弘法、伝教の長安に着せし時には、市内に四大景寺あり、一大景教碑あり、卓識英邁の資を以て新智識を得るに熱中せる大師其人にして、十字架を冠し異文字を刻せる碑文を見ず、皇帝の御影を掲げ、奇異の様式を表せる寺院を訪問せざるの理由あるべからず。もし大師にして景教中国流行碑の大榜を見ば、必ずや其何ものなるか、その所謂処女より生れたる彌尸訶(メサイア)とは何ものなるか、その贖罪昇天とは何事なるかを問究めんとするは、勿論先つその寺院に入り、東西の語に通じたる大徳景浄に逢ひ、その教義を質問し、且かの「光翼」(神の顕現を表す)の奇標を見て、その説明を求めて、その好奇心を満足せしめたるは、火を見るよりも明かなり。此光翼の神標は、大古埃及三角塔の古棺に刻せられ、アツリシヤの寺院に彫出せられ、シリアにては耶蘇教に化して、尚この標識を全世界の主宰神を表するものとして用ゐたり。当時支那には、已に六朝百七十余年間景教は民間に行はれ、全国六人の僧正あり、長安はその首座にして、景浄(アダム)は実にその僧正にてありき。されば種々の方面に於て目に触れ耳に入るものもありしなるべし。故に碑文以外の事実も大師には知られ、教義の精細も亦探究せられしやも知るべからず。新智識に汲々し、尋究して止まざるは、実に日本学生の特色なり。如此太宗の賞讃を博したる景教の何物たるを知らずして、長安を辞するは、到底真言、天台の創立者たる両大師には不可能の事なりとす。
(「景教碑文研究」 『弘法大師と景教との関係』 イー・エー・ゴルドン)
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