おさぼりをいい加減にしないと、本とに忘れてしまいます。
でも休みの日はエンジンがもともとかかってないのでダメなのですよね。勢いで書いているkおばちゃんです。
さて。。進めましょ
○2015年6月6日(土)
ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館 Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausenのガイドツアーは始まりました。
この場所はシュタージStasiと呼ばれた、東ドイツの秘密警察・諜報機関の刑務所。つまり国家反逆罪に相当するような罪人を収監していた場所です。
もともとは、1939年作られた当時は、ナチス管轄下の調理場だった場所。大戦終了後、ソ連が接収して「特殊収容所3」としてナチスの協力者やスパイと見なされた者がここへ送られということのようです。
最初に入ったのはこの最も古い部分、『Uボート』(潜水艦)と呼ばれていた部分です。
半地下の部屋は外の光が殆ど入らない独房。
この場所で、時には水攻めも行われていたとか。
自白の強要。思想の矯正・・10人に一人がシュタージ(秘密警察・密告者)だったといわれている東ドイツの社会です。
どよーーんとした気分のまんま外に出ました。
そして、お次の建物へ。こちらは『新館』です。
ここで印象的だったのはこのゴムの部屋。
所謂『無音室』となっているようです。もちろん光もはいらないようにして。今は小さな窓があけてありましたけど。
そして、この部屋には『角』がないのです。つまり真ん丸い円形の部屋・・ということだそうです。
扉ものこように分厚いのです。
ここに『囚人というか容疑者』を閉じ込めて・・・ただ閉じ込めておくだけのようですが、角の無い部屋というのは人間にものすごい不安感をおこさせるもののようです。そうですよね。電車に乗ったって隅っこの席は人気ですものね。
半狂乱にさせる・・というか狂乱させるのが目的だったのでしょう。
お次はこの車。
このバンは・・容疑者をここまで運んできた車だそうです。
内部はこのようになっています。
そして、この車も窓が一切ありません。
容疑者にここの場所がわからないように・・ということのようです。容疑者を輸送してくる時は、わざと市内をぐるぐる廻り、ベルリンからとても離れた場所であることを装っていたとか。
いずれにしてもこの車が家の前に停車したら・・・それは人生の終わりを示していたということのようです。
続いて、新館の監獄です。
このようにセットされていると、なんだかここで行われていた残忍な行為が・・薄れてしまうような気がしますが、窓があり、ベットガあっても行われている取調べは変わらなかった訳ですよね。
収監されて居る部屋はこのようにブロック毎に檻でまた仕切られています。
そして、この先にある仕掛けがあります。
その仕掛けは天井についているランプです。
ここに収監されている囚人は所謂『思想犯』。西側とコンタクトをとったり、西側に逃亡しようとしたり・・と反共産主義の輩と見られた人達です。
で、彼らのコミニュケーションを断つためにあったのがこの仕掛けです。
囚人達が廊下を使って移動する場合、他の囚人と鉢合わせをしないように、またしそうになったばあい、コミニュケーションを採らせないための仕掛けです。
このように赤いランプがついた場合は、他の収監者がやってくるというサイン。
これが点灯したら、その場にいた囚人は壁の方を向かされます。つまり、顔をあわせると、アイ・コンタクトをしてしまう危険があるということのようです。
赤ランプがついていたらずーーと壁の方だけを向いていないといけいなということです。
単純だけれども確実な方法ですね。
こちらは取調室だったと思います。(なんせ腹痛を抱えていたので・・あんまり覚えていないのと理解で来てませんでした)
小さな机の方に取り調べられる囚人は座らされたのですが、窓の外はこんな景色です。
四季の移り変わりはわかったでしょうけど、ここの場所を確定できるような景色ではありませんね。
こんな列車の展示もありましたが・・よく覚えてません。
Gehrenseestr.駅が近いですから、引込み線があったのですね。
最後に訪問したのは『虎の檻Tiger Käfig』と呼ばれた場所。
囚人達が唯一、外の光を浴びる事が出来た場所ということです。
もちろん『空』にも金網がはってありました。
そういえば、この『虎の檻Tiger Käfig』と『Uボート』の部分は、このまえ見たあのグリーニッケ橋Glienicker Brückeを舞台にした映画『ブリッジ・オブ・スパイBridge of Spies』でも使用されていましたね。
約1時間くらいだと思います。腹痛と戦いながら・・のkおばちゃんの見学は終りました。
こんな塀に囲まれた施設。
当時はこの建物の存在自体も極秘だったようです。
壁が崩れて・・ここで取調べを行っていたシュタージも一般市民に戻りました。
ある日、ここで収監されていた元囚人がばったりと取調べをしていた元シュタージと出会ったそうです。元シュタージはレストランのボーイをしていたとか。
元囚人はそのボーイを思い切り殴った!ということです。恨み骨髄ということでしょう。
時代が悪かった・・と行ってしまえば簡単です。
でも、その時代に育って行った感情はいつまで立っても消えないでしょう。
以前見たある番組で、元シュタージの女性が、シュタージ養成学校の跡地で『私の何がいけなかったの!!!??』というようなことをつぶやいているのを見た事があります。
その時代の優等生として育ち、ここで教育されたことが『国家にとって良い事』と教え込まれた彼女の人生。
かつての『軍国少女』として育ったkおばちゃんの母の影がかさなり、何とも言えない気がしました。
でも休みの日はエンジンがもともとかかってないのでダメなのですよね。勢いで書いているkおばちゃんです。
さて。。進めましょ
○2015年6月6日(土)
ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館 Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausenのガイドツアーは始まりました。
この場所はシュタージStasiと呼ばれた、東ドイツの秘密警察・諜報機関の刑務所。つまり国家反逆罪に相当するような罪人を収監していた場所です。
もともとは、1939年作られた当時は、ナチス管轄下の調理場だった場所。大戦終了後、ソ連が接収して「特殊収容所3」としてナチスの協力者やスパイと見なされた者がここへ送られということのようです。
最初に入ったのはこの最も古い部分、『Uボート』(潜水艦)と呼ばれていた部分です。
半地下の部屋は外の光が殆ど入らない独房。
この場所で、時には水攻めも行われていたとか。
自白の強要。思想の矯正・・10人に一人がシュタージ(秘密警察・密告者)だったといわれている東ドイツの社会です。
どよーーんとした気分のまんま外に出ました。
そして、お次の建物へ。こちらは『新館』です。
ここで印象的だったのはこのゴムの部屋。
所謂『無音室』となっているようです。もちろん光もはいらないようにして。今は小さな窓があけてありましたけど。
そして、この部屋には『角』がないのです。つまり真ん丸い円形の部屋・・ということだそうです。
扉ものこように分厚いのです。
ここに『囚人というか容疑者』を閉じ込めて・・・ただ閉じ込めておくだけのようですが、角の無い部屋というのは人間にものすごい不安感をおこさせるもののようです。そうですよね。電車に乗ったって隅っこの席は人気ですものね。
半狂乱にさせる・・というか狂乱させるのが目的だったのでしょう。
お次はこの車。
このバンは・・容疑者をここまで運んできた車だそうです。
内部はこのようになっています。
そして、この車も窓が一切ありません。
容疑者にここの場所がわからないように・・ということのようです。容疑者を輸送してくる時は、わざと市内をぐるぐる廻り、ベルリンからとても離れた場所であることを装っていたとか。
いずれにしてもこの車が家の前に停車したら・・・それは人生の終わりを示していたということのようです。
続いて、新館の監獄です。
このようにセットされていると、なんだかここで行われていた残忍な行為が・・薄れてしまうような気がしますが、窓があり、ベットガあっても行われている取調べは変わらなかった訳ですよね。
収監されて居る部屋はこのようにブロック毎に檻でまた仕切られています。
そして、この先にある仕掛けがあります。
その仕掛けは天井についているランプです。
ここに収監されている囚人は所謂『思想犯』。西側とコンタクトをとったり、西側に逃亡しようとしたり・・と反共産主義の輩と見られた人達です。
で、彼らのコミニュケーションを断つためにあったのがこの仕掛けです。
囚人達が廊下を使って移動する場合、他の囚人と鉢合わせをしないように、またしそうになったばあい、コミニュケーションを採らせないための仕掛けです。
このように赤いランプがついた場合は、他の収監者がやってくるというサイン。
これが点灯したら、その場にいた囚人は壁の方を向かされます。つまり、顔をあわせると、アイ・コンタクトをしてしまう危険があるということのようです。
赤ランプがついていたらずーーと壁の方だけを向いていないといけいなということです。
単純だけれども確実な方法ですね。
こちらは取調室だったと思います。(なんせ腹痛を抱えていたので・・あんまり覚えていないのと理解で来てませんでした)
小さな机の方に取り調べられる囚人は座らされたのですが、窓の外はこんな景色です。
四季の移り変わりはわかったでしょうけど、ここの場所を確定できるような景色ではありませんね。
こんな列車の展示もありましたが・・よく覚えてません。
Gehrenseestr.駅が近いですから、引込み線があったのですね。
最後に訪問したのは『虎の檻Tiger Käfig』と呼ばれた場所。
囚人達が唯一、外の光を浴びる事が出来た場所ということです。
もちろん『空』にも金網がはってありました。
そういえば、この『虎の檻Tiger Käfig』と『Uボート』の部分は、このまえ見たあのグリーニッケ橋Glienicker Brückeを舞台にした映画『ブリッジ・オブ・スパイBridge of Spies』でも使用されていましたね。
約1時間くらいだと思います。腹痛と戦いながら・・のkおばちゃんの見学は終りました。
こんな塀に囲まれた施設。
当時はこの建物の存在自体も極秘だったようです。
壁が崩れて・・ここで取調べを行っていたシュタージも一般市民に戻りました。
ある日、ここで収監されていた元囚人がばったりと取調べをしていた元シュタージと出会ったそうです。元シュタージはレストランのボーイをしていたとか。
元囚人はそのボーイを思い切り殴った!ということです。恨み骨髄ということでしょう。
時代が悪かった・・と行ってしまえば簡単です。
でも、その時代に育って行った感情はいつまで立っても消えないでしょう。
以前見たある番組で、元シュタージの女性が、シュタージ養成学校の跡地で『私の何がいけなかったの!!!??』というようなことをつぶやいているのを見た事があります。
その時代の優等生として育ち、ここで教育されたことが『国家にとって良い事』と教え込まれた彼女の人生。
かつての『軍国少女』として育ったkおばちゃんの母の影がかさなり、何とも言えない気がしました。
お久しぶりです。
ここは善き人のためのソナタでも舞台となりましたね。
シュタージ本部は行きましたが、刑務所は知りませんでした。
日本に本帰国してしまいましたので、今度ドイツに行く時は寄ってみます。
ところでschlesischestor(噛みそうになります)ですが、3satの東独の頃のドキュメンタリーがあるので良ければご覧ください。
https://vimeo.com/15403526
日本にお戻りでしたか。
最近は東ドイツの残像探しが旅のテーマかな?とおもうくらい拾い歩いてますね。
その割にはシュタージの本部はまだ行ったことがありません。次は・・