今日は久しぶりに涼しい。目覚めも爽やかだった。
でも、このごろ年だなあとおもうこと・・夜になるときっちりすごく眠くなる・・
夕べは帰りがちょと遅くなったら・・見事に降られた!
しかも地元の駅について・・少しあるいあたら・・ピカッ!「ドッカーーン」
街中にいるにもかかわらず・・やっぱり怖い!自分に落ちるはずはないんだけどね。
○7月1日(日)
あたりも暗くなったので、お宿のお部屋に戻ったkおばちゃん。
それにしても静かなホテル。誰にも会わない・・
シャワーをささっと浴びて、明日は何をしようかなぁと思いながらTVを眺めていたら・・戦争関係(第2次世界大戦)の番組が流れてきた。
日本ではあの戦争は『終戦』という形で終わっているけドイツにおいては『敗戦』であり、無条件降伏Bedingungslose Kapitulationという終わり方である。そしての日は1945年5月7日とされている・・と思うけど・・
ここ、バイエルン州はお隣のオーストリアの国境近くのブラウナウ・アム・インBraunau am Inn出身のヒトラーの活動の拠点・・その理由かどうかkおばちゃんには良くわからないが、大戦において多くの爆撃をうけているらしい。8月25日のブログに書いたFreilassingなどは壊滅的だったとか。
昨日も書いたように、ここBad Reichenhallは戦後連合軍に摂取されていたし、お隣・・というか近くのベルヒテスガーデンBerchtesgadenの山荘がヒトラーのお気に入りだったようだ。
まあ、そんなことを考えていたらこの番組にであってしまった。内容は1943年4月19日から5月16日の間続いた『ワルシャワ・ゲットー蜂起Warsaw Ghetto Uprising』についてのようだ。この蜂起はこの、『強制収容所に送られる』ことイコール『死』であることを理解したをユダヤ人がドイツ軍に対して起こしたものであるらしい。
だから、たぶん冒頭の画像のTV画面の人物はユルゲン・シュトロープJürgen Stroop,親衛隊少将??この蜂起を粛清した人物。収容所に送られなくたった人を含めれば、56000人とも71000人ともいえる犠牲者だそうだ。
戦後彼はダッハウの軍事裁判で死刑を求刑され、その後ポーランドで再度裁判を受けワルシャワにて絞首刑にされたそうである。
※冒頭の画像は違う人物の様です。ラインハルト・ハイドリヒ Reinhard Tristan Eugen Heydrich。国家保安本部(RSHA)の初代長官だそうです。
ユダヤ人問題の実質的な推進者。「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と呼ばれる程の冷酷な人物だったとか。チェコ人部隊により暗殺。(2012年6月加筆)
戦争とはおろかで悲しい行為だとkおばちゃんは思っている。
まして戦争裁判については判らないところがいっぱいある。何が正義でなにが不実なのか・・先日もたまたまTVを見ていたらナチの『フランクフルト・アウシュビッツ裁判』に関する番組を放映しているのにであってしまった。あの裁判はドイツ人自身によってドイツ人を裁いた裁判だそうである。あの裁判にしてもそうだが、無条件降伏したという自覚があるドイツだからこんな番組も放送するのかな?なんて思ったkおばちゃんです。
でも、根が真面目じゃないkおばちゃん、そのときの最大の関心事は明日の天気!予報を眺めながら・・(下り坂で、しかもこの辺は雨!!)ああ、明日どうしよう・・なんて。
そして、さらにさらに重要な出来事の方に関心は移っておりました・・それは・・
●7月2日(月)
朝から目覚めは穏やか・・・すぎるくらい。はてさて、なんだかお宿に入ってから誰にもあっていないkおばちゃん。朝ごはんには誰かに会えるかな?・と期待をしながら朝の用意をしていた。
用意をしながらTVをつけていたkおばちゃん。夕べの心配事が気になったのだ。
それは・・ドイツ鉄道のストライキ!!
実はここドイツに来るまで、そんなものが予定されているなんて思っていなかった。
どうもこのリポーター氏によると今日は大都市部のみのようなことをいっているように聞こえる。そして明日に掛けては南部を含む長距離列車が・・ったてドイツ語の判ってないkおばちゃんの理解・・だからね・・いい加減なもんだ。
悪いけれど、kおばちゃんにとっては夕べの番組よりこっちの方が大問題!!
はてさて、どうなってるのか気になりながら朝食を食べに行きましたです。
でも、このごろ年だなあとおもうこと・・夜になるときっちりすごく眠くなる・・
夕べは帰りがちょと遅くなったら・・見事に降られた!
しかも地元の駅について・・少しあるいあたら・・ピカッ!「ドッカーーン」
街中にいるにもかかわらず・・やっぱり怖い!自分に落ちるはずはないんだけどね。
○7月1日(日)
あたりも暗くなったので、お宿のお部屋に戻ったkおばちゃん。
それにしても静かなホテル。誰にも会わない・・
シャワーをささっと浴びて、明日は何をしようかなぁと思いながらTVを眺めていたら・・戦争関係(第2次世界大戦)の番組が流れてきた。
日本ではあの戦争は『終戦』という形で終わっているけドイツにおいては『敗戦』であり、無条件降伏Bedingungslose Kapitulationという終わり方である。そしての日は1945年5月7日とされている・・と思うけど・・
ここ、バイエルン州はお隣のオーストリアの国境近くのブラウナウ・アム・インBraunau am Inn出身のヒトラーの活動の拠点・・その理由かどうかkおばちゃんには良くわからないが、大戦において多くの爆撃をうけているらしい。8月25日のブログに書いたFreilassingなどは壊滅的だったとか。
昨日も書いたように、ここBad Reichenhallは戦後連合軍に摂取されていたし、お隣・・というか近くのベルヒテスガーデンBerchtesgadenの山荘がヒトラーのお気に入りだったようだ。
まあ、そんなことを考えていたらこの番組にであってしまった。内容は1943年4月19日から5月16日の間続いた『ワルシャワ・ゲットー蜂起Warsaw Ghetto Uprising』についてのようだ。この蜂起はこの、『強制収容所に送られる』ことイコール『死』であることを理解したをユダヤ人がドイツ軍に対して起こしたものであるらしい。
だから、たぶん冒頭の画像のTV画面の人物はユルゲン・シュトロープJürgen Stroop,親衛隊少将??この蜂起を粛清した人物。収容所に送られなくたった人を含めれば、56000人とも71000人ともいえる犠牲者だそうだ。
戦後彼はダッハウの軍事裁判で死刑を求刑され、その後ポーランドで再度裁判を受けワルシャワにて絞首刑にされたそうである。
※冒頭の画像は違う人物の様です。ラインハルト・ハイドリヒ Reinhard Tristan Eugen Heydrich。国家保安本部(RSHA)の初代長官だそうです。
ユダヤ人問題の実質的な推進者。「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と呼ばれる程の冷酷な人物だったとか。チェコ人部隊により暗殺。(2012年6月加筆)
戦争とはおろかで悲しい行為だとkおばちゃんは思っている。
まして戦争裁判については判らないところがいっぱいある。何が正義でなにが不実なのか・・先日もたまたまTVを見ていたらナチの『フランクフルト・アウシュビッツ裁判』に関する番組を放映しているのにであってしまった。あの裁判はドイツ人自身によってドイツ人を裁いた裁判だそうである。あの裁判にしてもそうだが、無条件降伏したという自覚があるドイツだからこんな番組も放送するのかな?なんて思ったkおばちゃんです。
でも、根が真面目じゃないkおばちゃん、そのときの最大の関心事は明日の天気!予報を眺めながら・・(下り坂で、しかもこの辺は雨!!)ああ、明日どうしよう・・なんて。
そして、さらにさらに重要な出来事の方に関心は移っておりました・・それは・・
●7月2日(月)
朝から目覚めは穏やか・・・すぎるくらい。はてさて、なんだかお宿に入ってから誰にもあっていないkおばちゃん。朝ごはんには誰かに会えるかな?・と期待をしながら朝の用意をしていた。
用意をしながらTVをつけていたkおばちゃん。夕べの心配事が気になったのだ。
それは・・ドイツ鉄道のストライキ!!
実はここドイツに来るまで、そんなものが予定されているなんて思っていなかった。
どうもこのリポーター氏によると今日は大都市部のみのようなことをいっているように聞こえる。そして明日に掛けては南部を含む長距離列車が・・ったてドイツ語の判ってないkおばちゃんの理解・・だからね・・いい加減なもんだ。
悪いけれど、kおばちゃんにとっては夕べの番組よりこっちの方が大問題!!
はてさて、どうなってるのか気になりながら朝食を食べに行きましたです。