さて古蘭はアルラーが天使ガブリヱルを通して直接マホメットに告げたる言葉其者の復誦なるが故に、一切の自余の預言者の書の上に超出する聖典である。然るに聖伝は、正統回教徒に従へば、基督の四福音書に比すべきものである。何となれば四福音書は、弟子達によつて伝へられたる基督の言行録であり、聖伝は同朋によつて伝へられたるマホメットの言行録なるが故である。マホメットは『吾がスンナを愛する者に非ずば吾が弟子に非ず』と言ひ、また『逆境に在りて吾がスンナを守る者は、百の殉教者の受くる報償を受くべし』と言つたと伝へられる。かくて回教の正統派はスンナ派と呼ばれ、一切の生活を彼の先蹤によつて律することを理想とする。かくてイブン・カルドゥン Ibn Khaldunが言へる如く『回教の律法は古蘭の本文と聖伝の教訓とを礎とする』のである。
(「回教概論」 大川周明)
goo blog お知らせ
最新記事
- 松江の狐話(小泉八雲)
- 夢にだけは気をつけ給え(フロベール)
- 萩原朔太郎、そこに詩がある風景を見出す詩人(三好達治)
- 読者に楽々読ませるのが本当の作家の才能(林芙美子)
- 強さの分からぬ相手に立ち向かうのは、よほど心しなければならない(その2)(今昔物語)
- 「日用語大辭典」例言(芳賀剛太郎)
- 金権に憧れるゴロツキや道楽者というのは、為にする精神的理想主義的御伽話をまことしやかに弁じて人の心を操りたがる(チェスタトン)
- 民主々義国の(詩)人達の頭脳から生れた幻想的な存在は、やがて我々の現実世界を混沌宇宙にしてしまうかも知れない(トクヴィル)
- 青龍の鱗 縁というのはあるかなきか渡る細風のような、後になってからそれと偲ぶ淡く儚いもの(龍女傳)
- 「模範漢和辭典」序(齋藤惇)
最新コメント
- MASA/一身飄零、到処我家(麻績斐)