美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(三十)

2013年02月28日 | 偽書物の話

   「ありがとうございます。失礼します。」
   肘付きの極々簡素な木製の椅子ではあったが、沈み込みもせず窮屈に反撥もしない、なんとも落ち着いた好い座り心地がする。ははあ、古本の群れに四囲をかこまれるということ、不死の紙魚たちが吐くかび臭い空気に包まれるということが、私の身体にとっては椅子の椅子たる安楽への門であったのかとあらためて教えられた思いがした。
   「お送りいただいたご本は拝見させてもらいました。」
   水鶏先生は腰を降ろしざま真正面からこちらを見据えながら、くぐもった言葉を轟々と鳴り響かせて来る。
   「どこの馬の骨とも判らぬ者のぶしつけな疑念をお聞き届けいただいて、恐懼の至りです。」
   「いやいや。そんな大仰なことをおっしゃっては困る。こっちは暇を持て余しておるただの穴居人なんだから。本好きの素人にさえなり損なった偏頗な男に過ぎんのですよ。」

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北一輝に貯蔵された力(大川周明)

2013年02月26日 | 瓶詰の古本

   今日の日本にも一芸一能の士が沢山居る。多芸多能の人も稀にはある。其等の人々は、之を適所に配して仕事をさせれば、それぞれ適材を発揮して数々の業績を挙げる。そして其の業績が其等の人々の値打をきめるのであるから、履歴書にテニオハをつけるだけで、ほぼ満足すべき伝記が書ける。然るに世の中には、其の人のやつた仕事を丹念に書き列ねるだけでは、決して満足すべき伝記とならぬ人々が居る。例へば大ピットの演説を聴いた人は、その雄弁に驚嘆しながら、いつも彼の人間そのものの方が、彼の言論の総てよりも一層立派だと感じさせられたといふことである。これは大西郷や頭山翁の場合も同然で、やつた仕事よりも立派だからである。かような人物は、其の魂の中に何ものかを宿して居て、それが其人の現実の行動を超越した或る期待を、吾吾の心に起こさせる。言葉を換へて言へば、其の人の力の大部分が潜在的で、実際の言動の現れたものは、唯だ貯蔵された力の一部にすぎないと感じさせるのである。それ故に吾吾は、若し因縁熟するならば、何等か偉大なる仕事が、屹度其人によつて成し遂げられるであらうという希望と期待とを抱くのである。私は多種多様の人々と接触して、無限の生命に連なつて生きて居る人と然らざる人との間に、截然たる区別があることを知つた。北君は法華経を通じて常に無限の生命に連なつて居た。それだからこそ人々は北君の精神のうちに、測り難い力の潜在を感じ、偉大なる期待をその潜める力にかけたのであるが、最も切実に北君の如き人物を必要とする現在の日本に於て、私は残念ながら北君に代るべき人物を見出さない。『洛陽知己皆為鬼』まことに寂寥無限である。

(『北・大川血盟秘録』 大川周明)

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心が灼けるとき(石川啄木)

2013年02月24日 | 瓶詰の古本

   死ね死ねと己を怒り
   もだしたる
   心の底の暗きむなしさ

               石川啄木
  

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「魔王」と「須佐之男」(大川周明)

2013年02月21日 | 瓶詰の古本

   私が北君から離れた経緯については、世間の取沙汰区々であるが、総じて見当違ひの当推量である。離別の根本理由は簡単明瞭である。それは当時の私が北君の体得して居た宗教的境地に到達して居なかつたからである。当時私が北君を『魔王』と呼んだのに対し、北君は私を『須佐之男』と名づけた。
   それは、往年の私は気性が激しく、罷り間違へば天上の班駒を逆剥ぎにしかねぬ向ふ見ずであつたからの命名で、其頃北君から来た手紙の宛名にはよく『逆剥尊殿(さかな のみこと)』としてあつた。北君自身は白隠和尚の『女郎の誠』の生れながらの体得者で、名前は魔王でも実は仏魔一如の天地を融通無礙に往来したのであるが、是非善悪に囚はれ、義理人情にからまる私として見れば、若し此儘でいつまでも北君と一緒に出頭没頭して居れば、結局私は仏魔一如の魔ではなく、仏と対立する魔ものになると考へたので、或る事件の際に北君に対して『須佐之男』ぶりを発揮し、激しい喧嘩をしたのをきつかけに、思切つて北君から遠のくことにしたのである。
   爾来世間では、北君と私とが全く敵味方となつて互ひに憎み合つて居るものと早合点し、好き勝手な噂を立てて居る。併し北君と私との因縁不可思議な間柄は、世間並の物尺で深い浅いを測り得る性質のものでない。一別以来二度と顔を合わせたことはないが、お互の真情は不断に通つて居り、何度かの手紙の往復もあつた。

(『北・大川血盟秘録』 大川周明)

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均一本購入控

2013年02月19日 | 瓶詰の古本

   「戦後秘史 9 講和の代償」(大森実 昭和51年)
   「重光葵」(渡邊行男 平成8年)
   「力道山の真実」(大下英治 平成16年)

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哲学者の語る国家と個物(西田幾多郎)

2013年02月17日 | 瓶詰の古本

   人間の社会はそれ自身が既に世界性を有つてゐなければならない。此故にそれがヘーゲルなどの云ふ如く国家として道徳的実体といふ性質を帯びて来るのである。かゝる意味に於ては、我々は国家的となることによつて具体的人格となると云ふことができる。我々は絶対矛盾の自己同一の世界の個物として歴史的種的形成的即ち社会的形成的でなければならない。我々は国家を通すことによつて具体的人格となる。而してそれは同時に社会が世界となると云ふことでなければならない。特殊にして一般なるものが国家である。そこに国家が宗教的に権威的なると共に科学的に実在的ならざるべからざる所以のものがあるのである。民族が自己自身に世界を宿すことによつて真の国家となり、個人は種的形成的に世界を映すことによつて具体的人格となるのである。かゝる意味に於て国家が具体的理性であるのである。上にも云つた如くギリシヤに於ては社会が即世界でもあつた。ギリシヤのポリスは尚近世国家の意義に於ての国家と称すべきものではなからう。近世の法律的・道徳的国家はローマ法とキリスト教の世界主義を通じて生れて来たものと考へる。併しそれはそれに於てイデヤを見るものでなければならない、歴史的身体的でなければならない。然らざれば、それは抽象的形式的たるを免れない、具体的理性的ではない。具体的理性的といふことは、多と一との矛盾的自己同一として作られたものから作るものへと云ふことである。それは何処までも世界を媒介とすることによつて制作的といふことでなければならない。私は世界が具体的に制作的となる時、民族といふものが歴史の舞台の上に現れ来なくてはならないと思ふ。多と一との矛盾的自己同一として世界は制作的なのである。種と種とは何処までも結び附かないものでなければならない。種は各自世界とならうとする。そこに種の種たる所以のものがあるのである。種の世界は闘争の世界である。唯それは制作を通じて結合し行くのである。今日我々は経済的には既に制作的に一つの世界である。その為めに却つて闘争的ならざるを得ないのである。我々は制作を通して客観的にイデヤを見ることによつて、一の世界とならなければならない。文化の創造に於て世界は一とならなければならない。イデヤを見ると云ふことは、無差別的に一となることではない。

(『歴史的世界に於ての個物の立場』 西田幾多郎)

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観念としての「調節改善」(近衛文麿)

2013年02月14日 | 瓶詰の古本

   歴史を繙いて世界各国の領土の消長と、民族の興亡の跡をを見れば、今日の地球上に於ける国家民族の分布状態と云ふものは、決して合理的のものでもなければ、確定的のものでもない事が能くわかるのである。実際地球の人口三分の二以上と、二大大陸とが少数の白人種の支配する所となつたのは過去僅に百年の間のことである。もしも、かの所謂平和主義者の主義が行はるれば、此地球上に於ける現在の不合理なる状態は永久不変のものとなり、各国は此現状の上に釘付けにされてしまふのである。如此平和主義は此世界の現状に満足してゐる国にとりては誠に好都合であるが、現状に不満の国にとりては到底堪へ得られない事である。世界大戦の折、聯合国の政治家は何れも口を揃へて、此戦争は平和主義と侵略主義との戦争であり。正義と暴力の戦争であり、善と悪との戦争であると申した。彼等は戦争を以て罪悪と前提し、戦争に対する観念の平和と、罪悪に対立する観念の正義とを直ちに結びつけて平和即ち正義なり、平和主義の我々は正義の味方なりと呼号したのである、これ誠に狡猾なる論法である、現在の如き不合理なる国際間の状態で、永遠に確定不動のものとなさんとする所謂平和主義が何で正義であるか、我々を以て之を見れば、世界大戦は現状維持を便利とする先進国と現状打破を便利とする後進国との戦であつたのである。現状維持を便利とする国が平和主義となり、現状打破を便利とする国が侵略主義となつたに過ぎぬのである、之を以て正義と暴力の争であるとなすが如きは、偽善の甚しきものと言はねばならぬ。先進国は今日迄に、随分悪辣な手段を用ゐて、理不尽に天然富源の豊饒なる土地を或は割取し、或は併合し来つたのである。此事は殖民歴史に明なる所であるが、已に自分等が十分其版図を広めた後は、此現状を維持する為に平和主義を唱へ此現状を打破せんとするものに対しては、人道主義の敵であるとして圧迫を加ふるのである。凡そ世の中に是位勝手な話はない。斯の如き平和主義が続かれたら後進国は正義人道の美名の下に、未来永劫先進国の後塵を拝して行かねばならぬのである。
   私はいふ、真の平和は、不合理なる国際間の現状を調節改善する事によりて始めて達成せられるのであつて戦争は其時に於て始めて絶滅する事が出来るのである。先の世界大戦の如きも不合理なる国際間の状態より当然起るべき運命であつたのであつて、此状態が改善せられざる限り、第二第三の世界大戦が又起らないと言ふ事をどうして保証出来よう。戦争の根源をなす所の不合理なる此状態を調節する事をせずして、徒らに戦争をのみ止めようと言ふ事は、只に徒労であるばかりでなく、それ自身不合理であり、それ自身正義に悖る事である。

(『世界の現状を改造せよ』 近衛文麿)

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均一本購入控

2013年02月12日 | 瓶詰の古本

   「太平洋戦争」(松島榮一 昭和26年)
   「戦後秘史 1 崩壊の歯車」(大森実 昭和50年)

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杉山「ホラ丸」(杉山茂丸)

2013年02月10日 | 瓶詰の古本

   杉山の手がけた仕事は、数えきれない程ある。臺灣銀行を作つたのも、日本興業銀行の緒をつけたのも彼の力であつた。一片の紹介も持たず、飄然渡米した杉山は富豪モルガンをどう口説いたものか、年利三分五厘で一億五千万ドルの外資獲得の仮契約をして来て、伊藤博文や山縣有朋を驚かせたが、松方蔵相が銀行家から押されて「そんな安い金利で外資が入つて来ては、日本の銀行がつぶれる」と反対し、遂に外資導入は立消えになつたが、杉山が「日本の空を煙突の煙で真黒にしてやる」といつた工業立国策の一部だけが採用されて、国内資本のみで日本興業銀行は出来たのである。その総裁になつてくれと頼まれたとき「以ての外だ」とニベもなく断つてしまつた。
   あるときは政府が提出した法案を通過させる為に、貴族院議員や衆議院議員を二、三十名も一室に監禁し、その中の一人は二階から飛びおりて逃げようとして、松の木にブラ下つたなどという喜劇を演じた。そんな手荒なことをしても誰一人彼を告訴するものもなければ、政治問題にする者もなく、闇から闇に葬られた。そこに彼の恐るべき魔力があつたのである。
   世人、彼を称して「ホラ丸」という。いうことすることが余りにも桁外れに大きいので常識では首肯できないことが多かつたからである。この点は彼の盟友後藤新平より一枚も二枚も役者が上であつた。そして後藤のように大臣になつたり官途に就いたりすることを極端に嫌つたので、昭和十年七十二歳で死ぬまで得体の知れぬ「怪物」で一生を通した。

(『黒頭巾の怪物・杉山茂丸』 高宮太平)

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偽書物の話(二十九)

2013年02月07日 | 偽書物の話

 「初めまして。藻潮と申します。お忙しいところ、恐れ入ります。」
 「いやいや。とんでもない。こちらこそ、わざわざ丘の上までご足労いただいて。」
 主人は机の向こう側で立ち上がると、挨拶を返した。この主人が五十の半ばを越えていることは知っているが、電話で一度話を交わしたときの声の調子から察せられた以上に、面と向かってみると更に若々しい顔貌と色艶を持っている。その口をほとんど開かないためなのか、かえって、その声は喉の奥の方から太く大きく響いて来る。
 「まあ、お掛け下さい。」
 こう言って、見えない刷毛で雲の襞を巻き寄せるまじないででもあるかのように、柔らかそうな掌を石の魔峰の突端に覆いかざしながら、主人の対面に据えられた椅子を勧めてくれた。

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カラカラと鳴るソバカラの耳鳴りをききながら(小熊秀雄)

2013年02月05日 | 瓶詰の古本

  耳鳴りの歌
              小熊秀雄

私の耳の中では
ソバカラを鳴らすやうな
少しのしめり氣もない乾ききつて
鐵砲をうちあふやうな音がきこえた
私は心で呟やく、あヽ、まだ戰争がつづいてゐるのだと
とてつもない大きな大砲の音がひびく
ほんとうの戰争よりも激しい
貧困とたたかふ者もある
そして夜がやつてくると
どしんどしんと窓は何ものかに
叩きつけられて一晩中眠れないのだ
やさしい秋の木の葉も見えない
都會の裏街の窓の中の生活
ときをり月が建物の
屋根と屋根との、わづかな空間を
見せてはならないものを見せるやうに
しみつたれて光つて走りすぎる
煤煙と痰と埃りの中の人々の生活も
これ以上つづくであらうか
愛といふ言葉も使ひ古された
憎しみといふ言葉も使ひ忘れた
生きてゐるといふことも
死んでゆくといふことも忘れた。
ただ人はゆるやかな雲の下で
はげしく生活し狂ひまはつてゐる。
私の詩人だけが
夜、眠る權利をもつてはいけない
不當な幸福を求めてはならないのだ
夜は呪ひ、晝は笑ふのだ
カラカラと鳴るソバカラの
耳鳴りをきヽながら
あヽ、まだ戰争は野原でも生活の中でも
つづいてゐるのだと思ふ。
そのことは怖れない
人民にとつて「時間」は味方だから
人と時とはすべてを解決するだらう。

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2013年02月03日 | 瓶詰の古本

   「現代大衆文學全集 第三巻 江戸川亂歩集」(江戸川乱歩 昭和2年)
   「現代大衆文學全集 続第二十巻 江戸川亂歩集」(江戸川乱歩 昭和7年)
   「昭和外交五十年」(戸川猪佐武 昭和57年)

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今に残る「特別室」で…(東京新聞社)

2013年02月01日 | 瓶詰の古本

   昭和初年、三月事件当時、金龍亭は築地二丁目にあり、現在は築地三丁目東劇横の河岸に旅館「河庄」として微かに昔の面影を保つてゐる。女将は昔通りの大橋なみさん、当時の客が今もなほ結ばれた糸の名残りを頼つて集るらしく証人として出廷した清水行之助氏の姿も時折みうけられる。大正十二年以来の経営だから約二十四年の古い歴史である。
   金龍亭には当時「特別室」が設けられてあり、大川、橋本両被告、徳川義親侯、長勇元少佐、清水行之助氏等はそこで密議をこらし芸者を侍らしての天下国家を論ずる国士ぶりを発揮したものであらう。三月事件流産の一原因として伝へられる芸者への豪語などもこの頃の料亭遊びの所産でもあつたらう。大川周明博士等が屢々現はれ始めたのは昭和六年の一月ごろからのやうで、三月までの間、大川、橋本、長、徳川の四名が揃つて現れたのは少くとも四回だつたと大橋なみさんは述べて居り、芸者その他の接待者が到着する一時間位前四人が熱心に何事かを語り会つてゐたのを記憶してゐると語つてゐる。別々にあらはれたのは相当の数をかぞへ、中でも大川博士と清水行之助氏は連れだつて屢々足を入れ、一方橋本欣五郎被告とも大川博士は組んでよく飲みにきたといふ。なみさんの言葉によれば「昭和六年の一年間数回大川博士と橋本欣五郎大佐が一緒に飲食したり「楽まれ」たりされ、また私は度々非常に酩酊されたのを記憶してゐる」のである。清水行之助氏は、三月事件以後は手を引いたと述べてゐるが、三月事件失敗後の昭和七年の初めごろ、尚ほ数回大川被告と行を共にして酩酊してゐたといふのだからその間の事情また自ら彷彿たるものがある。
   「進行性麻痺症」に狂つた大川博士の病気の原因も案外かうした流連荒茫の生活の反映であつたのではないかとも思はれる。

(「裁かれる日本 東京裁判報告第一輯」 東京新聞社)

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