Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

薔薇とマーラーとモーツアルト(カリシュト)

2010-09-30 18:41:31 | チェコ
今日は雨・・暑くないのはよいのだが、秋晴れと言う言葉が懐かしい。
こういう日は気持ちもどよーーんとなるのよね。

そういえば今朝のニュースでオーストラリアのモデルコンテストで2位と1位を間違えて発表したというのを報道していたけど・・まあ、メディア王バフェット氏の義娘という司会者は真っ青!

どうも、ディレクターと意志の疎通の問題ということらしいが、kおばちゃんが想像するにはディレクターが『AさんじゃなくてBさん』みたいな言い方をしたのかな?と思ってます。

で、司会の彼女は『Aさん』と言う名前をきいたとたん、他の言葉が耳にはいらなくなったんじゃないか・・と。

この場合、kおばちゃんが想像するとおりだったら、ディレクターは余計な情報を入れちゃいけないという鉄則を忘れたんでしょうね。

まあ、結果的には1位も2位も世界的には有名になったんで『良かった』としないとね。
こんな凡ミス、あっちゃあいけませんね。

○6月30日(水)

さてさて、マーラー様のご生家を見学した?!kおばちゃん。もう少しこのカリシュトKaliště村を探検して見ることにしました。

この村の中心らしきところには教会が
建っています。

この教会はローマカトリック教区の教会のようで、HPもあります
残念ながら扉がしまっていたので内部はわかりません。

掲示板に貼ってあるのはこの辺りフンポレツク教区の教会の・・お説教の時間??

そんな教会の裏・・というのか正面ですね。入り口の前ですからにはこのような十字架も建っています。


すると・・突然教会の鐘が鳴り響きました。ああ、びっくりした。
いえ、正午の鐘です。お祈りしなきゃ行けないのよね。お子ちゃまだったこと通ったことのあるカソリックの教会ではシスター達が皆頭を垂れてお祈りしていたのを思い出します。

ただ、kおばちゃんはなんちゃって仏教徒ですので・・省略させていただきました。

そして教会の脇というか裏にある建物に気になるものを発見!!それがこれです。


薔薇の花壇です。
建物そのものは、どうも冒頭の画像のように小学校のようです。元気の良い子供達の声が聞こえてきます。

でも、小学校の花壇にしてはちょっと・・豪華です。なにやらプレートが・・


どうもこれは1998年からマーラーを偲んでというのか記念に植えられてきた薔薇のようです。


その植樹のようすがさっきのペンション。マーラーのHPにもありますね。

植えられてる薔薇についているネームプレートを見ると・・色々有名な方の名前がみうけられます。


プレートの太字の上が品種名、そして下が植えた方のお名前ですね。

作曲家でピアニストのKarel Janovicky氏のもの。

こちらはMaxim Shostakovich氏。彼はあの作曲家ショウスタコビッチの息子さんで、確か指揮者ですね。
そのむかーーしkおばちゃんもご一緒したことがあります。

そんなものを眺めていたら・・今度は学校からオルゴールのようなチャイムの音が聞こえてきました。お昼のじかんですからね。

で、気になるのがそのメロディー。どこかでこれは聞いたことがあります。
そうそう、これはモーツアルトのオペラ『魔笛』の中で鳥刺しのパパゲーノが歌う歌のメロディーです。

あらあら、マーラーのお里なのにね・・・なんて思ったkおばちゃんでしたが、後でお仲間が教えてくれました。
マーラーの最後の言葉は『モーツアルト!!』だったとか。
モーツアルトは世界的永遠の音楽スターですからね。

それに、マーラーの音楽で小学校のチャイムににあうようなものって??思いつかなかったkおばちゃんです。

ああ面白かった!


※Kalištěの発音カタカナ表記ですが、カリシュチェだと思っていたのですが、先日のNHKの番組の表記がカリシュトだったので、そちらに統一しました。
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ペンション・マーラー(カリシュト)

2010-09-29 23:34:47 | チェコ
今日のニュースでこの前kおばちゃんの乗った日の丸さんのアムステルダム便の廃止で最後のフライト・・というのを報道していた。

kおばちゃんがアムス便を選んだ時も、もう廃止の話は決まっていたので感慨深く乗ったのではあるが、やっぱり空席があったのよね。
乗ってるみには楽チンだけど、会社経営としては問題だなあ・・と相反する思うもありました。

そういえばサンパウロ便も終わったと言うことで残念。
サンパウロ便っているかマイルで乗ってみたいとずーーと思っていたのだけど、利用出来るマイルを持っていてもいつでも『満席』。
マイル特典の座席は本当に設定されているのか・・と疑っていたのですけど、もう永遠に利用できないことになってしまい残念です。

ブラジル便といえば、かの地に移民で渡った方が、月日が経ちやっと帰郷のため乗り込もうとした飛行機で、翼をマークを見て感無量で落涙したなんて話を聞いたこともある便。
ナショナルフラッグとして、邦人の思いを乗せていた路線だけに残念と思うkおばちゃんです。

kおばちゃんのお友達も赴任先でさびしくなると飛行場に言って日の丸さんの翼を見て元気になっていた・・と聞いています。

邦人の思いを乗せていたのは日の丸さんの飛行機だった・・という時代ももう終わったんですね。

○7月30日(水)

さて、カリシュトでのkおばちゃんの第一の目的はマーラーの生家の訪問?というか見物です。
でも、さっき見つけてしまいましたけどね。
ちなみに、マーラーの生家といわれるのはgoogleさまのサテライトによると右端の青丸のところです。


この建物ですね。


そして建物の壁面には冒頭の画像のようにプレートが掲げてあります。

そもそもユダヤ人であるマーラー家はPodblanickaというところからやってきたというところまではわかっているようです。
マーラー家はVlašimiの側のChmelnaと言う村の、1798年のユダヤ人の記録に残っているのが一番古いということです。

カリシュトKalištěに転居してきたのは、マーラのおじいさんにあたるSimon氏の時代。その転居の少し前にマーラーの父にあたるBernard氏は生まれているそうです。
彼らはここKalištěカリシュトで醸造業を1838年から営んでいたようだが、その10年後の1848年から49年にかけてのユダヤ人に対する数々の規制の廃止により、経営は順調だった繁ようですね。

1857年に父BernardはLedeèからやってきたMarie Hermannová女史と結婚。彼女の実家は遊福だったようです。で、ここで旅籠を購入し、営業していたようです。
そんな中で1890年7月7日にグスタフ・マーラーが生まれたということです。
ただし、マーラー自身がこの村に住んでいたのは3ヶ月だけ。1860年10月22日には一家はイフラヴァに出てきてしまっています。

だから・・きっとこの村の記憶なんて殆どないでしょうね。
マーラー家がここに存在していたという事実はありますけど、マーラー自身とあまり関わりのある場所ではないようです。

これが当時の建物・・だったようです。



そんなマーラーの生まれた家は、先の大戦のおり、ナチスによって灰塵に帰してしまっているようです。

現在の建物はこの村のJiřím Štilcem氏とJanou Černou夫人?の発案により1998年4月に再建されました。

で、ここですが・・ここは現在でも旅籠・・というより宿泊することも出来る建物になってます。


その名もペンションマーラー 『Penzion Mahler』!!


kおばちゃんが着いたとき、丁度この建物に人が入ってゆきました。前に車が止まってます。


あら、専用車ですね。


さっきの人たちは中に入ってしまったのでしょうか?いません。

扉も閉まっています。それにこの営業時間微妙ですね。

実はkおばちゃん、今回の旅行を計画していた時にここの存在は知っていたのですが、どんな環境かはわかっていなかった。
食事の出来きるお店があるのかないのか・・等々です。で、食事の心配のない都会のイフラヴァに泊まることにしたのです。
それで正解でした。だって、なーーーにもない村です。飲食店は。
あるのはよろずやさんのような、お店だけ。それも、お昼休みで鍵をしめてお姉さんはどこかにいってしまいました。

本当はこの村でお昼でも食べようかと思っていたkおばちゃんですが・・無理ですね。

入り口の脇には、沢山のプレートがかかっています。


確か何かにかいてあったけど、アメリカからの大口の寄付で・・というようなことが・・

それにしても誰もいません。覗いているkおばちゃんだけです。

中になにか冊子のようなものが束ねておいてあります。どうも、マーラー氏の顔がみえるような・・

もしかすろと、ガラコンサートのパンフレット??

ペンションの入り口から村の中心地を望むとこんな感じです。


ペンションの入り口と反対側の壁面はこんな感じです。


裏のほうも回ると・・こんな感じで・・手つかずです。


さて、村をもう少し探検してみますか。


※Kalištěの発音カタカナ表記ですが、カリシュチェだと思っていたのですが、先日のNHKの番組の表記がカリシュトだったので、そちらに統一しました。
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あっちもこっちもマーラーガラ!(カリシュト)

2010-09-28 23:36:29 | チェコ
今日も朝から雨・・と思っていたら出かけるころは傘ましで・・
でもお昼からゴロゴロと・・
まったくいやなお天気!!厚すぎた時もいやだったkおばちゃんですけど。

今日のお昼、久々のお友達と食事した時に聞いた話。
お友達の業界も相当厳しそう。なんだかな・・とどよーーんとなってしまた。

○6月30日(水)

さて、無事に本日の目的地に到着したkおばちゃん。

ここ、カリシュトKalištěは、kおばちゃんの今回の旅の目的のマーラーの誕生地です。
といっても、マーラー自身がここで生活したのは生後3ヶ月くらいまでだそうです。
だから、彼にとってここはまったく記憶になかったんじゃなかい・・と思いますけどね。

ま、物好きなkおばちゃん、せっかくイフラヴァまで来たんだからちょっと足を伸ばしてみたかったんです。

カリシュト村は現在でもとっても小さな村だそうです。人口も300人そこそこのようです。で、カリシュト村に入って・・一応マーラーの生家後というのが、現在でも一応あると聞いているのでそれを探しました。

で、まず最初に目に付いたのは・・マーラーのガラ・コンサートのポスターです。ほらね。


kおばちゃんのここに来た第一の目的地『生家』はどこにあるかはっきりわかっていません。
とりあえず・・村の中心地、教会の側に止まって様子をみてみましょう。

すると・・・・目的地のマーラーの生家は直ぐ見つかりました。あらここね。


あんまりあっけなく見つかってしまったので・・ちょっと拍子抜けです。
建物そのもの『再建』のたてものであるし、別に公開もしているとはきいていないのでとりあえず場所だけわかれば良いです。

少し村をぶらついて見ます。あら、こんなところにもガラ・コンサートのポスターが!


拡大するとこんな感じですが、マーラー氏より目立つこの男性は・・Thomas Hampson氏だそうです。

ところでkおばちゃん未だにわからないのですが、Thomas Hampson氏がなぜここのガラ・コンサートの中心にいるのか・・ということです。
だって、彼はアメリカ人だし、特に世界的にマーラー氏の作品のなにかに長けていると言う話もきかないし、ここカリシュトとの接点が見えないんですよね。

とりあえず内容はこんなことです。

夕べ、イフラヴァでみたこれとほぼ同じ内容(当たり前ですけど)ですが、わざわざテレビ放映があると書いてあります。(先日9月25日日本でも訪英されたそうですね)

kおばちゃんとしてはこっちの7月3日のサッカーの試合のほうがきになるのですけどね。


少し歩くとこんな建物がありました。


これはカリシュト村役場・・でしょうか。

ただし・・11時からお昼休みのようです。

もう少し池の方にもどると・・なにやら建物が目に入りました。


あら?まだ出来上がっていないようです。この小さな村にはちょっと大掛かり過ぎるものです。


まだまだ、設営中ですが・・これはもしかすると例のガラ・コンサートの会場でしょうか?


小さな村を見回しても、オーケストラコンサートが出来るような建物はみあたりませんからね。

村の中心はgoogleさまのサテライトによるとこんな感じです。


左端の大きな池はkおばちゃんがこの村に入ってきてすぐに目に付いた池です。

で、今ゆるゆると会場設営をしているところは下のgoogleさまのサテライトさまの画像の左の赤丸部分です。


そういえば、ここのカリシュトという名前の意味の通り、この村の中心地はこの『池』のあたりですが、池だけじゃなくてこのあたりは『沼』のようなのかもしれません。

池の周りにこんなものがありました。


一つを見てみるとこんな感じで、水汲みポンプのようですね。

さて、そろそヒュンダイ君の法に戻りますか。それにしてもあっちこっちにポスターが見えます。


右側の赤い屋根の平屋が、マーラー氏の生家です。



そろそろお昼なんですけど・・だれも歩いていません。

※Kalištěの発音カタカナ表記ですが、カリシュチェだと思っていたのですが、先日のNHKの番組の表記がカリシュトだったので、そちらに統一しました。
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濁った池を求めて(カリシュト)

2010-09-27 22:54:04 | チェコ
今日は週の初め。こういう日に雨が降ると一週間が長く感じてしまう。
それに・・まるまる1週間あるのよね。今週は・・・

ニュースも何処の国の報道かわからないものばかり。
もう少し、他の国が例の漁船の問題を捕らえているか・・くらい報道してくれていも良いのにね。
腹が立つから、見ません。

先日○船駅のエキナカでレバーかつなるものを見かけて食べたかったのだが・・移動の途中だったのであきらめた。
あそこのお惣菜は面白そう。というか食べてみたいと思ったしだいです。

そういえば最近地域の特産品が人気といっているけど、その走りは道の駅かな?なんて思ってるkおばちゃんですが、先日のお遍路で立ち寄った道の駅にはがっかり。
数年前に立ち寄った時は目新しかったのだが・・今はただのサービスエリアになってしまった感じ。
かえってスーパーの方が地域性が出ていて、その上安くてkおばちゃん好みでした。

●6月30日(水)

今日のお目さめもまあまあ。
実は通り沿いの部屋だったのだが・・朝も早から道路工事・・で目が覚めた。
こちらのほうは朝の7時前からでも工事しちゃうのよね。早く終わりたい??

今晩もこのお宿に泊まるので荷物はまとめなくて良いので今日は楽チン。さっそく朝ごはんを頂に行きます。
そうそう、このお宿一応Wi-Fi完備なんだけど・・kおばちゃんのお部屋では入りません。
で、食堂はどうか・・ということで早速△padを携えて向かいました。

実は今日はネットに繋がらないと大変な一日になってしまうのです。
なんと、お間抜けなkおばちゃん。今日行きたい・・と思っていたところの資料をおいてきてしまいました。あちゃーーです。
場所の名前はなんとなく・・わかるのですが、ナビ様に目的地を設定するにしてもつづりがわからないと・・ということで検索したかったんです。まったく、泥縄とはこのことですね。

その前に・・朝ごはんです。


kおばちゃんのこの脈絡のないチョイス。


この超ロングのソーセージ!!朝ごはんでお目にかかったことありませんでした。


お皿からはみ出てるんですけど・・これボイルの方がよいかも・・

お行儀が悪いですが食べながら調べました。

こんなルートで行くのよね。としっかり画像に残しておきます。


朝ごはんを食べ終わったら・・部屋でナビ様のセットをして・・出発です。
さてさて・・どんなところでしょうかね。そうそうkおばちゃんの目指しているのはカリシュトKalištěと言う村です。

イフラヴァの町をでて・・ナビ様のご託宣にしたがって走るのですが・・同意しても高速(有料)に入る道を選択してしまいます。
kおばちゃんのナビ様のソフトは古いので、画面上は高速ではないのですが・・
一旦入ったのですが・・・気になって降りてしまいました。
何で気になったか・・そうなんです高速券ヴィニエット Vignetteを貼っていないというか購入してないんですよね。
昨日チェコに入国した時に街道沿いに売っている売店は見たのですが、今回はそんなに距離を走らないはず・・ということで購入しなかったんですよね。
しかし・・何回検索しなおしても・・高速以外のルートが出てきませんでした。

本来は上の画像にもあるように、googleさまのこの一般道を使ったルートで行きたかったのです。


しかしナビ様のご託宣は、googleさまの高速を使ったルーとした出てきません。


何回か走りなおしたのですが・・無理でした。で、仕方がありません。たったこれだけの高速利用ですが、びくびくしながら走るのも小心者のkおばちゃんの性にあいません。
ヴィニエット Vignetteを買うしかありません。買うといっても、チェコ入国して直ぐは道路側の売店でうっていましたが、このあたりではそんなものも見かけないのでガソリンスタンドで買うしかありません。

ということはまたイフラバの町に逆戻り・・でやっと入手しました。これです。


この右半分をフロントガラスの右側上部に貼り付けます。どこかに車のナンバーを書くのですが・・忘れました。

これで堂々と高速道路をはしれます。アー気が晴れた!!


高速を降りると・・あとは田舎道です。


あと2.9キロですね。

のんびりと走りたい・・という景色ですが・・目的地はあの向こうの木の茂っているところでしょうか?


どうもそのようですね。集落のようです。


ほら村の入り口です。


さて、どんなところでしょうかね?たしかカリシュトKalištěというのは古いチェコ語で『沼地』というような濁った池の意味らしいです。で、このような名前の付いた場所は数箇所あるとか。

名前の通り沼地・・というか池が見えてきました。


さて、お目当ては・・どこかな??


※Kalištěの発音カタカナ表記ですが、カリシュチェだと思っていたのですが、先日のNHKの番組の表記がカリシュトだったので、そちらに統一しました。
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再びクルコノシェ山?! (イフラヴァ)

2010-09-26 23:09:38 | チェコ
今日も爽やかな一日。
お布団も干せて幸せでございます。

今日お出かけした時に目に付いたJRの工事。東京駅と上野駅間でまたなにやら工事をしているのだが、新幹線の線路でも拡張するのかと思っていたのだが・・いえ、あんな赤字路線増やしてどうするとは思ったのですが・・聞いてみたら違った。
なんでも、常磐線等の上野終着の路線をゆくゆくは品川まで延長するとか。
もともとは東京発着があったそうだが、新幹線工事の関係で線路が途切れてしまったらしい。
まあ、品川まで延長して・・誰を運ぶのでしょうかね?なんて関係ないkおばちゃんはおもったりもしたのだが・・
ますます路線がわからなくなると、お年寄りにはついてゆけなくなります。

○6月29日(火)

イフラヴァJihlavaのまちをうろつくkおばちゃん。
マサリク広場 Masarykovo náměstíを後に、少し路地を入ってみました。ここでこんなお店を発見!!


これはO2と言う通信会社のお店です。実はkおばちゃんがミュンヘンせSIMを入手しようと思って入ったお店です。
その時はチェコとのローミングが出来ないかもしれないなんていわれてSIMを購入しなかったんですよね。あーあ残念ね!チェコにO2があったなんて。

まだ夜の8時過ぎだというのに、人影が・・寂しすぎますね。


あそこに塔のようなものがみえますが

どうも、Brána Matky Božíマドンナの塔とでもいうのでしょうか?
ここイフラヴァの町に5つあった塔のひとつで現存する唯一のものらしいです。
昔はこの向こうに堀がありつり橋がかかっていたようですが・・近くまで行きませんでしたがおそらく今は平らだと思います。

あちらにも教会らしきものがみえますね。


聖パウロ教会kostel Svatého Pavlaではないかと思います。

さて、今日は午前中にウイーン市内をうろついたりもしているので結構おくたびれのkおばちゃん。そろそろ戻りましょう・・とマサリク広場Masarykovo náměstíまで戻ってきました。

ここに冒頭の画像にもあるバスが止まっているというかおいてあるのですが・・

どうも、これは地方の観光宣伝のばすのようですが・・これは何処だ??


Královéhradecký krajフラデツクラーロベー地方の観光案内のようです。
あら?ここって・・去年kおばちゃんが行ったクルコノシェ山KRKONOŠE A PODKRKONOŠÍのあるところですね。

ウインタースポーツのメッカですよね。そういえばこのあたりはなだらかなアップダウンはありますが・・ウイーンからもイメージ的には平らな感じがしました。


クルコノシェの山のような高いところに行かないと雪もつもらないのでしょうかね。

そうそう、この広場はなだらかな傾斜がついていて・・こんな感じのところのバスは止まっています。


遠くにまたなだらかな丘がみえますね。


横には市庁舎がみえます。


広場の下のほうにこんな泉がありました。


ネプチューンの泉Kašna Neptunというものらしいです。
ネプチューンとはギリシャ神話のポセイドンのことらしいです。

彼がつかまえているのは・・なまず??

そしてこのマサリク広場 Masarykovo náměstíにはこのようなテイクアウトのお店もあります。


さらにこんなお店も・・あり・・そこそこお客さんも入っておりました。


そしてこのお店の前あたりはバスの停留所になっております。昔懐かしいトロリーバスも健在です。


そしてここに掲げられていたのがこのヴィソチナ州Vysočina kraj 地方の観光地図のようです。


イフラヴァは丁度真ん中に位置していますね。

この地域で言えば大きな町ということでしょうね。

さて、あの塔のある聖大ヤコブ教会Kostel sv. Jakuba Většíhoの方向に帰りましょう。

工事中の道路を通って本日のお宿が見えてきました。

お部屋に戻って・・ゆるゆると寝る支度をして・・はい、今日も楽しい一日でした。
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食後のお散歩(イフラヴァ)

2010-09-25 23:30:54 | チェコ
今日も・・極端に寒いくらい。
まったく中間というのがないんでしょうかね。

今日もちょっとお急がしのkおばちゃん。
世の中のニュースを聞いていると腹が立ってくるので、ニュースになるとテレビを消してるkおばちゃんです。

久々にスーパーにいったら・・やっぱりお野菜は高いし・・
せっかく涼しくなったのにね。

○6月29日(火)

たっぷり夕食を頂いて・・いえ、いささか頂きすぎで苦しいkおばちゃん。
このまま部屋に引きこもったら大変です。さらに豚になります。

ということで、食後の運動をかねて、町歩きに出かけることにしました。
町の様子はなんとなくさっき宿を探しながら走ったときに判ったような気になってます。
最初に向かったのは、2回も周りを走ってしまったこの教会のところ。

この教会は・・後でわかったのですが(いつものことながら)・・kostel Svatého Jakuba Většího聖大ヤコブ教会だそうで、1257年5月に献堂されているそうです。

教会を過ぎてさらに行くとこのイフラバJihlavaの町の中心の広場に出ます。Masarykovo náměstí マサリク広場です。


この広場の大きさから見ると、昨年kおばちゃんが訪問したターボルの町よりは大きい町ということは判りますね。
広場を囲んでバロック様式の建物が見受けられます。

これはRadnice Jihlavaイフラヴァ市庁舎のようです。もちろん午後8時近くなので閉まっています。
この窓にかかっている垂れ幕は『GUSTAV MAHLERグスタフ・マーラー』ですね。そう、今年は生誕150年の記念の年なんですよね。

あら、こんなところに中国料理店があります。

世界中どこにでもある料理店ですね。特に旧共産圏の国には昔から良くあるようです。

Masarykovo náměstí マサリク広場の反対側にやってきました。なんだか人がいませんね。


広場の一角、市庁舎のならびにさっきの教会よりも美しい教会があります。
これが聖イグナチオ教会kostel Svatého Ignáce z Loyolyだそうです。現在の建物は1683年から89年に建てられたとか。
内部のフレスコ画も美しいそうです。

市庁舎と教会はこんな感じで並んでます。


広場に面したこちら側の建物にもマーラーの垂れ幕です。


そして広場の宣伝塔に張られているのはマーラーの演奏会の告知。

これは、この町の演奏会?残念今日は・・なんにもありません。

こちらのは・・Kalištěカリシュチェ・・マーラー生誕地でのコンサートですね。

えーーとこちらのコンサートも・・あら『生まれた日の7月7日』です。残念。

広場から離れてこちらの道を進んでみましょうか?

人影がないのが夕方と言うか、夜の証拠なんですけど・・

こう明るいとね・・とさらに進むkおばちゃんです。
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早目の夕食(イフラヴァ)

2010-09-24 18:49:46 | チェコ
今日はやる気のしない一日。
感覚的には『月曜』なんだけど、実際は金曜日なのよね。

○閣諸島問題は、あっけない幕きれになりそう。
半ば人質状態になった方にはわるいけれど、『これで解決の糸口が見えた』と思ったんじゃ無いですかね。政府サイドは。
振り上げたコブシを下げるところを知らないC国と、あえてその問題には触れたくないわが国政府。収拾にむけて良いきっかけが出来た・・と言うところだったんじゃないかとひねくれ者のkおばちゃんは思います。

それにしても・・・なんだかまったくた問題にもしてない感のある政府の対応には歯がゆい者をかんじていたけど、あっけない『処分保留』。なんだかな・・・

ドイツの新聞なんかでも『1895年がから日本が領有しており、1970年までどの国もそれに異議を唱えたこともなかったのに、付近に資源がある可能性が出てきてから、いきなり中国が主張を始めた』ということを理解してくれている。
ああ、日本のマスゴミさんよ、自分の国が非難されているのを第三者的にしか書けないってなんなの??あんたどこの国の新聞??と怒りまくってるkおばちゃんです。

外交問題て黙っていることこそ理解される機会を棒に振ってるということだとおもうんですけどね。お仲間曰く『握手の強さで第一印象が決まるくらい』ということなんですけどね・・

○6月29日(火)

いつもの大距離移動から考えれば・・中距離移動だったのですが、何はともあれ本日のお宿に辿り着いて一安心のkおばちゃんです。
でも、駐車場を聞くと・・所謂『路駐』です。しかも坂の途中!まあしかたありません。バックギアにいれて駐車ですかね。

kおばちゃんが辿り着いたのはイフラヴァJihlavaという5万人ほどの人口の町です。
歴史は古く1233年頃にはもう町として形成されていたようです。その当時は銀の産出所として有名だったようです。
現在では・・マーラーの幼少期というか子ども時代を過ごした町として有名になってきた・・ようです。

ですから、kおばちゃんの今夜のお宿もこんなところです。


ペンション・マーラー。Na hradbachとは『壁』と言う意味でしょうか?
たしかに旧市街の境目の壁のような感じではあります。
本館の歴史は大分ふるそうであります。

でも、kおばちゃんのお部屋は新館??のほうでありました。まだ出来たてと言う感じでバスルールはモダン


で、お部屋もこんなインテリアでした。

テレビも液晶。DVDプレーヤーも付いていた・・と思いましたけど。(使ってないので余り覚えてません)

さて、お部屋で一息ついたkおばちゃんお時間はこんなもんなんですけど、お腹が空きました。

だってねえ、お昼にはサラダしかいただきませんでしたから・え・
それに、運転が控えていたたのでアルコールもとっておりません。

と言うことで少し早目ではありますが・・食事をとることにしました。出かけるのもメンドウなのでお宿でいただきます。

こんんあお時間でももう何組か座ってらっしゃいます。

お飲み物は、チェコに来たんですからね。当然ビールですね。


で、このときは気が付かなかったんですけど、改めて見るとアルコール分が多いですね。日本の麦酒に比べて。日本のは5%くらいでしょ?その2倍はありますね。
お待ちかねのピルゼンPlzeň・ビールです。

ぷはぁ!!美味しいよ!!生きててよかった!!と、やっとチェコに辿り着いたことを自覚しました。

スープは本日のスープだったような・・気が



で、メインの方はこんな感じのソースパンに入ったものを頼みました。


で、これが何だったか・・忘れ掛けていますが、多聞一番したの物体だと思います。


だって、この中だったら多聞この『Vysočinaヴィソチナ』というこの地方の名前が付いたのをなんとなく選ぶはず・・と思ってるからなんですけどね。

お腹がすいていたのもあってとっても美味しかったのは覚えているのですが。
デザート代わりのアイスカフェをここでも注文

いささか食べすぎ!の感があるのと、思ったよりもビールが・・いえ2杯飲んだのですが、きつかったのでおなかはパンパンです。

あーーグルジイ!食べすぎた!!の状態のkおばちゃんです。
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国境を越えてチェコへ・・

2010-09-23 21:11:48 | チェコ
今日はお彼岸。
お墓参りは先日済ましてしまったので、何の予定もないはずだったのだが、車検に車を持ってかなきゃいけなかった。

kおばちゃん、自分の車は殆ど乗ってない。5年目にして5000キロ。
まったくの金食い虫である。そのうち手放そうか・・と思うのだけれど何故か持っている。
とにかくあと2年は乗るかな??

で、帰りにデパチカへ。ああ、買い込みすぎてしまった。
ここにはお気に入りのタイ料理のお惣菜やさんが入っていて無視できないんです。
そうそう、生鮮食料品売り場でレジに並んでいた時にふと目に入った前にいた白人のお兄さんのかごの中身。冷凍餃子2箱と、粉山葵と生山葵。うーーんなんていう組あわせ??
外人さんで山葵にはまるのはきいたことがあるけど・・

○6月29日(火)

さてさて、たった1日のウイーン滞在。
日本に団体ツアーでももっと滞在しますよね。心残りはたっぷり、後ろ髪も惹かれっぱなしですけど今回の旅行の目的は別にありますのでしょうがありません。

さて、kおばちゃんの次に向かったのは・・お隣の国チェコ共和国です。
そう、去年も行きましたよね。まったく、効率の悪い旅ですけど、しょうがありません。

距離的には170キロほどなのですが、googleさまのルート案内によると、時間的に最短のルートはスロバキア共和国の高速経由で行くことですが、そのためにスロバキアの高速券ヴィニエット Vignetteを購入するのは馬鹿らしいので、第二のルートを選択する予定でしたが・・ナビ様の選択は丁度第2のルートでしたので一安心です。


kおばちゃんの目指すのはマーラー氏の子ども時代の町、イフラヴァJihlavaと言う町です。
上のgoogleさまでもわかるように、ウイーンからの丁度中間地点に国境があるという距離ですね。

ウイーンから脱出するときに、ちょっと曲がり角を間違えて、工業団地のようなところに入り込んだりはしましたが、比較的順調にルートに乗ることは出来ました。
比較的アップダウンの少ない道のようです。

オーストリア国内はある程度高速道を利用したようで、比較的楽チンでした。

チェコとの国境も当然、ユーロ圏なので通関手続きは不要のようですね。


国境を通過して割と直ぐの道端で、チョコ国内用の高速券ヴィニエット Vignetteを売っている売店を見かけたのですが、今回のルートでは高速にまず乗らないだろう・・ということで購入しませんでした。
後で考えたら・・目に付いたということは『買っておけ』というサインだったのか・・と思ったのですけどね。

チェコに入るといくつかの町を通過してゆきます。いわゆる『街道』なのでしょうね。遠くに見えてるこの町も


気がつけば、街中を通過しております。


町を抜けると・・また平原をはしりますが、街道沿いにみかけるのはこんな光景。


産直というか、農家の売店というか・・日本でもよく『すいか!!』なんかを売っているのはみますよね。ドイツだと『ジャガイモ』
で、ここチェコだと『アプリコットMerunky』です。


この季節の一番美味しい果物でしょうね。そういえば、去年道に迷ったネラホゼヴェスの道端でも売っていましたね。
結構な量があるのげ一人旅のkおばちゃんの手には余ると思うので、昨年も買いませんでしたが、今年も買いませんでした。

またまた、白い花がいっぱい咲いています。まさかそばの花・・なんちゃって。


再び平原を走ります。ああ、これこそkおばちゃんが去年感動した風景です。って大げさですけどね。


こんな風景でも集落をいくつか通過してます。


ここは『Vranovská Ves』という人口300人弱の村のようです。
こんな小さな村でも、ドイツとチェコの国の間で歴史に翻弄されていたようです。

なだらかな光景はずーーと続きます。左側からの西日がきつくて・・苦労しました。


ある集落ので目に付いたものがありました。これですけれども・・判りませんね。


拡大しみると・・これです。なんでしょう?

ちょっと不気味な感じもしますが・・

ま、飽きてきたころにようやくイフラヴァJihlavaに到着です。
お宿の住所はナビ様に入力してあったのですが・・入り込む道が工事中で進入禁止・・あたりをうろうろ・・で一通をほんの少々目をつぶり・・やっと到着しました。
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お墓参り(ウイーン)

2010-09-22 18:16:42 | オーストリア
今日も見事に・・暑い!!もう、お彼岸でしょうに。
天気予報では明日から涼しくなる・・・と告げいてるけど是非とも実現して欲しいものです。

夕べから今朝に掛けてのニュースで大阪地検の押収資料改竄事件に対するM木女史の会見と、S家氏冤罪事件の報道を聞いていて何だかな・・と思ったkおばちゃんです。

M木女史の場合は終始一貫『無罪』を主張し続け、今回の押収資料改竄事件に対するコメントも『個人の問題にするのではなく、組織として二度と起こらない仕組みを作ってほしい』という前向きなコメント。恨み言ではないのが気持ち良い。

それに対してS家氏は・・冤罪と言えども一旦は罪を認めてるんですよね。
それにたいして損害賠償・・うーーん。なんだかな・・
まあ、貴方はその立場に立ったことがないから・・・と言われてしまえばそれまでだけど、何で『罪を認めて』しまったんでしょう?

それにもまして、M木女史の会見でマスゴミのあり方に対して。『逮捕前後の乱暴な取材がつらかった。検察情報を書くなとは言わないがそれ以外何を書いてくださったか考えていただきたい』と発言したといわれているけど・・・どのマスゴミもこの件に関してはだんまり。
それどころか、『地検に対してM木女史は怒っている』と書きたてている。

なんだかな・・ちっとも学習しないのがマスゴミですね。ああ、いやだ。

○6月29日(火)

さて、お宿に戻ったkおばちゃん。預けておいた荷物をピックアップします。
そしてヒュンダイ君を駐車させて頂いたお礼を述べて・・さあ、出発です。
そうそう、ここの駐車場の一角にこんな煙突があったのですが・・なんなんでしょうね?

さて、これから向うのは・・ナビ様に入力する前にPCで検索しないと・・情報がありませんです。


それをいつでも取りだせるように画像にのこしておきます。

駐車場を出ようとすると、丁度反対側から車が・・入ってきちゃいました。あちらがバックするには通りに戻らなきゃいけないので、kおばちゃんがバックして道を譲って上げました。
すると運転手のおじさんが窓を開けて大きな声で『スパシーパ!スパシーバ!』の連呼です。
あれ
スパシーバってロシア語でありがとうじゃなかったでしょうかね?彼らはロシアからやって来たんですね。(まさかkおばちゃんがロシア人に見えたわけじゃ・・ねぇ)

さて、第一の目的地までのルートはこんな感じです。


ナビ様のお導きで・・なんとか『それ』と思われる地域までやってきました。
ただ、問題は入り口がどこか・・ということなんですけど・・

ちょうど目に付いたのは『P』と言う看板。駐車場ですね。じゃあここかな??と安直に思って入りかけたのですが・・入り口の標識でちょっと考えさせられました。
え!?バスも駐車可??バスで来るの??って。

だって、kおばちゃんが目指していたのは『墓地』です。墓参りにバスで来るって・・聞いたことありませんよね。
駐車場は丁度この地図のピンクの○部分の地下です。仰々しいでしょ?


で、気が付きました。そう、この墓地があるのはグリンツィングGrinzingと呼ばれる地域。ここはホリゲイheurigeと呼ばれるワイン酒場の多い地区。しかも日本のツアーなんかでも訪れるところです。ああ、観光バスの駐車場ね。と納得しました。

ということで、とりあえず先に進むとありました。入り口が!!


この入り口の脇には看板が掲げてありました。


えーーとこの意味は・・


左から『耕しちゃ行けません』『敷物をしちゃ行けません』『裸足ではいっちゃいけません??』『ボール遊びをしちゃいけまえん』ですかね??

中に入って目に付いたのは『位牌堂はあちら』じゃなくて、その下の2番と言う番号。

kおばちゃんのお目当てはたしか6番です。このあたりですね。


ありました!このお墓です。kおばちゃんが捜していたのは!

そう、さっきまで展示をみていたマーラー氏のお墓です。展示物のなかにもこの画像がありましたよね。

彼はここグリンツィングの墓地に葬られています。
なんだか、彼らしくない感じがします。だって作曲とかは静かな環境でしていた・・ということだったので、お墓も静かな所かと思っていたんですよね。
なんとワイン酒場で有名な町の小高い丘とは・・

墓石の根元にはこんなかわいらしいお花が供えてありました。


それと・・気になる文字が・・『ウイーン市の名誉ある墓』とでも言う意味でしょうか??

あと、この墓石の上の小石はなんかの意味があるのでしょうか?


さて、お祈りをしたあとは・・もう次に向いましょう。これからもよろしくお願いいたしますね。


この墓地も小さいながらいろいろなお墓があります。

こちらなんかお花が生々しい・・ということは埋葬されたばかりでしょうか。

こちらのお墓は緑が濃すぎて墓石が・・

こちらのお墓はユーゲントシュティール風で、目を引きます。

さ、門の所まで戻ってきました。右に見える黒い車がkおばちゃんのヒュンダイ君です。


で、正面に見える坂の下の方に駐車場の入り口があるので・・多聞観光バスの駐車場はこの墓地のした??なんて思うのですが・・

さあ、良いお天気です。明るいうちに地到着できるように出発しましょう。



170キロ弱の移動です。どうか無事に到着しますように!!
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いつもいっぱい(ウイーン)

2010-09-21 23:59:58 | オーストリア
今日は朝からぽかをしてしまったkおばちゃん。
出稼ぎからの初出勤なので、もって帰った書類を持参しなきゃいけなかったのに・・・忘れた。
で、駅まで来て、しかもホームに上がってから思い出したのであります。

しょうがない。とりに帰ろう・・・

時間的には余裕があったのですが、駅までまた倍歩かなきゃいけないのと、多聞電車がもっと混んでくるというのがわかっていたので気が重かった。
案の定、もみくちゃになってのご乗車でありました。まあ、10分も乗ってないのでいいですけど・・

時間的にも『ゆとり』のないのは心の『ゆとりも』なくなるのか、ご乗車の皆様がたはいつもの倍以上に殺気だっておりました。あーいやだいやだ。

まあ、自分が忘れ物したのが悪いんです。はい。
それにしても・・・いつもの倍大汗をかいてしまったkおばちゃんです。

○6月29日(火)

お気に入りの小路をうろついた後に辿り着いたのは・・ここなのでありますが・・ここも工事中!!


フランツィスカーナー教会 Franziskanerkirche前の広場であります。
何だか工事の資材置き場のような体をなしていますよね。
ここに、お気に入りの飲食店が出店をがしていたのですが・・・

あらあら、ありました。こんな中でも営業中ですね。


しかもお店の名前の通り『満席』であります。
このカンカン手照りのしかも工事の資材の隣みたいな場所にもかかわらず・・であります。
さすがのkおばちゃんも、もしここで席が空いていたとしても・・ちょっとご遠慮しようかとおもいましたけど・・

しかたがない!?お店の方に行って見ますか。

で、店内にはいってびくり・・・ガラガラです。冒頭の画像の如しであります。

そう、ここはImmervollという食堂。Immervollとは満席、いつもいっぱいという意味ですね。通称『満席食堂』
いつものことながら・・ワンパターンなkおばちゃんです。

この食堂は何時でも食べられる(中間休み)がないので大変便利に思ってます。
で、今日は朝ごはんをたっぷり頂いているので、お昼はそこそこ軽めにしよう・・と思ってたんですよね。
でも、ここまで来たら・・何か食べに寄りたくなったっというのが本心です。
とにかくお天気が良い日ですので、喉がからからです。冷たいお水がなによりのご馳走のkおばちゃんです。


しばらく来ていなかったので、ウエイトレスさんたちの顔ぶれが代わってしまっているのがなんとなく歳月を感じさせました。
しっかりものの『お姉さん』という感じのウエイトレスさんがいたんですけどね。隠れファンだったんです。残念!!

ウエイトレスの彼女達は、広場と店内を行ったり来たりで忙しそうです。
ただ、広場に運んで行くものは殆どが『飲み物』ばかり。お食事をあそこで・・と考えないのかもしれませんね。

kおばちゃんは、お食事を待っている間にさっきのオーストリア演劇博物館で購入したお土産の撮影会です。


左側はマーラーのお顔の付いた『メモ帳』そして右側はマーラーのシンフォニー全集のCDです。
このCDは夕べ薀蓄を聞きながら聞かせてもらった物と同じだと思います。
指揮者はバーンスタインLeonard Bernstein氏です。彼はユダヤ系アメリカ人の作曲家・指揮者で、近年のマーラーブームの火付け役的存在だそうです。

マーラーの死後、彼の作品は忘れ去られていた感があったそうですが、バーンスタインが1960年代と1980年代にこの交響曲全集のようにレコーディングを行ったことで、マーラーの作品が再評価されたということです。

俄かファンのkおばちゃんはこんな全集持っておりませんでした。

さて、本日のkおばちゃんお昼はこちらでございます。

アボガドと生ハムとチーズのサラダ!健康的でしょ?これにバルサミコとオリーブオイルと塩と胡椒でいただきました。

ほんとはもっとしっかり食べてもよかったのですが、これからちょっと長距離移動をしますので、あんまりお腹がいっぱいだと眠くなってしまいますからね。

さ、食べ終ったらお宿に戻りましょ

それにしても良いお天気ですよね。あー夏本番です。

ここから地下鉄に乗って戻るのですが、そうそう、このビルがこのシュテファン教会前に出現した時はびっくりしました。


あまりにもモダンすぎて。若かったkおばちゃんはちょっと否定的な考え方だったんですけどね。

今となっては、これもウイーンの顔となっていて、しっかり存在感を示しています。
駆け足のウイーン観光はおしまいです。
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魅力的な小路(ウイーン)

2010-09-20 23:59:28 | オーストリア
今日は、墓参り。
『昔ここで見かけたお年寄りたちは皆この中に入っちゃったのかしら』ということを話したら・・大うけ。
ま、いずれkおばちゃんもお世話になるんでしょうね。

それにしてもお彼岸だと言うのに・・暑い。
久しぶりに我が家の自動車に乗ったのかも。先日のお遍路で借りたレンタカーの走行距離は3日で500キロ越えてたのに、自分のは・・2年で1000キロも多分走ってない。まったくね。

そういえば、レンタカーについている日本のカーナビってまるで日本の社会みたいと思った。
無駄な情報が多いのよね。妙に細かくって、大事なルートが見づらい。
おまけに、ルートからそれても無言。
kおばちゃんがいつも使ってるナビは、自分の行く道のルートしかほぼ表示しないし、ルートをそれると『新しいルートを・・』と音声で知らせてくれる。
もちろん、細かい表示も見ようと思えば見ることは出来るけど、普通は必要ないもんね。

なんだか無駄に情報だけが多い日本の社会みたいと思ったのであります。

○6月29日(火)

マーラー展を見終わってしまったら・・今回のkおばちゃんのウイーンのご予定は終了なんです。
ええ、もっと時間があったらね、もっとやりたいことはいっぱいありますが今回はちょっとね。

朝のスタートが遅かったので、時間ももうお昼です。さて・・どうしようか。
もう少し街中を散歩してみましょう。

でも・・ワンパターンのkおばちゃん新しい冒険はありません。

なつかしの・・場所に向かってます。

多分画像のお蔵に昔の眺めが残ってると思います。そのうち探してみようかな・・

この通りは・・全然変わってない気がします。


このあたりを依然さまよったのは2006年の6月でしたけど・・4年たっても基本的にはね。
丁度お昼時なので、混雑しているお店としていないお店が分かれています。

この手前のお店はガラガラ、で向こうは満員。

何故でしょう?小心もののkおばちゃんなんか人が少ないと入り辛いというのはありますけどね。

こちらはお菓子系のカフェなので今の時間はあまり人気がないのでしょうね。


そろそろkおちゃんもお昼を食べなきゃね。

それにしてもこの小道は魅力的ですよね

でも、考えてみたらkおばちゃんはこの小路のどのお店にも入ったことがないですね。
ただた・・観光客です。

で、今回は小路の出口で面白いものを発見しました。

拡大するとこんなものですが・・・これじゃ何だか判らない??ですね。

これはワンちゃんというかペットのオトイレを処理するもの。で処理袋がワンちゃんの写真の下から取り出せるようになっており、そのさらに下に処理袋を捨てるボックスがありますね。

たしかにこちらのワンちゃんのお散歩姿で、飼い主が袋をぶら下げて歩いているのは見たことがないような気がします。
どちらかというと、道端にゴロゴロ・というかんじでしょうか。
町をきれいにしましょうということでしょうね。

さて・・あらら・・ここも工事中でありました。
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エロイカ・ザール(ウイーン)

2010-09-19 23:59:00 | オーストリア
今日も今日とて、秋はどこ??です。

夕べ泊まったお宿。お遍路さんとなんかを相手にしているだけあって夜も朝も早い!!
それに、布団の上げ下ろしをして下さるのでご飯の前にはお部屋をきれいにしておかないと・・という緊張感を久しぶりに思い出しました。
何時もだれた『西洋型ホテル』でドアーに『おこさないでください』の札を下げてぐうたらしていたからね。

今日の帰りの飛行機のなかでお誕生日プレゼントなるものを頂いてしまって・・いえ、正確には今日じゃないんですよ。お誕生日は。
としがいもなく嬉しかったですね。不意打ちで。ちと恥ずかしかったけど・・
でも、向こうの空港で乗り込むときに『いってらっしゃいませ』と言われたのは・・ああ、私は四国のおばちゃんに見えたのね・・とちょっとおかしかったです。


なにはともあれ、今回の俄かお遍路ノルマ達成です。

○6月29日(火)

オーストリア演劇博物館のマーラー展の見学は一応終了しました。
そうそう、ここでマーラー展とは直接関係ないけど、途中通過したお部屋がありました。
たしかそこには展示品はなかった・・と記憶してます。

そこは『エロイカ・ザールDer Eroica-Saalと呼ばれている部屋でした。

天井には美しいフレスコ画の数々が描かれています。


このフレスコ画はJacob van Schuppenというフランス生まれのオランダ人画家の作品だそうです。

他の展示室が暗かったせいもありますが、この部屋はホントに光あふれており美しかったです。

で、この部屋はあることでも有名だそうです。
それはベートーヴェンの交響曲3番『エロイカ』が初演された場所・・・と言うことだそうです。
この交響曲3番は原題『Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo』というそうです。
3番と言う番号は出てこないみたいですが冒頭に『エロイカ交響曲』とかかれていますよね。
このエロイカeroicaというのはイタリア語でヒーローつまり英雄のことだそうです。

ベートーヴェン自身が一番気に入っているといっていた交響曲だそうですが、この『英雄』は誰をさすのか・・諸説あるそうです。

有名なのはナポレオン。彼に献呈したけれど『皇帝』に即位したことをベートーヴェンが怒って楽譜のタイトルをペンでかき消したなんて話もあるとか。

実際にはこの館の主、当時の音楽会の大パトロン、Franz Joseph Maximilian Fürst von Lobkowitz フランツ ヨーゼフ マキシミリアン フォン ロプコヴィッツ侯のために献呈したということらしい。
このロプコヴィッツ侯は12人の子持ちではあったが、残念ながら最後には財政破綻をしてしまったとか。

ま、そんなロプコヴィッツ侯に献呈された『英雄』が初演されたからなんでしょうね。ここをエロイカ・ザールと読んでいるのは。
現在もこのホールは(ザール)は『貸し出し』もされているようです。如何です?ここで結婚式および披露パーティーなんて。お相手は・・・ご自分でご調達ください。なんちゃって!

さて、展示を見終わったので化粧室をお借りして・・次の目的地へ・・と化粧室を捜していたら、裏の通路にこんな鏡がありました。

うーーんこのサインも何か意味があるのでしょうかね?

マーラーの特別展は日本式で言うと2階の部分でやっておりました。
この階段を上がったところです。

で、階段上部のにある胸像は誰の物だったか・・・すっかり忘れてます。

入り口の階では別の展覧会が行われています。

一つはトーマス・ベルンハルトThomas Bernhard氏のもの。彼は現代オーストリアを代表する劇作家だそうです。kおばちゃんは知りません。


もう一つは『Spielräume Bühnenformen im Modell』と言う展示。
これはどうやら舞台装置に関する展示じゃないか・・と勝手に思ってます。
この展示は日本式の3階で行われているみたいで・・足は踏み入れませんでした。

入り口の中庭に展示してあったこの不気味なカラスを使った造形物は・・何だったのか不明であります。


売店でお土産ものを仕入れた後は・・すこし町を散歩しましょうかね。
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晩年のマーラー(ウイーン)

2010-09-18 23:59:44 | オーストリア
お遍路旅の途中のkおばちゃんであります。
この前の夏の旅行記もまだ途中なので、このお遍路旅はいったいいつ書けることやら。

ただ、お天気が良すぎてきついです。でも、歩き遍路じゃないんだから文句言うたらあきませんね。日に焼けました。

いつも、日本を旅して思うこと。地方格差っていうけど・・なんだろう。って。
こんな自然が豊かなところを『豊か』だと思えない心の持ちよう。
たしかに、路面はつぎはぎだらけ。

でこぼこ道の後に突然の舗装がま新しい部分・・きっと管轄が違うんだろうな、と思いながら突っ走ってました。
確かにドイツでも旧東独の田舎はすごいでこぼこ道。そういう格差は世界共通なんですね。

○6月29日(火)

オーストリア演劇博物館のマーラー展の見学はまだ続きます。

ベートーヴェンほどではないにしても、マーラーも引っ越し魔だったのでしょうか?


ウイーンに点在するマーラーの住居の地図たと・・思います。
夕べのkおばちゃんの訪問したオタクのお隣にもいた・・といっておりましたので・・

それからkおばちゃの目を引いたのはこのいたずら書き。

分離派のような??いえ、kおばちゃんも無用の長電話のときなんかごちゃごちゃ書いてるとこんな図形を描いていたような・・
いや、こんなkおばちゃんのような凡人といっしょにしちゃあいけませんね。

マーラーといえば、楽譜への書き込みが激しいので知れてますけど、出版されても尚まだ書き込む・・

これは交響曲8番の書き込むというより『改定』でしょうか。

こちらもかなり激しく『改定』してあるみたいですね。


そして初演の時のポスターミュンヘンで1910年のことだったんですね。

几帳面な書き込みが、随所に見受けられます。

現在出版されいる楽譜はこの書き込みまで再現してあるんじゃないか・・と思うほど、ドイツ語で細かく指示が書いてありますよね。

彼はこの交響曲8番を自身の指揮で初演し、成功を収めたが・・その翌年の5月にお亡くなりになったそうです。

グスタフ・マーラーGustav Mahler。享年50歳。直接の死因は敗血症といわれています。
敗血症といえば、kおばちゃんが夕べお見舞いした方も、一時敗血症で人事不省になっていたんですよね。
しかも、骨折で入院しただけなんですよ。ちょっとウイーンの医療体制は今でも怖い・・と思っているkおばちゃんです。

さて、その最後の時に着ていたシャツ・・だと思います。

そして・・・・最後の瞬間デスマスクです。

うーん。こういうものの存在がkおばちゃんにはちと理解できないのですけどね。

これは、最後のメモ・・だったかしら。

こちらは死亡診断書だったと思います。


こりは、新聞の死亡通知だったと・

当時の新聞記事。マーラーの死に付いての報道ですね。


そして、こちらはマーラーの葬儀の様子です。


50年という生涯は長かったのか・・短かったのか・・長生きしていたらどんな作品を生み出し、どんな生涯を送ったか・・なんて考えても無駄ですけどね。

そして最後の最後は・・現在の音楽家(指揮者)たちのマーラーへの思い・・でしょうね。


さあ、これでマーラーの生涯はおしまいですかね。
駆け足でみたkおばちゃんのぼんくらな脳みそには欠落してしまった部分が多くて・・困ったもんです。
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指揮者マーラー(ウイーン)

2010-09-17 23:59:07 | オーストリア
えーと、お誕生日割りいびきなる航空券を使って旅にでました。
そう、kおばちゃん実はおとめ座なんでありんす。

私のお仲間はそれとは全然関係ないけど、もう少し利用するとメンバーのステイタスが上がるからと、休日になると用もないのに北海道日帰り、とか鹿児島日帰りとかして過ごしているとか。なんか本末転倒な感じではありますが、そういうのを『修行』というそうです。

kおばちゃんなんかいつも中途半端なステイタスなので、一番の平民なんですけどね。
ま、そこまで投資してあげようとも思いません。だって何時つぶれるかわからないし・・

でも、今日乗った弱小路線。お客は30名はいなかった気が・・
手作りの飛行ルートマップなんか配ったりして一生懸命で、末端の人たちはかわいそうだなと思うしだいです。

今日も窓にへばりついていたkおばちゃんでありました。

○6月29日(火)

オーストリア演劇博物館のマーラー展の見学は続きます。

ようやく世なのかに認知されて、そこそこ売れるようになってきたマーラー。
展示物も、そのころの契約書、とか帳簿?とかkおばちゃんにはあまり興味がないものだったので覚えてません。


結婚したのもこのころだったのでしょうか?

それより、目を引いたのはこのケースの中の物体。


この、鼻眼鏡です。これは彫が深くないと使えない代物ですね。


そういえば、マーラー氏の肖像はメガネをかけている印象が強いですね。きんがんだったようです。

そういえば、これはその当時の音楽界の相関関係図なのでしょうか?



一番上にいるJosef Freiherr von Bezecnyと言う人物も、その次(マーラーの直ぐ上)にいるWilhelm Johnと言う人物もkおばちゃんは知りませんので、判りません。
どなたかご存知でしたら教えてください。

それよりkおばちゃんの目を引いたのは下のこの画像であります。


当時作曲家というよりは指揮者として知名度が高かったマーラーの指揮ぶりは独特だったようです。
その姿はきっと滑稽視されていたんでしょうね。

こんなに沢山カリカチュアがありますが、これもきっとまだ一部でしょう。

こちらなんかは、マーラーの指揮振りがいかに『滑稽だった』か判るような感じです。


左側のへっぴり腰はマーラーの指揮振りですね。で、右側のいかにも指揮者と言う感じの人物はフェルディナント・レーヴェFerdinand Löwe氏。ブルックナーのお弟子さんだったそうです。
この二人を並べていること自体が、いかにマーラー氏の指揮振りを揶揄していたかと言うことの表れではないかと思ってるkおばちゃんです。

それから意外だったのが下の画像の右下の物体です。


まるでリコーダーのような物体ですが、どうもマーラーご愛用の指揮棒のようです。
昔の指揮棒はこんなごつかったんですね。

そしてこれはマーラーの交響曲2番のスコアー。なにやら自身の書き込みが・・


そしてこちらは歌劇場の指揮者だったマーラーが使用していたオペラの資料のようです。


あと、オペラのコスチュームとか・・アルフレッド・ロラーAlfred Rollerの作品でしょうか?


彼はマーラーとともにウイーンの宮廷歌劇場に新風を吹き込んだデザイナーだとか。
当時の伝統的なオペラの概念を破ったのでしょうね。

うーん最近のオペラももがいているようにみえますね。

しかし、指揮者マーラーがあんなへっぴり腰だったなんてね。
現在だったら、お笑いの物まねで真似されていたでしょうね。確実に・・と思ったkおばちゃんです。
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さすらう若人のマーラー(ウイーン)

2010-09-16 23:59:47 | オーストリア
実は、ちょこっと出稼ぎに出ていたのだが、その出先でアップしようと△padを持参したのですが、過去の既にアップロードされている画像を使っての投稿の仕方ができない・・らしいでの、やめました。

つまり、△padはあくまでも『携帯扱い』なんでそうです。
なんだかなーー。だって編集画面はちゃんと見えてるのですよね。
ポップアップ機能が使えないのは判っていたので、あらかじめ画像を入れたブログを下書き投稿してたのに・・何だか変なの!と思ってるkおばちゃんです。

ああ、出稼ぎ先・・その他は暑かった!!

○6月29日(火)

オーストリア演劇博物館に何とか無事に辿り着いたkおばちゃん。早速特別展のマーラー展を見るべく2階にあがります。
で、もちろんオーディオガイドも借りました。

どうも、展示は彼の生涯別になっているようで、最初は幼いころの成績表なんかもあるようです。


彼は現在のチェコの地で生まれて、ウイーンに音楽の勉強に出てきたのは1875年の15歳の時だそうです。
その後、1878年、18歳の時に卒業。あら、早いのね。

1881年の夏でしょうか。 Bad Hallというリンツのそばの夏の保養地の小さな劇場でオペラというかオペレッタの指揮者としてデビューしたのがはじまりのようですね。
その間、卒業してからはピアノ教師なんかして食いつないでた・・のではないかと思われます。

その後も、転々としていたようで・・若き日のマーラーはそれこそ『さまよえる若者』だったようですね。


1883年、23歳のときドイツのカッセルの歌劇場の副指揮者(Kapellmeister?)となりやっと落ち着いた・・ということろでしょうか。


1888年の28歳のころにブダペスト王立歌劇場の芸術監督になったそうです。確かそのころの写真です。


で、これがマーラー氏だそうです。なんとなく判るような・・わからないような。

その後・・まあ色々とご活躍だったようで・・

で、kおばちゃんがこれから・・といってもまだ先ですが・・向かう処の当時の写真です。
ザルツカンマーグトのアッター湖畔に建てた、作曲のための『小屋』です。

その当時交流のあったナタリーバウアー・レヒナー Natalie Bauer-Lechner (1858–1921)女史への書付のようです。

彼女はビオラ奏者だったようですが、マーラーの恋人ではなかったのでしょう。このころはマーラーはまだ独身でした。
音楽的な意見を交換していたようです。

そしてこれが昨晩夜中に聞かされた交響曲3番の楽譜です。

このアッター湖で下書きをして、昨晩kおばちゃんが行った友人の家の隣で完成させた・・と家の主は言い張ってましたけど。

かなり忘れているところもあります。

そうそう、彼の歌曲『さすらう若人の歌Lieder eines fahrenden Gesellen 』は1884年かえら1885年にかけての作品だそうで、このことはやっとマーラー自身はさすらってなかったんでしょうかね。
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