美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

触らば切れる穂先から、大きな目玉が秋天を睥睨する(吉田冬葉)

2023年09月27日 | 瓶詰の古本

  日は斜関屋の槍にとんぼかな

「関屋」は関所にある家のことで、国境或は要害の路に設けられてある門であつて、吏を置いて人の往来を塞ぎて糺すところである。「不破の関屋はあれはてゝ」等とあると同じである。
 秋の夕日が釣瓶落しに傾いて、斜めな日脚が関屋の戸や庇に射して、備へてある槍の穂先に静かに蜻蛉がとまつてゐるといふのである。
 往来の人々を糺す関所といふ、聞くだけでも何んとなく平静を欠くやうな所、人を突く槍といふもの、さうしたものに一切無関心でとまつてゐる蜻蛉に、作者は心を惹かれたものであらう。

(「評釋蕪村の名句」 吉田冬葉)

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巨大図書館の片隅の小さな作業部屋で圧しつぶされそうになりながら目録カードを作っていると、貧相な猫背を取り囲む古い書物の群れから無声の呟きが洩れて来る(アンドレーエフ)

2023年09月24日 | 瓶詰の古本

 あたりには多数の人がいるのに、どうして街道には誰もいないのだろう?
 私には彼等のいるのが感じられる。私は靴の踵でコツンとアスファルトの上を敲いてみた。と、その不思議な散らばった憐れっぽい音響が実にたまらなく淋しかった。私は気儘にあちこちと歩いてみたり、ふと立停って二三分間立続けたまま、自分が一人であって、同時に一人でないということを示そうとして、大声をあげて歌を唄ったりした。私の身体が一人ぽっちなのは実際だが、私の心には幾多の他人の心が軽く接触している。私のハートには他人の感情が入りこんでいる。そして無数の隠れた人々が銘々にその秘密な生活で私の心を充たしている。
 丁度これに似たような感じを私はいつか国立図書館で経験したことがある。そこの館長の親切な厚意によって、私は或る祭日に閲覧を許されたのだ。夜であった。幾十万という書籍が書棚の上に黙々としてみっしり詰っているあのがらんとした広い場所に、私は唯一人でこつこつ仕事をしていた。と、ふだんは極く鈍い、煮え切らない私の心が非常に冴えてきた。が、やがて心の興奮やばらばらな心象や我儘な感情や恐ろしい反感や不意の観念などが次第に募ってきて、とうとう私は自分が病気になったのを自覚して、折角やりかけた仕事も中止しなければならなくなった。そして自分がこんな気分になったのをあの多くの書物――しかもそれが私の選び出して読んだ書物ではなく、本箱や本棚に圧し込められたあの多くの黙々たる書物の影響だと悟った時、私は大いに驚いた。あの黙々たる書物が或る秘密な手段で、私の頭脳を他の死んだ無数の頭脳と結び付けて、叛逆的にそっと私の心の中へ他人の生活を注ぎこんだのである。それからあの時私のために扉を開けてくれた守衛を今でも憶えているが、極めて古風な顔付をした憂鬱な男で、絶えず或る不可思議なものに耳を澄ましているといったような、緊張した頭の振り方をしていた。

(『獣の呪』 アンドレーエフ 昇曙夢譯)

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怪珠 取り返しつかなくなってはじめて自分の薄情と無慈悲を恨む薄情者(玉溪編事)

2023年09月20日 | 瓶詰の古本

 美貌の一商人があつた。彼は毎日西河の岸に舟をつけては、町へ商品を売りに行つた。
 ある日、何気なく、岸の上に聳えてゐる高楼を見上げると、美しい女がぢつと彼を見つめてゐるその美しい眼に逢つた。その日は別に気にもとめなかつたが、その翌日、例の如く岸に舟をつけて町へ行かうとすると、やはり高楼の窓からのぞいてゐる美人の眼に逢つた。三日目、四日目と経つたが、美人は相変らず、窓にもたれて、商人の美しい顔に見入るのだつた。
 これが文士なら、早速華かな恋にもならうし、美しい恋物語も出来やうが、遉は商人、利益より他には考へがなかつた。一通り商売がすむと、美人の眼などはお構ひもなく、さつさと他の岸に移つて、それ以来高楼の美人の眼に触れる事はなかつたのである。
 美人は、ふつつりと商人の姿が見えなくなつてしまつたので、嘆き悲しむ事限りなく、遂には恋しさのあまりに、気鬱症となつた。
 半月、一ケ月と経つたが、商人の姿は現れない。病気は少しもよくならぬ。二ケ月たつても治らぬ。両親が心配して色々手を尽したが、悪くなるばかりであつた。遂には糸のやうに痩せ細つて死んでしまつた。
 両親は泣く泣く荼毘に付したが、女の一心が残つたせいか、胸のあたりに鉄のやうな球が焼け残つた。不思議に思つて、これを拾ひ取り、磨いて見ると水晶のやうに透徹つたものになつた。よくよく見ると、舟と高楼との形が見えるのだつた。猶よく見ると、舟にも高楼にも、人の姿がありあり見える。
 あまりの不思議に、両親は今更ながら驚き、これを大切に蔵へ納め、長く宝物として伝へる事にした。
 その後何ケ月経つて、例の商人は舟を西河の岸へつけた。しかしもう高楼には女の姿が見えず、邸内も何となく淋し気である。ある日、それとなく様子を聞いて見ると、美人は既に死んだと云ふ。そして不思議な球を胸の中から発見したといふ話を聞いて、両親に逢ひ、是非売つて貰ひたいと懇望した。しかし両親は、黄金を山と積んでも売らぬと言つた。
 商人は泣かんばかりに頼んだので、とにかく見せるだけは見せやうと言つて、蔵から出して来た。
 商人はしがみついて、大声に泣いた。あまり泣き方がはげしかつたので、眼からは紅の雫がぽたぽたと滴り落ちた。それが球の上へふり落ちると、どうしたのか球は見る見るうちに一塊の灰と化してしまつた。

(「妖怪畫談全集 支那篇」 過耀艮編)

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優位な立場を利用して有無を言わせず思いを遂げようとつんのめる抑えきれない情炎は、古典任侠小説において逆説的に揶揄されている(井坂錦江)

2023年09月17日 | 瓶詰の古本

陽穀縣城で西門慶といふ金持が、不図したことから武大郎の細君潘金蓮を見染め、隣家の茶店王婆に取持ちを頼むと、王婆がこれに策を授けるところがある。これは昔から本書中での圧巻と称せられる一節である。
王婆が西門慶に云ふには、あの女は中々御針が上手だから、私に藍綢と白絹一疋づゝと、百匁のよい綿を買つて下さい、私は彼女を御茶に呼んで、私に今度いゝ施主がついて、私の送終衣料――死装束の布地をくれたから、ひとついゝ日を選んで縫つてくれませんか、といつて見ます、それを彼女が断わるやうでしたらだめですが、引受けてくれるのでしたら一分の望みがあります。それからそれでは私の家に来て縫つて頂けないかといつて見ます、それを、いや自分の内で縫ひましようといふのでしたら、やはり見込がありませんが、さうしましようといつたら二分の望みがあります。そして来てくれたら、その日に酒肴や点心を出して彼女を歓待します、この日は貴方は来てはいけません、次ぎの日に若し彼女が私の処は不便だから、やはり家に持つていつて縫ひますといふやうだつたらだめですが、やはりやつてくるやうだつたら三分の望みがあります。この日も貴方は来てはいけません、そして三日目の昼頃久しぶりに此辺にきたから立ち寄つたといつておはいり下さい、その時に貴方の姿を見て、急に自分の家に帰つていくやうだつたら見込がありませんが、そのまゝ居るやうだつたら四分の望みがあります。それから私があなたをお紹介します、貴方も挨拶して御針のうまい事を讃めて、彼女が何か返答すれば五分の望みがあります。それから貴方が礼の意味で酒肴を調へるように、私に命じて御覧なさい、その時彼女が座を立つて帰ると云はねば六分の望みがあります。そして私がこれ等のものを買ひに出かけるときに彼女に、この旦那と御話しして居つて下さいといひますが、それを彼女が肯んずるならば七分の望みがあります。酒肴を買つて来て彼女に勧めてそれを受ければ八分の望みがあります。私は酒が無くなつたからとて又買ひに出かけるが、それでも彼女が座を立たねば九分の望みがあります。最後の一分は一番むづかしいのです、それは酒を酌みかはしながら、貴方が知らぬ風で御自分の袖で箸を床の上に落すのです、そして慌てゝそれを取る体にしてそつと彼女の脚をつねつて御覧なさい、その時に彼女が騒ぐやうだつたらもう見込みがありません、若しそのまゝ黙つてるのだつたら十分の望みがあつて成功です。

(「水滸傳と支那民族」 井坂錦江)

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深い経験を自負する人よりも優しい機知を包み持つ人の方が(多分)運命に愛される(デュヴェルノア)

2023年09月13日 | 瓶詰の古本

 そして、彼女は打合せた時間に、アンドレに連れられて、そのおそろしいおぢいさんの前に出たのである。
 ――お前は、」と彼はその孫に向つて言つた。「部屋の隅へ行つてまあ見てゐなさい。」
 アンドレはその通りにした。
 ルゴルシャン氏は再び口を切つて、
 ――さてあんたぢやが、わしはこいつが馬鹿者だといふ事を今更、あんたに知らせるにも及ぶまい‥‥さあもつとこつちへ寄つて、わしの言ふ事をよく聞いてもらはんけりやならんで‥‥」
 リュシエヌは近寄つた。そして彼女のハンカチーフを取り出したのである‥‥ルゴルシャン氏はあらかじめかう言はうと言葉を用意して置いた。
 ――もしも、このたわけ者にあんたがかゝわつてゐて、また、結婚などと滑稽千万ぢやが、もしどうしても結婚に引ずり込まうと云ふ気なら、このわしに話してもらひませう‥‥」然し、生れてはじめて彼は躊躇した‥‥プンと来る香水の香りが今彼の心臓をときめかしたから‥‥。昔の香り、ほのかな、やゝもの悲しい香り、そしてそれは遠い過去の奥底の方から匂つて来るやうに思はれた。「はてな、これは一体、何処で嗅いだのかな?」とおぢいさんは考へた、あゝさうだ、自分が、昔のフィアンセから‥‥伊太利亜劇場で、彼が彼女に身をかゞめて、言ひ寄らうとした時‥‥
 沈黙がしばし続いた。香ひの正体がはつきりわかると、ルゴルシャン氏はグッと頑張つて、用意の言葉を切り出さうと思つた。然し、彼はしびれたやうな感じを受けた。なつかしい思ひ出の心が身のまはりで波うつてゐた。リュシエヌは蒼白く美しかつた。伏目がちに、涙をたゝへてゐた‥‥。
 ――いゝかね、わしの言ふ事を、よく聞いて、もらはんけりや‥‥、」老人は口ごもつた。「あんたはあれよりきつと一枚上手ぢやらう。わしはあんたといふ人をよう見抜いた。後の事は然るべく勝手にしなさい。」
 彼は扉を開けて怒鳴つた。
 ――さ、お前は帰つてもよろしい、馬鹿者め、わしは見たいと思つたものを見たし、御前の云ふ事も聞き届けてやる。二人とも、さつさと出て行きなさい‥‥」
 ルゴルシャン氏は一人残つて窓を閉じ、カーテンを引いて、ソファに腰をおろした。そして心をこめて、静かに静かに、息を吸ひ込んだ。若き日の恋心にたわいなく身を委ねたこの香りのいつまでも消えないやうにと‥‥。

(『香水』 アンリ・デュヴェルノア作 小松義雄譯)

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物語が読みたくて読みたくてどうかして本を手に入れたいと願う人は文学の道へ真直ぐに導かれ、珍稀のブツとしてひたすら本を掻い込む者は人知れず古本の沼に朽ちる(木村鷹太郎)

2023年09月10日 | 瓶詰の古本

さらしな日記の著者、京に著きし後は、小説のみに心を傾け、源氏物語を寤寐にも念ひ忘るゝことなく、まこと、在るが如き情にて源氏を恋ひ慕ふ様、実に女心はかゝるものなるかと思はる。日記に曰く
『光る源氏ばかりの人は此世におはしけるやは。此頃の世の人は十七八よりこそ経よみ、行もすれ、さること思ひかけられず。辛うじて思ひよることは、いみじう、やんごとなき容(かたち)ありさま、物語にある光る源氏などやうにおはせん人を、年に一度にても通はせ奉りて浮船の女君のやうに山里にかくし居ゑられて、花紅葉月雪を眺めていと心ほそげに、めでたからん御ふみなどを、時々待ち見るなどこそせめてとばかり思ひ続け、かりそめことにも覚えけり』と。日記の著者源氏物語を読むや、一の巻よりして、人も交らず几帳の内にうち臥して引き出でつつ見る心地、后(きさき)の位も何にかはせん。昼はひぐらし、夜は目のさめたる限り、火を近くともしてこれを見、法華経も習はず、習はんとも思はず。只源氏の夕顔、宇治の大将の浮船の女君の如くあらんことを願ふ。女の情はげにかゝるものなるべし。日記の著者が、心の底をつゝみなく書きあらはせるは、甚だ面白きことゝ云ふべく、余は著者の無邪気なる日記を愛読す。日記の著者又た歌をよくす。或人が梅の木に向て、此花の咲かん頃再び訪はんと云ひて、咲く頃も来らざりければ、梅の枝を折りて歌をそへて送れる
  『たのめしを猶や待つべき霜がれし
         梅をも春は忘れざりけり』
と。あゝ霜がれし梅をも、春は忘れずたづね来て花咲かず。人の心の頼みがたなよ。

(「讀書百感 鳴潮餘沫」 木村鷹太郎)

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表立っていなくとも誰かしらが好ましく思っていてくれたとすれば、そのことが懐かしい形見になる(古本病者には望むべくもない話)(ドストエフスキー)

2023年09月06日 | 瓶詰の古本

 ある事情のために私は三月(みつき)ぐらゐこの町を離れてゐたが、冬になつてから家へ帰つてみると、アレキサンドル・ペトローウィチが秋ごろ亡くなつたこと、それも孤独のうちに死んで、一度も医者を呼ばうともしなかつたことを知つた。町の人々はすでに彼のことは忘れかけてゐた。彼の住んで居た部屋はまだ空いたままだつた。私は故人の家の主婦と直ぐさま知り合ひになつたが、彼は特に何をやつてゐたか、何か書きものでもしては居なかつたか、といふやうなことを彼女の口から聞き出さうといふ肚だつた。二十カペイカ銀貨一つ握らせると、老婆は故人が遺した反故を籠いつぱい持つてきた。そしてまだ二冊ほどノートがあつたが、自分が使つてしまつたと白状した。この老婆といふのが気むづかしげで無口で、その口から何かこみ入つた事でも聞き出さうといふのは無理だつた。亡くなつた間借人について特に耳新しいことは何も聞かしてくれなかつた。老婆の話によると、彼はいつも何もしないで、幾月も本を開いたことがなく、ペンを手にしたこともなかつた。その代り、幾晩も幾晩も、夜通し部屋の中を往つたり来たりして、断えず何か考へ込んで、をりをり独言を言つてゐたといふ。そして老婆の孫娘のカーチャを大変可愛がつて、殊にカーチャといふ名であることを知つてから、可愛がり様が目立つてきて、聖カテリーナの日には欠さずに誰かの供養を営みに出かけたといふ。彼は客を我慢することが出来なかつた。外へ出るのは子供を教へに行くときだけで、老婆が一週間に一ぺん、ざつと部屋の掃除に行くと、彼女に対してさへ、じろりと白眼を見せるといふ風で、三年の間、殆んど口を利いたことがなかつたといふ。私は試みにカーチャに向かつて、先生を覚えてゐるか、と訊ねてみた。するとカーチャは黙つて私を見てゐたが、急にくるりと壁の方を向いて、泣き出した。してみると、あゝいふ男でも確かに自分を愛するやうにすることが出来たのである。

(「死の家の記録」 ドストイエフスキイ 上脇進譯)

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度々聞かされると何でも好きになる(プラット)

2023年09月03日 | 瓶詰の古本

 併し群集は各人の心にある観念や刺戟を間接のみならず直接にも強める。これは群集が各人に与へる多数の暗示によつて強めるのである。正常な人は暗示が余り強くなければ一つ二つの源泉から来る暗示には平気で堪へるが、暗示の源泉が五十、百、更に一万にもなると大抵の人は負けてしまふ。このことが屡〻言はれる通り広告の秘訣である。私は「サポリオを使用されよ、泡立ちがよい。」といふ広告を読んだが平気であつた。それから真直ぐに街を歩いて行つた。店頭にこれが陳列してあるのを見たが買はずにゐた。併し私が電車に乗ると、いつもスポットレス町ではこれ以外の品を使つてゐないことを聞き、雑誌を開くといつもサポリオは人を立派に見せる品であることを知り、又街を歩いたり田舎を散歩したりしていつもそれの大文字のビラを見ると、自分は体面上必要なものを用意してゐないから真の紳士でないと思ひ出して、遂に私の良心は負けてしまつた。
 ドーレー氏の言葉に「度々聞かされると何でも好きになる」とある。この反復の原理は群集の各人が交互に与へる暗示の中に非常に多く見られる。信仰、刺戟、情緒は群集に等比級数的に宣伝される。各人は互に影響し合ふから感染は群集内に進み、行動や信仰に及ぼす情緒的刺戟は殆んど抗し得なくなつて来るのである。14
 註14 この種の情緒的、刺激的感染は人間の群集にのみ限られない。テネットは象の群の中にもこの例を見てゐる。(“Ceylon,”1860,Part ⅤⅠⅠⅠ,Chap.ⅠⅤ)同様な現象は馬の群にも見られるとシイデイスも言つてゐる。(op.cit.,p.314)

(「宗教心理學」 ジェームス・ビゼット・プラット著 竹園賢了譯)

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飛火する流言蜚語と群衆心理(森田正馬)

2023年09月01日 | 瓶詰の古本

 扨、感動即ち恐怖驚愕なり、歓喜、尊仰なり、憎悪、忿怒なり凡そ感動といふものは、常に注意が其の方にのみ集中して意識溷濁の状態となり、周囲の見界がなく、精神が動揺して不安定となる。従つて其感動に関係のない事は、随分大きな刺戟にも気が付かず、少しでも之に関係のあるものは、感受性が強くなり、想像力が亢進し、総て過大に感じ考へ、錯覚、錯想が幻覚、幻想を起し、無い事迄もあるやうに思はれるやうになる。而して精神は極めて単純化し、軽信的となり、極端なる偏向を起す。暗示性が亢まるというのも之がためである。例へば恐怖に支配されてゐる時は、些細な音響にもビツクリし飛上り他の人が「ソラ来た」といつても、忽ち之を真実と信ずるやうになる。又一方には恐怖の相手から避け逃れんとして又之と奮闘し撃退せんとする衝動があつて、逃げ道のある時には、極めて惰弱であるけれども、必死となる時には、熱狂激越残虐性になる。而して此感情を憎悪する條件は、内界の事情としては、衰弱疲労困憊等であり、外界の事情としては周囲の混雜動乱等総て騒々しい事等である。今こゝには個人の感動状態に就いて述べたが、群衆の全体から見た心理の状態に於ても之と同様である。只異なる処は、個人の時には自分といふものと外界との相対であるが、群衆といふ時には、単なる自分ではなくて、団体と外界との相対関係になつて来る。即ち個人といふ時は、小さい固い、しめくゝりのある我であるが、群衆となれば、大きな粗雜な離散し易いものとなつてゐる。それで自分といふ時には、思慮行動総て自己保持の力が細かに働くけれども、群衆になれば、互に人に頼り、人に責任を嫁し、自分の注意と思慮を用ゆる労を廃し、共同の目的に対して、どうかなるだらう、何とかして呉れるだらうといふ考になるから、従つて流言にも軽信性となり、総ての行動に附和雷同性となり、残忍暴行等の如きでも平気でやるやうになる。吾等は常に人に頼るといふ気分があつて、死ぬるにも道連れの多い程何となく心強い。危険な事破廉耻な事でも、大勢と一緒ならば、自己一個の恐怖や責任を感じない。自分一人では喧嘩する事も出来ないで、後の祟りが恐ろしいが、大勢ならば人を殺しても、後の報復に対して、大勢と一緒に対抗するといふ心強さがある。
 要するに今回の地震のやうな時には、一般が恐怖感動に襲はれて、境遇を同一にする処の群衆の状態となり、其感動は総て思慮分別を失ひ、流言に対して、極めて軽信性となり、直ちに之を信じて軽挙、衝動的の行動をとり、場合によつては破廉耻、残虐、非常識の行動を敢てして顧みないやうになる。之が群衆を離れて、自己本心に立帰る時には、平常の思慮分別が働いて、極めて馬鹿げた慚愧に堪へないやうな事である。但し生来分別乏しく、廉耻に乏しい変質者の彌次馬は此限りでない。之が流言蜚語の群衆に及ぼす影響であるが、しかも此流言は既に述べた如く、同じ群集の内部から、自分自身の内に起り、之から人心の混乱を来すので、つまり大きくいへば災害事変の時には、一般が群集の状態となり混乱に陥るもので、流言は其間に起る自然現象である。一の病的症状のやうなものであるともいへよう。而して流言は、益々混雜を起し、混雜は更に流言を起して、混乱を益々大にする事になるものである。
 今回震災に於ける流言の影響も、今から考ふれば、極めて馬鹿気た又非常識破廉耻の群衆的行動を起し、大災後四五日頃迄は、社会をして随分意想外の混乱に陥らしめたのである。

(『流言蜚語の心理』 森田正馬)

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