Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

閉館の笛に追い立てられて(ギルネ)

2011-01-31 23:16:18 | キプロス
今日から新しい週のはじまりだけど、1月はおしまい。まったくなんと早いことか。
今朝ものものすごく寒かったのだが・・考えてみたら子どものころはもっと寒かった気がする。
体感温度じゃありません。子どものころの思い出といえば池のに張った氷を棒で突っついて壊したり、朝、庭の霜柱をふんずけて歩くのが楽しかったり・・と思い出があるのだけれど、それだけ寒かったのよね。

寒かった・・という記憶はないので、子どもは元気ということだったんでしょう。
お年を召したkおばちゃんは、このところの寒さは骨身にしますです。

そういえばエジプトの混乱。
アラブ国家の中では西よりだっただけに、アメリカは足がかりがなくなると大変でしょうから必死でしょう。

しかし、所詮ムスリムの国。私たちの常識が通用しない国であることは覚悟しておかないとね。

○12月30日(木)

ギルネ城の観光・・まだ続きます。だってまだ見てないところが・・お次に向かったのはここ。


ベネチア時代の塔です。ここはちょっと不気味です。なにやら動物の叫び声のようなものが・・


どうも、アニメーションで『竜』を映し出して、音響もつかっているようですが・・残念ながらアニメーションのほうは不調で、kおばちゃんには見えませんでした。

ちょっとぼけてますけど・・ギルネ城のこのあたり、赤い部分です。


丁度城壁の中を下ってゆくような感じです。

そのドン詰まりにはこんな方がおりました。

火薬の調合デモしているように見えます。

そして、彼の左側にはこのような窓がありました。


あれ??あそこに見えるのは・・車のバックランプ??

ということは・・ここは道路と同じレベル・・ということですね。

この窓の反対側にも通路が続いていて、しばらく進んでみましたが・・迷うと困るのでやまました。

さらに足元にはこのような穴があいています。


ちょっと深そういうか何層にもなっていそうですね。

このベネチアの塔を出て、さっきの地下牢のあった方向の脇にも入り口があり通路があったので進んでみます。

あら、窓が開いていて外が見えました。

ここはさっきこのお城に入る時に渡った橋の上からみえていたところですね。

丁度この下の部分の窓からの眺めでしょうね。


さて、他にも見てないところがありますね。あ、さっき城壁の上からみたときにくっついて見えた国旗です。


この先を進むと・・また展望台のような塔の上に出ました。


ここからの眺めは旧港沿いに立つ建物と


旧港の外に向かって銃先をむける武器です。


ここからは旧港全体が見渡せます。


もう少し上まで登れそうです。先ほどいた場所は、あんなところですね。


反対側は新港です。あら、比較的大きな船が停泊してますね。


フェリーでしょうか?そういえばここギルネはトルコ本土から定期フェリーの航路があるんですよね。


でも、真冬の地中海は荒れますから・・かなり大変ですね。フェリーの移動は。

あら、あんなところに人がいます。登れるんだ!行って見ましょう。

もう少しで到着というところで・・突然の『帰れコール』が!!

いえ、本とは突然ではなかったのです。その前から『何かを叫ぶ』声がしていたのはしっていたのですが・・
『何か』とは『閉館です!』コールです。女性職員たちが大きな声で叫んで回ります。
放送設備なんかはありませんからね。

で、聞こえないフリをしていたわけではないのですが・・もう少し・・なんて思っていたら、今度は『声かけ』だけではなく『ピー』っと笛を吹き始めました。ああ、だめだ!残念無念!
あそこまでもう少しですが・・逆に気付かれずに閉じ込められたら大変!!なんせ守りは堅牢そうですからね。

しかたありません。皆と一緒に帰りましょう。
それにしても・・今日は閉館時間が遅かったみたいです。
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宗教の違いの影(ギルネ)

2011-01-30 19:17:20 | キプロス
今日はほんとに寒い。
結構お急がしの一日。久しぶりに愛車にも乗りました。まったくレンタカーばっかりじゃねえ。
いえ、エンジンがかからなくなるんじゃないか・・と心配でしたよ。

今晩はますます寒くなりとか。困ったことです。

サッカーのほうもkおばちゃんが応援しなかった、いえ、感染しなかったおかげで?無事勝利。
だいたいkおばちゃんは貧乏神なのか、応援してるチームが負けることになってるので、感染しないほうがよろしい・・ということです。

それにしても・・一日が寒い・・・・

○12月30日(木)

城壁から降りたkおばちゃん。とりあえず手近なこちらに入ります。『Lusignan時代の地下牢』だそうで。


いきなり現れたのは冒頭の画像のおっさん・・いえ、人形です。
どうやら牢番のようで、キプロスの名産ワインを飲んで酔っ払ってらっしゃるようで目が据わってます。
牢番ということはここは『監獄エリア』でございましょう。

この不気味な松明の下にあるのは・・地下牢のようです。

そこにはなんと・・女性が裸で横たわっています。


彼女はお名前をジャンヌL’Aleman, Joannaさんとおっしゃるそうで、Lusignan朝のピエール1世Pierre I de Lusignan のお気に入りの愛人だったようです。
ピエール1世の留守の時に彼の2番目の奥さん、アンゴラのエレノア Eleanor of Aragonによって投獄幽閉されたそうです。
この時ジャンヌさんは子どもを生んだそうですが、その子どもも殺害されてしまったということです。

帰還したピエール1世によって、彼女は投獄をとかれ、女王は王の怒りを静めるために教会を経てたという伝説があるそうです。
その場所は南部のパフォスのそばの・・その名もLeman村だとか。

いずれにしても女の嫉妬は恐ろしい・・ということでしょう。

そしてさらにグロテスクなのはこちらこちらは、どうみてもキリスト教の邪悪な面をクローズアップさせているとしか思えません。

これんなかまだ可愛いモンです。でも、これも例の、アンゴラのエレノアがらみのことだそうです。


王の留守中に王妃がRoucha伯なんかと良い関係になったらしい・・ということを王様に報告してしまったとされるジョン・ビスコンティJohn Visconti騎士。そのことが王妃の耳に入ったから大変!!
名誉毀損で訴えられて、これもまた地下牢に投獄。ブッファベントBufavento城に送られたあと、飢えに苦しんで亡くなったとされています。

中世の刑罰はたしかに私刑に近いようで非人道的であったようで、教会、保安官、王、領主なんかが勝手に裁いている感があります。

前述の2人の刑罰にしたって・・でも、彼らはまだ『地下牢』なので覗かないとみえませんが・・目に付くとろにあるのは例の画像です。
特に、あの大きな糸車のようなものに貼り付けられている男性を残忍に見つめている僧侶の手にある十字架が・・なんとも『見せしめ』のように見えてしまうのは、kおばちゃんの考えすぎでしょうかね。

キプロス紛争の大元だって宗教間、民族間の対立だと思います。
イスラムの世界に組み込まれてしまった北キプロスならではの展示かと思ったしだいです。

さて、今度はあっちに行って見ましょう。
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記念写真スポットは城壁の上(ギルネ)

2011-01-29 21:45:54 | キプロス
今日も寒かった。
今年に入って実は新聞をとるのをやめたのだけれど・・・今日、販売員の訪問でくじけてしまった。
いえ、販売員の泣き落としにかかったのかな。『この地区の配達員は奨学金の女学生になったんです』っていう。

本とか嘘か・・わかりません。
でも、確かに奨学金で進学している学生さんたちが配達しているのも知っている身としてはいたいところを付かれた。

紙新聞はほとんど翌日まで読まなくて、ただの新聞紙になってしまっていたんですけどね。

ちょっと偽善者になってみたくて、契約してしまったおがばかなkおばちゃんです。

○12月30日(木)

ギルネ城の観光を続けるkおばちゃん。
△カと煙ではありませんが・・高いところが好きなkおばちゃんは、城壁の上に登れルようなので向かいました。

ぞれにしても港の外は荒れてますね。

西の山に太陽が迫っていますね。早くしないと日没になってしまいます。


この角度から見ると『旧港』と城の位置関係がわかりますね。


丁度さっき見学した塔の上にあたります。皆さん記念写真を撮影してらっしゃいます。冒頭の画像もね。


記念写真のバックの先にあるのは旧港の入り口の灯台。


こちらはkおばちゃんのお宿のある方面です。その手前に『新港』がありますね。


こちらのほうは南の方角。山の向こうは・・あちらに歩いてゆきましょうね。


西の山に太陽がかかってます。


城壁の上は手すりこそ付いていますが・・足元は非常に悪いです。

あら、あちらにはためいているのはトルコ共和国と北キプロス・トルコ共和の国旗です。


それにしても・・風が回っているのか旗がくっついてまるでこの国そのものみたいです。

いよいよ日没が近づいてきました。


まだ城壁を一周はしてませんけど・・このあたりで下に降りて他も見学して見ましょう。


あ、またあの塔の上で記念写真でしょうか?
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塔は防衛の要?(ギルネ)

2011-01-28 19:03:02 | キプロス
本日も寒い一日であります。
本とは税務署にゆきたいんだけど・・御用が終らなくってだめでした。
いえ、鶴丸さんの関係で価値損失にかんする・・なんて証明書をもらってしまったので、これで確定申告すれば戻ってくるかと期待してのことであります。
少しでもとり返そうと言う魂胆であります。

昨日も利用しましたが、確かに平均年齢が若返った感じ。
人件費の高いクラスの方々は引退されたんでしょうね。パイロットのお声も若気・・気を付けて飛んでくださいね。

○12月30日(木)

ギルネ城の見学は未だ続きます。だってせっかく入ったんだからね。
標示に従ってゆくと・・そこは塔です。
Lusignan朝時代に建てられた部分ですね。まずは上部から見学しましょうね。

中に入って目をひくのはこちらの皆さん。

このギルネ城を支配した人達の家臣というか衛兵の人形でしょうか。
一番左側が、ついこの前まで宗主国だったイギリスだから・・反対側の一番右側が東ローマ帝国Byzantiumのものでしょうか??誰か教えてください。

塔の内部は非常に広々としています。


そして窓のところにはこのような、イスとテーブルがおいてあります。

窓の外には地中海です

そしてそんな景色を眺めながら・・一休みでくるんですよね。


現在はガラスが埋め込まれていますからそんなに寒くはありませんが・・昔はどうだったんでしょうね?

お次は塔の下の部分に向いましょう。


位置関係はこんな感じです。


ボケてますけど、左側は塔を横から見た図ですね。


こちらも人形の展示で・・武装してますね。


一通り塔の見学を終えたkおばちゃん。外に出ましょ。といっても中庭ですけどね。


おフランスの寒さがウソのようなキプロスの気候。ハイビスカスが咲いておりました。

さてお次は○カと煙りではありませんが、高い所に上って見たくなったkおばちゃんです。

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古代からの歴史(ギルネ)

2011-01-27 23:59:56 | キプロス
今日は粉モンの町まで出稼ぎ。
マイルを稼ごうと飛行機に乗ったのだが、行きはバードストライクでちょっと遅延。
帰りは早くつきすぎて、使用スポットにまだ前の便がいるということで待機。
鉄道のようにはゆきません。

それにしても、日本の飛行機会社はご丁寧。
いちいち状態を機長自らアナウンス。この前のCDGのおそらく霧のための待機のときなか何にもアナウンスなかったよな・・

たかが5分10分のことでね。なんだか日本人は甘やかされすぎてるんだと思うkおばちゃん。
それにしても、行きの飛行機は満杯だったね。景気が回復したのか??

○12月30日(木)

ギルネ城の見学はまだまだ続きます。
難破船博物館だけじゃありません。場内に展示してあるのは。ここギルネの古代史をいろる物もあります。


こんな感じで人類は生活していたんでしょうね。


遺跡から発掘された品々でしょうね。


そしてその遺跡のある場所は・・意外と真ん中で山の近くの赤い部分は今の首都レフコシア(ニコシア)でした。


古代か遺跡がありのはギルネよりも左側(西側)の大きく湾曲している湾の上部の地域のようです。Akdenizという集落の側だと思います。

ここによいると最も古い遺跡は南部キプロスのKhirokitiaで新石器時代の紀元前7000‐6000年のモノといわれているらしい。
北部キプロスはギルネの東側のAyios Epiktitos(Vrysi)というところ約紀元前4500年に居住の痕跡があるようです。

ギルネの西側にあるLapithosも重要な遺跡があるようですが・・・キプロス紛争のあと発掘調査はトルコ側の手になったのでどうなっていることか・・と心配してますね。

こちらはもう少し時代が進んだころの村のお墓でしょうかね。


そしてその場所からの出土品でしょうか?これは何??と思ったら


冒頭の画像のように火を灯す道具のようです。

これはとても巨大なオブジェとしておいてありました。
で、ここでトルコ人のモラルというか・・高校生ぐらいのグループが1眼デジカメで撮影大会よろしく、モデルにおのおのがなってこのオブジェの前で撮影していたのですが・・
このオブジェの前には『立ち入り禁止』のロープが貼ってあるのですが、皆さん堂々とそれをまたいでオブジェによりかかったりして撮影。

学生どうしてこうだということは・・周りの大人も平気でこういうことをするのでしょうね。
昨年、トルコ本土で運転するに当たって注意するように言われたことを思い出しました。
『トルコ人、平気で一方通行逆流してくるから・・』
ルール無用!ということですね。

これからユーロ圏に、ヨーロッパ経済圏に入れてくれ・・と言っているならば、この辺のことから直していただかないと、第二のギリシャになってしまいそうですね。
あ、もっともムスリムのトルコはキリスト教圏仲良しクラブのユーロ圏には入れてもらいえないか。。

最悪感のひとかけらも無い姿を見て・・なんだかなあ・・とおもったkおばちゃんです。
古代史サイトで、トルコ側の手に移った発掘現場の盗掘なんかを心配する気持ちがわからなくもありません。

さて、お次はあっちですね。
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日本にもあるギルネ(ギルネ)

2011-01-26 19:03:02 | キプロス
今朝も寒かった。寒いとのろのろと仕度をするので、結局何時も最後はあたふた。
まあ、これは性格かな??

モスクワの空港爆発はやはり『自爆』によるものらしい。
今、書いている先日の旅行の時にも思ったこと。それは、北キプロスもそうであったけど、空港に入るのが偉く厳しいということ。

空港ビルに入るには、とにく誰でも機械による『荷物チェック』および金属探知ゲートをくぐらないと入れないということ。
だから、出迎えに来ている人も『建物の外』で待つしかないようです。

もちろん、チェックインカウンターのある階でも同様。建物に入るところに全てゲートがあった。
多聞、イスラム圏はみんなそうなのかしら・・なんて思ってるんですけど??

モスクワのような事件があると、やっぱりあの誰でもチェックすると言うほうがより安全かな?なんて思ったkおばちゃんです。

○12月30日(木)

さて、ギルネ城内にやっと入った感じです。


四方をぐるりと石壁が囲んでいる中庭・・のようになっています。


とりあえず、あそこの入り口から入って見ましょう。


ここが入り口です。

Shipwreck museum難破船博物館ですって。

あ、船の形場見えますね。


これは、難破船を発掘研究していたときの写真でしょうか?


このように積み荷を積んでいたんですね。


このような壺を沢山積んでいたようです。

こちらは引上げられた難破船そのもののようです。

この船は紀元前4世紀のギリシャの商船だそうです。
1965年11月にギリシャ系キプロス人のダイビングインストラクターAndreas Cariolou氏によって嵐の中発見されたそうです。しかしながら、なにぶん嵐のなかの発見。その後正確な位置の割り出しまでには2年の歳月がかかりダイビングを200回以上行わなければならなかったとか。

その後、ペンシルバニア大学のMichael Katsev氏の引きいるチームによって70年から引き上げ調査と保存が行われたようです。ただし、その間に起こったキプロス紛争で作業は中止されたこともあったということです。

船全体の形はこんな感じらしいです。


船に積まれていた品々でしょうね。葡萄の種、オリーブの種、そしてイチジクの種でしょうか。


いずれも今日でもここ地中海沿岸でさかんに栽培されている植物ですね。

当時の海易航路図でしょうか。ここキプロス島とロードス島の交易船だったのでしょう。


こんな感じの船だったのでしょうね。


紀元前4世紀のころのこのギルネの港の様子でしょうね。


これが発見当時の写真だと思います。


ギルネ城の沖合いに2000年以上の時を見つめて沈んでいたのですね。


ところで、この難破船ですがなんと日本のこの復元船があるそうです。
もちろんここを見学しているときは全然知りませんでした。まあ、いつもの『後から学習』ですけどね。

キレニア号という名前がついているそうです。キレニア・・って発音だそうです。トルコ語読みじゃあないんですね。
この復元船が展示されているのは福岡市博物館だそうです。HPによると、アジア太平洋博覧会に出展されましたものだったようです。

復元船を製作した会社のHPにもその様子がちょこっと載っていました。これはキレニア3号といったところのようです。

2004年にはその後に建造された復元船にオリンピックの銅メダルに使用される『銅』の積荷を積載し、紛争相手国であるギリシャで向けて出航したと言うことです。
きっと、紛争解決の兆しがみえる出来事だったのでしょうね。

それにしても、日本にこの復元船があるとは思わなかったkおばちゃんです。
今度、チャンスがあったら是非見て見たいと思います。
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観光に出発!(ギルネ)

2011-01-25 19:10:18 | キプロス
夕べは久しぶりにお湿り。多聞あれくらいじゃ直ぐに吸収されちゃうほどの乾燥状態だと思うけどね。

今朝、通勤の途中で手袋を出そうとしたら・・片方しか見つからない。あれ??
家に忘れてきたかな??なんて出勤したら・・イスの上にありました。
つまり、夕べかたら忘れていたということ。まったく今朝になって気がつくんだからね。

モスクワの空港でテロがあったとか。
kおばちゃんはモスクワの空港は利用したことがないけれど、手荷物受取場所とか。ということは、その荷物は飛行機で運ばれてきた・・か、少なくとも厳重な検査をくぐって空港に持ちこまれたと言うことですよね。
となると・・荷物検査の意味が吹っ飛んだということ。何だかね。

民族関対立のテロか、イスラム系のテロか未だわからないといっているけれども、昨年のモスクワ地下鉄テロもチェチェン関係の女性自爆犯による事件だったと思うけど、今回もそうでしょうかね?

また思い出してしまいました。この番組
前にも書いた通り、夜中にむっくり起きて偶然に見てしまった番組です。
『黒い未亡人』と呼ばれる彼女達。未亡人の名が示すとおり、一度は結婚した女性。
純潔を尊ばれるイスラム教では、彼女達のような立場になってしまったら『アッラー』のために働くことこそ偉大な行為と叩き込まれて実行するのでしょう。
何だかな。同じ女性として生まれて、そう言う考え方の環境に生まれ出なかったことを幸せに思わなきゃいけないなんてね。

いえ、『黒い未亡人』が実行したとは未だ決まってませんよ。

○12月30日(木)

さて、お腹もいっぱいになってお昼ね・・とゆきたいところですが、せっかくここ北キプロスまで来たんですからね。観光しなきゃ!

でも、kおばちゃんの本命はここからちょっと離れた場所なので、今日はちょっと無理・・とあきらめました。
その代わり・・と言うのもなんですが、kおばちゃんの滞在しているギルネGirneはこの国では結構な都会なのです。

その歴史は・・もちろん神話の世界からあります。紀元前10世紀には人の居住があったとか。
そんな中でもアルカディアArcadiaから来たケーペウスKepheusがこの町の祖とされているようです。

ですか歴史的?観光地でもあるんですよね・・手持ちのガイドブックはそれこそ2年前にキプロスを訪れたときに利用したもの。それをもって出発です。

で、とりあえず町の中心地と思われるところにパーキングが在る印がガイドブックにあえるので、それを捜してコルドバ爺を駐車です。


北キプロスも南のキプロスと同様、レンタカーは赤い色のナンバープレートで、一目瞭然です。
忘れない為に画像を撮っておきましょう。

かなり大きな駐車場です。


ここで、駐車するお客さんを見ていて・・あれ?と思いました。観光客というよりは地元の人が多いようです。

何故かというと、ここから一番近い観光地は海側にあるギルネ城Girne Kalesi- Kyrenia Castleですが、皆反対側の方向に歩いてゆきます。

kおばちゃんはとりあえずお城を目指します。でも・・そこに見えてるけど・・行く道がわかりません。

うろうろして駐車場の片隅冒頭の画像のような建造物を見つけました。
後で調べたら(いつもですが)どうもここはオスマン時代の墓地につくられているようです。

駐車場の周りをうろちょろしてやっと下に降りる道を見つけました。


城壁沿いに歩いてゆくと・・海が見えてきました。


昔のギルネ港でしょうね。お城の付け根にあります。現在はヨットハーバーのようです。


あら、港の向こう側は随分と賑やかですね。ホテルの看板が沢山見えます。


さて、本命のお城はここから登ってゆくようですね。

アラ、大変。冬場は開館時間が短いようです。急がなくっちゃ。1時間くらいしかないかしら。

受付で入場券を購入し、石橋を渡ります。石橋の下はkおばちゃんがさっき通ってきた道です。

上から海を眺めると・・結構波が高いですね。地中海性気候というやつでしょうね。


さあ、この入り口から城内へ入ります。

まだ城壁の間というところにこのような看板がありました。ビザンチンの教会?

元々このお城はビザンチンの東ローマ帝国の時代7世紀にに、アラブの覇権を得る為に造られたものが基礎になっているとか。
その後、リチャード獅子王が三回目の十字軍遠征のおり、1191年に中継地として利用したんでしょうか?自らここの皇帝であると宣言したようです。その後、彼はここをテンプル騎士団に売り払ってしまったとか。

案内板によるとここは『聖ジョージ教会』だったとかです。その当時の建造物のようです。
といっても今は昔の物語

構造物として残っているだけです。

どうも、内部のドームは英国統治下の時代に再建されたもののようです。

これが城壁内の外側です多聞こちらがビザンチンのオリジナル??なんて思うのですけど。

更に城壁内を進むと、このような案内板がありました。

青い色の部分はビザンチン時代のモノ、赤色の部分は10世紀のフランス系のリュジニャンLusignan朝時代のモノ、グレーの部分はその後のベネチア帝国時代のもの。
そして濃い青色はオスマン帝国時代のモノ、最後の茶色の部分は英国支配の時代のものだそうです。

そしてこの通路の傍らになにやら古いものがおかれています。


これは1570年にギルネを征服したオスマン帝国の提督サディックパシャSadik Pashaのお墓だそうです。

さあ、あそこをくぐれば本当の城内に入りますね。

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頑張るコルドバ爺?(ギルネ)

2011-01-24 23:47:45 | キプロス
数日前見ていた番組で、『パリ北京クラシックカーレース 』というのをやっていた。
世の中には面白いレースもあるんだな・・と何気なく検索していたら・・来年2013年が次回の開催だとか。
HPによると、ただいま募集中。
ただし、この募集記事・・どこにもお値段が書いてないのよね。

参加費には全てのサポートを含む、とか宿泊料金を含むとか言うような表現はみえるんだけど、『幾ら』という数字が見えてこないんですけど。

いえ、宝くじでもあたって、万が一にもクラシックカーなんてものが手に入ったら参加してみたいとは思うけどね。幾ら必要なんでしょうかね?
kおばちゃんの予想だとお一人様200万程かな・・なんて思うのですけど足りないかな・・
それに次回のコースは昨年とは違ってロシア、ポーランド経由。スロバキア、オーストリアもかすめるようで・・見物するだけでも面白いかな?

6月16日にパリのゴールだそうです。

●12月30日(木)

なんとか今晩のお宿まで辿り着いたkおばちゃん。日付はとっくに翌日、午前1時になっておりました。
今晩からのお宿は、ここ北キプロスの一大産業?でもある『カジノ』が併設されているので不夜城。だから夜中でもチェックインできる・・と踏んではいましたが・・さつが疲れました。

北キプロスのホテルはネットで探すのは苦労しましたよ。以前は超大手のサイトも扱っていたのを見たのですが・・今回見つけたのは1社のみ。
小さい英国系のサイトは幾つか見つけましたが・・なんせ『何でもあり』の国だと思っていたkおばちゃん。長いものに巻かれて安全に過ごしたい・・と思ったので比較的大手のサイトにたよりました。
お値段もkおばちゃんのご予算以内の中級のホテルです。
インターネットも使えます。ただし・・有料。1週間で10ユーロ程。ま、いいか。

名前を告げると、全て通じました。やっと一安心です。
タクシーの運ちゃんには、領収書をもらって・・名刺までもらいました。
彼いわく『観光でタクシーの必要な時はいつでも電話してね。』ですって。そうよね、レンタカーの予約がすっとんでますからね。

ボーイ兼ガードマンのようなお兄さんがお部屋まで荷物を運んでくれました。
お部屋はまあまあ、バスタブも付いてます。このあたりは宗主国であったイギリスの影響が残っているのでしょうね。

荷物をといて、お風呂に入って・・結構良い時間です。まあ、明日は早起きしなくていいけどね。

長い一日を終えてベットに入ったのは3時近くでした。ああ、今日も一日ごくろうさまでしたね。

○12月30日(木)

夕べはかなり遅かったので・・目覚めたのは10時近く。
そうそう、ここのお宿は『朝食代別』の格安コースにしたので、今日は朝ごはんはパスするとうもりでした。

ごそごそおきだしたのは良いけれど・・さて今日からどうしよう。
足が無いと・・この島は観光が出来ない。特にkおばちゃんの宿泊してている地域は町の中心じゃないし・・

あ、kおばちゃんが滞在を決めたのはキプロス島の北部の町ギルネ(英語名キレニア)の町外れのリゾートホテルです。

とりあえず、フロントに行って相談してみよう・・と出かけてゆくと、フロントの青年は『そこにいるよ!』とロビーを指差します。
指差した先をみると・・確かにレンタカー会社の名札が・・でも誰もいません。
『あれ??さっきまでいたのにな。あ、お部屋で待っててください。連絡させます』と。
部屋に戻ると直ぐに電話が、『フロントにいますのでお願いします』とのこと。

どうも系列のレンタカー会社のよう。この際贅沢というか、選んでる暇はないので早速色々と質問を・・
まあ、値段もそんなものか・・という許容範囲だし、空港で返却が出来る(ただし別料金)というので、決めることに。カードの支払いも可能だったしね。

で、もって来てくれた車が冒頭の画像の車。
セアトSEAT S.A. というスペインのメーカーのコルドバCórdobaという車です。
このセアトの車は以前、ポルトガルで借りたことがありますね。たしかフォルクス・ワーゲン傘下の会社だと記憶しています。

で、見かけは良いのですが・・・中をみてびっくり!


拡大するとわかりますね17万キロは走ってます。

たいそうなご老体・・中のシートも相当へたれてるし、ハンドルもついるつる。おまけに左側のミラーはヒビが。
昨日の今日なので、車があるだけでもいいか・・と思って文句を言う気力もありません。
それに、前南側で借りた車もそうとうポンコツでしたしね。

『ガソリンは?』との答えに『あ、今は空っぽだからそのまま(満タンにしないで)返してくれれば良いです。』とのこと。『からっぽだから最初にガソリン入れてね』
当然です。

スタンドの場所を聞いて・・早速出発です。だってガソリンは言ってなきゃただの置物ですからね。

とりあえず20リッターだけいれて・・戻ってきました。
次にすることは・・両替えです。フロントで近くの銀行をきき・・徒歩で15分ほどというので出かけました。まだ車になれてませんしね。

銀行は丁度お昼休みのようで・・しばらく待って両替えを頼むと『日本円はできない』との答え。街中の両替え所ならできるでしょとのことばですが、めんどくさかったので銀行のCDでキャッシングをすることにしました。結果的にはこれが一番両替え率がよかった。

ただし・・1万円相当で一日4円の利子が付くことを忘れずに繰り上げ返済しましょうね。

昨日のタクシー代の思わぬ出費で、現ナマ不足していたkおばちゃんもこれで一安心です。

銀行からの帰りは、スーパーを見かけたので見学方々食べ物入手です。Lemarというスーパーのチェーンのようです。

お惣菜売り場があり、かなり興味をひかれ、マカロニグラタンをお買いあげ。
それだけではあきたらず、途中にあったケバブレストランでテイクアウト・・部屋に帰ってがっつきました。


画像をとるのを思い出して・・食べかけでごめんなさいね。

とりあえずスロースタートの一日が始まりました。
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レンタカーが・・ない!!(エルジャン)

2011-01-23 22:11:46 | キプロス
今日もお休み。うれしい!!
でも、そろそろ葡萄のつるを何とかせねば・・また新しいつるがのびてきてしまう・・とばからいに大格闘。少しは運動不足が解消されたか??

夕方つけていたTVから聞こえてきた番組は、なにやら白熱教室の日本版が聞こえてきてところどころ聞いていたのだが・・なんかピントずれてる感しが非常にした。
『自己責任』をめぐる社会システムのありかた・・のような討論なのだけれど、その討論のどこにも『社会保障の原資』の部分に触れていないのである。

『生活保護』のような生存の最低ラインを『国家が補償すべき』のような話にはなるのだけれど、その『保障』は誰が出したお金でまかなわれるのか・・・その部分を討論に含めない限り、聞いていてkおばちゃんには『不毛の討論』に思えましたよ。

片方で汗水たらして働いたお金から『払っている税金』を、働けないのではなく働かなくて生きている人の『生活保障』に使われたらどう思うか・・そこを考えないかぎり不毛だと思うのです。

お国のしている『政策』にはすべてお金がかかり、その原資がなにであるのか認識していない国民が多すぎるとおもうkおばちゃん。
口当たりの良い『何とか手当て支給』をマニフェストに掲げる時点で、その政党の品性のなさがわかるようなものです。

いまごろになって『消費税値上げ』を『ていねいに説明』してわかってもらう??何をほざいているのやら。その前に、党の長期ビジョンを出しなさい!と文句をいいたくなります。
現野党に『細かいことでつつかれて国会が進めない』なんてほざくことあなたたちにはできないでしょ?ちょっと前まで自分たちがもっとじゃましてたじゃない。国会で!

自分たちのしたことを『棚』に挙げてしまった時点で、品性を完全に失ってしまったということにまったく気づいていないんでしょうね。

まあ、国民の皆さんの選んだ政治ですから、kおばちゃんが一人でもんくいってもしかたありませんね。

○12月29日(水)

さて、ほぼ定刻にkおばちゃんを乗せた飛行機は北キプロス・トルコ共和国 Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiのエルジャン空港Ercan Havalimanı に到着しました。


2年前に実はkおばちゃんこの北キプロス・トルコ共和国には来たことがあります。
その時は『南キプロス』からの入国で、レフコシア(ニコシア)の町をちょこっと見た程度だったんですよね。
その時に、本格的に『北キプロス』を見てみたい・・と思ったのです。
で、北にゆくにはやはりトルコから入国したほうがすんなり行きそう・・ということで今回のこういうルートの旅とあいなったのです。

北キプロスの空港には降り立ったのは初めてです。南のラルナカ空港もあまり大きくはありませんでしたし、『沖止め』でしたが・・こちらはもっと小さな空港です。

『沖止め』どころか・・ターミナルの直ぐ脇なので・・徒歩でターミナルに移動です。


時間は23:40過ぎ・・もう直ぐ明日です。

kおばちゃんは後ろの法の座席でしたので、機体の後方出口からです。


ターミナルの建物に入ると、直ぐ入国審査場です。
このお国は世界的に認知されていない国。そして何よりもまだ、『キプロス紛争』も解決はしておらず、このような国家体制になっているので、日本国ももちろん承認していない。
で、その紛争の相手国『ギリシャ』はEUの国家(最近は重荷国家)である手前?パスポートにこの北キプロスの入国スタンプがあるとギリシャ渡航が困難になる・・と聞いているので、一昨年と同様に『別紙』に・・
入国審査官に『初めて?』と聞かれたので『いえ、2回目(本とは3回目だったけど)』と答えると・・なにやらコンピューターで照合しようとしたのだが、履歴がなかったようです。
彼は『前はニコシアから?エルジャンは初めて?』ときくので『そうです』と答えるとやっとスタンプをおしてくれましたです。

あとは荷物をピックアップして・・予約のレンタカーをピックアップするのみ・・です。

ここの空港も昨年のアンタルヤ同様、ターミナルの建物のなかには迎えの人間は入れないようで、建物をでたところでわんさかと・・出迎えの人がおりました。

kおばちゃんもレンタカー会社の名前を探しますが・・ありません。おかしいな・・
念のためのにIpadに入っているメールを引っ張り出して眺めます。

一応『到着したら○△×に電話を』とかいてあるのですが・・その番号が番号というか記号のようなもの。周りにいた英語のわかるお年寄りも『??』です。
でも、その方がご親切にメールの添付してあった事務所の番号、携帯番号に電話をしてくださいましたが・・・誰も出ない・・
ええ・・・

そんなことをしているうちに、ホテルの迎えの車たちは次々にお客を乗せて去ってゆきます。
途方にくれるkおばちゃんに、そんなホテルの迎えのボーイの一人が声をかけて、『送ってゆくよ。』と申し出てはくれましたが・・その後の言葉がよろしくない。『美味しいレストランも知ってるし、良い観光場所も知ってるから・・』
kおばちゃん、そんな言葉にのこのこくっついてゆくほど、人はよくありません。『ノーサンキュー』といったものの、気がつけば夜中のターミナルで一人ぼっちです。

いえ、正しくはタクシー2台が残ってました。

タクシーのおじさんは『レンタカーは来ないよ。いつもだったら到着の30分も前からこのあたりに止まってるけど。あきらめてタクシーに乗って、明日レンタカー会社に請求しなさいよ。』と・・

まあ、こうなったらそれしか方法はないでしょうね。

実は、今日の旅程を組む時に随分悩んだんです。今晩は素直にホテルの送迎を利用して明日からレンタカーを利用しようか・・と。
でも、ホテルの送迎がちょっと距離もあるので『40£』もするんです。日本円にしたら5000円ですよね。で、レンタカーだと1日18£なので、貧乏なkおばちゃんはレンタカーを選択してしまったのです。

レンタカー会社はもちろん大手は入っていません。それに事前の情報も殆どありません。
昨年お世話になったアンタルヤの女将さんに聞いたこの空港のサイトから引っ張り出せたレンタカー会社を利用したのですが・・
昨年のカラユハットの『ホテル事件』同様、クレジットのデポジットを請求してこなかったのでちょっと『アヤシイ』とは思っていました。予感的中です。

これこそ一番恐れていたパターンです。夜中の空港に一人取り残される・・
で、それを避けるためにさっきイスタンブールの空港で両替えしたのであります。予備の費用として。

タクシーのおじさんにkおばちゃんの宿泊先までの値段を聞くと・・40£よりは安いです。決めました。もうここにいてもしかたありませんから。

ようやく今晩のお宿に向けて出発することのできたkおばちゃんです。

暗い夜道を30分ひたはりします。回りの景色は全然見えますせん。


運転手のおじさんは『このあたりはとっても景色が良いんだよ』と説明してくれますが・・もちろん真っ暗で何にも見えません。

それにしても、このお国も『なんでもあり』の国なんだ・・・と改めて気を引き締めたのでした。
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トルコへ入国そして出国(イスタンブール)

2011-01-22 23:59:04 | トルコ
今日はお休み。この前の旅行から帰国以来やっと休める感じ。

良いお天気だし・・とのびのびのんびりしようと思ったら、またお出かけのはめに。
まあ、久しぶりのデパートだからよいけど、まったくおばちゃんには御用のないところ。

で、チョコレート売り場で引っかかってしまったkおばちゃん。
日本でチョコを売るときってどうして1個幾らという売り方なんでしょうね。
向こうではグラム幾らという値段で、一個一個の値段の違いはないんですけど・・と不思議に思っているkおばちゃんです。

○12月29日(水)

kおばちゃんを乗せた飛行機が到着したのはトルコのイスタンブールの空港、アタテュルク国際空港Atatürk Havalimanıです。

たしか1時間ほどの遅延だったような・・あまり時間の記憶がありません。


でも、ここは今日のkおばちゃんの目的地ではありません。あくまでも乗り継ぎ地です。
その乗り継ぎの便までは3時間以上時間があります。予定では18:40着で、乗り継ぎ便の出発は22:05の出発です。

当初の予定では4時間弱時間があると思っていたのですが、その間にやるべきことが沢山ありました。

まず第一にトルコに入国しなきゃいけない・・ということ。
で、乗り継ぎ便のチェックインをして・・そしてさらにトルコを出国しなきゃいけないのです。ああ、ややこし。それにはちょっと特殊な事情があるのはわかっているのですけどね。

ということで、飛行機を降りて一直線にイミグレーションです。
kおばちゃんの前に並んでいた英語をしゃべる女性も国際線の乗り継ぎ・・でも彼女たちはイミグレーションで直接乗り継ぎ場に向かうように・・とのことでした。

一旦トルコに入国したkおばちゃん。さてお次は荷物のピックアップです。
ここの荷物受取場は、さすが商売人の国トルコらしく、場内に免税店がまだあります。
なんだかな・・君たち税金いらないのね。それより商人の儲けの方が大事なのね・・とまず洗礼をうけました。

無事荷物を受け取ったら・・お次はチェックイン・・と思いながらも到着ロビーで目が言ってしまったのは携帯電話屋さん。
そういえば、去年つかったSIMは期限切れ。ということで新しいものを入手しようかな・・なんて思って歩いていたからですね。
でもとりあえずはチェックインして荷物からまた開放されたい・・ということで上の階へあがって・・

そこで目にしたのはこんな光景。ものすごい荷物の山。


いったい何処行き??なのやら・・
ここは国際線のターミナルのなので、外国行きであることは確かですけどね。買出し帰り??

無事チェックインも終わり・・次の目的地に向けた航空券を手にしたkおばちゃんは一安心です。

で、また下の到着ロビーにもどり・・携帯の算段です。
ここにはT社とV社があったのですが・・V社の方が5リラ高い・・それに昨年使ったのはT社だし・・ということでT社を購入したのだけど・・結果として電波を拾わないのです。

売り場に戻って、別の携帯に入れると電波を拾うのですが・・kおばちゃんの携帯だと拾わない。でももうお買い上げだから・・だめですね。あーあーついてない。

その次に・・両替えをしたほうが良いかな?・と。
トルコリラは去年の残りもあるので、まあ1日くらいは大丈夫なのですけど、ちょっと不安の種もあったので・・両替えをして。

そんなことをしていたらあっという間に時間は過ぎてしまいました。

ここで乗り遅れたら大変!と、またトルコを出国して・・搭乗ゲートに向かいました。
トルコ入国は2時間もしていなかったような・・それでもパスポートには出入国のスタンプが押されています。

次の便のゲートは洗い端っこでした。もう皆さんお待ちです。


それにしても・・飛行機がまだブリッジに着いていないような・・とおもっていたのですが・・


とっても小さな飛行機でした。

やっとこさ御搭乗開始です。だんだんおねむになる時間ですね。


さあ、やっとブリッジがはずされて出発です。お隣はアゼルバイジャンからの飛行機です。


さっきの大荷物の皆さんの行き先はあそこでしょうか??

この便でもしっかりお食事がでました。さすがトルコ野菜が多いです。


飛行機はイスタンブールを離れて一路南に。


そしてさらに南に進路をとります。


一時間以上経ったでしょうか?そろそろ目的地が見えてきましたね。


そう、kおばちゃんの今日の目的地はキプロス島です。
しかも北キプロス。いわゆる北キプロス・トルコ共和国Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiです。
この国は特殊な国家で、なんせ世界中で唯一トルコ共和国のみが独立国家として承認してい国なのです。つまり日本を含めた他の国は国家として承認していません。
だから、パリでチェックインする時に『通しでチェックインできない。』と断られてしまったのだと思います。
一旦トルコに入国してから・・また出国して・・なんだかややこしいですね。

まあ、とりあえずここまではなんとか順調にこぎつけたkおばちゃんです。
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雪山を越えて

2011-01-21 19:21:40 | 旅行
朝は物凄く寒いのだが、日中はお日様が出てちょっと暖か。
kおばちゃんのお席は西側の窓に背を向けて座っているのだが、何故か午前中に日が当る。隣のビルの反射です。

一つ屈折して届く太陽光だけどもやはり暖かい。お日様ってすごい!と思っているkおばちゃんです。

○12月30日(水)

無事kおばちゃんをのせた飛行機は動き始めたのですが・・ふとみると大渋滞!


この光景は、いつもお江戸の空港を朝の9時前後に出発するときに見かける光景と同じです。
日本の場合はご丁寧に『当機の離陸は7番目となります』なんてわざわざアナウンスするけど、もちろんCDGではというかkおばちゃんの乗った飛行機ではいたしません。

日ごろの訓練の??賜物で、kおばちゃんは心の中で『あ、まだ10分以上はかかるな・・なんてッ考えてました。


それにしても、ものすごい霧です。現在は殆ど有視界飛行じゃ無いと思いますが・・
こんな画像をとってちゃいけません。電源を切ります。

飛行機は離陸後あっというまに雲をぬけて・・しまいました。


雲の厚さはそれほどなかった見たいです。

あーあ!1時間以上の遅延です。本とは14:10の離陸予定でしたからね。


この時計、おこちゃま見たいでしょ?文字版のみやすいヤツを引っ張り出してきました。むかーーし、むかーーしロンドンで買ったものです。

雲の上に出てしまえば飛行は安定しておりました。エンターテイメントサービスも一応ありました。

お食事はこんな感じです。なすとチキンとピラフですね。美味しかったですよ。


殆ど雲で下界が見えませんが・・見えた頃には夕日のお時間です。ここはどこかしらね?


すっかり日が暮れてしまい時々町の明かりが見えます。

この辺りを飛んでおります。しかしなんという標示でしょうかね??


ブルガリアのソフィア近郊です。画面を横切って蛇行している青い筋は『ドナウ川』のようです。


約3時間半のフライトでしょうか。着陸態勢にはいりました。


kおばちゃんのとりあえずの到着地は・・こんなところです。

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たんぱく質を補給・・(パリ)

2011-01-20 18:15:10 | フランス
今朝も寒い。まあ冬だから仕方がないけどね。
池のメタボ金魚君も仮死状態?お腹こそ見せてませんけど・・じーーとしてます。

今日のニュースで△知県知事選の候補者の演説をしてましたけど、相変わらず『脱官僚』なんて叫んでるのがおります。
最近のK首相でさえ口にしなくなった言葉。できっこないのです。
あんな言葉を口にすることは、いかに事実を認識してないか自分で言いふらしてるようなもんですよね。

最近の内閣は元の『J党』の時代に戻ってしまったとか。結局議員さん達なーーーんにもわかってないのがやっと自覚で来たんでしょうね。

kおばちゃんはお役人さんではありませんが、見ていれば良くわかりますよ。
いかに何もわかっていない『おこちゃま議員』が多いか。以前『耐震偽造』という言葉がぴったりんの正当だと思いますよ。

結局経済対策は、まったく判らないから『元官僚』しかも、外部から呼ぶはめになっちゃって・・
出来ないなら出来ないといったほうが潔いと思いますけどね。

○12月29日(水)

無事チェックインも終り・・出国審査も終りゲート近くまで辿り着きました。
このエリアに免税店なんかもありますが、まだまだ旅のはじまったばかりのkおばちゃん。お荷物を増やすわけにはまいりません。

とりあえず、朝ごはんもちょこっとお部屋でつまんだだけですし、夕べもそんな感じだったので『たんぱく質不足』ですね。何か食べておかないと・・
でも、サンドイッチだった結構なお値段になるおフランスですから、中途半端はよろしくない。
とレストランにやってまいりました。


ここはドーナツ状のターミナルビルの最上階にあたります。でもね・・眺めは・・

何だか無性にレモネードが飲みたくなったんです。このメニューなら白ワインですよね。


パルメザンチーズと生ハムサラダ・・だったような気が・・忘れてます。

ここのレストランガラガラです。kおばちゃんの行ったときは女性が2人お食事中。
どうみても、F航空の職員さんでした。その後子どもを2人連れた家族が・・そして、どうもこの建物の管理者?のような人が、テラスの花壇の状況を視察に??図面片手にやってきたっきりです。
下のロビーの喧騒がウソのようです。

ゆっくりしてお勘定はこんな感じです。

レモネードが4.5ユーロですからね。まあしょうがありません。

厳重な荷物検査、身体検査を終えて搭乗ゲートへと進みました。


ここの売店で機内で飲むものを購入。いえ、飲み物サービスはありますけどね。中々搭乗案内がはじまりませんでしたが・・なんとかゲートオープン。
kおばちゃんもやっと機上の人となりました。


しかし・・・ブリッジがはずされても一向に出発する気配がありません。

どうしたんでしょう??

10分発ち20分発ち・・一向にスターとしません。
それもそのはずです。窓の外を見ると物凄い霧です。


あのタラップの向こうにあるはずのターミナルのビル本体もまったく見えないほどです。これは怖い!
とうとう、エンジンまで切ってしまいました。あらら・・

どうなることやらと思いましたが暫くまって・・やっとスターとしました。


これから向うのはアッチのほうです。

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ターミナル1はターミナル3(パリ)

2011-01-19 18:54:32 | フランス
今日もちょいと朝からエンジンがかからず・・1本乗り遅れ。寒いと動作がおそくていけませんね。

寒いといえば、16年前の阪神・淡路大震災の時も物凄く寒かった・・という記憶がある。
kおばちゃんは、あのときの揺れは体験していない。だた、朝つけたTVの画面から流れてきたニュースが最初理解できなかった。
その数日後に、浪速の町に出稼ぎだったのだが、会場の都合(壁にヒビが入った)ということで中止に。当然、足の便だってね。

あの日たまたまお江戸に来ていた、神戸の向こうに住んでいた仕事先の人は、ホテルのTVで見た時に『見たことある風景だな』とのんびりと思ったのだが、段々事情が飲み込めるとあわてたそうである。

とりあえず名古屋まで再開した新幹線で名古屋に向い、そこか近鉄に乗り換えて大阪方面へ・・その後はタクシーで自宅に向ったそうだが10時間かかったとか。歩いて行くのとかわらなかったんじゃないでしょうかね?

でも、とにかく家族に合いたかったんだと思います。

段々被害状況がわかってきて・・そしてその後の被災者になってしまった方たちの生活をみていると、さすがのkおばちゃんも『何かしなきゃ』とおもって、心ばかりの協力をさせて頂いたのをお思い出します。

先日ある、新聞記者のブログを見ていたら
『景気の坂を転がり続け、殺伐としたニュースばかりが飛び込んで来る日本で、あの温かさがどこかに失われてしまったような残念な気持ちが私にはあります。』
当時の『被災地の人々は誰もが思いやりの気持ちを持ち、確かに、街全体がほんわかとした温かさに包まれていました。』ということに対することとして書かれいるのを目にしましたが・・それは違うと思ったkおばちゃんです。

だって、そういう殺伐としたニュースを拾ってくるのは、あなたたち記者でありマスコミでしょ?
今だって、暖かいニュースはたくさんあるし、物の見かたを、報道の仕方を変えればいくらでもそういうニュースがかけるんじゃないですか?!といいたくなったからです。

先日の旅行中にネットで見ていた『年末の山陰地方の大雪』ツイッターでこういうつぶやきもあるのに、このニュースなど読んでると、誰かを悪者にしたててそこの責任を追及することがマスゴミの使命とばかりに履き違えてるんじゃないかと読んでいると腹が立ってきます。

先日の新幹線のシステム故障のダイヤ乱れの取り扱いにしたって、『乗れなくて困ります!』という怒りの声ばかりの報道。そりゃ予定の列車に乗れなければ怒るの当たり前で、そんなことをわざわざどうして報道するのか??kおばちゃんには理解できません。

それよりも、こういうときの対処のしかた『何時間遅れたら特急料金払い戻しができる、とか振替できるとか』の実用的なニュースの方がよっぽど役に立つと思うんですけどね。
判りきってることを騒ぎ立てて、火事を大ききくするのが報道のやくめじゃないとおもいますけどね。

今の報道番組と称するものをみていると気分がわるくなる、kおばちゃんです。

○12月29日(水)

さて、宿に戻り荷物をピックアップして・・『また来年戻ってきますね!』とご挨拶。
Luxembourg駅に向いました。前にも書いた通り・・登りのエスカレーターはあるけど・・下りはないのよね。

荷物を両手に持ってウントコショ・・と階段を下ります。まあ、比較的浅いので助かります。
北駅方面行きの次の列車の行き先をモニターでみていると・・なんだかホームの反対側で大きな声が!!誰かが線路にでも落ちたのでしょうか?

次ぎの列車がくるまでに時間があったので騒ぎは収まったようですが・・

RERのB線の北駅方面行きはシャルルドゴールCDG空港駅まで北駅以降のンストップでゆくやつ・・やB線からわかれて空港方面にはゆかないものもあるので、モニターで確認です。
丁度停車駅がすくない列車のようです。なんでもRERのB線はあまり評判のよくない路線らしいですからね。ま、昼間は大丈夫でしょうけどね。

列車に乗り込んで・・行き先を確認しようと思ったのだけど・・昨日の列車にはかいてあったことがみあたりません。書いてあったことというのは、航空会社別ターミナルの標示です。

日本の成田空港もそうですが、空港会社によって使用ターミナルが違い、ターミナルの違いは下車駅の違いにもなるからです。
これからkおばちゃんの利用する航空会社は・・kおばちゃんお初です。
限りなくEチケットに近い航空券なのですが・・それにはターミナルの標示がないのです。
昨日お宿に向かう時に乗った列車には『航空会社別使用ターミナルの標示』があたので、それで確認はしたのですが・・今ひとつふあんなところもありました。

書いてなければしかたありません。とりあえず・・昨日の記憶をたよりに行きます。
それによると、使用ターミナルは『1』です。昨日kおばちゃんが到着したのは『2』だったので・・そことは違います。

で、RERのB線の『Aéroport Charles de Gaulle 1』という駅が『Aéroport Charles de Gaulle 2』の一つ手前にあったのでそこで降りれば良いのだ・・・と思いこんでいました。

降りたkおばちゃん・・当然ターミナルの建物を捜します。ありません。そんなもの。おかしいな・・当然降りる人数も『2』で降りる人数よりも遥かに少ないです。

おかしい・・と思いながらも長い物に巻かれるkおばちゃん。なんとなく人の行くほうについてゆきました。
するとそこには・・CDGVALと呼ばれる乗り物の駅に通じる建物です。え・・これに乗るの??
とりあえずホームに降りて見ます。
あ、切符は既に回収されていますが・・たしかこの乗り物は『タダ』だった記憶があります。以前南仏から青空航空さんで帰国するときに利用した覚えがあります。

ホームに降りて路線を見ると
Terminal 1 →Parcs de stationnement :PR et PZ →Terminal 3 - Roissypôle (, Gare routière ) → Parcs de stationnement :PS et PX →Terminal 2 - Gare(, TGV / Thalys et CDG Express)
となっています。
もちろんその反対もありますが・・そしてこの駅の標示はなんと『Terminal 3』なのであります。

つまりkおばちゃんがターミナル1『Terminal 1』だと思い込んでた『Aéroport Charles de Gaulle 1』は『Terminal 3』ターミナル3だったんです。あらら・・

ということで、このCDGVALに乗り込んで、本物の『Terminal 1』へと移動いたしました。ああ、ややこしい。

無事ターミナル1に到着した後は、いつものように航空会社のカウンター番号(ホール番号)ををモニターで確認、そこへ移動してチェックインです。


ゆとりをもって来てよかったです。

これから乗る飛行機の座席も、実は成田を立つ前に電話で指定してあるのでばっちり!荷物を預けるだけなのですが・・実はこれから飛行機を1度乗り換えます。本日の最終目的に到着すまでに。
だから、荷物はそこまでスルーで預けられる・・とたかをくくっていたのですが・・途中の乗換えの時にピックアップしてチェックインしなおしてくれというではありませんか。
あらまあ!もちろん『通し』で購入してある航空券ですよ。同じ航空会社で。

通常、国を跨ぐ乗換えだって、スルーで荷物も預けられるし、航空券のチェックインもスルーで出来ると思うんですけどね。
受付のお嬢さんは『目的地の空港に税関がないから』と称してましたけど。うーーん。
まあ、特殊といえば特殊な事情があるところですから、言われるままにしょうがありません。

実はこのことは、航空券を購入した時から気になっていて、日本の支店に問い合わせはしたのですが『わかりません。現地で聞いてください。』というお答えでした。
乗換え時間はたっぷりありますから・・まあいいか。とあきらめたkおばちゃんです。

チェックインを済ませたら・・
さっさと出発ゲートに移動しちゃいましょう。とゲートを目ざして歩き始めると冒頭のような風景になりました。


ガラスのチューブの中をエスカレーターというかベルトコンベアー状の動く歩道にのって移動です。

そうそう、この風景よ!!と、突然思い出しました。もうウン十年も前です。
この空港を乗換えで利用した時に見た風景!その当時はとっても近未来的で『モダン』だと思ったんですよね。

今現在でもけっこう『モダン』な感じはしますが・・これにの乗りもにはちょっと不満も・・


登りの場合でも『階段状』のエスカレーターににはならない、ただのコンベアー状なのでなんだか後に引っ張られそうな状態です。
で、引っ張っていた小型キャリーも後に重心がかかって・・押さえていないとダメでした。

昔はこんなこと全然感じなかったから・・kおばちゃんも、お年とともに体力がやっぱり衰えてきてますね。

そういえば、ここのここの手に持つ検査も結構厳しかったんだ・・と思い出したkおばちゃんです。
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朝の散歩(パリ)

2011-01-18 18:49:56 | フランス
先日へーーと思う話を聞いた。
久しぶりに会ったお友達、実は昨年空き巣に入られたそうだ。帰宅した彼女が被害を発見したんだけど・・

直ぐにはわからなかったとか。一見いつもの通り・・でも部屋のカーテンが閉まってる!あれ?閉めてないよ??

で、隣の部屋に行ったら・・涼しい!カーテンが揺れている・・そこのガラスを破って室内に・・でカーテンを閉めて作業をおこなったらしい。
宝石類も箱が残っている、しまっておいた場所にあるし・・しかし箱を空けたら全部空っぽ!!
中味を抜いてからまた箱をしまってあったそうである。

通帳やキャッシュカードは手着かず!最近は一度に引きだせる額も決まってるのでリスクが大きいので空き巣には敬遠されるそうである。

なんだか空き巣って家の中を引っ掻き回すイメージが合ったけど・・一見わからないほどきれいにして帰るそうである。

あ、ごちゃごちゃのkおばちゃんのところに入ったら・・どうなるんでしょうね?

●12月29日(水)

夕べからの居眠り・・これにはちょっと理由もあった。体調が今ひとつ悪い時期でもある。
だからよーく眠って、で、寝坊したら大変なので8時に目覚まし!でもその前に目が覚めて朝風呂。ああ極楽なり。

今回利用したお宿は『朝食』別料金。今日は食べる気があるかどうかも判らなかったので頼んでないし・・
ということで持参の(成田で仕入れた)朝食で簡単に済ませたkおんばちゃんです。

その後はさくっと荷物をまとめて・・チェックアウトの準備をしました。とはいえ10時近くになってたかな?

チェックアウトです。でも、まだ本当は時間がありますけどね。
とりあえず、フロントのお嬢さんにチェックアウトを申し出ると、1泊分はもう既にデポジットされてるし、朝食も食べてないので精算なしです。

今日の移動はまたCDG空港からです。でも14時過ぎです。だから12時までに空港へ・・ここからは1時間見ておけば良い・・ということで11時過ぎに出れば良いのですが・・ちょっと気になることがあったのでその前に。

ということで荷物を預ってもらって散歩に出ることにしました。気になること・・というのは空港行きの切符です。
夕べシャトレ座に行こうと思ったときに、Luxembourg駅はカード利用の自動販売機しかなかったからです。

しょうがない、ちょっと散歩がてら切符を買いに行くことにしました。昨日カルネを買った一つ先のSt-Michel – Notre-Dame駅の切符売り場まででかけることにしたのです。歩いて10分はかかりませんしね。

リュクサンブール公園Jardin du Luxembourgの角はどうもバスの溜まり場のようです。

もう開いているカフェもありますね。パン屋さんも空いてます。


寒いのでみんな身を縮めて歩いてます。もちろんkおばちゃんも。とある事情であまり今日は厚着できませんので。

お、ワイン屋さんももう開いてます。まあ10時過ぎですからね。


夕べと違って・・朝のソルボンヌです。


その先のThermes de Cluny旧クリュニーというローマ時代の浴場の遺跡を越えた角が駅の入り口なのですが、この遺跡の前の歩道にはもうガイドさんに連れられた観光客が遺跡の説明をうけていました。
ここの一角にはMUSEE NATIONAL DE MOYEN AGE中世博物館というのもあるようですが・・ああ残念。

とりあえず切符を購入して・・宿に戻ることにしました。
帰り道ふと左側をみると・・あれはパンテオンPANTHEON??こんなに近かったのですね。


で、公園の所まで戻ってきてあら?と気がつきました。
おかしいなあリュクサンブール公園Jardin du Luxembourgは有料じゃないのに・・切符売り場があるの??

公園の入り口の窓口に人が並んでます。

近づいて見て・・ああ・・お間抜けなkおばちゃんん!と気がつきました。
そう、さっきバスの溜まり場なんて言いましたよね。公園の所を。そうなんですよ。ここは市バスの終点であ始発にもなっているんですよね。
kおばちゃんが公園の切符売り場だと思っていたのは・・なんと『有人』の交通切符売り場だったんです。
そう、だからわざわざ隣の駅まで切符を買いにゆかなくてもよかったのよね。はい!ご苦労様で下ね。

まあ、朝の運動でお散歩でよいか・・とあきらめたkおばちゃんです。

まだまだ時間があるのですこし公園の中に入って見ることにしました。


土の部分が凍ってしまっていて・・足元に注意です。

夏の芝生が美しかったこんな景色も(2008年の7月です)


今はこんな寒々しい景色になってます


あちらに見える高い建物はモンパルナスタワーでしょうか?てっぺんが見えません。


日本と違ってこちらの冬は湿気がありますからね。さあ、そろそろお宿に戻りましょうね。

この道は広い割りには交通量がありません。

そうそう、この右側もバス停です。バス停の向いにチョコレート屋さんがありました。


おためして・・そしておやつにと購入したkおばちゃんです。
さて、そろそろ空港に向いますかね?


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花開いたモダンバレエ(パリ)

2011-01-17 18:57:45 | フランス
今朝はあまりの寒さに・・・寝坊した。
一度は目が覚めて色々やった後の2度寝。気がつけば予定時間よりも10分オーバー!

10分も通勤時間帯が変わると、随分と混みようも違っていてびっくり。
kおばちゃんのオーバーのボタンが、しらないおじさんのコートのベルト通しにハマってしまった大変だった。
明日はいつものように起きたいな。

○12月28日(火)

すっかり居眠りモードのkおばちゃん。でも夢見心地で舞台終了です。まずはアンサンブルの皆さん。


あ、目の前の手すりがあままりにはっきりと写ってますが・・気にしないでください。

でも、こうやって見ると主役のイライザ役のSarah Gabriel女史が手すりでまったく写ってませんね。


で、こっちの画像はヒギンズ教授役のAlex Jennings氏が殆ど写ってません。


で、そのお二人と本日の指揮者Kevin Farrell氏だと思います。


この劇場広くはないのでオケピットは・・殆どが舞台の下のようです。


本日のkおばちゃんのお気に入りは
Ed Lyon氏です。彼はイライザにのぼせ上がる貧乏貴族のフレディー役でした。

マイ・フェア・レディーの原作の『ピグマリオン』物語では、イライザはヒギンズ教授じゃなくってフレディー君とくっつくそうです。
居眠りしていたkおばちゃんも彼のソロの時はなぜかばっちり目が覚めてました。

カーテンコールも終り・・さあ帰りましょ。眠くてまだしょうがありませんが・・

階段を降りている途中でこんなものが目に付きました。なんだろう・・と思い画像に残して起きました。


ここに出てくる名前Serge Diaghilevセルゲイ・ディアギレフ氏はロシア生まれの芸術プロデューサとして有名だったそうです。
彼は20世紀初頭にここシャトレ座において、 Ballets Russesバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を旗揚げ、現在に通じるモダンバレエを積極的に上演したそうです。

そう、ここシャトレ座でモダンバレエは花開いたんですね。

この Ballets Russesバレエ・リュスを通じ、当時も売れっ子だったマリーインスキイ劇場バレエ団の、ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー、ミハイル・フォーキン、アンナ・パヴロヴァ、タマラ・カルサーヴィナ等を育成して言ったとか。
音楽の方ではストラヴィンスキー、ドビュッシー、サティ、リヒャルト・シュトラウス、ラヴェル等を積極的に活用。
美術においてもピカソ、マティス、ローランサン、ユトリロ、エルンスト、ミロ、デ・キリコ、シャネルなんかを起用したそうで、現代芸術に影響しモダニズムと同期化してたんでしょうね。

そうそう、そしてこのセルゲイ・ディアギレフ氏は同性愛者でなんとお相手はニジンスキー氏だったとか。そして現在有名になっているニジンスキーの振り付けというのもこのバレエ・リュスで行われたものだったとか・・ゲージつって・・

まあ、そんな歴史に彩られた劇場だったとは・・kおばちゃんが見に行ったときには判りませんでした。これも事後学習です。

8時から始まった上演も、終演は10時過ぎ。皆さん帰宅を急ぎます。


kおばちゃんも気力があるうちに地下鉄で帰りましょ。


帰りはカルネを買ってあるので、ラクラク帰れます。で、ルートはメトロとB線を乗り継いで帰りました。
でも、1枚の切符でOKでした。

お宿はもう鍵が閉まってました。ベルで開けてもらって鍵を受け取って、お休みなさいをいってお部屋へ・・

バスタブ付きを良いことに、浴槽にはいっていたらまた居眠り・・明日の朝は早くはないけど、しっかり寝ておかないと一日が長いんだよな・・・とベットにもぐりこみました。
今日も長かったけどね。
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