美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

均一本購入控

2013年01月29日 | 瓶詰の古本

   「日本二千六百年史」(大川周明 昭和14年)
   「外交史概説」(深津栄一 工藤美知尋 昭和60年)
   「人間中野正剛」(緒方竹虎 昭和63年)
   「百鬼夜行絵巻の謎」(小松和彦 平成20年)

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他を誣いる憂さ晴らし

2013年01月26日 | 瓶詰の古本

   サービス残業や名ばかり管理職を批判的に問題視しながら、教職員や警察官の早期退職者を犯罪者まがいにあげつらい、退職手当に係る制度改正からの明らかな手取り減収の甘受を褒め讃え、強制する心性とはいかなるものか。「駆け込み」、「責任放棄」と称して、条例・規則の歪んだ運用を子どもを盾にとって他者に強いる非合理な方向付けとは。
   誰から見ても判然とした情神の分裂、あるいは情緒に流されたがる心性のなれの果ての現象かとも思われたが、実は何のことはない。反論しない(できにくい)人間だけを選んで狡猾卑屈な憂さ晴らしを愉しむという、今を盛りに隈なくはびこる敗者性向の現れそのものに過ぎないのではないか。
   この分なら、学校や社会からいじめや体罰がなくなるなどと猛者連(勝者連ではない)が心配する必要は全くないようである。

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軍と滿鐵の事変(松岡洋右)

2013年01月25日 | 瓶詰の古本

   満洲事変は関東軍と滿鐵でやつたと謂ふことは決して言ひ過ぎではないと思ふ。何となれば、先づ第一にあの軍の迅速な用兵は滿鐵の鉄道線路がなければ出来ないことであつたからである。滿鐵社員は関東軍と同時に立ち上つた。昼夜を別たず兵隊や軍需品の輸送に当つた。無腰の滿鐵社員は或は暗夜敵中を物ともせずして先駆車を走らせ、或は砲弾のうなる中を装甲車を運転して常に軍と共にあり、軍の先頭にあつた。弾丸雨注の中にあつて沈着勇敢に線路の破壊箇所を修理し、焼却された鉄橋を迅速に架設した。軍の連絡の為に不可欠な電信電話線の架設や、修理の工事を敗残兵の出没する中を、そして凍てつくやうな寒さの中を恐れずたじろかずして敢然としてやつてのけた。貴重な滿鐵社員の鮮血は幾度となく鉄道線路を亦北満の雪原を赤く染めたのである。此の武装せざる戦士達の剛胆と勇気とは、流石の皇軍将兵をして常に舌を巻かせ、軍は意を安んじて一切を滿鐵社員に託し、専ら軍事行動に力を集中することが出来たのである。滿鐵の久しい間に養つて居た支那語の自由に話せる日本人、日本語の巧みな支那人が諜報や連絡に活躍し、滿鐵の有つて居た地形的、地質的探査其の他の資料の調査研究が、直接に軍の運用に役立つた功績も決して尠しとしないのである。特に何と謂つても見事であつたのは軍と滿鐵との同心一体の同志的結合の精神であつた。

(「興亜の大業」 松岡洋右)

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見えていた来るべき世界の姿(清澤洌)

2013年01月22日 | 瓶詰の古本

   (昭和十八年)七月七日(水)
  
   日支事変六周年である。朝のラジオは「支那をあやつるのは米英である。蒋介石のみが取り残され、支那民衆は日本とともにある」といったことを放送した。この考え方は日支事変六周年になっても、まだ日本国民の頭を去らないのである。米英を撃破したら、支那民衆は直ちに親日的になるのか。支那人には自己というものは全然ないのか。
   この朝また例によって、満州国、汪精衛、比島のバルガスその他の要人をして、日本の政策を賛美せしめて放送した。かかる小兒病的自己満足をやっている以上は、世界の笑いものになるだけである。
   H・G・ウエルズのThe shape of things to come を読む。ウエルズは満州事変を出発点として、日本と支那は全面的戦争になる。日本は支那に三度勝って、ナポレオンのごとく敗れる。それから日本は一九四〇年に米国と戦争をするといった筋書きだ。ウエルズの予言は実によく当る。日米戦争の勃発も一ヵ年の相違である。そして、ウエルズは「将来の歴史家は日本が正気であったか、どうかを疑うだろう」と言っている。

(「暗黒日記」 清澤洌) 

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均一本購入控

2013年01月20日 | 瓶詰の古本

   「ダイヤモンド漢和辞典」(中村徳五郎 昭和23年)
   「神風特別攻撃隊」(猪口力平・中島正 昭和27年)
   「日本の「一九八四年」」(小室直樹 昭和58年)

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偽書物の話(二十八)

2013年01月18日 | 偽書物の話

   部屋の中央には書架ならぬ大きな机が置かれ、その上にも黒ずんだ書物が所狭しと犇めき合い、積み上げられている。右の端には西洋ランプを模した電気スタンドが横暴極まる書物の群れに押し寄せられ、今にも落ちかからんばかりに斜めに傾ぎながらやっとの思いで机にしがみついている。
   机の左端近くには、古びた百科事典の端本を敷台にして一塊の石が鎮座している。たまねぎの上半分を抉り取って出来上がった台地と、その台地の横腹を破って突然生え出た巨樹のようにそそり立つ山嶺とからなる天地は、目の前にある石の大きさまで凝固して赤黒い海みたいな書物の上に浮かんでいる。禍いが起こる前の平安の台地や見るだに峻厳な魔峰を浮かべた海の周りには、澄んだ水色の洋雑誌や表紙もろとも傷みに波打つ古本などが無秩序に散らばっている。そして、その有様を睥睨する正面の高見の椅子に水鶏氏は座っていた。

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大連は日本人の都会である(クレッシイ)

2013年01月16日 | 瓶詰の古本

   一九◯四年の日露戦争後、日本は南満洲においてロシアにとつて代り鉄道の敷設、鉱業、産業、文化事業などによつて、日本の経済的、政治的の地位は堅実に強化されたのである。満洲は、発展し行く日本の工業立国政策にとつて最も必要とする諸原料の源泉だ。それと同時に日本の工業製産品の重要な市場をもなす。ハルビンがロシア人の都会であるといふこと以上に、大連は日本人の都会である。
   関東租借地以外の片田舎へ、好成績の大規模日本移民の見込はどうも少ないやうに思はれる。といふのは、日本人は明らかに温暖地の人種で、土地を克服すべく、満洲のやうな厳寒地の気候に調和することを知らない。その上、日本人の生活程度は、支那農民よりはずつと高いので、満洲における農業的植民の企図は完全に失敗に帰した。
   支那農民と対抗出来る唯一の人種は朝鮮人である。朝鮮人の生活程度は支那人よりも更に低い位で、沢山の朝鮮人が国境を越えて東部満洲に入つて来てゐる。
   支那人の満洲占拠は、一層冒険的な先駆者(パイオニア)たるロシア人ほど速かに行はれなかつた。支那人は本質的に村落民族で、土地が多少とも完全に占拠される時にのみ、彼等の農業的領域(新開地)が前進するのだつた。城壁を廻らした都市は、河に沿ふか、又は他の交通線の近くに発達し、母国の都市型に極めて一致してゐる。だが、満洲の近代都市は皆、往々元の居留地の城壁から相当距離を隔てた鉄道の停車場に関係を有する。
   一九三一年の満洲事変以来、形勢一変したにも拘らず、満洲は人種並に文化において、支那人的であることを止めるやうには見えない。たとへ支那人的でなからんとする可能性があるにしても、それは近年の大量移民により、また発育しつゝある支那の国家意識によつても除去されてしまつた。しかし近い将来、支那が政治的並に経済的支配を確保することが出来るかどうかは別の問題であるが、終局的な成行は少々疑はしい。すべての地理的徴候は、東洋における最後の政治的、産業的、文化的支配力としての支那を指摘するやうに思はれてならない。よしんば支配とか統御とかのその日が訪れても、支那の近隣の何れかゞよいことにされてゐる限り、それは最も不幸なことであらう。
   一九二六年の郵政局予算によると、満洲三省の人口は、二,四◯四◯,八一九人である。そらが一九三◯年には約二,九一九八,〇〇〇人に増加したと考へられる(「満洲年鑑」一九三一年版)。その九五%は支那人で、残りは現在殆ど支那文化に吸収されてしまつた満洲族や蒙古人と、それからロシア人、日本人、朝鮮人である。ロシア人と日本人は大連やハルビンの如き大都市に閉ぢ籠つてをり、鉄道沿線の各産業地帯に散在する。日本人の人口は二◯万を超え、更に加ふるに約六万の朝鮮人の農民がゐる。

(「支那の土地と人」 クレツシイ著 三好武二訳)

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2013年01月11日 | 瓶詰の古本

   「悲劇の提督」(児島襄 昭和42年)
   「史記の人間学(上)」(渡部昇一/小室直樹ほか 平成9年)
   「東條英機〈上巻〉」(亀井宏 平成10年)

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孤独の価値(ゴッホ)

2013年01月09日 | 瓶詰の古本

   -いつ、どこでメモしたものか、もう思い出せない言葉-   

   テオよ
   私には妻もなければ、子供もない。
   ただひとりでいる時、
   「神よ、自分の妻はどこにいるのですか、
   自分の子供はどこにいるのですか、
   孤独な生活は生きる価値があるのですか?」
   と呻き、嘆かずにはいられない気持を
   君は感じたことがあるのだろうか。

                          ヴィンセント                                                                                                                                    

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2013年01月05日 | 瓶詰の古本

   「二・二六事件の謎」(大谷敬二郎 昭和42年)
   「一老政治家の回想」(古島一雄 昭和50年)
   「伝奇集」(J.L.ボルヘス 鼓直訳 平成12年)

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偽書物の話(二十七)

2013年01月03日 | 偽書物の話

   「藻潮さんが見えました。入るわよ。」
   言いつつ、ドアを開け、開けながらこちらを見て心なしか微笑んだ。
   足を踏み入れたその部屋は、天井まで吹き抜け二階分の高さがあり、扉を開けると四方の壁のうち、採光のために窓枠と窓ガラスからなる正面の一辺を除いて他の三辺の壁には、入って来た扉の輪郭を避けながら、横に杉板を何段にも渡し、造り付けに無数の棚が出来上がっている。そこには、黒ずんだ本がおしあいへしあい詰め込まれ、更にあらん限りの隙間を埋めるようにして横倒しに積み重なっていた。窓のある正面の壁も、窓枠の開いている腰の高さより下には、幾段か同じような棚が出来上がり、本が収まっている。これで、中央の空間にも書架が据えられていれば、まさに図書館と言ったところだが、本の棚はどうやら周囲の壁だけで尽きているようである。

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