美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

なにが悲しくて

2010年02月16日 | 瓶詰の古本
   なにが悲しくて、錆び付いたままの文字を残さなければならないのか。あるいは、一日の仕事を遠く離れ、白昼の倫理に背反する理路の下で文字を探そうとする奇怪な夜更けは、どの窓を通り抜けてやって来るのか。
  腹の底から湧いて来る好い加減さを小脇に抱えながら、どこまで行っても混じり合おうとしない悲喜の間を纏綿する。そして、結局は悲しさの極みに行き着こうとして、少しづつ少しづつ文字を辿って行く。ふらふらと右往左往する自分の内側に、文字にかじりつこうとする発端はあるはずがない。心は空虚でかじかんでいる。であればこそ、由来の知れぬ文字の跡は頽落と悲しみの果てとして残りつつあるのか。
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