美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(五十六)

2016年09月28日 | 偽書物の話

   無念そうな口ぶりを拭うように、水鶏氏は言葉を続ける。
   「では、これまで引き合いに出して来た我々の現世界に起きる事象とは何でしょうか。これは私がややこしく考えてしまうからなのですが、見えないところどころに陥穽がありながら滑らかな連なり以外の何ものでもない道、というイメージが頭に浮かんで来ます。就眠とか心神喪失とかの状態(陥穽)に陥っているときは別状の世界を生きており、その陥穽の前と後とでは須臾の隙なく連結する意識が間断なく敷きつめられて現世界を形成しているのだとは、夙に言い古されてもいることです。
   夢遊の雰囲気に包まれどんな活動をしたにせよ、現世界は時間の黒暗の中で点々と飛び石じみた尖端を林立させているものなので、尖端から尖端へと踏み繋いでいく意識にとっては、尖端以外の事象はほとんど無きに等しいことになります。裂け目の前後における日の傾き、月の満ち欠けの差異を捉えて時間の経過を揣摩臆測することはあり得ないでもないし、また、夢の残り香となって暫く胸にたゆたい後髪を引かれつつ消えていく心象があるにはあるでしょうが、知覚によってその間に起こった出来事が確かにあったと明らめることはできない。その間は、我々は別状の世界に赴いていて、我が身はここでの我が身ではないのですからね。これは異世界を想定するなどの段ではない、現世界のあれこれの認識や心理に起きている現象です。

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婦人車掌と少年車掌(東京交通労働組合)

2016年09月25日 | 瓶詰の古本

   バスの車掌は女性、電車の車掌は男性とだいたいどこでもきまっているようだが、実はそうでもない。「動きまアす、チンチン」女車掌さんがやさしい声でやっているところがある。仙台市電と神戸市電がそれで、三十二年に約三十名ほどの女性を採用して、市民にもなかなか好評だ。しかし本当のところ仙台も神戸も、市民サービスの向上のために、女子車掌をはじめたのではない。両市とも市電が赤字でなんとか経営を節約しようという窮余の一策だ。男子は長く勤めるから人件費が高くなっていけない。女子ならたいてい四-五年で結婚するから安上りだというのである。しかし女子は夜八時以後の就業ができないから、それ以後は男子車掌が代ることになる。
   戦後にも女子車掌を採用したことがたびたびある。一番多かったのは戦時中で、男はみんな戦争にかり出され、そこでモンペをはいた女子車掌さんが登場した。当時ほうぼうの市電で、全国各地に係員を派遣して、車掌やーいとやったが、それでも集らなかったそうだ。
   都電にはこの当時採用された女子車掌さんがいまでも何人か残って実際に乗務している。何千人の車掌のうち数人だから、めったにお目にかかれない。彼女等は三ノ輪車庫に配置されて、北千住~水天宮、三ノ輪~都庁、の系統に乗っている。興味のある人は、その系統の停留所に二時間ほど待っていたら乗れるかもしれない。
   歴史を遡れば、大正十四年に東京市電は、六十八名の女子車掌を採用している。紺サージの制服に真紅の衿をつけて、市民からは〝赤衿嬢〟と愛称されたことを思い出す人も多いだろう。このときも市電は赤字で人件費の節約が目的であった。また昭和九年にも女子車掌二百人を採用している。日給八〇銭、手当をいれて一円二〇銭の給料だった。当時の市電気局は、これによって一年に一三万円の人件費をうかそうとしたのだ。結局、女子車掌は二度とも長続きしなかったが、赤字克服というと昔も今も、どうもやることが同じなのは感心できない。
   この昭和七年というと不況の真最中で、市電の乗客が減少して経営が苦しくなったときである。そこで東京では、女子車掌のほかに市電サービスガールとボーイを募集して停留所に配置し、赤ダスキや白ダスキをかけて、「どうぞ市電を御利用下さい」というビラをまいたこともある。
   東京市電の車掌にシスターボーイが登場したことがある。昭和二年、一五-一六才の少年車掌を五九名採用した。いまの新制中学の年ごろで、紅顔の少年たちがつめ衿の制服でせい一杯の声をはり上げたものである。当時の市民には女子車掌よりうけた。山の手の奥さんや、下町のおかみさんがわざわざ少年車掌の車を探して乗ったというから相当の人気だった。また運転手の方も少年車掌と組になろうと争ったというから、シスターボーイの車掌さんということになる。その少年車掌たちはいま立派な親父になって都大路を走っている。

(「都電50年」 東京交通労働組合)

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偽書物の話(五十五)

2016年09月21日 | 偽書物の話

   「憧れや妄想などの及ぶ世界ですらないということですか。」
 思わず私は言葉を差し挟んだ。水鶏氏への部分的な同意を表すために、間の抜けた言葉でも発せずにはおれなかったのだ。私は目の前に置かれた石塊を見つめるばかりで、この手記を一介の妄想と片付けた方がいいのか、少しはそれに対して賛意を表した方がいいのか、見当もつかなかったのである。
   「些かくどいようですが、この手記は我々の世界でならいくらでも理解し得る範囲のなかでことを語っているのであって、異世界、別次元で起こった体験を語ったものと見なしてやる度量は必要ないということです。この手記は、個人的の夢想や地上で営んだ実経験から紡ぎ出した想念を書き連ねた文章に過ぎません。ひょっとしたら、異世界なるものに恋い焦がれた精神が自動書記的に生み出した奇談の一例として、付録の形ででも文章を紹介する価値は皆無ではないかも知れない。ただし、自動書記といっても、高級なものではなく、まことに軽便粗笨なそれであることはあなたもお認めになるのではないですか。
   もし真正の体験があって(万が一にもそんなことがあり得るとは思えませんが)、客観的に信ずるに足る論理の整合性あるいは非合理なりの必然性を完全に充足する混沌世界の様相を、なにものにも囚われない文章、破綻を恐れない文章で描き切ってくれていたら、存在可能な異世界を活写した稀有な文献として取り上げ、私なりに世に知らしめるために努力を惜しまなかったでしょう。遺憾ながら、そうはならなかったわけですね。」

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千年の鯉(伊藤銀月)

2016年09月18日 | 瓶詰の古本

 簑笠「いや、格恰よりも、モツと気性の面白い異人さんだ。ぢやア、あツしが網をかついで、深川クンダリから、井之頭まで遣つて来た訳を話しやせうか。」
 外人「その話迚も聞きたい。」
 簑笠「ぢやア話しやせう。かうなんですよ。異人さんの御国ぢやア、そんなことを云はないかも知れないが、日本ぢやア、鯉が千年も生きて甲羅を経ると、刎ねツ返つて天上するつて云ひやす。要(つ)まり、天にゐる龍の仲間へ入るんですね。」
 外人「その話むづかしい。龍、何?解(わか)らない。鯉、魚!それ解る。」
 簑笠「龍ツて、天にゐる蛇の親玉ですよ。傑い通力で、雲を起したり、雨を降らしたりするんです。」
 外人「アヽ、解つた。角ある、足ある、そして蛇あります。鯉、魚あります。それも天に昇つて、龍の仲間になるありますか。その話なかなか面白い。」
 鯉が天上すると聞いて、滑稽に目を円くしながら、濡れるも構はず真直に手を挙げ、木の間の空を指して、鹿爪らしく首肯くのである。
 簑笠「さうですよ。元々この井之頭の池は、何でも、武蔵と云ふ国の名よりも古く、大昔にやア、天へ昇つたり池へ降つたりする龍が、迚もウヂヤウヂヤするほどにゐて、そいつがみんな、弁天様の眷属だつたつて云ひやすよ。ところが、人間も多くなり、世間も蒼蠅くなつて、龍共も天の方へ引越し切りになると、池は段々と小さく浅くなつて、果ては、今日日(けふび)の様な人間の遊び場となり下がつたが、それでもまだ、真中程にやア底知れずの深い処があつて、弁天様が龍宮の乙姫様から御招待を御受けになる時の、通ひ路が附いてるとも聞きやした。ですが、その上に水草の根を搦ませた泥の蓋をしておくさうだから、我々人間の凡暗眼(ぼんくらまなこ)ぢやア、どうして見附かりツこがあるもんですか。千年の鯉が今も棲家にして、凝然(じツ)と天上する機会を待つてる場処は、其処ですよ。」

 (「不死人」 伊藤銀月)

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偽書物の話(五十四)

2016年09月14日 | 偽書物の話

   「少しく懐疑的なことを言うならば、文章で表現されている石の世界における重力の存在についても問われなければなりますまい。奇異な話に聞こえるでしょうが、一体に、重力あるいは引力のはたらく世界がそもそも普遍的なものであるか否かは大いに疑問です。いや、むしろ普遍的なものではないと言う方が誠実味のある答えだと思います。
   普遍的でないのは時間の存在についても同様で、例えば、世界がこの島山、この石塊のみによって形成されるものであるとすれば、我々が感取する時間の観念は必ずしも所与の前提にはならないとすべきではないでしょうか。重力や時間の存在しない世界がこの島の世界であるとしたって特段不思議でもなんでもない。逆に、星が夜空を満たし陽が昇る時空の運行があり、我々と変わるところのない人間が同じような環境の下で生活しているなんて、真の異世界(言い方が妥当かどうか分かりませんが)の有り様としたら到底信じられるものではありません。
   結局、それやこれやのいかにもありそうな(想像の域を超えない時間、空間の設定での)描写を考量すれば、この人物の置かれた世界はまさしく我々の住む世界、仮に一歩引いても我々がみる夢の中において生起可能な世界であると推断せざるを得ないのです。事物のことごとくが、我々にとって当たり前のように現われる、ということは取りも直さず、我々が慣れ親しんでいる世界の中の現実でしかない。その世界の様相が想像の範囲に納まっているというだけで、異世界としてまるで似つかわしくないという結論にならざるを得ないのです。真の異世界とは、もっと混沌としていて既知の論理の軛から全く自由に解放された世界、我々が感知できると仮説される限りの一切の時間や空間、重力や引力などが露存在しなくても成立する世界でなければならないと私は思っているのです。」

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大正ドストエーフスキイ全集の広告(2種)

2016年09月11日 | 瓶詰の古本

 「ドストエーフスキイ全集(8) 二重人格」(ドストエーフスキイ 永島直昭訳 大正九年 新潮社刊)の巻末広告より

■ドストヱーフスキイ全集■
トルストイと並んで全人類の運命を負へる大偉人ドストヱーフスキイの作品を、直接に露の原文より訳出して此の全集をつくる。各冊、何れも堂々たる長大篇のみ也。

(1)カラマーゾフの兄弟 米川正夫訳
武者小路氏が、世界にこんな本が又とあるかと云ひたい。無いにきまつてゐる、驚く、驚く、と言ひしもの。作者の代表的一大雄篇也。
▲全三冊 一冊一円五十銭、送料十二銭づゝ

(2)虐げられし人々 昇曙夢訳
人間数奇の運命を描き尽くして、満眼の熱涙を世の虐げられし人々に注ぐ。一面には、恋に破れたる経験を描ける作者の自叙伝也。
▲全一冊 定価一円七十銭、送料十二銭

(3)罪と罰 米川正夫訳
結構の複雑、変化の端倪すべからざる、篇中章を追ひて継起する事件の悉く驚心駭魄的なる、古今に類を絶せる大探偵小説の観あり。
▲全二冊 一冊一円三十銭、送料十銭づゝ

(4)白痴 米川正夫訳
『カラマーゾフ』に次ぐ雄篇にして、深刻殊に甚しく、様々の人物、人間苦の深淵に転輾し、様々の心理、等しく霊肉の秘奥を窺はしむ。
▲全二冊 一冊一円七十銭、送料十二銭づゝ

(5)賭博者 原白光訳
賭博場を背景として、誇り高き処女と魅力強き娼婦との間に置かれたる一青年の苦悶を描けるもの。附録に『貧しき人々』の一篇あり。
▲全一冊 定価一円四十銭、送料十銭

(6)悪霊 米川正夫訳
作者の全精神を最も深刻に最も明白に語れるもの。神人の理想と人神とを並び説いて、此天才の幽奥測り難き魂の深淵を啓き示せり。
▲全二冊 値一円七十銭、送料十二銭づゝ

(7)永遠の夫 原白光訳
全『ドストエーフスキイ』の縮図と称せらるゝ傑作にして且つ最も芸術的匂ひの高き、真に渾然たる作品也。附録に『叔父の夢』あり。
▲全一冊 値一円七十銭、送料十ニ銭

(8)二重人格 永島直昭訳
原作者の類ひ稀なる本質の各頁に輝くものあるを看ん。真に是れ永遠に光り輝く可き書也。附録に深刻無比なる『地下室の手記』あり。
▲全一冊 値一円五十銭、送料十ニ銭

(9)ドストエーフスキイ短篇集 永島直昭訳
『女主人』『プロハルチン』以下短篇数種を収む。雄大長篇の中に此種短篇を読む、原作者が別様の一面、興味極めて深きものあらん。
▼全一冊 ――近 刊――


 「ドストエーフスキー」(ボロスディン著 黒田辰男訳 大正十二年九月 新潮社刊)の巻末広告より

─今回、繙読に便なる新四六判に改装せり─
■ドストエーフスキイ全集■

カラマーゾフの兄弟 米川正夫訳 
稀有の傑作にして、亦稀有の名訳の称あるものなるが、今回改装出版を期となし、訳者異常の努力、全三巻を改訳せられたり。
 ▼全三冊 二円五十銭 送料十二銭

虐げられし人々 昇曙夢訳
人間数奇の運命を描き尽くして満眼の熱涙を世の虐げられし人々に注ぐ。一面には恋に破れたる経路を描ける作者の自叙伝也。
 ▼全一冊 二円五十銭 送料十二銭

罪と罰 中村白葉訳
結構の複雑せる、変化の端倪すべからざる篇中、章を追ひ継起する事件悉く驚心駭魄、古今に類を絶せる大探偵小説の観あり。
 ▼全二冊 各 二 円 送料十銭

白痴 米川正夫訳
「カラマーゾフ」に次ぐ雄篇にして深刻を極め、種々の人物、人間苦の深淵に転輾す、細かしき心理描写は霊肉の秘奥を窺はしむ。
 ▼全二冊 二円五十銭 送料十二銭

悪霊 米川正夫訳
作者の全精神を最も痛切に明白に語れるもの。神人の理想と人神とを並び描いて、此天才の幽奥測り難き魂の深みを啓示せり。
 ▼全二冊 二円五十銭 送料十二銭

死の家の記録 長岡義夫訳
著者が監獄生活の間より得たる逸品。トルストイも、ブランデスも、全集中第一の傑作と激賞せるものにして、聖典的小説なり。
 ▼全一冊 二 円 送料 十銭

■賭博者(全一冊) 原白光訳 一円十銭 送料十銭
■永遠の良人(全一冊) 原白光訳 二 円 送料十銭
■二重人格(全一冊) 永島直昭訳 一円八十銭 送料十銭
■短篇集(全一冊) 永島直昭訳 二 円 送料十二銭

◆悉く原露文直接の完訳なり◆

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偽書物の話(五十三)

2016年09月07日 | 偽書物の話

   ようやくここまで読み進めて来たが、文章の余りな放縦ぶりにあらためて辟易しているのだろうか、水鶏氏は指をあてがった石に全身を支えられるようにして立ち尽くしていた。
   「先ほど読み上げた、いわば論考の真似事をした部分とは文章の調子が甚だしく違います。だからこそ、あくまでも付録という形で収録したのでしょうが、意図の掴めない、ほとんど正気を失った果ての譫言になっておるでしょう。論考の部分と完全に切り離された、妄想に溺れた脳髄が好き勝手に織りなした迷夢の痕跡とでも言いましょうか。無論、この手記に書かれているのは実際に起こったことでは毛頭なくて、夢の中をさまよったあげくに拵え上げた虚ろな記憶の残滓にほかなりません。残滓を吐き出すことによって熱が引いたのか、それともさらに熱に浮かされるはめになったのか、そこらの顛末について窺い知る由はありませんが。」
   ところで、件の石塊は厳然として二人の間に鎮座しているのだ。書物の頁から浮かび上がった立体的心象と物の形姿が一致するというのが本当であるならば、そこに隠れた暗合らしきものを嗅ぎとったとしても、あながちこじつけに染まり過ぎた心理的幻惑とは言い切れないのではないか。
   「この文章について、懐疑的なことを言うならば」
   しかし、水鶏氏はまずもって注釈せずには済まされないといった勢いで語を継いだ。

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明治維新と御茶屋の関係(池辺三山)

2016年09月04日 | 瓶詰の古本

   日本の歴史を通観するに、大化の革新-これは明治維新と相並ぶべき二大革新であるが-この時に、中大兄皇子が藤原鎌足と御相談遊ばされて蘇我入鹿を殺し給うた。その時に鎌足の権謀術数を回らした場所は品がよい。即ち蹴鞠の会に中大兄皇子の御靴が脱げたのを恭しく捧げて交りを結び奉り、南淵先生の会読の場所で国家の大計を協議したらしい。品のよい隠れ場所である。その次は建武中興、即ち高時征伐である。太平記に詳しく書いてある。これも亦品がよろしい。資朝、俊基などが無礼講といつて、読書の会が果てゝ後、酒を置いて密かに相談をした。
   ところが、明治維新の大計は女郎屋の中から若しくは料理屋の中から産み出されたといふ傾きがある。余り品のよい所ではない。しかし前に述べた通り、これは維新志士の新発明にはあらずして大石内蔵之助から教はつたのだ。而して藍より青きに至つたから遂にこれも或は伊藤公の不人望の因になつてゐるかも知れない。歴史の上から言へば面白いことで、後世の史家は明治維新と御茶屋の関係といふ一篇を非常に味つて書くかも知れぬが、道徳の点から見ればどうであるか、誹譏すべきものかも知れない。文部省から生徒に伊藤公のことを話すやうにと訓令した時に、或る視学官は伊藤公は何もかも手本になる人であるかと問ひ返したといふことを聞いてゐる。その真偽は分らぬが、ありさうなことのやうにも思はれる。

 (「明治維新三大政治家」 池邊吉太郎)

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偽書物の話(五十二)

2016年09月01日 | 偽書物の話

   夢が現実の世界に投影されるとしたら、現実世界はある場所において凝集する意思の投影を受けて変容するのである。石塊の世界で展開されることが、現実の恐ろしいこととなり、あるいは素晴らしいこととなるのである。真偽は不明だが、とにかく台地にある女主宰者の精神の振作は、誰にも推し量ることのできない世界の運行動因とされているのであった。ばあさんとして産まれるか、赤さんとして産まれるかの生の流れる向きでさえ、女主宰者の精神の震え方次第では突然逆流を始めないとも限らない。
   はるか昔、片方の小都市の統轄者が悪心を抱き、長らく住み慣れた居所の交替を拒むべく女主宰者を奪い来たって、何処かへ封じ込めたことがあった。その時、女主宰者の烈しい震駭が山の鳴動を呼び起こし、かつてない凶兆として顕れたと人々は伝えている。台地の小都市の住民もまた、この因果の実在を当たり前に受け容れていた。幽閉の場所から解放し、速やかに身柄を台地の聚落に返さなければならない。もし、山の鳴動がいよいよ猛り立って息まず、山岳全体の爆発へと誘うことにでもなれば、島山の世界は滅尽することになるだろう。
   言うまでもなく住民にとってみれば、島が滅びるとは即ち、唯一存在する生宇宙が自分らを載せたまま滅びることを意味しているのである。」

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