Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

国境は風の村(Meer)

2007-03-12 18:50:16 | ベルギー
今朝は・・寒かった。
なんだかここ1週間ばかり冬に逆戻り?日本海側では雪が降っているとか・・山陰の知人が『今年は雪かきしてない・・』なんて手紙をくれたばっかりだったけど・・

まあ、それはそれなりに自然の成り行き・・なんでしょうね。

さて、土曜日kおばちゃんはミーハーな親戚に誘われてあるイベントに行ってきた。
そこにMJが来る・・というので、ここのところ40万円のパーティーで話題になった人、死ぬまでに『生』見られる機会がないかも・・という単純な動機!

そのイベントはこれなんだけど・・生で見たkおばちゃんの感想は・・『う~ん。なんだかかわいそう・・』ってことだ。そのときの写真はこれなんだけど・・・そんなに『白人』なりたいの??ってことです。周りの白人と変わらぬ(ってったて彼ら比較的日焼けしてる方?)皮膚の色なんだけど・・日傘にばっちりガードされて帰る姿は・・『ドラキュラ』?かと思ってしまった。

あれだけ有名になってしまうともう自分ひとりではなにも止められないんでしょうけど・・冬の日向ぼっこの気持ちよさをあじわえないなんてね・・と思ったkおばちゃんです。

さて・・

○1月1日(月)

宿に戻り、部屋には行かずにそのまま朝食会場へ・・まだオープンしたばかりだと言うのに・・先客が・・しかもお嬢さんというか娘さん4人組み。しかし・・・彼らはどう見ても『朝帰り』でした。まだ黒のパーティードレス(ったって若者向けです)を着ていて、テンションもそこそこ高そう!
そのなかの一人がパンをとりに逝くのを見たら・・『はだし』!でちょこちょこ・・と!
kおばちゃんと目が合った彼女は『えへへ・・』といわんばかりの照れた表情!まあ、夜通しお楽しみだったのね・・なんて思ったしだいです。

その日のサービス係は昨日のオカマちゃんじゃなく、彼女達と同年代くらいの女の子。彼女はたぶん『アラブ系』かな?キッチンから流れてくる音楽がそれっぽいポップな曲だった。

友人も食事に現れ、食べながら今日の打ち合わせ?出発はなるたけ早く・・ということで食後すぐにチェックアウトする事に・・散歩の後の朝ごはんはまた格別に美味しかった!

駐車場の精算をするから・・と友達が駐車券を持っていて精算したら・・1日15ユーロでした。最初の日に精算機にカードを入れたら38ユーロ近くの表示がでてびっくらこいたのだだ・・コレなら納得!2日で30ユーロでした。
宿代の精算を済ませて・・駐車場に続くエレベーターのあるドアーをあけて・・乗り込んで・・車を出して・・いつものように駐車券を入れてもバーが上がらない!!

どうして??と思ったら友人いわく「そういえば年をこしたからこの券がつかえるかどうかわからない。使えなかったら新しいのをあげるから・・と言われた。」とのこと。「kもらってきて」とのリクエストに答えてきた道を逆に行ったのはよいが・・・入り口近くのドアーは鍵がないと外から空かない!そうチェックアウトして返してしまったのだ!しかたがないので駐車場出口を走ってぐるーーと建物を回って・・やっとフロントに!

受付のお姉さん(おばさん?)が「あら、御免なさい!そうね、入れなかったわね・・」と私の『ゼイゼイ』している姿をみて誤ってくれ、新しい券をくれた。その券を持ってまた駐車場へ・・今回は大丈夫!内側からは鍵が無くてもドアーは開きます!

友達に新しい駐車券を渡して、いざ出発!今利用した駐車券は機械に差し込みっぱなし・・「とらなくていいの?」とkおばちゃんが心配すると「だってもうりようしないじゃん!」と言われてしまった。まあ、そうだけど・・ぶつぶつ・・とkおばちゃん。

外に出るとまたTom Tom様は寝ぼけ気味!地図がぐるぐる回って・・方向が定まらない!
石造りの建物が密集してるところだと反応が今ひとつのような・・


さて、今日kおばちゃんたちは一気にコペンハーゲンまで戻るのである。休まず走って・・9時間!約860キロの移動である!

kおばちゃんがこの前の1月24日のブログで騒いだ『なんて一般道に出るんだ!』と騒いだルートはやめしにて・・もうすこし海に近い??ったって見えるわけじゃないけど・・のルートに・・

アントワープを出てしばらく走ってMeerまで1600と言う看板を過ぎた辺りから・・冒頭の写真のような風車(風力発電機)群があわられた。

Meer はアントワープの都市Hoogstraten の自治体で人口3000人程の小さな村?らしい。そして、ここはオランダとの国境の村。

国境と言うのはなんとなく殺伐としたイメージがあるのだが・・やっぱるり風当たりも強いんだ!と思ったkおばちゃんです。

ドイツ北部にある真っ白な風力発電機違って、赤と白のカラーがベルギーらしいのかしら・・なんて思って思わず写真を撮ったkおばちゃんです。

国境は風の村だなあと思ったkおばちゃんです。
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夜明けの散歩(アントワープ)

2007-03-11 22:36:13 | ベルギー
日今日と猫の目のようなお天気、kおばちゃんのスケジュールも猫の目のようなスケジュール。
まあ、そのことは明日にでも書けたら良いかな?

今日はおうちでまったり・・だったのだが昼間がだんだんと寒くなってい行くという変なお天気・・昼寝も寒くなって出来なかった。
庭の桜も凍って・・って感じがする。それでもお昼には鶯が蜜をすいにきていた。

さてさて・・

○1月1日(月)

一夜明けて・・年越しの喧騒静まったころ、kおばちゃんは早朝の・・・ったってそんなに早いわけではなく朝の7時は過ぎていた・・・お散歩に出かけることにした。

冒頭の写真のように宿舎のレセプションも閉まっている。が、このお宿は鍵ひとつでお部屋からお玄関そして門まで開けることができるので・・何時に出かけようが帰ってこようが自由なのである。

今日はアントワープを離れる最後の日。いったい次にいつアントワープを訪れることになるのかな??もしかするともう2度とないかも・・なんて思ったら、アントワープ名物?のルーベンス関係を見ていないなあ~なんて思ったkおばちゃん。連れの友人は最初から『ルーベンスは嫌いだから行かない』と明言していたので、一人で出かけるチャンスは今しかない!と思って早朝の散歩と相成ったわけである。

幸いというかそれを見越したわけでもないが、宿は中心部!まだ暗い町へと出かけることに・・
中庭の銅像が不気味に送ってくれた。

最初に目指したのはルーベンスの家Rubenshuisここはルーベンスがイザベル・ブラントと結婚したあとに購入(1600年)し、画業が繁盛するにあわせて増築した、死去する1640年まで住み続けた館ということらしい。彼自身の設計による中庭とフランドル・イタリアルネサンス様式の外庭にはさまれたバロック様式の柱廊があるそうであるが・・まあ、中に入れないのは100も承知。


ここは彼の作品のショールームでもあったみたいで、お弟子さんたちもここで製作していたとか・・ツアーだったらきっと絶対に組み込まれているようなところでしょうね。
その証拠?に館の前にはミュージアムショップが!商魂の逞しい事!

その後は喧騒の過ぎたショッピングストリート『メール通り Meir』を横切り聖ヤコブ教会Sint-Jacobskerkへ・・そしてそこに続く曲がり角の建物にちょっと宗教的なレリーフを発見!ショップが若者向けなのでそのコントラストがなんとも言えなかった。

この聖ヤコブ教会は、フランボワイヤンゴシック様式の教会堂で1491~1656年にかけて建造され、方形の塔は未完!これはもともとノートルダム大聖堂の塔よりも高く設計されていたらしい。そして堂内には1643年建造のルーベンス礼拝堂があり、ルーベンスや彼の親族が埋葬されているということだ。そして中でも有名なのは、彼が死の6年前(1634年)に仕上げた祭壇画は聖母には第2の妻ヘレナ・フルマンの面影が、聖ゲオルクにはルーベンス本人の面影があるらしい。なんとなく金持ちのしそうな事の気がするkおばちゃん・・

本当の入り口は脇の方にあるが、この未完の塔の下にも一応出入り口が・・ぼけてしまった・・

そろそ明るくなってきたし朝食の開始時間になるので、宿に戻ることに帰りはブーラ劇場 Bourla-theatreエリアを通って・・劇場の後ろには市民劇場もあるらしい。こんな銅像も

ブーラ劇場は1830年代の初期に、在アントワープのフランス語有産階級のための劇場として建築家ピエール・ブルーノ・ブーラによって建てられた劇場とか。
まあ、そのためかどうか分からないが劇場入り口の前には高級ブランドショップが軒を連ねているBourlaschouwburg & Schutterhofstraatがあり、をはじめブランド物ファッション店、アヴァン・ギャルド・ファッション、アンティーク、ホーム・デコレーションなどの店が並びアントワープのデザイナーによる靴のセレクトショップココドリロCocodrilloも通りにあるとか。
しかし、ここもまだ目覚めの前

帰りは宿の近くの植物公園からもうすっかり目覚めた病院の窓を望みながら戻ってきた。

8時30分過ぎにはすっかり夜は開けきってしまって、爽やかな空気をいっぱい吸ってkおばちゃんの早朝散歩はおしまい・・となりましたです。
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兵供の夢の後(アントワープ)

2007-03-07 18:31:06 | ベルギー
夕べは・・・こと最大のアレルギー反応!鼻から『水』はたれてくるし、かめば詰まるし・・顔中何処をさわってぴりぴりするし・・あわてて薬(抗アレルギー剤)を飲んだけれど・・一向に聞かない!

今朝はがっちりマスクをしてきた。職場にきて少しは落ち着いたけど・・
あ~あ。やんなっちゃう。
庭のカエルは今朝は寒かったので鳴かなかったが・・・水にもぐる音はしてる・・元気そうだ・・困った。野良猫ちゃんが『カエル』食べてくれるとすごく嬉しいんだけど・・無理だろうな・・

○12月31日(日)

なんとか無事にお腹を満たしたkおばちゃんたち、町は年越しのイベントがあるのか若者達でにぎわっている。でも、年寄りのkおばちゃんたちは・・退散する事に。
だって・・明日ものすごいスケジュールだから体力温存しとかないと・・

と、すごすご宿に戻る事に。戻ってもすることないし・・とTVをつけた。
日本だったら『紅白歌合戦』なんだろうし、それこそ5つ星ホテルだったらJSTVでも入っていて視聴できるんだろうけど・・ここは『安宿(私は普通ですが)』お部屋にTVがあるだけでもラッキーだと思っているkおばちゃんなのだが・・

なんだか音楽番組があった。カッコのあまり良くないおじさんダンサーズがステッキを持って踊っている・・なんだんだ??何かなあと思ったら・・アンドレ・リュウAndré Rieu一座の番組のようだ。

彼は『現代のヨハン・シュトラウス』といっても良い様な存在。
1949年指揮者のオランダのマーストリヒトMaastricht(ドイツのアーヘンのすぐぞば)で指揮者の子どもとして生まれ5歳の頃からバイオリンをまんだらしい。リエージュ、マーストリヒトで音楽を学んだ後、ベルギーのブリュッセル音楽院で学び・・・1987年自身の『ヨハン・シュトラウス・オーケストラ』を結成。現在もバス数台を連ね、ヨーロッパはもとより全世界的に音楽活動をおこなっている。もちろん来日公演もしたことがある。
kおばちゃんもどこかのコンサート会場でチラシをもらったことがあるが・・・う~ん日本人になじむかな?と疑問に思ったのを覚えている。だっていわゆる『ダンスミュージック』だから、ダンスの文化のない日本でどうなのかな?と思ったからだ。

TVの中の観客の皆さんは彼らの奏でる音に体をゆすってリズムをとり・・仕舞いはダンスをおっぱじめるカップルも・・でも、皆楽しそう。ただ・・・年齢層はちと高そうだけど・・

さっきの『おやじダンサーズ』は・・・金管の団員さんたちでした

それにしても・・・ここの団員さん、特に女性はみんな笑顔の審査があるんだろうなと思うkおばちゃんたち。ほんとににこやかに微笑みながらみんな楽器を弾いている。うちのお仲間のおっさん達に爪の垢せんじてやりたいくらい。

そんな番組を眺めながらうとうとしていたら・・・急に外が騒々しくなった!


窓から覗くと・・花火が!!そうか!年が明けたんだ!と思ったkおばちゃん。

案の定、TVもにぎやかだ。

その後も・・午前2時頃にまた花火の音が・・・ああ、若者達がはじけてるんだろうな~とおもうkおばちゃんは夢の中です。

●1月1日(月)
一夜明け・・今朝はこの宿を引き払わなければいけない。ということはアントワープともお別れ。
なんのかんの言いながら結構ミーハーなkおばちゃんは・・実は気になっているところがあったので、朝のお散歩に一人ででかけることにした。友達は・・興味ないっていってたから・・

ということで早朝7時のアントワープの町にでかけたkおばちゃん。
まだ朝7時は真っ暗な街中・・・そしてさすがに年越しの大騒ぎは終わって静寂が訪れていた。

でも、大騒ぎの後を片付けるお仕事の人たちは・・既に働いていた。それが冒頭の写真。
大ショッピングストリート『メール通り Meir』も清掃車が掃除をしながら行過ぎていった。

でも・・・酔払い運転の車も行過ぎていった・・・たぶんベロンベロン状態?kおばちゃんが見てもわかるんだから・・・と思ったら・・案の定パトカーに捕まっていた。ご愁傷様!

よくヨーロッパでは『酔っ払いは見かけない』とは言われているけど・・・今朝は特別のようで・・ふらふら歩く、また大声でわめく、酔っ払いを目撃いたしましたです。・・まるで早朝の歌舞伎町!と新年早々思ったkおばちゃんです。
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ディナー難民(アントワープ)

2007-03-06 18:25:28 | ベルギー
今朝、庭のちっぽけな池をみてびっくり!カエルがざっと数えただけで6匹いた!
夕べは南風の湿った風と雨がふっていたのだけど、泣き声が複数聞こえるな~とは思ったが・・あんなにいるとは。
ただ1匹いる金魚がまるでカエルを縫って泳いでる・・・う・・どうしよう・・
あれがみんな卵でも産んだら・・どうしよう。

今朝は昨日からの事故?の影響で通勤に時間がかかるかな??なんて思ったが、まあ、kおばちゃんの直接の影響のある方向ではないので・・・でも心配で少し早めにでたけど・・まあいつも通に到着でした。改札を出るとき『遅延証明』を配っていたが・・関係ないのに手を出したkおばちゃん。もらえるものは何でももらっておこうという魂胆!

そういえば昔大阪出稼ぎの時、新幹線が事故で1時間近くだったかそれ以上だったか止まって(しかも東京駅と新横浜の間で)新大阪に遅れて着いたのだが、会合の時間に遅れたので『遅延証明』をくれっていったら窓口にならんでもらってくださいって言われた。kおばちゃんは『特急料金払い戻し』のためじゃなくて、単に『遅延した』証明がほしかったんだけれど・・・あの長蛇の列を見て・・あきらめた。まあ、ニュースになってたので大丈夫だったけど、通勤電車なみに対処できないのかなあと不思議に思ったのを思い出してしまった。

○12月31日(日)

この頃はまだ、ディナータイムがやっと始まった頃だったので、あっちこっちきょろきょろとレストランを選ぼう・・・なんて思ってWijngaardstraat界隈を歩いていたkおばちゃんたち・・・ここはちょっと高級すぎる!(ネクタイ着用とか・・)なんてほざいてた。

しかし・・・甘かった!!次に目に付いたレストランの入り口に『本日は予約でいっぱいです』の張り紙が・・まあ、人気があるのね・・なんて思ってさらに先に進むと・・・

『本日は特別メニューのみ、お一人様70ユーロより』とかの表示!けちなkおばちゃんたち「70ユーロはないよね!!」なんて騒いで次の店へ・・

とうとうグロート・マルクトGrote Marktまで出てしまった!

ここのはずれではもう年越しのイベントの準備!そう、今日は大晦日!すっかり自覚してなくて、ただの日曜日という感覚だったkいおばちゃんたち。

昨日下見したスヘルデ川の側のレストランに行ってみるが・・・休み・・
またとぼとぼと戻る

昨日(2月7日のブログに書いた)のレストランP.Preud'Hommeでもいいか・・なんて思って
覗いてみるが昨日等違って、ボーイさん達もジャケット着用してるし・・これじゃたぶん特別メニューの要予約だよ・・ってあきらめる事に・・

そう、すっかり忘れてたが12月31日大晦日というのは日本で言うと『クリスマスイブ』状態なのだ。ホテルも値段は上げるし・・特別な日ということでカップルで楽しんだり、仲間でパーティーしたり・・
日本では『クリスマスイブ』はカップルやお友達と過ごして、大晦日は『家族と家庭で』というパターンだが、こちらでは逆だったのを思い出した・・っていまさら思い出しても遅い!

友達は「コンシェルジェのいるホテルだったらレストランぐらい見つけてくれるのに・・」とか「お金が無い訳じゃないのに・・」とぶつぶつ・・
「ご免ね!kおばちゃんの生活レベルにあわせたばっかりに・・」と言い返してやった!

まあ、kおばちゃんは『貧乏でケチ』ですからね。友達だってkおばちゃんが「ここどう?予約しなくても大丈夫っていってるよ?」と言うと「だめ、ここ高すぎる・・」と帰ってくる。まあ、70ユーロのこーすじゃね・・

結局あっちこっち覗いて・・よさそうなところは「ごめんなさい。もうお終いなの」と断られ・・2人で出した結論・・「まあ、イタリアンなら外れないよね!」ということでイイタリアンに・・何やってんだか・・

それがこの左一応イタリア国旗が・・

その隣はなんだか謎のメキシカン??例によって「k食べられるかどうか聞いてよ・・」と友人に言われお店に・・にぎやかなイタリアーノが「もちろん」と受けてくれた。

あ・・・やっと食べ物にご対面!!長い一日でした。

ただしあまり空腹だったのでスープ(kおばちゃんはミネストローネ、友達はトマトスープ)だけ写真にとって・・後は忘れて食べまくってました。

でも、結構美味しかったです!お店の人も皆イタリアーノのようだった。あとから8人ほどの若者のグループが入ってきたけど・・イタリア語で「入れる??」って聞いていた。

そうそう、kおばちゃんたちのメインは・・ピッアとペンネだったような・・もう何を食べたかも忘れてる・・・困ったもんだ!!

とにかくディナー難民になりかけたkおばちゃんたちです。

そうそう、1軒不気味なレストランが・・・冒頭の写真の左手前のカーテンのかかっている店なのだが・・・通り過ぎたときに・・カーテンの隙間からおばさん・・というかお姉さんというか・・が通を覗いていて・・目があってしまったけど・・中をチラッと見たら・・誰もお客さんが入っていなかった!!!

友達に「入ってみようよ~」って誘ったら「やだ!」と断られた。
この1年で一番繁盛するときに・・誰もお客が居ない・・見かけはそれほど悪くないんだけど・・どんなお店だったんだろう・・と今も気になってるkおばちゃんです。

誰か行ったら教えてください!
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ベルリオーズ??(アントワープ)

2007-03-05 18:11:22 | ベルギー
昨日は良いお天気!庭の梅ノ木は満開だし、さくらんぼの木もほころんできた。
掃除がてら、庭に魚の頭(食べ残し)をおいておいたのだが・・早速来たのは近所の飼い猫・・意地悪して蓋をかぶせて重石をしてしまった。だってどうせあげるんだったら野良のやせっぽちに・・なんて思ったのです。

今日は打って変わって、風が強い!今度のオフィスは角部屋になったためか・・風当たりが強い。困ったもんだ。

○12月31日(日)

さてさて、腹ペコでアントワープに戻ってきたkおばちゃんたち。宿の駐車場に車を入れて町へ繰り出す事にした。
とはいえ、部屋に入ったとたんテレビをつけてみる。ここベルギーでもなんとベルリンフィルのジルベスターコンサートを放映している。たぶん時間からするとライブ??
最初に彼女が映ったとき思わず『小澤征爾』かと思ってしまった・・・なんつうか髪の毛の具合が・・

去年の6月20日のブログに出てきた?ラトル氏もも登場・・

今年はここでもモーツアルト年だったようで・・でも、この番組って日本で見ると『夜中』に中継していたので『夜の番組』とおもってたけど・・そう時差があったのね。なんて思い出した。6月の演奏会のとき招待してくれた1月5日のブログに書いた知人も今回は演奏してないし(もう日本に来てる)・・なんてちょこっと見てお終い!それよりお腹が・・・ということで町へ・・

今日は、物の本によると割と評判のいいレストランが集まっているといわれるWijngaardstraatを目指してあるいてみた。

まあ、最初は物見遊山気分で、その側にある聖カロルス・ポロメウス教会なんかを『ふーーン』といいながら歩く。その写真は冒頭の写真。大分暗くなってきている。
この教会はバロック形式のイエズス会系の教会で、1615年~1621年にかけて建造されたようだが、1718年7月18日の火災で大きな被害を被ったらしい。

そして、例によってkおばちゃん後で知ったのだが、この聖カロルス・ポロメウス教会Sint-Carolus Borromeuskerkのオルガン・ギャラリーで、あの幻想交響曲で有名なベルリオーズの『幻のミサ曲』といわれていた『荘厳ミサMesse solennelle』のスコアーが保存されているのが1991年発見されたとか。なんでもアントワープ生まれのヴァイオリニストベッセムスに贈られたものだったらしい。

まあ、こんなところでベルリオーズとご縁があるとは・・とびっくりしたkおばちゃんです。
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大肉市場あたり(ゲント)

2007-03-04 23:46:50 | ベルギー
ようやく・・という感じでお休みが土・日とあった。
でも、耳鼻科に行けば・・・たくさんの患者さん!
そろそろ、雨どいの掃除をしておかないと・・枯葉がいっぱいだし・・池の蛙の卵も気になるし・・車にも乗っておかないとバッテリーがあがっちゃうし・・となんだかやらなきゃいけないこと考えたら・・それだけで疲れてしまった・・

○12月31日(日)

シント・ミヒール橋 Sint-Michielsbrug界隈をぶらついた後は・・その先にある
『大肉市場Groot Vleeshuis (Meat House)』へ
ここはGillis De Sutterの設計により1407年~1419年に建設されたらしい。ここでは、家庭向けに販売はなされなかたっようで、1446年~1448 年にはなんと『チャペル・礼拝所?』まで建設されたとか・・19世紀には家庭向けも販売されるようになりまた、郵便局、貯蔵のターミナル、展覧会区域、および宴会ホールとしても利用されるようになったらしい。
現在も、レストランとして利用でき内部も公開されてるはず・・・なのだが時間帯が悪かったのかそれとも大晦日だったためか・・閉まっていた!
せっかくだからここで食事をしようと思っていたkおばちゃんたち・・・また『食事』を食べ損ねてしまったのだ。
川の方から眺めると・・こんな感じ。

しかたないのでその辺をぷらぷら・・

橋を渡ったところにあるのが旧魚市場Oude Vismarktと旧救済院Wennemaershospitaal
奥が多分救済院

そしてフランドル伯の城 Het Gravensteen

フランドル伯アルザス家のフィリップが1180年に造った城塞。

そして、振り出・・というか車を止めたそばまで戻って・・

市庁舎 Stadhuis

         

ここは16世紀の建造でゴシック様式とルネッサンス様式がつなぎ合わされているとあか・・「ゲントの和約」の会場もこの内部にあるらしい。そして『旧市庁舎』と名乗ってないところを見ると・・現役のようだ。

そんなものをぷらぷら見ながらゲント観光は終了となった。

なんせお昼もまともに食べてないkおばちゃたち・・・そろそろお腹も限界にはなってきているが、ここで食事をすると・・どっちが運転して帰るかでもめるから・・二人ともワインを飲みたいと思ってる・・宿に戻って車をおいて食事に行くことで意見が一致したのだ!

ということでアントワープに戻るkおばちゃんたちでした。
あ、冒頭の画像は帰る途中に路地から見えた鐘楼。もう夕闇が迫ってきてた。
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シント・ミヒール橋あたり(ゲント)

2007-03-01 19:13:02 | ベルギー
あっという間に2月は終わってしまい・・・3月になってしまった。
ああ、このまま「おばば」になってゆくんだろうな・・・

今朝、職場の側の駅の改札口にお巡りさんが2人立っていたのだが・・・・なんでだろう??

そういえば、今回の九州行きで何故かラーメンを食べる暇が無かった・・残念!明太子も買ってこなかったし・・・次回に・・

○12月31日(日)

お茶を頂いて一休みしたあとは、また町歩きに繰り出した。なんせ、自動車で移動すると運動している気が全然しないのだだから・・観光はせっせと歩かないとね!と、ゲント訪問歴数回の友達にくっついて歩くことに・・

鐘楼Belfortのあった一帯に戻り・・左に曲がって振り返ったら・・こんな光景が・・
        
右から聖バーフ大聖堂 鐘楼  そして聖ニコラス教会がいっぺんに見える。

それをさらに進むと・・シント・ミヒール橋 Sint-Michielsbrugに出た。そし橋の上絵からは右側に『グラスレイGraslei』左側に『コーレンレイKorenlei』と呼ばれるギルドハウスの立ち並ぶ古いファザードがあった。それが冒頭の写真。

橋の袂から・・生きたとこを眺める。

kおばちゃんの見たところは・・右側の『グラスレイGraslei』のほうが立派に見える。

        こんな感じと

        こんな感じ。

そしてその先では川は二股に分かれているのだが・・・画面にはいらなかった!!

でも      こんな感じ!

左側の『コーレンレイKorenlei』は工事中・・というか修復中の建物がいくつかあったのでちょっと殺伐とした感じがした。そしてその修復中?のひとつはどうもヒルトンホテルになるようで、看板が出ていた。

一緒に歩いていた友人も「こんな綺麗になっちゃったんだ!」と簡単しきり。昔はもっと殺伐とした感じがあったみたい。昔って何十年前??ってつっこみたくなったkおばちゃん・・・だってベルギーの宿を決めるとき、候補地に挙げたら「あんな殺伐としたとこ・・」って却下されたんだもん!!

日が暮れかけてきて、先を急ぎ始めたkおばちゃんたちです。


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鉄瓶との再会?(ゲント)

2007-02-28 17:59:12 | ベルギー
今日は風が強くなってきた。
この前、2月26日のブログはアップしてから・・・・福岡に飛ぶべく出発したのだが・・なんと飛行機に乗り遅れる!という失態をしでかしたkおばちゃん。生まれてはじめての出来事!!

幸い次便(しかも10分後の出発)を割り当ててもらえたので・・なんとか生きながらえ?ている。ああ、職場からだと飛行場に向かう時間が読めない!!大慌ての福岡行き!

昨日帰ってきたのだが・・帰りは時間がありすぎて・・困った。
駅にある『井筒屋』というデパートは3月に閉店だそうで、閉店セールをやっていたが・・覗くと買いたくなるので辞めておいた。その代わり?五島列島の物産展をしていたので、食べ物を買い込んでしまったkおばちゃん・・『ダメじゃん』と一人つぶやいたけどね・・

ああ、時間は過ぎてゆく~

○12月31日(日)

さてさて聖バーフ大聖堂Sint Baafskathedraalの中で友達とはぐれてしまったkおばちゃん・・っていうかお互いに勝手に見学するものだ・・と思ってたからいいんだけど・・たぶん外に出て写真でも撮ってるんだろうなと思ったら・・案の定そうでした。

教会を出たところはやはり観光客がいっぱい!この向かい側にやはり世界遺産になっている鐘楼Belfortがあるからだ。この鐘楼は町のギルドによって1313年から建て始められ
争いや困難の末に一応1380 年に完了したが、その後鐘(カリヨン)が増設され、さらに1967 年から1980 年にかけてリニューアル?がなされたようだ。

そしてこの鐘楼の根元にあるのが繊維ホール(ラシャ取引所)Lakenhalle。1425年に工事を始め、1441年には一応完了したらしい。1613 年以来は学校として使われたり1742 年から1902年には刑務所として仕様されたりしたらしい。それににてもラシャって漢字で書くと『羅紗』で、外国語だったんだ!!と改めて思ったkおばちゃんです。

さらに、右端に映っているのは・・・どうも劇場・・らしいのだが・・

まあ、由緒ある一角なのだ。

こんなかわいいお店を横目に・・さて、お茶でも飲みますか・・とお店探し。例によってちょっと脇にそれてみる。なんとなく『モダン』雰囲気がしたからだ。

何処にする?って聞かれて・・例によってkおばちゃんが決めたお店はここ!ホントに適当に、決めました。
ちょっと寒くなってきたので・・

空きテーブルを見つけてやっと人心地。注文は友達は『紅茶』そしてkおばちゃんは『っチョコレート(ココア)』でも、運ばれてきたものをみてびっくり!
なんと日本の『鉄瓶』に紅茶が入ってきた!

こんな?ベルギーの地でまさか『鉄瓶』に再会するとは思わなかったのでかなり驚いたkおばちゃんです。

お隣のテーブルで『ワッフル』を召し上がっていらっしゃいましたが・・考えた末にパス!ちょっとカロリーオーバー気味かと思いまして・・でも、結局この旅行では食べる機会を逸してしまった・・ということに帰国してから気がついたkおばちゃんです。
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稼ぎ頭の祭壇画(ゲント)

2007-02-26 18:31:43 | ベルギー
お休みもあっという間に終わってしまった!
土曜・日曜とちょっと用事がありばたばた。今月も1回しか車に乗らなかった・・しかも・・3キロ・・なんだか無駄だなあ~

夕べはあばら家は寒かった!今日は夜から博多で稼ぎなので・・少しはこちらより暖かいのではないか・・・と期待しているのだけど・・

○12月31日(日)

トゥルネーの観光も一通り?終えたので、
さて、次の目的地へ

どこにしようか・・と、kおばちゃんがいくつ提案はするが・・ウェリントン将軍が(あ、これも英国・オランダ連合だ!)とナポレオン(フランス軍)との戦場として名高い本家ワーテルローIn Waterloo(ロンドンなんかにもこの地名があったとおもう)・・実際にはブレーヌ・ラヌーBraine-l'Alleud という場所らしい・・が、ただのそれだけしかないって言うのもなんなので(トゥルネーより人が多いところが良)ゲントに向かうことにした。

ゲントは最初この旅行の宿泊地としてkおばちゃんが候補に上げたのがだが・・友達は昔行った事がある(しかも数回)ということで却下された場所だった。

ゲントはGent(蘭)/Gand (仏)/Ghent(英)と標記される東フランダース州州都。人口25万の「花の都」。近年は工業都市となっているようだが、Scheldt 及びLys川の合流地点からのケルト族の単語' ganda ' から、' Ganda '「(川などが)一つに集まる、合流する」というに由来するらしい。中世後期においては、ここでも織布業の中心として繁栄し、その人口はパリにも匹敵するほどであったということだ。つまり、ここも当然『古都』。

そしてここで超有名なのが上の写真の聖バーフ大聖堂Sint Baafskathedraal

ここも、クリスマスバージョン?広場に面したバルコニーのところを見ると・・・
東方の三賢人がと思われる人物が・・・でも、一番右端の人は何してるんでしょうか?バルコニーに『手』が出てるように見えるんですけど・・・

そして、その中にあるにあるファン・アイクによる門外不出の祭壇画(1432完成)The Adoration of the Mystic Lamb 「神秘の子羊」である。

作者のファン・アイク(兄弟作と言われている)は2月18日のブログに書いたロヒール・ファン・デル・ウェイデンと並ぶ・・というかこちらの方が有名?なフランドル絵画の巨匠。

この有名な絵画は以前は普通に教会堂に安置されていた・・と連れの友人は言っていたが・・今は教会堂の中の特別?な部屋に置かれており、しかもガラスケースに収められている。そして、もともとその絵が掲げられていたところには『コピー』が掲げられており、オリジナルを拝みたければ、きちんと拝観料を払って拝まなければならない仕組みになっている。

拝観料は3ユーロ!でも、びっくり、トゥルネーで中を見ない!といっていた友人が「見ようか?」と聞いてきた。もちろん初心者のkおばちゃんは「そうしましょ!!」とOK。早速中に入って・・ガラス越しのご対面!

この拝観料にはオーディオガイドの使用料も含まれているのだが・・丁度日本人の団体さんと一緒になったが・・誰も利用していないようだった。

しかし、この展示、けっして広くない場所に『わんさか』人が居る。けちなkおばちゃん・・いったい一日幾ら拝観料が入るのかしら・・・なんて考えてしまった。一緒に入っていた日本人の団体さんも、この部屋は別料金らしく、入る人と入らない人が居るようだったが・・まあ、本とガラス越しのご対面は『鑑賞』するのに疲れてしまった。

このガラス越しのご対面の「神秘の子羊」、実は1934年4月10日にそのうちの2枚が盗難にあっており、身代金?騒ぎになったりしたらしい。うち1枚は回収できたが、The Just Judges とう左下の白馬にまたがった裁判官?が描かれている部分は未だに回収されていないそうである。

絵画鑑賞の後、kおばちゃんは一応お堂内を見物・・地下の展示では・・なぜかヘンデルの『メサイア』の曲の一部(有名なハレルヤではない)ずーーとかかっていた・・

友人ともはぐれたの・・まあ外に出てみるべぇと、外に出たkおばちゃんです。
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有名人3(トゥルネー)

2007-02-22 18:00:36 | ベルギー
昨晩は自分の不注意で・・ヒヤッと?した。ちょっと大げさか??

何故かというと、『夜間断水』を忘れていたのである。それを忘れて入浴してしまった・・髪の毛を洗っていたら蛇口から「ゴボゴボゴボーーヒーー」って言う音とともにミ水が出なくなってしまった。あらららら・・・とりあえず、浴槽のお湯ですすいだりしたけれど・・トイレはどうしよう・・なんて思たkおばちゃん。とりあえず、洗濯機の中の水もあるし・・まあ、浴槽のお湯でもいいか・・なんて色々と考えた。

お水はが出ないのはとっても不便。出るのが当たり前と思ってた生活を考えさせられましたです。

そうそう、昨日から英国がイラクから撤退ってニュースで報道していたが・・撤退のきっかけはヘンリー王子が原因じゃないよね・・って疑ってるkおばちゃんです。なんでも、士官学校を卒業して以来『特別扱いしないでくれ』とイラク行きを強く希望している・・って先週のニュースでみたばっかり。派遣先を『あまり過激なところ』にもあてられないし、『そのための沢山の警護をつける』というのもいかがなものか・・というところだったんじゃないかと思っていたからだ。それなら『ええいめんどくさ!派兵をやめちまえ・・とおもったりして・・・あ、ブレアさん失礼な事言ってもうしわけありません!

ただ、先日思いがけないところでイギリスの若いお嬢さんが『戦場にいる兵士』のために流した涙を目撃?してしまい、ああ『戦場はイギリスにとって現実に存在してるんだなあ』とあらためて感じていたらよけいかもしれないが、○ッシュさんこのHPを毎日眺めて!!って言いたいkおばちゃんです。戦死者はけっして数字ではないんです。彼らにも名前があり人生があったんです!って叫びたいkおばちゃんです。ごめんなさい、真面目に語ってしまった・・・

○12月31日(日)

Christine de Lalaingの像の隣?にいらしたのは・・・去年の12月15日のブログに書いたベレン人形?おフランスではなんていうんでしょうね?まあクリスマスは終わったけれども1月6日の主顕日まではクリスマス・・とばかりにグランプラスに飾ってあった『キリスト生誕シーン』・・どうでもいいんだけど、これマネキン人形にみえるんですけど・・

コレで思い出したのは、もう一人のトゥルネーでの有名人!しかも女性!そしてキリスト教と深いつながりがある人・・のことである。

彼女の名はジャンヌ・ダルク(仏:Jehanne Darc:Jeanne d'Arc , 英:Joan of Arc)『オルレアンの乙女la Pucelle d’Orléans』とも呼ばれ100年戦争Guerre de Cent Ansのときに活躍した、フランスの国民的英雄である。

なぜ、彼女がこの町トゥルネーと関係があるのか・・それは、そもそもドンレミDomrémyというお水で有名なVittelの近所出身の彼女が『オルレアンの少女』と呼ばれるようになった元の「オルレアンの囲みを解き王太子をランスに伴い、戴冠させるため王太子のもとに赴いた、と唱えた“乙女(ラ・ピュセル)”」という意味で、100年戦争中の要となるオルレアン攻防戦のとき、当時毛織物の原材料輸出国として重要であったイギリスと手を組む周辺の町の中で、このトゥネーはフランス側に付いた・・ということを感謝した、ジャンヌ・ダルクがその礼状をしためた・・・という史実があるからである。

その手紙は1429年6月29日の日付となっており、その手紙の中に『Tournai の町の忠節なフランス人に』という下りが最後に出てくるそうである。

そして、そのすぐ後の1429年7月17日にジャンヌ・ダルクが王太子としてあがめていたシャルル7世は2月13日のブログでも書いたこのトゥルネー出身の初代フランク国王クロヴィスClovis1世が洗礼を受け歴代のフランス国王がで戴冠式を挙たランスの大聖堂la cathédrale de Reims(La cathédrale Notre-Dame de Reims)で戴冠し正式なフランス国王となったそうだ。

ただ、トゥルネーの町のHPでは、そのことに触れていないようであるが・・・どうなんだろう?

昨日のブログにあったChristine de Lalaingはその100年もしない後にイギリス側について戦った・・・とkおばちゃんには思われるので・・う~ん・・・kおばちゃんには判んない!!

そもそも『百年戦争』はシャルル4世が男子の跡継ぎの無いまま不意に死んでしまったことに直接の原因(継承争い)はあたようだ、その他にも当時としては重要な産業であったこのフランドル地方の毛織物の利権をめぐる争い・・・的要素も十分あったといわれているそうだ。

1337~1453年にわたって実質100年以上続けられた「百年戦争」、現在のイスラム圏の争いがそうならないことを祈っているkおばちゃんです。

ああ、今日は真面目になってしまった。・・・でも内容については・・・ちと自信がない。なんせ付け焼刃ですから・・ガセだったら御免なさい!

何時の世の中も争いは・・いやだとおもうkおばちゃんです。
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有名人2(トゥルネー)

2007-02-21 19:26:20 | ベルギー
今日は予報どおり・・花粉がすごい!夜中というか明け方に花粉で目が覚めた!
花粉でというより、『鼻水』で・・ああ、きちゃない・・・

今日は本とは歯科検診を予約してあったのだが・・・キャンセルしておいた・・正解!
こんなんじゃ口でしか息ができないから苦しいのだ!

○12月31日(日)

一休み・・して、お店の前のグランプラスに出たkおばちゃんたち。
そこで冒頭の人物像を発見!だれだろう・・・と思いながら(なんのお勉強もしておりませんので・・)とりあえず(いつもの事ならが)写真だけ撮っておいた。

帰国後ちょこっと調べた・・が系統だって調べられなかったので・・『ガセ』がまじるかも。。

どうも、この人物は台座にも書いてあとおり、Christine de Lalaingという方らしい。彼女はMontmorenc(ゲントの北西?)のCharles Lalaing伯爵の娘で、1579にMelun のPierreというトゥルネーの総裁?人と結婚したらしい・・違うか?

このろのトゥルネーはどうも1513年にイギリスのヘンリーVIIIに征服されて以来、イギリスの支配下にあったようだ。宗教的にはプロテスタントに多大な影響を与えたカルヴァン主義(Calvinism)が地中心だったようである。
そんなときに、神聖ローマ帝国はカール5世からフェリペ2世Felipe II (スペイン王)に変わり、彼はがちがちのカソリック。カトリックによる国家統合に力を入れ始めた。
それに、反対して1568年にはネーデルラントの反乱がネーデルラント連邦共和国(蘭:De Republiek der Zeven Verenigde Nederlanden、英:The Republic of the Seven United Netherlands)の独立へとつながってゆくのだが・・この時フェリペ2世のもとで、ネーデルラント総督を命じられていた第3代パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ (Alessandro Farneseは、このトゥルネーの町も攻撃の材料としたらしい。

そして、1581 年に征服されるのであるが・・・1年間に渡り16000人の歩兵と5000人の奇襲兵を率いるアレッサンドロ・ファルネーゼに抵抗し、町の人たちの先頭に立ち放火などに怯むまず、女性や子供達を勇気付けたのは・・このChristine de Lalaing女史であったらしい。征服されたのではあるが、降伏の条件として、プロテスタントの住民が彼らの所有物を販売し、移住するのに1 年間の猶予を与えられたのである。宗教反対者は単に虐殺されたていたのが通常とされていた当時では、かなり慈悲深い考慮された方針といえるようだ。

従ってトゥルネーの歴史上では戦いに敗れこそすれ『英雄』として扱われているようである。

Christine de Lalaingまたの名をPrincesse D’espinoyと呼ばれたということだ。

女は強い!!と思ったkおばちゃんです。
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おフランスの香り(トゥルネー)

2007-02-20 17:57:54 | ベルギー
今日は一日すっきりしないお天気。
お鼻のほうもすっきりしない。いよいよ薬を飲まなきゃだめかな?
一応この前の土曜日に処方してもらっている。そうそう、この前医者に行ったとき聞いた話。
kおばちゃんの通っているのは近所の耳鼻科。先生はkおばちゃんの家庭の事情?を良く知っている。このまえ「今朝、名前も名乗らないで『1回打てば花粉症がワンシーズンでない薬があるって聞きましたが、そちらではやってますか?』って電話があったのよ」といわれた。そんな薬があることも知らなかったけれど・・けっこうきついホルモン剤だそうだ。うちの先生は「私は強すぎると思うので扱わないの」って言ってた。なんでもおばあさんの生理が始まってしまうくらい・・・とか。
花粉症も困るけど、ホルモンのバランスが崩れる方がもっと怖いと思っているkおばちゃん。もちろんお願いはしなかった。う~ん究極の選択か??

○12月31日(日)

歴史的?散歩も疲れてきたkおばちゃんたち。もう少し人間味のあるところへ・・・って訳じゃないけど、グランプラスの方向に歩いて行った。

そこは・・kおばちゃんの大好きな通・・・お店特に食べ物関係が・・軒を?連ねていた。そのだい1発目は冒頭のお店。
何のお店だと思います?

よく見ればわかると思うけれど・・パン屋さんというかチョコレートやさんというかお菓子屋さん。でも、ディスプレーがおされ・・私の友達いわく『ゴスロリ』のようだ・・
うーんちょっと雰囲気は・・わかる。
でも、建物はVAN HOVEというお店らしい

その先にはお惣菜やさん・・しかも営業中!

おフランスの香りチーズ屋さ(これも営業中)

肉やさん

こういう生活感のあるお店は大好き!

でも・・・そろそろ歩きつかれてきたkおばちゃんたち。ちょっとお休み・・といことでタベルナへ・・AU VIEUX TOURNAIというお店


そこにもおフランスの香りが
友達の頼んだのはチーズとお茶kおばちゃんはオニオンスープ!

冷えた体にとっても美味しかったです。お値段も体に優しいこんな感じ・・

そして・・おトイレに貼ってあるポスターも文化の香り??が・・

なんて思ったkおばちゃんです。
ホントとおフランスから近いトゥネーの町でした。




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町歩き2(トゥルネー)

2007-02-19 19:17:49 | ベルギー
今日からまたお仕事なのだが・・・昨日一日だらだらと寝転んでいたのだが・・・変なところにクッションを当ててた為か腰が痛い。しかも片側・・うう、何もしない罰が当たった!

職場の環境も慣れてきたが・・やっぱり日の当たらない分だけ寒い・・太陽が恋しいよ~

ささ、続き・・その前に・・・『町歩き1』で、ガゼ情報を流してしまったようだったので・・・訂正しておきました。はは・・失礼いたしました。お粗末さまでした!

○12月31日(日)

『町歩き1』のときに橋がかかっていたエスコー川とはフランス語読みで、アントワープではスヘルデ川と呼ばれている。1月31日のブログに書いアンティゴーンいた川の上流。やはり上流というだけあって流れが・・・狭い!

しかし、この少し上流では世界遺産にもなっている巨大ボートリフト(67mの高低差を解消)を持つサントル運河を経由しムーズ川と繋がっており、このムーズMeuse(マース)川は運河によりパリを流れるセーヌ川
とも繋がっている・・・とか。はっぱりおフランス圏です!

ということで、もう一度川を渡って、今度はこの町で2番目に美しいといわれている聖ヤコブ教会Saint-Jacques へ!それが冒頭の写真。
この教会の塔の骨組みは1215寝んのものを使用しているらしいが、回廊部分は1368年空のもらしい。聖ヤコブ教会はこの地方(フランダース)の巡礼教会のひとつで、巡礼の宿舎として使用できるような構造にもなっているらしい。
全体がトゥルネー風のゴシック様式というらしい。素晴らしいステンドグラスがあるらしいが・・通常は公開していないそうである。ま、公開していても見たかどうか・・ノートルダム大聖堂でさえも見ないkおばちゃんたちですから・・


ただ、この一角はトゥルネーの町の中でもひときわ古い17世紀の家並みが残っており、それが現在も使用されているとか。

たぶんこれかな?
今ひとつ確信・・・・無い!

この一角では無かったと思うのだが・・忘れてる・・こんなレリーフのある『普通の家』があった。

ちょっと拡大してみると
なんだか歴史を感じさせるでしょ?

当日ツーリストインフォメーションもお休み・・そのうえ、毎度のことながら事前調査不足のkおばちゃんたちの旅・・いい加減ですが、歴史の重みだけはひしひしと感じてきましたですよ。
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有名人1(トゥルネー)

2007-02-18 21:44:00 | ベルギー
今日もお休みの日。いつもどおりだらだら・・と過す。
朝から雨の音が聞こえているので・・今ひとつ何にもする気がおきず・・だらだらと・・
結局夕方掃除機をかけるはめに・・
庭を眺めたら・・梅が数輪ほころんでいる。今年はやっぱり早いみたい。

それにしても、ここしばらく暖かかったので、ぼけた蛙が出てきていたけれど、今朝見たら寒々と池につかっている。見てるだけで寒そう・・

○ 12月31日(日)

先ほど歩いてきたノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dameの裏(どっちが表だかわからにいけど・・)最初の写真の像があった。

何なんだろうな?マドンナ信仰でも強かったのかしら・・と思っていたのだが帰国して台座の文章をたよりにちょこっと調べてみた。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(Rogier Van Der Weyden/Rogier de la Pasture 1399-1464)というヤン・ファン・エイクと並ぶ初期フランドル派のトゥルネー出身の代表的画家らしい。
ロベール・カンパンという当時この町で有名だった画家にの弟子となり画家となってゆくが、不倫騒動のあとリュッセルに移り、エリザベスElisabethという女性と結婚し子供2人をもうけたらしいが1464年 6月18日ブリュッセルで没。ファン・エイクと違い、署名や年記のある作品は残っていないようだ。
「聖母子像」はトゥルネー美術館に収蔵されているが、「十字架降下」(1435頃)はプラド美術館に、「 聖母を描く聖ルカ」(1450頃)はボストン、ボストン美術館にそして、
「七つの秘蹟の祭壇画」(1450頃)はアントワープ、王立美術館にそれぞれ収蔵されているとのことである。

うーーん知らなかった!この次これらの美術館を訪問する機会でもあったら・・・っていつになるか・・・気をつけてみてみよう・・なんて思ったkおばちゃんです。
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町歩き1(トゥルネー)

2007-02-17 22:05:51 | ベルギー
今日はお休み。この1週間はなぜかばたばた・・まあ引越しもあったが・・おちつかない気分の上に、色々と仕事も立て込んでて・・やっと緊張の1週間が終わった!

新しいオフィスでの発見!方角的に絶対に日射がないと思っていたのだが・・隣のビルのガラスに反射する日射を発見!なんとなくラッキーな気分!小さな幸せを感じてしまった。

そういえば今朝なんとなくTVを見ていたら・・丹頂鶴の話をしていたのだが・・11月13日のブログに書いた鶴居村が出てたなあ~と思ったら、見覚えのあるおばあちゃんが・・名物おばあちゃんだったのだ。知らなかった。ずーーと餌付けの世話をされているとか・・頭が下がる。

さてさて・・

○12月31日(日)

Tom Tom様のお導きで・・車を止めたのは、そう鐘楼 Beffroiの近所の路上。駐車禁止じゃないことを確認して。
やっぱり、一番目に付くのは鐘楼。1188年に着工され、内部の43個鐘(カリヨン)は19世紀に鋳造されたものだという。内部をお金を払えば見学できるのだが・・今日はお休み。大晦日だものね。上からの展望も・・見えませんでした。ただ・・入り口から覗いた感じでは・・非常に近代化されていて・・自動ドアーになっているようだった。

ちょっとシーズンオフの町は、それでもまばらには観光客がkおばちゃんたちも含めてぱらぱら・・と。とりあえず、町歩きをすることにした。

目印になもなるのはさっきの鐘楼と、ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame。こちら5つの塔をもつそうであるが。1171年5月9日に献堂されたということだが、身廊と交叉部がロマネスク様式、内陣は後にゴシック様式に作りかえられた・・とか。ステンドグラスや、遺物のタペストリーなどすばらしいものがあるのだが・・kおばちゃんも友達も内部に入ろうとはなぜか思わなかった。

近くで見ると・・いっぱい見える。

町歩きを続けると・・川に出た。エスコー川というらしい。橋野からはちゃんと5本塔が見えている。


橋を渡るときに??と思ったのは、橋の直ぐ袂に『信号機』があったからだ。何で?と思ってよーーくみたら・・どうも可動式?の橋のようである。ちょっと大きな船が通るときは・・橋は移動するみたいである。

そもれもそのはず、その橋の上流(だったと思う)にある13世紀に築かれた市壁の名残トル橋 Pont des Trousは。1940年に英国軍により爆破されたあとの47年に修復工事の際には船舶の通行を考慮して2.4m高くした・・というこらしい。
このトルネ橋にも

kおばちゃんたちは・・遠くから拝むだけ・・という手抜きの観光!

橋を渡った路地からもノートルダム聖堂の塔はよーく拝める。

なぜ、橋を渡って・・来たかというと・・『ロマネスクの家』のはずだったのだが・・・正解ははお隣でした・・ああおばか!

というのと『ゴシックの家』これも正解はお隣でした・・・

というのが地図に載っていて..・道に迷ったかな?と思ったら親切なおじさんが教えてくれたんですけど・・・間違ってまし。ただ・・だからどうした・・っていうような建物ではあったけど・・・

そこで、おフランスの洗礼を受けてしまったkおばちゃん。何かって?それはワンちゃんの○ンである。その昔ーーし、青春時代初めてパリに行った時に、初めて洗礼を受け・・なんて○ンチの多い町なんだ!と思っていたのを思い出した。その後・・ドイツ語圏専門?のような感じになってしまったので・・すっかり忘れていた。

連れの友達に大笑いされたkおばちゃん。まったくもう!!植え込みの土で靴の裏を必死にぬぐうkおばちゃん・・まだやわらかい○ンだったのだ!(きちゃなくてごめんなさい)ここできれいにしておかないと・・車が汚れるよ!フン!?

もうすこし町歩きを続けるkおばちゃんたちです。
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