Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

2つの奇跡の修道院(カルパス)

2011-02-28 19:19:26 | キプロス
今朝は大雨の音で目が覚めた。外でガラガラ・・となにかを引っ張り動かしているかと思ったら、庇にあたる大雨の音でございました。

今朝の電車の中でのこと。kおばちゃんの乗車する駅は学生さんが大勢おりるのだが・・下車する学生さんがいなくなったので皆乗り込んできたのだが、中から降り遅れた学生君が一人、無言でグイグイ押してきた。
無言だったので、自分のそばに来るまで、この人を押す波はなんなんだ??といぶかってしまった。
一言でも『降ります』と声を掛けてくれれば、皆通して上げるのに・・日本語しゃべれない若者が増えたのね。

そうそう、無縁社会とか叫んでいるけど・・結局コミュニケーション能力が下がった人間が多いと言うことじゃないのでしょうかね?
おばちゃん族なんて、見ず知らずの人とでも平気で初対面から話せる能力抜群ですけどね。
話しかける能力が身についてないから『無縁』といわれる状態になるのでしょうね。ネットで一方的につぶやくのは得意で、それを拾ってくれる人と繋がれればよいけれど、日常で声に出してつぶやいてると『変な人』になってしまいますからね。

無縁じゃなくてコミュニケーション能力の低下だと思っているkおばちゃんです。

○1月1日(土)

Apostolos Andreas(岬の聖アンドリュー)修道院の見学を続けるkおばちゃんですが・・実は見学しているときはあんまりガイドブックを見ていませんでしたが・・この修道院は結構有名なそうです。(kおばちゃんの持ってる英国のガイドブックには載ってました)

そうそう、ガイドブックといえば、kおばちゃんは基本的に日本のガイドブックは余り見ません。だってあれは観光ガイドというよりは、何処に泊まろうか?とか何処で食事をしたら?とか何を買おうか?的ナことばかりかかれていて、観光本来の説明が少ないからです。
下手すれば、殆ど『広告』のような内容ばかりですよね。そんなものをお金を出して買うのはいやなのです。
観光地の説明を懇切丁寧にしてくれるガイドブックなら参考に持ち歩きますけどね。

話がそれましたが、Apostolos Andreas(岬の聖アンドリュー)修道院には2つほど『奇跡』が伝承されているようです。

その一つはここを下がったところにありました。

ここを下がった所には、このように数人がおりました。

何処かに通じている・・と言う訳ではありません。
この左側の壁の所に実は『奇跡』と関係するものがありました。

左側の壁には実はこのように、なっております・・って分かりにくいですね。


拡大して見ますとこのような『蛇口』のようなものがついています。


実は、ここのお水は『奇跡』をもたらした・・ということで、キプロスの『ルルドLourdes』と言われているようです。
ここに到着した、盲目の船長(盲目で船長が出来たのか・・ととても不思議ではありますが)が、この水を使ったら目が見えるようになった(目が治った)・・と伝えられているからです。
kおばちゃんは・・全然知らなかったのですが、ためしになめてはみました。とてもミネラル成分の強い味がしました。

この、奇跡の水を持って帰ることの出来るように、画像の右にあるように容器がおいてありました。

そして、もう一つの奇跡というのは1895年に起こったそうです。
トルコのMaria Georgiouと言う女性が、お告げに従ってこの修道院に17年前に行方不明になった息子の消息を知ることを願いに来たそうです。
で、帰りの(多聞)船のなかで・・なんとその生き別れとなっていた息子と再会!

そんな奇跡の語り伝えられる『修道院』でしたが、昨日も書いた通り、キプロス紛争のあおりで閉鎖されてしまったそうです。
しかし、近年の両国の安定関係もあって、観光資源として脚光を浴びているようです。

ここは、昨日訪れた博物館などと違い、所謂拝観料はとりません。ただ『保存のためのご寄付を』という募金箱がおいてありました。心ばかり協力させていただきましたけど・・

観光客もそれなりにやってきますね。

元修道院の前には土産物屋さんというか、鍋釜まで売っている店が軒を連ねてます。
画像下に見える貝は食用でしょうか?

上にある目玉は・・確かトルコでは『魔よけ』とか言われていた気がしますね。
中にはキプロスレースを扱うお店もありましたが・・うーーん。キプロス製??と言う感じです。
良い物があったらkおばちゃんも買いたかったのですが・・どう見ても・・これは量産品と言う感じしかしなかったので辞めました。

この塔の鐘は何時再び鳴らされるんでしょうかね?

陽だまりでは猫達がのんびりと

くつろいでいます。kおばちゃんんは無視されました・・


こちらで、おトイレをお借りして帰ります。ここのおトイレは・・すべてトルコ式でした。

さ、ここから3時間もかかりますからね。早めに引き上げましよ、とスタートしましたが・・『ロバの生息地』のゲートのところにいたロバ君、まだ粘ってました。


あのね、そんなお顔しても何にも持ってないのよ!君もちゃんと『野生』らしくしなさい・・と走り去るkおばちゃんでした。


それにしても・・西に太陽が傾いてきました。


あーあ!今度は西に向って走るのよね・・とぼやくkおばちゃんです。
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アンドリュース岬の修道院(カルパス)

2011-02-27 23:39:13 | キプロス
今日はお休み。しかし・・相変わらず花粉症です。
肩はばりばりに凝ってるし・・せっかくの季節なのに散々でございます。

その上庭のカエルは・・また増えたような気がするのよね。
このあたりに水溜りのあるところがkおばちゃんのうちだけだからでしょうか。みんな集まってきちゃったかんじであります。

沈丁花が咲き始めてはいるのですが・・花粉症のkおばちゃんにはとんと匂いません。

そうそう、今日ある会合で今年の予定というを話してた時に10月に予定されているあるパーティーの話になって・・いったい何処の政党が大臣になっているか・・とぼそっとはいたkおばちゃんのつぶやきに皆、そうよね・・と反応していたのがとってもおかしかった。

○1月1日(土)

カルパス半島の端っこの端っこに降り立ったkおばちゃんですが・・そろそろ帰りましょ。


あっちの方向が帰る方向です。

ふと足元を見ると・・これは・・


動物の糞ですね。ロバ君のでしょうか?

コルドバ爺に乗り込んで・・海にさよならです。


こちらの島にもさよならですね。


kおばちゃんが帰りかけたときにもお客さんが到着してますね。


来た時は金魚の○ンのkおばちゃんでしたが帰りはお一人様です。


で、帰りは・・休憩もかねてあるところに寄ることにしました。
そこはこの端っこの端っこに辿り着く最後のアプローチの入り口・・という言い方破片ですが、そこから道は幅も狭くなり、舗装もなくなり・・ゲートのようなものもあったところです。

そして最後の建物があったところです。レストラン・・なんて看板もみかけたのですが???です。

適当に・・他の車の止まっているところに駐車しましょ。バスもいますね。


うわーーあ。何だか露天のようなお店があります。


レストラン・・はこんなところのようです。


海のほうに塔がのようなものがみえますね。


建物の中に入ってみましょう。

中にイコンがあるようです。

ここはApostolos Andreas(岬の聖アンドリュー)修道院だったところだそうです。


聖アンドリューさまでしょうか?

この修道院は12世紀にはこの地に『要塞』といsて建っていたということです。
そしてここで、リチャード1世Richard the Lionheartとキプロス太守イサキオス・コムネノスIsaac Comnenusとの降伏の交渉がなされたということです。(イサキオスはリチャードの婚約者を盾に身代金をせまったとか・・)
その後15世紀に修道院となり、巡礼修道院となっていたが、キプロス紛争のあとは撃ち捨てられていたようです。

ただし年に2回、 聖母被昇天の8月15日と聖アンドリューの日11月30日には南キプロスからの巡礼団も訪問をゆるされているようです。


海のから直ぐの立地です。

海のほうに目を向けると・・あそこにいるのは・・


これぞ野生のロバですね。


さっきの入り口で物欲しげに佇んでいた奴とは違います。

下に降りられるようですね。

行ってみようかしら・・
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先端のせんたん(カルパス)

2011-02-26 23:59:28 | キプロス
今日はお休み。花粉症全開のkおばちゃんはお薬をもらいに出かけましたが・・まあ大混雑。待合室で背中にお日様を感じながら気持ちよくお昼ねでしたね。

地震のこと、ほんとに大変なことになっていますね。
ただ・・kおばちゃんは非常に冷たい言い方をすると、理解できないのが『現状見たい』と強く要望することです。
一生懸命救出活動をしていてくれている方々の邪魔になる。というのを理解してのうえでとは思うのですが『この目で見ないと信じられない』という日本人特有のこだわりは外国では通用しないということ理解してもらえないのでしょうね。

先日のお仲間との飲み会でもその話題になり、『日本人は『骨の1本』でも出てこないと『死んだ』ということを信じられなくて、戦争の戦死公報だけじゃいけないのよね。認識票を送られただけで『思い出にひたる』ことになれる外国の感情とえらく違っている。』という話をしていたんですけどね。

それと、なんでもかんでも日本の国家に求める物も考えてしまいます。
今回のような大勢の日本人が『巻き込まれた』事態に、『政府専用機』などの使用を求める人が出てくるのか・・ということです。
救援隊を送るの利用するのは当然だとは思うのですが、その家族を運ぶために・・というのはどうなのかな?と思うのです。

実際の話、kおばちゃんの知り合いが外国の地で非常に具合が悪くなり、現地の大使館のお世話になりました。周りの人間は『日本に帰国させてくれればよいのに』と簡単に言っていましたが・・では、その費用をどうするのか。という問題があるのを忘れてるようでした。
知人は親族とは折り合いが悪く、大使館の問い合わせに対しても『そちらで治療を続けてください』という答えだったとか。

kおばちゃんの友人は『なんで大使館は送り返してくれないのからし』といっていたけど・・それは違うのじゃないかな?と反論した覚えがあります。
だって『移送』には費用が発生するわけで、その費用を『大使館が負担する』というのはひいてはみんなの『税金を利用する』ということですよね。一個人のために。だから、それは違うんじゃないかと思ったのです。

そういう事態に出会わないことを願いますが、保険にでも入っていないと、個人の負担は大変な額になると思うのです。

政府専用機の利用にも費用はかかります。よく『記者が同行した機内で・・』という記事がありますが、その関係者にきいたらあれはキチンと『料金』をとって乗っけてる・・と聞いたことがあります。

現政権はなんでもかんでも簡単に『手当』を出したり、するのは簡単なことだと思ってらっしゃるようですけど、皆様からの税金であることを忘れちゃいけないと思ったkおばちゃんです。

だって今日スーパーに出かけたら、その前で演説していたM党の議員の言葉に腹が立ったからです。もう直ぐ地区の議員選なんでしょうけどね。
『地域振興券をもっと発行いたします』ってなことを言ってるんですよね。地域振興券の発行の差額は誰が負担しているのでしょうね?税金でしょ?
気前よく公約しないでくれと言いたいですよ。税金を払っているものの身としてはね。

○1月1日(土)

ロバの聖地を抜けて・・はるばる3時間以上掛けてやってきたのはこんなところです。


そして皆車をおりても・・まだ先に行って見たりします。


えーkおばちゃんの到着したのはgoogleさまのサテライトで見てみると・・

こんなところ・・

もうちょっと引いてみてみると・・


で、もう少し引いて地図でみてみると・・この右上の端です。


さらに引くと


で、ここはキプロス島のこの右端の角のように突き出た部分です。


キプロス島の一番東に当たる部分です。
本来の計画でゆくと・・kおばちゃんはここで今年の初日の出を拝む・・つもりでいたのですが、計画した時点で問題がありました。
このあたりは夏のビーチリゾートではあるのですが・・冬はどんな具合か良くわかっていなかった。したがって宿泊施設が冬稼動しているかという情報がなかなかありませんでした。

昨日観光したサラミスのあたりに利用可能なホテルのあったのも判っていたのですが・・フルボード(三食付)のホテルぐらいしかありませんでした。
3食付っていうことは出かけたら・・他の食事が無駄になるし・・

だから遠いのは判っていたのですが、ギルネのホテルに連泊することに決めました。
決めた時点で、半ば『初日の出計画』はあきらめたのです。で、昨日の峠越えを体験して・・はっきりあきらめたkおばちゃんです。

結局辿り着いたのは・・お昼過ぎですからね。

ここまでやってくると皆端っこで記念写真ですかね。


kおばちゃんもまねっこして行って見ましたが・・この先の岩には行けませんね。


こんな感じの危なっかしい岩の景色もあります。


さらに見通しの良いところに降りると・・この先に島のような岩が見えました。


ズームしてみると・・


なにか島の上にあるのがみえますが・・


下を覗くと・・足がすくみますね。


こんなところにまで来たの、老いも若きも子どもも男性ばかりでした。何故かみんな小石投げをしたりね。

女性たちは岬の上で眺めてます。


さて景色も一応楽しみましたのでそろそろ戻りましょう。

そもそもここにやってきたkおばちゃんの目的は・・ただ来て見たかっただけです。初日の出計画がなくなった今としてはね。

ふと、片隅をみると・・え?なにやってるんでしょうね?


よく見ると・・バーべキュー?のようです。まあ、逞しいというか・・なんというか・


一式持ってきたようですね。ただ薪は現地調達のようでしたが下草のような物体しかありませんからね。
ワイルドな楽しみかただこと。

さて、そろそろ出発しましょうかね。また引き返すのにも3時間はかかりますからね。

北の方角を眺めていたら・・目に入ってきたのは・・


かなり拡大しないとわかりませんけど・・貨物船ですかね。


何処へ行くのでしょうね?

そうそう、ここの岬のとったんにあるのは灯台ではなくて、監視小屋のようなものでした。


朝日ではありませんでしたが、良いお天気です。
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野生のロバの聖地(カルパス)

2011-02-25 18:54:05 | キプロス
昨日会ったお仲間の話にびっくり!
なんと彼の母上は、あの日クライストチャーチに観光に行っていたというのだ。
で、昨日帰国するから今日は帰る・・と飲まないで帰っていった。

なんでも、パックのツアーに参加していて、地震の起きた瞬間にはバスのなかだったそうである。
安否の方はツアー主催会社からすぐに『無事』が入ったので家族も安心だったとか。

ツアーはこういう時に威力を発揮するんですね。

まだ不明の方々は見つかっていないとか・・なんとか皆さんのご無事をお祈りいたします。

しかし・・日本のマスゴミさんたちは『日本の不明者』しか伝えなけど・・あの語学学校には中国人留学生も十数人それに韓国からの学生さんもいたとか。
だから見かけじゃ確認できないのでしょうね。

○1月1日(土)

はるばる2時間以上コルドバ爺を走らせて辿り着いたところにこのような門がありました。


うーーんここから先は・・入っちゃいけないのかしら・・なんて書いてあるの??
と良く見たら・・

『野生ロバ保護地域??Wild Donkey Protection Area』ですって。
ロバ???ここは『海亀の保護地』としては有名なので知っていたのですけど、ロバは知りませんでした。
ロバってエジプトあたりが原産のようですね。まあ、ここはエジプトに非常に近いですからね。

で、この門をくぐったら・・すぐに・・お出迎え??


最初は造りモノかと思ってしまったのですが、ちゃんと生きてます。でもね・・君、野生じゃないの??

だって車の窓越しにものすごーーくモノ欲しそうな顔してるのよね。


何か上げようか・・と思ったのですが、お菓子以外には持ってないし・・まして『野生ロバ』と書いてあるんだから『エ付け』したらまづいでしょ?
以前であったジブラルタルの猿クン達は、英国陸軍の管理下にきちんと『野生化』されていて、人が近づいてもエサをねだるようなことはなかったけど、日本の猿は・・なまじ『かわいい』なんてエサをあげちゃったもんだから大変ズーズーしい存在になってますよね。

で、kおばちゃんは何も上げませんでした。ごめんね・・と通り過ぎるのでありました。

kおばちゃんの訪れているのはカルパス国立公園Karpasia National Park Areaという地域であります。
これはカルパス半島 Karpaz(Karpass Peninsula)というところに設定されていて、地中海における重要な生物多様性領域の一つだそうです。
そして、68%の絶滅危惧種がいるそうです。そしてその中にこの『ロバ』君もはいっているそうです。あらまあ・・

こんな果てまでわざわざやって来たkおばちゃん・・まったく物好きですね。

ロバ君に会ったところはまだ舗装道だったのですが、そこから暫く走った先・・ある集落を越えたら(そこにゲートのようなものがありましたが)未舗装道路に代わりました。


kおばちゃん1台じゃありません・・皆で進みます。こういう時は団体行動!

景色も一段とワイルドです。


まだまだ先がありますね。ここの土地は土の部分が少ない用で所々、岩が向きだしているようで

みんなそれを避けながら蛇行して、そろりそろりと進みます。

4輪駆動の車もいますが、kおばちゃんと同様ノーマル車が多いですね。

小高い岩が見えてきました。


そろそろ・・終点でしょうか。国旗の掲げられ建物がありますね。


実は、kおばちゃん。当初の計画ではここに『真夜中』に来ようという計画をしていたのですが・・昼間でよかった!と胸をなでおろしました。
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私達の故郷(iskele)

2011-02-24 19:04:38 | キプロス
昨日の出稼ぎで久しぶりに新幹線に乗って・・あらまあ・・の状態でした。

それは・・やっぱり若者がアルコールを飲まなくなったということと。
帰りの新幹線はビールのお供がないと寂しいサラリーマンのおじさま方がいっぱいのイメージだったんですけど・・最近の若いサラリーマンはお茶を飲みながら携帯ゲーム!!

隣で飲んでるkおばちゃん・・ちと肩身が狭かったです。
ワゴンサービスを見ても・・ちっとも売れてないし・・

その昔、バブルのころはワゴンのビールが売りきれたんじゃなかったかしら?
バブルがはじけても、サラリーマンのおじ様達は『ホームの売店で買ってから乗車』というプチ節約で対抗して乗車していた記憶が・・それが静かなんだな・・

若者のアルコール離れと聞くけれど、ホントなんですね。
とりあえずのビールがなくなって、『なんとかサワー』とかの甘めのお酒を御所望するとはきいてたけど。
なんだかなあのkおばちゃんです。

○1月1日(土)

無事に峠越えを終えて・・途中までは昨日のルートと同じで安心していたのですが・・高速を左に折れてからは違います。
今回はナビ様のご利用はないので、アナログな情報をたよりに・・一昨日インフォメーションでもらった地図に付箋をくっつけて、途中途中の町の名前のスペルを大きくかいて・・いざとなったらそれをダッシュボードの上にでも張ろうかという作戦です。

で、途中でİSKELEと言う町を通りかかったときだと思います。こんな風景に出あいました。


これじゃ良くわかりませんね。でも国旗が2つ建っているのはわかりますよね。
拡大すると

丘の中腹になにやら描かれているのはわかりますね。

国旗の下に描かれている言葉『canimiz vatan iein』とかいてありますね。
これってトルコ語で『私達は故郷を持っている』といういみじゃないでしょうか?違いますか?

それこそ北キプロスはgoogleさまのサテライトでもばっちり写るこの山の模様?はゆうめいですけどね。


そのミニチュア版といったところでしょうかね。

そして少し走ると目の前にこんな光景が!


海が見えてきました!!
そうそう、合ってる、合ってる!海を右手にみてしばらくはしるのよね。

で、また平野部へ・・


途中で英語でかかれた標識があったのですが・・そのうちトルコ語だけになってしまい・・合ってるかどうか微妙になってきました。ただkおばちゃんの判るのは『観光地のはずだから茶色地に白い文字の標識であるだろう』ということです。

で、途中で不安にあんって止まって確認!多聞・・合ってると思います。フと見上げると


縦横に飛行機雲が・・そうこのあたりは中東に向う飛行機の航路かもしれません。

暫く走るとまた岩の間を走るようになりました。ここにも飛行機雲が・・


あまり交通量のない道路ですけど・・たぶん大丈夫・・


もうこの辺りまで来ると、路面もあまりよくありません。


やっと右手に海が再び見えてきました。


ここまで約2時間半は走りっぱなしです。やっぱり3時間はかかりそうですね。

また暫く走ったら・・kおばちゃんを追い越して行った車が止まっているのが目に入りました。まねっこしてみると


うわー!!眺めが良いですね。

遠く見えるあそこをkおばちゃんは走ってきたのよね。


彼らはどうも・・ガイドさんとお客さんという感じです。ガイドと思しき人物が説明しています。


あのあたりをさしていましたね。


このあたりは実は『海亀の生息地』として有名なところだとおもいました。だからそれを説明していたのでしょうか?

反対側の海はこんなです。目的地はまだまだ先のようですね。


ここから先はなにか特別なえりあなんでしょうか?ゲートがあります。


とりあえず彼らにくっついて・・例のごとく金魚のフンのkおばちゃんです。
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卓球の思わぬ人気(ギルネ)

2011-02-23 23:05:04 | キプロス
今日は、出稼ぎ。
あんかけスパが食べたかったのだが・・お昼つきのお仕事だったので食べられずに残念!!

あのなんともいえない、ハイカロリーなメニューのあるビルヂングにここのところ足を踏み入れてなので寂しい限り。
駅前の変貌振りはト○タさまの景気と連動しているようで、ここの所停滞気味の感があったのだけれどね。

ニュージーランドの地震は相当被害が深刻のようですね。
被災された方、お見舞い申し上げます。
今朝のニュースを見ていてあらあら・・と思ったのが、オーストラリアのニュースのなかで、『ただいま日本人男性が一人吸湿されたようです』のような内容があったのですが・・それに対する日本人キャスターのコメントなし。
で、30分以上もたってから、多分同じ内容だと思うのだけれど・・なんだかなあ。

ところで、下世話な話kおばちゃんの気になるのは・・こういう事態に遭遇したら『旅行保険』は免責あつかいで出ないのでしょうかね?
kおばちゃんはここのところ自分のことは自分で面倒をみなきゃいけない立場なので、旅行保険の『傷害』の部分は特に重要。死んでしまったらそれはそれでさっぱりするんですけどね。傷ついて・・寝たきりにでもなってしまったら・・と思うとね。

いままで平穏に旅行したことしかないので、こういう場面に遭遇したら・・なんて考えてしまいました。

この前行った、キプロス島も実は地震の被害が激しかったところ。
遺跡のあったサラミスなんて地震で崩壊した町だものね。温泉もろくにないし、火山も見受けられない島だけど、断層の上なのかもしれませんね。

●1月1日(土)

さて・・今朝は、新しい年の始まりの目覚めです。
外のバンケットの騒音も・・いったいいつ静かになったのか?判らないくらいにぐっすりとお休みのkおばちゃんでした。

お正月といっても、あまりもたもたしていられません。
今日、一日がここキプロスでの最後の日になります。で、行きたいところがまだ一つ残っています。そこに行かなくちゃね。

さて、今朝の朝食なのですが・・まあ、お正月ということもあり、ホテルの有料朝食を(kおばちゃんの宿泊タイプは別料金)とることに決めていました。だってめんどうだったからね。
今日の朝食は12時まで食べられます・・と張り紙がありました。ニューイヤーパーティーでお疲れでしょうからね。

ということでダイニングにやってきました。で、kおばちゃんのチョイスはこんな感じ。

しっかりオムレツを作ってもらいました。

うーん、去年とまったチェシュメのホテルのレパートリーに比べたらちょっと寂しいです。
まあ、ホテルの規模が規模ですけどね。

とか何とか言いながら・・デザート代わりの甘いものを頂きました。


ダイニングは冒頭の画像のように海側の部屋ですが・・ここの眺めは今ひとつでした。
その代わり、ロビー脇のテラスからは海が良く見えます。


夏のバカンスではここで皆ビールをのむのでしょうね。え・・イスラムはお酒飲まない・・はずですよね。
思うに、トルコ系はかなりお酒はゆるいようですね。

今日も良いお天気です。さすが360日晴天の島です。

左側の棕櫚の葉の下の海の上に見える『白い点』のようなものはヨットです。

お天気はよいですが・・それなりに寒いですからね。泳ぐ人は・・さすがに見ませんでした。

で、ここで年越しを一族でしている家族のお子ちゃまたちに人気なのは卓球です。


去年のチェシュメのリゾートでも見かけましたが、ここでもありました。右端に移ってます。
どうも、kおばちゃん的には『卓球』→『温泉旅館』という偏見がありまして、なんだか卓球台をみかけてニヤニヤしてしまいました。

そうそう、朝食会場の入り口でkおばちゃん『今日は食事をします』と申告したのだけれど・・『ああ、良いから・・』みたいな感じでやり過ごされてしまいました。
何故か・・それは後ほどわかりましたけどね。

さ、食事もおえて・・お部屋で一休みしてから・・出発です。
そうそう今朝もネットは繋がりません。まだトラブルが直っていないとか・・こりゃだめっぽいですね。なんせなんでもアリのお国ですからね。

コルドバ爺と出発です。でホテルを出たところで見たのは観光バスです。


ああそうか、今日は団体さんが泊まっていたんですね。で、さっきkおばちゃんがホテルのボーイさんと間違えて、朝食を申告したのは・・このツアーの添乗員さんだったのですね。
だって・・名簿のような紙をもっていましたからね。
また粗忽全開のkおばちゃんでした。

さて、今日の目的地はここギルネから焼く170キロほど離れたところ。時間にして3時間かかるとは聞いています。
で、底へ向かうには昨日も通ったベシパルマック・ダウBeşparmak Dağlarıを越えて行くのがベストなルートのようなきがします。

さあ、朝日に向かってあの山を越えます。


さすがお正月の朝の時間にこんなところを走っている車は少ないようで・・走りやすかったです。


ここまで来たらもう一息ですね。


コルドバ爺頑張って!もうちょっと・・爺は見かけによらずしっかりとした走りです。


やっと天辺を抜けた感じです。


さあ、これから下ります。


でもね・・まだまだなのよね。先はまだまだ長いのです。
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テレビが・・・写らない!!(ギルネ)

2011-02-22 19:09:23 | キプロス
今日も朝は寒い。
花粉症は絶好調。まったく、お呼びもしないのにねえ。

ニュージーランドでの大地震・・被害が少ないとよいのですが。
日本のように耐震基準がないのか、あるいは古い建物を大切にしすぎるのか・・火山国家ですもんね。

夕べからのパンダ先生の報道合戦。なんだかな・・他に良いニュースは地方にいくらでもころがってるでしょう?
ほんとに『マス』の部分しかとりあつかわないのよね。こんなにネット社会になって、よりニッチ名報道が求められてると思うんですけどね。

○12月31日(金)

エルジャン空港でご用を済ませたkおばちゃん。さあ、ホテルに帰りましょ。

帰り道は・・すっかり真っ暗なベシパルマック・ダウBeşparmak Dağlarıを越えて・・昼間の景色を見てしまったから結構慎重な運転になってしまいました。

なんとか無事ホテルに・・到着です。今日はスーパーにも寄りません。
なんせ、サラミス遺跡歩きでくたくた・・グロッキーです。もう歩くのいや!!とばかりにホテルに戻りました。

ホテルはまだ時間が早いのか・・ロビーにお客様が殆どおりません。

普通はハーフボード(2食付)プランでお泊まりのお客さんがおおいのですが・・まだ夕食時間でもないのないのかな??
ロビーでWIFIをつかってネットに繋ごうと思ったら。。繋がりません。おかしいな・・
何回か試して・・ダメなのでフロントのお兄ちゃんに聞いて見ました。すると・・今技術的トラブルで繋がらない・・ですって!!


あら、一週間分払っちゃったのよ!!まあ、しかたがない・・ここは何でもありの国ですからね。

お部屋に戻って・・テレビでも付けよう・・と思ったら・・あららら????ない!
いえ、テレビが無いのではありません。ないのは・・リモコンです。

そういえば・・昨日はテレビを付けた覚えがない・・というかここに到着して以来TVをつけてないかも・・なんて思いだしました。ネットばかり気にしていて。
ネットに繋がらないとわかって、初めてTVを付けたkおばちゃんですね。

で、フロントに話にゆきました。(電話して説明するのもめんどうだったので)
フロントのおにいちゃんは最初はkおばちゃんの話を??ってな顔をしていたのですが、お部屋まで同行。
ここで感心したのは・・お兄ちゃん一人じゃないということです。
おばちゃんと言えどもkおばちゃんはれっきとした女性。で、女性一人の部屋に行くときは・・まああとあとのことを考えてでしょうけれど、男性一人じゃ不味いということでしょうね。
このへンはイスラム教の影響でしょうか??ボーイさんも一緒です。

で、部屋に来て・・『ホラ、エアコンのリモコンしかないでしょ??』と初めて『TVのリモコンがない!!』と騒いでいたkおばちゃんの言うことが判ったようです。
『申し訳ない!』と言うと同時に、ボーイのお兄ちゃんどこかに無線で連絡していました。

暫くしたら・・今度は別のお兄ちゃんがテレビを交換にやってきました。
kおばちゃんは『リモコンを持ってくる』のだと思っていたのですが・・テレビ本体の交換でした。
そういえば、交換したTVはさっきのテレビと機種がちがってましたから。

デ、無事にテレビを見ることが出来るようになったkおばちゃんです。付けてザッピングしていたら・・



えーとこの方は・・ティーレマンさん。あらあら。2006年03月26日のブログに書いたように以前キャンセルされてしまって、お会いできなかったクリスティアン・ティーレマンChristian Thielemann氏ですね。

うーーんどこかの劇場のジルベスターコンサートであることはわかるのですが・・何処だ??


演奏しているのは・・これはレハールの『メリー・ウイドー』ですね。しかもバレエつき。


まるで、ウイーンのニューイヤーコンサートのようです。


例年だと、この時間はベルリンフィルのジルベスターコンサートじゃなかったかしら・・なんて見ていたのです。
それにしてもここはどこでしょうね?


それにこのオーケストラは何処でしょうか??


なんて眺めていました。
この風景からすると、どこかのオペラ劇場。しかも格調高い劇場ですね。


そにて見たことあるような・・ないような・・なんて眺めてました。
後で調べたら・・これはドレスデンでした。ドレスデンのゼンパー・オーパーSemper Operでした。そして演奏はシュターツカペレ・ドレスデンSächsische Staatskapelle Dresdenでした。
なんとこのオケのHPには日本語まであります。で、このジルベスターコンサートでしたね。

ということで、このお二人はChristoph Pohl氏とErwin Schrott氏じゃないか・・と思っていますけど。


ティーレマン氏は2012年というから来年ですかね?、からここの主席指揮者になるようです。


そういえば、今日はジルベスター・・大晦日ということで、向い側にあるバンケットホールからは賑やかな演奏が聞こえてきます。


去年のチェシュメでも遭遇しましたが、こちらでは大晦日を一族郎党引き連れてリゾートホテルの年越しパーティーに遭遇するということをするのがステイタスだとか。

一人者のkおばちゃんには・・関係ない別世界です。
カジノのお客さんも今日は多いようで、駐車場がたりなくてお外に路駐のようですね。

ちなみに上の画像の右下がカジノの外からの入り口です。

ところで・・kおばちゃんの年越しディナーは・・こちらでございます。


はい、お蕎麦といえば聞こえが良いですが・・ただのカップめんです。


お部屋にポットがないので、バーでお湯を分けてもらって造りました。

そしてアフロディティという名前の赤ワイン・・ですが、なんとブルガリア産でした。


しかも・・コルクがぼろぼろ・・抜こうと思ったら崩れてしまいまして・・仕方が無いので上澄みだけを頂いた状態です。
ええ、昨日も書いた通りキプロス産のワインがなかったのですよね。で、ケチなkおばちゃんは外れても安ければ納得がいくかな・・と思って安ワインをかったのでした。
お味はそこそこでしたけど・・コルクカスを気にしなきゃいけないのが面倒でした。

テレビはいつのまにか別番組になって・・というかしていました。


これもコンサート番組・・なのだけれど、微妙に音楽が違います。


楽器が違うのがわかりますか?


トルコの民族楽器でしょうか??判りません。音階は・・アラビアチックです。
そんなものを見ていたら気がついらたら新年にもうなっておりました。

楽しかった2010年。2011年も楽しく過ごせると良いな・・と酔っ払いkおばちゃんはお休みしたのでありました。

ああ、今日も一日ご苦労様でした。



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高速道を右折!!(エルジャン)

2011-02-21 23:42:24 | キプロス
今日からまた一週間。
先週文句をたれていた、パンダ先生の話。ここのところやっとリース料のことまで触れる報道にはなってきたけど・・遅いんだよね。

相変わらず国会は、K首相は『戦う』という言葉がお好きなようですけど、いったい対戦相手は誰なんでしょうか?今の状況じゃ『国民』と戦って僕ちゃんの政権を維持した・・というふうにしか聞こえないのが情けないですね。

もともと中身のない政党なんだから結束もへったくれもあったもんじゃないとはおもいますよね。

アラブ圏で巻き起こっている『改革』という名の運動も、『古い体制の打破』という目標はあるでしょうけど、その先がちっとも見えてこない。
そもそも、kおばちゃんがわかっていないのは、あれらの国々での『税制』です。
国家として活動にするのに『税金』は必須アイテムだとおもうのですが、彼ら国民がどのようにして『税金』を収めているんでしょうね??
あの、国々の人たちが率先して納税するの図が想像できないkおばちゃんです。

○12月31日(金)

聖バルナバス教会(跡)の博物館の見学を終えたkおばちゃん。
教会堂を見上げてもう一度お参り・・ではありませんが拝見して買えることにしました。

特に制作年代が新しいものを・・拝見いたしました。


こちらのイコンは・・なぜかギリシャ神話を思い起こさせます。


こちらは古くて新しい感じです。


眺めれば限がないので、もうおいとましましょうね。

明るいうちにお宿に戻りたい・・と思っていますから。

ここは比較的保存状態が良いように思います。聖バルナバスはトルコ人にも大事にされたんでしょうね。


表に出るとさっそくさっきのワンコたちがまた駆け寄ってきます。ごめん!なんにもないのよ。


さあ、出発です。といっても・・ナビ様のある旅ではないのでヘッドボードがたのみです。


道しるべに大体したがって・・コルドバ爺を走らせるkおばちゃん。
大体のルートはこんな感じです。出発の聖バルナバス教会は右のピンクのマルです。


で、問題はこの左側を横切っている幹線道路なのです。
実はこれは、高速道のようなもの。朝、マウサに向かう時に通った道です。
その時に、危ないな・・と思った事態に、まさかkおばちゃん自身が遭遇するとは思いませんでした。

ここで、『高速のようなもの』と書きましたが、北キプロスに高速道路が存在するのかどうか・・よくわかっていないのですが、少なくともこの道をkおばちゃんも含め100キロ近くのスピードで(いや、それ以上)走行している道路なのです。
で、朝見かけたのは・・その道を横切ってゆく車があった・・ということなのです。

対外の交差点は・・立体交差なんかになっていたと思うのですが・・インフラにお金をかけていないというのか、交通量のそれほどない地方の交差点を立体になんかしていないんですよね。

朝見かけたときに『あーー気をつけないと危ないな・・やっぱりなんでもアリの国か』と思っていたのですが・・帰りに、まさにその場所を通ることになってしまいました。

つまりgoogleさまのサテライトによると・・こんなところを横切ります。
ピンクのラインがkおばちゃんの車のコースです。

緑の左からのラインが高速でぶっ飛ばしてくる車です。で、当然ピンクのラインの右折するラインも・・右のほうからぶっ飛ばしてくる車にぶつからないように合流します。

ドキドキしながら・・コルドバ爺とともに進みます。
なんとか、成功!たねを明かせば、中央分離帯が広いのでそこで右から来る車を待つのです。切れ目をねらって・・

右折する車があまりいないので出来る技・・というか右折する車が少ないからこういう状態なんでしょうね。
とにかく無事高速道にのっかったコルドバ爺とkおばちゃんです。


ここまで来て・・あたりが暗くなってきました。これじゃあ峠越えは暗くなってからになりそうです。
で、kおばちゃん新しいことを?を考えてつきました。
どうせ暗くなるんだったら・・空港によって様を済ませてしまおう!ということです。

どういうことか・・というと
実はkおばちゃんの帰りのチケットはインターネットじゃ座席の指定が出来ないのです。その上、今時の航空会社らしからぬ『リコンファーム』が必要だとかきいています。電話、もしくは営業所にて・・ということなんですけどね。
一応お宿で航空会社の電話番号はききました。が、ちょこっと高速を曲がればエルジャン空港のはず・・なんてことを思い出してしまいました。

その上、kおばちゃんの出発便の時間は朝が結構早いのです。到着したのは夜中だったし・・ということで下見もかねて・・空港に立ち寄ることにしました。

コルドバ爺は駐車場にいれて・・空港の建物内にはいるにはやはり手荷物検査をうける仕組みになってます。
入ると航空会社のカウンターが並んでおります。


kおばちゃんのご様のある虚空会社は左側ですが、右側の航空会社。たしか昨年経営破綻したんじゃなかったかしら。


カウンターにいた先客と思しきおっさん、いえおじさまは世間話でもしていたんでしょうか?
kおばちゃんが近づくと窓口を譲ってくださいました。
なにはともあれ、無事に窓側の座席をとりあえずゲットできたkおばちゃんです。

ついでにチェックインカウンターの方もみておきましょう。


こんな感じです。けっして『自動』ではありませんね。


とりあえず、御用は全部終わりました。コルドバ爺の下に戻りましょう。
そうそう、その前に駐車券の清算・・とおもって窓口に出しましたが・・精算金額はありませんでした。30分も止めてませんからね。きっとその時間内は無料なのでしょう。

外はもう真っ暗!しかも小雨が降ったようです。


さあ、こんどこそお宿に戻りましょうね。
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生活の楽しみは普遍です(サラミス)

2011-02-20 23:48:13 | キプロス
今日もお休みで、これといったご予定のないkおばちゃん。いっぱい眠らせていただきました。目が・・腐った。

本とはお買い物にでも出かけようかと思っていたのだけれど・・そんなエネルギーは残っておりませんです。
何背お天気が今ひとつ。お布団が干せないのが何よりも辛い。

花粉も飛んできていて・・薬にまた頼ってしまいました。
あーーあ。春は嫌いだ。それにしてもカエルだけは元気に鳴いています。

ニュースではパンダ先生の来日を伝えていますが、いったい幾らのリース料かというのをはっきり伝えていないのは何でなんでしょうね?
パンダのリース料金。ものすごいですらしいです。だらか四川では稼ぎ頭としてほうどうられテいるそうな。
何だかな・・夢を壊すということなんでしょうけど、現実をちゃんと報道しないのは遺憾と思うkおばちゃんであります。


○12月31日(金)

聖バルナバス修道院には先ほどのイコンの展示だけではなく、考古学的遺物の展示もあるようです。

その展示室は、修道院時代修道士たちの部屋となっていた中庭に面した小部屋を繋げてあります。


順番はわかりせんが、手前から入ってみました。


説明書きは小さく年代だけだったような記憶が・・何処からの出土とかはなかった気がします。あっても見落としていたのか??
まあ、サラミスあたりなんでしょうね。

破損も少なく立派な状態ですね。みんな紀元前のものです。


kおばちゃんの気になっているのはこれです。


拡大するとよくわかりますよね。人間?おサルさん?の後姿です。何をしてるんでしょうか?


kおばちゃんには『食べ物の配給をする人とそれを待つ人』にみえちゃったのですけどね。

そのほかにもこの様な鉄器?でしょうか?火の取り扱い具ですね。


鏃でしょうか?こんなもものありました。


これは毛糸などをつむぐ時につかったものでしょうね。


そしてkおばちゃんの一番のお気に入りはこちらです。


子どものおもちゃ・・もしくは祭祀用の用具でしょうか?


兵隊さんのフィギアといったところですね。

丁度半分ほど見学したのでしょう。回廊の向かい側には聖堂が正面に見えます。


こちらの部屋に展示されているのは装飾品ですね。

こういうデザインを見ていると、太古の昔からちっとも変わっていないと思ってしまいます。

こちらは明かりを灯す器具だそうです。ランプの原型ですね。

『アラジンと魔法のランプ』を思い出しました。

こちらは・・透明性は今ひとつですがガラスの容器です。


こちらは陶器。上薬の色といい、かかっている形といい・・日本の茶器を思い出しました。

唐三彩のような色です。唐三彩のルーツは何処?中国ですか?それともこちら?

こちらはスフィンクスの像ですね。
ギリシア神話のでは、ライオンの身体、美しい人間の女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物だそうです。

そしてこちらもスフィンクス?狛犬の原型のような気もします。シーサーみたいですね。


こちらなんてまるっきり『犬』ですよね。


他には女神像の『首』とおもわれるものです。


こちらも大きさこそちがいますが『首』です。


これは像の制作上の問題なんでしょうか?首だけ別つくり・・それとも意図的なものなんでしょうか?
以前マルタでみた古代の像は首が挿げ替えられるように『別作り』になっていましたけどね。

これは子どもの棺おけ・・だったかしら・・わすれてます。


一通り見学を終えて回廊に出たkおばちゃんです。

修道院時代はこの回路を修道士が歩いていたんですね。


さて、これからどうしましょうね。
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聖バルナバスのお導き?(サラミス)

2011-02-19 23:59:10 | キプロス
今日はお休み。うれしい日。その上天気予報では『晴れ』だったんだけど・・残念!

スーパーに買い物に行ったのだが・・やっぱり際は高いなあ。
しばらくは冷凍庫のお掃除をしないとね。

最近kおばちゃんの回りに乳がんを患っている女性が多い。
お年を召したかたから・・お若い方まで。kおばちゃん自身は・・多分大丈夫だとおもうのだけどね。
このまえの検診で『測定不能』ってでてきてるのではありますけど。

○12月31日(金)

さてようやくサラミス遺跡の見学を終わったkおばちゃんでありますが・・・お次はどうしましょうね。

実はもう一箇所ここ、ここ北キプロスに来たら行きたいところがあるんです。
で、そこに行こうかどうしようか・・考えはしたのだけれども、ちょっと躊躇もあるのでやめることにした。

あ、お昼を食べていないのだけれど・・そのことはすっかりと忘れ去っていたkおばちゃんなんです。

お宿からここまでは大体2時間?かからないかもしれないけれども・・今朝通ったあの山道を考えると、暗くなる前にギルネに帰りたいということもあるし・・
うーん中途半端!な感じでした。で。とろとろと・・走りながら・・実はさっき道を間違えた時に見かけた看板を思い出したのです。

ここ北キプロスも、トルコ同様、観光地の方向案内に一定の法則があるようです。
それは、道しるべが『茶色地に白い文字』ということです。
それで案内されているところは観光地ということで、非常に判りやすいのです。
で、さっき道をまちがえたときにその看板をある交差点で見かけ、サラミスの遺跡への入り口近くでもみかけていました。

じゃあ、あそこを覗いてみようか・・まあ、とりあえず通過してもよいかな。方向的には帰るのとおなじでえすからね。

案内板にしたがって・・おっと、行き過ぎてしまいましたが、考え直して寄ることに決めました。
せっかくですからね。

これですね。きっと・・


で、ここで早速のお出迎えはこの方々。単にえさをもらおうとしているようですが・・ごめんね。


kおばちゃん自身の食べ物も無いのよね。チョコはワンコにはだめでしょ?

入り口はここですね。

ここはこういうところです。

聖バルナバス考古学博物館とイコン美術館とでもいうのでしょうかね。
入り口から中に入ると、チケット売り場がありました。そこで入場券を買って・・入場です。

ここはもともとは教会だったところのようです。
聖バルナバスSaint Barnabas とはキプロス生まれの聖人で、先ほど見学したサラミスの時にも書いた、パウロ最初の宣教旅行の同行者バルナバこと。
ここでギリシャ系ユダヤ人の子どもとして生まれたそうです。生まれた時の名前は『ヨゼフJoseph』といっていたようです。

エルサレムでキリスト教と出会い、そこでアラム語で『預言者の息子』という意味のバルナバスという名前をもらったようです。

その後、45年に聖パウロの第1回目のキリスト教伝道の旅に同行してここキプロスの戻ってきましたがその後はまた他の場所に伝道にでかけていたようです。
75年に再び戻ってきた時に、ユダヤ人たちによって捕らえられ、シリアの暴徒によって『殉教』させられたようです。

その後、彼の遺骸は不明だったのですが、448年にキプロスの大司教アンテミスの夢に3度現れてその場所を告げたとか・・で無事発見されたということです。
しかも・・彼の遺体は腐っておらず、しかもその胸に聖書を抱いていたといいます。

で、その後この場所に教会というか修道院が建てられ、1750年代からの建物が現在目にするものなのでしょうね。
修道院としては1950年ころまでにはたった3人の修道士しかいなくなってしまっていたようですが、1974年の紛争以降はそれらもいなくなり、修道院としての機能はまったくなくなりましたが、その後3兄弟が守り、現在のようには1991年からの修復プロジェクトにより博物館、美術館となったようです。

まずは聖堂だったと思われる場所にはいりました。聖壇と思われる場所はぼけてますがこんな感じです。


で、ここでkおばちゃんの粗忽全開!この聖壇の一番右側の方が立派だったのでてっきり聖バルナバスだと
思ったのですがどうやら違うようでして・・

その右側にいらっしゃったこの方のようでございました。こちらからお借りいたしました。

年代的にはばらばらのイコンが展示してあります。


北キプロスの元教会から集めてきたのじゃないでしょうかね。

聖壇と思しき場所ですが、持ち去られているものも見うけられます。

紛争の折にいた修道士が思い余って持っていたのでしょうかね。

こちらは随分と古い感じのイコンですね。


こちらのキリストさんも古そうです。


こちらはまだ新しい感じですね。


イコンのほかにもこの天井からのシャンデリアが素敵ですね。


さて、お次は・・・中庭に出見てみました。



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オリーブ工場は元お屋敷??(サラミス)

2011-02-18 19:50:21 | キプロス
今朝は大雨。で、昼間は予報どおりの晴れ・・・だけど風が物凄く強い。

夕べは生暖かかったせいか、なんと池のカエルが活動を始めて初鳴き!あんたたちよっぽどお腹が空いてるの??

今日の大臣の会見、いやになってしまう。調査捕鯨の中止。
いえ、鯨云々のことじゃないんです。やになっているのは。外交姿勢です。
だって、鯨云々を文句言ってる団体って、海の『やくざ』でしょ?暴力に訴え、しかも代表の湾マンショー。どこかのマスゴミのような団体。やらせあり、脅しあり、過剰演出あり。

そんな団体の抗議に屈するなんて、屈辱的とは思わないんでしょうかね?ここの政府の方々は。
情けないを通り越して、○カじゃなかろか・・と真剣に思います。

外交もへったくれもあったもんじゃありません。ヤクザの脅しに屈するような卑劣なことしか出来ないのかとあきれはてて・・エジプトじゃありませんが暴れたくなりますね。

○12月31日(金)

サラミス遺跡のなかをまだ彷徨っているkおばちゃん。
でも、たよりの(勝手にたよりにしてるだけだけど・・)3人組はさっさとお次に向ってしまいました。


で、ここKampanopetra(campanopetra)の聖堂まで来たら、さっきの3人組の他にも観光のお客さんがいるのをみつけて、安心しました。
きっとゴールは近いんだ!ってね。

お次ぎの見学場所は・・あそこですね。


このような案内板がありました。

『オリーブ挽きの建物』とでもいうんでしょうかね。

そう言われても殆どが廃墟の遺跡です。


先程の神殿、とか聖堂とか言われる遺跡にくらべるとたしかに空間が狭いです。


そんな空間の一つにこのような屋根のようなものが係っておりました。

なんだろう・・と中に入ってはみたのですが・・今ひとつわかりません。なにが大切なのか・・

ここはかつてローマ時代はお屋敷として使われていた2階建ての建物だったそうです。


で、その後放棄され・・建物はオリーブの工場として再び利用されたということらしいです。

中庭でしょうか?こんなものが放置されていました。

これはオリーブを挽くなにかでしょうか??判りません。

それにしても、なんであそこに屋根がかかっているのか・・謎のままです。


もう少し先に進むとこのような看板がありました。

『Port street』港への道とでもいうのでしょうか?

石畳がのこっていますね。でむ・・むきが違うか。


この先に港があったのでしょうね。

さて、また二股が現れました。


出口(入り口)の方向は真っ直ぐですね。

あ、これはさっきの野外劇場の客席の背中の部分ですね。


ああ、あそこにあるのは・・コルドバ爺・・じゃありませんけど・・まあアッチです。


左を見ルと・・さっきのギムナジウムの遺跡が見えます。


結局、ショートコースじゃなくてロングコースで見学してしまったんですね。

先程観光バスが止まっていた場所をよくみると、こんなものが・・
おいてありました。

これは梁の装飾部分なのでしょうか?柱の上の部分とはちょっと違いますね。


それにしても体育会系3人組のストーカーをしてへとへとです。コルドバ爺にころがりこんで・・しばらく休憩したいですが、とりあえず次ぎの目的地を考えるkおばちゃんです。あーー足が棒のようだよ!!
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神様は東の海から(サラミス)

2011-02-17 19:01:43 | キプロス
今日は暖かかったかな?まあ、あわてて朝、薬を飲んできたのでなんとか治まっています。お鼻のほうですが。

昨日ニュースを聞いていて・・判らなかったのが、高速道路の通行料金のニュースでどうして一般人(レジャーで車を使う人)の話ばかりするかということ。
だって、高速道無料化っていうのは、そもそも物流コストを押さえる効果うんぬんかんぬんをM党さんは唱えてたんじゃなかったっけ?
それを、マスゴミもすべて忘れたふりして、一般使用者の利便性ばかり言うんでしょうね?
そもそも、物流コストはどうなってるの???

なんかこれも、有権者へのばら撒きにしかおもえないんですけどね。
高速道利用の一般利用者の経済効果なんて殆どないんじゃないでしょうかね?香川の人が言ってました。
高速が値下がりして関西圏から車にのってくる観光客はただ『うどん』を食べにくるだけで、宿泊もしなければみやげ物も殆ど買わないとか。
土日の交通量が増えただけ。地元の経済効果なんかまったくない・・ってね。

たぶんそんな程度の感じでしょうね。

ガソリンの消費と空気の汚染に拍車をかけるだけだと思いますけどね。

○12月31日(金)

さてさてサラミス遺跡をさまようkおばちゃん。
勝手にたよりにしていた3人組の姿が・・・

あ。いたいた!よかった!!こっちでよかったんですね。


おお、これは海の方向に歩いているんですね。あの向こうに見えるのは・・もしかするとヴィローシャVaroschaと言う町でしょうか?

現在はゴーストタウン。それは例のキプロス紛争の勃発のために、所有者のギリシャ系キプロス人が帰れないから・・もぬけの殻の町になっているとか。

おっと、うかうかしているとまた迷子になります。ストーカーのkおばちゃん、頑張ります。


すると、目の前にこんな光景が現れました。


さっきの遺跡よりはまだ『遺物』が多いようですね。


でも、大きさはさっきのアゴラの半分もないかな?


そして、冒頭の画像のように海から直ぐ側の場所にあります。

一番海に近い東側だったとおもいますが、このようなモザイク模様が残っています。

ちょっと大きくしていましょう。


ここは案内板によるとKampanopetra(campanopetra)の聖堂とでもいうんでしょうかね。

5世紀後半ユスティニアヌス1世 Justinianus Iの頃建てられたものだそうです。その当時キプロスで一番美しいキリスト教の大聖堂だったようです。
大聖堂だけではなく、その付属物として集会場や宿泊施設も備えていたんでしょうね。

ただ、その建築物は後に17世紀のアラブ(オスマン)の進入によっては会されてしまったようです。

この辺りは南方向でしょうか。壁も少々残ってます。


初期キリスト教にとってはキプロスはパウロ最初の宣教旅行の同行者バルナバの出身地キプロスのサラミスに到着した・・とあるように大切な場所だったのではないでしょうかね。

南側にはこのようなところもあります。

ここに残っているこの四角い長細い箱状の物はなんでしょうね?


中味はからっぽですけどね。

脇にはこのような小さなお花のような彫りこみがありあました。


ここは1964年からリヨン大学のフランスチームが発掘調査していたようですが、例のキプロス紛争で1998年1月まで中断されてしまったようです。


海のそば・・そしてこの海の向こうはエルサレムへと続いています。約200キロほどでしょうか?
だから、このあたりかもしれませんね。パウロが上陸して伝道を行ったのは・・


神様は東の方向からやってきたのかもしれません。

足元にはこんなちいちゃな植物も可愛い可愛いお花をつけていました。


あれれ・・また3人組を見失ってしまったkおばちゃんです。
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アゴラの賑わいは・・(サラミス)

2011-02-16 19:39:01 | キプロス
今日は一日だけ暖かいとか・・ま、今朝は未だ庭の片隅に雪のかけらが残ってたけどもう大丈夫ね。

エジプトの大統領の辞任についてへーーとおもう記述をみつけた。
それは『なんであの日数、18日間もかかったか。ということ。海外のメディアによる解釈だと、その間に財産の保全および移管を行ったというもの。

30年間にだいぶ蓄財をしていたようで、その殆どは外国にあるんでしょうね。
スイスの口座は凍結を既にされてしまっているようだけども、18日間に必死に保全をはかったという解釈。

ま、真実はしらないけで、日本のマスゴミの解釈と偉く違うんで、へーと思ってしまったのでした。
どっちにしてもkおばちゃんには関係ありませんけどね。

○12月31日(金)

さて、さてサラミス遺跡のロングコースの見学に挑んだkおばちゃん。本とは3人組のストーカーなんですけどね。

ここはSt.Epiphaniusの教会?跡のようです。


このEpiphanius氏は403年に没した司教だったようっです。もちろんキプロスで活動していたようです。この建物は4世紀の終わりから7世紀とありますね。


この広場を去った後に向ったのは・・

こんなところです

ここは・・ため池というのでしょうか?


案内板によるとこんな感じで、ここはある部分の一部だそうです。

上から見るとはこんなです。


これを通って水が溜められたのでしょうか?

おお、kおばばちゃんのストーカー対象の3人組がいってしまう・・


彼らに金魚のなんとかくよろしくっついて歩いているkおばちゃんです。

でも、彼ら歩くの早いんですよね。それに冬なのに半袖半ズボンです。

ここはアゴラと呼ばれる広場だったところのようです。

その一角にさっきのため池もありました。冒頭の画像もうそうですが・・広いです。


確か、昨冬訪れたエフェソス(トルコ)の遺跡にもアゴラと言うものがありましたね。
アゴラとは古代ギリシア都市国家の中心街にある広場,市場のことで、市民の経済・日常生活の中心に位置づけられるところでしたね。

でも、ここは今はkおばちゃんと3人組さんだけしかいません。往時はさぞ賑やかだったと思うんですけど。
入り口そばの遺跡に比べたら・・寂しいですね。

さっきのため池と反対側に小高いところがあります。


ここはゼウスの神殿と呼ばれたところだったようです。


ゼウスの神殿・・つまりヘレニズム時代の権力の場所、だったのでしょう。片隅にこんなものがころがってました。


石と石の間になにやら沢山落ちてます。


よーく見ると、木の実のようです椿の実のちいさいような・・これはなんでしょうか?

この様にアゴラと段で区別され、高くなっています。

てっぺんから反対側の貯水池の方向を眺めます。


おお。もう彼らは戻ってあちらの貯水池まで行ってしまいました。


迷子になりたくないkおばちゃんは必死に追いかけます。

貯水池の側に1本だけ柱が残っています。

上部の飾りもはっきり残ってますね。


大変大変!彼らを見失いました。たぶんこっち・・に行ったんだと思うのですけど・・


おーーい。まってくれーーと叫びたいkおばちゃんです。
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右にしようか左にしようか(サラミス)

2011-02-15 23:38:21 | キプロス
夕べは雪が降ったのです。帰宅途中傘に降り積もる雪の重みを感じて、やっぱり雪国の雪下ろしは大変だな・・とつくづくオア思いました。

政治のほうは相変わらずどたばたしているようで、今日も帰りに通りかかったいま渦中の人が良くご利用になる中華レストランのまえに、報道がたむろしているのを見て・・ああ、ここで懇談してるのね。と。
どっちにしても、馬脚を現すとはこのことか・・と思っています。
選挙の時は擦り寄っておきながら、旗色が悪くなると逃げてしまう・・M党さん。やってることはJ党さんと変わらない・・というかもっとたちが悪いと思ったkおばちゃんです。

○12月31日(金)

さてコルドバ爺のところ出少し身軽になったkおばちゃん。またサラミス遺跡Salamis Tiyatrosu の見学を続けましょう。

さっきは野外劇場に気をとられてしまってここは見過ごしたような・・


円形劇場Amphitheaterですって。

このあたり・・なんでしょうけど、ローマ時代初期に建設されたようですが6世紀の大地震で壊れてしまったそうです。


野外劇場を通り過ぎて、こちらはローマ時代のお風呂跡。


こんな感じで配置されているようです。

ここの石組みは・・さっきの劇場の崩壊した石を持ってきたのでしたっけ?


ここを見学しようと思ったら・・さっきの団体さんのメンバーのお一人の女性がひょっこり現れました。あれれ?一人??
と思ったら・・さーーとカメラで撮影するとあわててバスのほうへ・・きっと、ちょっとの自由時間をさいて見学にきてらしたのでしょう。

それともう一組・・突然遺跡のなかからぬーーとあわられたのは3人組。親子でしょうか?
最初はびっくりして固まってしまったkおばちゃんです。

びっくりしたkおばちゃんですが・・彼らを見て・・とっても確かな足取りで歩いているのを感じました。まるで慣れてる!!
ガイドブックもみていないし、(kおばちゃんはかじりついてます)地図ももちろん見てません。

で、冒頭の画像のような案内板のところに来ました。

文字のところを大きくするとこんな感じで書いてあります。右に行こうか左に行こうか迷いました。


つまり、左はショートコースの見学で、こちらは終わったのではおしまいなので。
右に行くとロングコースになります。どうしようか・・とまよっていると、さっきの3人組さロングコースに向かってゆくのはみえました。
で、とっさにkおばちゃん彼らについていくことに決めました。

ロングコースはまづはここからです。

こんな道が続いています。


これやローマの並木道colonnadeだそうです。
並木というよりは列柱通りですかね。

こんな道を彼らはすたすたと歩いていってしまいます。

ああ、なんと体育会系の人たちでしょうか。

石畳道は終わってこんな道になりました。

道端にこんな植物が生えています。まるでブロッコリーの茎ににんじんの葉っぱがついているようです。

こんなところに到着です。


7世紀のビザンチンの壁だそうですが・・

壁??


そしてこちらは・・・


花崗岩のフォーラムgranite forum?うーーん、そういわれても・・

そしてこちらは・・さっきのところよりも状態がよいですね。



さっき団体さんが見学していたエリアに比べると・・損傷が激しいのか、発掘の手が及んでいないのか・・ですね。
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劇場は団体さんにも人気(サラミス)

2011-02-14 19:42:38 | キプロス
今日は・・花粉症の症状がこの季節きってはっきりと出てしまった。いよいよ本格的シーズンに突入。

エジプトの騒動はなんとか鎮静化?判ったような判らないような結論。
だって、軍事政権のバックは元大統領でしょ?元大統領はあくまでも『辞任』したくなかったんでしょうね。男のプライドというやつで。
でも、このままでは収拾がつかない・・ということで、とりあえず軍隊に政権を委譲して『辞任』という格好をとったように思います。

もともとは、元大統領がその政権を『息子』に委譲する道をつけようとしてのが発端なんじゃないでしょうかね?
臨時といわれて30年。しかもそれを『世襲』するようなかっこうに持っていこうとした。
しかもエジプトの平和は、アラブのせかいでは珍しく強い結束の『軍隊』があるから。で、だれも『悪口』言えない。それだけ『軍隊』に手厚い予算を組んでいたんでしょうね。

自由に物言いが出来るようになるのは良いけれど、段々イスラム色がつよくなってゆくのも考え物。ということでしょう。
昨日もお仲間との話で、結局日本の場合は自然が『防衛』してくれてた国家でズーーと来てしまった。民主主義だって『与えられた』もの。だからありがたみも判らない国民になっているんでしょう。
平和ボケのkおばちゃんもたまに外国に出かけると、日本の国のありがたさがひしひしとわかります。

○12月31日(金)

さてさて、サラミス遺跡の見学を続けるkおばちゃんですが・・体育会系の見学は終りにしてお次へと向います。

入り口にはこんな案内版が。

ここはご覧の通り、紀元前1世紀アウグストゥス時代から4世紀まで使われてたんでしょうね。


その形からも判るように劇場です。

何人かもう見物のお客さんがいらっしゃいました。


と思っていたら・・よく見ると『東洋人』です。


しかも沢山・・・西洋人も団体さんでおりました。西洋人の方は聞こえてくる言葉は『ラテン語』系の言語です。スペイン?イタリア??
東洋人は・・最初は判りませんでした。何処のお国か。
向こうも『じろじろ』とkおばちゃんを見ます。うーーん。このじろじろ視線は・・多聞にニッポン。
そうなんですよね、K国や今経済状態の一番良いC国の団体さんは、すごく『やかましく』自分達のことに一生懸命。すれ違う東洋人のことなんかあんまり気にしない。もしくはニッコリと『銅法的挨拶』をしてくるんですけど・・わがニッポンジンは『こいつダレだ?』的視線をもろに投げかけてきます。

階段ですれ道を譲って下さったご夫妻に『ありがとうございます。』と日本語でお礼を言ったら、『あら日本の方ですか?』と聞かれてしまいました。おまけに『何処のツアーですか?』とのこと。
『いえ、ツアーじゃないんですよ?』とお答えしたら『何処からいらしたんですか?』と聞かれてしまいました。
一番難しい質問です。『今日何処から?』とか『日本の何処から?』とかいう質問なら直ぐにお答えできるのですが・・相手が何を知りたがっているのかわからなくって。
で、逆に『皆さんはどちらから?』とお尋ねしたら、なんと今日ラルナカ(南キプロス)の空港に着いたばかりなんですって。
で、kおばちゃんは『あら、南からいらしたんですね。私は北に滞在してます。』とお答えしました。

お話したご夫婦はとっても感じの良い方で・・ただし・・団体行動なれしてらっしゃらないのか、見学に遅れてました。
で、ここまでの会話で『ああおいて行かれてしまう』ということでお別れしました。


まあ、こんなところ日本に方にお会いするなんて。とびっくりです。
だって、さっきから見学者はkおばちゃんしかいないのか・・と思っていたからです。

日本のパックツアーもなかなか面白いところを回るようになってきたんだな・・と思ったkおばちゃんです。

とりあえず、一番てっぺんまで上って見ました。下に人がいるのがみえますが、あそこがステージです。


もともとこの劇場の座席はこの倍の高さ位まであったようです。50段。収容人員も15000人。
今の半分の高さでこれですかた・・当時はもっと怖いですね。

この若者達はやはりイタリア系のようでした。右上の方にさっきまでkおばちゃんがいた体育会系の遺跡があります。


先程の団体さん達はみなさんあちらに向ってますね。


これは座席ではなく通路です。

階段状になっており、座席の部分よりステップの高さが低いですね。

この石のテーブルのようなものは舞台の丁度中心部分でしょうか?どうもディオニソスを祭ったところのようです。


皆さんここに腰掛けたりして記念撮影してますね。

この劇場は4世紀の地震で大破し、その崩れた石を使ってローマ風呂が造られたとか。

片隅には腕も頭もとれてしまっている女性像が佇んでます。

こちら楽屋だったそうです。

ちょっと歩いたら厚着をしていたkおばちゃん、暑くなってしまいました。で、コルドバ爺のところに荷物を置きに行ったら、一台のバスが・・


あら、これがあのグループのバスですね。

ホラ日本語が書いてあります。


南も北も自由に行けるようになった『平和が近づいた』キプロスだからできるツアーですね。
kおばちゃんも参加すれば良かったな・・と思いました。
コメント
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