美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

焼けなかった端書

2013年05月30日 | 瓶詰の古本

   この先長く生きていたくもないと、その時は思い込んでいた。
   大体、どんな災厄があると限らないけれど、よりによって自分の蔵書がことごとく烏有に帰してしまうとは、かなりの痛手であるに違いない。今頃こんな災難に出くわして悲嘆のどん底にたたき落とされるくらいだったら、最初から本に執着などせぬものを。
   にしても、不思議でしかたないのは、あの燃え方だ。全く腑に落ちぬことには、書斎はおろか、書棚一つ焦げ目もないのに、列べてあった本ばかりが残らず火を噴いて、みるみる灰燼と化してしまうのだから。かつてファウスト博士が幻視したごとく、これも又、自分の混濁した精神の迷いであったのだろうか。机に向って書き物をしていた耳にぼうぼうと火の勢いが聞こえ、鼻を突いてきな臭いにおいが部屋をみたした。眼球のすみには、その前からチラチラ赤いものがほの見えていたような気がする。億劫な視線を書棚に向けると、そこはもうまさしく火の海で、めらめらと書物の頁が一枚一枚めくり上がっては、火の粉と散じて大気に舞い踊っている真っ最中だった。
   これといった思案も思い浮かばなかったせいだろうか、それとも、珍奇な光景に見とれていたせいだろうか、自分は椅子の背に深くもたれかかり、手に万年筆を握ったまま、なりゆきをなりゆきのまま見送るばかりだった。書斎の壁三面に板を横に打ち付けてしつらえた簡素な書棚の中に、有り在る全ての蔵書が納めてあり、背表紙をいちいち検分するまでもなく、どこに何が置かれてあるかは熟知しているから、火の手の進行にともなって、次は何、その次は何と、無意識のうちに書物の題目や生い立ち、出会いと機縁を一冊一冊想いかえしていたりなどしていたものだが、それでも一切合切灰になるまでには二時間程かかっただろうか、万年筆の穂先がすっかり乾ききり、かたわらに置いたランプの油が半分に減っていたところからして。
   ポウ原作牧野信一訳「ユリイカ」が一番しまいに燃え尽きる寸前、部屋には何万燭光とも知れぬ光が奔騰し、それから静かに薄闇の底へと降りて行くかと思えば、もはや書物は一冊たりと残ってはおらず、棚の上にかすかに白くほこりめいた火葬の痕が途切れなく降り積もっているのだった。自分の視線がくぎ付けにされたのは次の瞬間で、端書が一枚忘れられたように西の壁の三段目の棚の上にのっかっていて、どうやらどこか頁の間にはさまっていたものらしい。指につまんで字を見ると、死んだ母親から四十年も昔に届いた端書だと知れた。端書には「金を送ります。本ばかり買わないで栄養のあるもんをちゃんと食べ、無理せずに生きて下さい」と書かれてあった。

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均一本購入控

2013年05月27日 | 瓶詰の古本

   「日本敗れたり」(丹羽文雄 昭和24年)
   「日本参謀論」(半藤一利 平成元年)
   「財務会計・入門 第6版」(桜井久勝・須田一幸 平成21年)

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歴史を知らない愛国者(萩原朔太郎)

2013年05月26日 | 瓶詰の古本

   国粋主義者と称するものの大多数者は、現に彼等が生きてる時代の、すぐ一つ前にあつた時代を、唯一の国粋的なものに考へて居る。もつと古く、遠い時代に属するものは、彼等にとつての「国粋」ではないのである。そこで彼等の生きてる時代が、そのすぐ前にあつた近い昔と、全く裏返しの社会になつてる時、彼等は自ら意識せずして、新時代への反動主義者になつてしまふ。-歴史を知らない愛国者ほど、危険なものはないのである。

(「港にて」 萩原朔太郎)

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金色の糸

2013年05月23日 | 瓶詰の古本

   女の言葉のどこまでが訴える心からの言葉であり、どこまでが実際に起こっている出来事をありのままに伝える言葉であるかを判断することは、私にはできない。十年前の春、女は私の口から出る声を全く受け入れなくなった。つまり、私の発する言葉をことごとく取り違えるようになった。
   「お茶を入れてくれない。」と頼んだ時、女は涙ぐんで私に向って詫びはじめた。泣きながら、何遍もごめんなさいとくり返しくり返し頭を下げるばかりだった。説明のつかぬ挙動に面食らった後、すぐに私は笑い出した。
   「おいおい、もういいから早くお茶をくれよ。」
   突然、女は怒り出した。それと同時に、ますます激しく泣き出し、ますます頻繁に頭を下げるのだった。私は黙った。黙ったまま女の黒々とした髪を見つめていた。女は口のなかで低くつぶやいていた。
   「早く謝れ、早く謝れ、……」
   それから、女は竜巻のように自らも他人もともに翻弄していくかのようだった。私ばかりではない。実の母親をはじめ人という人の言葉は、女の脈絡に入り込んで途を失った。朝、これから仕事に行ってくると言う私に、女は、どこから掃除を始めるのか、自分は見ているだけでいいのかしらと真剣に問いかけた。そして、私は黙った。黙って考えた。考えて時に女の顔を見た。時に女から話しかけられながら考えた。女から語りかけるとき、私は何を言ってもかまわない。何を言おうと女は女なリの会話を続けるのだ。笑い転げたり、涙をこぼしたりした。私は十年間考えた。女は何を見ているのだろうか、女は何を語り、何を耳にしているのだろうかと。

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なんとなくの折り合い

2013年05月22日 | 瓶詰の古本

   東京の新大久保駅界隈でヘイトスピーチなる運動が日常的に展開されていると近頃知った(いかにも遅すぎる)のだが、こうした運動にまつわる思念や付近での小競り合いなどがそれなりに披露されている、その一方で、世界の国民、民族が相集って共に競い合うとされるオリンピックを東京に招致すべく真摯な活動が行われているというのは、都民の気持ちのなかではなんとなく折り合いがついていることなのだろうか。

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名高い賢人(ニーチェ)

2013年05月21日 | 瓶詰の古本

   君等名高い凡ての賢人達!君等は真理には仕へずに、-大衆と大衆との迷信に仕へた。さればこそ君等は畏敬されるのだ。
   また、君等の不信心も大目に見られる、それは大衆に近づく機知であり廻り道であるからだ。そのやうに主人は彼の奴隷達を思ふままに振舞はせたり、猶ほその上に彼等の思ひ上がりを見てうれしがつたりする。
   しかしながら、狼が犬に憎まれてゐるやうに大衆に憎まれてゐる人、それは「自由思想家」であり、「繋縛の敵」であり、「拝まない人」であり、「山中の住人」である。
   彼をその三昧堂から追つ払ふこと-それが大衆の「正義心」であつた。大衆は今尚ほ常住不断に鋭さこの上なしの歯をもつてゐる犬共を彼に向けて使嗾ける。
「その故如何、大衆あり、真理あるにあらずや。何を苦しんで捜し求むることをか為す、求むるものは禍なるかな、禍なるかな!」-古来誰言ふとなくかくの如く言はれて来た。
   君等は大衆の尊敬の中に大衆の道理を認めようとする。君等名高い賢人達!君等はそれを目して「真理に向ふ意志」と言ふ。
   そして君等の心は常に己れ自身に向つて言つた、「私は大衆から来たのだ、其処から私に神の声も来た」と。

(「ツァラトゥストラー」 ニーチェ 登張竹風訳)

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日本国中が天狗の寄り合い世帯(鈴木貫太郎)

2013年05月19日 | 瓶詰の古本

   人間はたとへ間違つたことであつても、それを繰り返し繰り返し耳にしてゐるといつの間にかそれが真実にそのやうに聞えて来、やがてそれ以外の事は一切間違つてゐるかのやうな錯覚に捉はれて了ふものだ。
   日清、日露の両戦役以来、日本人は大陸政策といふものを唱へ、血に依つて購なつた特殊権益とか、大陸には一切の資源があるやうな妄想にとりつかれて了つた。日本は島国であり、資源の少ない国であるから誠に無理からぬ話であるが、その大陸を手に入れるためには一切の没道義なことも平然として行ひ、大陸さへ手に入れゝば世界を相手にして戦争出来るやうな誇大妄想的な考へ方に転落して行つた。さういふ空気は明治末期から、大正、昭和を通じて、満洲事変勃発頃には頂点に達し、この気持は更に拡大して隣邦支那を侮視し、東洋の盟主といふことを自ら唱へるやうになつた。誠に救はれない道義的転落である。しかもこれに対して冷静な批判をし、世界状勢を説くものは、非愛国者のやうに取り扱はれ、遂に侵略政策を談じ、日本の古典を談ずる以外には、凡ての思想を禁圧する勢ひに迄発展して行つた。世には曲学阿世がはびこり、御用学者、御用事業家、画一的統制主義者が横行して日本国中が天狗の寄り合ひ世帯みたいになつて了つた。或る軍人などは、満洲には金が出る油が出る何でも資源があるなどと吹聴して居つたが、出たものは石炭と鉄だけだつた。かうした国家的物欲が昂じて、遂に魔がさしたとでも言はうか、世界を相手にする飛んでもない戦争を始めて了つた。だがこれは国家の宿命だつたかも知れない。もう近年になつては、これを事前に止めるなどと言ふことはどんな政治家が出ても不可能だつたかも知れない。

(「終戦の表情」 鈴木貫太郎)

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支援に足る世界かは知らず

2013年05月17日 | 瓶詰の古本

   カフカは言う、世界と君自身の闘いにおいては世界を支援せよと。著作において作者は絶えず自己の切片によって否定されるとする運命を甘受せよということか。彼の思念、彼の体系、彼の昼夜、彼の憤怒から紡ぎ出された言葉は、果てしない変容、水膨れと乾枯びを経て世界へ明け渡され、世界に受け入れられる。彷徨し逃隠する魂を懐く者にとって、それでも外への表白をやめないのは、言葉を裏切る、あるいは言葉から裏切られる不実を誠実と等しく愛しているからなのか。
   意の求めるままに紙の上へ書き記された文字は、黒く滴り落ちると同時に世界の側に加担して作者と対峙し背反する。黒馬の影と嘶きにおののく亡命者でありながら、しかし、魂の彷徨う行方だけは世界によって閉ざされてしまうことがないように、作者は挫け崩れかけた内心の部屋の底から敵とも味方ともつかぬ言葉を世界へと送り続ける。

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均一本購入控

2013年05月14日 | 瓶詰の古本

   「字引」(ミニチュア出版研究会編集 昭和49年)
   「昭和動乱秘史 上」(矢次一夫 昭和53年)
   「本当にあった嘘のような話」(マーティン・プリマー ブライアン・キング 有沢善樹訳 平成16年)

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河馬の生産物の用途(秋山蓮三)

2013年05月12日 | 瓶詰の古本

①河馬の牙は、以前は人造歯を製する為に貴重せられたが、現今では、其の毛皮と脂肪とを利用する為か、或は肉を食用に供する為に狩猟せられる。
②皮は鞭に製作せられるが、また鋼鉄の研磨用の対向回転車輪に使用せられるといふ。
③よい河馬一頭から採れる純粋の脂肪は約九十瓩七二である。また河馬の肉はいつでも美味であるが、仔獣の肉は殊に絶好な味があるといふ。また幼獣の足部はシチュー料理に非常によく適し、其の皮のスープは海亀のスープにも比較せられる位である。

(「内外普通脊椎動物誌」 秋山蓮三)

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影響の図書館

2013年05月10日 | 瓶詰の古本

   何故に人は死に至るのか。死の意味に意味はない。意識を譫妄へ錬磨し、狂想に昇華させる、語の真の姿としての影響が、人の存在をその証とするとしても、人々の死は、そして私の死は何故のものか。一個の統一が、ある捉えがたい空間と、同時に時間の帯を貫いているとしたら、我々はひとりびとりがひとつの記憶ないしは文字に同じと定められているのだろう。無用の文字は、いずれ消滅の突当たりにたどりつくのだろうか。ある種の祈り、呪い、夢想の込められた文字が影響の図書館に生き続けるのだろうか。
   人は生という軌跡を、決められた筆順通りにたどってそれぞれ固有の文字となる。文字は言葉を形造る。ただひとつの文法にしたがって、ただひとつの発音によって、人は文字となり、文字は図書館を築き、図書館は全次元に満ち渡る書物を創り出す。すべての智慧、すべての歴史、すべての恋情、そして、すべての鮮血も、やがてひとつひとつ文字となって、図書館に永遠に積み重ねられる。時色をし、辺際ない響きを木霊する文字として刻み込まれる。
   影響とは、それらの文字を言葉となす文法であり、綴じ糸であり、書架であり、図書館そのものである。文字と解義に寄せる人の偏執は、人たる存在の有り様がしむける一切のむくいであり、統一への予感はただひとつの文法があることの自証にほかならない。一人の死はひとつの死でしかないように、文字一文字にはいくばくの意味もない。だが、ある文法のもとに参集した無限に連なる文字の列ならば、あるいは何ごとか語ることがある。

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金色の糸

2013年05月09日 | 瓶詰の古本

   女はしきりに訴えている。この頃、毎晩夢を見るというのだ。それは、はじめは金色の糸のような細い線だった。中空をゆらゆらと上へ下へ波形を描くただの自在な曲線に過ぎなかった。しかし、それは次第次第に確かな形を見せ始めるのだ。女の言葉を信ずるならば、
「今まで閉じていたまぶたがゆっくりと開いていくみたい。その裂け目から、魚のひれのような光が洩れて来て、だんだんに広がっていくんです。青鱗色の波に光る湖がぽっかりうかんでいるの。」
   話を聞いた時、しこりのような不安の腕が私の胸を掴んだ。身近に心理学の泰斗がいたならば、たちどころにこの夢をあざやかな手際で解析してくれたろうに。だが、不明な私には、女の夢に映る湖の影は、ただ訳もなく不吉な風景のように思われた。ヘリオトロープの芳香をかがされ猛烈な勢いで遡って来る意識以前の記憶へのおそれ、自分が存在していなかったはずの地上をありありと見たとき背筋の凍る光景のなかに封じ込められる、そんなおそれを揺り起こすものだった。いつかきっと見ることがあるであろうどんよりとした、しかし、隅々までたしかな細部によってでき上がった世界。私は、女の話にうなずくしかなかった。
  
   
  

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人の心に宮あり(北村透谷)

2013年05月06日 | 瓶詰の古本

   心に宮あり、宮の奥に他の秘宮あり、その第一の宮には人の来り観る事を許せども、その秘宮には各人之に鑰(かぎ)して容易に人を近(ちかづ)かしめず、その第一の宮に於て人は其処世の道を講じ、其希望、其生命の表白をなせど、第二の秘宮は常に沈冥にして無言、盖世(がいせい)の大詩人をも之に突入するを得せしめず。

(『各人心宮内の秘宮』 北村透谷)

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言葉あるいは文字

2013年05月04日 | 瓶詰の古本

   火そのものは神聖な力を宿すものであり邪悪な力を滅ぼす表象としてあり得るが、さらに赫々と燃え上がる何ものかに転生することはない。そして、生温かいものが冷たいものへと化成することはあるが、おそらく、ほとんど可逆的ではない。たとえば、岩が化身するということなどはなく、ある種の念が岩に化するという定式はある。よこしまで超自然な何ものかが巌石や樹木の存在を満たしている。存在を満たしているものが何ものであれ、その念は凝り、凝れば凝るほど生温かさは失われる。鉱物的な結晶軸を備えて美麗に凝固して行くにつれて、目には見えない秘かな声の波が内から洩れ、やがて烈しく外へと揺らぎ昇るようになる。
   それは、悲喜の情念がインクという儀礼を経て文字に凝り固まり、幽かな声を隠し持つにしたがって目視者に絡みつき、あるいは憑依するのと相似ている。古来、人の思惟は時として他愛のない迷夢、寄る辺ない仮説に等しいものでありながら、数多の人々を脅やかし、惑わせ、駆り立てたのも、言葉あるいは文字という不可思議の結晶体へと成生することによって、人々の内奥に潜む冥昏への憧憬心を一挙に喚び起こし、神秘と超越性の実在を予感する魂を震撼させ得たからにほかならない。

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均一本購入控

2013年05月01日 | 瓶詰の古本

   「ポケット日本史」(谷口五男 昭和44年)
   「全釈徒然草 新版」(松尾聡 吉岡曠共著 昭和48年)
   「危ない昭和史 下巻」(岡田益吉 昭和56年)

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