Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

黄金のマリア(ゲルリッツ)

2014-04-30 19:30:04 | ドイツ
今日は転んだ足の具合を診察してもらった。
ま、予想通りただの大きな打ち身でしたけど。

受診をまちながら他の患者さんを観察していて・・前も思ったけど、体が思うように動かなったら一人では病院は地獄だということ。

次から次へと手続きの嵐。そしてあっちの部屋、こっちの部屋での検査。
待合でご一緒したおばあちゃまは御年95歳とか。自分で歩けるけど超スローなテンポ。
絶対横断歩道を一つの信号では渡れませんね。

振り返ってkおばちゃん自身の事を考えると・・あのお年まで生き残ったらどうしよう・・と思った次第です。

結局、安静にしているのが一番とは言われたけど。。。
無理だわ・・それは・・


○10月9日(水)

ゲルリッツGörlitzの町で、ようやく建物の中に入る事にしたkおばちゃんです。
入ったのはフランシスコ会の修道士によって1234年建設された三位一体教会Dreifaltigkeitskirche。

入り口のところで、写真を撮りますか?と聞かれました。
写真をとるのは有料のようです。で、撮ります!というと、進められたのは回数件。
性格にはマルチパスのようなもの。2つの教会分くらいの金額で5つだったかな?教会で同様に撮影できるとのこと。
とりあえず、さっきの聖ペトロとパウロの教区教会Die Pfarrkirche St. Peter und Paulにも入るつもりなので、マルチの方にしたkおばちゃんです。

中に入ると・・シンプルだけど豪華・・という矛盾した感想が・・


一番古い部分は1234年を建てられたそうです。(柱2本?)
当初はロマネスク様式で建てられたようですが、後にゴシック様式が加わったとか。

こちらの天井は・・こんな感じでなんだか制作途中のような気もします。


ただ、1691年の大火で大打撃をこの教会もうけたようで、現在の姿には1715年になったのかな?

聖壇に背を向けて堂内を撮影するとこんな感じです。


真中位にあった説教壇。


明るくして撮るとこんなに豪華です。


そして、こちらのお方は・・そうイエス・キリストさまですね。


何をお考えやら・・何も考えてない様にも見えちゃいますけどね。
あ、ゴメンナサイ。

そしてこちらが、1450-1512年に拡張されたバルバラ聖堂


そしてここには・・これがあります。


全体を撮影したのはぼけてしまってますが・・


「黄金のマリア」

真中をアップにしたのはこちらです。


もともとは、教会の主祭壇だったようです。

おそらくこれが扉の裏側に描かれているものではないでしょうか?


こちらは・・ピエタ・・でしょうね。磔台から降ろされたイエスの亡骸をマリアたちが嘆き悲しみ抱いているところですね。


別の角度から・・


1500年ころの作品だそうで、磔にむかうキリストの安息(休憩)Christus in der Rastの姿だそうです。

一通り見学し終わったので外に出ましょう。


さて、お次は何処へ向いましょうかね。
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オーバーマルクトあたり(ゲルリッツ)

2014-04-28 20:45:35 | ドイツ
世の中連休モードだそうで・・そういえば朝の通勤は行く文楽チンでした。

そんななか、PCの入れ替えなどで出勤していたkおばちゃん。
お年はとりたくないものです。
入れ替え作業のためデーター移行に利用していたランケーブルに足をとられてズでーーーンと又転んでしまいました。

まあ、室内だったのでこの前よりはダメージが少ないですけど・・まったくなにやってるんでしょうね。
ああ、年はとりたくないもんだ。

ということで少し静養しなくちゃね。

○10月9日(水)

ゲルリッツGörlitzの町を徘徊するkおばちゃんです。
この町って、先の大戦で殆ど破壊されなかったとかで約3500の建物が重要建築物に登録されているという。
3500本当にあるのかどうかはおいておいて・・まさに歴史の詰った町並みだとは思います。

kおばちゃんが徘徊から辿り着いたのはオーバーマルクトObermarktとと呼ばれている地区。
先程のUntermarktと細い小道で繋がっています。


先程のウンターマルクトよりはずーーと広いです。
真中が駐車場になっているくらいです。


そして、この町の観光の出発点のようです。インフォメーションもこの一角にありあました。

このミニバン市内観光用の乗り物です。


乗って見たいけど・・時間が会いません。

こんな泉もあります。


泉の周りは観光客が、これから何処へ向おうか・・思案中です。


この広場自体は1250 年に建てられたそうです。
現在のこの真中に駐車場のあるような形になったのは1939年の改修あたりからだそうです。

この泉の向こう側に見える、ピンクっぽい建物がツーリストインフォメーションの入った建物です。


インフォメーションと反対側に入り口に樹木の茂った建物があります。


このような塔を持つ建物です。


これが、三位一体教会Dreifaltigkeitskircheだそうです。


三位一体教会フランシスコ会修道院の修道院教会として 1234年と1245年に建てられたそうです。
中に入って見ましょう。
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ウンターマルクトあたり(ゲルリッツ)

2014-04-25 20:40:02 | ドイツ
ちょいと出稼ぎにいってきたのでおサボリ。
たこ焼きシティーだったのですが、イースター休暇にかぶっていたせいか外人さんの観光客を多数見かけました。
で、彼らがやかかんにもたこ焼きの立ち食いをしていたのを目にして・・そうよね。と思ったkおばちゃんです。
なにを、そうよね・・と思ったかというと、やっぱり地元のフツーの食べ物食べて見たいのよね・・ってこと。

日本の観光地に行くと、何処へいっても大概旅館に泊まると、食事は均一。
いえ、まずい分けではアリマセン。大変美味しいのですが、個性がなんにも感じられないのです。
日本食ってこんなもの??って感じでした。

たとえば、具がゴロゴロとはいったような味噌汁は出てきません。
そんな普段のもをを『お出し』したら『おもてなし』にならないから・・と勘違いしてるんだと思います。

kおばちゃんなんかは普段の物を食べたいとおもうのであります。
だから、町でたこ焼きをパクつく姿をみて・・やっぱりね。と思った次第でした。



○10月9日(水)

ゲルリッツGörlitzの町を探索するkおばちゃんです。聖ペトロとパウロの教区教会Die Pfarrkirche St. Peter und Paulをあとに目指して歩いてきたのは、夕べも少しだけ立ち寄った旧市庁舎前広場です。

正式名称はUntermarktというそうです。


どこをどう撮っていい物やら・・

ゲルリッツのもっとも古い部分のようです。1305年にはもう記録に残って入るとか・・


ピンクの建物は・・証券取場?夕べ見た塔も昼間見ると違う感じです。

この建物は・・・何だったかしら・・1903年完成の新・市庁舎だったと思います。


広場から建物の中を通り抜けて・・続く道です。


ガイドツアーも見かけます。


煉瓦色の建物はシレージエン博物館Schlesisches Museum zu Görlitz

町内?観光トラムも走ってます。


広場の片隅にあるのは・・ネプチューンの泉Neptunbrunnenだそうですが・・バックが工事中です。


この角度からだと・・工事中が見えなくて良いですね。


こちらが、夕べも見た旧市庁舎の時計塔のアップです。


ネプチューンの泉と一緒に撮って見ました。


時計塔の下には・・ちょっと由緒ありげな階段が・・


ルネサンスの建築家のWendel Roskopfによって1537/38 に建てられましたとか。

もう少し歩いて・・広場を離れかけたら・・路地のところにこんなも子が・・


その後の小道も面白そうなので行ってみます。


この建物と建物を繋ぐ梁のようなもの・・なんでしょうね?

こんなところに出ちゃいました。


ちょっと新しい感じの建物ですね。


又しばらく適当に歩いてみます。


すると・・楽しそうなオブジェ発見!!


お風呂に入ってビールを飲む・・の図です。こりゃ極楽ですね。
確かこれがあったのは・・三位一体教会の裏あたりだったような・・

再びこんなことろをくぐって見ます。


すると又広場に出てしまいました。


こちらは・・さっきの広場とは違いますね。
オーバーマルクト広場Obermarktです。
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対岸からの眺め(ズゴジェレツ)

2014-04-21 18:50:07 | ポーランド
土日にやっと一つ、区切りが付いたかな。毎年のコトながら・・反省しきりです。

そのときに言われた言葉『最近何だか皆・・死ぬまでに○×△しておきたい』ってばかり言ってるみたいじゃない?
はあ。その通りでございます。困ったことに。

残りの年数を数えると・・たぶん残るであろうね・・なんだか複雑だよな。
後何年元気に動き回れるか。最近先輩方が口々に言っているのでなんとなくkおばちゃんも口にしはじめたかも。

あと、何回○×できるか・・

考えたってしょうがないんですけどね。

●10月9日(水)

さて、夕べはご機嫌サンでお宿に戻って大人しくお休みしたkおばちゃんです。
ズゴジェレツZgorzelecのお宿は静か・・で誰も泊まっていないのかな・・と思ったらいらっしゃいました。ほかのお客さんも。

朝たまたまTVでみかけた番組では、東洋系の演奏家が・・


ごめんなさい。終わりの方で・・何方かわかりませんでした。
特に木管はわからないや・・


て、ことで朝ごはんです。

こんな感じのブッフェスタイル。

で、今日もガッツリなkおばちゃんです。


今日もモリモリ頂きました。

食事のあとは、荷造りをして・・チェックアウトです。
さっさと・・してしまいました。
でも、そのときにお願いしました。フォード君をお昼まで置かせてください・・て。
もちろんOKしてもらえました。

チェックウとして、フォード君に荷物を載せてしまえば・・気が楽なのでね。

で、あとは徒歩で再び観光に出かけます。

昨日も渡った橋を・・再びドイツ側に渡ります。


振り返って、再びポーランド側のズゴジェレツZgorzelec町並み・・っていっても小奇麗になっているのはこのアタリだけ・・って感じですけどね。

そういえば、こんな看板がたってました。


橋の上から・・昨日の鐘の音が聞こえた教会です。


橋を渡ってドイツ川のゲルリッツGörlitzの町に到着です。徒歩・・1分?こちらが夕べ登った道。


今日は・・・こっちの道を行って見ましょうか?


えっちらおっちら登って、やっと教会に到着です。


聖ペトロとパウロの教区教会Die Pfarrkirche St. Peter und Paulだそうです。

ここを登ってきました。


あれが渡ってきた橋です。ナイセ川Neißeはオーデル川の支流だそうで1298年にはもうこの場所に橋がかかっていたそうです。


しかしながら、1945年5月7日当時敗退して行ったドイツ軍によって爆破され、この橋が2004年に掛けなおされるまで・・町は分断されていたようです。
橋がかかっても、2007年にポーランドがシェンゲン協定に加盟するまでは自由に通行できなかったようですが、今日ではごらんの通りです。

きっと橋のたもとのあのあたりには・・税関でもあったのかしらね。


ポーランド側を臨むと・・なんとなく近代的な建物しか目に入りません。


とりあえず教会の周りを廻って見て・・


入り口は・・あちらね。


そうか・・明日だったらオルガンのコンサートがあったのね。


塔を見上げて・・・後で入りましょ。と思ったkおばちゃんでした。


アッチ見える塔は・・ニコラウスの塔?


歴史を感じさせるけど・・今一・・

こっちの方に行って見ます。
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突然の日本語が・・(ズゴジェレツ)

2014-04-18 18:10:12 | ポーランド
今日は一転、肌寒い。
せっかく直りかけている風邪がぶり返しそうで怖いです。

明日からの週末は・・またお忙しのスケジュールを入れてしまったkおばちゃん。
あーゆっくり寝るのはゴールデンウイークか?

○10月8日(火)

ドイツ側のゲルリッツGorlitzから再びポーランド側のズゴジェレツZgorzelecに戻ってきたkおばちゃん。
橋の上から眺めたあのあたりに・・向って見ることにしました。


こちらポーランド側のズゴジェレツの町は、どもう観光名所がないのか町全体が暗いのです。
唯一明かりが点っていたのはあのあたしかわからなかったのです。

明かりの正体は・・やはり飲食店でした。数件が軒を連ねている・・というか営業しているようでどれにしようか・・と迷った上?一つのお店に入る事にしました。

しかし・・平日の夜だと言うのに結構満席です。あらら・・

kおばちゃんのすがるような・・『一人なんですけど・・』という問に、ウエイトレスのお嬢さんは『ここで良かったら・・』とカウンターの席を勧められました。

はいはい、ここで結構でございますよ。お一人様ですから・・とOKをすぐにしたkおばちゃんです。

ホントに狭いところなんですけど・・何処でも良いです。まずはビールで喉を潤わせます。


あー人心地つきました。

あ、ちなみにビールのメニューはこんな感じです。


こんな狭いところですけど、kおばちゃんには天国です。


ただし・・レジがまるみえです。


ビールもこのカウンターの中で注ぎますが・・バーテンダーが常駐している訳ではありません。


さて、喉も潤ったところで・・kおばちゃんにとってのメインです。


本来はスターターのサラダですが、こちらのサラダは量が多いし、動物性のたんぱく質もたっぷりはいっていたりするのでkおばちゃんは勝手にメインにしてしまってます。

で、このお料理は・・ポーランドの農家の?チーズを焼いたサラダです。


ビネガーとオリーブオイル塩コショウで頂きました。

で、食事をしている最中です。突然、背後から日本語の会話が聞こえてきました。
え?????こんなところで日本語・・とびっくりして振り向くと・・日本人ビジネスマンが2人入って着ました。
そう、スーツ姿のビジネスマンです。で、ご一緒なのは地元の方でしょうか?男性ですが、この方はスーツを着てらっしゃらなくて、いわゆるジャンパーというか作業上着を着てらっしゃいました。
あ、ビジネスディナーなのでしょうね。

彼らは当然予約したあったようで・・上の階へと案内されてさって行きました。

kおばちゃんは・・ただ通りすがりに彼らの姿を見ただけなのですが・・こんなポーランドの端っこ、というかドイツの端っこで日本語が聞こえきたのでびっくりです。

このあたりに取引のある日本企業があるのでしょうかね?
ま、もっともこの国境沿いの地の利いかして工場が合っても可笑しくはありません。
そう、安いポーランドの労働力をつかってドイツの技術で生産を行うメーカーとかね。

彼らはkおばちゃんのことは認識していなかったと思いますが、あらまあ、こんなところでも頑張ってるのね。日本は!とちょぴり嬉しくなったのでした。

さて、本来のメインはすっ飛ばして・・お次ははずせないデザートです。

これを頂いたのですが・・なんだったかな?


さっぱり思い出せないのですが・・別の画像をみると・


チョコレートアイスのラズベリークリーム掛けみたいにみえなくもありませんね。

いずれにしても美味しかったから覚えていないんだと思います。
カードで支払って・・お店を去りました。

外から眺めるとこんな感じのお店でした。


はい、ごちそうさまでした。
お宿は直ぐ裏です。


そうそう、備忘録です。
Restauracja Kawiarnia miódmaliny
Przedmieście Nyskie
ul. Daszyńskiego 17


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ゲルリッツをお散歩(ズゴジェレツ)

2014-04-17 17:50:47 | ポーランド
今日は久しぶりに連絡のあった知人とのお昼ごはん。
この知人は・・・財産争いでいまやっきになってる。もてるものは大変ね。

4月に入って初めてのランチで気が付いたのは・・値段は据え置きなんだけど、ランチセットのスープがなくなった。
あらら・・あれが8%分だったのでしょうか?

それにしても、小売店はちゃっかり5%の値上げのような気がする。
だって、本体価格が消費税5%の時の税込み価格ってどうよ。

まったくねえ。調子良いんだから・・と一人でぶつぶつのkおばちゃんです。


○10月8日(火)

さて、ズゴジェレツZgorzelecのお宿に辿り着いたものの・・・ここはレストランなんかついていません。
所謂『ペンション』ですから。

ということで夕食をとりに出かける・・・・ついでにお散歩をして見ようと思ったkおばちゃんです。

で、ついでにドイツ側のゲルリッツGorlitzに足を伸ばして見ようと思いました。
ゲルリッツに行くには川を渡らなければなりません。

丁度・・というか・・それを確認してこのお宿にしたんですけどね・・直ぐ側に橋がかかっています。


橋の上から川を臨んで見ました。
この川はオーデル川。ポーランドではOdraオドラ川です。

以前これより下流のシュチェチン Szczecinに行ったときに観光船でクルーズした事はあります。
あ、いけない。そのときの事はまだ記録してなかった・・・2012年のことでした。
シュチェチンでは物凄く大きな川になっていましたが、その前の年の8月にウェンクニツァŁęknicaで渡ったのはこれとあんまりかわらなかったかな?

そうそう、今回なんでズゴジェレツになんかお宿をとったかというと・・あのときのウェンクニツァで味をしめたのでした。
国境の町ではドイツ側よりもポーランド側の方が物価が安いのでお得ということを。ちゃっかりもののkおばちゃんですからね。

橋の上からポーランド側を撮って見ました。こちらはやっぱりタバコが安いのでしょうか?渡って直ぐのところにはタバコ屋が目立ちます。



ポーランド側の端の袂にはこのよう塔がありました。


渡りきってドイツのゲルリッツに入りました。こんな道しるべが・・


そうそう、さっきも書いたウェンクニツァに泊まったときは目的地は右側の Bad Muskauが目的地だったんですよね。
ここから65キロだそうです。

右側をゆくと・・さっき鐘の音が聞こえた聖ペトロとパウロの教区教会Die Pfarrkirche St. Peter und Paulがあります。


夜に教会にいってもね・・下から拝むだけにして


さっき渡った橋です。歩行者専用。あ、自転車は通ってました。


あちらがポーランド側です。


教会と反対側の右の・・真中の道を登って見ます。川沿いにはめぼしいものがみあたらなからです。


陶器を扱うお店でしょうか?すてきな感じです。




登りながら振り返ると・・ビールセラーでしょうか?


Zur Schwarzen Kunstツア・シュヴァルツェン・クンスト等は楽しげな声が聞こえてきますが・・お一人様には無理かな?

もう少し登って見ます。


こんなセラーも楽しそうなんですけれどね。


坂を上りきると塔が見えてきました。


どうやら旧市庁舎広場のようです。


さっきのお店の雰囲気とは違って・・閑散。です。


その先も道は続いているようですが・・辞めておきましょう。迷ったら帰れなくなってしまう。


ポーランド側のあのあたり・・なにかありそうですね。
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鐘の音は国境を越えて(ズゴジェレツ)

2014-04-16 18:20:04 | ポーランド
良い陽気になっては来たのだが・・昨日、職場での会話で我が庭に生息しているヒメシャガが欲しいという方がいたので今日は持参。
今日の電車はそれほど混んではいなかったけどね。

で、そこでまたやらかしてしまった。
庭をうろついた分、朝時間が遅くなってしまい駅に着いたときについ駆け込みをしてしまったのだが・・そこでまた肉離れ・・
あーあ、やっちゃったよ!ですね。

あれほど自重しなきゃと思っていたのに、喉もと過ぎれば難とやらですね。
しばらくは大人しくしてないと・・

でも、ヒメシャガは無事にお嫁にゆきました。

○10月8日(火)

陶器のお買い物もして、ようやくボレスワヴィエツBolesławiecの町を後にしたkおばちゃんです。

向ったのは今晩のお宿のある町です。
ここ、ボレスワヴィエツBolesławiecに宿泊することも考えたのですが、町が小さいのでさほど観光に時間がかからないだろう・・ということで、別の場所を選びました。

約50キロの移動です。1時間もあれば大丈夫かな?
なんせ、ナビさまを買い換えたので、一発で大丈夫です。

ただし・・最終的にはここ??と思うような場所にありました。

外観からはあまりお宿だということがわからない感じでしたが・・無事到着です。
お宿は坂の途中のような場所に建っていました。で、お玄関が日本で言う2階。そこからさらに階段を上がったところがkおばちゃんのお部屋でした。

お部屋は、あらまあ、紫色の可愛いインテリア。


テーブルにはキャンドルも置いてあります。


窓からの外を眺めると・・あ、あそこを通ってきたのよね。


だんだん暗くなってきちゃった。とりあえず明るいうちに到着できて良かった!


なんて思ってたら、外から教会の鐘の音が響いてきました。6時の鐘のようです。

何処から聞こえてくるのかな??と窓の外をみると・・


あ、あの教会かな??

あれは・・・そう、国境の向こうの教会のようです。
今日のkおばちゃんの宿泊場所はズゴジェレツZgorzelecというポーランドの町です。
この町は実は1945年までは隣の町一緒の一つの町だったそうです。そしてその名前はゲルリッツと言いました。
ゲルリッツは、大戦以降切り離され、別の国家の町になってしまいました。

ゲルリッツGörlitzは現在はザクセン州のドイツの町です。

以前の町の殆どの部分・・特に文化的な部分はドイツに属しているようです。

だから聞こえてきた鐘もドイツ側のゲルリッツの町にある教会の鐘の音でした。


あちらの教会です。聖ペトロとパウロの教区教会Die Pfarrkirche St. Peter und Paulだと思います。

そろそろ日没。あちらの方向が西ですね。


そして、ドイツ領です。

さて、真っ暗になる前に・・ちょっと散歩に出かけましょうかね。
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陶器の町(ボレスワヴィエツ)

2014-04-15 18:30:10 | ポーランド
やっと、風邪も良くなって来たかな?
いつもの先生曰く、『寝るのが一番の薬なんだけどね・・・』
はい、判っちゃいるけなかなかね。

今週末には大事な御用があるので、それまでには何とかしなきゃとよけいあせるのでありました。

ようやく気分的にも春めいてきたkおばちゃんです。

○10月8日(火)

ボレスワヴィエツBolesławiecの町散策を終えて、フォード君の所に戻ってきたkおばちゃんですが・・あれ??


気になるモノを発見しました。

実は、この町ボレスワヴィエツはあるもので非常に有名な町です。
最近は日本でもブームになって来ているとか。

それは、『陶器』です。
以前から知ってはいたのですが、昨年はこの町を通過した時に、幹線道路沿いにお店を数件見かけていました。
なんでも、わざわざこの町に陶器の買い付けにくる日本女子も少なくないと聞きます。

粗忽物のkおばちゃん。陶器なんぞはもちろん消耗品でこだわりもなんにもないのですが・・それでも一応覗いてみようかという気にはなっていました。
まあ、町に寄らないで通過してしまって、ちょっともったいなかったかな・・と思ったのも訪問の動機でもありました。

で、陶器を見ようと思っていたのですが、さっき向った陶器博物館は・・・改装中。
お店でもと思って、町中にそれらしいものはありませんでした。
まあ、昨年通過した幹線沿いにめぼしはつけてはいたのですが、駐車したフォード君のフロントガラス越しにみえたのは・・紛れもなく陶器のお店でした。

一旦乗りこんだのですが、まだ駐車時間もあるので・・ということで建物の中に入って見る事にしました。

中に入ると、こんな熊がお出迎えです。


残念ながらお店の画像は撮りませんでしたが、ちょっとしたギャラリーショップのようになっていました。

ここボレスワヴィエツの町は、その昔から陶器作りで有名だったようです。
もともとこのあたたりは陶器作りに適した土があったようで、14世紀初頭にはこのシレジア地方で陶器作りがなされていたと言う記録はあるそうです。
このあたりシレジア地方は現在ではポーランドに属していますが、歴史の狭間でドイツになったりしている地域、だから、このアタリの焼き物はまたドイツでもBunzlauerと呼ばれ、このボレスワヴィエツからの移植者たたちによって続いているとか・・

高温で焼かれているためか、耐熱性に優れ台所用品として重宝されており、第2次大戦後は重要な町の産物になって、全世界に出回っているようです。ボレスワビエツ陶器Ceramika bolesławiecka(Boleslawiec Pottery)と言って、特にアメリカ方面で有名なのでしょうか?
最近では日本でもその偽物・・いえポーランド陶器風というのが売られているとかいないとか・・位のブームだそうです。

で、そんなものの一つか二つは買って帰っても良いかな・・程度の目論見で出かけてきたのでありました。この町に。

kおばちゃんのはいったこのギャラリーのようなお店は、ボレスワヴィエツの複数の工房の品をあつかっているようで・・色々なデザインパターンのものがありましが、値段が安いのやら高いのやらわからないのでとりあえず見るだけーにしてしまいました。

後で考えて見たら、ここも中々良かったと思います。お値段も特別安くはありませんが高くもなかった気がします。

次にkおばちゃんが向ったのは・・昨年見かけた地域です。
幹線道路沿い・・といってもね、大した道路ではないのですが、297号という道沿いにみかけたのでした。


夕方5時近かったので大急ぎです。
ここの工場の直営ショップでしょうか・・こちらも魅力がありますが後回しです。


この工場ceramika artystyczna社は比較的大きな物ではないでしょうか?さっきのギャラリーにはもう少し小さな工場の案内がおいてありました。

そしてこの工場の向い側にはいくつか売店が軒を連ねています。


こちらをまず覗いて見ました。


詳しい事は判りませんが、柄のデザインも違いますし、形そのものもお店によって微妙に違っていました。
窯元が違うのかどうか・・は聞きませんでした。

この中でちょっと気に行ったものがあったのでお買い上げのkおばちゃんです。

平日だし、閉店間際なので訪れるお客さんも極わずか・・の一人がkおばちゃんです。


ざっくり見て、再びこちらの工場敷地内にあったお店に戻りました。


こちらでお土産代わりのエッグスタンドを購入・・したのはいいけど、そう言えばまだ誰にも渡してないや・・

陶器の場合はどうやって持ち帰るかが問題ですよね。
もちろんkおばちゃんは送るつもりはありませんので、預け入れ荷物で持ち帰るつもりです。
ですので、お店で箱をもらってその中にクッション代わりのわら半紙のようなものをクッシャっと丸めた紙を詰めてもらって持ち帰りました。

このクシャっと丸めた紙というのが案外良いクッション剤でした。紙質はわら半紙よりももうちょっと腰がある紙で、これを大まかにクシャとするだけなんですけど、箱の中でちっとも陶器が暴れませんでした。

さて、お買い物も終りました。
一路、今晩のお宿に向いましょう。
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町を守る城壁(ボレスワヴィエツ)

2014-04-09 20:45:41 | ポーランド
今日もバタバタと一日。いやになってします。
明日が一つの山場なので・・なんとかなりますように。

ここのところ殆ど買い物に行っていないのでなんなのですが、消費税増税で本体価格の標示がされるようになったのは良いんですが、ちょっと文字が大きく無いですか?税込価格より。
なんだか騙されているような気になっているkおばちゃん

だってね、消費者としては自分のお財布から幾ら出ていくかが問題であって・・本体価格が知りたい訳じゃ無いですからね。
販売側の『値上げじゃありません。税金分だけ叩くなりした・』って言い訳しか聞こえて粉息が致します。

○10月8日(火)

聖母マリアと聖ニコラスの昇天教会Kościół pw Wniebowzięcia NMP i św Mikołajaをぐるりだけ眺めておしまいにしてしまったkおばちゃん。ボレスワヴィエツBolesławiecの町をまだうろつきます。

そういえば、この教会の裏にあったこの建物、とっても興味をひきました。


いえ、何が・・と言われるとこまるのですが、この窓の形です。旧東独やチェコでもみかけたのですが・・この窓の形が気になります。


なんだか人の瞼の下にある瞳みたいじゃありませんか?三つ目のお家といったところかしらね。
いつもこのタイプの家を見るたびに思います。

暗くならないうちにもう少し徘徊しないとね。


再びここへ戻ってきました。さてどういしょうか・・


ふと、矢印看板の右側に立っている標示が気になりました。


ちょいと読みにくいかな。通りの名前の下にしろ地の看板がアリ、名称がかいてあります。
『 Muzeum Ceramiki陶器博物館』ですって。

そう、このボレスワヴィエツの町は陶器で有名なんですよね。


こんな看板もあり、期待がふくらいみます。


ところがです・・あら、 Muzeum Ceramiki陶器博物館は工事中。


全面工事中と行ったところでしょうか・


入り口の脇にこんなものが置いてあるので、まあ、場所は町がいなさそうですが・・残念でした。


しかたがない・・・そういえば、こんな地図があったから・・この町をぐるりと囲んでいた・・であろう城壁の一部かこの近くあるようです。


そこへいってみようかしらね。


この左側の石の壁が・・昔の城壁ですね。


お城を守る・・というよりは町を守る壁のようです。
ボレスワヴィエツはの市民は1241年のモンゴルによるポーランドの侵攻のレグニツァの戦いBitwa pod Legnicąに参加したそうです。

そのときから町の城壁は形を取り始めた、1251には完成したようです。その後、1316年には敵対的侵入から町民を守るようにするために、より良い、新たな壁が街を構築したそうです。モンゴル帝国軍の東欧侵攻ですね。

こんな堅牢な城壁をつくっても・・結果的にモンゴル軍は勝ってしまったのですよね。


ちなみに、このレグニツァの戦いBitwa pod Legnicąはドイツ語では「ワールシュタットの戦いSchlacht bei Wahlstatt」と呼ばれることもあるそうで、この Wahlstattは死体の山を意味する言葉だとか・・
それほど残忍で悲惨な戦いだったのでしょうね。

モンゴル軍の脅威から町を守る為につくられた城壁、今は平和な風景の中に溶け込んでます。


こんな感じでね。


現在も利用されているところもすごいですけどね。


さて、フォード君の待っているところの直ぐ側まで出てきてしまいました。


この向い側に人の出入のけっこうある建物があったので入って見ましが・・ショッピングセンターでした。
Galerii Bolesławiec City Centerです。
こちらでおトイレをお借りして・・フォード君のところに戻りましょうかね。
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歴史を感じる教会(ボレスワヴィエツ)

2014-04-08 19:15:29 | ポーランド
今日もティッシュの手放せない一日。
花粉症じゃないのが悲しいね。

そういえば、そろそろXPのサポートがお終いだとか。さて。いつまで使えるかな・・
そんなに重要なものは入っていないんですけどね。それに一応セキュリティサービスには入ってるけど・・

数日前と今日、電源をいれたら、サポート終了のお知らせが画面にでました。
まあ、これで管理されちゃってるっていうことね。

さて、明日はどうなるのかな??


○10月8日(火)

お昼を沢山いただいて、ご機嫌のkおばちゃんです。
さて、お次は・・まだ駐車時間がたっぷり残っていますのでこの、ボレスワヴィエツBolesławiecの町をもう少し散策して見ましょう。

まず目指したのは、さっきの市庁舎・・と同じように高い塔のあった建物です。


こちらです。ちょっと小高い丘?の上に建っていると言う感じです。

市庁舎の方向からだとこんな門をくぐります。


聖母マリアと聖ニコラスの昇天教会Kościół pw Wniebowzięcia NMP i św Mikołajaというようです。

大変由緒正しき歴史のある教会のようです。
13世紀の半ばには現在の教区に存在してたそうですが、フス戦争の時に焼失してしまったとか。
その後再建されて18世紀の半ばまで度々リノベートされたようです。1642年の火災の後はバロック形式で再建され・・リノベートされて現在に至っているのでしょうか?

第2次大戦の戦火にもあっていないようですね。

入り口には2人の聖者がお出迎え。




この入り口をkおばちゃんはくぐりませんでした。


ただぐるりを廻って見ました。


この町の名所のようで、内部の写真が載っています。


こちらが、通常の入り口かな?


礼拝の予定などが書かれていました。


お堂の脇の壁には日時計がありました。


これは割りと新しく、1907年からの物のようです。


なんとなく・・他に人がいないとドアーを開けて見学する元気が出て着ませんでした。


さて、再び町の探検に戻りましょう。
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民芸レストランで一休み(ボレスワヴィエツ)

2014-04-07 19:20:31 | ポーランド
この土日もお忙しいのkおばちゃん。
でも、しっかりお花見もしました。

恒例の、友人宅にて。桜の名所のすぐ近所なんだけれども、いつも花見と称して集まってはいたけれど、ちゃんとお花をみたことはなかったのですが、今回は途中休憩で花見散歩もしてきました。

楽しい宴会でした。


○10月8日(火)

ボレスワヴィエツBolesławiecの中心部を少し散策したkおばちゃん。
そろそろお腹がすいてきました。だって・・2時を過ぎていますから。

市庁舎前広場にはレストランがあります。
どこかで食事を、でもな・・と思っていたら、さっき看板を撮ったお店がきになりました。

ニワトリの看板がかかげてあるのですが・・


レストランと読める文字は掲げてません。何や屋さん?

覗いて見ると、食堂のようです。あ、こっちの方がいいかも・・と入り込みます。

しかし・・オーダーの仕方がわからない・・というかテーブルについても注文をとりに着ません。
どうも観察していると、セルフオーダーのようです。パブと一緒!

とりあえずは・・コーラを頼んで様子をみます。本当はビールが飲みたいのですがフォード君のため我慢です。

お客さんは・・地元っこと言う感じの人ばかり。若者も多いですが、年配者もいます。


内装が・・ちょっと民族的かな?


メニューはどうやら紙にはなっていないようです。
窓際の壁ににはり張り出してある物のみです。しかも・・・ポーランド語。ありゃ・・困った。


困ってボーぜんとメニュー票を眺めていたら・・ご親切な女性客が『お困りですか?』と声をかけてくださいました。
さっそくすがるkおばちゃん。

メニューの内容を教えてもらいます。

で、彼女のお勧めは『七面鳥料理』まあ、看板もそうでしたからね。

まずは。ジュレック Żurekと呼ばれるポーランド版味噌汁。味噌は入っていませんけどね。家庭の味だそうです。



ライ麦を発酵させたもでちょっと酸っぱいです。5月29日にもビドゴシュチでいただきましたね。

そしてメインはこちらです。鳥のクリーム煮といったところですかね。


かなりのボリュームです。


付け合わせの野菜が嬉しいです。
大満足です。こういうローカルなモノをローカルなところで食べたかったのですから。

ところで、このお店は・・なんとも言えないこんな感じの内装です。


それもそのはず、このお店の名前はKurna chataといいます。
chataとは、コテージのことだそうです。煙突の無いコテージといったところでしょうか。つまり・・古民家の一種のようです。

もちろん、市庁舎広場に面して建っているので本物の古民家ではありません。古民家風と言った感じですね。民芸レストランといったところでしょう。

画像はとりませんでしたが、ウエイトレスのおじょうさん達は民族衣装を着ていました。

さて、お腹もいっぱいになったし・・そろそろ越を上げましょう。



ちょっと素敵な食堂でした。

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気持ちの良い場所(ボレスワヴィエツ)

2014-04-04 19:40:41 | ポーランド
4月に入って、桜が満開になって・・・でもあっという間に雨が降ったりしてちょっとお花見できないで終ってしまいそうです。

かたくなに、備蓄を取り崩して・・余り買い物をしていないkおばちゃんではありますが、さていつまで続くでしょうかね?

ここのところ、年度末処理に追われてなんだか心せわしいです。
早くゆっくりしたいよ・・
土日のやすみもそれなりに義理と人情のご予定がはいってしまっているし・・あーー春眠をむさぼりた。

○10月8日(火)

ボレスワヴィエツBolesławiecの町で観光と言う名の探検をはじめました。
この町、ある意味有名ではありますが・・観光という情報をほとんど持ち合わせていませんでした。

ただ、旧市街の中心地・・と思われる方向に歩いて行くと、このように美しくリノベートされた建物にであいます。


さらに進みます。そう、この塔は町のシンボルでしょう。


こちらの塔の付いている建物・・きっと旧市庁舎かなにかでしょう。


この建物もリノベートされたばかりでしょうか?美しい色をしてますね。


現在の町の輪郭が出来上がったのは13世紀でしょうか。
14世紀の中ごろにはもう木造の市庁舎があったようです。その後フス戦争の時に破壊され1432年似レンガ造りの市庁舎となったけれど、その後15世紀の終わりには、塔と地下牢のが備わったようです。

こちらのレリーフはナポレオンでしょうか?


ライプツィヒの戦いに敗れたナポレオンですかね。ジョアンナロザリー·フォン·ボニンRozalię Joannę von Boninという女性との和解の図・・といったところでしょうか。
彼女の夫カール·ハインリヒ·フォン·ボニンKarol Henryk von Boninはナポレオン戦争で活躍したようです。

でも、なんで夫の方じゃなくて夫人のほうなんでしょうね?和解の相手が・・

そしてこの旧市庁舎の脇にかかげてあるのは・・旧市街を表す地図のようですね。


そして市庁舎前広場・・ですね。


お天気の良い昼間、お散歩する人や日向ぼっこをする老人達がいました。


こちらが現在のボレスワヴィエツBolesławiecの町全体の地図のようです。


広場に面した建物はなかなか趣がありますね。


こちらは・・現存する、旧市街の昔からの建物ということでしょうか?
1945年2月11日の攻撃で、町はその60%が破壊されたというようなことですけれど。

ちょっと裏道にはいると、お化粧前の町並みですね。


別の角度から旧市庁舎の方を眺めると、違う塔も目に入りました。教会かしら。


こちらの建物・・看板がかかってます。


ニワトリですかね?


表にまわると、こんなお店でした。なんでしょうね?




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中心地はどこ?(ボレスワヴィエツ)

2014-04-02 19:33:45 | ポーランド
早いもので、もう水曜日。ああ、どうしよう・・仕事が詰ってる・・とか言いながらの妄想に走るkおばちゃんです。
増税1日目。見事にお財布を開けないで過ごしました。ああ。でもね、前日にポチったものがすでに到着。
しかたがないので付属品を買わなきゃダメみたい。困った困ったです。

それにしても、マレーシアの航空機どうしちゃったんでしょうね。
同じ日に飛んでた身としては・・というか飛んでなくとも心配ですね。
kおばちゃんの妄想によると、それはキャプテンの自殺説。だってね、あんな何にも無い海域に飛んでいくなんてね。
似たようなところを飛んでいたkおばちゃんたちの飛行機は、ちゃんと大陸に沿って南下しました。
まあ最短と言うのもあるかも知れないけれど、常に何処かと連絡がとれるところ??なんて思わなくも無いのよね。

あんななんにもない海域に何故??
それに機内の人達は何故異変に気が付かなかった?と言う疑問。
これも、通信が切られてから直ぐに急上昇、急降下していることで、おそらく機内のほぼ全員を気絶させたんじゃないか・・なんて思ってるのです。

ま、妄想ですけどね。
でもなんで、あんな悪魔が出そうな海域へ飛んで行ったのでしょうね??


○10月8日(火)

ポーランドに入国したkおばちゃん。運転には気を付けましょう。
なんせ、スピード違反には厳しいときいています。数年前、ドイツで見事にやらかしましたからね。

高速を降りて・・一般道に入ると、何故か林のはしっこのような場所に車が何台も止まっています。何をやってるのかな・・なんで疑問に思いながらも通り過ぎました。

さて、kおばちゃんの目的地はボレスワヴィエツBolesławiecという町です。
日本で余りお馴染みのない町かもしれませんね。まあ『△×の歩き方』という本にも少しは載って入るようですが、あの本は基本的に公共交通機関を利用しての旅しか眼中にないのでしょう。
車で移動する場合は全然つかいものになりません。駐車場のことなんか書いてありませんからね。

ということで自力でみつけるしかありません。

それでも、予習で?googleさまのサテライトで町並みなんか覗いて見て、中心地にちかくて車の沢山止まっているところをチェックしてあって、一応そこを目的地にはしてあります。

で、そのアタリに着たらきょろきょろです。
駐車場をみつけて、一応止めたのですが、あたりをキョロキョロ・・う・・んなんか違うかな??
どうも、職員というか従業員専用の駐車場のような気がします。一旦止めて、辺りを見学・・すると、建物の反対側に大きな駐車場があります。あ、こっちね。

ということで、気をとりなおして表に止め直しました。それがここ。


なんでこっちだと思ったか・・そう、駐車料金を支払う機械があったからです。
だって、このあたりに止めるんだったら有料だとおもうのだけれど、さっきのところには見当たりませんでしたからね。
こちらでは、駐車料金はきっちり支払っておかないとけっこう取締りが厳しいですからね。


フォード君を止めて、料金機械のところで眺めて(他人の操作を)いたら、ご親切に教えてくださった女性がおりました。まあ、一般的なヤツです。
料金を足して行くと、駐車可能な時刻がどんどん変わってゆくというやつです。

とりあえず、フォード君から開放されて・・・さて中心地はどっちだ?


目の前はモダンな建物です。


高い塔が見えるので、あっちの方向のようです。


振り返って駐車場の方の景色も確認しておきましょう。道に迷ったときのために・・


塔の方向へ歩いて行くと・・ありました。かわいらしい町並みが。


このカラフルな町並みは・・そうですね。ここですね。
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フォード君よろしくね(ベルリン)

2014-04-01 19:14:11 | ドイツ
とうとう上がってしまいました、税金。
まあ、諸外国に比べたら安いとは思うのですが、長年慣れ親しんだ5%が感覚を鈍らせていますね。

ということで・・・夕べは散々迷ってポチってしまいました。
え、何を・・・カメラ。え、一眼じゃありません。コンデジといわれるヤツです。
今主に使っているコンデジは、実は昨年のアフリカ行きを前に入手した物で、それ以前に使ってた古い物を捜して買ったので、2009年頃のモデル。
何でそんな事をしたかというか、出発前にそれまでのがイマイチの動作になってしまったのだけれど、新しいのを買って慣れル暇はないしということで使い慣れた物を買ったのです。安かったしね。

今でも調子は良いのですが、なんだかなーーと思ってはいたのです。
で、ちらりと昨日の朝見てしまったものがきになって・・・結局夜にはポチってしまいました。
税金にしたらたかだか1000円程度の差かなとは思ったのですが。まあ、買わないのが一番の節約だとは思ってます。はい、反省。

●10月8日(火)

夕べは結局持参の食糧でしのいでしまったので・・さすがお腹が減ってます。
今回のベルリンのお宿はいつものところなので、まあ朝はそれなりに期待はしていましたけどね。

ということで早速美味しく頂きました。


ことろで、このお宿は今日引き上げます。また今日は移動なのであります。
ただし・・明日には戻ってきますけどね。

ということでチェックアウトしたときに、大きな荷物は預ってもらうことにしました。
フロントのお嬢さんに行き先を聴かれたので、答えると『ああ、あそこはタバコが安いのよね。ママがいつも買ってくる』とのこと。
そう、ドイツでもタバコの値段は高いようです。5ユーロはするそうですから。

で、チェックアウトして徒歩で向った先は・・レンタカーの営業所です。また、ドライブしようと言う魂胆です。

今回あてがわれたのはこちらの車です。


フォード君ですね。コンパクトで頼んであるのですが・・余りコンパクトではありませんね。

持参のナビをセットして・・出発です。


そういえば、去年はこれを壊してしまい帰りに迷子になりそうになったんだ。この営業所に帰ってくるのだからよかったよけれど・・なんて思いだしてしまいました。

何だか、あんまり走行していないような距離ですよね。ああ、気を付けないと・・


今回は順調なスタートです。


街中を抜けるとアウトバーンをひた走ります。


日本に比べたらなんと交通量の少ないことか。

そろそろ標識が出てきました。国境です。


昔はこの先で通関検査をやっていたのでしょうね。


そして緩衝地帯をぬけたら・・・向こう側の国の通関検査場あとです。


ということで、やってきたのはポーランドでした。


こんにちは!よろしくね。
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