美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

待ち伏せしていた孤島の鬼

2016年02月28日 | 瓶詰の古本

   本の中に没頭して先へ先へと読み進みたいのに、一方でどうか終わらないでくれと強く願わずにはおれない物語が世の中にはある。このことをはじめて知ったのは、江戸川乱歩の「孤島の鬼」のおかげである。もっともこの探偵小説を読む頃まで、学校の教科書を除いて本を読むという習慣がなかった。身の回り、家の中にある目ぼしい活字本といったら、親が仕事に使うほんの数えるばかりの簡易な法規集、若干の文庫本、広辞苑と新英和大辞典の中型辞書、定期購読の『平凡』、それと貸本屋から借りて来た大衆小説が読みさして畳の上に転がっているくらい。
   金もなければ(ないから)読書への興味も持ち合わせず、およそ本とは縁の繋がらない生活を送っていたが、表通りながら田舎の寂しい往還に面した古本屋の軒先に木台があり、偶々何気なく覗いた先に「孤島の鬼」という文字が見え、江戸川乱歩の名前が見えた。20円を支払って手にした薄っぺらい古本は田舎から東京へ持って運ばれ、未験の魔を顕わすことになる。
   更に、恋は出会い頭とよく言われるが(言わないかも知れないが)、魂には稀に魔的な力が宿るらしいということをも出会い頭に刻印されてしまった。古本を読む窓から差し込む西日はバラック長屋二階の一室を炙り、そのときその部屋は戸棚じみ船艙めいたラスコーリニコフの部屋と板一枚隔てた隣り合わせであったに違いない。
   以来、その場所からほとんど遠ざかることのできぬまま、頭の裏では真夏の真っ昼間、赤ちゃけた崩れかけの土塀に幻世を投影するばかりである。

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他界の断片(ドストエフスキー)

2016年02月21日 | 瓶詰の古本

「医者に見てお貰いなさい。」
「そりゃおっしゃるまでもなく、ちゃんと承知しとります。正直、どこが悪いかわからないけれど、健康でないことだけは確かですな。が、わたしにいわせれば、わたしのほうがあなたより確かに五倍は丈夫ですよ。わたしがお尋ねするのは、幽霊の出現を信じなさるかどうかというのじゃありません。わたしがお尋ねしたのは、幽霊の存在をお信じになるかどうか、ということなんです。」
「いや、断じて信じません。」声に一種の憎悪さえ響かせながら、ラスコーリニコフは叫んだ。
「だって、普通なんといってます?」スヴィドリガイロフはそっぽを見ながら、頭を少し傾けて、独り語のように呟いた。「世間のものは『お前は病気だ、従ってお前の眼に見えるものは、ただ現存せざる幻に過ぎない』といいます。が、それには厳密な論理がないじゃありませんか。なるほど、幽霊はただ病人にだけ現われるものだ、ということにはわたしも同意です。しかしこれは単に、幽霊は病人以外のものには現われない、ということを証明するだけで、幽霊そのものが存在しない、ということにはなりませんからね。」
「もちろん存在しませんよ!」とラスコーリニコフはいら立たしげにいい張った。
「存在しない? あなたはそうお考えですか?」スヴィドリガイロフはゆっくり彼を見やりながら、言葉をつづけた。「では、こういうふうに考えたらどうです(一つ知恵を貸して下さい)。『幽霊はいわば他界の断片であり、その要素である。もちろん健康な人間には、そんなものなど見る必要もない。なぜなら、健康な人間は最も地上的な人間だから、従って充実と秩序のためにこの世の生活のみで生きなければならん。ところが、ちょっとでも病気をして、肉体組織が少しでもノーマルな地上的秩序を冒されると、忽ち他界の可能性が現われ始める。そして、病気が進むにつれて、他界との接触がいよいよ多くなって来る。で、すっかり死んでしまうと、忽ち他界へ移ってしまう。』わたしはこのことをだいぶ前から考えていたのです。もし来世というものを信じておられるのでしたら、この考え方も信じていいわけですよ。」
「僕は来世など信じやしません」とラスコーリニコフはいった。

(「罪と罰」 ドストエフスキー 米川正夫訳)

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遍在する引力により生成するもの

2016年02月14日 | 瓶詰の古本

   遍在する引力(重力)によって魂は右往し左往する揺らぎを与えられ、ようやく自らを自らの中に見出すことができたのではないか。宇宙の際涯を押し広げている力が、あらゆる悲喜の根源となるものであり、時間を形造る根源となるものである。普遍というよりは偶発と呼ぶべき根源であり、論理的に無限に生成・消滅する事象のうちの一欠片でもある。
   しかも、今ある遍在引力は、ひとつ限りの宿命をなぞる時空がかつて眠っていた胎盤から突如として引き離されたとき、時空の息吹となるべく自覚的に現われたかも知れないものである。

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流行のわれに来るものは感冒のみ(齋藤緑雨)

2016年02月07日 | 瓶詰の古本

◯人は鳥ならざるも、能く飛ぶものなり。獣ならざるも、能く走るものなり。されども一層、適切なる解釈に従はゞ、人は魚ならざるも、能く泳ぐものなり。
◯利口さうなると、正直さうなるとは、人間游泳の極意也。一般社会は此さうなるを以て、信用の基礎となすものゝ如し。利口なるなかれ、正直なるなかれ、凡てに語尾の明確ならんは、溺没をまねくに殆(ちか)かるべし。
◯真人間無きにあらず、真人間の世を渡るもの無きのみ。紅塵青史、利を競ひ名を争ふ、真人間の堪ふる所ならんや。勲位あり、爵祿あり、洋剣(さあべる)あり、算盤あり、石門鉄墻ありの厳めしきあり、強て真人間を作るの要あるを見ず。
◯忽ち曰ふ、真摯なれと。こは己に責むべき事也、他に責むべき事に非ず。よしわれはわがマジメを蔵するも、むやみに人様に御覧に入れんとは思はず。
◯故にわれの酒客と談ずるを欲せざるは、酒を欲せざるのみならず、実に其人、其談を欲せざるなり。わが知れる限りを以てすれば、酒客は早速本心を申上ぐる者なればなり。手中一個の盃に代へんには、余りに惜しきわが命なればなり。
◯飲んだ話をする奴は、飲まぬ奴也、飲みたい奴也。 当世の事、酒を経ざれば友にあらず。
◯流行はわれに来らず、われは流行に恃まず。恃まざる流行のわれに来るものは、感冒のみ。
◯若よく人言を容るゝ者あらば、其病時なるを察すべし、加持も祈祷も容るゝ時なるを察すべし。
◯医者殿より健勝を賀し奉らるゝは、方丈様より、開端を賀し奉らるゝと同じく、弔意を以て慶辞を受取らざる可からず。因果はめぐる小車の、やがての後は逆まの世や、慶意を以て弔辞を受取らざる可からず。
◯いつも変らず健康ならんをねがはゞ、頸の運動を怠るべからず。頸の運動は即ちおじぎ也、おじぎは即ち滋養品也。長上に対する報答の過半は、おじぎを以てすべきこと、夙に一世の知悉する所也。
◯天職とは我自ら寿命を切りこまざきて、本町に運ぶの謂也。神聖なる文学図ともいふものを編製すべくば、日本橋区本町三丁目は、これら諸大人の咽喉を扼するの地也。博文館も本町三丁目なれば、金港堂も本町三丁目なり。
◯新に文學界なる大冊を得て、われは測らずも神を呼びぬ、作家は猶餓死すべき時にあらざるをおもひて。
◯多くの雑誌の末期を見れば、雑誌は作者を毒し、読者を毒し、然り而して発行者の懐中を毒するものなり。

(「みだれ箱」 齋藤緑雨)

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