Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

予約はあきらめないで・・(クラクフ)

2012-03-31 23:59:14 | ポーランド
今日は朝から天気が悪い・・という宣伝文句の割には悪くなった時間は遅い感じ。
でも、kおばちゃんがちょと出かけなきゃいけない時間にあたってしまって・・残念!

強風が吹き荒れたようで・・高層ビルの脇は傘無用!というか役立たず。
何だか疲れた一日でした。

○8月6日(土)

kおばちゃんがエッチラオッチラやってきたのは、ヴァヴェルWawelの丘にある・・お城です。
川のほとりのこの丘一体は非常に重要な建物が集まっているようです。


なんとなく人波にくっついてゆくkおばちゃん。


しかし・・どうもここの展示を見るのには入場券を買わなきゃいけないようだということに気がつき・・窓口を探すと・・ありました。


kおばちゃんが辿り着いた時には・・お客さんもまばらでした。


というのも、ここの主な展示は予約制で時間が指定されているのです。で、お昼を過ぎてしまったこの時間・・まあ土曜日というのもあったのかもしれませんが・・殆ど本日は売り切れ!という状態だったのです。
そんな中で、なんとか手に入れられたのは執務関係の部屋State Roomsだけだったのです。仕方がないのでそれを予約。
そのあと、おトイレにいったらいうろちょろしてたのですが、念のためもう一度ボードをみたら・・あれ?さっきなかったのに・・という空きを発見!早速窓口へ!

すると、窓口のお嬢さんも一度は売り切れ!とのたまったものの、kおばちゃんが『だってほら!』とボードをさすと・・『あら!』ということで発券してもらえました。
ラッキーでした。あきらめなくてよかった!

ただし・・予約した時間まで少々まがありますので、ぷらぷらお散歩がてら向かいます。


なんとなく・・皆がぞろぞろと入っていったのでくっついていたのは・・こんな場所。


ヴァヴェル大聖堂Katedra Wawelskaの中にある霊廟でした。どなただったかしら・・この棺のかたは・・

次に向かったのは・・こちらの宮殿の中庭です。なにやら賑やかだったのです。


皆さん何だか鑑賞中!です。


皆さんの視線の先にあったのは・・ダンスをする皆さんです。それも・・インドの舞踏?


ダンスフェスティバル・・のような催しのようです。Festiwal Cracovia Danza.


結構見ていると楽しいです。

中庭の外から聞き覚えのある音楽が・・あ、昨日広場で見た彼らがこちらにも来ていました。


丁度良い時間つぶしになりましたね。
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NATSUYASUMI!(クラクフ)

2012-03-30 19:34:10 | ポーランド
今日は月末期末年度末。で、金融機関は忙しそう。kおばちゃんも忙しそう・・
しかしながら、kおばちゃんも相変わらずのオオボケ!振り込みに行くが・・相手先の支店名は忘れる・・
いったりきたりの大慌てでございました。

来週からは4月。新社会人になったころの気持ちは何処へやら・・ダメねえ。

政治の方はかってに動いているようす。それにしてもなぁ・・代案もないまま、反対反対叫んでいる議員の気も知れないし・・街頭インタビューで何処かの出来そこ内のような政治評論家にみんな成り下がってしまったような答えしか聞こえてこないんですけど。

そうそう、それと民放連がNHKにネットの配信をしないように申し込んだとかなんとかニュースになっていたけど・・いまさらの民放の感度の低さにあきれます。
手法こそわるくて問題だったけどライブドアを抱え込めなかった民放。過去の固定観念からちっとも抜けられないのよね、未だに。

ネット配信になったら地方民放局の経営圧迫になるって叫んでるけど、違うと思うな・・
ネットでそれこそローカル番組を見る事ができたら、そっちの方がたのしいとおもうkおばちゃん。
ローカル番組大好きですよ。キー局の、時代遅れのニュースよりよっぽど楽しいし、ネットでばんばん配信して行けばそれなりに収益上がると思うんですけどね??

頭の古さだけはねぇ。進化しないで!と訴えてるkおばちゃんです。

○8月6日(土)

ヴィエリチカ岩塩坑Kopalnia soli Wieliczka の見学は終りました。

鉱山からの出口は入り口と違い離れています。そこへ向って・・みんな歩きます。


敷地内にはこんな列車の姿もみえましたけど・・ツアーなのでおいて行かれたら大変!!


もうちょっとで入り口・・という付近に来ると・・みんなマッタリムードです。


敷地内にはホテルもありました。


入り口にはもう、今朝のドライバーの彼が待っています。あ・・ちょっと待って!と急いでお土産を買うkおばちゃんです。
お土産にはここの岩塩鉱のお塩のバス・ソルトをお買い上げしました。

あわただしく買い物したツモリだったけど・・バスの最後のお客さんになってしまいました。


ピックアップされたのと逆の順番で・・ドロップ・アウト!


こんなトラムの脇も走りました。

気球が見えてきましたから・・・もう直ぐクラクフ旧市街ですね。


無事に町に戻ってきましたが、来る時と違ってkおばちゃん達のホテルの前は・・止まりませんでした。通りは一通でしたもんね。

ここの先だよ・・と降ろされたところの路面をみたら・・・縦横にトラムのレールが刻まれてます。


一旦ホテルに戻ったkおばちゃんですが、考えたら今日は土曜日!明日は日曜日!ということは金融関係のことは今日してしまったほうが良いだろう・・ということで再び軍資金を調達に出かけました。出かけた先はホテルの直ぐそばのお店。

昨日プラプラと歩きながら何箇所か両替のレートを確認したのですが・・ここが一番良かった!


でも、ここのお店。両替商というよりも古物商と言う感じで、古い貨幣の売買もしているみたいでした。


軍資金を手にいれて・・人心地ついたkおばちゃん。再び観光に向います。

そういえば、街中のバス停になにやら日本語が・・


『夏休み』????この光景だけ見たら・・何処の町角かわかりませんよね?
これはマンガ博物館Muzeum Mangghaと言う建物の、夏休みのプログラムだそうです。『マンガ?』と思われるでしょうが『漫画』のこではないそうです。ここによると、日本美術の蒐集家であったフェリクス・“マンガ”・ ヤシェンスキ氏のミドルネーム「マンガ」から来ているそうです。

本来は日本美術技術博物館と言う名前のようです。あら、こんなに日本と結びつきが強い町だったんですね。

まあ、ここまで来て日本美術・・でもありませので、kおばちゃんは気になるアッチに向うことにしました。


向う先は・・あちらの建物ですかね?


夏休みの土曜の午後とあって・・結構な観光客の数です。あ・・・kおばちゃんもそうでした。


タラタラと坂を上って行きましょう。


ここをくぐると・・もう城内です。
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塩のシャンデリア(ヴェリチカ)

2012-03-29 18:59:27 | ポーランド
今日は月末期末が近いためか、街中もそわそわ。
で、kおばちゃんもそわそわし過ぎて・・キャッシュカードの暗証番号を2回も間違えてしまい、ロックがかかりそうになってしまいました。
あわてて窓口で・・リセットしてもらいましたけど。

まったく何を浮ついているのやら・・こまったkおばちゃんです。

○8月6日(土)

ヴェリチカ岩塩坑Wieliczkaの見学はまた続きます。

何と言っても採掘は危険な仕事。神に祈ることも大切ですね。いたるところにそのような場所があります。



Kaplica św. Krzyża聖教会堂。お堂そのものは19世紀のものらしいです。キリスト像は17世紀のもののようです。



質素ではあるけれどシャンデリアもついています。


キリストの足元には塩で出来た修道士の像もあります。


そしていよいよkおばちゃん達ご一向は、この岩塩鉱のメインにやってまいりました。Kaplica św. Kingi
聖キンガ礼拝堂


聖キンガさまは、先程のお話に出てきたハンガリーからおこしいれになった王女さまで、この岩塩鉱の発見を導かれたかたです。

彼女を祈念してというか記念しての聖堂だと思います。


このシャンデリアも『塩』でできているそうです。


こちらの壁面には『聖書のお話』が彫られています。


普通の教会ならば・・ステンドグラスというところでしょうね。


ここでは20分くらいだったかしら・・自由時間があり、ゆっくりとその作品を鑑賞することが出来ます・・がkおばちゃん。階段の連続で相当お草臥れでした。

そこからまた少し先に進むと・・ここで大体の見所は終ったということでしょう。本当の自由時間になりました。


集合場所を教えられて・・解散です。

この直ぐ先にカフェテリアがあったので、お草臥れのkおばちゃんはお茶で一休みです。


その後は集合して・・・再びゾロゾロト歩きました。


帰りは少人数のグループに別れてエレベーターに乗って・・・・ガーーーと上ってお終いです。



あーあー、最初からエレベータで降りたかった・・と思ったkおばちゃんでした。
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地獄の道行き(ヴィエリチカ)

2012-03-28 19:49:29 | ポーランド
今日は・・昼間は暖かかったけれど、夜にかけて段々と寒くなってきているみたい。天気予報があたってしまった!

ここのところ、おばかな決断をしてしまって心おちつかないkおばちゃん。
いろいろとそのための調べ事をしているのだけれど・・これといった情報にヒットしないのがつらい。

月末、期末も迫っていてこんなことやってっちゃいけないんだけどね。でも気になる・・
さて、どうしたものか・・・

○8月5日(金)

結局、夜ご飯は広場の屋台で済ませてしまったkおばちゃん。
ホテルに戻って・・・ヒュンダイ君の状態を横目で見て・・明日の確認をフロントでした・・お部屋に引き上げました。

さあ、明日は気ままには過ごせないのでしっかりと目覚ましをかけました。

●8月6日(土)

いつもよりは早起床!だって遅れる訳にはゆきません。今日はご前中、ツアーを申し込んであるのです。
朝ごはんを地下の食堂で頂いて・・一旦部屋に戻り、約束の時間の前にフロントロビーで待ちました。

約束の時間どおりに、ピックアップの車がやってきました。
今日のツアー参加はkおばちゃんと同宿の方はお若い男性1人です。ツアー料金は忘れましたが、直接ドライバーに払えと言われてましたので払いました。

で、ここでチラッと疑問が・・確かツアー料金は最後の桁が『9』と言う数字だったんですよね。
まあ、もちろんお釣りをもらうツモリはありませんが、お釣りを出すそぶりもしなかった・・ということなんです。だったら最初から丸めた数字を告げてもいいのに・・とは思いました。
これは、多聞kおばちゃんの日本人的発想なのでしょうね。チップといキリスト教的喜捨精神になじみがないだけなのかもしれませんけどね。

さて、ピックアップのワゴン蚊と思っていたのですが(集合場所に連れて行く)どうやら、このワゴンそのものが目的地まで連れて行ってくれるようです。
kおばちゃん達が乗り込んだときにはもう半数のお客さんは座っていました。kおばちゃん達の後数件ホテルに寄って・・旧市街を出発しました。


自分で運転して行けない訳じゃないけど、今日くらいは休養したかったのと、あちらの駐車場の状態が今ひとつというのと、今日でかけてヒュンダイ君が帰ってきたら駐車スペースがなくなってると思ったからです。

市内を出てからも・・1つホテルに寄りました。うーーんちょっとここは足の便が悪そうだけど・・こんなところにもあるんだ!とおもった場所でした。

さて、kおばちゃん達が到着したのはここです。ヴィエリチカ岩塩坑Kopalnia soli Wieliczka です。


1044年創業?で、13世紀から1996年までは実際に商用に採掘されていたらしいですが・・現在は??ですね。
そういう意味では世界最古と言われる岩塩鉱です。


車を運転して来た彼とはここでお別れです。岩塩鉱はツアーで無いと入れません。で、彼がグループで申し込んであったのでしょう。チケットをピックアップしてきて・・・ツアーメンバーに20分後にここに集まるように・・と告げて何処かへ行ってしまいました。

時間があるな・・その間にお土産を買えと言われたけど、今買ったら最後まで持って歩かなきゃ行けないと思い辞めて起きました。

時間になると、専属ガイドさんが現れ・・私達はこちらの入り口から入りました。


その後、順番にエレベーターに乗っけられて・・じゃなかったのです。


なんと、それからは徒歩で階段を380段降りるはめになりました。これがkおばちゃんには地獄の道行きだったんです。

実はこの6月に膝の筋を断裂してしまっていて・・片足がいたくて良く曲げられない状態でした。もちろん医者にはかかっていたのですが、なんせこういう外科的なことは時間がかかります。で、まだまだ体重をかれられる状態じゃなかったのです。右の足に。
しかし、階段を降りると言うのは必ず片足に体重がかかりますよね。それにツアーメンバーから取り残されたら大変!!と必死に片足だけ体重をかける態勢で・・ピョコタン、ピョコタン、ピョコタン・・・必死について行きました。


一番したの階に着いたときは・・・ああ。。ゼイゼイです。健康のありがたみを再認識させられました。

ここで、ツアーメンバーに注意をだされました。空調の関係で、許可が無いと次ぎのステージに進むドアーが開けられない・・勝手に開けてはいけません・・といった内容だった思います。

かつては、換気装置に問題がり坑内に湿気が溜まり、岩塩製のモニュメントを損ねたりしたことがり、一時は危機遺産のリストに乗っていた時代もあったそうです。近年は空調の完備でリストからはずされたようですが、そのため各ブロック毎に圧力をかけて管理しているようです。
さ・・扉が開きます!


これは・・たしかコペルニクス部屋Komora Mikołaja Kopernikaにあったモニュメントだと思います。コペルニクス自身も訪問しているとか。


こちらはまた別のJanowice部屋にあったモニュメント、王女に指輪を差し出すの構図。これはこの鉱山にまつわる最も古い話でしょうか?


ポーランド王子と結婚したハンガリー王女キンガ Kinga にまつわる物語・・だったともいます。彼女の指示に従ってこの場所に井戸を掘ろうとおもったら・・不思議なことに王女が指し示した場所、岩塩が見つかり、その石の中に王女の婚約指輪が入っていたという言い伝え。当時岩塩は金にも勝るとも劣らないお宝だったでしょう。以後、キンガ王女はこの岩塩坑の守り神として崇められているらしいです。

こちらはKomora „Spalone”スパローネ部屋。スパローネとは熱源?


当時も今も鉱山で恐ろしいのはガズ爆発。で、坑夫は濡れた服を着てこの長い棒の先に火を付けた物を穴ぼこに突っ込んではメタンガスの有無を確認していたようです。


次ぎの部屋はSielec部屋。


ここは集積した岩塩を運び出す為の部屋でしょうか。このような馬に『そり』のついた荷車をひかせていたようです。

現在でも、このようにはっきりと轍?がのこっていました。


この辺りにはびっしりと塩の結晶というか・・こんな感じに天井がなってました。


その他にも部屋にある木組みの採掘機がおいてある大きな空間の部屋もありました。14世紀にはヴェリチカの塩による収益は、国庫の3分の1を占めていたということです。

Podszybie Kunegunda、Kunegundaの軸シャフト部屋?にあったのは冒頭の画像でもあるこんな小人のモニュメント。


昨年訪問したチェコの鉱山で聞いた坑夫は体格が小さい方が良いと言う話と同じようですね。
なんだかそれを考えると『白雪姫と7人の小人』の話の小人はもしかすると坑夫達だったのかしら・・と考えてしまったkおばちゃんです。
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夕食は屋台で!(クラクフ)

2012-03-27 18:54:41 | ポーランド
今日は予定通り?寒くは無かった。寒くなかったというだけで、暖かかった訳ではありません。
それでも、めっけものの感覚はあります。

昨日の晩はチャット状態で年下の友達とメール。彼女の職場は随分とストレスが多いらしくて、可愛そう。
特に『人と比べられ』ゴマをすれない正直な彼女は憤懣やるかたないんでしょうね。

私も人さまに進められるような職場環境ではないけれども、彼女の抱えてる悩みを聞くと・・ああまだ恵まれてるのかな・・と思ったりもしたのです。
まあ、個人で感じ方も違うしので一概にね、比べられないけど。

kおばちゃんの悩みなんてちっぽけなもんですよ。生きていけるだけで幸せと感じなきゃね。

○8月5日(金)

さて、クラクフの中央マーケット広場Rynek Głównyをうろついたkおばちゃんですが、考えて見たらろくなお昼も食べていません。ということでおなかはぺこぺこ。

で、Maly Rynekリトルマーケット広場に戻る事にしました。だってあそこには食べ物の屋台が・・


さっきよりも、かなり混雑してきています。いい按配の夕暮れです。

最初に目に付いたのはこちら・・というか、出入り口に近かった・・


暗くて良くわかりませんよね。多聞山羊チーズだと思うのですが、それを焼いたものです。美味しいのよ!

そていてこちら。Ziemniaki po cabańsku ジャガイモゴロゴロとでもいうのでしょうか?


もともとは、フシャヌフChrzanowaというポーランド南部マウォポルスカ県の町がルーツのお料理かしら?
なんでも13世紀からの料理。タタール人の侵略の置き土産の牛を使った料理・・なのでしょうか?
解説によると、料理は脚付きの鋳鉄製の鍋にじゃがいも、野菜(ニンジン、パセリ、タマネギ、キャベツ等の葉モノ、ビート)と肉(ベーコン、ソーセージ)で作られるそうです。

確かに看板に13世紀からの・・という文字がみえます。


そして忘れちゃいけない・・ワイン!です。


ワインブームでもあるのでしょうか?数件屋台がでていました。でもポーランドでワインは生産されて無いと思うんですけど・・

とりあえずの、kおばちゃんのお夕食です。


ジャガイモゴロゴロは辞めて・・どくにでもある大釜からのグヤーシュをGulas Z kociolkaです。
かじりかけがチーズの焼いたものです。美味しいの!!

いい按配の夜になってきました。もう少し広場を探検です。なにがあるかしら・・


こちらの看板は・・ヘブライ文字?Stragan Jerozolimskieとはエルサレムの屋台と言う意味でしょうか?


売っていたのはこのぐるぐる巻きのソーセージのようなものです。これも美味しそうだけど・・


こちらは、世界共通女子のお楽しみ!ビーズ屋さんでしょうか?


お客の寄り付きの悪い屋台もあります。パフォーマンスじゃありませんが、煙が出てたりしないとね。自家製サラミですよね。


ウクライナ式のピロシキでしょうか?


こちらはマドレーヌ屋さん?


このような細工物も売っています。お土産は食べ物と決めているkおばちゃんは・・ご用がありませんけど。


これは何だったかしら?


ひときわ行列の出来ているテントがありました。


煙がもくもくです。それだけれも人を引き付けます。


お肉のグリルも本格的でした。美味しいそう!!


でも、今日はちょっと辞めておきましょう。kおばちゃんがお次に仕入れたのはこんなもの。


さっきのウクライナ風ピロシキのおみせにあったものですここのお店の名前でしょうか『Królestwo Pierożka』翻訳すると餃子の王国ですって。
餃子よりは皮が厚いです。kおばちゃんで売り切れ!
ハーブのオリーブオイル漬けのようなものをかけて食べたような・・記憶が曖昧です。

お供は白ワインになりました。


広場に沿った建物に入っているレストランももちろんテラス席で営業中です。


でも、お一人さまのkおばちゃんは屋台の食べ歩きで十分です。
テーブルとベンチがおいてあるので自由に使えます。kおばちゃんの前に座っていた親子の子どもの方がお皿をひっくり返してしまいべちょべちょに。思わず濡れティシュを差し出したら、感謝されてしまいました。
世界共通。子どもに注意ですね。

日もとうにとっぷり暮れてしまいました。


ワインも頂いてよい気持ちのkおばちゃん。さあ、そろそろお宿に戻りましょう。


広場はまだまだ賑やかです。
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イタリアからの風(クラクフ)

2012-03-26 19:04:48 | ポーランド
休み明けは毎度の事、エンジンのかからないkいおばちゃんです。ホンマニこんな調子で良いのでしょう・・

3月も最終週だというのに、この薄ら寒さ。
でも、しっかりと花粉だけは舞ってるのよね。去年の記憶を辿ろうと思うのだけれど・・あまり記憶が無い。
やっぱり11日のことがかなり尾をひいていて、そちらの方の記憶しかないのです。

喉もと過ぎればなんとやら・・では困りますね。

○8月5日(金)

さて、盛り上がっている歌声からちょっと抜けましょう。

さっきみた旗を持った一段は・・歌声のステージに気を使ってか・・ドラムのみの行進で広場を差って行きました。


広場の中心的建物になっている繊維会館Sukienniceは1階部分は通りぬけ出来るような構造になっています。


通路の両側には商店・・というよりも売店のようなお店が連なっています。


売っているものは・・殆どがお土産モノと言う感じの物産です。琥珀もありますし、獣の皮でできた衣類もありました。

丁度、縦の通路と横の通路が交差しているところにはこんなモニュメントがはめこまれていました。


通り抜けた広場のあちら側もなんだか賑やかそうです。


何だか人の輪が出来ています。何だろう・・とおもって近寄ると・・さっき行進していた彼らです。


フラグ Bandiere の演技?というのでしょうか?

これはちょっとお兄さんのチーム。


やはり力とスピードがあり勇壮です。


オチビちゃん達です。彼らも一生懸命です。


ポーランドにこんな文化があったのかな??と思い、不思議でしょうがありませんでした。
実は彼らには翌日も別の場所で出会ったのですが・・帰ってから調べてなっとくしました。(こればかりですみません)

彼らはどうもイタリアのフェラーラFerraraというポー川の支流ヴォラーノ川流域にある町からやってきた一段のようです。
フェラーラは14世紀、エステ家によって整備された。ルネサンス期に文化の中心地のとして栄え、エステ家が1598年フェラーラから追放されたあとはフェラーラは教皇領に編入されたそうです。
でも、未だに町の中心はエステ家なのでしょう。現在エステ城が一般に公開され、1995年にはフェラーラのルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯が世界文化遺産に登録されたそうでうす。

で、こちらのご一行さまはフェラーラのRione Santo Spiritoと言う地区からの方々のようです

フェラーラのパリオ (IL PALIO DI FERRARA)競技というか競演というか・・お祭りは有名のようですね。
どうりで、ルネッサンス風だったわけだ・・と今頃疑問が解決しているkおばちゃんです。

さて、そろそろ日も暮れてきました。おなかも空いてます。あそこに行きましょう。


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なつかしの連帯歌?(クラクフ)

2012-03-25 23:00:54 | ポーランド
えーと、昨日はちょいと酔っ払いすぎました。ええ、お風呂をふっとうさせてしまいまして・・

いけませんね。ちょっとお悩みがあったのでお仲間との御酒が進んでしまいました。
焼酎の一升瓶が1900円というのに引かれて5人でのんだら・・当然足りませんでした。

それにしても・・自分の無謀さにあきれているkおばちゃんです。
まったく・・

○8月5日(金)

金曜の宵の口というからかどうか、それとも年中そうなのかは知りませんが、中央マーケット広場は随分とにぎやかです。

さっきのルネッサンス行列の一団が去った後も賑やかです。市庁舎の塔の前がとくに賑やかです。

するとどこからか、ぶんちゃかぶんちゃかと聞こえてきます。


だんだんと近づいてきました。


ぶんちゃかぶんちゃかの後には・・何だか制服を着た人が続きます。


うーーん軍隊?でもちょっとお年が上の方もみうけられますし、制服も違うし・・


ヒントはこの画像にありました。旗の中にある文字です。『KPN』
Konfederacja Polski Niepodległej (KPN) 独立ポーランド連盟とでも言うのでしょうか。


1979年設立された、政治団体?のようです。当初地下組織として活動。脱共産主義,独立を目指すが,一方で緩やかな国家介入主義も容認しているようです。この団体は後にポーランドをソ連から独立させた『連帯』の運動に合流したようです。

今日は何かの記念日でしょうか?地元(多分)のメディアもきていますね。


彼ら行進の進んだ先にはステージがありました。ここで彼らは紹介されたあとは・・どこかに消えてしまいました。


で、その後始まったのは・・音楽の夕べ?


Lekcja Śpiewania歌のレッスン』と垂れ幕に書いてありますね。

皆さん手に歌詞カードならぬ、菓子の書いてある本をもってらっしゃいます。
そういうkおばちゃんも持っています。いただきました。


メロディーは単純なものが多いのと、繰り返しの部分が多いのですぐ歌えちゃいます。
でも、この歌の雰囲気は・・なんだか共産主義の時代の国民歌といった雰囲気なんですけど・・


本格的な祭典のようです。

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ゴシックの町にルネッサンスの風(クラクフ)

2012-03-23 19:04:39 | ポーランド
今日はちょっとも無謀な決断をしてしまったkおばちゃん。とほほ・・しばらくは緊縮財政でいかないといけません。

イロイロと考えは巡ったのですが、元気なうちに出来る事を・・と言う考えに最近はなってきました。
このまえ聞いた人生80年を24時間におきかえて、自分がいま何時ごろにいるかを考える・・とってもわかりやすい名と思いました。まだ就業時間中ではあるけれども・・と言う状態のkおばちゃん。

これが、就業時間を終った時刻設定になってきたら・・もうすこし考え方が変わるかもしれません。
遊んでばっかりですけれど、何時何があるかわからないなら、と言う考えが特に去年のあの出来事いらい強くなりました。

さて、何時まで続くかな・・

○8月5日(金)

聖マリア聖堂教会Kościół Mariackiをでた、kおばちゃん。
この町の中心地でもある中央マーケット広場Rynek Głównyに向いました。
広場はモンゴル軍の侵略により破壊されたそうですが、1257年には再建されたとか。
ここクラクフは交易の中継地でもあったので、広場の中心も繊維会館Sukienniceですね。現在の建物そのものは18世紀後半に再建築されたもののようです。


そして広場のもう一つの中心はあちらに見える市庁舎塔Wieża ratuszowa 。もともとは14世紀のゴシック様式の塔だそうです。


広場をうろうろしていると・・あちらから何かやってきました。パレードのようです。

クラクフの町で出会ったのは・・こんなパレードでした。



kおばちゃんは東洋人なので、西欧人の見分けが付きません。で、てっきりポーランド人だとおもっていたのですが・・

はい、いつもの通り後で調べて見ました。冒頭の画像でもあるこちらをたよりに。



本当はこちらは動画で撮ってあるのですが・・

観光客もみんな興味深々です。


ブラスの後には・・旗を持った子ども達・・そしてルネッサンスの時代から飛び出してきたような衣装をまとった女性達が続きます。

静々と・・何の集団なのかしら・・今日は何かの記念日??とか頭の中は???が飛び交っていたkおばちゃんです。
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黄金に輝く大聖堂(クラクフ)

2012-03-22 17:43:20 | ポーランド
夕べはちょっとまたオオボケ。行かなきゃいけないところがあったのだが・・それも通勤経路の途中にあるのだけど・・ぼーーとしていて乗換え忘れてました。

演奏会を聞きに行くことが目的だったのだけど・・駆け込みセーフでございましたよ。

花粉症で集中力欠如といいたいところだけど、脳みそがついていっていないだけというのはわかってますので。

○8月5日(金)

さてさてクラクフKrakówの町に散歩がてらの見物に出かけたkおばちゃん。ようやく第一の目的地にぶちあたりました。

そもそも、このヴィスワ川沿いのクラクフと言う町は10世紀には歴史に登場していたようです。当初はその地理的関係からモラビアの一部として栄えたのでしょうか?
その後、一昨日kおばちゃんの泊まったボツナンからポーランド王国の首都となり、13世紀にモンゴルに荒らされもしたけれど、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがとなっていたそうです。

そしてその発展の栄華の中心は中央マーケット広場Rynek Glownyというところ。
そこの片隅にこの聖マリア聖堂教会Kościół Mariackiはありました。
オリジナルは1220年から1221年の間に設立された古い教会。その後1290年から1300年にかけて初期のゴシック形式の教会として献堂。その後ステンドグラス等内装も完備され、完成したようです。

丁度夕べのミサをしているようです。なんちゃってクリスチャンのkおばちゃんは・・さっそくミサに参加させていただきました。神様・・ごめんなさ。


聖壇の何と豪華なことでしょう。
当時から現在のような輝きを目にしていた思うと・・神様にたいする物凄い『憧れ』とか『畏怖の念』などを聖堂に入ること事態で感じたんじゃないかと思います。

そしてこの青色の天井は・・天空の輝きを表すのでしょうか。


絢爛豪華というか豪華絢爛というか・・こんな美しい天井みたことありません。

このサイドも素晴らしく豪華ですね。


それにしても、ポーランドの皆さんは本当に信心深い方が多いのですね。

教会堂を出てくると、わきの小さな広場にこのような小さな噴水がありました。


この場所は1802年まで教会の墓地のあったところのようです。その後に聖マリア広場Plac Mariacki と名づけられ、教会堂の中央にあったファイト・シュトースの祭壇画Ołtarz Wita Stwoszaの中にあった預言者の彫刻のひとつをモデルに作られているそうです。 "studzienka gołębi(鳩の穴?)"という名前のような・・

kおばちゃんは、てっきりモンゴルの襲来の関係?とか思ってました。

こちらの入り口が、中央マーケット広場Rynek Glownyに面しています。


そろそろ夕暮れになっってきた中央マーケット広場Rynek Głównyです。


また馬車にあっちゃいました。


明るいうちにもう少し見物して見ましょう。
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馬車の似合う町(クラクフ)

2012-03-21 23:56:38 | ポーランド
今日はまた寒かったりするのに、花粉症にとりつかれた身にはなんでもいいのよ・・この時間さえ過ぎれば・・というとほほな状態です。

人生を24時間の時計におきかえて、自分が今何時か自覚するって言う方法、いいかもしれないな。残り時間を考えて、やりたいこと、できることに順位をつけてそろそろやならいと、ホント時間切れになってきそうな・・

でも、もう少ししたらそれすら忘れてたりして・・の状況かな?
最近の大歩危ぶりが・・恐ろしいkおばちゃんです。

○8月5日(金)

kおばちゃんの到着したのは、クラクフKrakówというポーランド南部の町です。人口は75万ほどだそうです。
ポーランドきっての古都といわれ、ワルシャワと違って第2次大戦の戦禍は直接蒙っていないようです。

ポーランドきっての観光地のこの町には2泊することにしたkおばちゃん。でも、この町にずっと滞在するというより、近郊の観光もしてみたいと思ってました。
ヒュンダイ君で出かけてもよいのですが、ちょっと運転はお草臥れというのもあるし、せっかく?ベストポジションに駐車できたんだから・・というドけち根性もあって、ツアーで出かける手を考えました。

ホテルのフロントで聞いてみると、ツアーをアレンジできるとのこと。早速申し込みました。明日の朝出発のものです。

お部屋で一休みした後は、ホテルで入手した地図を片手に、町歩きをすることに。
あっちの方向が中心地のようです。振り返って、ホテルの方向を忘れないように・・


蹄の音が聞こえたと思ったら・・馬車が通り過ぎました。あら、若いお嬢さんも御者みならい?


小さな広場にでました。なんだか賑やかです。


Maly Rynekリトルマーケット広場ですって。美しい長屋が取り囲み、食肉市場として中世に使用されていたようです。だからでしょうか・・食べ物関係の屋台が沢山。

この大きなものは揚げ菓子Langosというようです。スラブ系の結構な人気お菓子のようでです。


kおばちゃんも食べてみたいけど・・あの大きさが二の足を踏ませました。

ワインショップも数点あります。


たしか、このあたりはワインが出来ないはず。ドイツ、とチェコの南部が北限ときいていますから。

こんなかわいいお菓子の売店もあります。


なんだかウキウキしてきました。単純なkおばちゃんです。

周りの建物も可愛くて素敵です。リノベートされた感じもしますけどね。


そうそう、ここで時間をとられたら暗くなってしまいます。その前にもう少し町歩きをしてみなくちゃ・・

広場から出る小道を進むとまた馬車にであいました。こちらも御者さんは女性ですね。


それにしても馬車の似合う町並みですね。

ああ、これが第一の目的の教会のようです。


中に入ってみましょうね。
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一路古都へ・・

2012-03-20 22:49:36 | ポーランド
今日はお休み・・だけど燃えるゴミの回収が8時過ぎにはきてしまうので・・朝はあまりのんびりしていられなかった。

良いお天気でお布団干したけど・・花粉がすごい!!鼻がつまっていきができない!
薬を飲んだけど焼け石に水という感じ。ああ・・

で、大事な約束の時間を間違えた・・とほほ・・

散々な一日でした。

○8月5日(金)

さてさて、チェントスホヴァの見学もそろそろ切り上げないと・・イロイロ見所は沢山ありましたけどね。
そう、お土産にTシャツを買いました。なんと神学生かな?修道士さんかな?が販売していました。
売店ではシスターがレジに座ってらっしゃいましたけど・・手際が悪い・・まあ、本職ではないですからね。

そろそろコバラが空いてきました。お昼です。どこかでちょっと何かをいれよう・・と思ったら駐車場わきにいかにも共産時代の建物・・とおもう、野暮ったい倉庫のような建物がありました。
そこの一角にカフェーがあったのでここで一休みする事にしました。


で、頂いたのはこんなものです。


結構なカロリーだとは思いますので・・お昼代わりかな?

さて、お次の目的は・・本日のお宿となる町です。ナビさまにセットして・・出発です。


再び高速道路に入りました。


そうそう、忘れないうちに書いておかないと・・ポーランドの高速道路はカードが使えました。あわてて両替する必要もなかったかも・・


場所によってはレートは悪いでしょうがユーロ標示もありました。

そして、細かく『関所』があります。ここは・・たしか通行券を受け取った場所だと思います。

途中で再びガソリン補給です。サービスエリアのスタンドの値段が高いか安いか・・わかりませんが、確実に入れることができますからね。


高速を降りたら・・郊外の道を走りました。


次に目指しているのは、大都市なのですが・・高速は直接乗り入れてはいないようです。

あそこに見えるのは・・気球??そういえば・・観光局のブログにそんなことかいてあった気がします。


やっと都会に入ってきたようです。


ナビさまのお導きで無事に今晩のお宿に到着です。
で、ヒュンダイ君を止めるべく駐車場を聞くと・・向かいの大型ホテルの駐車場を利用せよとのことでした。
で、『何処に止めてあるの?』と聞かれたので、『ホテルの前の駐車スペース(路上)』と答えると・・『ああ、そっちの方が安いわよ』と言われてしまいました。

ここでも、2011年08月19日に書いたウイーンと一緒のようです。
つまり。今日は金曜日。で金曜の夕方19時まで・・だったと思う・・のパーキングチケットを買っておけば月曜の8時までは駐車できるとのこと。土日は路上駐車、自由とのことです。

kおばちゃんはラッキーとばかりにその提案にとびつきました。だって、ほんとホテルの入り口のまん前の駐車スペースだったし・・そう高価なくるまじゃないし・・ということなんです。


kおばちゃんの後にやって来たアメリカ人夫妻は、わざわざ向いのホテルに車を止めに行ってました。そのほうが安全だから・・それは判りますが・・金額的にはかなり高いと思いました。
kおばちゃんはこの町に2泊する予定でもありますので・・お財布に優しい方法を取らせていただきました。

kおばちゃんの到着した町はクラクフKrakówという、ポーランドきっての古い町です。
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受難のマドンナ(チェンストホヴァ )

2012-03-19 18:24:03 | ポーランド
今日はお天気は良かったみたいだけど、空気は冷たい。
気がついたらようやく庭の梅の木とさくらんぼの木が花をほころばせはじめたけど・・未だに足踏み状態かな?

明日もお休みということで世の中えんじんがかかっていない気もするけど、気がつけは3月期末の残り日数の少ないことよ・・およよよ・・

政治のほうは、相変わらずまとまりのないことをやっているけど、最初から右と左が政権をとるという目的だけのために終結した政党。まとまりっこないのにね・・と思ってるkおばちゃんです。

kおばちゃんが年金を頂けるのはいったいいつになるの??

○8月6日(金)

朝のお目覚めは・・意外と爽やかでした。あまり宿泊者がいないのかな?
おトイレで人に出会うこともありませんでした。

朝食はもちろん付いていませんが、料金を払えば頂くことはできるようですが、実は夕べの残りのケバブと・・ポットのお湯で入れた持参のインスタントコーヒーで良しとしたkおばちゃんです。

そうそう、昨日チェックインした時にフロントのような受付で、この町の地図がないかきいてみましたが・・出てきたのは大きな地図でして、それしかないとのこと。
ああ、だってkおばちゃんの泥縄旅行には事前情報を仕入れる暇があまりなかったのです。

で、その大きな地図を貸してもらうことにしました。が、チェックアウトするので返さないとね。あ、それとテレビのリモコンも返却しないといけません。

地図がなくなると困るので、念のために画像に残しました。



そしてここが夕べkおばちゃんが訪れたJasna Goraですね。


今日はここを再び訪れることにしましたが・・ここの宿に車を置いてまた取りに来るのは大変なので、ヒュンダイ君とともに移動することにしました。
だから・・なびさまがあるんですけど・・それでも目視できる地図があるのは安心です。

なるべく修道院にちかい駐車場を探していたら・・神のお導きか?敷地内の駐車場にはいることができました。有料ですが、料金は後払い。それが最初わからなくて・・お金を払おうとしたkおばちゃんです。


再びルボミルスキの門Brama Lubomirskichから入ります。


今日も『黒いマドンナ』は沢山の巡礼者や観光客に見つめられています。
なんでも、この修道院には年間4~5百万の巡礼者を迎えるということですから、夏休みの今は最盛期なんでしょうね。


今日も再びkおばちゃんもご対面です。日本に平穏な日々が早く戻ってくるようにどうぞ、お力添えください・・


そういえば、このマリア様の衣装は2010年に新しくされたもののようです。このJasna GóraのHPにもありますよね。
どうもロシアの支配下にあった1909年に盗難にあったようです。結局1910年には取り戻された・・というこよでしょうか?
またまた受難のマリア様だったのでしょうね。で、その100周年を記念して新しい王冠をつけた衣装になったとか。

そうそう、このマリア様は、いわゆる温泉地なんかで良く見かける顔の部分だけ穴が開いていて記念写真をとる・・あれと同じ状態です。
つまり、衣装の部分は別になっていて、お顔の部分だけはめ込む?というか下の聖画のマリア様が覗いている状態になっています。

裸の・・というか下地のままのマリア様のお姿というのはどうなっているのでしょうね?なんて下世話なことを考えちゃいけませんね。

ご対面を済ませた後は・・昨日から気になっていたあの塔の上に登ることにしました。あ、もちろん途中までですけどね。

そこからの眺めです。昨日kおばちゃんはこの道をテクテクとお山目指して歩いてきたのですよね。


こちらは反対側のながめ。


裏の駐車場が見えます。kおばちゃんの入れたところとは違います。ここに止まっている観光バスは・・観光よいうよりも巡礼ツアーのお客さんを乗せてきたのでしょうね。

塔を降りたら塔の根元に広がる広場の上にしつらえられた説教スペースを見つけました。


ここで巡礼者たちに説教するのでしょう。

そうそう、もちろんここにはあの聖ヨハネパウロ2世も1979、1983、1987、1991、1997、1999年と6回もいらっしゃっているそうです。

その時の写真が掲げてありましたが・・この広場を埋め尽くすほどの巡礼者たちがいらしたようです。


敷地の片隅にいらっしゃいました。

丁度修道院のある敷地は要塞のように頑強なつくりに、ぐるりに大砲などがしつらえられ、ほんと修道院というよりも要塞といった感じです。


それだけ、なんとしても守らなければいけないという場所なのでしょうね。

こちらがさっき塔の上からみた駐車場の方向から続いている入り口です。


ぞくぞくと巡礼者が到着します。

そのほかにも宝物館なども見学しました。あと、近代的な音響設備を備えた集会ホール
があり、そこで巡礼の若者たちが交流会のようなものをしていました。

あ、そうそう、建物のどこかから室内楽の練習も聞こえてきました。モーツアルトの曲だったと思いましたけど・・忘れてます。
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黒いマドンナ(チェンストホヴァ )

2012-03-18 22:15:29 | ポーランド
今日はやはり天気予報どおり・・曇り。
でも今日はちょいとお出かけしなきゃいけないので、薬を飲んで・・出発。だって山に近いほうですから。

おかげさまで症状はでませんでした。よかったよかった!

久々に乗った愛車ちゃんには・・再びガソリンを入れましたけど・・高いですね。日本も。
一番確実な納税法ではありますけど、いろいろいちゃもんを付けた現政権をこの税制をどう思ってるんでしょうね?
ただし・・中東情勢の悪化で原油価格が上昇しているのでしょうけどね。

そうそう、消費税値上げのもんだいばかり報道されますが、議員定数の削減はどうなったの??と思うkおばちゃんです。

○8月5日(木)

kおばちゃんの辿り着いたチェンストホヴァCzęstochowaという町は、ポーランド人だったら誰でも知っている、えい、ポーランド人をポーランド人たらしめている町なんですって。

そしてこの町の中心はヤスナ・グラ修道院Jasna Góra 1382年の創建だそうです。

夜8時ころの修道院なのに・・訪れる人が沢山いらっしゃいます。おそろいのTシャツを着たりして・・


巡礼団のようですね。kおばちゃんも混ぜてもらえるかしら。

おばちゃん根性でくっついていったら、お堂の中に沢山の人たちが、何かを待っています。


そう、夜の礼拝が始まりました。kおばちゃんも参列させていただきましたが・・丁度このとき足を痛めていたkおばちゃん。実はひざまずけませんでした。ごめんなさい。
方ひざだけで・・ごめんなさい。

そして皆様の熱い視線の向こうにいらっしゃいますのは聖母マリア様ですが・・子のマリア様は真っ黒です。


これこそ。ポーランドの守り神。ポーランド人の心のささえチェンストコバの聖母像Obraz Matki Boskiej Częstochowskiej 『黒いマドンナ Czarna Madonna』です。
このマリア様のイコンはもともとエルサレムからやってきた時は黒くなかったそうです。
その後の隣国スウェーデンの侵攻のおりに、修道院に火がかけられ煤けてしまったとか。それでも、このマリア様は残り、そしてここもスウェーデン軍の手に落ちることはなかったそうです。
それ以来ポーランドの守り神として、皆の厚い信仰の対象となり、フスの宗教戦争の時に傷つけられたことからも愛国心の象徴となっていらっしゃるようです。

だから老若男女でお堂は満杯です。ものすごい熱気です。


聖母様の掲げられている祭壇の周りをひざまずきながらみなさんおまいりしています。ひざまずいて進むのです。で、マリア様の掲げてある裏手にくると、丁度そこに印があり皆さん手をかざしてらっしゃいました。

体内めぐり・・ではありませんが、皆さん熱心に回ってらっしゃいました。

強国にはさまれたポーランド。何回もその領土を分割されながらも、ポーランドとして残った、その国民をむすびつけているものはこの『黒いマドンナ』だといわれています。
現在でもその強い信仰心の源なのが十分にわかりました。



祭壇に向かってみなさん、一生懸命お祈りしてらっしゃいました。

こちらはお隣のホールです。さっきの人の熱気がうそのように・・


本当はあしたゆっくりご対面す鶴森だったのですが、これもなにかのご縁でしょう。
本日おめにかかることができて大変うれしかったkおばちゃんです。

さ、お宿に戻りましょう。


そうそう、結局夕飯を食べ損ねてしまいました。
で、お宿に戻る途中の駅裏で、何処にでもあるお?ケバブ屋さんがあったのでお持ち帰りし、隣の売店でビールをお買い上げです。


安宿でしたけど、お部屋に電気ポットがあったので・・持参のカップめんも頂いてしまいました。だって・・お昼も頂きませんでしたから・・と言い訳するkおばちゃんです。


共同シャワーでしたが、滞在者が少なかったのが他の人に出くわすことはありませんでした。
今日も楽しかった!さて、明日はどうなりなすやら・・
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夕闇に浮かぶ聖地(チェンストホヴァ )

2012-03-17 20:52:36 | ポーランド
スマートフォンに換えてしまった・・おばかなkおばちゃん。散々迷ったんです。いままではガラケーどころか・・という携帯をつかっていたのですけど・・とうとう電波が終了すると最後通告をうけていました。

らくらくフォンにしようとおもっていたのだけれど、昨年からの地震騒ぎもあるし、Ipadはあるものの、電波状態はあまりにも良くない。という不満もあったので・・結局FMだけど電波ラジオも聞くことが出来るものに乗り換えてしまったkおばちゃんであります。

ああ。通信費がまたかさむ・・


それにしても、天気予報はあたってしまって・・雨であります。

○8月5日(木)

さて、駐車場に戻って、次ぎの目的地まで350キロ弱4時間ちょっとのはず・・あ、その前にホテルによって荷物のピックアップ。

たどった道は、初めての高速道路です。


ポーランドの高速は有料です。日本と同じようなチケット方式。こんなチケットを受け取ります。


高速でぶっ飛ばすと・・ガソリンのヘリが偉く早いです。で、早速サービスステーションのようなところで給油する事にしました。


マック・カフェがついていますが・・今一はいる気がしなかったのでこちらで休憩ですませます。


高速走行するとどうしても虫ちゃんと衝突して、フロントガラスが汚くなりますので自分でお掃除しましょ。


再び高速走行しますが・・昨日のスピード違反の痛手から立ち直れないkおばちゃん。今回は慎重に・・


暫く高速道路を走りましたが・・ナビさまのご指示でおそらくウッチŁódźと言う町の中心部をぬけたようです。


古めかしいトラムが走っていました。

その後、所謂国道のような道路をは暫く走ったのですが・・これが見かけと違って路面が悪い。


轍の後がくっきり刻まれていて、溝にハンドルを取られそうで走りにくいのですが、皆さん高速走行で抜けて行きます。
で、その高速走行の車の傍らに、露天を出している市民が所々いるのですが・・あんなに早く走りぬけてゆくということは・・お商売になるのでしょうか?
農家の産直のような露天ももちろんありますが、そうじゃないのもありました。

ナビさまのおかげで今回も無事お宿に到着したのでありますが・・ちょっとヘマをしてしまった見たいです。


なんせ、ばたばたで予約したものだから・・思ったよりも安い宿に予約をいれてしまったようです。ま、いいですけどね。つまり、お部屋に洗面台はあるけど、シャワーとトイレは共同という宿でした。

まだ、外は明るいので、少し歩いて見る事にしました。そうそう、kおばちゃんの到着したのはチェンストホヴァCzęstochowaと言う町です。


この町は、ポーランドでは知らない人がいないほど有名な町です。それはある施設があるからです。

夕闇に浮かぶあの建物がきっとそのはずです。


見え初めてからその根元に到着するまでにタラタラ歩いたら20分近くかかったかしら・・


ようやく直ぐそばまで辿り着きました。
ヤスナ・グラ修道院 Klasztor na Jasnej Górzeです。
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ポーランド最古の・・(ポズナン)

2012-03-16 17:01:36 | ポーランド
今日はたこ焼きの国へ,花粉症には辛い移動。で文句を言っちゃいけません。気がつけば3月も半ば。お年を取ると,まさに光陰矢の如しです。・・とここまで書いてさらに2日放置してしまいました。

去年の今頃,何を考えてたか、おもいだすと。、一年の過ぎ去る感慨がまします…って変な日本語ですね。
春が遅いのはたしかですね。


○8月5日(木)

ポズナンの旧市街をなんとなく歩いたkおばちゃん、お次の目的地に向かう前に、もう少しうろつきます。駐車場は入庫から24時間だから、まだ大丈夫ですね。


こちらは、やはり教会ですね。Parafia Bożego Ciała w Poznaniuコーパスクリスティ教会。こちらも古く教会の歴史は1399年までさかのぼることができるようです。


昨日到着したときに、ナビ様の反乱で道に迷ったときに教えてもらった道しるべはこの教会でした。確か・・

ポズナンの街は現在でも経済の重要地点。メッセなども開かれているようです。だからかこんな壁絵もありました


で、kおばちゃんの目的地はまだ先です。ヒュンダイ君で来たほうがよかったかしら・・あ、ようやくそのお姿が見てきました。


もうすぎです。でもこの通りをどうやって渡るのかしら・・と思ったらちゃんと地下通路がありました。


ポズナン大聖堂Bazylika Archikatedralna św. Piotra i św. Pawła w Poznaniu です。
それこそ、この教会の歴史は大変古く、その始まりは968年、10世紀にもさかのぼり、ポーランド一古い歴史をもっているようです。


ただし、先の大戦で破壊され祭壇の花輪だけがのこったということです。現在の姿はこちらも戦後の復興となっています。


この、大聖堂の青い部分が初期の教会堂の遺構のあるところのようです。

事実上の初代ポーランド王ミェシュコ1世książę Mieszko I, ボレスワフ1世 król Bolesław I Chrobry等々、ポーランド創生期の王達のお墓もあるようです。


これもそんな一つでしょうか?

聖堂のなかは、すっかり修復され15世紀頃の姿のゴシック様式に再建されてます。


kおばちゃんの好きなパドヴァの聖アントニウスSant'Antonio di Padovaの像もありました。


敷地の一角にはこのお方の像もありました。

ヨハネ・パウロ2世Jan Paweł II 1920年5月18日 - 2005年4月2日。はポーランド出身の第264代ローマ教皇(在位 : 1978年10月16日 - 2005年4月2日)です。

かれは世界各地を歴訪する精力的な教皇さまだったそうです。そしてその在位期間中8回の祖国ポーランド訪問のうち2回1983年と6回目1997年にこの町を訪れているようです。
そしての第1回目の83年のポズナン訪問ではこの大聖堂にもいらしているようです。

ヴァルタ川の中州に建つ大聖堂をあと、そろそろ今晩の目的地に向わないと・・と帰り道、川べりを覗くと、子ども達が石投げをして遊んでました。


なんだか洋の東西、そしえ今昔を問わない遊び姿にほっとしたkおばちゃんです。
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