Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

陽気な葡萄選別(ステレンボッシュ)

2014-09-29 08:50:45 | 南アフリカ
ちょっと手抜きのkおはちゃん。
またまたしばらくおサボリです。

良いよう気になったので・・虫がうずいてます。

○3月4日(火)

ステレンボッシュの街中は木陰が気持ち良いですね。


こちらの道はランド・アバウトが多いのですが、その端っこによく黒人の青年が佇んでいるのをみかけました。
最初は何か乗りあいバスでも待っているのかな?と買ってに思ったのですが・・どうも、どこの角にも立っている感じがして・・きいてみました。

すると、ガイド氏は『アレは、日雇い仕事を求めてる姿だよ。』と教えてくれました。
つまり、今日の仕事にありつきたいものがああいうところで、人手の必要とする人が拾ってくれるのを待っている・・ということらしいです。


kおばちゃんたちが通りかかった時間は・・もうお昼近かったとおもいますので、そんな時間に日雇い仕事をピックアップするものが入るのか疑問でしたが、たしかになにもすることがなければあそこで待っていればいいわけですからね。

いままで、ケープタウンの事情しか見ていなかったkおばちゃんにとって、なんとなく南アフリカの現状をみせられたような気がしました。

ちょうど葡萄の収穫時期にあたるのでしょうか。畑の中では作業する姿が見受けられます。


ただ葡萄畑にもなっていないような土地も多く見かけました。


そろそろ次のワイナリーでしょうか。細道にはいりました。


こちらのようですね。



Marianneというメーカーのようです。


車を降りて少し歩きます。


コテージもあるのかしらね。


近代的な建物のなかに入りました。


まずは工場内見学


仕込みのタンクも上からながめることが出来ます。


さらに進むと・・アレ下でなにか作業しています。


なんか黒っぽい人が多いような・・


kおばちゃんたちに気がついて、ニッコリと・・してくれました。


ただし・・作業の手は止めていませんね。

入り口付近では・・白人系の人達が運び込まれた葡萄を吟味?しているようにみうけました。ここのご一族かな?


奥の方では黒人系の若者が働いています。


さっきの人達のようにように、ランドアバウトでみつけてもらったんでしょうかね?

今からがワインの仕込みのシーズン到来のようです。
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ミーティングポイントは教会(ステレンボッシュ)

2014-09-25 23:38:19 | 南アフリカ
今日は出稼ぎ。なんとなくわさわさで落ち着かない。

神戸の女の子は残念な結果に。出稼ぎ先はこっち方面なので朝からそニュースが目立つ。
同じくらいのお子さんをお持ちの方々、恐怖でしょうね。隣にたたずむおっちゃんが・・

個人情報の保護とかなんとかいわれて、危険情報も隠れてしまう世の中。
なんだかなあと思うのであります。

○3月4日(火)

ワインツアーの私たちが次に連れてきてもらったのは、このケープタウン、ワインランドの中心の町。といっても、ワインに取り立てて関連しているという理由ではないけど。

ある意味、ケープタウンの町そのものよりもこちらステレンボッシュStellenboschのほうが文化的歴史はながいようです。

現在でも大学の町として機能しているようで、数字は忘れましたがかなりの学生が人口をしめている・・と言っていたと思います。
また、キャンバスも町全体に広がっているみたいです。

そんな街の緑豊かな一角で車は止まりました。で、自由時間。30分くらいだったかな?

Moedergemeente Stellenboschという教会が目印だから・・と解き放たれたのですが・・さて、どこへ行ったらよいものやら。

地図もないのであまりぐるぐるとは回れません。


車から降りるとみんなチリジリに・・・
緑の木陰のう気持ち良い町ですが、さっき通った大学がどこにあるのかはさっぱりです。


それでも、こんな送金屋が目につくのは、国際的だからでしょうね。


あまり離れない距離でうろうろ。オランダからの入植当時の生活の展示のある博物館なんかもありましたけど、いまいち興味をひかなかったのでパス。

その代り、文房具屋さんでお土産用のカードを買ったり、民芸品のお店を冷やかしたりです。


民芸品というのは間違えね。手作り風ということかな?

町並み全体は白い建物。これもオランダ風なのでしょうね。


こちらに来るまでは南アフリカといえば、イギリスの影響が大きかった・・という認識しかなかったのですけど、本当はオランダの影響を大きく受けているのね・・と実感しました。

そういえばカラードという呼称。有色人種と訳されるのは、黒人だけを指しているのではな、このオランダ時代に東インド会社を通じで入り込んだインド系の人たちも沢山いるので、彼らのことも含んでいるということも実感したのはこちらに来てからです。
なんと無知なkおばちゃんでしょうね。

でもね、オランダでこんな白い家の町並みがあったか・・思い出せないのも事実なんですけどね。




さて、おいてゆかれると困るので、そろそろ戻ります。

集合場所はこの教会のあたり・・なので、教会の中にも入ってみました。


やはり心なしかヨーロッパ本土よりも明るい感じがします。


立派なオルガンもありました。


受付の机の下ではかわいいワンちゃんも・・暇そうですね。


待ち合わせ場所に戻ったら・・同じようなバンが何台も・・どれっだったかしらね

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意外と美味しいシーラーズ(ケープタウン)

2014-09-22 18:40:15 | 南アフリカ
このお休みは、なにかと車に乗りました。
久々の日本での運転。曲がり角をで曲がったときに意識をしてないとヒヤッと思想で怖かった。

さて、車検がもうすぐ切れてしまいます。どうしたものか・・あーーまた諭吉さんとさよならしないと・・

○3月4日(火)

Zevenwacht』でのテイスティングがはじまりました。

グラスとともに配られたのはこんな紙。


どうも、本日お買い上げできるワインのリストのようです。

全部試飲できるのかと思ったら大間違いでした。


高いのやら、安いのやら・・ま、飲んで見ないとわかりません。

本日のおつまみはこちらのチーズ。これもここで購入することができるようです。


3種類の試飲だったのですが・・これもなかなか良いワインでした。


このピノタージュPinotageという種類の葡萄は南アフリカ原産?というかここで生み出された種類だそうです。
ピノ・ノワールとサンソー(エルミタージュ)の交配種だそうです。

このあと頂いたワインがちょっと美味しかった。
シーラーSyrahという品種だそうで・・無知なkおばちゃんは知りませんでした。
フランス・ローヌ地方が原産地だそうで、ローヌ地方はのユグノー教徒が持ち込んだのかもしれませんね。

試飲のあとは・・製造工程?の見学です。

ワインの醸造というのは、なんとなく地下の藏で・・というイメージがありましたけど、ここは違うようです。

ボケてますが・・・近代的なエアコンのきいた室内です。


もっとも、南アフリカのワインの生産は20世紀の終り頃から本格的になっったようですからね。
そしてもっぱら『輸出』されているそうです。国内の消費量なんかたかが知れているのでしょう。
現在の大得意先はなんと『中国』だということですから。

樽の説明を聞いた気がするのですが・・内容は忘れました。

そしてこちらは醸造途中の樽。


ここから香りがかすかに・・


樽にはこんなシールが貼ってありましたが、部外者には???


丁度ワインの仕込みはじめのシーズンのようで、このように葡萄が運びこまれていました。


一通り見学を終え、お買い物も済ませて・・再びワゴンに乗車です。

お次は・・ステレンボッシュStellenboschの中心に向うのでしょうか?


高速道じゃない道をひたはしります。


あまりあてにならないkおばちゃんのスマホの現在地情報ではこんなところでした。


遠くに山がみえてきました。


道沿いにも葡萄畑がちらりほらり・・


平場よりも山の斜面のようなところの方が日当たりがよいのでしょうかね。


街中に入ってきたみたいです。


ほらね。


人も車も、そして建物も混んできました。

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心ウキウキ・・ツアー開始(ケープタウン)

2014-09-19 19:45:54 | 南アフリカ
秋風が吹き始めた・・と思ったらお鼻がムズムズ。
困ったものです。

さあ、すっかり忘れかけているので記録しなきゃね。

●3月4日(火)

夕べも寂しく焼酎の部屋飲み・・しょうがありません。
南アフリカのアルコール販売がこれほど厳しいとは・・調査不足でした。

でも、今日は大丈夫!

ということですっきり目覚めて・・・朝ごはんもきちんと頂きました。
もちろん一人分ですけどね。

で、今日は8:30分にG氏が手配して置いてくれたツアーの出発なのです。

ということで、待ち遠しいkおばちゃんはお外で待機!だって置いていかれるのがいやなのでした。


良いお天気です。

そうそう、今日のツアーはワインランドめぐりの一日ツアーです。
やっと、南アフリカの本も物のワインを味わえるのです。この日をどれだけ待ったことか・・というのは大げさですけどね。

kおばちゃんをピックアップに来たのはワゴンカーでした。kおばちゃんの前にはすでにカップルが乗りこんでいました。

その後は、昨日うろついていたウォーターフロントのホテルにてお一人様をピックアップです。女性でした。


うーーむ。このエリアのホテルは高いんですよね。ここにお一人様で宿泊しているとは・・

今日のワインランドツアーはこれで総勢だそうで・・なんと4人のツアーでした。

kおばちゃんたちを乗せた車は高速道路?に入りました。


この国は去年kおばちゃんが訪問したタンザニアと同じアフリカにあるんですよね・・物凄く道路が整備されています。
下手すると東欧よりも素晴らしいです。


ドライバー氏兼ガイド氏の話しによるとヨハネスブルグまで続いているそうです。

テーブルマウンテンがあんなに遠くにいってしまいました。


といっても、20分も走っていないようなきがします。

でも、どんなに素晴らしい道でも渋滞は避けられないようですね。


ノロノロ走っている車をみて、ドライバー氏『ああ、東ケープのヤツか!』と一人ごとが。
聞いて見ると、西ケープのほうが『都会』東ケープは『田舎もの』とういのが通説だとか。なんだか可笑しく思いました。

そんなやりとりをしているうちに、第一番目の目的地に到着です。

あ、そうそう、南アフリカにおけるワイン栽培の歴史なんかも説明してもらいました。
南アとくにケープタウンはその地理的状況からヨーロッパ文化が早くから持ち込まれていたのはしっているのですが、そのはじめはオランダ人だったとか。
そういえば、昨日の街歩きでも『東インド会社』関係の施設がありましたよね。
東インド会社にはイギリス系とオランダ系というのが存在して痛そうで・・世界はつの株式会社になったのはオランダの方かな?
まあ、いずれにしてもオランダ人がはやくから入植していたと言うことでしょうね。
で、オランダとワイン・・ちょっと結びつかないようなきもしますが、ここに宗教がからんできます。

kおばちゃんの理解が正しいかどうか・・それ保証できませんが・・

そこに宗教がからんできたというのは、当時フランスでは『カソリック』が主要なキリスト教。
そんな中で新興のユグノー派はユグノー戦争にまで発展してしまうのですが、虐げられていたということです。
そんなフランスで虐げられたユグノー派の農民達が入植者にまじるようになり、元々彼らが作っていたワインがこちらの気候ともあいまって発展していった・・ということでした。

あら、そんな歴史があったんんですね。

で、最初に訪問したワイナリーはオランダ語の名前がついているところでした。
Zevenwacht』オランダ語で『7つの希望』というらしいです。


ステレンボッシュワイン街道沿Stellenbosch Wine Routeにある、美しいコロニアル様式の館ですね。
1800年という年号が見えました。

でも、我々が入るのはこちらの建物のようです。


片隅にはこんなものが・・


何かを絞る機械でしょうか?

さて、kおばちゃんも遅れないようにしないとね・・


ガイド氏が待っています。

席に案内されると、このような紙とワインのアテになるチーズのセットが運ばれてきました。



やっと生粋の南アフリカのワインとご対面です!!

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やっぱり今日も・・だめだった・・(ケープタウン)

2014-09-18 18:40:22 | 南アフリカ
このごろオオボケの激しいkおばちゃん。
昨日は友だちのとの約束をみごとにすっぽかすところでした。

すっかり忘れていて・・気のきくお友だちが『今日は大丈夫?』とメッセージを直前に送ってくれたので思い出したのでありました。
危ない危ない・・

おかげで楽しい夜を過ごすことができました。

○3月3日(月)

ウォーターフロントの観覧車から降りたkおばちゃん。
お次は・・もうそろそろ暗くなるので帰ります。

いくら治安のよい地区といっても、真っ暗の夜に歩くのはねぇ。それに去年のタンザニはでも思ってのですが、黒人って暗くなると顔がみえなくなるから、ちょっと急に現れるとギョットします。

ということでそそくさと・・

敷地を出て、お宿の方向に歩いて行くと、最初にNew Somerset Hospitalという建物の角を通るのですが、ここがどうもタンザニアでゆうところのダラダラ(乗りあいタクシー:南アではコンビと呼ぶようです)の乗り場になっているようで、ひっきりなしにワゴン車がやってきてはお客さんを拾って行きます。
その利用者は殆どカラードと呼ばれる有色人種ですけどね。

そこを通り過ぎて・・広い通りまで出ます。 Helen Suzman大通りです。これがまるで高速道路のようで、最初は渡ることができないんじゃないか・・と思ったのですが、ここにはちゃんと信号機がついているので渡れます。

このあたりで、テーブルマウンテンを仰ぎ見ると・・雲が・・


テーブルマウンテンの頂上?からこぼれ出ていますね。


まるで綿菓子がのっかってるみたいです。
そういえば、宿のG氏が言ってました。テーブルマウンテンを訪問するんだったら午前中じゃないと、風がつよくなってしまうよって。

Helen Suzman大通る途中というか、上り線と下り線の間の中の島のようなところには、大きな地下鉄の入り口のようなものがあるのですが・・どうやらこれは、グリーンポイントのサッカースタジアムの稼動した時に利用できるところのようです。
今日は閑散としてますからね。

この通りを越えて、さらにメイン通りを渡って・・右の方向にしばらく歩くと、昨日夕食のお買い物をしたデリGiovanni'sの前を通ります。
で、結局ここに今日も吸い込まれましたが・・今日も酒類の販売は終了です。平日でも午前9時から午後の6時までしか販売できないようです。

気分をとり直して・・ここのデリは店内でイートインできるようになっているのでそれにチャレンジです。
御惣菜売り場のケースのところで、すきなお惣菜を注文。あれと、これと・・それにこれもね・・ってな具合。
で、精算をすると、こんなカードが渡されます。



で、お隣というか一角にあるカウンター席に座っていると、さっき注文した品ものを皿にもって、おばちゃんが番号を言いながら来ます。

kおばちゃんはこんなものを注文して見ました。


タコのオリーブマリネとチキンのトマト煮とブロッコリーやポテト。

ここで、本来らいはビールかワインを頼みたいと思ったのですが・・周りを見てもだれもアルコールを飲んでないんです。
えーー飲んじゃいけないのかな???みんなコーヒーを飲みながら歓談してるだけです。

なんだか気後れしてしまいました。
注文できるか聞きもしないで、涙を呑んだkおばちゃんです。
だってね、アルコール飲んだのを見られて、一人で夜道を帰るのがいやだったんです。

しょうがないので、お宿に帰って持参の焼酎でを飲んだkおばちゃんでした。

南アフリカまで来たのになにやってんでしょうね・・
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夕日を眺めながら(ケープ・タウン)

2014-09-16 19:40:34 | 南アフリカ
3連休終ってしまいました。残念。
良いお天気に恵まれて、雑用多々。主に外仕事。腕はキズだらけです。

でも、寝ても寝たり無い。困ったもんです。

そうそう、ネットで見かけた記事
このケープタウン旅行の時の機内誌に就任記事が掲載されていた、ハンナ・チャン女史。
カタール・フィルを辞めちゃったようです。あらまあ。
海外公演の最中だとか。何が合ったんでしょうね?残念。

久しぶりにセンター街なるところを歩いて、浦島太郎というか、なんで皆がここに来るか良くわからないオバチャンでした。
うーーん。ひきつける魅力はなんでしょうか?まあ、夕方歩いたからかな。
ショッピング街というわけでもないのにね。

○3月3日(月)

さて、港に着いて・・そういえばお昼もろくすっぽ食べてません。
でもね、時間が夕食にはまだ早いしなあ・・とか思いながら、あの稼動橋を渡ってみました。するとこんな標識が・・


ケープタウンからの距離でしょう。
大阪が14330キロ、オークランド(ニュージーランド)が14227キロ・・まあ似たような距離ですね。
マイアミ(アメリカ)が12311キロ・・あら日本より近い。
リオデジャネイロが6061キロ・・あら日本より半分以上近いんだ。
一番遠そうなのが・・サンフランシスコが16990キロ。

結構な距離でございますね。でも何故か大阪はあるけど、東京はありませんでした。

こちらは、もっと近場の標識です。


明るけれども、も午後7時近く。だから湾内クルーズ船ももうお終いです。


そういえば、レスキューの裏アタリに、由緒ありげな・・いえ、古い船がありました。


なんだろうな?

イロイロ考えながら歩いていたのですが・・ウォーターフロントのお洒落なカフェやレストランは夕暮れ時にどうも一人じゃ入り辛いな・・と思い食事はあきらめました。

で、みつけたのがこれです。


○カと煙は高いところ登る・・ということで、早速乗りこむことに。


Cape Wheelというらしいです。
ワールドカップ開催にあわせて設置されたようですが、その後評判がよい?のでずーーと営業しているそうです。

ちょっぴり並びますが、それは観覧車の止まる車輌がなかなかこないため。いたって長閑です。


誰かと相席になる・・という無粋なことはなく、kおばちゃんお一人様で貸切です。


エアコン完備・・で屋根の上に室外機が・・


ちゃんと非常用のボタンも確認!


徐々に登って行きます。


テーブルマウンテンが良く見ます。


頂上にすこーし雲がありますね。


少し下がってきて・・港の方向を見て見ました。


ショッピングモールとホテルのある方向です。


雲が段々多くなって来ました。


あれはロベン島かな?とおもったのですが、方向が違いますね。それに、あんな小山になってないともいます。


ブロウベルグシュトランドBloubergstrandと呼ばれる地域でしょうか?
あのアタリは日没が綺麗にみえるとか・・ということは日没はこちらの方向・・あ、太陽がいます。


グナル・ヒルの方向です。

もう少しで日没だけど・・その前にこの観覧車止まってしまうでしょうね。


けっこうぐるぐる廻ります。

下の広場の片隅からアフリカンなリズムが聞こえてきます。それに昨年セレンゲティのロッジなんかで聞いたあのマリンバのような楽器の音も・・


どうも、ライブパフォーマンスをしているようです。
顔にはあのマサイの儀式の白塗り・・だけど洋装ですのでマサイさんたちではないでしょう。

そろそろ影が長くなってきたので・・日没が近いですね。


右側の屋根は・・サッカースタジアムかな?逆光でよくみえません。


あちらのコンテナの中は・・沢山お乗りのようで。・・でもみんなでわいわい楽しそうですね。


こちらの方向は、さっきロベン島からの船の発着していたクロックタワーのあるところです。


屋根に隠れて、黄色いクロックタワーの先端だけ見えますね。

海も夕焼け・・


何回ぐらいぐるぐる廻ったのでしょうか?10回は廻った気がします。
そういえば、降りるところで、乗る時に撮影された画像を売りつけられました。
ただし、画像そのもの・・というよりは、画像の納められたCDロム。しょうがないから・・というよりも記念にお買い上げ。
で、説明では1ヶ月間だったかな、ネットでもだうんろーどできるとのことでした。(但しためしてません)

お一人でも結構楽しかったです。高い所は。

そういえば、ここで見かけた面白い自転車駐車機。


これが本とのバイクスタンド??おもしろいですね。でも場所を取らなくて良いかも。


さあ、宿にもどりましょうかね。

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波濤越えて(ケープタウン)

2014-09-12 20:10:03 | 南アフリカ
なんだか良い季節なんだけど、心せわしいこのごろです。

某新聞が誤りをやっと認めた・・と騒いでいますが・・新聞をとらなくなって久しいので余り関係ないかな。
でもね、8月の記事訂正の表現のしかた及び、今回の会見の内容といいなんかやっぱりピントが来るってると思ってしまいました。

女性の権利ウンヌン・・これをたてにとってまだごねてる感じがします。
強制はなかったんだけど、その他の部分はあったのだからということなのでしょうけれど、それは私達の国に限ったことじゃないでしょ?だから日本は悪くないとはいいマセン。

他の国でもこういう行為はなされていて、だから女性を守る為にも声をあげなきゃいけない・・っていうんなら判ります。
でもまるでこの国だけが悪者のように言いふらされるのは違うと思いますよ。
国益をそこねるなんてものじゃなくて、国の品格を傷つけられたのだと思っています。

戦争だからしょうがない。という論法も違うと思います。戦争はこんなことも平気でおこなってしまえる怖い物なんだ。というなら話はわかります。

いったい何処を向いて、どう言う未来を作って行きたいのか・・わからない記事は読みたくないですね。

○3月3日(月)

さて、ロベン島見学を終えたkおばちゃんたちご一行は、この島の出発地点だった港に戻ってきたのですが、ここであることを聞かされました。
それは・・荒波のため、kおばちゃんたち14時発のツアーのあとツアーはキャンセルされてしまったとのこと。
だから、この船が今日この島から出発する最後の船になってしまったとのことを聞かされました。
くれぐれも乗り遅れのないように・・

出発時間まで10分もありません。だからトイレに行くかお土産物を物色するか・・どちから一つしかkおばちゃんに残された道はありませんでした。
どうしよーー

ま、とりあえずお土産物を物色。それから絵葉書を買って、切手を買って・・投函しました。ここの消印ほしさに。

kおばちゃんがお店を出る時は、店員さんも戸締りをして・・一緒に船に乗りこむようです。


えー!この船に全員乗りこむの???来た時とは違う船で、大きさも半分ほどでしょうか?


来た時はスーザンクルーガーSusan Kruger、今度のはディアスThe Diasという船だそうですが・・あとで考えたら、コの船じゃないとだめだったのかもしれません。

1階の船室は小さくてもう満杯。デッキで過ごすしかないけど、デッキも1階部分は満杯です。立って帰るの??

kおばちゃんが乗りこんだ頃には何処にも席がなくて・・しょうがないので2階の部分に上がる階段のところにころに腰掛けました。


さ、出発です。さよならローベン島。いろいろとお勉強させてもらいました。


出発して、港から外洋にでると・・・ものづごい波です。中途半端なところに腰掛けてると波を被りそうです。
2階に移動して・・船室脇のシートに腰掛けていましたがここでも波をまるかぶりしかけて・・2階の後部にうつりました。

が、すでに満杯。絶対これ定員オーバーもいい所です。


物凄い揺れと高波・・うかうかしていると振り落とされそうです。
kおばちゃん必死に船室のドアーにしがみ付いてました。

風もつよく、だんだんみなさん表情に余裕がなくなってきした。


kおばちゃんも波を被らないように・・気をつけながらこれを撮るのが精一杯でした。

そう、さっき書いた『この船じゃないと・・』というのは、馬力だと思ったのです。
とにかく荒波の中を突っ走ります。こっちが振り落とされないようにするのが精一杯です。

でも、この画像を撮っているころはまだ余裕があったんですよね。


いかにここ、ロベン島が行き来しにくい島であるかわかりました。すぐそこ・・見えるところですよね。
ケープタウンの町から。

そういえば・・面白いなと思ったのは、こういう命の危険さえも感じる時って船酔いなんかしないんだな・・ということです。
下手すれば海の藻屑ですからね。日本だったら絶対に危険回避で運行しないでしょうけど、ここはアフリカですからね。

そんな必死な航海でしたが、kおばちゃんはラッキーな事にというか・・あまりに悲惨に見えたのかもしれませんけど・・
船員さんが操舵室に入れてくれました。
操舵室のドアーを背にドアーノブを握っていたのですが・・振り向いたら『入っておいで』と合図してくれたのです。
ああ!助かった!早速転がり込みました。

操舵室の中は天国です。でも、座っていても・・シートから滑り落ちそうになりますけどね。


こちらが、kおばちゃんを操舵室に誘ってくれた青年です。ありがとうね。


船長さんも、荒波に負けないように天井のバーに捕まっての操舵です。


ようやく波が静まってきた・・と思ったら港に入ってきたようです。


船長さんが一番気を使うのは着岸でしょうか?助手君も緊張してます。


なんとか無事にクロックタワーの側に戻ってくることができました。

kおばちゃんは、皆さんが下船されてから・・そっと降りました。


いえ、別に堂々と降りれば良いのですけど、なんだか一人特別に入れていただいたので・・ちょっぴり後ろめたかったのです。

ここに滞在させていただきました。


さよなら、そしてありがとう!ディアス号。オツカレサマでした。


波濤を越えて、無事到着して一安心です。

クロックタワーの方面に歩いている途中で何だか人だかりが・・覗いて見るとこのこがいました。


はぐれアザラシ・・でしょうか。1頭だけでしたが、人を怖がることはないようで愛嬌を振りまいてました。


さて、午後6時を過ぎてしまいました。次ぎはどうしようかな・・
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ロベン島名物?ペンギン!!(ケープタウン)

2014-09-10 19:35:32 | 南アフリカ
今日は朝からどよーーん。まあ天気予報では晴れないとは言っていましたけどね。

で、今日はカードのひき落とし日。あわてて銀行に金策?に。
いえ、いつもカードで落ちる口座はわざと定期収入の無い口座にしてあるのです。
でないと、これだけ使った・・という自覚がなくなるんじゃないかと思っているからです。使っちまったものはしょうがないんですけどね。

残高不足にはならないと思っても、やっぱりメインの口座から自分で移行して自覚しないとね。
久々に銀行のCDを使ったらシールが貼ってあって『この機械の操作で還付金は戻りません』と注意書きが。
あれほど注意喚起されてていもだめなんですね。
kおばちゃんも、たまたまかかってきた携帯をいじくりながらのCDの操作。あやしげなおばちゃんにみられたことでしょう。

○3月3日(日)

さて、刑務所から出所した!?kおばちゃんたちを出迎えたのはこちらのバスでした。


一台では間に合わず、2台やってきましたが立っているお客さんもいました。


ガイドさんも交代です。若いおにいちゃんです。


ちゃっかり一つ空いていた席に座っちゃったkおばちゃん・・あ、ガイドさんの席?イイ?ゴメンネ。とズーズーしく座りこんでました。

バスで島内を走りながらの見学です。最初は・・お墓です。


収監されていたらい病患者や島民のお墓だったと思います。

その他には石組の教会?だったかな。近すぎてわかりませんね。


暑かったためか、何故かドアーを開けながらの走行です。まあ、スピードは全然出てませんけどね。


これは・・なんだったかな・・観測所??忘れました。


白いギャリソン教会 英国国教会 1841 年建立、島内でも最も古い建物のひとつだそうだが・・と中だけじゃね。


このあたりは教会通りだそうです。


で、こちらが小学校?


赤い屋根は職員住宅だったか?


風の強さで樹木が真っ直ぐ育たないそうな・・


正面に大陸!テーブル・マウンテンが!


車窓から眺める海はあれていますね。海鵜でしょうかね?


なんて眺めていたら・・ペンギン!!!!!!ケープペンギン発見です。


うおーーー!!

どうやらあそこでトイレ休憩だそうです。


トイレなんかどうでもいいや!!

あそこへダッシュ!!


ペンギンちゃん!可愛いですね。


あーーでも海が荒らそう。背後に見えるのはケープタウンの街ですが・・これでは脱獄なんてできませんね。


野生のケープ・ペンギンですから、どこまで近づいて良いのかわかりません。
でも、自然界の物に餌づけをしちゃいけないのもわかっているし、手をだしてはいけないことも皆さんわかってらっしゃるので遠巻きに撮影です。


もちろんkおばちゃんもです。さあ、そろそろバスに戻りましょうかね。


結局この建物には一歩も入らないで終ってしまいました。


再び乗車観光です。


お次は第2次世界大戦のときの遺構


だけど・・現役?ではありませんね。


で、こちらは収監されていた人達の作業場の石切り場。ここでマンデラ氏も作業をさせられていたそうな・・


画面中央右よりのところにある石の小山をアップにして見ました・・ボケてる。


1995年2月にここを再訪したマンデラ氏とその1000人を超す収監されていた仲間達が積み上げたものらしいです。最初の石をおいたのはもちろんマンデラ氏。その後彼らが続いておき、モニュメントになったそうです。

バスは進みます。カモメ?でしょうか沢山飛んでます。


次にやってきたのはこちら・・でも下車はしません。


犬小屋と・・ロバート・ソブクウェ収監棟。


ロバート・マンガリーソ・ソブクウェRobert Mangaliso Sobukwe氏もマンデラ氏同様アパルトヘイト撤廃運動に生涯を投じた陣部だそうです。

非凡なる彼の才能に恐れをなしたのでしょうか。特別待遇の独房というか隔離収監所をつくってここに服役させておいたそうです。
マンデラ氏のように、他の収監者とはまったく離された環境で、犬と専用看守に監視されていたそうです。

さて、そろそろバスでの見学もお終いでしょうか?入り口にあった塔が見えてきました。


塔の手前、右側にみえるのはモスク状の建物はイスラム聖人廟だそうです。1754年に亡くなったマドゥーラの首長セィッド・アドゥロマン・モトゥル氏の墓の上に立てられたそうで、イスラム教徒の聖地だそうです。

さあ、港に戻ってきました。

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愛すべきマンデラ氏(ケープタウン)

2014-09-09 18:05:01 | 南アフリカ
今日は清々しい・・とまではゆかないまでも心地よいお天気だった。
テニスは残念でしたね。でも、あそこまで勝ち進めるなんてたいしたもの・・と思ってしまうのは一般人のkおばちゃんの感想。
いつぞやの某議員の発言ではないですが、『2番者ダメなんですか?』と言いたいところだけど、やっぱり一等賞じゃないとね。

まだ、道は開けるとガンバッテクダサイ。でも・・あそこまで辿り着くのだって大変ですよね。

○3月3日(月)

ロベン島の見学は続きます。


一通りセクションGの見学を終えて・・今度は建物の外へ・・


陽射しがつよくて、夾竹桃のピンクが鮮やかです。


さらに建物を廻って・・


あちらの方向へ・・


建物の中に入りました。


と、思ったら・・又出るようです。


出たところは・・・こんな広場というかテニスコートのようですが、高いそして分厚い塀に囲まれた場所です。


ここでは、幾つ物グループがガイドさんを伴って説明をうけているので、声が交錯して良く聞きとれません。
私達のガイドさんの説明は・・


こちらです。
ま、記憶力と理解力の乏しいkおばちゃんですので・・適当な解説ですけど、

こちらの運動場でマンデラ氏はテニスをしたり花壇つくりをしたりしたそうです。
で、テニスボールに手紙をしのばせて外部との連絡を行ったり、花壇に日記を隠していたとか。

たしか、ここで聞いたのだとおもうのですが、マンデラ氏の愛すべきキャラクターも紹介してもらいました。
ネルソン・マンデラNelson Mandela氏は一言で言えば、アパルトヘイトを撤廃させた人物・・とでも言えば良いのでしょうか。
略歴だけ聞くと、物凄い政治活動の『闘士』のような気がします。
だって、反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受けたあと27年間も投獄されていたんですから。

彼はこのロベン島に18年間閉じ込められていたそうです。
18年・・子どもが成人してしまうような年月ですね。そのなかで志を翻さなかったと言う意味では、闘士だったと思います。
そしてそれこそが、一番の功績なのかもしれないけれど・・

ただ、ここでガイドさんに聞いた話はマンデラ氏のおちゃめな一面も教えてくださいました。

ある裁判の時(詳しくはkおばちゃんが忘れてます)、他の被告にメモを渡したのを咎められたそうです。で、取り上げられたメモに書いて合ったのは『あの、判事(?)、なかなかハンサムじゃない?』ということだったとか。
自分の行く末がきまる裁判の最中に、こんな余裕というかユーモアーというか、こういうセンスがあるってすごいなと思ったのです。

それと、開放され、初めてラグビーの試合を観戦する招待を受けたときには、きちんと襟元の一番上のボタンを締めて臨んだそうです。
ラグビーと言えば当時は白人のイギリス系の人達のスポーツの代表だったようですが、その観戦にきちんとした格好で臨む、つまり相手の立場を慮る度量がかれには合ったのですね。
ですから、その後の政治の進め方の『白人社会を打ち壊す』のではなく、『白人も含めた国民で切り開いて行く』という選択肢を示して行く事に繋がったそうです。

現在進行中の「アラブの春」に代表される政権交代劇とは根本的に違うのだということです。

但し、末端では悲しい出来事、闘争も存在しているでしょうけれど、基本的にリーダーの姿勢としては『相手を尊敬し、ともに歩む』ということですね。

長年の投獄生活で、ある種の『悟り』を開いたのか、そもそもこういう『愛すべきキャラクター』だったのかは判りませんが、皆に愛され尊敬される人物であったことは確かのようです。

どこかの国の政治も『○△×に反対!!』とか『だからあいつらには任せていられないんだ!!』とかの闘志むき出しではない国造りになってもらえないでしょうかね。

ほら、あっちにもグループが・・


どうやら、あのあたりは人気スポットのようです。


テニスコートの名残のポールだとおもいます。


再び中に戻ります。


振り返って全体を眺めるとこんな広さですね。


中にはいると・・あれ、渋滞中


とくにあの扉の前が渋滞の先頭のようです。


みなさん辛抱強く自分の番がくるまで待っています。そう、ここはこんなところです。


格子の向こうに見えるのは、独房です。


これこそ、マンデラ氏が収監されえいた独房だそうです。

中の備品は当時のもの・・かどうかはわかりませんが、左側の蓋付きの赤いバケツはオマルだったとか。


寝具は先程セクションGで見た物とおなじですね。やはり石の床の上に寝ていたのですね。

あの窓の向こうは、先程いたテニスコートです。


この窓から何を思い、空を眺めていたのでしょうね。
なによりも、内なる闘争心をなくさないようにする・・これが最重要課題だったのでしょうか。

マンデラ氏の独房は人気の場所。


ただ、日本と違ってゆっくり、各自のペースで見られるのことができます。

そして、建物から出る時に前に立ちはだかっていたのはこの扉です。


この厚さ・・・いかに厳重にあつかわれていたか・・ということでしょうね。

さらに外に出るにはこの塀を出なければいけません。


出たところでまっていたのはこちらのバスです。


ここからは、バスに乗っての見学です。
但し人数が多くて1台では収まりきらないようです。
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擦り切れたマット(ケープタウン)

2014-09-08 19:00:51 | 南アフリカ
ちょうっと時間が空いてしまった。
なんだか気分が乗らなかったのもあるし、こころがバタバタしていたのもある。困ったもんです。

さあ、とんとんと書いてしまわないとね。

○3月3日(月)

kおばちゃんが船にのってやってきたのはローベン島Robben Island。かつての囚人の島であります。

到着して、トイレ休憩などしている人もいたりしたのでばらばらとばらけてしまったが、どうもあっちの方向に進むらしいです。


壁沿いに進むのですが、その壁にはここの島の歴史的写真が説明文とともに展示されています。


車で廻る訳ではなさそうです。だってこんな車しかなかったような・・


ようこそ!ローベン島にというところでしょうか。アウシュビッツの門よりはよいですけど・・


門をくぐってもまだまだ先の方のようです。


ようやく建物が見てきました。あれが刑務所か?


南アフリカ国旗がはためいています。


振り返って見ると、遥かか彼方にアフリカ大陸がみえますね。


日本の流刑島のように『鳥も通わぬ』なんて遠さではありませんが、途中で船がかなり揺れましたので潮流は早いのだと思います。

いよいよ刑務所の中へ・・


こちらの建物は・・管理塔のようです。こちらでたしかガイドさんが出迎えてくれたと思います。


さらに奥へと進みます。


窓の中に鉄格子がみますね。


最初に入ったのは・・囚人の雑居房とでもいうのでしょうか。主に政治犯が収監されていた部屋だと思います。
あ、この刑務所の案内をしてくださるガイドさんは、もとここの住人。住人といえば聞こえは良いですが、元囚人の方です。
彼らも、マンデラ氏とともに自由を勝ち取るために戦って収監されたようです。



上↑の画像に移っている2段ベット・・が使用できるようになったのは後々のことだそうです。

最初は石の床の上に眠らされたそうです。寒い冬はとてもとても耐えがたいものだったそうです。

右側の紺色のセーターを着ているのがガイドさんです。


やっと与えられた寝具はこのフエルト城のマットのみだったそうです。


これは実際に使用されていたもので、上が擦り切れかけていますね。

これを使用しても冬の寒さは厳しいものだったようです。


みなさん神妙にガイドさんの話をきいています。


こちらでは、マンデラ氏のことというよりも、一般的な囚人の生活を解説してくださいました。
で、気になったのは天井のこれ・・・なんでしょうね?


彼自身もこれに寝かされて苦労したようです。


寝具もそまつなものですが、ここでの服装も当初は黒人冬でも半袖のみだったようです。

kおばちゃん達が見学したのはセクションGと呼ばれる監獄だったようです。


室内にはいろいろな出来事の案内書きが展示してありました・・・けどちゃんと読んでいないkおばちゃんです。

後年は待遇も改善されて行ったようですね。


しかしこの、粗末な寝具にみな押し黙ってしまいました。


こちらのベットだって、子供用じゃないの?と思うくらい小さいですが・・こちらはまだ天国ですね。


この劣悪な環境の中、最初のからの意志を貫き通す・・思想を変えないということがどんなに大変だったことか・・と改めて思いました。

他には洗面所


シャワー


トイレなどがありましたが、これも近年改修されたもののようですが、もちろんプライバシーなんかはありませんね。


kおばちゃんの興味をひいたのはこんなところ。


この房は見学できませんでしたが、他の房でおなじようなものを見たのですが・・


どうも、個人のものを納めておくロッカーのようです。

で、ロッカーの扉の内側にこのように写真を貼った後がたくさんあるものがありました。


おそらく家族の写真を貼っていたのかな・・なんて考えたkおばちゃんです。

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事前学習が・・(ケープ・タウン)

2014-09-02 19:10:09 | 南アフリカ
今日は久しぶりに暑かった。まあ、8月ほどではないけどね。

ここのところ涼しいためか、空腹感が・・困ったものです。
ああ、決めなきゃいけないことが又沢山できてしまった。どうしよう・・

人生これの繰り返しだな。

○3月3日(月)

さてと、まだまだ出発時間まではあるのですが、早めに戻ってきたkおばちゃんです。
一応、出発ゲートの下見を・・

ゲートがあるのは下の階?になるようで、階段をおりたところです。


未だ早いため、お客さんもまばらです。
でも、ここのスペースには、マンデラNelson Mandela氏の自由への闘争へのみちのりが記されています。本当はじっくりこれを事前に読み込めばよいのでしょうけどね・・眺めただけのkおばちゃんでした。

乗船にあたって手荷物検査もうけなければいけないようです。


そして、このゲートに上に描かれているマークは・・銃禁止?


まだ時間があるけど、ローベン島に行ったらトイレがあるかどうか・・心配になったkおばちゃんは、こちらで済ませて行くことにしました。
で・・戻って見ると・・あら、随分とお客さんが増えてます。


こちらのチケットが、先程窓口でひき替えたものです。一番したに名前がはいっています。


2時にここゲートウエイ出発で、5時のフェリー乗り場発の船で戻ってくるのですね。

改札がはじまりました。あ・・・あれは・・銃???


あの船に乗るのですね。


もう、先客がいます。みなさんデッキで太陽を楽しむつもりですね。


kおばちゃんも乗りこみました。デッキの中央部の席です。ここの方が外を向いて座るので眺めが良いです。


救命胴衣のデモンストレーションが始まりました。まあ、利用したくはないですけどね・・


出発しました。


テーブルマウンテンと、シグナルヒルの谷間・・きのうバスで通ったところですね。


本当にテーブルのように上部が平らな山ですね。


港の外に出たら・・・結構波が荒いです。


大きな船が行き交っています。さすがケープタウン。アフリカの最南端の港の外です。

なんだか薄ーーい島が見えてきました。


ぐるっと回り込んで・・薄い島越しにテーブルンマウンテンが見えます。


岸壁がみえてきました。もうすぐ到着です。
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やっぱり楽しいウオーター・フロント(ケープタウン)

2014-09-01 19:20:54 | 南アフリカ
土日のお休みは、お友だちの別荘へ・・なんていうとカッコいいけど、実際は合宿状態。
別荘番なんかおりませんので、すべては自分達でやらなきゃいけないのよね。

そこは手抜きの名人のkおばちゃん。殆ど完成品のお惣菜をお皿に盛り付けてお終いにしてしまいました。
以前行ったときは、現役主婦のかたがいらしたので、その方の配下になってもっぱら洗い物班にてっしておりましたけど。

でも、久しぶりに緑の風を感じながら、楽しいひと時でした。

○3月3日(月)
kおばちゃんの到着したクロックタワーは、昨日もうろついたベイエリア、ウオーターフロント、V&AウォーターフロントVictoria & Alfred Waterfrontと呼ばれる地区にあります。

でも、昨日うろついて所とはちょっと違う地区。Nelson Mandela Gatewayと呼ばれる建物が目的地です。


ここは、昨日J氏に予約してもらった、ローベン島行きの船のでるところであり、そのチケットの販売所があります。
昨日の話では、出発時間の30分前までに窓口で、予約番号をみせて登録につかったクレジットカードを提示するようにとの話だったので、ちょっと早いとは思ったのですが、1時間ちょっと前に来て見ました。

窓口はちょっぴり混んでいました。
当然ながら当日売りはなし。というか本日分は売り切れ、あとの予約も水曜日までいっぱいだとか。ああ、よかった!
予約のピックアップのお客さんだけが並んでました。

kおばちゃんは窓口でJ氏の書いてくれたメモをみせて、カードを渡して、本物のチケットを入手しました。本と簡単です。予約さえしてあれば・・ね。

さてさて、1時間ほど時間はあるな・・
このあたりは、昨日廻ったところよりも、まだ開発中と言う感じで、お店ありますがぱっとしません。
食事をするにも、なんせ日本とは違いますから、時間がね読めないでしょ?間に合わなかったら大変ですからね。


建物の前にはこんな像のおきもの??もいます。その向こうに橋が見えるのでアッチの方向に向って見ましょう。


橋の上から像のおきものを眺めると、その右側がさっきのネルソンマンデラ・ゲートウエイの建物です。


反対側のシグナルヒルの方向の眺めです。


対岸にわたってみました。船が停泊しているところがネルソンマンデラ・ゲートウエイの建物だから、あの船がローベン島行きの船です。
丁度、1時間前のツアーボートが出発する準備をしているのでしょう。

こちらは・・巡視船のようですね。


テーブルマウンテンを借景に記念写真を撮ると良いよ!ということでこんなものがありました。


トライしようとしているカップルです。


こちら側は、先程のクロックタワー、時計塔のエリアよりも、活気があります。こんなお土産物や産も・・


そしてこちらは、さっきの巡視船が泊まっていた辺りです。


The National Sea Rescue Institute (NSRI)国立海洋レスキュー研究所とでもいうのでしょうか。こちらによると、NPOのようですが、日本の海上保安庁のような役割をしているようですね。
ここは、売店にもなっていて、このNSRIのロゴマークの入ったシャツを売っていました。お土産によさそう・・でも今日はだめね。と下しらべだけで終りました。

なにかテイクアウトできる簡単な食べ物を捜したのですが・・このあたりは、じっくりお店に入って食べるようなところばかりでした。
時間が気になるので戻る事に。まだまだ十分時時間はあるんですけどね。なんせ小心者ですから。

kおばちゃんが戻るためにさっきの橋を渡ろうとしたら・・急にサイレンがなりだしました。あわてて渡るkおばちゃん。
なんだろう・・とおもっていたら、kおばちゃんが到着したら橋のたもとにあるゲート(門のようなもの)を閉めてしまいました。つまり、新しいお客さんは渡れません。

こんな状態。


すると、ゆっくり橋が動き始めました。横に・・

この間の出来事は動画に納めたのですが、このブログはyoutubeに一度アップしないとブログにはれないそうなのでメンドクサイのではりつけませんけど、よそさまの動画によると、こんな感じです。

Cape Town Harbour Swing Bridge


このSwing Bridge というのは旋開橋,旋回橋という意味のようです。
ここの橋は一方が大移動するスタイルでした。

もうすぐ完全復帰です。まだ少し隙間が開いていますね。


そうそう、この運河を通って行ったのは・・・観光客を乗せたボートでした。

もうすぐ、皆さんが通れます。


なんだか楽しいものを見た気分になりました。
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