今日はお休み。おかげさまで一日ダラダラと・・
時間を無駄に過ごしてます。
だって、お洗濯するにはお天気は悪いし、外にでるのも億劫だし・・
まあ、こういう日もひつようかも・・明日の予定を考えると頭の痛いkおばちゃんです。
それにしても、トカゲの尻尾きりでお終いにしてしまうんでしょうかね。M党さんは。
野党時代にほえていたことは、タダのパフォーマンスということを一つ一つ証明して行ってるだけなのかもしれませんけどね。
大体が、彼らの望む日本の国家像がみえてないこと。そして、議員一人一人もてんでんばらばらなことしか目に入ってきません。
そして、2こと目には『前の政権が悪い』との言い訳。それを承知で政権をとったんだから、それを言い訳にしては言語道断でしょ。
たとえが悪いけど、土砂崩れを起こした土地の所有者が、前の所有者がなにもしていなからこうなったんだと言い張ってるのと同じでしょ?
だったら買わなきゃいいじゃない・・とkおばちゃんは思います。
○12月31日(木)
予定時間よりも・・いつものことながら遅く出発してしまったkおばちゃん。
今日もご予定テンコ盛りなですよね。
フィエスタ君を飛ばしながら・・あ!!と思ったときは、これから向かおうとしているヒエラポリス・パムッカレの入り口でもある北ゲートを通過してしまいました。
ま、いいか・・
kおばちゃんが今までいたカラハユットとパムッカレの中間地点くらいに北ゲートがあるのは昨日から何回か通過して知ってはいました。でも、ちょっと迷っていたんです。
この北ゲートから、例のパムッカレの白い棚田のようなところまで、結構な距離があるです。
そうそう、この世界遺産はヒエラポリス・パムッカレHierapolis-Pamukkaleは世界遺産としての価値は前者のヒエラポリスの部分が大だと思ってます。
ヒエラポリスというのはギリシャ語でἹεράπολις'聖なる都'という意味だそうです。
その遺跡は未だ発掘途中ではあるけれども、広大なものと聞いています。全部を回るのは丸一日かかりそうですね。
それは・・ちょっとkおばちゃんの今のスケジュールでは無理です。だから『美味しいところだけ』つまもうと思っていたんです。で、そのためにはこの来たゲートから入ると、北ゲートに戻ってこなきゃいけない・・というのもあるのですが、メインの場所まで遠いような気もしました。
で、昨日もフィエスタ君を止めた石灰棚の下・・という手もあるのですが、あそこからは上に上がるのに上らなければ(当然です)いけません。ちょっと・・ためらいました。
で、まだ未知のゲートがあるはず・・『南ゲート』です・・そちらに進むことにしまいした。入り口わからないんですよね。ヘッドボードもありません。
ま、適当が服をきているようなkおばちゃんですからね。とりあえずフィエスタ君でこっち・・と思う方向に行ってみましょ。
そろそろ・・違うかな??と疑い始めたころに分岐点が現れ、そこに道しるべがついており『ヒエラポリスHierapolis』の文字が。ああ。あってたと安心してその方向に進みました。
すると・・北ゲートと同様に有料駐車場です。6リラだったかな?
下の駐車場がタダでしたのでね・・トルコの物価からすると、ここがいかに稼ぎ頭であるかがわかりますね。
無精者のkおばちゃん、なるたけ入り口の近くに駐車です。あそこがゲートですね。
入場料を払い・・ノエル・ババと同じような自動改札のような入り口をはいると・・
長い通路が・・振り返ってみてみました。
これがこの中の全体像でしょうか・・・広い・・
このヒエラポリスというのはさっきも述べたようにギリシャ語でἹεράπολις'聖なる都'といういみなのですが、その歴史は随分と古いようです。
もともとはヒッタイトのころにも定住したあとがあるようですが、聖なる都として栄えたのはヘレニズム時代からローマ時代だそうで、フリギアPhrygians人がHieronヒエロンのために寺院を建設しそこを中心として栄えた・・とうことでしょうか。
エウメネスIIEumenes IIの紀元前2世紀ころから温泉地として使用されて、人々は自分の病気を癒すために、温泉地・保養地として病気を癒すために訪問し、彼らの多くは余生をここで過ごした後ここで死んでいたよいうことのようです。だから、北門の近くには大規模な墓地の石棺と石棺が残されているようです。
そういう温泉の魅力がなければ、この時代にこんな内陸部に栄えた場所になるわけがない・・というのがこの都市文化を理解する上でのキーポイントのようです。
ま、昔からの保養の地だったから、いわゆるリゾートだったんですね。
そんなリゾート地のメインは、このこのゲートが結ぶメインストリートから構成されていたようです。
こちらは南門ですね。
左手に広がるのはギムナジウムの後でしょうか
広大な敷地が続きます。こんなところに真夏に来たら・・日射病になりしょうですね。樹木がみあたりません。
この先に点在している遺跡の説明でしょうか・・沢山ありますね。
あんな上の方までも・・
とにかく先を急ぎましょう。
季節外れのせいか・・あまり観光客に会いません。
あ、そうか今日は大晦日でしたね。それにしても良いお天気です。
ようやく・・第一の目的地につきました。そうミーハーなkおばちゃんはこれを見てみたかったんです。
昨日から散々下から眺めていた石灰棚ですね。
近年はお湯が枯渇してしまって、常時流れていないため、『コケ』が発生して今って入るようです。
うーーん。聞いてはいたけれどもね。
やっぱり温泉はカラハユットのほうが効能ありそうですね。
さあ、先を急ぎましょ。
時間を無駄に過ごしてます。
だって、お洗濯するにはお天気は悪いし、外にでるのも億劫だし・・
まあ、こういう日もひつようかも・・明日の予定を考えると頭の痛いkおばちゃんです。
それにしても、トカゲの尻尾きりでお終いにしてしまうんでしょうかね。M党さんは。
野党時代にほえていたことは、タダのパフォーマンスということを一つ一つ証明して行ってるだけなのかもしれませんけどね。
大体が、彼らの望む日本の国家像がみえてないこと。そして、議員一人一人もてんでんばらばらなことしか目に入ってきません。
そして、2こと目には『前の政権が悪い』との言い訳。それを承知で政権をとったんだから、それを言い訳にしては言語道断でしょ。
たとえが悪いけど、土砂崩れを起こした土地の所有者が、前の所有者がなにもしていなからこうなったんだと言い張ってるのと同じでしょ?
だったら買わなきゃいいじゃない・・とkおばちゃんは思います。
○12月31日(木)
予定時間よりも・・いつものことながら遅く出発してしまったkおばちゃん。
今日もご予定テンコ盛りなですよね。
フィエスタ君を飛ばしながら・・あ!!と思ったときは、これから向かおうとしているヒエラポリス・パムッカレの入り口でもある北ゲートを通過してしまいました。
ま、いいか・・
kおばちゃんが今までいたカラハユットとパムッカレの中間地点くらいに北ゲートがあるのは昨日から何回か通過して知ってはいました。でも、ちょっと迷っていたんです。
この北ゲートから、例のパムッカレの白い棚田のようなところまで、結構な距離があるです。
そうそう、この世界遺産はヒエラポリス・パムッカレHierapolis-Pamukkaleは世界遺産としての価値は前者のヒエラポリスの部分が大だと思ってます。
ヒエラポリスというのはギリシャ語でἹεράπολις'聖なる都'という意味だそうです。
その遺跡は未だ発掘途中ではあるけれども、広大なものと聞いています。全部を回るのは丸一日かかりそうですね。
それは・・ちょっとkおばちゃんの今のスケジュールでは無理です。だから『美味しいところだけ』つまもうと思っていたんです。で、そのためにはこの来たゲートから入ると、北ゲートに戻ってこなきゃいけない・・というのもあるのですが、メインの場所まで遠いような気もしました。
で、昨日もフィエスタ君を止めた石灰棚の下・・という手もあるのですが、あそこからは上に上がるのに上らなければ(当然です)いけません。ちょっと・・ためらいました。
で、まだ未知のゲートがあるはず・・『南ゲート』です・・そちらに進むことにしまいした。入り口わからないんですよね。ヘッドボードもありません。
ま、適当が服をきているようなkおばちゃんですからね。とりあえずフィエスタ君でこっち・・と思う方向に行ってみましょ。
そろそろ・・違うかな??と疑い始めたころに分岐点が現れ、そこに道しるべがついており『ヒエラポリスHierapolis』の文字が。ああ。あってたと安心してその方向に進みました。
すると・・北ゲートと同様に有料駐車場です。6リラだったかな?
下の駐車場がタダでしたのでね・・トルコの物価からすると、ここがいかに稼ぎ頭であるかがわかりますね。
無精者のkおばちゃん、なるたけ入り口の近くに駐車です。あそこがゲートですね。
入場料を払い・・ノエル・ババと同じような自動改札のような入り口をはいると・・
長い通路が・・振り返ってみてみました。
これがこの中の全体像でしょうか・・・広い・・
このヒエラポリスというのはさっきも述べたようにギリシャ語でἹεράπολις'聖なる都'といういみなのですが、その歴史は随分と古いようです。
もともとはヒッタイトのころにも定住したあとがあるようですが、聖なる都として栄えたのはヘレニズム時代からローマ時代だそうで、フリギアPhrygians人がHieronヒエロンのために寺院を建設しそこを中心として栄えた・・とうことでしょうか。
エウメネスIIEumenes IIの紀元前2世紀ころから温泉地として使用されて、人々は自分の病気を癒すために、温泉地・保養地として病気を癒すために訪問し、彼らの多くは余生をここで過ごした後ここで死んでいたよいうことのようです。だから、北門の近くには大規模な墓地の石棺と石棺が残されているようです。
そういう温泉の魅力がなければ、この時代にこんな内陸部に栄えた場所になるわけがない・・というのがこの都市文化を理解する上でのキーポイントのようです。
ま、昔からの保養の地だったから、いわゆるリゾートだったんですね。
そんなリゾート地のメインは、このこのゲートが結ぶメインストリートから構成されていたようです。
こちらは南門ですね。
左手に広がるのはギムナジウムの後でしょうか
広大な敷地が続きます。こんなところに真夏に来たら・・日射病になりしょうですね。樹木がみあたりません。
この先に点在している遺跡の説明でしょうか・・沢山ありますね。
あんな上の方までも・・
とにかく先を急ぎましょう。
季節外れのせいか・・あまり観光客に会いません。
あ、そうか今日は大晦日でしたね。それにしても良いお天気です。
ようやく・・第一の目的地につきました。そうミーハーなkおばちゃんはこれを見てみたかったんです。
昨日から散々下から眺めていた石灰棚ですね。
近年はお湯が枯渇してしまって、常時流れていないため、『コケ』が発生して今って入るようです。
うーーん。聞いてはいたけれどもね。
やっぱり温泉はカラハユットのほうが効能ありそうですね。
さあ、先を急ぎましょ。