美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

聖集団派

2015年10月11日 | 瓶詰の古本

   必然の敗北は偶然の勝利のなかに潜む。いかほど偶然の勝利を重ねていったとしても、それは必然の敗北への道のりでしかないときがある。無数の僥倖が犇めいて薄氷を踏んで負けを免れただけという厳然たる事実に冷や汗を流さない放念者にとって、敗北への道のりをせっせと舗設し続けるだけの勝利であったと思い及ぶ謙遜はない。まして道半ばにして止めることができない勇猛心への競い合いは、転がり落ちる穴の底で待っている宿命の引綱である。どのような集団であれ、自己の属する集団のみが帰依に値すべき無謬至聖のものであるとする心性は、如何なる理性の大地にも根を蔓延らす強靭な宿痾である。
   後から考えて、局面が変るたびに下手悪手の決断を選び続け、しかもその都度如何に拙い選択であるということが誰の心境にも明々白々でありながら選び続けられたとすれば、その行く末を図らぬまま道のりを造営し続けて陽炎の勝利へと噴気した情念は、まさしく必然の敗北へとひたすら駆られる聖集団派の抗いようのない宿命であると言うほかない。自己愛の撹拌と混淆であるところの帰属集団に至高の聖性を仰ぎ視る魂から発火する殉教の道連れ行為とほとんど隔たりがない。

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映画の赤い恐怖(江戸川乱歩)

2015年10月04日 | 瓶詰の古本

   私は、いつか、場末の汚い活動小屋で、古い映画を見てゐたことがあります。そのフイルムはもう何十回となく機械にかゝつて、どの場面も、どの場面も、まるで大雨でも降つてゐる様に傷いてゐました。多分時間をつなぐ為だつたのでせう。それを、眼が痛くなる程、おそく廻してゐるのです。画面の巨人達は、まるで毒瓦斯に酔はされでもした様に、ノロノロと動いてゐました。ふと、その動きが少しづつ、少しづつのろくなつて行く様な気がしたかと思ふと、何かにぶつゝかつた様に、いきなり廻転が止つて了ひました。顔丈け大写しになつた女が、今笑ひ出さうとするその刹那に化石して了つたのです。
   それを見ると、私の心臓は、ある予感の為に、烈しく波打ち始めました。早く、早く、電気を消さなければ、ソラ、今にあいつが燃え出すぞ、と思ふ間に、女の顔の唇の所にポツツリと、黒い点が浮き出しました。そして、見る見る、丁度夕立雲の様に、それが拡がつて行くのです。一尺程も燃え拡つた時分に、始めて、赤い焔が映り始めました。巨大な女の唇が、血の様に燃えるのです。彼女が笑ふ代りに、焔が唇を開いて、ソラ、彼女は今、不思議な嘲笑を始めたではありませんか。唇を嘗め尽した焔は、鼻から眼へと益々燃え拡つて行きます。元のフイルムでは、ほんの一分か二分の焼け焦に過ぎないのでせうけれど、それがスクリーンには、直径一丈もある、大きな焔の環になつて映るのです。劇場全体が猛火に包まれた様にさへ感じられるのです。
   スクリーンの上で、映画の燃え出すのを見る程、物凄いものはありません。それは、たゞ焔の恐怖のみではないのです。色彩のない、光と影の映画の表面に、ポツツリと赤いものが現れそれが人の姿を蝕んで行く、一種異様の凄味です。

(「恐怖の世界」 江戸川乱歩)

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