Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

死の工場クレマトリウム(ブジェジンカ)

2012-04-27 19:43:28 | ポーランド
今日は一日雨らしい。春だからしょうがないけど、明日から連休だとおもうと憂鬱。

連休中は・・ちょっと用事がたくさんありすぎて・・でもきっと何も出来ない気もするけどね。

なんとかしたいkおばちゃんです。

○8月7日(日)

アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウBrzezinkaの見学は続きます。
とにかく敷地は広大です。

第一収容所ではことたりなくなり、この広大な第2収容所をつくったけれども、ここも手狭になった・・というのだからどれだけの人がここに送り込まれてきたのでしょうね。

かろうじてブロック?煉瓦?で出来ていた収容施設を見た後、先になにかあるようですので進んで見る事にしました。



何か記念碑が建っています。


そしてその先の方に・・半ば崩れかけた建物の屋根がありました。


これはクレマトリウムと一般的に呼ばれているところのようです。
クレマトリウムとはKrematoriumsのことだと思いますので、火葬場と言う意味だと思いますが・・ここにあったものは火葬場だけではなかったそうです。

言い方が変かもしれませんが、火葬にする『材料』を作り出していたところでもあるのです。
つまり大規模な『ガス室』も併設されていたのだそうです。
何でも、毎日到着する4000人近くの収容者に対して番号が付けられる・・つまり生存者として受け入れられるのはその2割にも満たないほどだったと言う話もあります。

残りの8割は、収容施設に収監されることもなく、一直線にこの場所、つまりクレマトリウムに連れてこられたということらしいです。まさに『死の工場』がここにあったというとこです。
何と本当の意味で『非生産的な』工場だったのですよね。

こんな瓦礫になっているのは、ナチスが撤退するときに証拠隠滅を計るために破壊して行ったからだときいています。
それら全ての、卑劣な行為を忘れない為にもそのままの姿をとどめているのでしょう。

その概要は傍らにある説明碑でも判るようになっています。


このあたりは、あの引きこみ線からまっすぐに来たつきあたりにります。


まさにターミナル、終着駅です。現在は国際犠牲者記念碑の並ぶ所となっていました。


そしてそれぞれが、考える場所になっているようです。


ア、もちろんファインダーを覗いてらっしゃるかたもおりました。


ここから先に人生の繋がっていない人々がおりたっていったのですね。


この線路脇に続く収容地区行きに選択された人はまだ幸せだったのでしょう。真っ直ぐ進むよりは。


それでも、紙一重の生活が延々と続いてのでしょう。生きるも地獄でしょうから。
ここにある画像は到着したばかりの様子だそうです。そして、この場で選別が行われていったということです。まさか、それが生死の選別だとは思わないでしょうね。

現在の風景からは想像できません。


もう、5時を回ってしまっています。段々薄暗くなってきました。もうそろそろ切りあげました。

出入り口のゲートの脇に広がっているのは木造のバラックのある地区です。


先程の煉瓦ブロックに比べると、もっとひどい環境ですね。こんなところで冬は越せないのではないでしょうか。・

それにしても・・こんな時間にもかかわらずプライベートガイドツアーと思しきご一行様がぱらぱらといらっってます。


何時まで・・見学で切るんでしょうね?

さて、kおばちゃんは実はここからまた200キロ以上移動しなければいけません。
もっと見るべきところはあるのでしょうけれども、このあたりでお暇する事にしました。

外に出て、ヒュンダイ君のところに戻ろうと思ったのですが・・ちょっと気になるところがあって歩いて見ました。


それは、この先です。さっき何気なく通ったのですが・・


ここです。この線路。


これが、あの収容所に続く線路なのです。

正面からあのゲート『死の門』といわれている入り口を望むことが出来ます。


中で繰り広げられていた・・信じられないような行為。
その行為も人間のしわざです。『する』ほうになるのか『される』ほうになるのか・・どちらもいやです。
そのような状況に導かれることのない世の中にしないと行けないと思ったkおばちゃんです。

ヒュンダイ君の所に戻ると、突然大粒の雨が降ってきました。昼間はあんなにお天気がよかったのにね。


駐車場には見学にいったお客さんを待つワゴンが何台も止まっていました。

さあ、今晩の宿泊地に向けて・・出発です!

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寒々とした景色(ブジェジンカ)

2012-04-26 18:38:59 | ポーランド
今日はちょっとお湿り気味のお天気。傘をさすべきかどうか悩むような雨。

気がつけは4月も実動が残りわずかになってしまった。
月日の経つのがなんとはやいことか・・困ったもんです。

未だにkおばちゃんのADSLは・・・死んでます。さて・・どうしたものか。
休みにはいるとつかいたくなるのかな・・とも思うけど・・ためしにテザリングでもためしてみんべーかとか思っております。

○8月7日(日)

オシフィエンチムOświęcimにあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenauの第一部門の見学は終了しました・・というか切りあげました。

kおばちゃんがヒュンダイ君とともに向ったのは・・こちらです。


アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウとよばれるところです。ビルケナウというのもドイツ語Brzezinkaだとか。白樺の谷とか言う意味があるらしいですけど・・
ポーランド名はブジェジンカBrzezinkaというそうです。

そこにある収容所後を尋ねる事にしました。

この地図で、左下にある黄色いAがいままでいた第一収容所、その上の点線でくくられているBと言う場所が、現在訪れた第2収容所です。


ゲートから入ると・・目に飛び込んでくるのは線路です。


この場所にkおばちゃんが辿り着いた時点で・・もう5時近かったような記憶があります。

ここでユダヤ人達を乗せた列車というか貨車が止まり・・人々は降ろされたようです。


こういう子ども連れの写真をみると・・映画の『ソフィーの選択』というのを思い出してしまいます。映画のストーリーの底に流れているテーマは・・子どもは一人だけ生き残れる・・さあ、二人いる子どものうち一人を選べ・・という設定だったともいます。
その選択がいかに人間的でないか。生き残った人間を破壊してしまうか・・ほんとうに戦争はいやです。



この2本に分岐している線路には・・もちろんどちらも先がありません。
あの映画のようだなと思ったkおばちゃんです。

線路の両側には・・このような簡単なゲートがあったりして・・収容施設の棟が並ぶところへと続いています。


おそらく・・復元されたのでしょうけど


遠くから眺めると・・まあ、普通の建物・・というかなんというか・・




内部は・・このようなベットとおぼしき棚が連なっています。


それにしても・・屋根はむき出しの・・天井部分にあたるところがありません。

板切れ一枚で外部と隔てられているだけです。
夏場はまだしも、冬もこの状態だったんでしょうから・・寒さやいかに・・と思いました。
なんせポーランドですからね。


日本の方が訪れて置いて行ったのでしょう。千羽鶴がかかっていました。


周りは雑草が生い茂り・・そんな植物でもつかの間の夏、美しい花を咲かせていました。


ここに収容されていた彼らも、こんな景色を眺める余裕はあったのでしょうか。

夏の日でありながら、寒々とした景色に思えたkおばちゃんです。
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緑の屋根に覆われた・・(オシフィエンチム)

2012-04-25 18:11:16 | ポーランド
今日は太陽があまり元気でない・・けれど寒くのないのでよしとしましょうかね。

朝、ちょっと早く出すぎたのでいつもの電車よりも1本前に乗れてしまったのだが・・困った事にこれだとお花の見えるルートじゃないのよね・・とぼやきながらの通勤でした。

いつもより早目の電車は学生さんが乗ってたりでちょっぴり混雑かな。こんど朝大荷物をもって出かけなきゃいけなさそうなので・・要注意ですね。


○8月7日(日)

オシフィエンチムOświęcimにあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau
の見学は続きます。

各棟ごとに、ここで生をたたれた人達の遺品・・靴であったり、髪の毛であったり・・が山と積まれた状態で展示されており、そのなかに小さな小さなもの・・子どものようのものなどを見ると辛いですが、なんせ状態が悪い。

劣化してしまっていて、ちょっと寂しい気持ちにもなりました。何とかは遠くナリにけり・・って。
でも、そんな事で忘れてしまってはいけないのですよね。

建物の外れにある一角で花輪が目を引きました。


死の壁または黒い壁と呼ばれ、収容者を銃殺刑にした場所のようです。
一体どんな『罪』を作り上げたのでしょうね。


kおばちゃんはあの場所に足を踏み入れる勇気がありませんでした。

他にも地下の収容施設、医療行為を行ったような場所・・など復元されていました。


この収容所でお亡くなりになったコルベ神父さまというかたがいらっしゃいます。
以前、ハンガリーのゾンバートヘイSzombathelyというところに遊びに行ったときに立ち寄った教会のステンドグラスに、ここの囚人服をまとった男性のグラスがあったので不思議に思って調べた事があります。
マキシミリアノ・マリア・コルベMaksymilian Maria Kolbe神父。ポーランド生まれのおかたです。ユダヤ人ではありません。それでもこの収容所に収監されていました。

この収容所は所謂『ユダヤ人』ではなく、身体障害者、ロマ(ジプシー)といった社会的弱者そしてナチズムを否定する政治犯的人物を隔離、断然するための施設だったようです。
で、このコルベ神父さまは後者のほうに当てはまったようです。

彼は、脱走者のでたことによる見せしめの餓死刑の10人に選ばれた者のうちの一人の代理となって、自ら餓死刑をうけ、天にめされていったとのことです。1982年にヨハネ・パウロ2世によって列聖され聖人となっているそうです。

ここは人間性のの極限を試される場所だったのですね。

さっきの死の壁と反対側の方向は・・これもまた悲惨な場所です。


多聞さわっていないので判りませんが・・高圧線に隔てられたところです。
つまり、ここから先に出たら・・生きては戻れない場所だったのでしょう。

その直ぐ先に見え右側の鉄棒のようなもの・・は絞首刑台です。
この絞首刑台で最終的に死刑に処せられたのは、多聞この収容所の所長だったルドルフ・ヘスだったのではないでしょうか?
ルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘスRudolf Franz Ferdinand Hößは、ニュルンベルグ裁判にもかけられないような、言い方悪いですが『小物』だったのでしょう。
彼の裁判はkおばちゃんの滞在してたクラクフで行われたのですから。

彼の手記に書かれているという、「軍人として名誉ある戦死を許された戦友たちが私にはうらやましい。私はそれとは知らず第三帝国の巨大な虐殺機械の一つの歯車にされてしまった。その機械もすでに壊されてエンジンは停止した。だが私はそれと運命を共にせねばならない。世界がそれを望んでいるからだ。」という一文は心に刺さります。
もちろん血も涙もなく、機会的に大量虐殺を『こなしていた』事実はあります。

しかし、時代が違ったら、そして出会いが違ったらきっと真面目な『工場長』のような職で人生をまっとうできたんじゃないかと思わすにはいられないからです。

若い頃は悲惨な状況におかれたのは『ユダヤ人』だ・・と思いましたが、年を重ねた現在ではそう言いきれないかも・・と思うようになって来てしまいました。

何時の時代でも大勢に流されることなく生きて行くのは大変だけれども大切なことだと心から思ったkおばちゃんです。

先程の絞首刑台の左側に・・芝に覆われた『丘』がありました。
実はここは丘でもなんでもありません。このが像の左端のほうに人がいるのがみえますよね。そこが入り口です。


そこへ周って見ると・・こんな入り口がありました。


中に入ると・・奥は広い空間になっていました。


そう、ここがあの『ガス室』です。ここで、『シャワーを浴びる』、『消毒をする』と言う言葉を信じて・・また信じていなくても・・沢山の命が終って行ったのかと思うと・・画像を撮るkオバチャンの手は震えていたのでしょう。ろくな画像が残っていません。

天井に開けられた光採りの穴・・だと思っていモノは。どうやらガスの元になるチクロンなどを投入したところのようです。

効率的にその死体を処分する為、元々あった焼却炉のそばの空間を利用したといわれているだけに、焼却炉と思しき物体も残っていました。

kおばちゃんはこの空間から生きて出る事ができましたけれど、ここから生きて出られなかった人のことを思うと・・人間やっているのがいやになってきました。

さてさて、駆け足の収容所見学は渡お終いにしましょう。生きてあのゲートをくぐる事のできる幸せを感じなければいけませんね。


大急ぎで外にでると・インフォメーションの建物の前にバス停がありました。


もう一つの収容所後に行くバスです。バスがまだある・・ということは見学できるかもしれない・・とあわててヒュンダイ君のところに戻ったkおばちゃんです。


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労働は自由を作る(オシフィエンチム)

2012-04-24 19:23:39 | ポーランド
今日は春らしいよいお天気だった。
八重桜は満開!通勤経路をちょっとかえて、花見気分で出勤のkおばちゃんです。

それにしても・・最近ポカミスが多いのよね。困ってしまう。これ以上ボケたら使い物になりません。

昨日はこの前手にいてた細身電話を開放して、海外の使用も自由にできるようにしてきたけど・・なんで最初からそうしないのか。。やっぱり電話会社と機械メーカーが切っても切れない状態なんでしょうね。


○8月7日(日)

クラクフの町をあとにして・・70キロ・・・ナビさまのご託宣では1時間ちょっとだったと思ういますが鈍臭いkおばちゃんにはもう少し時間が掛かったような気もしました。

たどりついたのは・・オシフィエンチムOświęcimという町です。この町の名前でピンと来る人は・・そうとうな人だと思います。
一般的にはこのオシフィエンチムという名前よりは、ドイツ語の名前の方が知られています。
ドイツ語では、ここはAuschwitz。そうあのアウシュビッツです。

kおばちゃん。実はポーランドに行こうと思った時に・・とっても複雑な思い出ここに来ようか如何しようか悩みました。
中学生の頃この存在と、こういう出来事を知って・・その時は『人間てなんて残酷なんだ!』と怒り狂ってました。こんな悲劇を2度とおこさない為にも実際に見てみないと!!
という気持ちだったのですよね。若い頃は・・

お年を段々とって来ると・・イロイロな考えが浮かんできました。
たしかにあのヒトラーに煽動されたナチズムは、考えられないような人間として卑劣な行為をおこないました。しかし、『戦争』という行為そのもと如何違うのか??
武器をもっている人間同志なら殺害しあってもかまわないが、丸腰の人間を殺してはいけない・・という理屈が理解できなくなってきたのです。

そもそもナチズムにくっついていったのも人間。時代がそうさせた・・という一言で済ませてしまうには余りにも残酷なことだったのは判ります。
でも、kおばちゃんがあの時代のドイツ側にいたら・・はたしてそれを『よくないことだ!!』と声を上げて言えるだろうか・・

昨今の日本の状況にしても、不平不満を言ってばかりいますが、そういう状態にしてしまったのも私達だ・・という認識がたかまると・・果たして『悲惨な行為の行われた場所』ということだけて訪れてもよいのかどうか・・かなり葛藤があり、昨日の晩まで悩んでいたのでたのでした。

でも、考えて見たら次に『訪問する機会』はやってこない気もしましたし、ここまで来て訪問しないのは『逃げている』ことにも思えてきて・・やっぱり立ち寄る事にしたのでした。

目指したのは他でもありません。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau
ヒュンダイ君と私がまず目指したのは・・駐車場でした。どこにあるのか・・良くわかっていなかったのです。

建物の近くに来ると、学生のバイト?と思しき若者が駐車場はこっち・こっち・・と交通整理です。
現在、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は博物館として開放されていますが、その博物館と道を隔てたところにある駐車場に案内されました。

やっと辿り着いた博物館ですが、本来だったらガイドツアーで回ればより理解できるのですが、残念ながらガイドツアーは4時でおしまい。kおばちゃんが到着した時は4時を少し回ってしまっていました。
5時までは見学できるはずですから、入り口で日本語のガイドパンフレットを入手して見学する琴にしました。

インフォメーションの建物を出て・・しばらく歩くと右側に見えてきたのがこのゲートです。


このゲートから向こう側がいわゆる収容所と呼ばれる建物が並んでいる地区です。
ゲートの上に掲げられている言葉が『ARBEIT MACHT FREI』です。
直訳すれば『労働は自由を作る』といったところでしょうが、意味としては『働けば自由になる』と言うことだと思います。
なんともはや皮肉な歓迎の言葉です。もともとは小説のタイトルだったようですが、ナチスの強制収容所のスローガンとして利用されたようです。

そして、その皮肉の意味があるのか・・それとも警告か・・この『ARBEIT』の『B』文字が転地逆になっていて・・頭でっかちになってますね。



このゲートを一体何人の人がくぐって行ったのでしょう。そして何人の人が出てくることができたのでしょう。

この第一収容所の他に、2箇所この地区には収容所があったようですが、ここで命を断たれた人間は125万人とも150万人とも言われているそうです。

以前やっていた番組でこの収容所のまさのこのゲートのところで『歓迎』の演奏をしていた女性のドキュメンタリーを見ました。
彼女ももちろん収容者の一人で、母親と一緒に収容されていたとか。彼女自身は生き残ったけれども・・彼女の母親は処分されてしまったそうです。
彼女の心の傷は『何故、母を助ける事が出来なかったか』というもので、それは『何が何でもとSSに取り入ってまでも、自分の母を助けたメンバーがーいらから・・なんで自分もそうしなかったのか』という後悔の念だったのだと思いました。

そんな彼女達が演奏していた楽譜は、修復された収容棟のなかに展示してありました。


ここにも『ARBEIT』の文字がありますね。


彼女達はどのような気持ちで毎日演奏していたんでしょうね。


おそらく、日常化し過ぎて・・・神経が麻痺していたのだと思います。
人間、極限まで行くと防衛本能で脳みそが思考停止するときいていますから。

人間の非情さ・・見ていて辛くなりました。でも、一歩間違えれば加害者の側にたってしまうかもしれない恐ろしさ・・

ここアウシュビッツは最大規模の収容所と言われ、ドイツ国内からはもちろんヨーロッパ全土からあつめられた人達が収容されていたようです。


※その後2011年8月10日その通過地点の一つであるグルーネヴァルトGrunewaldの17番ホームを訪問して見ました。
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さよならマリア様(クラクフ)

2012-04-23 17:12:14 | ポーランド
土日は、自宅PCがまだ復帰していないkおばちゃん。
このままだとTVと同じでチデジ難民と同じような感じで流れそうです。細身電話もあるので、ネットを見るには困らないけど、入力が面倒臭い!

まあ、この時期にPCの画面をにらんでることもないしね。

最近は酔っ払い方が・・ひどいkおばちゃん。そんなに飲んでいない・・と本人は思ってるのですが・・記憶がところどころ飛んでいます。えーーとお金払ったっけ??状態です。
トホホなkおばちゃんです。

○8月7日(日)

クラクフの旧市街の中心的建物、繊維会館Sukienniceは上部階は美術館になっているようです。


見学しようと中に入ると・・何故か今日は『無料』だそうで・・ラッキ!!でした。

中の美術品は撮影できませんでしたが、外の景色は撮影できます。広場を望む事が出来ます。
アダム ・ ミツキェヴィチAdam Mickiewicz氏の像だそうです。19 世紀の最大のポーランドのロマンチックな詩人だそうです。


この上部階にはカフェもありますが・・もうkおばちゃんはお休みはしません。


再び外にでて 中央市場広場にもどりました。こちらは聖ヴォイチェフKościół św. Wojciecha w Krakowieがさっき目に付いたのでそばまで行って見ました。


広場にはこんな馬車も・・移動郵便局のようです。


再び聖マリア教会Kościół Mariackiに戻ってきました。


ご挨拶して帰りましょう・・・と中に入ると・・洗礼式でしょうか?赤ちゃん連れが何組かいらっしゃいます。


赤ちゃん達の未来に幸多かれ!!ですね。


やっぱり豪華な祭壇ですね。


教会のお堂の中には聖壇のマリア様以外にも・・いらっしゃいます。


生命の樹Tree of Lifeでしょうね。


そろそろ出発しないと・・外は相変わらず良いお天気です。


ここをくぐるともう一つの広場に出ますね。昨日お夕食を食べた広場、市場広場です。


そうそう、ワインを買って行きましょう。今晩・・次ぎのお宿に何時つくか・・わかりませんからね。


ホテルに戻り、預けてあった荷物を引き取・・ヒュンダイ君に積んで出発です。


ガラスに写っているのは向い側にある大手チェーンホテルです。

途中、中央駅付近を通過するときに見かけた・・ショッピングセンター?でしょうか。新しい建物ですね。


午前中できりあげるつもりの市内観光が・・ちょっと時間がかかりすぎました。っていうかかけすぎました。次の目的地は今晩のお宿ではありませんが・・見学で切る時間に到着するかしら・・と不安になってきたkおばちゃんです。

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タタールの襲撃をうけ(クラクフ)

2012-04-20 19:40:23 | ポーランド
昨日は明太子のお国で出稼ぎ。
いやー、今年に入って2度目だけど、お隣のお国の人が多いのにはびっくりです。
お顔だちはそれほど違わないのですが、『声がでかい』『何時も喧嘩のような話し方』には小心者のkおばちゃんはびびってしまいます。

それにとても楽しみにしていた、西日本いちおおきいという100円ショップでのお買い物・・お目当ての品が品切れでした。
このまえはあんなにたくさんあったのに・・・たぶんお土産で買い閉められたかもしれません。
まさかkおばちゃんのライバルになるとはね。トホホ・・

○8月7日(日)

クラクフの町歩きはまだ続いています。
旧市街の中心Rynek Głównyマーケット広場にもどってきたkおばちゃんです。もう一度繊維会館をひやかしてみました。


なんだか日本のおもちゃの刀のようなものを売っているお店もあるんですけど・・


見ただけで何にも買わなかったkおばちゃんです。

ところで・・結構お草臥れになってきたkおばちゃん。このあたりで休憩しましょう・・と繊維会館の一角にあるカフェのテラス席というか庇のしたの席に座りました。

お天気が良過ぎて、日射病になりそうなくらいです。聖マリア教会Kościół Mariackiを臨むこの席は特等席に思えました。


メニューをもらって眺めると・・あら、びっくり!!日本語のメニューがありました。


それにユーロ換算の数字が脇に書いてあります。まあ、観光地のど真ん中ですからね。

kおばちゃんのご注文はいつもの通り・・アイスカフェ!まったく能無しです。


アイスカフェを頂いていたら・・教会の塔から突然ラッパの音が鳴り響きました。あら、時報のラッパかしらね・・
なんて思っていたら、曲の途中と思われるところで突然演奏がおわりました。
まるで、ぶった切った感じの終り方です。あらあら・・どうしちゃったんでしょう?と思ったのですが、これで正解のようです。

このラッパはHejnał mariacki と呼ばれる吹き手が、13 世紀、タタール人の侵略を知らせるために吹いていたのだか、途中で狙撃されて・・そこから先は吹けなかった・・という故事にのっとってるそうです。
youtubeなんでも沢山アップされています。

またこの話はEric P. Kelly というジャーナリストによって、青少年向けの物語にされているようです。

そんなトランペットの演奏を聞きながら、アイスカフェを平らげたkおばちゃんです。


さて、一休みはもうおしまいにしましょうね。

お次は・・そうそうこの繊維会館Sukienniceに入っている美術館でも見学して見ましょうかね。
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美女は出稼ぎ中!(クラクフ)

2012-04-18 17:13:25 | ポーランド
今日は春らしい気持ちの良いお天気。でもこれが何時まで続くか・・

世間で騒いでいる、北の打ち上げ花火の話。政府の発表が遅かったといってるけど、政府の発表ってどのような外交的に影響を与えるか・・ということを理解して騒いでるのかしら?外国と連携して??それじゃ国防にならないでしょ?
ただ単に『教えてもらえなかった』と騒いでルだけに見えてしまう。

報道機関が『発射されたもようだ』ということも伝えられなければ問題だけどもね。

国民はつんぼさじきに置かれたと、代弁して頂かなくて結構!それよりももっと大事なことを議論してよ野党のみなさん。

○8月7日(日)

クラクフの旧市街の中に入ったkおばちゃん。こんなものも見つけました。


Bertel THORVALDSENという北欧系の芸術家(但し多くの部分をイタリアで過ごす)のMERCUREマーキュリーという作品のようですね。
何気なく建っているところが、素敵です。

このアーチを越えたところにkおばちゃんのお目当ての建物はあるんじゃないか・・と思うのですけれど。


この黄色い建物・・だと思うんだけど入り口が・・


残念ながら改築中というかリノベート中のようですね。知らなかった・・って下調べして無いからこうなるのです。


改築中だったのはMuzeum Książąt Czartoryskich w Krakowie チャルトリスキ美術館です。ここはポーランド最古の美術館ともいわれていますが、kおばちゃんのお目当てはこの中にあった・・はずです。

それはこちらの絵画です。(ウイキペディアさまよりです)


『白貂を抱く貴婦人Dama z gronostajem』です。レオナルド・ダ・ビンチLeonardo da Vinciのモナリザに続く?美女肖像画の一枚があると思っているたのですが・・残念です。

後日、12月に別の都市(外国です)でご披露されているのに出あいましたが・・こちらは完全予約制でしたので・・そこでもご対面はかないませんでした。
どうやら美術館が改築中のあいだ・・・出稼ぎなさっているようです。

この美女は第2次世界大戦のときにはナチスに略奪され、最終的にはナチのポーランド総督だったハンス・ミヒャエル・フランクHans Michael Frankの手によってドイツの私邸に持ち去られたところを戦後発見されて、ここクラクフに戻ってきた・・ということのようです。何とか美女を好む・・というやつでしょうかね。

美女にご縁のないkおばちゃんでした。

しょうがないので・・近くの教会を覗いて見ることにしたkおばちゃんです。


ただし・・こちらはこれからミサが始まろうか・・というところですので・・遠目で拝ませていただきました。


Kościół Przemienienia Pańskiegoどうも日本語に翻訳すると松が峰教会となってしまうんですけど・・

教会堂を出て再び右手の美術館と・・それに続くアーチを望みます。


しょうがないのでまた旧市街をプラプラと歩きます。


こちらにもこじんまりとお堂が建っていました。


Kościół św. Jana Chrzciciela i św. Jana Ewangelisty w Krakowie バプティスマのヨハネと聖ヨハネの福音教会??なんて名前ですか?

その脇の奥にはこのような気持ち良さげなテラス席がありました。


あの建物が見えてきたら・・旧市街の中央ですね。
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外の守り(クラクフ)

2012-04-17 17:37:07 | ポーランド
今日はあまりぱっとしないお天気。花曇とでもいうんでしょうけどkおばちゃんのところはさくらは終ってしまいました。

でも他のお花は美しいです。

この前のお休みに庭の葡萄の木の枝を少し切りました。いつもだったら冬に済ませてしまうのですが・・切り忘れていたところがあったのよね。

で、じょっきり切ったのですが・・その切り口からあふれ出る水滴を見たらなんだかとても悪いことをしてしまった気分になりました。まるで木から血がながれているような感覚になってしまったのであります。ごめんねーー

○8月6日(土)

広場の屋台で夕食を済ませたkおばちゃん。お宿に戻ったら・・バタンキューでありました。
なんせ・・・1日が長かったし良く歩きましたからね。

●8月7日(日)

今日はここクラクフを出発する移動日です。
見所いっぱいなので・・もう少し滞在したい気も十分とありますけど、なんせ短い期間にばばば・・と決めてしまった旅程です。しょうがありません。

最後の朝食をホテルで頂いた後、もう一度市内観光に出かける事にしました。
で、一応チェックアウトは12時までだったと思うのですが、グズのkおばちゃん。時間を気にしながら歩くのもしんどいのでチェックアウトを済ませることにしました。
荷物は別室に預ってもらうことにして・・ヒュンダイ君はそのまんまホテル前に駐車です。今日はにちようびですからね。駐車無料!!

さ、出発です!

まず初めは・・相変わらずの聖マリア教会にご挨拶ですね。


何回見ても立派な祭壇画というか彫刻です。


丁度朝のミサとお昼のミサの間の時間帯だったようでゆっくりと眺めることができました。

息子イエスが十字架にかけられて・・悲嘆に暮れる聖母マリアを12使徒が支える・・の構図かとおもいました。


kおばちゃんがお堂をあとにするころには観光客が続々と・・いらっしゃいました。


さて、一昨日到着した日に旧市街のほうは広場周りをちょこっと歩いただけで、イロイロなイベントにぶつかってしまったろくに観光しておりませんでした。

のでちょっと足をのばして町歩きをしてみます。



途中で、露天商というか物売りがお巡りさんにライセンスの確認をされてる・・といったところを目撃です。

そして辿り着いたのは・・このような門のある場所です。Brama Floriańska 聖フロリアンの門です。


1307年には記述がみられ、1241年のタタール攻撃のあとに町をまもる城壁の一部として構築されたようです。現在の姿はもちろんその当時のものではないようですが、観光目玉のひとつのようです。

この門をくぐった外側では、このような大道芸?というかパフォーマンスをしておりました。


ポーランドの民族衣装でしょうか?それすらも判らないkおばちゃんです。

門を背に立つと目の前にみえるのはこのような建物です。


これはBarbakanバービカンと呼ばれる甕城(おうじょう)のようです。甕城といってもわかりませんね。防御用の城門で、門の外の門といったところでしょうか?

1498 年頃建てられたようで、現存しているのはヨーロッパでも3つだけ??貴重なもののようです。


もちろんオリジナルのままではないようですが、現在は有料で中をというかつくりを見学出来るようですが・・kおばちゃんは中には入りませんでした。


バービカンを背に門を望むとこんな感じですね。


このバービカンの前を真っ直ぐと続く通りがありますが、そこにこのようなモニュメントがありました。


グルンヴァルトの戦いBitwa pod Grunwaldemという、ドイツ騎士団との戦いを記念?してたてられたもののようです。

そしてバービカンを外側から見ると・・このような形です。


なんだか韓国の水原でみたこれ西の大門を思い出しました。


まあ、単に丸いから・・だとは思いますけどね。

さあ、再び門をくぐって旧市内に戻ります。


防護壁にも物見の塔のようなものがついています。守るものは市民ということですよね。市内を守っているわけですもんね。

壁は観光客相手の風景画の格好の展示場所のようでした。


さて、あっちの方にいってみますかね。
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ジャズを聞きながら(クラクフ)

2012-04-16 19:10:36 | ポーランド
相変わらず自宅PCラインご臨終のままのkおばちゃん。テザリングを本格的に考えなきゃ・・

というところで、お仕事もちょっと行き詰まり感が漂うこのごろです。
陽気も良くなって来ているのですけど、どういう風に生きたものやら・・と黄昏てもいられませんね。

○8月6日(土)

クラクフのカジミェシュ地区の探索?を終えたkおばちゃん。黄昏の町の中をホテルのある旧市街へともどります。

あーー今日は朝からどっぷり観光モードでお疲れです。お昼もろくに頂きませんでした。
で、一旦ホテルに戻って・・さて、お夕飯をどうするか考えました。本とはさっきのカジミェシュ地区で頂こうとは思っていたのですが・・・雰囲気が『暗い』!!

で、お一人様でも楽しかった・・あそこに行って見る事にしました。そう、夕べ屋台が沢山出ていたあそこです。Maly Rynekリトルマーケット広場!


今日は夕べよりも出動がおそかったので、特設ステージでライブがはじまっていました。ジャズですね。これは。

出ている屋台は夕べと同じ・・で、kおばちゃんは是非ここで買って見たかった・・と煙に巻かれながら並びました。


だって物凄く美味しそうだったんですよね。

で、空腹のあまりに頼み過ぎました。


もちろん完食なんかできるはずがありませんが・・・

昨日のチーズの焼いたはの本と美味しくて、今日はジャムをつけたのを頼んでみました。
もちろんワインも!

今日は週末とあって夕べよりも人出がおおくて開いているテーブルを捜すのが大変でしたが、気持ちの良い団体さんがkおばちゃんのために詰めて暮れました。
彼らはワインをボトルで買っては皆で分けのみです。うらやましい・・

でも楽しげな人達のおそばでkおばちゃんも楽しい気分になりました。

そうそう、この広場に食べ物関係だけではなくておもしろい屋台もありました。


蹄鉄屋さん??なんでしょうか?

こちらではただいま製作中。


彼の後ろに掲げてある文字は『kuznia-przygody』冒険を作り上げる?とでもいう意味かしらね?

ステージと広場は絶好調!ただしkおばちゃんはお草臥れ絶好調!ということでそろそろお宿に戻ります。


最後まで心残りの・・こちらの揚げ菓子Langosを横目に見て・・今日も大人気です。


普段だったら躊躇しないのですが、なにせ出発前の健康診断の時に胃が最高潮に痛かった今回は『自粛』です。

だてt・・こんなに油で揚げるんですよね。


返す返すも残念・・と後ろ髪をたっぷり引かれながら広場を後にしたkおばちゃんでした。
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町を歩けば(クラクフ)

2012-04-13 19:26:32 | ポーランド
実はkおばちゃんのPC、PC事態はいかれていないのですが、いかれてしまったのは・・回線。
ビンボーなkおばちゃんは未だにADSLなんてラインを使ってます。で、そのルーターの電源のアダプターの線が断線してしまったのであります。

世の中にアダプター付きの電化製品は各種あるけれど、よーーくみ比べるとそれぞれ規格が違うんですよね。
だから、手持ちのアダプターで済ませましょ・・と思ったのだけれどもダメでした。
で、家電量販店に買いに行ったのですが・・そんなものおいていないといわれてしまいました。
何ででしょうね?おいてないのも不思議だけど、なんであれほど規格の違うアダプターが世の中に蔓延しているんでしょうか??
統一規格にすると・・なんか不都合なのでしょうかね?だって『電池』を使う製品ってある程度統一規格じゃないですか。それなのになんでああもてんでんばらばらなんだ??と疑問に思っているkおばちゃんです。

WiFIにしてしまおうか・・とも現在お悩み中なのであります。
通信会社に問い合わせたら・・代替品は2500円弱の有償なのでありますよ。WiFiに踏み切れないのは通信料金。現在kおばちゃん、△Padの3G契約をそろそろ辞めたいと思っているのでありますが(あまりに繋がりにくい)あれは2年縛りがあって、その2年目が訪れるのが3ヶ月先・・ということで、そのタイミングで切ってしまおうと思ってるのですが・・まだ3ヶ月あるしなあ・・と心揺れ動くのでありました。
スマホのテザリングと言う手も考えられるのですが・・料金があがっちゃうしな・・

○8月6日(土)

kおばちゃんのカジミェシュKazimierz地区歩きは続きます。

やってきたのはこんな建物の前です。


これは、正統派(Orthodox Judaism)のシナゴーク、古いシナゴークSynagoga Staraというところのようです。

1939年にポーランドのドイツの侵攻までは、市内で最も重要なのシナゴーグの一つだったようです。
それだけではなくクラクフのユダヤ人コミュニティの主要な、宗教的、社会的、組織的な中心地であったとのことです。

もともとは15世紀末ボヘミアンユダヤ人に建てられたものだったようです。
そもそもシナゴークとは宗教的な場所であると同時に、集会所、研修所のような意味合いも色濃い場所のようです。
このシナゴークでは政治的な集まりもいろいろあったようです。

現在、修復されたこのシナゴークは『クラクフのユダヤ人の歴史と文化の展示館』となっているようです。


この煉瓦で囲まれた白い部分は昔からの部分でしょうね。


そしてこの建物の前は、このような広場にのようなつくりになっています。


Szeroka通りul. Szerokaと呼ばれているようです。

ここも14世紀には存在が認められていたようです。中世の市場の広場のようだったようですが、ここは先程の古いシナゴークともうひとつのシナゴークに面しています。


現在は、このカジミェシュKazimierz地区の観光の中心地となっているようです。ご覧のように、市内観光用のカーとの出発地点ともなっているみたいです。

そして、観光客相手の『正統派ユダヤ料理』なるものをサービスするカフェもみうけられました。


この広場の片隅にはこのようなものも建っていました。


The nissenbaum foundationという文字が見えます。ポーランドにおけるユダヤ人の団体のようです。

そしてこの広場に面しているもう一つのシナゴークはSynagoga Remuh。現在市内で唯一の活動しているなシナゴーグですって。この名前の Remuhというのは、ヘブライ語の頭字語ReMAで知られる、ラビモーゼスIsserles c.1525-1572にちなんで命名されたということです。


後には墓地が控えているようです。


もう少し町を歩いて見ました。すると・・典型てきなユダヤ人?の出で立ちの男性をみかけました。


実はさっき歩いているときにライブのチラシをもらったのですが・・開演時間までまだ間がありそうなので・でどうしようか悩みながら歩いていたのであります。

こちらの男性も・・典型的なあのボールのような帽子をかぶってらっしゃいますね。


やっぱりライブはあきらめて再びPlac Nowyへやってきました。


本とはこの町でお夕食でも頂こうかともおもったのですが・・kおばちゃんの食指を動かすようなお店がありませんでした。

さて・・お宿に戻りましょう。
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斑の鳥(クラクフ)

2012-04-10 18:45:24 | ポーランド
ここのところショッキングな事が続いて・・ちょっとお疲れのkおばちゃんです。

まず第一に・・・自宅PCの接続環境が非常に悪くなしました。



最近はTVを見なくなったので・・周りのおばさま方の話題についてゆけなくなっています。

未だにワイドショーとかを見続けている人が『まったく○電の役員報酬はなによ!あんなにもらってるのに画上げですって?』という意見を聞くと辟易してきます。

以前のM党のやりかたと同じ。やれ、埋蔵金だ天下りだと騒いでいたわりには、あんだけの税金しか節約できないじゃないですか。
それと同じ。役員報酬云々カンヌンで、大切な事を報道し忘れていませんか??
○電株を大量に所有している企業はどうなるんですか??とかのほうが大問題だと思います。役員報酬は当然そのうち下がります。それは自明理のはず。そんなことで大騒ぎするより、これからの経済の行き先を案じてください。と思わず言ってしまいました。

彼女も『判っちゃいるけど面白くない』といってましたけどね。


○8月6日(土)

気球に乗って空中散歩を楽しんだkおばちゃん。もう時刻は・・夕方になてます。さて・・お次はどうしましょうか。

そうだ、クラクフのもう一つの名所に行って見ましょう。
その名所・・というのはここからもちろんあるいてゆけるところです・・が、足を痛めているkおばちゃん。一日中今日は歩きっぱなしなので結構おつかれでもあります。でも、せっかくここまできたんだからね・

kおばちゃんが向ったのはカジミェシュKazimierzという地区です。14世紀にポーランド王カジミェシュ3世がこの地区をユダヤ人街として制定したとか。
商才にたけたユダヤ人達はこのクラクフの町にもしっかり根付いておりました。

で、このクラクフの町のユダヤ人達は近年ある映画でとても有名になったそうです。その映画は『シンドラーのリストSchindler's List』スティーヴン・スピルバーグ監督の第2次世界大戦時代を描いた映画です。
しかしこのkおばちゃんが足を踏み入れたカジミェシュKazimierz地区は、その時代より更に前にユダヤ人達の集落として発展していったそうです。

時間的に夕方のころです。だからでしょうか?旧市街の賑わいはありません。


あそこに広場のようなものが見えます。行って見ましょう。


ここはPlac Nowyと呼ばれる場所のようです。新しい広場とでも言うことでしょうか。19世紀になってから作られたようです。


戦前はこの広場に生贄の儀式の台があったようですが、現在は市場に利用されたりしているみたいです。


夕方ですけど・・野菜売りの屋台がありました。うーーん。


なんとなく野菜モノだと『朝市』というイメージがあるのですけどね。

広場の周りには、ホテルやカフェ、バー、レストランのような飲食店が軒を連ねていました。



そのおこぼれに預ろうというのでしょうか・・鳥がゴミ箱をつついてます。


飛べない鳥も歩いていました。でも・・この斑の鳥はなんていう種類でしょうかね?


kおばちゃんには、にわとりと、カラスと、鳩の混血のように見えてしまいました。

民族としては連綿と交わることなく存在し続けるユダヤ人と対極の鳥かな・・なんてへんなことを考えたkおばちゃんです。

通りの名前にしてもIzaak。これはよくアイザックと読みますよね。旧約聖書の『創世記』にも登場する
代表的なユダヤ人名ではないでしょうか。


ユダヤのやはり香りのする地区です。

この建物はIzaak Synagogueですって。元々は1600年代にたてらてたもののようですが、ナチスに占領された時代に中味はこわされてしまったようです。


この辺りは建物は野古くから残っているのでしょう。ユダヤの星がプレートについています。


こちらもヘブライ語の表記のある建物。KRAKOW´S GREAT RABBISってなんでしょうね?


ラビ RABBISとはユダヤ教の宗教的指導者であり学者のようなお方。一説には911を予言していたとも言われる方ですね。

中はなかなか重厚な雰囲気が漂っていました。ちょっと入り込むには敷居が高いような気がしたkおばちゃんです。



こちらはKowea Itim le-Tora Synagogue というらしいです。ヘブライ語で立法研究のシナゴークとでもいうのでしょう。


現在はアパートとして使用されているとか。この半円形開閉できる窓が特徴らしいです。

あのつきあたりまで行って見ましょうかね。


左に手に広場に続く脇道というか小道がありました。


あら、地図がかかげてあります


現在地は・・右上部の赤い○の部分ですね。ああ、ここがこの地区の中心的な場所のようです。


Szerokaという場所のようです。そしてここにはSynagoga Stara 旧シナゴークと言われる建物の建っているようです。
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気球に乗って(クラクフ)

2012-04-04 18:46:27 | ポーランド
夕べはびくびくしながら・・良く寝たkおばちゃん。
だってさっさと帰宅したら・・やること無かったというかやりたいことが無かった!

今朝は資源ごみのゴミだしの時に、お隣のおじさんから声をかけられた。お隣は数年前に2世帯に建て替えていたのだけど、息子さんが四国に赴任中だったのだ。
で、その赴任が終ってついに一緒に生活する事になったそうである。おばさんも嬉しそうにいそいそとお玄関をお掃除。

『ちょっとまってkおばちゃん!』と声をかけられて・・お嫁さんが挨拶を。お菓子を頂いてしました。
kおばちゃんとしては『すみません。ご迷惑をおかけします』しかいえないんですけど・・

ご近所が賑やかになるのは良いことですよね。

夕べの嵐でさくらの花が心配だったけど、まだ殆どつぼみだったようでかなり咲き始めていました。心ウキウキの季節ですね。
kおばちゃんは・・お鼻のほうでドヨーーンの季節です。とほほ・・

○8月6日(土)

さてさて、お城の見学を終えたkおばちゃん。
次に足を向けたのは・・そうあの景色のところです。


気球の所です。場所はよくわからないけど・・橋のたもとのようです。
昨日このクラクフの町にはいったときにもばっちり見えましたからね。たしかポーランド観光局でも宣伝していたとおもいます。

○カと煙は高いところ上る・・といわれていますので、○カの部類のkおばちゃんが上らないわけにはいきません。

なんとか歩いて辿り着きました。気球に乗っての町並見物です。チケットは・・お一人様だとちょっと高いかな?ここの物価にしてはね。

お客さんが集まるまでちょいとお待ちしましたが・・なんとか出発?です。


あちら側の方が景色が良いはずです。お城や旧市街が望めるのです。kおばちゃんは迫力にまけて・・外れの景色です。トホホ・・

ロックが外れて・気球が上昇し始めました。


対岸にあるSkałka教会。Skałka とはポーランド語で『小さな岩』と言う意味らしいです。
正式にはKościół św. Michała Archanioła i św. Stanisława Biskupa w Krakowie 大天使ミカエルと聖スタニスラウス クラクフ司教区教会?とでもいうのでしょうかね?


教会よりも高くなりました。

気球は残念ながら固定式。ワイヤーでしっかり繋がってます。どこかにふわふわ・・は行きません。


随分と高く上りました。


『当り』の方の風景はこんなです。ちょっと眺めさせてもらいました。


さっきのヴァヴェル城とその向こうに聖マリア教会も、市庁舎の塔もみえますね。

こっちはkおばちゃんの『外れ』の風景・・


で・・・気になるモノを発見!


町のはずれ・・だけど、あの形は不気味ですね。発電所です。エネルギー源はなんでしょうかね?

『外れ』といえば・・本当はそうでもなかったんです。実は足元のこんな風景も見る子とが出来ました。


やけに車の通が少ないな・・とおもっていたら・・なんだかやってきました。


これじゃ判りにくいですよね。画面上部の中央付近なんですけど・・

丁度、下を通った時の画像がこれです。自転車の集団です。


かなりなスピードで走り抜けて行きますが・・まだ集団はバラけていませんね。


陸橋の上に人だかりが・・どうもこの陸橋を使って折り返しているようです。


そして来た道の反対車線を走って・・・去って行きました。


さっきお城の見学の時にも煩かったヘリコプターがここにもいます。


ここにもいます・・というよりも、この集団にくっついて行ってしまいました。

何のレースだったのかは判りませんが・・見物にもそこそこいたので有名なれーすだったのでしょうね。地元では・・

ということで、クラクフの町並みと自転車レースを楽しんだ気球での散歩でした。

さて・・お次はどうしようかな・・
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ヴァヴェルのドラゴン (クラクフ)

2012-04-03 22:31:13 | ポーランド
今日は朝から、夕方からものすごい風と雨が・・と大騒ぎ。
で、お仕事もほっぽり出してとっとと帰ってきたkおばちゃん。確かにまだか風がゴーゴー吹いています。
kおばちゃんのボロ屋は飛ばされてしまうかも知れません。季節外れの台風といったところでそうけど・・庭ではここぞとばかりにカエルの大合唱なんですけど・・

平和というかなんというか・・
帰ってきたときにも大きな殿様カエルが玄関のまん前でお出迎え・・してくれなくてもいいのよ・・

台風のように目がないのでしょうか?通過・・という感じではないのでしょうね。

○8月6日(土)

ヴァヴェルWawelのお城の見学を一休みして、甘いものを頂いて元気の出てきたkおばちゃん。
もう一つ・・気になるところがあるのよね・・

あ。そういえば、それとは別に気になるものを発見フェルメールです。


よく目にするフェルメールの作風とはちょっと一味違うような気もします。
だからでしょうか。現在ではフェルメールの作品リストから除かれている・・なんて話も聞きますが、《聖プラクセデス》という初期の作品とされるもののポスターです。

何でこんなとこに?と思ったらどうも、この作品を発掘というか発見したのはIRSA美術史研究所という団体で、その本拠地は現在ここクラクフにあるようです。

で、kおばちゃんのもう一つの目的はこれじゃなくって・・こっちです。


こちらは予約は必要ないようです。それはDragon’s Den竜の洞窟とでもいうのでしょうか。
この地に伝わる伝承に関係する展示?です。

その昔、ここクラクフの ヴァヴェルには竜が住み着いていたとか。この竜は大変悪い竜で毎日人々をを殺し、その家を略奪し、彼らの家畜を食べてしまっていた。特に若い女性が大好きで、王の娘ワンダを除いて犠牲になってしまった。
王様は困り果て、この竜を退治した勇者と娘を結婚させる・・というおふれをだしたところ、靴屋の見習いSkubaが、知恵をしぼり硫黄を詰めた子羊を洞窟のそばに置き、竜にだべさせたとこと・・喉の渇きからヴィスワ川の水を飲んだのだが・・最後には硫黄が爆発して死んでしまった。
この功績によりSkubaはワンダと結婚して末永く幸せに暮らしましたとさ・・という物語のようです。

で、その竜が住み着いていたのがこの洞窟・・といわれている。
この物語は、比喩的な部分もあるけれど・・それに見合うような歴史もあるようです。

ま、kおばちゃんは『昔々の物語』のほうがよいですけどね。

この建物の中にはいって・・階段を下りてゆきます。


下に降りてゆくとこんな孔が空いています。


どこかの隙間からドラゴンが今にも出てきそうですね。


広さはこんな感じです。


あそこが出口のようですね。


外に出ると・・そこはヴィスワ川の畔。そして、そこにはおりましたよ。ドラゴンが!


ブロンズにクロームめっきされたこのドラゴン君は1972年からここにいるそうです。

子どもたち大人気!そして・このドラゴンは・・天然ガスによって・・


たまに火を噴きます!!


子どもたちはびっくり!です。

そうそう、この洞窟、逆流できないように出口にお兄さんが・・座ってますけどね。


さて、川の所まで着ましたから・・あっちに行って見ましょうかね。

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幸多かれと祈ります(クラクフ)

2012-04-02 19:12:55 | ポーランド
昨日はちょっとPCと格闘していたので疲れてしまった。
ちょっと前に使った事のある機能のはず・・なんだけど、3年も経つとすっかり忘れてしまっているkおばちゃん。あー時間と根気が必要でした。

でも、なんとか・・完成しました。お疲れ様!

今日は新入社員の皆様が通勤されたので・・・電車はめちゃ混み!明日からどうしよう・・もう少し早く出た方が良いのかな・・と悩むのであります。

○8月6日(土)

ヴァヴェルWawelのお城の予約がなんとかなって一安心のkおばちゃん。
予約の取れた展示はもう一つはお宝と武具の展示Crown Treasury and Armouryでした。
どちらも、セキュリティーはばっちりで、毎回手荷物の検査があります。

お宝の方は・・予約時間よりも少々早く到着してしまいましたが・・問題ありませんでした。
2つ位が丁度良かったかもしれません。kおばちゃんには。

そして、大聖堂Wawel Cathedralは、こちらは予約は必要ありませんが、見学料を支払います。
入り口でチケットをチェックされたときに、向かいの博物館にも入れますよと教えていただきました。

この大聖堂の起源は1000年ごろのようですが、現存する古い部分が作られたのは1142年ごろのようです。
内部はとても荘厳で豪華でした・・が画像を撮っていない・・ということは撮影禁止?だったのでしょうね。

地下には歴代の王や聖人の墓があるそうですが・・kおばちゃんはどうも趣味ではないのでお参りはしませんでした。

この大聖堂の名物は・・実は『大鐘』です。ジグムント塔にありジグムントの鐘Dzwon Zygmuntと呼ばれているようです。


この鐘は1520年にニュルンベルグの Hans Behem によって鋳造されたのでしょうか。
この礼拝堂を建てさせたジグムント1世スタルィZygmunt I Stary1467年1月1日 - 1548年4月1日にちなんでジグムントの鐘と呼ばれているようです。


鐘の大きさもさることながら、このポーランドの時代の節目、節目に鳴り響いた鐘の音はからこの鐘そのものも『ポーランドを象徴するも』とnされているようです。

お城の入り口方面を望むと・・・騎乗の像が・・あれはどなたでしょうかね。


こちら側は旧市街の中心地を望みます。右側の塔は聖マリア大聖堂。左は市庁舎の塔ですね。


大聖堂を出て・・屋根を見上げたら・・面白い物が・・雨どいですかね。


竜・・ドラゴンの形をしています・・けどまさかあそこから雨水が噴出す訳じゃ・・ないですよね・・

急いで向い側の博物館にお邪魔しました。
教会関係の遺物を展示してありました。もちろん先の教皇ヨハネ・パウロ二世のものもありました。


kおばちゃんが入って直ぐぐらいに・・入り口は閉められてしまいました。本日の見学はお終い!ということのようです。

こんな時間になってしまいました。あらあら・・です。5時近くですね。


博物館を出たところにいらっしゃったのは・・当然ですね。ヨハネ・パウロ二世。2011年1月14日には列福されたんですよね。


そういえば・・・さっきからずーーと気になっているのがこのヘリコプター。


お城の周りを飛んでいるのですが..あまりの回数の多さに、『観光用ヘリ』じゃないかと疑っています。もしくは・・訓練中?なんでしょうね?

そういえば・・お昼を頂いていないkおばちゃん。さすがに何か食べたくなりました・・といっても甘いもの!
さっき、予約チケットを買ったセンターの建物にカフェのようなものがありましたのでそこでお休みする事にしました。


メニューを開いて・・一番気になったものを注文しました。


実物は・・ちょっと違うかな?でもまあいい!美味しいから!


kおばちゃんがテラス席でまったりしてると・・・丁度新郎新婦が通りかかりました。


kおばちゃん。思わず『おめでとう!』と声をかけると・・ニッコリとポーズを取ってくださいました。


末永くお幸せにね!幸多かれと祈ります。
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