、みんなようやく恥を忍んで残念を生きているのに。
   恥を知らない人間の深奥の表出などあり得ないものであることは、別個でありながら一つの血族のようにそれぞれが酷似した表情しか提供できないことからも当然に導かれることなのだ。それはおそらく、表層こそが実相であるとされる新たな歴史の痕跡として、いつまでも語り伝えられるに違いない。

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