美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(十五)

2012年07月28日 | 偽書物の話

   「どういう人間がこんな本をつくるんでしょうかね。」
   本を閉じると、私は裏をひっくり返してみた。裏にはなにもない。
   「さあ、どんな人なんでしょう。そのとき、奥さんの話では、ご主人が若い頃からとても大切にしていた本だというだけで。どこで、いつ手に入れたものやら、一向分かりません。こういった類のことがらに通じている人もいるんでしょうから、見てもらって何が書いてあるんだか教えてもらいたいくらいですけど。」
   そのとき、背中にがたりとガラス戸を引く音が聞こえ、ふり返った私の眼に一人の男の姿が映った。男は五十年配、長く伸ばした髪の毛はほとんど白くなっている。暗い光を集めた瞳は、自分の内部にしか焦点を結んでいないかのようだった。男の体の周りからは、湿っぽい陽炎じみたものがたち昇り、なにやら、人生から借りられるだけ借りをつくってしまった後の絶頂感みたいなもの、空に放り上げられてこれから一気に落下しようとする間際の頂点にある停滞感を思わせた。その気になり次第、今まで試したことのない狂妄をいともたやすく実現してみせるのだがといった、どこか隠花的な余裕をただよわせていた。

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日本人はあきらめにあり(清澤洌)

2012年07月25日 | 瓶詰の古本

(昭和十八年)七月二十五日(日)
   今日の教育による日本人は、断じて時局に関し反省せざるべし。日本人はあきらめにあり、しかし積極的建設は不可能である。馬鹿な国民ではないが、偉大な国民ではない。ドイツ人が同じことを繰返すように、日本人も必ず今後同じことを繰返すだろう。
   田村幸策君(法博)の話-毎日新聞の大東亜調査会で、学者たちが戦争責任に関する研究を進めていた。秋田中佐というのが来て、「そんなことはわかっているではないか。チャーチルとルーズベルトにあるよ。いまさら戦争責任なんてオカしい」と。学者先生ペチャンコとなったそうだ。

(「暗黒日記」 清澤洌)

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偽書物の話(十四)

2012年07月22日 | 偽書物の話

   「ちょっと中を覗いてみてもいいですか。」
   私は腰をかがめると、本の表紙に手のひらを当ててみた。さらさらとした、微細な和毛のような感触がある。押さえると黒い表紙は冷たくはなかった。
   頁を開くと、縦書きに見たこともない形をした、文字めいたものが書き連ねてある。平仮名とも片仮名ともつかぬ、しかもどこかそれらと似通ったところのある標しが筆で認めてある。さらに頁をめくって行くと何頁おきかに、夜の町の暗い底からあかあかと燃え上がる炎を描いた絵図がはさまっている。その絵図は、どうやら同じ情景を次第に大きく引き伸ばしていったものらしく、筆はいつか、火につつまれた家屋の前を横切る一つの人影を捉えている。
   左手に抱えている箱のようなものは、書物とも見える。人物の首から下、泳ぐようにして駆け出しているその半身は、強烈な炎の明かりを受けて黒い煙の刷毛と化している。わずかに男の顔がこちらを向いて、内心の恐怖をあらわしている。

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未だ尊厳の何たるかを知らないが

2012年07月19日 | 瓶詰の古本

   いじめられたこともなければいじめたこともない。そんなことが誇りとされるような国民に、成し遂げ得るなにがあるというのか。
  
   ある種の陰謀説に立てば、日本戦時の指導者等には、人の死は員数のラチ内にあり一人ひとりの死の事情などは知っちゃあいないという思想の持ち主も珍しくなかったということになる。その卓越した智謀の届く範囲には、人を命ある唯一個の魂と判ずる心のひとカケラも転がってはいなかったということになる。
   柔弱なる異国伝来の恕の心なんかで、そもそも国を動かし、戦を完遂することなどできるはずはないとでも考えていたのか。あるいは、たとえどんな無考えによって傷ましい災厄を他人に負わせることになろうとも、必然の敗北を招く選択であること明々白々であろうとも、仲間内でこそ雄々しくも美々しいひたすらな強硬論だけが、前向きで見上げた姿勢として誉れとされる国柄となってしまっていたのか。

   『戦後の花谷については、第五十五山砲連隊の小原耕造元中尉が私に寄せた手紙に、次の一節があった。 
《戦後、収容所生活をしていたところ、花谷がタイ国で敗戦の責任を負って自殺したといううわさがたった時、私は「それはデマだろう。部下に対して、あんなに責任をとれ、とれといって自決させるような人間に限って、自分は責任をとらないものだ」といったら、人々から変な顔をされたことが、たびたびあります。今日でさえ、第五十五師団と関係のほとんどない当地(米沢市)に住んでいてさえ、彼を多少知っている人から「花谷さんは自決したのでしょう」ときかれます。人の命を尊重せず、責任を追及し、簡単に自決させる男を、責任をひどく重んじる人と思っている者が、世の中には意外に多いのに、私はおどろいております》』  (「戦死」 高木俊朗)

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偽書物の話(十三)

2012年07月16日 | 偽書物の話

   「この本は、昔、あるご婦人から買い取ったものなんです。実は私には、どんなことが書いてあるんだか皆目分からないんです。なんでも亡くなられたご主人の書棚に積んであった一冊なんだそうですけれど、その方だって、本についてはまるきり興味がおありにならない、むしろやっかいもののように思われてたことだし。神字というものはご存知。」
   「シンジ……。」
   「神の字。漢字や仮名とは全然由来の違う文字のこと。漢字より以前に、つまり、大陸から文字が伝わるずっと古い昔、例えば神代の時代から使われていたなんという文字のことです。」
   「そんなもの、本当にあるんですか。」
   「さあ。正直、そんなもの本当にあるのか眉唾なのか。たとえ本物だからといって何かの役に立つとも思えない。聞いた話では、それなりにえらい人達がそれぞれいろいろな神字を発見したとか、古代文字を解読したとかして来ている歴史があるそうですよ。雑誌で一度見たのは、なんだか小さな子供が壁に引っ掻いてできた模様みたいなので。でも、訳が分からなければ分からないほど有難いことではあるのよね、世の中に不思議を求めたくてしかたのない人にしてみれば。神秘を開く鍵が現実のどこかにあるかもしれないなんて思い付いてしまう人にとっては、そのものが本物か偽物かなんてことよりも、ただ、それが自分だけに選ばれてある鍵なんだと確信できるかどうかが大問題なんでしょうね、きっと。」

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曼陀羅華奇譚(平路社)

2012年07月12日 | 瓶詰の古本

   マンドレーク(曼陀羅華)は、朽ちた棺桶や腐つた骨などから生えると言はれてゐる悪魔的な毒草である。
   昔から、この毒草を採取することは、非常に危険でもあり、また罪深いことだとされてゐる。人がもし、その昔からの戒めを破つて、この毒草を根扱(ねこ)ぎにするならば、この毒草は引き抜かれる途端に物凄い叫びを発し、その叫びを聞いた者は、恐怖の余り即死すると信じられてゐたのである。
   しかし、時を経るに従つて、人間の智慧は、美事に、それしきの戒めや嚇しの裏を掻くやうになつた。それは、まづ、だんだんに曼陀羅華の周囲(まはり)の土を取り除け、その根株をゆるめ、それから一本の丈夫な糸の端をその茎に縛りつけ、その糸の他の端は飼犬の頚環に縛りつける。そして、自分は、蠟(らふ)で両方の耳の穴を固く塞ぎ、件の飼犬を呼び立てながら、さツさと歩き出すのである。忠実な犬は、是が非でも主人の後について行かうとし、糸は弓の弦の如く張りきり、遂に魔草曼陀羅華は呆気なく地中から引き抜かれてしまふ、といつた仕組みである。
   その際、気の毒な犬は、この魔草の恐ろしい叫びを聞いて、一堪りもなく斃れるものと信じられてゐた。また、かうすれば、魔草の祟りは総て犬に行き、人間には何の障りもないものと信じられてゐたのだつた。しかし、こゝに不審に堪へないのは、何故に、曼陀羅華採集者は、その愛犬の耳の穴をも蠟で塞いでやらなかつたのか、といふことである。
   さて、一旦引き抜かれてしまつた曼陀羅華は、もはや人間に害を及ぼすどころか、人間にとつて無上の霊薬となり、或ひは人体内に魅入つてゐる悪鬼を逐ひ出し、或ひは死者を蘇へらすと言ひ伝へられて来たのである。

(「世界旅行奇譚史」 平路社編)

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偽書物の話(十二)

2012年07月08日 | 偽書物の話

   あらためて二畳の帳場を見渡すと、そこには例のちゃぶ台と読みさしの本、隅の方には真田紐でくくられた古本の束が積んである。そして、その古本の束とは別に、とび抜けて大判な書物が一冊、壁に立てかけられている。黒い布張りで、包み切れない中身の重力がそのまま外側へ膨らみ出しているといった風である。
   「あの、あの本は随分とでかいですが、画集かなにかですか。」
   女はその本に目をやると、黙って首を振った。ふうわりと畳の上へあがると、包み込むようにして本を持ち上げ傍らまで運んで来ると、静かにそこに置いた。
   黒暗の表紙には、真ん中にいの字とちの字とを組み合わせた一つの形象が白抜きに浮かび上がっている。古沼の底から地上の世界に届けられた、声として読み取り得ない声がそこに見えている。明聴力とでもいった感能力を備えた人なら、恐らくその声を聞き取ることができるのではないか。私は回復しない頭の中で漠然と考えていた。
   女は表紙の白い文字を指でなぞってみせた。

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木村鷹太郎のオリンピック起源論(奇想)

2012年07月04日 | 瓶詰の古本

   比叡山開闢
   アナクシメネースたる最澄は埃及唐に学んで帰国した-留学僅かに二年-埃及天台の哲学宗教、凡て其精髄は之れを日本に持ち帰へり、唐たる埃及には、凡骨ばかり残つて居て、此方面の仏教は日本が中堅となつた。
   最澄アナクシネメースは延暦二十四年日本へ帰つて、桓武天皇の命に由つて比叡山を草創することになつた。(比叡山草創は、諸書に延暦七年としてあるが、此時最澄まだ二十歳前後、修行未だ完いとも思へない。唐から帰り、仏学大成して、比叡山を創めたとするが正当のやうである。太平記に『延暦の末年』とあつて、帰朝の延暦二十四年後とした方が善いやうである。)
   此の比叡山草創の事は日本の教学、哲学に取つては一大事件であるが、是れが希臘歴史にはオリンピツク・ゲームの始まりとして伝つて居り、日本には比叡山開闢として伝つて居て、決して小さな事件ではない。
   希臘歴史に拠ると、オリンピツク・ゲームなるものは、ヘーラクレースが、其父ゼウスの神(智者大師)の紀念の為めに、大旅行から帰つて、其遊戯を起したと云ふてある。そしてヘラクレースは此後に研究するが、弘法大師に当るので、日本歴史に拠ると、実は弘法よりも最澄からオリンピツク・ゲームが始まつたのある。

   クレオイボスと玄慧法印
  
希臘史に拠るとオリンピツク・ゲームは四年目に一度あつて、其れで年数を計るやうになつて居たのである。そして其第一のオリンピヤ祭に名誉の競技優勝者はクレオイボースKre-oi-bosなるものであつたとのことだが、是れが比叡山開闢の事を物語つて、武人等をやり込めた玄慧法印なるものゝことである。即ち、「玄」は黒、暮即ちクレで、「慧」はウエ、又たオイに当り、「法印」は法師、坊主で、ボースと対訳される。
   此通り、本源的オリンピツクは日本(印度・日本)に存したものであるから、其太古の事を研究するには、是非とも日本仏教史を研究せねばならぬ。西洋希臘のエリスにあるオリンピヤの如きは後代になつて、出来たものに過ぎぬ。

(「世界思想の源泉 (一名)“希臘哲学は日本主義及び日本佛教史の西傳”」 木村鷹太郎)

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